« 初めての富士山・御殿場ルートの往復 | トップページ | 猿倉荘から白馬鑓温泉(後篇) »

猿倉荘から白馬鑓温泉(前篇)

Photo


窮屈な姿勢で、其れでも意識は遠のいていたようだった。妙な静寂に身体が反応して、目が覚めた。窓外を見ると、煌々とした灯りに包まれた駅に停車していた。構内の彼方に配置された松本電鉄のホームに、登山客が向かっている。其れで、松本駅に着いたのだと認識した。満席だった夜行列車「ムーンライト信州」の車内に、弛緩した空気が漂っている。天気は大丈夫のようだね。隣席に座っているkz氏が、バナナを食べながら云った。列車は未明の松本駅を、静かに発車した。暗い安曇野を駆け抜けて、豊科に近づく頃、夜明けが訪れたようだった。穂高駅でハイカーがどっと降りる。信濃大町を過ぎて、木崎湖に差し掛かると、山々に霞がかかった、鉛色の風景が広がった。好天が望めないことは重々承知の上で、白馬に向かっている。私は、初めて単独行ではない北アルプス登山を目前にして、妙な安堵感に包まれているような心境だった。ムーンライト信州は、急ぐ理由が無い、と云わんばかりの徐行で走り続け、やがて白馬駅に到着した。登山客を吐き出した列車は、重い荷を降ろした馬のように、脱力した感じで静まり返っていた。

2014/8/23

猿倉荘(6:50)-----小日向のコル-----三白平-----杓子沢-----白馬鑓温泉小屋(15:10)

一身上の都合で、長大な休暇が出来たと云うkz氏の言葉を聞いたから、私は早速北アルプス縦走の誘いを持ち掛けた。節約旅行の算段をして、昨年に引き続き、年齢にそぐわない名称の、青春18きっぷを購入し、「ムーンライト信州」の指定券を随分前から確保した。バスだろうが電車であろうが、夜行で移動することには気が進まない性分だったが、ふたりであればストレスを感じないだろうと思い、決行することにした。

其れで、大糸線沿線に未明に到着できることになって、何処に行こうかと云う検討に入る。本末転倒のようでもあるが、飛騨山脈の連嶺は泰然として聳えている。何処から攀じ登ろうかと考える人間の思惟など、瑣末に存しているに過ぎない。だから順序はどうでもいい。白馬駅に向かうなら後立山連峰である。私は、折角kz氏と一緒なので、難所と呼ばれる不帰キレットを通過してみたいと要望を云った。kz氏は、過去に唐松岳から北上して不帰噞を越えたことがあるので、逆コースならば行ってみたいと云った。無論私に異存は無い。

予定として決定した行程を纏めてみる。初日は白馬駅からバスで猿倉荘へ移動し、白馬岳の大雪渓は断念し、白馬鑓温泉経由で稜線に出て、天狗平にテントを設営して宿泊する。翌未明に出発して不帰キレットを通過後、唐松岳から五竜山荘へと向かい、二日目は此処で幕営する。翌未明より五竜岳を越え、八峰キレットを通過して鹿島槍ヶ岳に登る。三日目は冷池山荘にテント泊である。そして最終日は爺ヶ岳、種池山荘を経由して、扇沢に下山する、と云う壮大な計画になった。日本三大キレットの二箇所を連続して踏破すると云う、単独行であれば思いもつかない激しい計画である。私は、kz氏が事も無げに云う行程に、嬉々として従うことにした。ベテランの経験者と山に行くと云うことに、僥倖を感じずにはいられなかった。


Sarukura2

出発の数日前から、天気予報を見て一喜一憂してきたが、都合の良い晴天は望めそうもなかった。尤も、此処最近は全国的に荒天が続いている。広島県で起きた土砂災害で、大勢の人々が亡くなってしまったのを筆頭に、全国各地で大雨洪水の予断を許さないような状況になっている。峻険なキレット越えに大雨では、余りにも危険すぎる。思わず躊躇してしまいそうになるが、kz氏の長期休暇が残り残り少なくなってきたこと、ムーンライト信州の指定券を破棄することに未練が残ることなど、気懸かりな要因も複合的に重なってくる。だから、逡巡は在ったのだが、いいから出かけてしまえ、と、そんな調子で、出発したのであった。

そう云う訳で、早朝の白馬駅に降り立った。もしも此処で、大雨に見舞われてしまったら、栂池に向かう案も用意していたのだが、幸いにも雨は落ちていない。程無くやってきた猿倉行きのバスに乗り込んだ。久しぶりのテント山行で三泊四日の行程と云うのも初めての経験である。大きく膨らんだクレッタルムーセンHuginは相変わらずの風情だが、背負ってみると、今迄に無い重厚な手応えを感じた。とにかく重い。

しかし、今回の相方はスケールが違った。kz氏のザックは100リットルの巨大なもので、トレードマークのザックカバーに覆われている。そして更に、カメラの三脚ケースかと見紛う大きなものが括りつけられている。登山詳細図の踏査で使用する、ロードメジャーである。kz氏は、企図されている訳でもない北アルプス詳細図の為に、独自で測距調査をする積もりのようである。高山縦走では、荷物を少しでも軽量化しようと苦心するのが常套の思惟のような気がするが、勿論余計なことは云わない。全てが規格外のkz氏と、大荷物とともにバスに乗り込み、最後部の座席を陣取った。続々と乗り込んできたハイカーの乗客たちで丁度良く座席は埋まったが、誰も最後部には近寄ってこない。

白馬八方で多少の客を降ろしたバスが、暫く県道を北上して、車窓は徐々に山深くなっていく。濠音とともに濁流が流れ落ちているのが見えた。南股入が合流する二股である。此の沢を溯ると、やがては目的の不帰噞に行き着くのであるが、其れは余りにも想像し難いことであった。車道の勾配が激しくなり、バスは大きなカーブを繰り返して、靄の掛かった傾斜を登って行った。不穏な天候に、車内の登山者たちも口数が少ない。終点の猿倉に着いたら、坂の上に山荘が見えた。微妙な天候だが、さすがに週末なので、大勢のハイカーたちが屯していた。


Sarukura1

猿倉荘は赤い屋根の小さなロッジで、建物自体は質素だが、上品な印象を与えるような外観だった。名にし負う白馬岳の登山口らしく、軒先には登山届を記入するテーブルが設えてあり、装備不足者の為にアイゼンも販売している。老若男女の夥しいハイカーたちが、昂揚した感じで次々に出発していく。皆が大雪渓を目指すが、我々は其れに背を向けて鑓温泉に向かう。山荘から少し山道を登ったら車道に合流し、やがて分岐点に着いた。鑓温泉方面に行く者など皆無だろうと思っていたが、数人の若者が其処に入っていったので、意外な気がした。

鑓温泉に向かう登山道は、実直に尾根の上を進んでいた。杓子岳から延びる杓子尾根から派生した双子尾根の、更に派生した尾根が猿倉迄達している。其処を滔々と歩き続ける。未明迄に降ったであろう大雨の影響か、登山道は尾根上であるにも係わらず、溢れんばかりの水が流れていた。緩やかに登る途上で、池塘が在る処に到達した。巨大な葉を広げた植物が群生している。此れは何でしょうとkz氏に訊くと、花の終わった水芭蕉だよ、と教えて呉れる。感心して傍らを見ると、水芭蕉平と記された看板が在った。

斯様に瑞々しく自然豊かな尾根道だが、登る程に足元は泥濘と水溜りの様相が激化してきた。沢沿いの道を歩いているかのような錯覚を覚える程、道は水流の度合いが増してきた。鑓温泉に向かう此のルートは、単純に尾根を登り詰めていくのではなく、途中で尾根を外れて北面をトラバースして、隣の双子尾根に移っていくと云う道筋である。道半ばではない。未だ道程は始まったばかりで、早く此の尾根から左に逸れて行かねばならない。


Sarukura3

しかし、冗長な泥濘の尾根道は、なかなか終わらなかった。其れで黙々と歩いていて、言葉も少なくなり、落ち着ける場所でも無いのに、頻繁に立ち止まって休憩した。展開の無い尾根登りに対する倦怠感が、背負ったザックの重さに抗う気力を奪っていく。我々は、云いようの無い疲労感に包まれていた。道が直角に曲がる箇所に到達すると、此処でトラバースじゃないかと、kz氏が気色ばむ語調で云う。其れが単にジグザグの蛇行した登山道であることに気付くと、なあんだ、と嘆息する。読図能力が、疲労で著しく精度が低下しているようであるが、kz氏は其れでもポイントとなるべき箇所では立ち止まり、メモを記している。過重なザックを背負って、ストックとロードメジャーで両手が塞がっているから、随分疲れるだろうと思うが、勿論余計なことは云えない。

気が遠くなりそうなくらい歩いたような気がして、漸く尾根から大幅に逸れる道筋になった。勾配は急になるが、足元の泥濘から開放されて、息を吹き返したような気持ちで、脚を繰り出していく。やがて空の広がりを感じるようになり、唐突に歩いて来た尾根を対岸に見るような感じで、眺望が開けた。

霧の樹林帯を歩き続けたから、既に好天の希望を放棄していたが、遠くに麓の風景が窺えて、周囲を取り巻いていた霧が、風に流されていくようにして消えていった。歩いて来た尾根の向こうを覆っていた雲が霧消して、唐突に峻険な山容が姿を現わした。雪渓が斑状になっている怜悧な高山である。あれが白馬岳ですかと、少し昂揚した感じで訊ねるが、kz氏は地図を広げて思案して、黙考していた。

Sarukura4

トラバースは、砂礫の混じった細い道を辿る。谷の切れ込んだ処で、年配のグループが休憩しているのを追い越した。徐々に高度を稼いでいくと、ふたたび眺望が開けて、先程眺めた高山が、明瞭に見渡せるようになった。見えていなかった稜線の彼方に、立派な山容が聳えている。あれが白馬岳だ、kz氏が叫ぶ。そして、連なっている正面に見える山は、小蓮華岳ではないかと云った。険しい山肌を抉るようにして、立派な沢が見える。金山沢と小蓮華尾根のコントラストであった。

漸く北アルプスに来たのだと云う感慨の湧く光景に出会い、暫くその場から動けなかった。眺望で報われた気分は、未だにトラバース道を歩いていると云う焦りが入り混じっているから、諸手を挙げて喜ぶ迄には至らない。疲労と開放感で、何とも云えない気分の儘、休憩を続けた。青空がふたたび、雲に覆われようとしていた。

« 初めての富士山・御殿場ルートの往復 | トップページ | 猿倉荘から白馬鑓温泉(後篇) »

北アルプス」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1243257/57270782

この記事へのトラックバック一覧です: 猿倉荘から白馬鑓温泉(前篇):

« 初めての富士山・御殿場ルートの往復 | トップページ | 猿倉荘から白馬鑓温泉(後篇) »

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

today

  • one day

twitter

  • naname's twitter
無料ブログはココログ

最近のトラックバック