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重太郎新道から奥穂高岳(後篇)

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北アルプス最高峰である標高3190mの奥穂高岳。象徴的な穂高見神の嶺宮が頂上に在り、其れがもう眼前に見えている。尤も、最高峰云々と穂高連峰の主峰を賛美するだけでは物足りない様な気がする。高いから偉いなどと云う、単純なことを考えている訳ではない。日本アルプスの象徴とも云うべき穂高山の美しさを、私はウェストンの言葉に惹かれて、辿り着き、感じたいと思ったのである。登頂を目前にして、万感の思いを表現する言葉が見つからない。だから、『日本アルプス再訪』から、奥穂高岳登頂の情景を引用することにする。


「できました。できました!」と嘉門次が叫ぶ。彼の心配そうだった顔に、安堵と満足の入りまじった笑みがいっぱいに現われ、それまでに溜まった陰鬱な気分が消えた。そして、脇に寄って、日本アルプス全体の中で最も美しい花崗岩の山の頂上を形成している、ガレた岩場へ立つように私を促した。我々はそこに長く留まるつもりはなかった。ただ、互いに喜びの言葉を交わしただけであった。
(ウォルター・ウェストン著。『日本アルプス再訪』水野勉訳・平凡社ライブラリー)



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2014/9/8

岳沢小屋(5:40)-----重太郎新道-----紀美子平-----吊尾根-----奥穂高岳(11:20)-----奥穂山荘-----涸沢(14:00)-----本谷橋-----横尾(17:00)

山頂の広場にふたつの隆起した岩塊が在る。嶺宮が鎮座する最高所のピークと、風景指示盤が設置された展望所であった。嶺宮に攀じ登る訳にもいかず、展望所に立って、ジャンダルムの半月形を眺める。もう見上げるべき山々の姿は無い。西穂への連なりの向こうに、遥かな雲海が広がっている。遠くに浮かんでいるのは白山だろうか。展望所に、ひとりの男性が登ってきたので、記念写真のシャッターを押して貰う。普段は頂上での記念写真などには拘らないのだが、奥穂高岳の頂上は、私を無邪気な行為に駆り立てるのだった。

ジャンダルムから、ひとりの登山者がやってきた。達成感を表現して、万歳をしながら近づいてくる。柔和な表情の西欧人が展望所に到達した。独逸からやってきたと云う彼に、片言の英語で祝福の言葉を掛ける。難しかったかと訊ねたら、大きく頷いた。あの頂点に立つ時が、いつか訪れるのだろうか。私は、多くの人が思うであろうことを胸に、改めてジャンダルムを眺めた。奥穂高岳の頂上。此処から眺めていると、ジャンダルムは直ぐ目の前に在る。其処に向かって歩いて行くのは、全く非現実的なこととは思えなかった。

賑やかなハイカーたちが到達しようとしていたので、私は昂揚した気分の儘、奥穂の頂上を立ち去った。壁のように広がって聳える笠ヶ岳は、初めて眺める姿であった。岩稜の道の先に、穂高連峰が続いている。槍ヶ岳が、彼方から私を見下ろして屹立している。登るべき秀麗な山々が、眼前に広がっている。そう思うと、躰全体が浮遊感に覆われたようになって、私の意識は恍惚となっていった。そしてもう一度振り返って、ジャンダルムを眺めた。半月形の北面が少しだけシルエットになり、薄暗い岩壁の表情は威圧的で、不気味な程に静かに、聳え立っている。


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錆びたピッケルが突き刺さった、洒落た道標が現われて、瓦礫場の道が高度を急激に落としていった。涸沢岳が正面に聳えて、眼下の鞍部に奥穂山荘が窺える様になった。事前の知識である、山荘から奥穂頂上へ向かう急峻の難所。其れがどういうものなのかと思いながら下っていった。鎖と梯子が連続して現われる崖は全くの垂直であったので、私は首肯しながら慎重に下っていった。笠ヶ岳と穂高平の在る谷底が、山峡に挟まれた眺望になっていくのを見ながら、広々とした穂高岳山荘に降り立った。

正午を廻った時刻だったが、山荘で昼食を摂っている人の数は疎らだった。広場に設置された椅子に座って、ささやかな冒険の御仕舞いを堪能しながら、紫煙を燻らす。食堂で何か食べようか、などと考えてみるが、特に食欲は感じないので止した。岳沢小屋テント場で朝食を摂ったきりだが、然程空腹を感じると云うことが無かった。私は、此れからどうしようかと云う思案を始めた。

ザイテングラートを下って涸沢に、漠然とした予定では、今日は其れで終了と云うことになっている。しかし、時間は未だ有り余る程に在る。涸沢迄の所要コースタイムは二時間程度となっているので、随分早い時刻の幕営と云うことになる。今は見下ろしているが、涸沢から眺める圏谷の風景は何度も写真や映像で見た通り、見事なものだと思われる。夥しい数のハイカーたちが好んで滞留する、涸沢はその様な処である。大勢の若者たちが嬌声を上げて羽目を外して騒々しいテント場。そんな情景が浮かんでくる。私の神経が、勝手に強迫されているだけなのだが、その様な想念が浮かんでしまう。


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折角絶景の中に居るのに、私の心裡は興醒めしていくばかりだった。其れで、此の儘下山を継続して、横尾迄歩いてしまおう。そう決断した。決めてから、早速ザイテングラートを下り始めた。奥穂高岳の前に立ち塞がっている尖峰が霧に包まれていく。振り返って其れを見上げながら、私は軽快に歩き始めた。可能ならば、徳沢迄歩いてもよい。緑に包まれた徳沢のキャンプ場の情景を思い浮かべ、単なる思いつきが名案に思えてきた。

側稜と云う意味の独逸語であるザイテングラートと名付けられた岩稜は、広大な涸沢カールの雪渓に併行して尾根が連なる登山道だった。砂礫の足元に神経を遣いながら、断続して現われる巨岩の合間を摺り抜けるようにして下っていく。随分歩き続けている筈だが、不思議な程疲労感は無かった。何処迄も見渡せる先に岩塊が隆起していて、其処に到達すると、ルートは大きく左手に逸れていった。岩塊を捲いて圏谷の肌に降りると、一面に岩が敷き詰められたような傾斜を下っていく様になる。そして、前穂北尾根の屏風を背景にした擂鉢の底に、赤い屋根の涸沢ヒュッテを見下ろすようになった。

目標が視界に入ったが、其れからは却って茫漠とした変わらない風景の中を歩き続けている様な気分だった。幾ら歩いても、涸沢の底は近づいてこない。陽射しが強くなってきて、意識が朦朧としてきた。其れに呼応するかの様に、足裏が痛いと云って悲鳴を上げる。倦怠感が、実直に疲労の感覚を呼び覚ました様であった。漸く樹林の塊が近づいてきたので、木陰になっている岩場に座り込んで休憩した。時間に追われている訳では無い。ザックを下ろすと、躰全体が弛緩した様になった。

其の儘茫然と紫煙を燻らせていると、西欧人の若い男性と、妙齢の日本人女性のふたり組が登ってきた。涸沢を出て間もない頃かと思うが、軽装の男性の表情は疲れきっている風である。声を掛けたら、女性の方が不安そうに、あとどのくらい掛かるでしょうかと訊いてきた。其れは私を困惑させる質問だった。穂高岳山荘迄どのくらいかと云えば、コースタイムで三時間弱であるから、そう答えればいいのだが、見るからに疲弊している態の男性を見ると、もう少し掛かるかもしれないなとも思えた。現在の時刻は午後二時に近いから、山小屋に向かう者としては行動が遅すぎる。


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仕方が無いので、陽が暮れる迄には着けるだろうから、焦って怪我をしないように、と云った。私は確信を持って他人にアドバイスできる様な人間ではないのだが、彼等にしてみれば、巨大ザックを傍らに置いている私は、多少の経験者に見えるのだろう。心なしか安堵した表情になって、彼等は瓦礫場の坂路を登っていった。私は、涸沢に屯する多種多様な人種に対する自分の想念が、其れ程的外れでは無いと云うことを知った。涸沢の喧騒は、もう直ぐ其処迄近づいてきていた。

岩場から左手に在る尾根に沿っていく様になって、沢のせせらぎの音が聞こえてくる。唐突に現われた建造物の敷地に、裏手から入って廻り込んだら、其処は涸沢小屋のテラスだった。テーブル席に落ち着いて、改めて涸沢カールの広がりを見上げる。快適な施設から眺める、文句のつけようが無い絶景であった。生麦酒のジョッキを傾けて談笑している親爺たちを見て、危うく徳沢迄歩くと云う決断を反故にしてしまいたくなるが、何とか堪えて、此の快適な空間から立ち去ることにした。


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単独行の愉悦は、勝手気儘に自分の行動を決められることにある。恣意的に予定を変更できる。人間関係の均衡を保つと云う気苦労の必要が無い。そして其処には、寄る辺無さと云った様な寂莫した感覚も無い。誰が何をしていようが知ったことでは無いからである。しかし、涸沢のような場所にひとりで居ると、そんな我儘な思惟が、呆気なく揺らいでくる。愉しそうにしている人々を見ると、相対的に孤独感が湧き上がってきて、自分が詰まらないことをしている様な気分になる。其れを認めたくないから、私は逃げるように、涸沢から去っていこうと思う。

涸沢小屋から石畳の道を下って行く。カラフルな夥しい数のテントが並んでいる。誰もが、此の自然美の懐に包まれて、満悦している。其の合間を黙々と私は歩いていた。雪渓の彼方に、奥穂高岳が当たり前の様にして聳えている。其れを見上げて、私は自分の歩いて来た道を反芻してみる。

険しい岩崖が在れば、不快な藪道も在る。そして頂上に辿り着いたら、もう何も無い。黙々と行なってきた全てが、無に帰っていくかの様な気分になる。此れ迄の自分の人生が、どれ程のことであったのか。未練がましく考えてしまうことが、どうでもよいことのように思えてくる。其れはどういう訳だか、爽快な気分でもある。そして、其の感懐を求めて、私は山に登りたくなってしまうのだなと、改めて認識するのである。

賑やかな涸沢ヒュッテから離れる様にして、分岐点を左に入っていく。涸沢に到着するハイカーたちが、続々とやってくるのと擦れ違う。彼等の表情は、一様に安堵と喜びに包まれていた。私はひとり、涸沢に背を向けて、下山の途に就く。随分休憩したので、徳沢迄歩けるだろう。喧騒から離れるに従って、私の足取りは、徐々に軽快になっていった。


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追記

屏風岩を迂回して横尾谷を辿る道は長かった。気がつけば歩行時間が10時間近くに達している。本谷橋に辿り着いた頃には、足裏の痛みが激烈になり、河原で裸足になって休憩した。横尾からさらに一時間を掛けて徳沢迄歩くと云うことを、この時完全に諦めた。横尾大橋の直ぐ下にテントを張って、長い一日が終わった。歩行時間11時間20分は、やはり苛烈なことだった。

2014/9/9

横尾(8:00)-----徳沢園-----明神館-----穂高神社奥宮-----河童橋-----上高地バスターミナル(11:00)

好天の横尾を出て、普通に上高地迄の道を歩いていたが、明神から分岐して、歩いたことの無い明神池側に渡ることにした。最後に静謐な湿地帯を歩くことができて、此の選択は正解だった。帰途は高速バスで帰ろうと思っていたが、「さわやか信州号」は午後三時迄待たなければならないので、新島々行きのバスに乗り、松本電鉄上高地線に乗り換えて、松本駅からは結局JRの鈍行で帰ってきた。後から考えると、松本バスターミナルから新宿行きの高速バスが頻繁に運行されていることに気付かなかったのが不思議であった。JRは茅野駅で接続が悪いから、駅の売店で缶麦酒と肴を買い求めて、プラットホームの孤独な酒宴を開催した。山小屋で高価な缶麦酒に慣れてしまったので、駅で買った缶麦酒がもの凄くお買い得のような気になってしまい、二本目を買いに行った。売店のおばさんが笑った。

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コメント

穂高行素晴らしいですね。
涸沢に泊まらないところがナナメさんらしいですね。
失礼致します。

世話人さん、シンプルな(笑)コメントありがとうございます。
もう一回くらい今年は北アに行きたいなあと考えていましたが、
体調不良で頓挫してしまいました。無念です。
冬が近づき、低山の季節になってきましたね。
微力ですが、また今度お手伝いに伺います!

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