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白馬鑓温泉小屋から天狗山荘

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ヘッドランプの灯火を頼りに、温泉小屋の軒先に入ったら、早出の人々が炊事をしたり洗顔していたりと、未明から賑やかだったので意外だった。私は目覚めてから直ぐに活動するのが苦手で、テントを撤収して荷物を纏めても、緩慢な動作なので、何時でも出発できそうな佇まいであるkz氏の視線が痛い。俺は計測があるのでゆっくりだから、と云って、痺れを切らしたkz氏は先に出発して行った。私はお茶を飲んで、二本目の煙草に火を点けた。そうしているうちに空が薄っすらと明るくなってきた。私は、呼吸を整えてから、巨大なザックを背負った。小屋の裏手に続く登山道は、唐突に山肌を急登する細い道が続いていた。

Onsentengu1

2014/8/24

白馬鑓温泉小屋(4:50)-----大出原-----天狗尾根-----天狗山荘-----天狗ノ頭方面に向かうが途中降雨の為撤退-----天狗山荘(10:30)

烏帽子岩の端整なシルエットを眺めながら、ジグザグの傾斜をこなしていく。時折振り返って、黎明の山峡に映える鑓温泉小屋の灯りを眺める。程無くkz氏に追いついて、ゆっくりとした足取りで登り続けているうちに、周囲が徐々に明るくなっていった。途中で重ね着をしていた衣類を脱ぐ為に休憩していると、東の空に掛かっていた雲の合間から、太陽が姿を現わした。御来光だ、とkz氏が叫ぶ。戸隠や妙高の姿が鮮明に浮かび上がった。此の時点で今日の好天を確信した私は、いよいよ今日、不帰キレットに突入するのだなと改めて認識した。そう考え始めると、体が萎縮していくような気がした。

勾配の激しい登山道は、所々に木段が設えてあり、整備されている印象だった。やがて、水流の激しい沢が滝状になっている箇所を何度も渡渉しながら高度を上げていくと、鎖が張ってある岩崖の隙間のような進路が現われた。昨年発生した滑落事故で死亡者がでているので慎重に、と云う看板がある。昨日とは打って変わり、険しい岩場の道が続いた。漸く北アルプスにやってきたのだ、と云う思いが身体に浸透してくる。鎖には其れ程頼らずに岩を攀じ登っていくと、一気に高度を稼いで、穏やかに広がった平地に立った。

天狗尾根の稜線に続いているであろう山肌は、赤茶色になって彼方迄聳えていて、見上げると濃い霧に包まれている。振り返って、もう直ぐ見納めになるであろう麓の風景と、対岸の山々を眺めた。稜線は恐らく、霧の中だろう。好天の確信が脆くも崩れていく。其れでも、不帰の崖っ淵では、霧が掛かって居る方が高度感を感じないので、其れは其れでいいではないか、そんなことを考えていた。心の底では既に、不帰キレットへの不安が渦巻いていた。


Onsentengu2

高山植物が這松に縁取られたガーデンに咲き乱れている、緩やかな砂礫の傾斜を登って行った。大出原(おいでっぱら)の標板を過ぎて、傾斜が徐々に急になり、ジグザグの踏跡が続く。切り返して登る程に、霧は濃くなっていった。kz氏は先に進んでいて、追いつくことは出来そうに無かった。そうしているうちに、鑓温泉小屋を出発したグループの声が聞こえてきた。私は登山道から逸れて座り込んで、後続の人々が通過するのを見送った。疲弊している訳では無かった。此れからの行程を想像して、今のうちに疲労しないようにしなければ、そんなことを考えていた。

周囲は白馬鑓の山肌らしく、石灰岩の白さが顕著になった砂礫の道になり、霧の彼方から人の声が聞こえてくる。人影と、標柱の杭がぼんやりと窺える。稜線上の分岐点に辿り着いた。kz氏を含めて、大勢が休憩している。時刻は午前八時になろうとしていたから、鑓温泉から三時間を掛けて歩いて来たことになる。此れは標準的コースタイムと同じであるから、安堵した。私を待っていて呉れたkz氏は、身体が冷えてきて辛いと云うので、先に行って貰った。先程休憩を取ったばかりなので、私も直ぐに出発しようとしたら、単独行の男性に、不帰ですか、と話し掛けられた。

分岐点で休憩していた登山者の殆どは、鑓温泉に下山するか、白馬鑓方面に向かう人々ばかりだった。男性は、数少ない、天狗平に向かう私に話し掛けて来たのだった。天候は大丈夫だろうか、そんな私が抱き続けている不安を、彼が云った。なんとか大丈夫だろう、とか、止めて置いた方が無難だ、などと、確信的なことを云えればよいのだが、私は初心者で、実はもの凄く不安でいる最中なのですと答えた。私は遠ざかっていくkz氏を指して、彼の決断に従うことにしていると云った。


Onsentengu4

単独氏は、あの人と一緒ですか、と云って愕然とした表情になった。姿が隠れる程巨大なザックを背負い、片手にストック、もう片方の手でロードメジャーを転がすkz氏の姿は、やはり奇異としか云い様が無く、分岐点で休憩している人たちも、不思議なものを見るような感じで眺めていた。とにかくお互いに無理のない様にと単独氏に云って、歩き出した。私の不安は、いよいよ増大していった。

稜線上は一面の霧で、ピークである標高2774m地点も曖昧な儘で通過した。早朝に眺めた御来光が、遥かな昔のことのように思える。強い風に流される霧の合間に、信州側の峻険な崖が窺える。黒部側の方は、視界が開ける程に、なだらかな尾根が広がっていくのが見渡せた。徐々に勾配となり、こんもりと盛り上がったピークへと近づいていく。登山道には其の境界を示すロープが張ってあった。2800m圏峰への踏跡が在る処にもロープが掛けられていて、立ち入れないようになっている。其処に、天狗山荘を示す道標が立っていた。霧の彼方に、カール状の山肌を覆う雪渓の白と、建造物の黒が浮かび上がった。


Onsentengu5

天狗山荘に到着して、軒先のテーブルで休憩し、食事を摂った。kz氏はカレー饂飩、私は天麩羅蕎麦。昨日から同じものを食べ続けている。空腹を満たして茫然としていたら、目の前に広がる雪渓の色が明るくなった。雲間から、陽が差し込んで来たのだった。其れで、ふたりとも騒然とした感じになった。不帰キレットへの出発を前にして、天候が快復してきている。前夜、白馬鑓温泉小屋に幕営したのは間違いでは無かった。そんな、自分たちに都合の良い結果論を述べ合いながら、我々は後片付けを急いだ。出発前に、雪渓が溶けた水がこんこんと流れる水場に立ち寄り、水筒を満たした。水の冷たさが、此れからの行程への緊張感とともに、身体に染み渡っていくような、そんな気分だった。

登り始めて間もなく、先程の2800m圏峰から連なるリッジが合流して、広々とした稜線上を歩くようになった。雪渓と池に挟まれて配置された天狗山荘が、小さくなっていく。陽射しは直ぐに隠れてしまったが、曇天の下でも、眺望は利くようになった。我々は、実直に歩を進めていた。しかし、緩やかな起伏の向こうに、天狗ノ頭らしき突起を確認出来るようになった頃、ふたたび霧が濃くなってきた。程無く雨粒が頬を打ってくるようになり、私は合羽を着る為に立ち止まった。kz氏は山荘で既に合羽を着ていたから、私の為に暫しの停滞を余儀無くさせてしまうことになった。


Onsentengu6

其れは余りにも唐突だった。ぽつりぽつりと降り始めた雨の勢いが、急に激しくなった。レインパンツを穿くのは、只でさえ厄介な行為である。私は無情に降りしきる雨の下で動転し、なかなか其れを穿くことができないでいた。漸く着用することが出来て、立ち上がった。既に、雨は土砂降りになっていた。茫然と立ち尽くした儘、我々は霧の彼方を見つめた。

小雨が降り始めた時は、天狗ノ頭迄行ってから、雨が続くのかどうか様子を見てみようと云っていたkz氏が、此処で即座に撤退を宣言した。天候の暗転が、もっと遅れていたとしたら、不帰キレットに差し掛かるような時であったら、どうなっていただろう。そう思うと、急展開に動揺しながらも、私は内心で胸を撫で下ろしていた。天狗山荘に引き返す道程は、軽微な距離だった。無言で歩き続ける我々に、激しい雨が、容赦無く降り続いていた。

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