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2014年11月

青梅奥多摩境界尾根

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奥多摩東部登山詳細図」に載っている境界尾根を歩こうと思い立った。此れは御岳山ケーブルカーが通っている尾根の、ひとつ北側に併行している尾根である。奥武蔵の飯能市横瀬町境界尾根を登った余勢で、此のような思いつきが浮かんだのだろうと思うが、奥多摩の何処かに行こうとしてさっぱり行く先が決まらないので思いつきに従うことにした。奥多摩東部登山詳細図を見て、初めて知った此のルートは、青梅市と奥多磨町を隔てる尾根として存在は明確なのだが、登山道はもちろん整備されていない。登山口の目印は「北島氏宅」となっていて、何のことかと思うが、裏面のコースガイドには、「取付き点にある北島氏宅敷地をご好意で通過させて戴く」と書いてある。


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2014/11/12

沢井駅(7:45)-----澤ノ井園-----神路橋-----北島氏宅(9:00)-----青梅市奥多摩町境界尾根-----大塚山(11:20)-----広沢山-----金毘羅神社(13:20)-----鉄五郎新道-----寸庭橋-----古里駅(14:30)

出発した頃の都心では雨も降り出したが、今日の天気予報は「曇りのち晴れ」となっていて、其れだけを頼りに青梅迄やってきた。曇天の、おそらく植林だらけであろう境界尾根だけを歩くのは詰まらないだろうと考えて、沢井駅で下車し、御岳渓谷の遊歩道を散策しながら向かうことにした。空は相変わらず鉛色で、行楽客の姿は無い。尤も、こんな天気だが青梅線の電車には多くのハイカーが乗っていた。御嶽駅で下車して、ケーブル駅行きのバスに乗り換える客が殆どだろうと思われる。お陰で誰にも会わない儘、錦秋の多摩川沿いを歩くことができる。

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神路橋を渡って、吉野街道に上がって、大鳥居を傍目に車道を歩いて行く。大型トラックが轟音を立てて通り過ぎる都道45号線から早く離れたいと思うが、目印の北島氏宅に到達する迄我慢しなければならない。程無く、詳細図に載っているポイントの「日原20km看板」が見えて、其の向かいの高台に建っている民家への舗装路が在る。其処を登っていくと、なるほど民家の軒先の広場の一角に、ネットで遮られた尾根の入口が在った。民家の敷地を恐る恐る通過し、ネットを外して進入していくと云う、物見遊山のハイカーにとっては神経を遣う障壁ではあるが、入ってしまえば其処はもう何の変哲も無い裏山である。

等高線の通りに、尾根が続いている。登山者の為の緩衝ジグザグ道などは無いので、急勾配を一直線に登っていく。明瞭な踏み跡が続いており、尾根をひたすらに辿り続けるだけである。急登が終わり、先ず最初の等高線が閉じている452mピークに達するが、杉林が立ち並ぶ鬱蒼とした処だった。鞍部に向かって少しだけ下り、ふたたび尾根の勾配が現われる。此の辺りも、登り始めに匹敵するような急傾斜が続く。予想通り、周囲は植林だらけの光景だったが、想定外なのは霧雨が降り始めたことであった。天気予報はどうした。私は独り言を呟きながら、急勾配をゆっくりと登る。脹脛が硬く膨張しているような気がする。苦悶の息遣いで、無心で登り続けた。

右手から支尾根が近づいて来た。梅沢へと分岐する尾根である。此処迄全く色彩の無い植林帯の中を歩いて来たが、漸く奥多磨町側が黄葉の色を増やしてきている。尾根が合流した処から、少しだけ進んだ処が二番目の583mピークである。頂上は植林帯だが、西側には霧がかった黄葉の尾根が薄っすらと樹林越しに垣間見える。499m点の在る低い尾根の向こうに、丹三郎からの登山道が通る尾根が見える。天候は曖昧だが、霧雨は止んでいる。此処で小休憩を取る。ちなみに、此の583mピークには、細い自然林の幹に黄色いテープが巻いてあり、山本山と記してあった。筆跡から見て官製ではないようなので、そんな山名が在るのかと思うが真偽は定かではない。

583mピークから急傾斜を鞍部に下りて、再度の登りになるが、此処からは比較的緩やかな勾配になった。奥多摩サイドの黄葉は疎らになり、無味乾燥な植林帯の様相に戻っていった。青梅側からは、スピーカー越しの声が聞こえてくる。現在位置を勘案すると、麓の滝本駅のアナウンスのようであった。無人の山の中をひたすらに登ってきたような気になっているが、ケーブルカーの起点に漸く達したと云う訳である。しかし、境界尾根は既に終盤を迎えている。梅沢方面からの尾根がまたひとつ近づいてくると、ひと登りで700m圏のピークに達した。

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尾根が合流すると、奥多摩側の景色が広がり、気分は晴れてくる。植林と自然林が混在した斑模様の尾根が、霧を纏っている。丹三郎の尾根は、直ぐ其処まで近づいてきていた。小鞍部から登りに掛かった処で、伐採作業の機械音が聞こえてくる。程無く、踏路の先に林業作業員が立っているのが見えた。驚いているのは勿論向こうの方である。精一杯の愛想と共に挨拶をして、立ち話をした。精悍な顔付きの、40代くらいの男性だった。何処から来たのかと訊かれて、此の尾根を吉野街道から登ってきたと答えたら、そりゃ急だったでしょうと云って驚いていた。林業作業員は、梅沢からの林道が此の辺りの山肌迄通じているので、其処から入るのだと云った。地形図では確認できないが、古くからある林道が存在しているようであった。

標高750m点から最後の勾配が始まる。丹三郎尾根はもう見上げる程に近い。其処に収斂されていく我が境界尾根は、徐々に斜度を鋭くしながら、踏跡も不明瞭になっていった。丹三郎尾根に合流する直前に、支尾根が派生している箇所が在り、其処に到達したら、其の先に明確な踏路は無く、斜面を攀じ登るようにして明るい稜線に出た。丹三郎からの登山道は、やはり靄が掛かっているが、自然林の黄葉が周囲を明るくさせている。

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合流点は尾根上の瘤になっていて、中ノ棒山と云う名が付いているようだが、格別のことも無い。奇を衒い市町境界の尾根を登ってみたが、秋の色を濃くする登山道に出て、漸く山の風情を堪能できることになったようである。平日故か、人の影が全く無い丹三郎尾根を辿り、大塚山の頂上に到達した。霧の中に、電波塔の足元だけが、ぼんやりと浮かび上がっていた。



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追記

帰途に取ったルート。広沢山から金毘羅神社の、越沢の崖上を歩くのは久しぶりで、下るのも初めてだから、新鮮な気分だった。天候は曖昧な儘だったが、広沢山から崖マークの在る尾根に至ると、紅葉が点在する良景となった。対岸から眺める尾根が広がり、鳩ノ巣城山が、端整な形で聳えているのを見上げた。金毘羅神社の奥ノ院が在る、滝見台に立ち寄るが、潅木で眺望は利かなかった。次いで、越沢バットレスの最終地点である崖っぷちにも立ち入ってみる。恐る恐る谷底を覗いたら、目が眩み、カメラを持つ手が震えた。鉄五郎新道を、寸庭の集落迄歩く。秋枯れの山道を歩いて来たが、鉄五郎新道は草叢の繁茂する鬱陶しさで、余り歩かれていないような印象を受けた。下山後、全くの偶然で、登山詳細図世話人氏から連絡を戴く。都下某所で落ち合い、一献を傾けた。

松枝・郡界尾根・武川岳

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後立山、不帰キレットの山行以来御無沙汰であったkz氏と、週末の直前になって奥武蔵の山に登ることになった。北アルプス、尾瀬と、今年の夏から秋に掛けて、華麗なる山の遍歴を記してきた訳だが、十月になってからは体調を崩したり、天候も存外に不順だったように思われ、気がつけば全く山に登らない儘過ぎていくような気がした。奥武蔵でも行きますか。そんなメールのやりとりで、具体的な行く先も決まらないので、とりあえず一年振りの松枝行きバスに乗ると云うことにした。


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2014/10/25

松枝バス停(8:00)-----飯能市・横瀬町境界-----909mピーク-----見晴台-----武川岳-----前武川岳-----845mピーク手前で東北東に逸れる-----県立名栗げんきプラザ-----長岩峠-----小高山-----正丸峠分岐-----正丸駅(17:25)

紅葉の季節の土曜日だが、芦ヶ久保駅から乗車した松枝行きバスの乗客は、相変わらず今日も我々だけであった。二子山から武川岳に至る稜線へと繋がる支尾根は、自然林が美しく立ち並ぶ好ルートなのだが、登山道としては整備されていないので、観光地図に於いての松枝周辺は空疎である。誰も居ないので静かなる山歩きを堪能できる訳だが、折角の路線バスが空気を運び続けているので、廃止の憂き目に遭わないか心配である。好事家、篤志家の素養の在る登山者様に於かれましては、是非とも乗車して戴きたく思う。

ヨーガイ入、牛喰入の狭間に延びる尾根を二本踏破したので、今回はさらに南に併行した尾根を登ることにする。ダンプカーが爆走する危険な県道青梅秩父線を暫く歩き、ザゼンソウ保護地を横目に見ながら通過すると、飯能市の表示が現われる。此の、飯能市と秩父郡横瀬町の境に沿って、武川岳から派生する尾根が延びている。今年の春先には、kz氏とふたりで、小沢峠から安楽寺に至る東京都と埼玉県の境界尾根を踏破した。山を歩いているだけでも愉しいが、其れが市町村の境界だと思うと、格別のような気がしてくる。そう思いませんかとkz氏に云うと、飯能は旧入間郡なので昔は郡界尾根と呼ばれていたようだ、と云って資料のコピーを見せて呉れた。思いの丈はほぼ同じようである。

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郡界尾根が県道にぶつかる地点は、尾根がせり出した箇所が削られて擁壁になっているので登れない。少し飯能側に移動した処に登り口を見つけて、植林が疎らになっている小さな尾根を登っていく。其れが郡界尾根に合流して、北面に自然林の黄葉が陽光に映えているのが、樹林の合間から見えるようになった。ヨーガイ入右岸尾根だろうと思われる。

最初の等高線の囲まれた641mピークは特に眺望も無いので、先に進んだ。鞍部を越えて緩やかな尾根を歩き、牛喰入からの大きな尾根と合流する720m圏の小ピーク迄、急登になる。登りきると、心なしか樹林越しの風景が明るさを増してきたような気分になる。地形図では、此処から暫くは細長い形状をした等高線の尾根を登る。左右が切れ立つような険しいルートではないかと懸念したが、実際は緩やかな一本道であった。

標高750mで、さらに牛喰入からの尾根が合流する。景観は一変して、唐松の黄葉が点在する穏やかな広い場所だった。此処で小休止する。kz氏は資料を見せながら、此の辺りは、明ヶ萱(ミョウガノカヤ)と呼ばれていた処だと云った。萱はカヤトの茅と同じ意味と思われるが、明とは何だろう。比較的明るい場所ではあるが、みょうがの文字は当て字だろうとkz氏が云いながら、ビニールテープに明ヶ萱と記して枝に巻いている。萱の文字が潰れて読めないと指摘すると、kz氏は口惜しそうに書き直している。律儀である。

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再出発して、ひと段落したように緩やかな尾根を歩いて行く。909mピークに合流すれば、後は武川岳への尾根を辿るだけである。其の909mに至る手前で、巨岩が踏み跡を塞いでいた。捲くこともできるが、岩の上に攀じ登って通過する。思いがけない岩場の出現は、単調な尾根登りが続いていた気分を刷新して呉れる。岩稜帯を越えて、風景は愈々自然林の色が燃える道になっていった。

登山地図に破線で記されている、県立名栗げんきプラザ付近から延びている尾根に合流する909mピークに到達した。此の破線ルートの唯一の見所が「見晴台」と記されている処であるが、ピークの上ではなくて少し東に下った場所にある。ザックを置いて、其れを確認するために歩いていった。見晴台と記された道標は古びていて、周囲は樹木に囲まれている。僅かに南方向の眺望が利いた。看板に偽り有りと迄は云わないが、見晴台と云う程でも無い場所だった。

kz氏と909m迄戻り、東西に細長いピークの西側に移動して休憩した。疎らな樹林の合間から柔らかい陽光が差し込み、暖かい。踏路は明瞭に在るが、破線ルート故か訪れる人は皆無だった。茫洋として座り込んで、長々と談笑しての休憩だったようで、出発する時、40分くらい此処に居たよ、とkz氏が云った。

鞍部に急降下して、地形図には此処に点線のルートが記されているが、全くそのような痕跡は発見できなかった。其の儘尾根を登り返して、昭文社地図の実線の通り、大栗入に下降していく登山道が別れる道標の地点に到着した。ハイカーが徐々に増えていく尾根道の、南面は植林で鬱蒼としているが、北面は見事に黄葉が広がる自然林だった。行く手の先を見ると、整然と黄葉と植林が二分割されていて、不思議な感覚に陥る。

頂上間近の勾配に掛かると、黄葉だけの明るい雰囲気になる。箒平の名の通り、平坦で広大なピークに達し、前武川岳への分岐を過ぎて、賑やかな武川岳頂上に着いた。名郷から適度な距離で登れるとは云え、想像以上に大勢のハイカーが山頂を占拠している。此処は何時も大混雑なんだと、kz氏が織込み済みと云った風情で呟いた。山頂から少し下った処で、昼食の休憩にした。

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さて、下山であるが、特に妙案も無く、前武川岳経由の山伏峠に降りることにした。名郷迄は昨年歩いたと云うことも在り、バスの乗車時間が長く、運賃も高いので、正丸駅迄歩くことだけは確定した。昨年は積雪の稜線を歩いたが、前武川岳に至る道は、変わらず心地好い登山道である。武川岳と同様に広い前武川岳で小休止して、山伏峠方面に尾根を下って行く。900m圏峰を越えて、尾根が三方に分かれている瘤に至った処で、東北東に延びる尾根に行ってみようとkz氏が提案するので従うことにした。

山伏峠に降りても、伊豆ヶ岳北方に在る長岩峠を越える為には、県道を名栗げんきプラザ迄歩かなければならない。尾根通しでげんきプラザ付近迄降りられそうなルートを、開拓しようと云う案である。kz氏らしい発想であり、私も嬉々として其れに従う。標高845m地点から左の尾根に逸れると、直ぐに伐採地に出て、立派な山容が目の前に広がる。伊豆ヶ岳と古御岳を西側から眺めた恰好である。伊豆ヶ岳は数回登ったが、其の山容を此れ程明瞭に眺めたことは無い。禿げた伐採地の褐色の肌は心地好くは無いが、良景である。

切株に座れるので恰好の休憩場所である。其れ故の大休止となる。目の前に林道が横切っていて、其れを越えて続いている尾根に乗る。景色はさらに広がって、またしても大休憩になる。伊豆ヶ岳の彼方に、遠く山々が遠望できる。都県境尾根の窪んだ処を指して、小沢峠かなとkz氏が云う。私も地図を広げて、大仁田山、間野富士山など、春にふたりで登った山々を同定しようと試みるが、確かなことは判らない。後日、山座同定測定器を帯同して山登りをしているHm氏のサイト「山からの眺望」に写真を投稿して、判定して戴いたのだが、間野富士山は低すぎて、見えていないようであった。

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林道建設で無残に削られた山肌の上に乗り、尾根を下り始める。尾根は800m圏で大きく二手に別れる。北面は絶壁に近い崖だったので、及び腰で何とか南面を辿って、痩せ続ける尾根の上を歩いて行く。途中、私が落石を起こしてしまい、拳大の石がkz氏に向かって転がっていったので冷やりとした。険しい砂礫の急傾斜を緊張しながら下る。右側の風景はのどかに広がっているが、眺める余裕は無い。

尾根はいつしか穏やかになり、一直線に下降していった。無味乾燥な植林の道を、安堵しながら下って行くと、車の爆音が聞こえてくる。漸く県道53号の、急激なヘアピンカーブのアンカーポイントのような処に降り立った。車道を下って行くと、程無く左手に県立名栗げんきプラザの建造物が現われた。正丸峠に分岐する地点で、北に伸びる寂れた林道が在る。此処から更に登り返して、長岩峠を越えないと正丸駅に辿り着くことはできない。

林道を歩き、程無く左手に登山道の道標が在り、沢を渡渉して尾根に取り付いた。振り返ると、山峡は薄暗くなっていて、視線を上げると、武川岳方面の山容が、心細いシルエットになって連なっている。昔、名郷に嫁入りする娘も歩いた道なのかな。私が、心細さを誤魔化すようにして喋る。俺も婿入りで峠を越えたいよお。kz氏が叫ぶように応える。空元気の儘、我々は、峠を越える為に、暮れていく登山道を、登り続けていた。


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追記

長岩峠を越えて小高山を経て、正丸峠分岐迄。伊豆ヶ岳登山道に合流する迄は初めて歩く道だったが、巨岩、奇岩の並ぶ谷筋の登山道で、存外に面白そうな道だった。車道に出て間もなく夜になり、正丸駅に着いた途端飯能行きの電車が到着したので慌てて乗車。恒例の所沢祝宴で麦酒と餃子。無事帰京する。



補記

標高845m地点から左の尾根に逸れた伐採地からの山座同定写真。


Hitominphoto

タブレットPC用の山座同定アプリを自作されているHitomin氏のサイト
「山からの眺望」
http://yamaname.web.fc2.com/


から転載させて戴きました。

富士見下から至仏山(後篇)

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風化の激しい蛇紋岩で構成されている所為なのか、至仏山頂の西側は、地形図で確認できる崖印が示す通りに、切れ落ちる断崖が続いていた。乾いた砂礫の登山道が、雲海の上を辿っている。尖岩が塔のように盛り上がっているのが見える。其の岩尾根を左に捲いていくと、直ぐに断崖の淵に出る。其の繰り返しをしながら稜線を徐々に下っていった。雲海に突き出た岩尾根の頭は、斑状の紅葉に彩られて聳えている。眼福の稜線を、正面に見下ろす小至仏山迄、歩いていく。

ところで、登山地図のコースタイムは、至仏山頂から小至仏山迄35分と記されているが、実情はかなりの差異が在るものと思えた。下り基調の稜線歩きで一時間半を掛けて、小至仏山に到達したから、巨大ザックを背負っているとは云え、また後述する友人の鈍足化を考慮しても、倍以上の所要時間は解せない。北アルプス、常念岳から南下する登山道、そしてつい先日歩いた、猿倉荘から白馬鑓温泉小屋迄の所要時間。何れもコースタイムの三倍近く要して驚いたが、其れ等に匹敵する程、此の区間のコースタイムには疑問を感じた。鳩待峠からやってくる観光客や、登山の素人が多く訪れると思しきコースなので、余禄を加味したコースタイムを設定すべきだろう。


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2014/9/27

山ノ鼻(6:15)-----至仏山-----小至仏山(11:40)-----鳩待峠(13:20)-----アヤメ平-----富士見峠-----富士見下(17:00)

絶景の稜線歩きで満悦のトレッキングが続いていたが、同行の友人、纏井君が苦悶の表情である。山ノ鼻からの急登を終えて登頂し、漸く軽快に歩ける状況になった筈なのに、足取りは格段に遅くなっている。小至仏山の手前で、どうしたと訊くと、爪先が痛いと云う。以前からの悩みの種である巻き爪の症状が悪化した模様であった。気の毒としか云いようは無いが、富士見下迄歩けるのかと訊くと、ゆっくりなら歩けると云った。

緩やかな傾斜の砂礫の道を下っていく。振り返ると、尾瀬ヶ原の眺望が、小至仏山の陰に隠れて半分になっている。燧ケ岳の裾野の向こうに、会津駒ケ岳が明瞭に聳えていた。そのような風景を眺めたついでに、遅れに遅れて豆粒のようになった纏井君が、よろよろと歩いているのを確認する。私は立ち止まり、友人を待ちながら黙考する。時刻は正午近くになっている。鳩待峠迄の標準コースタイムが一時間半、アヤメ平経由の鳩待通りで富士見小屋迄二時間半、そして往路に歩いた林道を富士見下迄が二時間、合計六時間の行程が残っている。

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苦悶の表情で牛歩になっている友人が歩き続けたところで、富士見下に到達するのは何時になるのか、見当も付かない。何よりも、苦痛と共に歩き続けるのは気の毒である。漸く近づいて来た友人に、私は考え得る唯一の提案を披瀝した。幸いなことに、歩行ルートの途中に鳩待峠が在る。其処からは乗り合いバスが戸倉温泉迄運行している。此の儘歩き続けるのは苦痛だろうから、君はバスで戸倉に、私が富士見下迄歩き、自家用車をピックアップして戸倉迄運んでいこうと思う。

友人纏井君の性分、此れは知っていたことだが、強情張りである。ゆっくりなら歩ける。また同じことを云った。其れで私は内心憮然とした。ゆっくり歩いて到着が夜更けになったら、同行者が迷惑すると云う思惟が無い。自分だけ挫折するのが厭だと云う気持ちは汲み取れるのだが、苦悶の態で歩く友人を眺めながら長時間過ごす私も、違う意味で苦痛である。私は、内心で舌打ちしながらも、そうかと応えた。では先行して鳩待峠で待つ。そう言い残して、歩き始めた。

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小至仏山から続いた稜線から登山道は逸れて、東側に木段が下降していく。笠ヶ岳に続く稜線、彼方に聳える武尊山の峻険な八つ峰、素晴らしい眺望と別れなければならない。ワル沢が喰い込む広大な谷の上部をトラバースして、木道が尾根に沿って続いている。途中のテラスで大勢の団体が休憩し、寛いでいる。私は、陽光降り注ぐ快適な登山道を、休むことなく歩き続けた。黄葉の潅木帯に入り、直ぐにぽっかりと広がりのある場所に出た。オヤマ沢田代は、枯芒が黄金色に光る、静かな山上に在る湿原だった。登山道は間もなく、悪沢岳への分岐に至り、後は鳩待峠に向かって尾根を下り続けるだけである。

友人を残して先行した私は、意図的に早いペースで鳩待峠に向かって歩いていた。順調に歩けば午後一時半に到達する。其処で纏井君を待つことにした。恐らく、一時間くらい待つことになるだろう。其れでも構わない。止むを得ないと思った。遅れを取る時間が長くなる程、友人が諦めてバスで下山する可能性は高い。富士見下迄強情を張り続けて歩いたら、同行者をどれだけ待たせることになるのかと云うことを、肌で感じて貰うしか方法は無いと思った。

尾根が分岐して、目に見えるように踏路は左へと旋回していく。樹林帯の登山道は鬱蒼とした雰囲気になり、もう尾瀬に居ると云う雰囲気では無くなっていた。湿った道が順調に下降を続けて、標高千九百米迄来た処で、トラバースとジグザグを繰り返すようになる。悠然と下山する老人たちを次々に追い越していく。すごい荷物だねえと、背後で話す声を聞きながら、私は快速で下り続けた。冗長に続く登山道に飽きてきた頃、木立の向こうに白い光が見えてきた。ざわめきと車のエンジン音の混淆する喧騒が聞こえてくる。鳩待峠に到着した。時刻は午後一時二十分だった。

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尾瀬のハイキングを愉しんで帰途に就くハイカーたち、バイク・ツーリングで集結した者たち、観光バスで立ち寄っただけの団体客。賑やかな鳩待峠の茶屋の傍らに、たくさんのベンチが並んでいる。乗り合いバスの発車を待つ人々が、充足した面持ちで寛いでいる。其のベンチに、巨大なクレッタルムーセンを立て掛けた。トレッキング姿の女の子たちが、でかい、と云って笑った。

時間を掛けて御不浄を済ませ、水道で顔を洗い、麦酒の誘惑を断ち切って冷えたコーラを飲んで、紫煙を燻らせる。大休憩の覚悟で、裸足になりサンダルに履き替えた。三十分を経過しても、友人が到着する気配は無い。ぼろ雑巾のような纏井君が、其れでも意地を張って歩き続けると云ったらどうするか。其れなら腹を括るしかない。そう考えた。友人も休ませねばならないので、出発は午後三時を過ぎるかもしれない。富士見峠で陽は暮れるだろう。私はヘッドランプの点検を始めた。

午後二時を廻った頃、纏井君が鳩待峠に到達した。よろめきながら近づいてくる友人に、どのくらい待ったかと訊かれて、三十分くらいかな、と控えめに答えた。ベンチに倒れ込むように座った纏井が、やっぱり此処でリタイアすると云ったので、私は瞬時にザックを開けて準備に取り掛かった。サブザックに水と最小限の装備を入れて、巨大ザックのウェストベルトを畳み、レインカバーで包んだ。此れを友人に託して、身軽になって富士見下に向かうことにしたのである。巨大ザックをふたつも抱えて移動するのを渋る纏井に、一刻も早く自家用車を回収する為だと言い聞かせ、茶屋でゆっくり休んでからバスに乗れと命じた。

鳩待山荘と公衆トイレの建物の狭間に、富士見峠方面の登山口が在る。恒例の人工芝を踏んでから、雑木林の中に続く勾配を登り続けた。サブザックで身軽になってみると、其の爽快さは想像を絶する程であった。尾瀬と云えばテント泊重装備。その感覚がセットになって身に染みていたので、今更ながら軽装で歩く尾瀬の有難味を実感した。山上に広大な湿原が広がる鳩待通りは、百名山に直結しないので登山者たちには其れ程歩かれていないが、其の風景は折り紙付きの絶景である、と云う記事を読んだことがある。アヤメ平を最後に通過する今回のルート案は、富士見下に帰還する為に都合がよいばかりではなく、取って置きの訪問地と云う意味も在ったのである。纏井君には気の毒だが、身軽になって此のルートを単独で通過できるのは皮肉な僥倖であった。

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登山道は標高を上げる程に傾斜が緩やかになって、自然林は疎らになり、黄葉の度合いが深まっていくようだった。下ってくる人々は皆身軽で、空身の人も多い。鳩待峠から山上湿原を往復するのは、手軽なハイキングなのだと察せられた。友人を置き去りにしたので、気持ちが逸って急いで登り続けたが、木道が平坦になって少し蛇行すると、唐突に風景が開けたので啞然として立ち止まった。茫洋とした広い尾根が収斂した処迄登り切り、横田代の湿原に到達したのだった。

抜けるような碧天の空に、綿菓子のような雲が浮かんでいる。枯芒が広がる湿原に、池塘が点在している。茫漠とした空間は、澄み渡る静寂に包まれていた。私は時刻を確認する。鳩待峠を出発してから、未だ三十分しか経っていない。昭文社登山地図のコースタイムが一時間二十分だから、軽装故の快速ぶりが堪えられない程気分がよい。木道の端に設置されたベンチに座り、此の静謐な湿原で休憩することにした。友よ、安心し給え。そう内心で呟きながら、私は煙草を銜えた儘テラスに寝転んだ。青空に向かって、紫煙を燻らせる。心地よさがひと塊となって全身を包んでいく、そんな気分だった。

横田代を過ぎると、分水嶺の中原山に向かって、湿原の儘で尾根が徐々に勾配を上げていく。青空は瞬く間に消え失せ、鉛色になっていた。戸倉側から、不穏な色の霧が立ち込めてくる。雲上の楽園と云う異名も在るアヤメ平に近づきつつあるが、天候は芳しくない方向に転じていくようであった。モノトーンの風景に、岳樺の白い幹と、紅葉が混じり合っている。ササ原と紅葉のコントラストの向こうに、盛り上がっているピークが見える。唐突に風景が広がり、無名の湿原にベンチが在ったので二度目の休憩を取る。若い女性のグループがアヤメ平から下ってくるのを見送った。中原山から南に伸びる尾根が窺える。正面に見えるのは大行山であろうか。其の山容は、黒い霧に覆われて浮かんでいた。

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潅木に囲まれた展望の無い中原山を越えて、木道が下降していく。そして待望のアヤメ平に到達した。濃い霧は流動的で、厚い雲と広大な湿原の境界に、景鶴山を中心とする連嶺が薄っすらと見えている。しかし、燧ケ岳と至仏山の両横綱は、最後迄姿を現わすことが無かった。アマチュアカメラマンの集団がテラスを占拠しているので、止むを得ず木道の途上で立ち尽くした。池塘の水面に、波紋がゆっくりと流れている。雨奇晴好。アヤメ平は、濃霧に包まれてはいるが、其れも幻想的な光景だと思った。

我が物顔のカメラ親爺連中に辟易して、再出発した。時刻は午後三時半だったので、快速の余禄を大休憩で若干消費してしまったことになる。其れでも此処迄のラップは、コースタイムよりも五十分くらい早い。私は、最後の見どころを終えて、本格的に急ぐことにした。木道を駆け抜けていくと、気まぐれな雲が徐々に晴れてきた。再度の富士見田代の池塘に到着した時には、燧ケ岳が雲を纏いながら鎮座しているのが見えた。名峰の見納めである。富士見田代の心地好い木道が終わり、階段を下っていくと、富士見峠に到達した。週末の午後四時になろうとしているが、富士見小屋の周辺は相変わらず人の気配が無かった。立派なトイレを拝借し、漸く下山の途に就くことにした。

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富士見下へと続く林道を、慣性に任せて加速して走っていく。アヤメ平下を通過して、次は馬洗渕。時刻は現在午後の四時台である。午後六時台には戸倉に到着すると友人纏井君に約束した。走れ、メロス。未だ、陽は沈まないだろう。林道の冗長な蛇行に忠実に、走り続ける。傾斜に任せて下り続ける。全く以て、今回の富士見下ルート計画は理に適っていた。脱落、傷心のリタイアの末に戸倉温泉で待つ友に、一刻も早く愛車を届ける為に、私は走っている。富士見下へのラストランには、此の林道下りは打って付けである。なんと素晴らしい計画であったことよ。私は、長く退屈な林道下りに抗う為に、自画自賛の言葉を喚きながら、走り続けていた。


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追記

十二曲がりを駆け抜けて、富士見下に到着したのが午後五時ジャストだった。友人の自家用車を転がして、尾瀬戸倉に向かう。暮色漂う戸倉のバス案内所内の待合室で纏井君と再会する。余りにも早い到着に友人は感激の様子であった。沼田街道をひた走り、道の駅併設温泉で汗を流して、上州沼田とんかつ定食とノンアルコール麦酒で乾杯。無事帰京した。

別記

車中のラジオで、木曽御嶽山噴火のニュースを聴いた。2014年9月27日、午前11時52分に発生した噴火に就いて、此の日の夕刻時点では、具体的な被害状況は不明だったので、ただ驚くばかりだった。翌日の報道で大勢の被害者数が判明し、戦慄したのは云うまでもない。好天の土曜日、正午に近い時刻という、登山者が頂上に多く達する時刻に、噴火が起こってしまった。如何ともし難い不運に、やるせなさを感じずにはいられない。犠牲になった方々の御冥福を、心からお祈り致します。

富士見下から至仏山(中篇)

Photo

尾瀬ヶ原西端の観光拠点である山ノ鼻は、国民宿舎尾瀬ロッジ、山の鼻小屋、そして至仏山荘と云う三箇所の宿泊施設が近接して建っている。ビジターセンターと公衆トイレも堅牢で瀟洒な外観の建物であり、何も考えないで眺めると、観光地のホテル街に居るような錯覚に陥る。キャンプ場の受付を至仏山荘で行ない、幕営地に向かう。隣接する休憩所に足場が組んであり、建設中なのか改修作業中なのか判らないが、此れも立派な建造物であった。テントの数は其れ程多くは無かった。我々は水場兼自炊場に近い、至仏山荘の目の前にテントを設営した。暮色の尾瀬ヶ原は穏やかな気候で、気温も其れ程低くないようであった。


Sibutu1

2014/9/27

山ノ鼻(6:15)-----至仏山(10:05)-----小至仏山-----鳩待峠-----アヤメ平-----富士見峠-----富士見下(17:00)

久しぶりのテント泊である友人纏井君のお陰で、雲取山の時のように随分な饗応を受けた。ソーセージを肴にウヰスキーを飲んでいたら、山荘従業員がやってきて、テントの皆さん、植物研究見本園の方に熊が出ました、と云うので幕営者全員が色めき立った。ビジターセンターの職員も慌しく出たり入ったりしていて、熊の捕り物でも始まるのかと思うがそんなことは無く、望遠鏡で監視して警戒するしか術が無いようであった。山荘従業員は、そう云う訳なので御注意を、と云って去っていった。具体的な指示も無く、不穏な空気のみを残して建物に戻っていく従業員はどう云う積もりなのだろうか、などと文句を云い合いながら、酒宴を続けた。暗くなって周囲のテントが静まっても、我々だけが冗漫に飲み続けていた。夜になるとさすがに気温が下がったが、新調したナンガ製ダウンパンツのお陰で心地よく過ごすことができた。随分飲んでしまい、シュラフに潜ったら、すとんと眠りに落ちた。

目覚まし時計をセットするのも忘れて熟睡して、周囲の物音で目覚めた。テントから這い出ると、ザックを背負った人々が続々と木道を歩いている。未だ朝の六時にもなっていないのに、随分早出の人が多いのだなと感心しながら、テントの撤収を始めた。荷物を纏めてから、朝食を摂っていると、何故だか視線を感じる。木の陰でテントを組み立てていた男女が近寄ってきて、此処に張ってもいいかと訊いてきた。其れで早出の人たちが、未明の鳩待峠からやってきたのだと云うことに気付いた。

自家用車で富士見下経由の我々は全く知らず仕舞いだったが、鳩待峠に早朝に着くバスが週末に限り運行されているようであった。今日は土曜日である。其れで、山ノ鼻にテントを張って軽装で至仏山に登ると云う者が、随分居ることに気付いた。そうと判ると、計画通りとは云え、巨大ザックを背負って至仏山に登ろうとしている我々は、異彩を放っているような気がした。場所を譲ってあげたカップルの女性に、昨夜此の近辺で熊が出たようですと云ったら、途端に恐慌をきたして怯え始めてしまった。私は慌てて、そうは云っても大過は無いと説明したが、彼女の動転は治まった様子が窺えない。気の毒なことをしてしまったかなと思ったが、事実を述べただけなので、止むを得ない。

研究見本園の湿原が靄に包まれて、薄っすらと木立が浮かんでいる。其れを横目に、木道を進んで行く。至仏山登山口は、趣の在る湿地帯から一変した、鬱蒼とした樹林帯に入って、木段の急登から始まった。木段から足元は砂礫状に変わり、次第に瓦礫状になっていく。湿った石の隙間に水溜りが在り、昨日の晴天が遠い過去のように思える程、周囲は濃密な湿気に満ちていた。針葉樹林帯から垣間見える自然林の黄葉が、疎らに見える。朝の歩き初めの、何とも云えない疲労感を、其の眺めで誤魔化しながら、実直に登り続けた。

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狭い登山道の背後から、続々とハイカーが追いついてくる。脇に逸れて道を譲るのも億劫になるくらい、巨大ザックを背負った我々の足捌きは緩慢だった。追い越していった登山者が、先程の我々と同じように道端に立ち止まって息を整えていたりするので、また追い越してしまう。同じようなペースの者がたびたび顔を合わせて抜き返すので、お互いに間の悪い心地で何度も挨拶をする。行く手を見上げても霧しか見えない。曖昧模糊の果てに向かって、長蛇の列が黙々と行進していると云う様相になっている。

纏井君の休憩間隔が頻繁になってきた。巨大ザックふたり組が、狭い登山道の傍で茫然と並んで立っているのも不気味なので、徐々に私だけ先行して、休憩し易い岩場を見つけて待つ、と云うペースになった。登山地図に記してある、一杯清水の水場に気付かない儘、周囲が低潅木になり、視界が開けてきた。一枚岩が重なる鎖場が現われ、数珠繋ぎのハイカーが渋滞していた。私は鎖の途中で左に逸れて、岩襖の上に立った。振り返ると、霞に覆われた尾瀬ヶ原の風景が広がっている。

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岩の上に座って、其の儘纏井君を待つことにした。傍らの鎖場を、切れ目なくハイカーが登り続けているが、友人は何時迄経っても現われない。山ノ鼻を出発して二時間余り経つが、少し疲弊が早すぎるのではないかと、此の時朧気に感じた。其の儘休憩が長引いていたが、お陰で尾瀬ヶ原を包む雲が、徐々に流れ出してきた。雲の切れ間に、冬涸れた湿原が見えて、そして燧ケ岳の頭が姿を現わす。一心不乱に鎖に摑まっている登山者たちが、次々に振り返り、広がっていく風景に歓声を上げる。だから登山道は、益々渋滞していった。

森林限界を示す這松帯が広がるようになると、岩塊の合間に立派な木段が設置されて、如何にも観光地と云う様相になった。青空が広がり、陽射しが暑い。其れでも、鬱蒼とした樹林帯を抜け出た爽快感は友人を奮起させたようだった。標高二千米を越えて、至仏山の雄大な稜線が直ぐ其処に見渡せる。小至仏山の端整な姿が、紅葉に包まれている。

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展望を辿っていくと、尾瀬ヶ原を包むように山々が連なっていて、ひと際窪んだ処に建造物が見える。あれが鳩待峠か。纏井君が呟く。今日の歩行ルートが、一目瞭然となっていた。鳩待峠からアヤメ平に向かって、稜線は果てしなく続いているので、随分遠い道程だなと思う。尤も、碧天の下で紅葉の至仏山に登頂するのだと云う喜びは喩えようもない。前途遼遠、私の気分としては、其れも望むところである。

木道の両側にベンチが設置されている尾根の平坦な場所が高天ヶ原で、尾瀬ヶ原と燧ケ岳の眺望は相変わらず申し分が無い。此処で暫く休憩した。直登のルートは目的地が見え続けているのに、中々近づいてきて呉れない。見上げる山の向こうには空が広がっているが、地形図を見ると山頂は未だ遠いことが判る。其の事実は、読図の出来ない友人には伏せておくことにした。

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偽ピークを登りきって、漸く彼方に頂上が見えてきた。纏井君はすっかり無言になっているが、とにかく頂上は近い。老若男女のハイカーが続々と辿る木段を、黙々と登り続ける。最後の岩場の急な登りを終えた処に、唐突に頂上が在った。狭い岩場に、大勢が屯して、山名標を取り囲んでいる。其れ等を跨ぐようにして分け入り、ひと際大きな岩塊の上に立った。

尾瀬は、山懐に囲まれた別世界だった。至仏山の上から眺めると、尾瀬の外側は雲海に包まれていた。巻機山から谷川岳に至る山塊の頭部が、微かに見えている。北に視線を転じると、平ヶ岳に向かって稜線が延びていくのが窺える。其の方角の彼方を眺めれば、水平線の青味が薄色に変じて、地平に溶け込むようにして広がっている。至仏山のピークには、遮るものが何も無かった。眺めて良し、登って良しの名峰である。登頂して、其れが実感できると云うのが、なんとも嬉しかった。

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足の踏み場も無い山頂で食事を摂るのも詰まらないから、小至仏山迄行こうか。友人に提案してから岩を降りようとすると、若い女性が私をしげしげと見ている。数秒掛かって、山ノ鼻キャンプ場でテントサイトを譲ったカップルの片割れだと云うことを思い出した。熊が出たと云う話で怯えていた娘も、至仏山からの絶景に満悦のようである。私は若干の罪滅ぼしと云う気持ちで、雲海上の山座同定を行なって彼等に説明した。若いカップルは、何の山が見えているかと云うことに、余り関心が無いようであった。

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