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2014年10月

富士見下から至仏山(前篇)

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早朝の尾瀬戸倉駐車場は静まり返っていたので、誰も居ないとのかと思っていたら、突然車道の真ん中におじさんが躍り出てきたから驚いた。一般車輌通行禁止となっている、鳩待峠方面に左折しようとしたのを見て、注意喚起すべく現われたものと思われる。ハンドルを握る纏井君がぶっきらぼうに、富士見下と答えたら、なあんだと云う顔で通してくれた。程無く戸倉スキー場への分岐が現われて、高原ホテルを過ぎると、車道はか細くなって、沢沿いの勾配を登るようになった。ゲートで行き止まりになった処が、駐車スペースの在る、往年の尾瀬へのメインルート、其の起点となる富士見下であった。



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2014/9/26

富士見下(7:00)-----富士見小屋-----長沢新道-----竜宮十字路-----山ノ鼻(15:40)

鳩待峠から尾瀬沼に至る山々の壁を越えて、尾瀬ヶ原に至ると云う富士見峠経由コースは、現在では殆ど人気が無いようである。鳩待峠迄乗合バスで行けば、下り基調で尾瀬ヶ原に歩いて行けるのだから、さもありなん、である。私は、尾瀬再訪の誘いを纏井君から受けて、此の富士見下ルートを提案した。友人の主眼は自慢のマイカーで尾瀬に行くと云うくらいのものだから、コース設定は私が担当させて貰うことにした。初めての尾瀬は、大清水から尾瀬沼に向かい、燧ケ岳に登ったので、次の目的地は当然、至仏山である。山ノ鼻に幕営して至仏山を巡るだけならば鳩待峠発着でいいが、尾瀬ヶ原を歩かないのは如何にも惜しい。マイナールートに転落した富士見下から、富士見峠を越えて尾瀬ヶ原の真ん中に降り立ち、のんびりと山ノ鼻に歩いて行く。車での移動なので、富士見下には早朝に着くことができるから、ロングコースでも差し支えは無い。妙案である。すっかり山行計画に無頓着になっている纏井君は、深く考えることもなく此の案に同意して呉れた。

ゲートを越えて、蛇行する砂利の林道を延々と登り続けた。朝の冷たい空気が、汗ばんでくる躰に心地よく感じられる。十二曲がりと名付けられた九十九折が終わると平坦な道になった。田代原の一帯に入っている模様だが、湿原と云う雰囲気では無く、広い公園の中に居るような気がしてくるような場所だった。富士見下から富士見小屋迄、標準コースタイムは二時間四十五分。焦って歩いても仕方が無い。我々はテント装備の巨大なザックを背負って、ゆっくりと歩いていた。


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やがて勾配が復活して、熊笹の繁る処に道標が現われた。十二曲がり、田代原と、手製の道標が立てられていたが、此処には馬洗渕と書かれている。登山地図に表記は無いが、富士見峠迄の途上の、丁度中間地点に池の印が在る場所のようだった。池の渕で馬を洗っていた名残のような地名だろうか。樹林の向こうにある池を目視することはできなかった。長い林道歩きだが、程良い間隔で道標が在るので、適度に休憩することができる。判然としない空模様だが、徐々に併行する白尾山から延びる尾根を眺めるようになった。

水場の在る元休憩所と記された道標を過ぎると、陽光が降り注ぐ好天になり、正面に色づいた山なみが現われた。鳩待通りから富士見峠に至る稜線である。間もなく御馴染みの道標が在り、アヤメ平下、峠迄一粁と記してある。林道に砂利が整然と敷き詰められていくようになると、水場を経て富士見小屋に到着した。約二時間半の所要時間だったので、途中軽装の老夫婦に追い越されたとは云え、重荷を背負っているにしては順調な登りだった。


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さて、淡々と此処迄やってきたが、友人纏井君の機嫌も上々のようである。満身創痍で帰還した、富士山御殿場ルート往復以来の山行なので、富士見下ルートの長時間の林道歩きの消耗がどのようなものかと懸念していたが、其れも杞憂に終わったようだ。此の後は、湿原の別世界に向かって降りていくだけである。そんな安堵感故なのか、暫く小屋の軒先で食事の休憩を摂った後、纏井が眠いと言い出して、テント用のグラウンド・シートを敷いて横になってしまった。昨夜東京を出発して、沼田街道沿いに在る道の駅に駐車し、仮眠を三時間程取っただけであるので、止むを得ないと云えば止むを得ない。いよいよ尾瀬に差し掛かる処で、私の気分は逸っていたが、そんな素振りは見せないで休憩に付き合う。其れも止むを得ない。

誰も居ない小屋周辺は、時が止まったかのように静かだったが、やがて林道から車がやってきた。富士見小屋の従業員氏が、携帯電話で会話をしながら降りて来た。週末は複数でなければ予約を受けられない、と云うようなことを喋っているので、人気の無さそうな富士見小屋でも、そう云うものなのかと思った。


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国立公園尾瀬、の立派な看板から、アヤメ平方面の入口に向かうと、雑草の種子を払う為の人工芝が設置して在った。いよいよ尾瀬である。階段を登りきると、唐突に湿原の枯芒が広がった。木道の彼方に、何処迄も広がる青空が眩しい。富士見田代の行きついた先に池塘が在り、青空を映す美しい池の向こうに、燧ケ岳の峻険な山容が聳えていた。尾瀬だ、と、譫言を繰り返しているようで莫迦みたいだが、そう呟いた。我々は、暫く池塘を眺める木製ベンチで佇んで居た。

池塘の在る場所から、長沢新道が分岐している。眺望の稜線からブナ林の中に分け入ると、設えてあった木道も途切れて、泥濘の登山道になった。自然林の合間から降り注ぐ木漏れ陽の道は美しいが、足元が滑り易いので神経を遣う。そんな千篇一律の調子で、冗長な下りが続いた。土場と云う処で登山道は徐々に東に方角を変えて、長沢へと近づいていく。谷底に至る迄は、随分長い道程であった。

長沢に架かる木橋を渡って、樹林帯は岳樺の造形と黄葉の美しい道になった。既に湿原の中に入ってきていると云うことが、其の空気感で判るような気がする。そして、漸く景色が広がった。茫漠とした枯草の風景が彼方に迄広がっている。木道の先に、そぞろ歩きの人々が点在している。初めての尾瀬ヶ原に、我々は漸く到達した。木道が交差する竜宮十字路の、竜宮カルストと呼ばれる大きな池塘に囲まれたテラスで荷を降ろし、我々は長かった登山道の疲れを癒した。

下田代と中田代を寸断する沼尻川と思しき辺りに、樺林が立ち並び、竜宮小屋が穏やかに佇んでいる。其の背景には、絵に描いたような美しさで、燧ケ岳が聳える。柴安嵓から尾瀬ヶ原を眺めて、後ろ髪を引かれるような思いで下山した二年前のことが思い出される。漸く、其の尾瀬ヶ原の真中に在る竜宮十字路に佇んで居る。感慨無量である。燧ケ岳から眺めた尾瀬ヶ原の背景には、相対するように至仏山が鎮座していたが、此処からの眺めと云えば、燧ケ岳を眺め、振り返れば至仏山と云う訳で、何れが菖蒲か杜若の趣であり、どちらを眺めようかと迷ってしまう。


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陽光の暖かいテラスに、何時迄も佇んでいたかったが、今宵の寝床に向かって出発しなければならない。自然景勝地の極みとも云える尾瀬ヶ原を、至仏山が屹立している方向に歩いて行く。其の心地よさは記す迄も無いだろう。点在する池塘が青空に映え、ヒツジグサの桃色が敷きつめられるようにして浮かんでいる。其れに波紋を描きながら、束の間の季節を愉しんでいるかのように、悠然と鴨が泳いでいる。そんな光景に何度も立ち止まりながら、我々は木道を歩き続けていた。

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重太郎新道から奥穂高岳(後篇)

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北アルプス最高峰である標高3190mの奥穂高岳。象徴的な穂高見神の嶺宮が頂上に在り、其れがもう眼前に見えている。尤も、最高峰云々と穂高連峰の主峰を賛美するだけでは物足りない様な気がする。高いから偉いなどと云う、単純なことを考えている訳ではない。日本アルプスの象徴とも云うべき穂高山の美しさを、私はウェストンの言葉に惹かれて、辿り着き、感じたいと思ったのである。登頂を目前にして、万感の思いを表現する言葉が見つからない。だから、『日本アルプス再訪』から、奥穂高岳登頂の情景を引用することにする。


「できました。できました!」と嘉門次が叫ぶ。彼の心配そうだった顔に、安堵と満足の入りまじった笑みがいっぱいに現われ、それまでに溜まった陰鬱な気分が消えた。そして、脇に寄って、日本アルプス全体の中で最も美しい花崗岩の山の頂上を形成している、ガレた岩場へ立つように私を促した。我々はそこに長く留まるつもりはなかった。ただ、互いに喜びの言葉を交わしただけであった。
(ウォルター・ウェストン著。『日本アルプス再訪』水野勉訳・平凡社ライブラリー)



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2014/9/8

岳沢小屋(5:40)-----重太郎新道-----紀美子平-----吊尾根-----奥穂高岳(11:20)-----奥穂山荘-----涸沢(14:00)-----本谷橋-----横尾(17:00)

山頂の広場にふたつの隆起した岩塊が在る。嶺宮が鎮座する最高所のピークと、風景指示盤が設置された展望所であった。嶺宮に攀じ登る訳にもいかず、展望所に立って、ジャンダルムの半月形を眺める。もう見上げるべき山々の姿は無い。西穂への連なりの向こうに、遥かな雲海が広がっている。遠くに浮かんでいるのは白山だろうか。展望所に、ひとりの男性が登ってきたので、記念写真のシャッターを押して貰う。普段は頂上での記念写真などには拘らないのだが、奥穂高岳の頂上は、私を無邪気な行為に駆り立てるのだった。

ジャンダルムから、ひとりの登山者がやってきた。達成感を表現して、万歳をしながら近づいてくる。柔和な表情の西欧人が展望所に到達した。独逸からやってきたと云う彼に、片言の英語で祝福の言葉を掛ける。難しかったかと訊ねたら、大きく頷いた。あの頂点に立つ時が、いつか訪れるのだろうか。私は、多くの人が思うであろうことを胸に、改めてジャンダルムを眺めた。奥穂高岳の頂上。此処から眺めていると、ジャンダルムは直ぐ目の前に在る。其処に向かって歩いて行くのは、全く非現実的なこととは思えなかった。

賑やかなハイカーたちが到達しようとしていたので、私は昂揚した気分の儘、奥穂の頂上を立ち去った。壁のように広がって聳える笠ヶ岳は、初めて眺める姿であった。岩稜の道の先に、穂高連峰が続いている。槍ヶ岳が、彼方から私を見下ろして屹立している。登るべき秀麗な山々が、眼前に広がっている。そう思うと、躰全体が浮遊感に覆われたようになって、私の意識は恍惚となっていった。そしてもう一度振り返って、ジャンダルムを眺めた。半月形の北面が少しだけシルエットになり、薄暗い岩壁の表情は威圧的で、不気味な程に静かに、聳え立っている。


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錆びたピッケルが突き刺さった、洒落た道標が現われて、瓦礫場の道が高度を急激に落としていった。涸沢岳が正面に聳えて、眼下の鞍部に奥穂山荘が窺える様になった。事前の知識である、山荘から奥穂頂上へ向かう急峻の難所。其れがどういうものなのかと思いながら下っていった。鎖と梯子が連続して現われる崖は全くの垂直であったので、私は首肯しながら慎重に下っていった。笠ヶ岳と穂高平の在る谷底が、山峡に挟まれた眺望になっていくのを見ながら、広々とした穂高岳山荘に降り立った。

正午を廻った時刻だったが、山荘で昼食を摂っている人の数は疎らだった。広場に設置された椅子に座って、ささやかな冒険の御仕舞いを堪能しながら、紫煙を燻らす。食堂で何か食べようか、などと考えてみるが、特に食欲は感じないので止した。岳沢小屋テント場で朝食を摂ったきりだが、然程空腹を感じると云うことが無かった。私は、此れからどうしようかと云う思案を始めた。

ザイテングラートを下って涸沢に、漠然とした予定では、今日は其れで終了と云うことになっている。しかし、時間は未だ有り余る程に在る。涸沢迄の所要コースタイムは二時間程度となっているので、随分早い時刻の幕営と云うことになる。今は見下ろしているが、涸沢から眺める圏谷の風景は何度も写真や映像で見た通り、見事なものだと思われる。夥しい数のハイカーたちが好んで滞留する、涸沢はその様な処である。大勢の若者たちが嬌声を上げて羽目を外して騒々しいテント場。そんな情景が浮かんでくる。私の神経が、勝手に強迫されているだけなのだが、その様な想念が浮かんでしまう。


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折角絶景の中に居るのに、私の心裡は興醒めしていくばかりだった。其れで、此の儘下山を継続して、横尾迄歩いてしまおう。そう決断した。決めてから、早速ザイテングラートを下り始めた。奥穂高岳の前に立ち塞がっている尖峰が霧に包まれていく。振り返って其れを見上げながら、私は軽快に歩き始めた。可能ならば、徳沢迄歩いてもよい。緑に包まれた徳沢のキャンプ場の情景を思い浮かべ、単なる思いつきが名案に思えてきた。

側稜と云う意味の独逸語であるザイテングラートと名付けられた岩稜は、広大な涸沢カールの雪渓に併行して尾根が連なる登山道だった。砂礫の足元に神経を遣いながら、断続して現われる巨岩の合間を摺り抜けるようにして下っていく。随分歩き続けている筈だが、不思議な程疲労感は無かった。何処迄も見渡せる先に岩塊が隆起していて、其処に到達すると、ルートは大きく左手に逸れていった。岩塊を捲いて圏谷の肌に降りると、一面に岩が敷き詰められたような傾斜を下っていく様になる。そして、前穂北尾根の屏風を背景にした擂鉢の底に、赤い屋根の涸沢ヒュッテを見下ろすようになった。

目標が視界に入ったが、其れからは却って茫漠とした変わらない風景の中を歩き続けている様な気分だった。幾ら歩いても、涸沢の底は近づいてこない。陽射しが強くなってきて、意識が朦朧としてきた。其れに呼応するかの様に、足裏が痛いと云って悲鳴を上げる。倦怠感が、実直に疲労の感覚を呼び覚ました様であった。漸く樹林の塊が近づいてきたので、木陰になっている岩場に座り込んで休憩した。時間に追われている訳では無い。ザックを下ろすと、躰全体が弛緩した様になった。

其の儘茫然と紫煙を燻らせていると、西欧人の若い男性と、妙齢の日本人女性のふたり組が登ってきた。涸沢を出て間もない頃かと思うが、軽装の男性の表情は疲れきっている風である。声を掛けたら、女性の方が不安そうに、あとどのくらい掛かるでしょうかと訊いてきた。其れは私を困惑させる質問だった。穂高岳山荘迄どのくらいかと云えば、コースタイムで三時間弱であるから、そう答えればいいのだが、見るからに疲弊している態の男性を見ると、もう少し掛かるかもしれないなとも思えた。現在の時刻は午後二時に近いから、山小屋に向かう者としては行動が遅すぎる。


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仕方が無いので、陽が暮れる迄には着けるだろうから、焦って怪我をしないように、と云った。私は確信を持って他人にアドバイスできる様な人間ではないのだが、彼等にしてみれば、巨大ザックを傍らに置いている私は、多少の経験者に見えるのだろう。心なしか安堵した表情になって、彼等は瓦礫場の坂路を登っていった。私は、涸沢に屯する多種多様な人種に対する自分の想念が、其れ程的外れでは無いと云うことを知った。涸沢の喧騒は、もう直ぐ其処迄近づいてきていた。

岩場から左手に在る尾根に沿っていく様になって、沢のせせらぎの音が聞こえてくる。唐突に現われた建造物の敷地に、裏手から入って廻り込んだら、其処は涸沢小屋のテラスだった。テーブル席に落ち着いて、改めて涸沢カールの広がりを見上げる。快適な施設から眺める、文句のつけようが無い絶景であった。生麦酒のジョッキを傾けて談笑している親爺たちを見て、危うく徳沢迄歩くと云う決断を反故にしてしまいたくなるが、何とか堪えて、此の快適な空間から立ち去ることにした。


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単独行の愉悦は、勝手気儘に自分の行動を決められることにある。恣意的に予定を変更できる。人間関係の均衡を保つと云う気苦労の必要が無い。そして其処には、寄る辺無さと云った様な寂莫した感覚も無い。誰が何をしていようが知ったことでは無いからである。しかし、涸沢のような場所にひとりで居ると、そんな我儘な思惟が、呆気なく揺らいでくる。愉しそうにしている人々を見ると、相対的に孤独感が湧き上がってきて、自分が詰まらないことをしている様な気分になる。其れを認めたくないから、私は逃げるように、涸沢から去っていこうと思う。

涸沢小屋から石畳の道を下って行く。カラフルな夥しい数のテントが並んでいる。誰もが、此の自然美の懐に包まれて、満悦している。其の合間を黙々と私は歩いていた。雪渓の彼方に、奥穂高岳が当たり前の様にして聳えている。其れを見上げて、私は自分の歩いて来た道を反芻してみる。

険しい岩崖が在れば、不快な藪道も在る。そして頂上に辿り着いたら、もう何も無い。黙々と行なってきた全てが、無に帰っていくかの様な気分になる。此れ迄の自分の人生が、どれ程のことであったのか。未練がましく考えてしまうことが、どうでもよいことのように思えてくる。其れはどういう訳だか、爽快な気分でもある。そして、其の感懐を求めて、私は山に登りたくなってしまうのだなと、改めて認識するのである。

賑やかな涸沢ヒュッテから離れる様にして、分岐点を左に入っていく。涸沢に到着するハイカーたちが、続々とやってくるのと擦れ違う。彼等の表情は、一様に安堵と喜びに包まれていた。私はひとり、涸沢に背を向けて、下山の途に就く。随分休憩したので、徳沢迄歩けるだろう。喧騒から離れるに従って、私の足取りは、徐々に軽快になっていった。


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追記

屏風岩を迂回して横尾谷を辿る道は長かった。気がつけば歩行時間が10時間近くに達している。本谷橋に辿り着いた頃には、足裏の痛みが激烈になり、河原で裸足になって休憩した。横尾からさらに一時間を掛けて徳沢迄歩くと云うことを、この時完全に諦めた。横尾大橋の直ぐ下にテントを張って、長い一日が終わった。歩行時間11時間20分は、やはり苛烈なことだった。

2014/9/9

横尾(8:00)-----徳沢園-----明神館-----穂高神社奥宮-----河童橋-----上高地バスターミナル(11:00)

好天の横尾を出て、普通に上高地迄の道を歩いていたが、明神から分岐して、歩いたことの無い明神池側に渡ることにした。最後に静謐な湿地帯を歩くことができて、此の選択は正解だった。帰途は高速バスで帰ろうと思っていたが、「さわやか信州号」は午後三時迄待たなければならないので、新島々行きのバスに乗り、松本電鉄上高地線に乗り換えて、松本駅からは結局JRの鈍行で帰ってきた。後から考えると、松本バスターミナルから新宿行きの高速バスが頻繁に運行されていることに気付かなかったのが不思議であった。JRは茅野駅で接続が悪いから、駅の売店で缶麦酒と肴を買い求めて、プラットホームの孤独な酒宴を開催した。山小屋で高価な缶麦酒に慣れてしまったので、駅で買った缶麦酒がもの凄くお買い得のような気になってしまい、二本目を買いに行った。売店のおばさんが笑った。

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重太郎新道から奥穂高岳(中篇)

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未明の暗闇の中で、テントを畳んで身繕いを終えて、パンと珈琲の朝食を済ませたら、漸く遠くの空から黎明の兆しが現われた。空は重厚な雲で覆われているが、山々の眺望を隠す程では無かった。曖昧な夜明けを迎えながら、私はザックを背負い、重太郎新道を登り始めた。樹林の中をジグザグに登り、視界が開けて振り返ると、岳沢小屋のテント場を眼下に、顔を上げたら、明るさを増してきた空に青味が増してくるのが窺えた。全ての荷物を背負って、今日は奥穂に登る。其の後のことは、漠然としか考えていない。涸沢に下って一泊して、明日はゆっくり上高地へ帰ればよい。吊尾根を歩いて、奥穂高岳に登頂し、北アルプスの眺望を眺めれば、もう何も云うことは無い。私は、意識的に逸る気持ちを抑えて、ゆっくりと歩いていた。


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2014/9/8

岳沢小屋(5:40)-----重太郎新道-----紀美子平-----吊尾根-----奥穂高岳(11:20)-----奥穂山荘-----涸沢(14:00)-----本谷橋-----横尾(17:00)

実直に続く登山道から、唐突に岩の重なる崖を攀じ登るようになって、程無く最初の梯子段が現われた。冷たい雨に濡れながら登った前回を思うと、何事も無いと謂う気分だった。道は岩崖状の斜面を丹念に抉って続いている。其の途上で、下方から物音が聞こえた。誰よりも早く出発したが、もう後続に追いつかれてしまったらしい。岩場が緩やかになった処で、追い越して貰う為に立ち止まった。

やってきたのは単独の中年男性で、昨日も岳沢への途上で会った人だった。挨拶を交わして先に行って貰ったが、其処から直ぐに登りついたら、展望が開けるカモシカ立場だったので、休憩している彼に追いついてしまった。私もザックを下ろし、懐かしい場所に腰掛けて上高地の方を眺めた。岳沢にテントを置いて前穂を往復すると云う中年氏に、私は初めて前穂高岳に登った時のことを随分喋った。人恋しかった訳ではない。無性に其のことを話したい欲求に駆られていた。雨の中を登ったんですか、と、一応の反応をして呉れたのが嬉しかった。

身軽な中年氏が軽快な足取りで去っていった。ふたたび誰も居ない、静かな重太郎新道を登り続けた。梯子段が二箇所に渡って登る箇所を経た後も、鎖の付いた岩崖が続いた。岩の塊に足場を見つけて無心に登り続け、やがて一挙に眺望が広がった。吊尾根の稜線を目で追っていくと、前穂高岳の姿が明瞭に在った。振り返って、岳沢パノラマと書かれた岩の向こうに広がる、上高地の風景を見渡す。焼岳は相変わらず赤味を帯びた山容で聳え、霞沢岳が対岸に屹立している。北アルプスの入口で二対の山が立ち塞がり、近寄る者を睥睨しているかのようでもある。遠く正面に聳える乗鞍岳と木曽御嶽山が、別格の貫禄で連なっている。


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ペンキマークが記された岩塊にステップを刻んでいくと、あっという間に高度が上がっているのに気付く。前回の下山時に怪我をした、砂礫混じりの急斜面を喘ぎながら登っていると、猛烈に速い、トレイル・ランニング風の男性が追いついてきた。今朝上高地から登ってきたと云うから、巨大ザックを背負って鈍重に歩いている私とは好対照である。立ち話をして、私はトレラン氏にも前回の前穂登頂のことを喋った。自分でも、どうかしているなと思うくらいに、熱心に喋っていた。

懐かしい雷鳥広場に到着した時は、何だか呆気なく此処迄来たなと云う気分だった。陽光が降り注ぐ晴天では無いが、穏やかな天候であった。時刻は朝の八時で、申し分の無いペースである。紫煙を燻らせて暫く休憩していたら、後続のハイカーが徐々に登ってくるのが見えた。ふたたび歩き始めると、岩尾根の南側を捲くようにして、着実に高度を稼いでいく。前穂が聳える前衛に、幾つかの岩塊が重なって盛り上がる突起が見えた。其の塊の裾に、鎖が垂らされている斜面が在る。出来るだけ鎖に頼らず、岩の裂け目に足場を探して登り続ける。其れを何度か繰り返して、紀美子平に到達した。


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眺望の利く紀美子平に立って、改めて前回の記憶が蘇ってきた。奥ホ、と記された岩の向こうを見ると、吊尾根の連なりの果てに、鋭利な尖峰が頭部を覗かせている。あれが奥穂高岳だろうか。愈々念願の踏路を前にして、気分は昂揚していくばかりだった。紀美子平は、想像以上に多くの人々が休憩していたので、突然喧騒に巻き込まれたような気分にさせられる。私は、少しの休憩で、早々に出発することにした。

吊尾根に入っても、登山道は南面をトラバースしているので、広がる景色は相変わらずの上高地方面である。しかし、此れ迄の眺めとは違って、今歩いて来た重太郎新道が、恐竜の背びれのような姿で連なっているのが見える。雷鳥広場には多くのハイカーが休憩している様だったが、客観的に眺めると、重太郎新道が鋭利な錐台の上を辿っていると云うのが初めて理解できる。視野が広がる、と云うのが文字通りに実感できる眺めだった。


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岩塊の登山道は、概ね明瞭に続いているが、時折積み重なる岩が行く手を阻む。マーキングを頼りに攀じ登って越える時、岳沢側の谷底が深淵の様に見下ろせるから、神経のコイルに電流が流れて、針が振れたみたいにどきんとする。そんな登山道で、対向から案外な数のハイカーたちがやってきて擦れ違う。吊尾根は、奥穂からの下山ルートとして使う人が多い様であった。上高地側のトラバースは随分長く続いていたが、次第に稜線が近づいてきているのが判った。やがて、分岐点、と記された岩が正面に現われた。

登山地図に記されている「最低コル」が此処の様であった。分岐点の印から稜線に向かって、私の進行方向からすると折り返す様にして進路が在る様で、前穂高岳に稜線伝いで辿っているのだと察せられる。其れを見送り、真直ぐにトラバース道を進んでいった。吊尾根のエッジに、徐々に近づいてきている。私は、固唾を飲むような気持ちで、緩やかに傾斜を辿っていった。

リッジの淵から鋸歯状の連なりを見た時、躰を風が駆け抜けていくような気がした。日蔭の黒い圏谷に、雪渓の白が目立つ峻険な岩峰の群が屹立していた。前穂高岳北尾根を、直ぐ間近に見ている。吊尾根は、前穂に向かって鋭利な稜線で繋がっていた。涸沢カールの全容は未だ見渡せないが、漸く北アルプスの全貌を眺める稜線に近づいて来たのだと思った。


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此れからは稜線上を歩くのかと思ったら然にあらず、ふたたび登山道は上高地側の斜面を捲いていった。岩崖の斜面は、巨岩が重なり合っているので、足場を探すのは容易だった。しかし、稜線の上部が遠ざかっていくのは何とも歯痒い気持ちにさせられる。其れ程に尾根が峻険なのだ。自分に云い聞かせながら、歩き続けた。大きく隆起した岩塊を何度か越えて、尖ったピークが現われる。地図に記されている3071mピークだと察せられる。惚れ惚れする程の鋭利なピークだが、此処も左に捲いていく。ピークを廻り込んでから、直截的にリッジ上に向かって登る。鎖の付いた斜面だが、大過無く登りきった。

ふたたび吊尾根の上に立って、今度こそ涸沢の全容が見渡せた。前穂北尾根と、北穂高岳の尾根に囲まれて、眼下にカールが広がっている。そして、北穂の向こうに、写真で何度も見たことのあるランドマークが小さく浮かんでいる。常念山脈を縦走して、一度も見ることの出来なかった槍ヶ岳であった。

稜線は更に高みへと向かって続いていた。険しい岩場、鎖場を経て、視界が開ける。奥穂の方角に、岩が無数に刺さった棘だらけの様にも見えるピークが聳えている。近づいてくる目的地を意識して、気持ちの治まりが付かない様な儘、其のピークに向かって歩いていた。やがて岳沢の谷底から、顕著な岩尾根が登ってくるのが窺えた。其れが棘のピークに向かっていて、私の行く先に合流していく様に見えた。此れが南稜と呼ばれる岩尾根で、吊尾根に愈々近づいてくる頃、私の進路も険しくなり、巨岩の隙間に鎖が垂らされている処を登っていくようになった。


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辿り着いたら指導標に奥穂、前穂が記されていて、其の中心に、南稜ノ頭の名が在った。涸沢と岳沢を等分に眺めることの出来るピークで、稜線の先を見れば、直ぐ其処に奥穂高岳の頂上が見える。天井は厚い雲が覆われているが、全ての地平の先が見渡せた。空が近いと云う表現では違うかもしれないが、雲の天井が直ぐ上に在るようで、随分高い処に居るのだな、と云う実感が湧いてくる。

私は重いザックを下ろして、涸沢側を見渡すリッジの岩場に腰を下ろして、休憩することにした。奥穂高岳に到達すると云う確信に、全てが満たされていく様な気分だった。其の喜びに、少しでも長く浸っていたい。私は、そんな倒錯した気分の儘、何時迄も南稜ノ頭で、紫煙を燻らせていた。

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重太郎新道から奥穂高岳(前篇)

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記念写真を撮る人だかりの河童橋を低姿勢で摺り抜ける。眩い陽光が降り注ぐ上高地で、私は望郷のような想念とともに、穂高連峰を見上げる。初めて登った北アルプスの記憶は、時間が経つに連れて風化すると云うことは無く、却って唯一無二の想い出として根付いているような気がする。岳沢から重太郎新道を経て、濃霧の前穂高岳に登頂したと云う個人的な足跡は、大袈裟ではあるけれど、金字塔を打ち立てたと云う感懐とともに、私の裡に在る。岳沢小屋のテント場から、軽量装備で奥穂を往復すると云う計画は、荒天に阻まれて断念した挙句の前穂登頂で終わってしまった。しかし、今になって考えると、ふたたび同じルートで奥穂に登ると云う意義が、却って深まってきたとも云える。私は、今度こそ好天の穂高連峰に登るために、神経が削がれるような気分で、天気予報を凝視して推測し、愈々決断して出発した。上高地の天気は申し分無かったが、其れは前回も同じことで、明日の標高3000mがどうなるのかは判らない。私は、自然探勝路に寄り添って流れる、静謐な川の流れの美しさに、改めて溜息をつきながら、岳沢登山口へと歩いていった。


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2014/9/7

上高地(12:00)-----岳沢登山口-----岳沢小屋(15:30)

青春18切符が一日分だけ残っていて、使用期限日が近づいてきたから、其れの使い道を考えていた。不帰キレットから八方尾根を下山したばかりなので、今度は上高地だろうか。そんな漠然とした気分に加え、かねてから考えていた、島々から徳本峠に登り、蝶ヶ岳に行くと云う案を実行してみようかなどと、思案していた。18切符は既に減価償却済みなので、松本迄利用するだけでも旅費の節約になる。切符の期限に束縛されながらの旅程なので、末梢的と云っては悪いけれども、いにしえの徳本峠ルートを歩くのには好都合な機会である。

最初は漠然とそう考えていたのだが、結局は上高地にバスで到着することになった。高尾駅を早朝に発車する、中央本線の各駅停車松本行きに乗れば、乗り換えることなく松本駅迄眠って移動することができる。松本駅からは、松本電鉄上高地線に乗り換えるのが定石で、終点の新島々駅にバスターミナルが在る。此処で愈々上高地行きのバスに乗り換えると云うのが通常の手順である。私は其のバスで、島々集落の徳本峠入口に降りようと考えた。


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しかし、私が乗る鈍行が松本駅に到着する時刻に接続するのは電車ではなく、松本バスターミナルから出発する上高地行きの直行バスであることが判明した。此のバスも結局は新島々バスターミナルに立ち寄る訳だが、大荷物の登山装備の身にとっては、乗り物はなるべく始発から乗るのが望ましい。其れで松本駅で下車して、バスに乗ることにしたのだが、そう決めてから、折角乗った上高地行きのバスを乗り捨てるのが惜しい、と云う気分になってきた。上高地に正午に到着すると云うのは、初めて訪れた時に利用した新宿始発の高速バスよりも少しだけ早い。交通費は半分以下で、上高地に早く着くと云うのが、なんとも儲け物のような気がしてきた。

完全に品性の問題なのだが、私は上高地迄バスに乗り続けることにした。旅程はどうなるのか。其れは何の問題も無い。私が登っていない山は、無尽蔵にあるのだ。では何処に行くのかと考えて、二年前に果たせなかった、岳沢から奥穂高岳を目指すと云うことに決める迄は、然程時間は掛からなかった。一度通った道、上高地から岳沢小屋迄は、眼を瞑ってでも行ける。気分としてはそんな風であった。

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岳沢登山口から、湿地帯の余韻が続く樹林帯を登っていく。泥濘の木段が続く登山道は、昨日迄の天候を彷彿とさせた。木漏れ日が気持ちの良い、緩やかな傾斜を、少しずつ登っていく。時間の余裕は随分在るのに、無意識に脚の運びが速くなっていたようだった。岳沢小屋方面への看板が現われる、岳沢の側に沿う尾根に乗った処で、ザックを下ろして休憩した。汗ばんだ背中に涼風が吹き抜けていく。もう直ぐ瓦礫場に出て、西穂高の断崖を見上げる圏谷に出るのだと思うと、何とも云えない喜びが、躰の奥底から湧き上がってくる。

下山の徒が増えてきて、風穴では大勢が屯していたので、其の儘通過した。程無く、前方に明るさが広がってくる。白い岩塊が陽光に照らされて眩しい、岳沢の左岸に出た。此の儘カールの中央を闊歩して登りたい様な気持ちになるが、其れを抑えて登山道を歩き続けた。西穂方面の断崖を間近に見上げて、私は嘆息した。何故、もっと早く再訪しなかったのだろう。初めて此の光景に接した時の感動を、記憶の糸を手繰り寄せるようにして思い出していた。振り返ると、上高地バスターミナルの赤い屋根が、模型のような感じで谷間に配置されている。岳沢登山道は、左岸の樹林が繁っている処を器用に蛇行しながら続いていた。木々で隠れてしまった圏谷の広がりが、切り返す道の端で時折眺めることができる。浮石注意の丸い看板に、西穂高展望所と、控えめな大きさの文字で刻まれていた。


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直截的に続く勾配になって、下山者の姿も疎らになった。眺望が消えて、陽射しの照り返しに苦痛を感じ始めて、巨大なザックの重さが、徐々に身に染みてくる。岳沢右岸へ渡る箇所が、中々現われないので、こんなに長かったかな、などと云う弱音が脳裡を過ぎる。無心で歩き続けて、漸くカールが広がった。西穂の向こう側から夥しい雲が湧きあがって、太陽を隠している。瓦礫場を横断する途中で、上高地を見下ろした。六百山の彼方に青空が広がって、乗鞍岳の前衛の山々が霞んで見える。

岳沢右岸に渡り、樹木の中に入ると、賑やかな話し声が聞こえてくる。岳沢小屋のテラスは、麦酒を飲みながら寛ぐ宿泊者たちで賑わっていた。小屋の中に入り、テントの受付を済ませる。岳沢小屋の従業員は特に愛想は無いが、精悍な顔付きで、熟練の登山家のような雰囲気を醸し出している。そんな彼に、テラスの壮年諸氏が、ジャンダルムってのは、どっちから行くのが楽なのか、などと訊いている。そんなことを訊いている段階で、其の人は絶対に足を踏み入れてはならないのがジャンダルムの様な気もするが、小屋従業員氏は其処迄一喝するわけにもいかず、困ったような表情で、どっちからと云うのはありますが、技術が必要ですよ、と歯切れの悪い返答をしていた。私は、プラティパスに水を一杯に満たしてから、幕営場に向かった。


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岳沢小屋の管理するテント場は、重太郎新道に向かう手前の沢沿いに設けられている。初めて訪れた時は興奮の余り、敷地に入ったばかりの処にテントを張ったが、今回は最奥の場所迄登っていった。明日は未明から出発するので、直ぐに重太郎新道へ進入できる処に寝床を作ったのである。平日故にテントの数は疎らだった。慎ましい夕餉を拵えて食しているうちに、山峡は徐々に薄暗くなっていった。夕陽に照らされた雲を背景に、乗鞍岳の山稜が明瞭なシルエットになって浮かんでいる。遠い空は未だ青いのだが、岳沢の谷は、ひと足早く、釣瓶を落とすように薄暮が、訪れようとしていた。

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