« 富士見下から至仏山(中篇) | トップページ | 松枝・郡界尾根・武川岳 »

富士見下から至仏山(後篇)

Hatomachi


風化の激しい蛇紋岩で構成されている所為なのか、至仏山頂の西側は、地形図で確認できる崖印が示す通りに、切れ落ちる断崖が続いていた。乾いた砂礫の登山道が、雲海の上を辿っている。尖岩が塔のように盛り上がっているのが見える。其の岩尾根を左に捲いていくと、直ぐに断崖の淵に出る。其の繰り返しをしながら稜線を徐々に下っていった。雲海に突き出た岩尾根の頭は、斑状の紅葉に彩られて聳えている。眼福の稜線を、正面に見下ろす小至仏山迄、歩いていく。

ところで、登山地図のコースタイムは、至仏山頂から小至仏山迄35分と記されているが、実情はかなりの差異が在るものと思えた。下り基調の稜線歩きで一時間半を掛けて、小至仏山に到達したから、巨大ザックを背負っているとは云え、また後述する友人の鈍足化を考慮しても、倍以上の所要時間は解せない。北アルプス、常念岳から南下する登山道、そしてつい先日歩いた、猿倉荘から白馬鑓温泉小屋迄の所要時間。何れもコースタイムの三倍近く要して驚いたが、其れ等に匹敵する程、此の区間のコースタイムには疑問を感じた。鳩待峠からやってくる観光客や、登山の素人が多く訪れると思しきコースなので、余禄を加味したコースタイムを設定すべきだろう。


Hatomachi1

2014/9/27

山ノ鼻(6:15)-----至仏山-----小至仏山(11:40)-----鳩待峠(13:20)-----アヤメ平-----富士見峠-----富士見下(17:00)

絶景の稜線歩きで満悦のトレッキングが続いていたが、同行の友人、纏井君が苦悶の表情である。山ノ鼻からの急登を終えて登頂し、漸く軽快に歩ける状況になった筈なのに、足取りは格段に遅くなっている。小至仏山の手前で、どうしたと訊くと、爪先が痛いと云う。以前からの悩みの種である巻き爪の症状が悪化した模様であった。気の毒としか云いようは無いが、富士見下迄歩けるのかと訊くと、ゆっくりなら歩けると云った。

緩やかな傾斜の砂礫の道を下っていく。振り返ると、尾瀬ヶ原の眺望が、小至仏山の陰に隠れて半分になっている。燧ケ岳の裾野の向こうに、会津駒ケ岳が明瞭に聳えていた。そのような風景を眺めたついでに、遅れに遅れて豆粒のようになった纏井君が、よろよろと歩いているのを確認する。私は立ち止まり、友人を待ちながら黙考する。時刻は正午近くになっている。鳩待峠迄の標準コースタイムが一時間半、アヤメ平経由の鳩待通りで富士見小屋迄二時間半、そして往路に歩いた林道を富士見下迄が二時間、合計六時間の行程が残っている。

Hatomachi2

苦悶の表情で牛歩になっている友人が歩き続けたところで、富士見下に到達するのは何時になるのか、見当も付かない。何よりも、苦痛と共に歩き続けるのは気の毒である。漸く近づいて来た友人に、私は考え得る唯一の提案を披瀝した。幸いなことに、歩行ルートの途中に鳩待峠が在る。其処からは乗り合いバスが戸倉温泉迄運行している。此の儘歩き続けるのは苦痛だろうから、君はバスで戸倉に、私が富士見下迄歩き、自家用車をピックアップして戸倉迄運んでいこうと思う。

友人纏井君の性分、此れは知っていたことだが、強情張りである。ゆっくりなら歩ける。また同じことを云った。其れで私は内心憮然とした。ゆっくり歩いて到着が夜更けになったら、同行者が迷惑すると云う思惟が無い。自分だけ挫折するのが厭だと云う気持ちは汲み取れるのだが、苦悶の態で歩く友人を眺めながら長時間過ごす私も、違う意味で苦痛である。私は、内心で舌打ちしながらも、そうかと応えた。では先行して鳩待峠で待つ。そう言い残して、歩き始めた。

Hatomachi3

小至仏山から続いた稜線から登山道は逸れて、東側に木段が下降していく。笠ヶ岳に続く稜線、彼方に聳える武尊山の峻険な八つ峰、素晴らしい眺望と別れなければならない。ワル沢が喰い込む広大な谷の上部をトラバースして、木道が尾根に沿って続いている。途中のテラスで大勢の団体が休憩し、寛いでいる。私は、陽光降り注ぐ快適な登山道を、休むことなく歩き続けた。黄葉の潅木帯に入り、直ぐにぽっかりと広がりのある場所に出た。オヤマ沢田代は、枯芒が黄金色に光る、静かな山上に在る湿原だった。登山道は間もなく、悪沢岳への分岐に至り、後は鳩待峠に向かって尾根を下り続けるだけである。

友人を残して先行した私は、意図的に早いペースで鳩待峠に向かって歩いていた。順調に歩けば午後一時半に到達する。其処で纏井君を待つことにした。恐らく、一時間くらい待つことになるだろう。其れでも構わない。止むを得ないと思った。遅れを取る時間が長くなる程、友人が諦めてバスで下山する可能性は高い。富士見下迄強情を張り続けて歩いたら、同行者をどれだけ待たせることになるのかと云うことを、肌で感じて貰うしか方法は無いと思った。

尾根が分岐して、目に見えるように踏路は左へと旋回していく。樹林帯の登山道は鬱蒼とした雰囲気になり、もう尾瀬に居ると云う雰囲気では無くなっていた。湿った道が順調に下降を続けて、標高千九百米迄来た処で、トラバースとジグザグを繰り返すようになる。悠然と下山する老人たちを次々に追い越していく。すごい荷物だねえと、背後で話す声を聞きながら、私は快速で下り続けた。冗長に続く登山道に飽きてきた頃、木立の向こうに白い光が見えてきた。ざわめきと車のエンジン音の混淆する喧騒が聞こえてくる。鳩待峠に到着した。時刻は午後一時二十分だった。

Hatomachi4

尾瀬のハイキングを愉しんで帰途に就くハイカーたち、バイク・ツーリングで集結した者たち、観光バスで立ち寄っただけの団体客。賑やかな鳩待峠の茶屋の傍らに、たくさんのベンチが並んでいる。乗り合いバスの発車を待つ人々が、充足した面持ちで寛いでいる。其のベンチに、巨大なクレッタルムーセンを立て掛けた。トレッキング姿の女の子たちが、でかい、と云って笑った。

時間を掛けて御不浄を済ませ、水道で顔を洗い、麦酒の誘惑を断ち切って冷えたコーラを飲んで、紫煙を燻らせる。大休憩の覚悟で、裸足になりサンダルに履き替えた。三十分を経過しても、友人が到着する気配は無い。ぼろ雑巾のような纏井君が、其れでも意地を張って歩き続けると云ったらどうするか。其れなら腹を括るしかない。そう考えた。友人も休ませねばならないので、出発は午後三時を過ぎるかもしれない。富士見峠で陽は暮れるだろう。私はヘッドランプの点検を始めた。

午後二時を廻った頃、纏井君が鳩待峠に到達した。よろめきながら近づいてくる友人に、どのくらい待ったかと訊かれて、三十分くらいかな、と控えめに答えた。ベンチに倒れ込むように座った纏井が、やっぱり此処でリタイアすると云ったので、私は瞬時にザックを開けて準備に取り掛かった。サブザックに水と最小限の装備を入れて、巨大ザックのウェストベルトを畳み、レインカバーで包んだ。此れを友人に託して、身軽になって富士見下に向かうことにしたのである。巨大ザックをふたつも抱えて移動するのを渋る纏井に、一刻も早く自家用車を回収する為だと言い聞かせ、茶屋でゆっくり休んでからバスに乗れと命じた。

鳩待山荘と公衆トイレの建物の狭間に、富士見峠方面の登山口が在る。恒例の人工芝を踏んでから、雑木林の中に続く勾配を登り続けた。サブザックで身軽になってみると、其の爽快さは想像を絶する程であった。尾瀬と云えばテント泊重装備。その感覚がセットになって身に染みていたので、今更ながら軽装で歩く尾瀬の有難味を実感した。山上に広大な湿原が広がる鳩待通りは、百名山に直結しないので登山者たちには其れ程歩かれていないが、其の風景は折り紙付きの絶景である、と云う記事を読んだことがある。アヤメ平を最後に通過する今回のルート案は、富士見下に帰還する為に都合がよいばかりではなく、取って置きの訪問地と云う意味も在ったのである。纏井君には気の毒だが、身軽になって此のルートを単独で通過できるのは皮肉な僥倖であった。

Hatomachi5

登山道は標高を上げる程に傾斜が緩やかになって、自然林は疎らになり、黄葉の度合いが深まっていくようだった。下ってくる人々は皆身軽で、空身の人も多い。鳩待峠から山上湿原を往復するのは、手軽なハイキングなのだと察せられた。友人を置き去りにしたので、気持ちが逸って急いで登り続けたが、木道が平坦になって少し蛇行すると、唐突に風景が開けたので啞然として立ち止まった。茫洋とした広い尾根が収斂した処迄登り切り、横田代の湿原に到達したのだった。

抜けるような碧天の空に、綿菓子のような雲が浮かんでいる。枯芒が広がる湿原に、池塘が点在している。茫漠とした空間は、澄み渡る静寂に包まれていた。私は時刻を確認する。鳩待峠を出発してから、未だ三十分しか経っていない。昭文社登山地図のコースタイムが一時間二十分だから、軽装故の快速ぶりが堪えられない程気分がよい。木道の端に設置されたベンチに座り、此の静謐な湿原で休憩することにした。友よ、安心し給え。そう内心で呟きながら、私は煙草を銜えた儘テラスに寝転んだ。青空に向かって、紫煙を燻らせる。心地よさがひと塊となって全身を包んでいく、そんな気分だった。

横田代を過ぎると、分水嶺の中原山に向かって、湿原の儘で尾根が徐々に勾配を上げていく。青空は瞬く間に消え失せ、鉛色になっていた。戸倉側から、不穏な色の霧が立ち込めてくる。雲上の楽園と云う異名も在るアヤメ平に近づきつつあるが、天候は芳しくない方向に転じていくようであった。モノトーンの風景に、岳樺の白い幹と、紅葉が混じり合っている。ササ原と紅葉のコントラストの向こうに、盛り上がっているピークが見える。唐突に風景が広がり、無名の湿原にベンチが在ったので二度目の休憩を取る。若い女性のグループがアヤメ平から下ってくるのを見送った。中原山から南に伸びる尾根が窺える。正面に見えるのは大行山であろうか。其の山容は、黒い霧に覆われて浮かんでいた。

Hatomachi6

潅木に囲まれた展望の無い中原山を越えて、木道が下降していく。そして待望のアヤメ平に到達した。濃い霧は流動的で、厚い雲と広大な湿原の境界に、景鶴山を中心とする連嶺が薄っすらと見えている。しかし、燧ケ岳と至仏山の両横綱は、最後迄姿を現わすことが無かった。アマチュアカメラマンの集団がテラスを占拠しているので、止むを得ず木道の途上で立ち尽くした。池塘の水面に、波紋がゆっくりと流れている。雨奇晴好。アヤメ平は、濃霧に包まれてはいるが、其れも幻想的な光景だと思った。

我が物顔のカメラ親爺連中に辟易して、再出発した。時刻は午後三時半だったので、快速の余禄を大休憩で若干消費してしまったことになる。其れでも此処迄のラップは、コースタイムよりも五十分くらい早い。私は、最後の見どころを終えて、本格的に急ぐことにした。木道を駆け抜けていくと、気まぐれな雲が徐々に晴れてきた。再度の富士見田代の池塘に到着した時には、燧ケ岳が雲を纏いながら鎮座しているのが見えた。名峰の見納めである。富士見田代の心地好い木道が終わり、階段を下っていくと、富士見峠に到達した。週末の午後四時になろうとしているが、富士見小屋の周辺は相変わらず人の気配が無かった。立派なトイレを拝借し、漸く下山の途に就くことにした。

Hatomachi7

富士見下へと続く林道を、慣性に任せて加速して走っていく。アヤメ平下を通過して、次は馬洗渕。時刻は現在午後の四時台である。午後六時台には戸倉に到着すると友人纏井君に約束した。走れ、メロス。未だ、陽は沈まないだろう。林道の冗長な蛇行に忠実に、走り続ける。傾斜に任せて下り続ける。全く以て、今回の富士見下ルート計画は理に適っていた。脱落、傷心のリタイアの末に戸倉温泉で待つ友に、一刻も早く愛車を届ける為に、私は走っている。富士見下へのラストランには、此の林道下りは打って付けである。なんと素晴らしい計画であったことよ。私は、長く退屈な林道下りに抗う為に、自画自賛の言葉を喚きながら、走り続けていた。


Hatomachi8

追記

十二曲がりを駆け抜けて、富士見下に到着したのが午後五時ジャストだった。友人の自家用車を転がして、尾瀬戸倉に向かう。暮色漂う戸倉のバス案内所内の待合室で纏井君と再会する。余りにも早い到着に友人は感激の様子であった。沼田街道をひた走り、道の駅併設温泉で汗を流して、上州沼田とんかつ定食とノンアルコール麦酒で乾杯。無事帰京した。

別記

車中のラジオで、木曽御嶽山噴火のニュースを聴いた。2014年9月27日、午前11時52分に発生した噴火に就いて、此の日の夕刻時点では、具体的な被害状況は不明だったので、ただ驚くばかりだった。翌日の報道で大勢の被害者数が判明し、戦慄したのは云うまでもない。好天の土曜日、正午に近い時刻という、登山者が頂上に多く達する時刻に、噴火が起こってしまった。如何ともし難い不運に、やるせなさを感じずにはいられない。犠牲になった方々の御冥福を、心からお祈り致します。

« 富士見下から至仏山(中篇) | トップページ | 松枝・郡界尾根・武川岳 »

尾瀬」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1243257/57880509

この記事へのトラックバック一覧です: 富士見下から至仏山(後篇):

« 富士見下から至仏山(中篇) | トップページ | 松枝・郡界尾根・武川岳 »

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

today

  • one day

twitter

  • naname's twitter
無料ブログはココログ

最近のトラックバック