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滞留の天狗山荘

標高2730m、白馬村営天狗山荘は、黒っぽい外壁の無骨な雰囲気だが、宿泊者以外も無料で使用できる自炊室兼外来者用食堂が在り、開放的な雰囲気であった。土砂降りの憂き目に遭い、ほうほうの態で山荘に舞い戻ってきた我々は、誰も居ない自炊室に駆け込んだ。悄然とした儘、私はテーブル席に座って窓外を眺める。雨は本格的に降り続いていた。唐松岳へ向かう登山者は、午前十一時迄に出発せよと記してある立て札が、山荘の前に在る。時刻は午前十時を回っていたから、不帰キレットを経て唐松岳に向かうのは、もう直ぐ不可能になってしまう。当初の予定では、初日の夜に天狗山荘で幕営することになっていた。そして、二日目が悪天候の場合の行動も想定済みであった。テント装備の大荷物で不帰キレット、不帰嶮を雨の中通過すると云うのは無謀である。kz氏は出発前からそう力説していた。其の場合は天狗山荘に滞留して、天候の快復を待つ。連泊も辞さない。そう云う計画になっていた。

2014/8/24

白馬鑓温泉小屋(4:50)-----大出原-----天狗尾根-----天狗山荘-----天狗ノ頭方面に向かうが途中降雨の為撤退-----天狗山荘(10:30)

大粒の雨が自炊室の窓硝子を叩いている。kz氏は壁に張ってある天候予報を眺めたり、山荘の従業員となにやら話している。明日の午前迄、雨の予報であることを聞いたkz氏が改まった様子で、今日は此処迄、幕営しようと云った。私に異存の在る筈が無かった。雨が止む迄、テントを張ることも出来ないから、本格的に此の自炊室で寛ぐことになったと云う訳である。

ずぶ濡れの登山者たちが、徐々に自炊室へ駆け込んでくるようになった。全身から湯気を出して、消耗し切った様子で座り込んでいる。稜線の途上で大雨に遭い、我々とは違って随分距離を歩いて来たのだろうと察せられた。人が増えているのにも係わらず、自炊室内は、沈鬱な雰囲気が漂うばかりであった。其処にまたひとり、男性が引き戸を開けて入ってきた。精悍な体躯の男性だったが、合羽の頭巾を脱いだら白髯の老人だったのが意外だった。白髯氏は我々と目が合うと、少し昂揚した感じで、儂はツイてるんや、と関西弁で叫んだ。

不帰キレットを越え、天狗ノ大下りを登り終えた時に大雨になった。難所を過ぎてから天候が悪化したので自分は運が良い、と云うことを白髯氏は云っていて、其れ迄の行程でも、同様のことが続いているのだと豪語した。其の口調には嫌味を感じなかった。kz氏が、何処から来たんですかと訊ねると、儂の予定は此れやと叫んで、A4の紙をテーブルに叩きつけるように置いた。其れは、北アルプス全域を線で結んだ概念図だった。記された線が白髯氏の歩行ルートである。kz氏と私は紙片を啞然としながら眺めた。

ルートは焼岳を起点に、奥穂から槍、鷲羽岳、針ノ木岳を経て鹿島槍、そして後立山連峰を北上していた。天狗山荘からは、白馬岳から朝日岳へと更に北上し、蓮華温泉を経由して白馬岳に戻り、祖母谷温泉に下ってから剱岳に登り返して、立山、薬師岳、そして槍ヶ岳に戻ってくると云うもので、登山道を殆ど重複せず、一筆書き状に北アルプスの連嶺を歩くと云う計画書だった。何時の間にか自炊室に居る他の登山者たちも、白髯氏の弁舌に聞き入っていたようだった。延べ六十七日間を掛けて、山小屋を渡り歩いていると云う白髯氏は、注文したスタミナ丼をアッと云う間に平らげた。其のタイミングで、小屋を打つ雨音が無くなった。雨は上がりつつあるようであった。白髯氏は、ほうら、儂が食べ終わったら雨が止みよった、と無邪気に叫んだ。

今日は温泉や、と云って軽快に出発していった白髯氏を見送ると、自炊室はふたたび気怠い雰囲気に戻った。雨も上がったので、テント場に下りていった。広々とした天狗山荘の幕営地には、我々の他にひとつだけ、テントが張ってあった。悪天に観念した登山者は、その後も疎らに増えていった。テントで待機すると云う人は殆ど居ない。鑓温泉に戻っていく人がやはり多いようだった。

午前中からテントを設営して、其の儘何もすることが無いと云うのも、初めての経験だった。雨は止んだが、天狗平は深い霧に覆われていた。気温も低く、我々はテントの中に潜り込んで、静まり返っている儘であった。昨夜も随分睡眠を摂ったような気もするが、不思議なことに、シュラフに潜ったら、いとも容易く眠ってしまった。何度目かの覚醒で気がつくと、外は闇に包まれていた。時計を確認すると夜の七時だった。余りにも退屈なので、kz氏を誘って、ふたたび自炊室に向かった。

節約旅行は一時返上して、山荘の牛丼を注文して食べた。冷え切った自炊室だったが、私は無性に飲みたくなったので缶麦酒を買った。冷え切った麦酒は、私の身体を瞬く間に弛緩させていった。其れで、ふたたびすることが無いので、テント場に戻った。靄に入り混じった、眩い麓の夜景が見渡せた。明日は出発できるだろうか。山の天候に抗う術を持たない私は、夜空を見上げて、取留めの無い思惟に耽ることしか出来ない。

天狗平の彼方に、ぽつんと灯りのようなものが光った。白馬鑓の尾根で、誰かがビバークでもしているのだろうか。灯りは、明滅して、やがて消え入った。霧がふたたび現われたのかもしれない。私は、諦念にも似た無常観に浸りながら、自分のテントに、ふたたび潜りこんだ。夜が、本格的に始まったばかりだった。

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コメント

仕事がなかなかうまく行かず情緒不安定で、なかなか遊びに来れませんでした~。すまんです。

もう、遠い昔のできごとのような気がしますけど、読んでいると、鮮明によみがえって来ますね~。

あのガイド氏には、不快な感情を持っていたとは知りませんでしたよ。
僕は、奇異な目であのグループを見ていました。
ちょっと特殊するぎるよなあ。

ちょっと関わりたくないなあと思いました。

岩場を移動して、場所を譲ってあげたにも関わらず、何もアクション無し~?
いい年した男が礼儀も知らないなんて、関わりたくね~!って思いましたよ。
でも、花の名前とかは勉強になりましたけどね。
人格と知識は別物ってことでしょう。

シロウマアサツキを教えてもらったから、チャラだな~。
なんて。

計画通りに、山歩きできないのが、僕の山行の常なんですけど、今回も、ガッタガタの計画になってしまいましたね。

不帰だけはなんとしても行くというしっかりした目標があったから、逆に良かったのかもしれません。

あの時、強行していたら、白髪さんにも会えなかったし、撤退して良かったなあとプラスで考えました。

お昼に雨が止んだ時は、滅茶苦茶悔しくて、単独だったら不帰へ向けて強行していたかもしれません。

テント張ってすぐに寝たということは、かなり疲弊していたのでしょう。
あそこに山小屋があって良かったですよ。

不思議な灯りを見たし、異様に寒かったことが気になって、白馬岳に関する書籍を30冊以上取り寄せてしまいました。
もう何かにとりつかれていますね。

調べたら、三次郎沢は過去に雪崩で、何人も亡くなっていることがわかり、背筋が凍りましたよ。

行く前に知っていたら、場所変更にしていたかもしれません。

白馬鑓温泉には、山姥がいて、悪さをすると、酷い目に遭うという昔話も見つけさらに恐ろしくなりました。

僕らが無事生還できたってことは、山姥が見逃してくれたのでしょう。

そういう、色んな不思議体験も含めて、怖かったけど、面白かったです。

お金があれば、また白馬岳に行きたかったけど、借金が50万円にいきそうな勢いなので、自粛しないと~です。
白馬関連の書籍代で4万は遣ったかも…?
すっかり白馬マニアです。

アホですね。(笑)

でもこれだけ夢中になれたのも、誘ってくれた七目さんのおかげなので、と~っても感謝しておりま~す。
不帰嶮詳細図、いつか世に出る日が来るのでしょうか~?(笑)
七目さんの概念図、良作ですね!

かずさん。
大変忙しいの、ブログで知ってますよ。拙ブログ読んで戴いて恐縮です。

あのガイド氏に関してですが、全く私の主観ですので、会話をしたわけでもないので、人格がどうかは判りませんね。ま、挨拶したら返してほしいですね。

あのツアーの女性たちはフツーの素人(ってどうゆう表現だ!)の感じで、奇異には感じませんでした。

天候で滞留は覚悟してましたが、猿倉から鑓温泉は遠かったですね。でも稀有な温泉を体験できてよかったと思ってます。計画通りにいかないのも、それはまた筋書きの無いドラマが始まる感じで、私は面白いと思ってます。

>お昼に雨が止んだ時は、滅茶苦茶悔しくて、単独だったら不帰へ向けて強行していたかもしれません。

すっかり終わったものだと思って寝入ってしまいました。ま、結果良かったのではないでしょうか。

三次郎沢、通過した時はなにも感じる余裕が無かったですが、いろんな逸話があるんですね。私は勉強不足で、主観的な描写ばかりなので、山行後の復習をしなければなと思いました。しかしあの灯りは不思議だったな~。だんだん怖くなってきました(笑)。

不帰詳細図、いつか陽の目を見たら、ほんとに感動ものですね。次は八峰キレット詳細図かな(笑)。

概念図褒めていただいて嬉しいです。継続する気になりました。ありがとうございます。

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