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初めての富士山・御殿場ルートの往復

Mount_fuji


いよいよ富士山に登るのだぞ。と、意気込んでみるが、心の何処かから、まあ、そんなに興奮しなくても、と云うような声も聞こえてくる。御来光の為に夜通し歩く登山者で渋滞する富士山。ヘッドランプが数珠繋ぎの富士山。夥しい群集が押し寄せて登る富士山。何をいまさら、と云うような、冷ややかな思いが浮かんでくる。しかし、私は行列が厭なのであって、富士山が嫌いな訳ではない。最高峰の富士山に、一度も登らないと云う方が、不自然なことだとさえ思っている。評判のラーメン屋に行列しなくてもよいのは、他にも店が在るからである。しかし、富士山はひとつしかない。だから、登るのならば、なるべく人の少ないコースを選びたいと云う想念は、ごく普通に浮かんでくる。大多数の人々が忌避するコースは、標高差2300mを約八時間の所要時間で登る、御殿場ルートである。


Goteba_trail1

2014/8/16

御殿場口新五合目(6:00)-----七合目-----砂走館-----赤岩八合館-----富士山・浅間大社銀明水(14:30)-----七合目-----大砂走り-----大石茶屋-----御殿場口新五合目(19:30)

尤も、八月に富士登山を敢行するために、御殿場ルートを選択せざるを得ない理由が在る。世界文化遺産登録に拍車が掛かって、以前はシーズン中でも限定的に自家用車で到達できた、御殿場口以外の各五合目の駐車場が、現在は殆どが規制されるようになった。一昨年、レンタカーで富士宮口五合目に行ったのは七月下旬だったが、其れも今では不可能である。年間、と云っても、殆ど二ヶ月の間に三十万人以上が訪れる富士山の、塵や屎尿問題を解決する為には、入山者を逓減させていくしかない。マイカー規制の強化は、至極尤もな措置である。

御誂え向きのタイミングで、友人の纏井君からお誘いが来た。私を山歩きに傾倒させるきっかけを作って呉れた彼とは、最近殆ど山行を共にしていない。免許を取得して自家用車を購入した纏井は、今や日帰り登山に行くのも億劫さを隠さない程に堕落していて、それよりも、車で温泉に行こうなどと云う駄言を繰り返すから、暫く放っておいた。そうしていたら、私が山に行くことにしか興味を示さないので、渋々と云った態で、登山の為に車で出掛けようと云う提案が来たのである。

車が在るからと云って、無尽蔵に遠出の計画を立てるのも意地汚いし、不明である纏井の運転技術も気になる。此れは、兼ねてより考えていた、御殿場ルートからの富士山と云う案に、御誂え向きの事態が到来したのではと考えた。早朝、未明に御殿場口新五合目に居る為には、車が必須なのであり、自家用車で富士山の五合目に向かうとすれば、御殿場口に行くしかないのである。マイカー規制に賛同して、富士山の環境保全を憂慮する私であるが、深謀遠慮の素振りを見せることなく、纏井君御自慢の外車を、御殿場に誘導していったと云う訳である。

御殿場口新五合目第二駐車場は、雨が降り続いていた。深夜二時半に到着して、仕方が無いので未明迄仮眠を取ることにする。こんな悪天だが、駐車場は殆ど満杯で、我々の後にも、数台の車がやってくる。過酷なルート故に不人気な筈の御殿場口、そのようなイメージが揺らいでくる。それはそうとして、酷い雨である。車の天井を打つ激しい雨音に、半ば諦めたような気になって、我々は眠りに落ちた。


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窮屈な恰好で眠っていた所為か、妙な夢にうなされてから、目が覚めた。雨はすっかり止んでいて、周囲では車から出てきた人々の嬌声が聞こえる。外に出たら雲間に、明るさが満ちてきている。振り返ると、富士山の山腹に、厚い雲が覆っていたが、徐々に流れて、山容の片鱗が現われてきた。裾野の方角から朝陽が照らされて、御殿場口新五合目は、結局晴天になったから、予定通りに、初めての富士登山を敢行することになった。

車道を登り、登山口である鳥居の下から出発した。整備された道を歩き、程無く大石茶屋に出る。小屋の裏手に出たら、茫漠とした風景が広がった。富士の全貌は雲に隠れて見えないが、砂地が延々と広がっていて、登山道が明確に続いている。左手に側火山の二ツ塚が、人工的な迄に端整なドーム型で並んでいるのが見える。其れが何時迄も同じ処に鎮座しているから、歩き続けているのに、果たして進んでいるのかと云う錯覚に陥りそうになる。

併行するブルドーザー道を、下山してくるハイカーが歩いている。其の道と交錯する地点を少し過ぎたら新五合五勺である。徐々に勾配が急になってきて、登山道がジグザグに切られるようになってきた。登山者は想像以上に多かった。勿論行列では無いが、親子連れや、中学生を引率しているグループなど、賑やかに登っている。砂の傾斜を登る苦しさは想定通りで、私は極端に歩幅を狭めて、ゆっくりと登った。

旧四合目に至る迄の勾配で、他の登山者たちが、我々を次々に追い抜いていく。先は長く、抜かれた処で何の興味も無い。しかし、我々が遅いのは明確な理由があった。我が友人纏井君が、頻繁に休憩を要求するからである。同行者が疲弊しているのを無視して歩き続ける訳にはいかない。歩幅を狭くとってゆっくり歩けば疲労が軽減するのでは、と助言をしてみるが、生返事ばかりでちっとも改善しようとしないから、以後同じことは云わないことにした。

あらゆる方角から、形の変わった雲が山腹を覆い、そして流れ去っていった。陽射しを遮るものが無い砂漠の斜面だが、いろんな雲が日除けになって呉れる。だから思った程、灼熱地獄に苛まれると云う感じではない。しかし、御殿場ルートの標柱や、ブルドーザー道と交差する箇所などが現われると、相方が直ぐに休憩だと云って座り込むから、登山のペースは徐々に気だるい雰囲気になってくるのだった。


Goteba_trail12

蟻が砂山を蛇行しながら歩いているような、終わりの見えない登りが続いたが、漸く彼方に建造物が窺えた。廃屋となった六合目山小屋のようだった。通常ならば、目標が現われたら、其処を目指して歩き続けたくなりそうに思うが、ジグザグの切り返しの途上で、頻繁に纏井が休もうと云うから、仕方なく付き合う。腰を下ろして、遠くに見える御殿場口の駐車場を眺めていたら、背後から絶叫が聞こえた。そして、何かが舞い上がって飛んでいった。其れは、相方の帽子と、折り畳み式座布団だった。友人は其れ等が飛んでいった方へと斜面を下り、回収を試みようとしていたが、其れを目的にするならば、もう一度五合五勺辺りから登山をやり直さなければならないと云うことに気付いたようだった。

強風吹き曝しの斜面で、御丁寧に座布団を敷くとは、と内心呆れたが、未練がましく下方を見ながら、諦めて引き返してくる友人の姿は、如何にも哀れだった。富士山の環境保全が、また後退してしまったね、などと云う冗談は、とてもではないが云えそうにない。富士登山で、折り畳み式座布団は無用の長物である。そう云う教訓を脳裡に刻み込んで置くに留めた。

気がつくと、二ツ塚は小さな突起物のようになって後方の彼方に見えていて、其の上に、見覚えのある灰色で滑らかな曲線の山容が聳えている。宝永山である。ほぼ同じレベルの高さで其れを眺めているから、漸く富士宮口のスタート地点と同じような標高迄登ってきたと云うことになる。御殿場ルートの六合目には、多数の登山者が休憩していた。既に景色は雲の上の世界で、下方から湧き立つ雲の白と、鮮やかなスカイブルーだけが周囲を覆っている。強風を避ける為、小屋の陰に大勢の人々が屯していた。


Goteba_trail13

砂礫の道に、岩塊が顕著になってきた。スコリアと呼ばれる灰黒色の溶岩礫に覆われた登山道の周辺に、フジアザミの花が、這うようにして咲いている。実直に、西北西に、富士山頂を目指して歩いている筈だが、砂礫と青空と湧き立つ雲しか見えない光景が続いている所為か、何処を歩いているのか、だんだん判らなくなってきた。下に見るようになった宝永火口の巨大な壁が、徐々に近づいているから、私は脳裡に、飛行機の窓から俯瞰して眺めた富士山の形状を思い浮かべる。確かに、山頂に向かって登っているのだと、自分に言い聞かせながら歩いている。

標高3000mの表示板が現われて、漸く七合目の小屋が窺えるようになった。最初に現われた日の出館は、崖崩れの影響で営業休止中とのことなので、少しだけ休憩して、先に歩を進める。見上げると、直ぐに次の小屋が建っているのが見える。七合四勺のわらじ館である。其処に到達して、御不浄に行きたいと云う相方が小屋の中に入っていき、一旦戻ってきて厠に向かわないので、どうしたのだと訊いてみる。使用料三百円だと云われた、と云って其の儘だから、私の怪訝が神経を刺激する。それで、トイレには行かないのか。そう問うと、お金を払うならもっと綺麗なトイレに行く、と云って、友人は其れっきり黙っている。

更に追求するのも疲れるので、直ぐに歩き出して、程無く七合五勺、砂走館に到着した。無言で厠の中に消えた相方が戻ってきたから、トイレは綺麗だったのかと訊くが、何も答えない。恐らく使用料を支払わないで拝借してきたと見える。高価な外車を買うような輩が、トイレ使用料の三百円を惜しんでいるから、人間と云うのは判らない。富士山自然環境保全問題。其の要因の、氷山の一角を垣間見たような気がした。そうは云っても、折角雲上の世界に迄登ってきたので、此れ以上陳腐な想念に囚われるのは止めることにした。

山頂の方角を仰ぎ見ると、一面が灰色の雲で覆われていた。其の手前に、大きな小屋が張り付いたようにして建っている。赤岩八合館である。七合五勺から八合目の手前迄の距離だが、此の間の距離は異様に長く感じた。勾配は急激に厳しくなり、蛇行しているとは云え、疲労感が此迄以上に襲ってくる。相方の休憩要求が哀訴の響きを帯びてくるようになった。私はと云えば、何時の間にか其れに唯々諾々と従っている。疲弊もあるが、眺望の無くなった薄暗い砂礫の登山道は、気分を重くさせていった。

霧で鬱蒼として、湿気を帯びた空気に包まれた赤岩八合館に到達し、木製ベンチで休憩した。下山者も増えてきて、小屋の前は騒然とした雰囲気になった。山小屋の従業員たちは、干していた布団を屋内に取り込む作業で忙しそうだった。雨粒が落ちてきたのは、つい今しがたのことのようである。登頂の、最後の詰めに掛かろうと云う処で、我々は合羽を着込むことになった。


Goteba_trail14

山小屋の裏手に登山道は続いていた。木段が設置されていて、偉大な観光地、富士山頂へのアプローチは此のように整備されているのかと安堵したが、其れも直ぐに尽きて、溶岩帯が雨に濡れた滑りやすい踏路になった。視界が良ければ、山頂は直ぐ見上げた処に在る筈である。しかし、霧の中に延々と続く赤い岩礫の道は、幾ら登り続けても、同じ光景ばかりが繰り返し現われるだけであった。堆積していた疲労が、徐々に身体の表面に染み出してくるような、そんな気分だった。

やがて、無惨に倒壊した山小屋跡に達した。雪崩なのか岩崩の所為か、建具がバラバラになって折り重なっている。見晴館と云う、須走口登山道の本七合目に在る山小屋と同名の小屋の跡地で、此処が御殿場ルートの八合目である。未だ八合目なのか、と、此処迄の道程で初めて味わう、徒労感を覚えた。覚悟していた、御殿場トレイルの過酷さを、私は此処で、初めて実感できたような気がした。

歩幅を狭くしてゆっくり登ろうが、激しい疲弊の感覚は軽減することが無かった。八合目を過ぎて、岩礫の道は更に傾斜を増していく。霧の中で、同じような景色の繰り返しで、歩き続ける。登山道には所々に標柱が立っていて、登頂への経路を辿っているのは確実なのに、まるでホワイトアウトに直面して遭難しかけているような気分になる。歩き続けていることが、徒労なのではないかと云う疑念が、全身に染み渡っていくようであった。

私は、岩礫の登山道が切り返しになるに従って、標柱に凭れ掛かったり、座り込んだりして、息も絶え絶えになった。山に登ると云う喜び。理屈ではない、自分が享受してきた感覚が、霧消してしまったかのようだった。もう帰りたい、言葉にすれば単純な台詞を、脳裡で反芻している。重要なのは、山に登ると云うことに対する自分にとっての意味だった。其れに就いて、もう何も浮かんでこなかった。時間が経過するに連れて、霧はいよいよ深くなっていった。


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口惜しいことに、我が友人、纏井君が、淡々と登り続けている。俯いて遅々とした足取りで登ってくる私を、間歇的に立ち止まって、待っていて呉れる。もう倒れそうだ、とか、何故頂上に着かない、などと、云ってもどうしようもないことばかり口走る私を、困ったような顔で見下ろしている。背後に気配を感じた。霧の中から、中学生と小学生の姉弟が登ってきたのだった。七合目辺りで追い越した子供たちだった。ふたりとも無言で、しかし、確実な足取りで、私を追い抜いていった。

其れで、少し我に返ったような気がした。此処で自分だけ帰るのは、全く現実的ではなかった。其れにしても、此の苦しい最後の登りに、何故九合目の標柱が無いのか。不条理な現実を、直ぐには受け入れられないような、そんな気分だった。私は、無心で脚を交互に繰り出し続けて、友人の後を追った。ほら、あれを見ろ。相方の声が聞こえて、私は顔を上げた。岩塊の奥に、霧がたちこめていた。其の茫漠とした中に、鳥居が立っていた。

富士山御殿場ルートの登頂地点、浅間大社銀明水に、漸く辿り着いた。一時的に山頂郵便局になっている銀明館も、人の気配が無い。周囲は霧の中で、火口の大内院も、最高地点の剣ヶ峰も、何も見えない。此処は本当に富士山頂なのだろうか。銀明水の囲いに在る木製ベンチに、我々は倒れこむようにして座り込んだ。時刻は午後二時半だから、全行程に、八時間半を要したことになる。尤も、最後の苦行で絶望感に襲われた記憶を顧みると、よくぞ此の程度の時間で登頂できたものだと、そう思った。

富士山は、日本で最高峰の山。其の、当たり前の知識が、体感となって認識せられるような、そんな登山だった。今迄登った山のことを反芻して思い浮かべてみる。此れ程の標高差を続けて登ったことは無い。堆積した疲労で、頭の中が、靄のような感じで覆われている。そして、自分が何をやっているのか、其れも曖昧に思えてしまう。そんな山登りは、初めての経験であった。

さすがは、富士山。

私は、霧で何も見えない山頂で、悔し紛れに、そう呟いた。

おい、大丈夫か。下山できそうか。友人が心配そうに云う。私は、大きく首肯して、そうして、よろよろと、立ち上がった。


Goteba_trail3

追記

下山の途に掛かり、砂走館の手前で、嘘のように晴れ渡った雲海の上に出た。人心地がついた気分で休憩し、カップ麺を食し、七合目から大砂走りの分岐に出る。宝永山の馬の背を直ぐ其処に見る処で感慨に耽った。大砂走りは雨を含んでいたおかげで、砂塵が舞う苦痛を味わわなかったのは幸いだったが、その後本格的な降雨になった。広大な砂漠の斜面を休まずに駆け下りる。友人は愚かにも砂走館で合羽を脱いでしまい。ふたたび着るのが億劫なので其の儘走り続けたので、惨憺たる濡れ鼠と化した。いい大人なのだから、自己責任と云うことで何も云わない。ブルドーザー道に合流する頃に薄暮も極まり、ヘッドランプを装着して下山した。驚くべきは、十数人のグループが間隔を開けて登ってきていることだった。ひとりの女性に挨拶して、山小屋に泊まるのかと訊ねたら、夜通しで登頂すると聞いて驚いた。山岳会のような、経験者の集団なのだろうが、連続して降り続ける雨の夜から登り始めると云うのに驚いた。そして、その女性が、うら若き美人だったので、其れが最も驚いたことだった。

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