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高千穂峰(後篇)

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七千年前から活動を始めたと云う高千穂峰は、比較的新しい火山と云うことになっている。一万年前以内は然程昔のことではないと云う概観は、考える程に気が遠くなりそうになるが、そんな高千穂峰が、溶岩ドームで尖った山容の怜悧な美しさ故に、ニニギノミコト降臨の地と云う神話になったのは想像に難くないような気がする。山頂には青銅製の天逆鉾(あめのさかほこ)が刺さっていたそうだが、現在はレプリカが屹立していると云う。青銅は噴火の衝撃で折れてしまったらしい。そんな予備知識くらいしかないが、知人に、今度高千穂峰に登るのですよと云ったら、「ああ、龍馬が鉾を引っこ抜いたとこですね」と云う言葉が返ってきた。そう云えば霧島に入ってからの道程では、坂本龍馬の新婚旅行に纏わる観光スポットの宣伝惹句が目に付いた。現在の高千穂峰に対する大衆のイメージは、概ねこんなところだと云える。因みに龍馬が引き抜いた鉾はレプリカ以前のオリジナルだったそうである。


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2014/7/25

高千穂河原(12:00)-----御鉢-----高千穂峰-----高千穂河原(14:45)

霧島連山周遊バスを降りて、高千穂河原ビジターセンターに向かう。私には未だ懸案事項がある。巨大なクレッタルムーセンの中に、膨大な荷物が積載されている。登山に不必要なものばかりが入っている。此れをなんとか預かって貰いたい。高原の爽やかな風が時折吹くが、陽射しに当たっていると暑さで頭がくらくらしてくる。建物に近づいたら、職員らしき男性と女性が出てきたので、待ってましたとばかりに、声を掛けた。

コインロッカーはありますかと問うと、男性職員が合点と云わんばかりに別棟に案内して呉れた。霧島の植生状況を説明展示している建物の、裏手に在る物置のような部屋に、木製の大きなロッカーがあった。三百円を支払い、鍵を受け取ると云う手順になっていた。此れでサブザックに必要なものだけを入れて登ることができる。私は安堵した。準備していると、えびの高原からバスに乗車してきた高齢の女性が、荷物を預かって貰えると訊いてきたのですが、と云って建物に入ってきた。職員が案内していくのを傍目に、揚揚たる気分で出発した。

高千穂河原は現在の霧島神宮に分祀される前に社殿が在った処で、案の定と云うか、噴火で焼失してしまい、現在は古宮址(ふるみやあと)と呼ばれる史跡が残っている。高千穂峰の登山口は、其の古宮址の手前で分岐するようになっているが、周囲は自然公園となっており、遊歩道が整備されている。私は自然研究路を経由して、登山道に合流する経路から歩き始めることにした。

木漏れ陽の差し込む静かな森を歩いて行くと、石畳の道が徐々に勾配を上げて行く。御鉢から麓へと延びる緩やかな尾根を、古宮址側とは反対の方から取り付いていくような進路である。見晴らしが良くなって、直ぐにつつじヶ丘の道標があり、其れを無視して尾根に向かって進むと、やがて登山道の分岐点に着いた。赤松や栂の樹林帯が徐々に疎らになって、直截に陽射しを受けるようになる。其れ程急いでいないが、三人組のハイカーに追いついてしまい、追い越させて貰う。木段が設えてある乾いた土の登山道を暫く登ると、程無くして広大な視界が開けた。


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なんとも呆気ない程に、御鉢の山腹に到達していたようだった。見上げると、砂礫の斜面の果てに、直ぐ其処に湾曲した御鉢の火口淵の稜線が見渡せる。こんなに近かったのかと、私は拍子抜けしたような気分になった。左手に、中岳の鷹揚な形の山容が見える。新燃岳は、未だ其の裏に隠れているようだった。そうして、踏跡らしきルートをなぞって、斜面を登り始めた。

急勾配の砂礫が、徐々に砂場のようになった。周囲には溶岩の赤が散らばり、灼熱の陽光が照りつける。呆気ないと思って眺めた御鉢のピークは、幾ら歩いても近づいてこなかった。砂を一歩踏み出して、半歩ばかりずずっとずり下がる。次第に、喘ぐような息遣いになって、前のめりの姿勢になって歩き続けた。此れは、と、フラッシュバックのように記憶が蘇る。宝永火口から馬の背に登った時の、徒労のような登りに似ている。宝永火口は霧の中で、砂礫が黒ずんでいて、地獄の底のような雰囲気だったが、高千穂峰の砂礫は、あっけらかんとした、広大で明るい中を歩き続けるから、趣は大分違う。見上げると、描いたような青空で、俯いて見ると、生物が何時迄も留まってはいけないと云われているような、無慈悲な荒野の斜面だった。其のコントラストは、天国でも地獄でもない、想像することの出来ない煉獄の風景を思わせた。老齢の夫婦を追い越した。もう死にそう。笑えない冗談を、息も絶え絶えに婦人が呟いた。

砂に埋まるような道程が漸く終わり、振り返ったら、高千穂河原の風景がジオラマのように見下ろせた。気がつくと、中岳の背後に、此れこそ無慈悲な褐色に染まった、新燃岳の奇怪な頭部の山容が現われていた。霧島連山の遠くは霞んで見えない。曇天でもないのに眺望が広がらない、夏の靄靄とした、特徴的な遠望だった。溶岩の乱立する斜面を蛇行しながら、私は間近に迫った火口淵の上を目指して登り続けていた。


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まるで冷房のような涼風が身体に吹きつけてきた。御鉢の突端に登り詰めて、火口を見渡した。直径五百米、深さ二百米の、活火山の火口だった。時計回りの稜線の向こうに、此処に居たのか、と云った感じで、高千穂峰がそそり立っている。側火山の広大な火口と、主峰の遠近感が、茫洋として掴めない。壮大なスケールの山容の隅っこに、私は立ち尽くしていた。

御鉢の火口淵を時計回りに、馬の背を黙々と歩いた。二百年前に噴火を繰り返したと云う噴火口の淵を歩いている。新燃岳の直ぐ近くに並んでいる、脈々と活動を続けている火山の上に居るのだと思うと、背筋に微かな戦慄が走ってくる。馬の背は標高を上げていく程に痩せていき、東端の際に達した処から、高千穂峰の全容が見渡せた。噴火の傷痕なのか、崩落して抉れた山腹から、褐色の土が剥き出しになっている。其れは凄惨な色彩だった。


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いよいよ御鉢の馬の背から、高千穂峰との鞍部を見下ろす。ただのコルではない。其処は馬の背が緩やかに湾曲した形状からの由来か、背門丘(せとを)と呼ばれる箇所で、鳥居がぽつんと立っている。背門丘は天孫降臨の現場とされており、其れを祀る霧島岑神社が在った処である。噴火のたびに焼失し、結局高千穂河原に分祀され、其れも噴火で焼失し、現在の霧島神宮に分祀されていると云うことである。其の名残として鳥居と小さな祠が設えてある。


其処に向かって、木段を下っていった。馬の背で小休止している間に私を追い越していった、バスと荷物預かりで一緒だった高齢の女性が、もう高千穂峰の登りを開始しているのが見えた。私が砂礫の途中で追い越した後続の人々がやってくる気配は無い。連山バスでやってきた単独行のふたりだけが、背門丘を黙々と歩いていた。

背門丘から高千穂峰の登山が始まる。道標は親切にも百米毎に設置されていて、頂上迄の距離が徐々に減っていくのが判る。しかし、踏路は実直に続き、木段が在るとは云え、砂礫、溶岩でざらざらした急勾配だった。そして、霊峰を登り詰めていくに従って、空の青が消えた。つい先程迄の晴天が、嘘のように豹変した。周囲が霧に包まれて、頂上から下山してくる人々が、陽炎のようにぼんやりと現われる。木段の先が見えなくなり、彼方が白く揺らめいている。そうして、標高一五七四米、高千穂峰の頂上に達した。

山頂に祀られた天逆鉾が、囲いの中で石積みの上にそそり立っている。旗竿には日章旗が掲げれていなかった。山小屋が休業しているので、掲揚役が不在の所為だと思われる。霧の山頂には、くだんの高齢の女性と私のふたりだけである。私は鉾に向かって参拝してから、其の裏手に廻ってみた。北面では霧の合間に、宮崎県側の景色が薄っすらと眺めることができる。矢岳を眼下に、其の向こうには新燃岳から派生する山脈が延びているのが窺えた。駱駝の瘤が深緑色の装飾を纏ったみたいに、丸岡山と夷守岳(ひなもりだけ)が浮かんでいる。

天逆鉾の裏側は、そんな眺望も在り、三角点と立派な風景指示盤が設えてあった。私は登頂者で賑わう表側を避けて、此処で簡単な食事をすることにした。暫くしてから、例の高齢の女性が、カメラを手にして私に近づいて来た。機智を利かせて、シャッターを押しましょうと云ったら、困ったような表情をしながら喜んで、お願いします、と云われた。

「誰も居なくなっちゃって……韓国岳の時もそうだったのよ。私が登ったら、みんな下りていっちゃって」

間違いなく私よりも健脚である高齢女史のカメラのシャッターを数回押した。天逆鉾の裏側なので、表側に廻って撮ってあげた方がよかったかもしれないな、と、其れは下山の途中で気がついたことだった。霧の背門丘でふたたび参拝してから、御鉢の火口淵に戻った。不思議なことに、瞬く間に、天候が快復して、当たり前のように陽射しが差し込んできた。振り返ると、高千穂峰は、やはり霧の中に姿を隠していた。

ふたたび西端の火口淵迄到達し、後は砂の道を下るだけとなった。ちょうど登りついて、岩に腰掛けて休憩していた、太鼓のように太ったおばさんと挨拶を交わした。太鼓のようだけれども精悍な顔つきで、恰好もベテランの登山者と云う雰囲気がある。頂上はどうだった、と訊かれたので、ガスで何にも見えませんでした、と応えた。しかし、振り返れば、既に雲が流れるようにして霧が晴れていき、高千穂峰の姿が徐々にに見えようとしていた。其れをふたりで眺めたあとで、太鼓女史が云った。

「ああ、私が登る頃には、丁度晴れるかもね」

其れは俺が云ってあげる台詞の筈なのに、と、内心癪に障ったのだが、太鼓女史のあっけらかんとした表情は、どうにも憎めない風情があった。


自然に拠る節理と云うようなものが、在るのだ。背門丘を越えて、神域に入って霧に包まれた霊峰を登った情景は、心に染み入るような記憶として、私の裡に残っている。そうだそうだ、其れでいいのだ、と自分に云い聞かせるようにして、私は砂礫の道を、駆け下りていった。

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追記

連山周遊バスの15時半発に無事乗車した。帰路も乗客は高齢女史と私のふたりだけであった。えびの高原から日焼けした散財氏も乗車して、既知の乗客たちと丸尾に戻った。空港行きに乗るふたりと別れて、廉価でプリミティヴな風情の前田温泉で汗を流し、国分行きの最終バスに乗った。乗客は最後迄私ひとりで、延々と一時間もバスに揺られた。いわさきバスの存立に危機感を覚える。一日乗車券を使用して、バスで移動する登山客が増えることを願って止まない。

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