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2014年8月

初めての富士山・御殿場ルートの往復

Mount_fuji


いよいよ富士山に登るのだぞ。と、意気込んでみるが、心の何処かから、まあ、そんなに興奮しなくても、と云うような声も聞こえてくる。御来光の為に夜通し歩く登山者で渋滞する富士山。ヘッドランプが数珠繋ぎの富士山。夥しい群集が押し寄せて登る富士山。何をいまさら、と云うような、冷ややかな思いが浮かんでくる。しかし、私は行列が厭なのであって、富士山が嫌いな訳ではない。最高峰の富士山に、一度も登らないと云う方が、不自然なことだとさえ思っている。評判のラーメン屋に行列しなくてもよいのは、他にも店が在るからである。しかし、富士山はひとつしかない。だから、登るのならば、なるべく人の少ないコースを選びたいと云う想念は、ごく普通に浮かんでくる。大多数の人々が忌避するコースは、標高差2300mを約八時間の所要時間で登る、御殿場ルートである。


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2014/8/16

御殿場口新五合目(6:00)-----七合目-----砂走館-----赤岩八合館-----富士山・浅間大社銀明水(14:30)-----七合目-----大砂走り-----大石茶屋-----御殿場口新五合目(19:30)

尤も、八月に富士登山を敢行するために、御殿場ルートを選択せざるを得ない理由が在る。世界文化遺産登録に拍車が掛かって、以前はシーズン中でも限定的に自家用車で到達できた、御殿場口以外の各五合目の駐車場が、現在は殆どが規制されるようになった。一昨年、レンタカーで富士宮口五合目に行ったのは七月下旬だったが、其れも今では不可能である。年間、と云っても、殆ど二ヶ月の間に三十万人以上が訪れる富士山の、塵や屎尿問題を解決する為には、入山者を逓減させていくしかない。マイカー規制の強化は、至極尤もな措置である。

御誂え向きのタイミングで、友人の纏井君からお誘いが来た。私を山歩きに傾倒させるきっかけを作って呉れた彼とは、最近殆ど山行を共にしていない。免許を取得して自家用車を購入した纏井は、今や日帰り登山に行くのも億劫さを隠さない程に堕落していて、それよりも、車で温泉に行こうなどと云う駄言を繰り返すから、暫く放っておいた。そうしていたら、私が山に行くことにしか興味を示さないので、渋々と云った態で、登山の為に車で出掛けようと云う提案が来たのである。

車が在るからと云って、無尽蔵に遠出の計画を立てるのも意地汚いし、不明である纏井の運転技術も気になる。此れは、兼ねてより考えていた、御殿場ルートからの富士山と云う案に、御誂え向きの事態が到来したのではと考えた。早朝、未明に御殿場口新五合目に居る為には、車が必須なのであり、自家用車で富士山の五合目に向かうとすれば、御殿場口に行くしかないのである。マイカー規制に賛同して、富士山の環境保全を憂慮する私であるが、深謀遠慮の素振りを見せることなく、纏井君御自慢の外車を、御殿場に誘導していったと云う訳である。

御殿場口新五合目第二駐車場は、雨が降り続いていた。深夜二時半に到着して、仕方が無いので未明迄仮眠を取ることにする。こんな悪天だが、駐車場は殆ど満杯で、我々の後にも、数台の車がやってくる。過酷なルート故に不人気な筈の御殿場口、そのようなイメージが揺らいでくる。それはそうとして、酷い雨である。車の天井を打つ激しい雨音に、半ば諦めたような気になって、我々は眠りに落ちた。


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窮屈な恰好で眠っていた所為か、妙な夢にうなされてから、目が覚めた。雨はすっかり止んでいて、周囲では車から出てきた人々の嬌声が聞こえる。外に出たら雲間に、明るさが満ちてきている。振り返ると、富士山の山腹に、厚い雲が覆っていたが、徐々に流れて、山容の片鱗が現われてきた。裾野の方角から朝陽が照らされて、御殿場口新五合目は、結局晴天になったから、予定通りに、初めての富士登山を敢行することになった。

車道を登り、登山口である鳥居の下から出発した。整備された道を歩き、程無く大石茶屋に出る。小屋の裏手に出たら、茫漠とした風景が広がった。富士の全貌は雲に隠れて見えないが、砂地が延々と広がっていて、登山道が明確に続いている。左手に側火山の二ツ塚が、人工的な迄に端整なドーム型で並んでいるのが見える。其れが何時迄も同じ処に鎮座しているから、歩き続けているのに、果たして進んでいるのかと云う錯覚に陥りそうになる。

併行するブルドーザー道を、下山してくるハイカーが歩いている。其の道と交錯する地点を少し過ぎたら新五合五勺である。徐々に勾配が急になってきて、登山道がジグザグに切られるようになってきた。登山者は想像以上に多かった。勿論行列では無いが、親子連れや、中学生を引率しているグループなど、賑やかに登っている。砂の傾斜を登る苦しさは想定通りで、私は極端に歩幅を狭めて、ゆっくりと登った。

旧四合目に至る迄の勾配で、他の登山者たちが、我々を次々に追い抜いていく。先は長く、抜かれた処で何の興味も無い。しかし、我々が遅いのは明確な理由があった。我が友人纏井君が、頻繁に休憩を要求するからである。同行者が疲弊しているのを無視して歩き続ける訳にはいかない。歩幅を狭くとってゆっくり歩けば疲労が軽減するのでは、と助言をしてみるが、生返事ばかりでちっとも改善しようとしないから、以後同じことは云わないことにした。

あらゆる方角から、形の変わった雲が山腹を覆い、そして流れ去っていった。陽射しを遮るものが無い砂漠の斜面だが、いろんな雲が日除けになって呉れる。だから思った程、灼熱地獄に苛まれると云う感じではない。しかし、御殿場ルートの標柱や、ブルドーザー道と交差する箇所などが現われると、相方が直ぐに休憩だと云って座り込むから、登山のペースは徐々に気だるい雰囲気になってくるのだった。


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蟻が砂山を蛇行しながら歩いているような、終わりの見えない登りが続いたが、漸く彼方に建造物が窺えた。廃屋となった六合目山小屋のようだった。通常ならば、目標が現われたら、其処を目指して歩き続けたくなりそうに思うが、ジグザグの切り返しの途上で、頻繁に纏井が休もうと云うから、仕方なく付き合う。腰を下ろして、遠くに見える御殿場口の駐車場を眺めていたら、背後から絶叫が聞こえた。そして、何かが舞い上がって飛んでいった。其れは、相方の帽子と、折り畳み式座布団だった。友人は其れ等が飛んでいった方へと斜面を下り、回収を試みようとしていたが、其れを目的にするならば、もう一度五合五勺辺りから登山をやり直さなければならないと云うことに気付いたようだった。

強風吹き曝しの斜面で、御丁寧に座布団を敷くとは、と内心呆れたが、未練がましく下方を見ながら、諦めて引き返してくる友人の姿は、如何にも哀れだった。富士山の環境保全が、また後退してしまったね、などと云う冗談は、とてもではないが云えそうにない。富士登山で、折り畳み式座布団は無用の長物である。そう云う教訓を脳裡に刻み込んで置くに留めた。

気がつくと、二ツ塚は小さな突起物のようになって後方の彼方に見えていて、其の上に、見覚えのある灰色で滑らかな曲線の山容が聳えている。宝永山である。ほぼ同じレベルの高さで其れを眺めているから、漸く富士宮口のスタート地点と同じような標高迄登ってきたと云うことになる。御殿場ルートの六合目には、多数の登山者が休憩していた。既に景色は雲の上の世界で、下方から湧き立つ雲の白と、鮮やかなスカイブルーだけが周囲を覆っている。強風を避ける為、小屋の陰に大勢の人々が屯していた。


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砂礫の道に、岩塊が顕著になってきた。スコリアと呼ばれる灰黒色の溶岩礫に覆われた登山道の周辺に、フジアザミの花が、這うようにして咲いている。実直に、西北西に、富士山頂を目指して歩いている筈だが、砂礫と青空と湧き立つ雲しか見えない光景が続いている所為か、何処を歩いているのか、だんだん判らなくなってきた。下に見るようになった宝永火口の巨大な壁が、徐々に近づいているから、私は脳裡に、飛行機の窓から俯瞰して眺めた富士山の形状を思い浮かべる。確かに、山頂に向かって登っているのだと、自分に言い聞かせながら歩いている。

標高3000mの表示板が現われて、漸く七合目の小屋が窺えるようになった。最初に現われた日の出館は、崖崩れの影響で営業休止中とのことなので、少しだけ休憩して、先に歩を進める。見上げると、直ぐに次の小屋が建っているのが見える。七合四勺のわらじ館である。其処に到達して、御不浄に行きたいと云う相方が小屋の中に入っていき、一旦戻ってきて厠に向かわないので、どうしたのだと訊いてみる。使用料三百円だと云われた、と云って其の儘だから、私の怪訝が神経を刺激する。それで、トイレには行かないのか。そう問うと、お金を払うならもっと綺麗なトイレに行く、と云って、友人は其れっきり黙っている。

更に追求するのも疲れるので、直ぐに歩き出して、程無く七合五勺、砂走館に到着した。無言で厠の中に消えた相方が戻ってきたから、トイレは綺麗だったのかと訊くが、何も答えない。恐らく使用料を支払わないで拝借してきたと見える。高価な外車を買うような輩が、トイレ使用料の三百円を惜しんでいるから、人間と云うのは判らない。富士山自然環境保全問題。其の要因の、氷山の一角を垣間見たような気がした。そうは云っても、折角雲上の世界に迄登ってきたので、此れ以上陳腐な想念に囚われるのは止めることにした。

山頂の方角を仰ぎ見ると、一面が灰色の雲で覆われていた。其の手前に、大きな小屋が張り付いたようにして建っている。赤岩八合館である。七合五勺から八合目の手前迄の距離だが、此の間の距離は異様に長く感じた。勾配は急激に厳しくなり、蛇行しているとは云え、疲労感が此迄以上に襲ってくる。相方の休憩要求が哀訴の響きを帯びてくるようになった。私はと云えば、何時の間にか其れに唯々諾々と従っている。疲弊もあるが、眺望の無くなった薄暗い砂礫の登山道は、気分を重くさせていった。

霧で鬱蒼として、湿気を帯びた空気に包まれた赤岩八合館に到達し、木製ベンチで休憩した。下山者も増えてきて、小屋の前は騒然とした雰囲気になった。山小屋の従業員たちは、干していた布団を屋内に取り込む作業で忙しそうだった。雨粒が落ちてきたのは、つい今しがたのことのようである。登頂の、最後の詰めに掛かろうと云う処で、我々は合羽を着込むことになった。


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山小屋の裏手に登山道は続いていた。木段が設置されていて、偉大な観光地、富士山頂へのアプローチは此のように整備されているのかと安堵したが、其れも直ぐに尽きて、溶岩帯が雨に濡れた滑りやすい踏路になった。視界が良ければ、山頂は直ぐ見上げた処に在る筈である。しかし、霧の中に延々と続く赤い岩礫の道は、幾ら登り続けても、同じ光景ばかりが繰り返し現われるだけであった。堆積していた疲労が、徐々に身体の表面に染み出してくるような、そんな気分だった。

やがて、無惨に倒壊した山小屋跡に達した。雪崩なのか岩崩の所為か、建具がバラバラになって折り重なっている。見晴館と云う、須走口登山道の本七合目に在る山小屋と同名の小屋の跡地で、此処が御殿場ルートの八合目である。未だ八合目なのか、と、此処迄の道程で初めて味わう、徒労感を覚えた。覚悟していた、御殿場トレイルの過酷さを、私は此処で、初めて実感できたような気がした。

歩幅を狭くしてゆっくり登ろうが、激しい疲弊の感覚は軽減することが無かった。八合目を過ぎて、岩礫の道は更に傾斜を増していく。霧の中で、同じような景色の繰り返しで、歩き続ける。登山道には所々に標柱が立っていて、登頂への経路を辿っているのは確実なのに、まるでホワイトアウトに直面して遭難しかけているような気分になる。歩き続けていることが、徒労なのではないかと云う疑念が、全身に染み渡っていくようであった。

私は、岩礫の登山道が切り返しになるに従って、標柱に凭れ掛かったり、座り込んだりして、息も絶え絶えになった。山に登ると云う喜び。理屈ではない、自分が享受してきた感覚が、霧消してしまったかのようだった。もう帰りたい、言葉にすれば単純な台詞を、脳裡で反芻している。重要なのは、山に登ると云うことに対する自分にとっての意味だった。其れに就いて、もう何も浮かんでこなかった。時間が経過するに連れて、霧はいよいよ深くなっていった。


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口惜しいことに、我が友人、纏井君が、淡々と登り続けている。俯いて遅々とした足取りで登ってくる私を、間歇的に立ち止まって、待っていて呉れる。もう倒れそうだ、とか、何故頂上に着かない、などと、云ってもどうしようもないことばかり口走る私を、困ったような顔で見下ろしている。背後に気配を感じた。霧の中から、中学生と小学生の姉弟が登ってきたのだった。七合目辺りで追い越した子供たちだった。ふたりとも無言で、しかし、確実な足取りで、私を追い抜いていった。

其れで、少し我に返ったような気がした。此処で自分だけ帰るのは、全く現実的ではなかった。其れにしても、此の苦しい最後の登りに、何故九合目の標柱が無いのか。不条理な現実を、直ぐには受け入れられないような、そんな気分だった。私は、無心で脚を交互に繰り出し続けて、友人の後を追った。ほら、あれを見ろ。相方の声が聞こえて、私は顔を上げた。岩塊の奥に、霧がたちこめていた。其の茫漠とした中に、鳥居が立っていた。

富士山御殿場ルートの登頂地点、浅間大社銀明水に、漸く辿り着いた。一時的に山頂郵便局になっている銀明館も、人の気配が無い。周囲は霧の中で、火口の大内院も、最高地点の剣ヶ峰も、何も見えない。此処は本当に富士山頂なのだろうか。銀明水の囲いに在る木製ベンチに、我々は倒れこむようにして座り込んだ。時刻は午後二時半だから、全行程に、八時間半を要したことになる。尤も、最後の苦行で絶望感に襲われた記憶を顧みると、よくぞ此の程度の時間で登頂できたものだと、そう思った。

富士山は、日本で最高峰の山。其の、当たり前の知識が、体感となって認識せられるような、そんな登山だった。今迄登った山のことを反芻して思い浮かべてみる。此れ程の標高差を続けて登ったことは無い。堆積した疲労で、頭の中が、靄のような感じで覆われている。そして、自分が何をやっているのか、其れも曖昧に思えてしまう。そんな山登りは、初めての経験であった。

さすがは、富士山。

私は、霧で何も見えない山頂で、悔し紛れに、そう呟いた。

おい、大丈夫か。下山できそうか。友人が心配そうに云う。私は、大きく首肯して、そうして、よろよろと、立ち上がった。


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追記

下山の途に掛かり、砂走館の手前で、嘘のように晴れ渡った雲海の上に出た。人心地がついた気分で休憩し、カップ麺を食し、七合目から大砂走りの分岐に出る。宝永山の馬の背を直ぐ其処に見る処で感慨に耽った。大砂走りは雨を含んでいたおかげで、砂塵が舞う苦痛を味わわなかったのは幸いだったが、その後本格的な降雨になった。広大な砂漠の斜面を休まずに駆け下りる。友人は愚かにも砂走館で合羽を脱いでしまい。ふたたび着るのが億劫なので其の儘走り続けたので、惨憺たる濡れ鼠と化した。いい大人なのだから、自己責任と云うことで何も云わない。ブルドーザー道に合流する頃に薄暮も極まり、ヘッドランプを装着して下山した。驚くべきは、十数人のグループが間隔を開けて登ってきていることだった。ひとりの女性に挨拶して、山小屋に泊まるのかと訊ねたら、夜通しで登頂すると聞いて驚いた。山岳会のような、経験者の集団なのだろうが、連続して降り続ける雨の夜から登り始めると云うのに驚いた。そして、その女性が、うら若き美人だったので、其れが最も驚いたことだった。

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大浪池から韓国岳・新燃岳の遠望。

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新燃岳大噴火で暫く休業していたと云う秘湯、新湯温泉の一軒宿は、其のあまりの秘境ぶり故か、却って日帰り入浴の客で賑わっていたのだが、夕餉を終えた頃には静寂さが戻った。硫黄泉が濃厚なので、入浴は十五分以内にすべしの旨と、浴場には三十分以上留まることを禁ずると云う貼紙が至る処に貼ってある。硫化水素中毒で死者が出たと云う話は有名なので、やや動揺しながら、そして時計の針を気にしながら入浴した。日帰り客は短時間での入浴で終了しなければならないが、宿泊客はインターバルを置いて何度でも入湯できる。だから新湯温泉は日帰り入浴では勿体無い。宿泊するに限る。


Shinyushinmoe

2014/7/28

大浪池登山口(9:00)-----大浪池-----韓国岳-----えびの高原(12:15)

霧島滞在最終日の朝だが、移動手段は相変わらずの連山周遊バスだから、慌てる必要が無い。前回風雨の韓国岳に登った時と同じバスに、途中の新湯温泉入口から乗車すればよい。発着は8時45分だから、山行にしては遅すぎる出発のようにも思えるが、止むを得ない。朝風呂に入り、朝食をゆっくり食べてからまた入湯して、のんびりと身支度をしてから出発した。

新湯からえびの高原迄の県道を、既に三往復もしているので、此れで七度目の道中だが、今日はふたつ目のバス停、大浪池登山口で下車する。大浪池(おおなみのいけ)を経由して韓国岳に登り、えびの高原に下りると云う算段である。前回帰途に利用した、えびの高原を13時に発車するバスに間に合いそうだが、大浪池の距離感が判らないので、其れは成り行きに任せることにする。昨日と同じ16時のバスに乗っても、夕刻の飛行機には充分に間に合う計算である。漸く好天の韓国岳に登ることができる。涼しい朝の気配が残る静かな登山口から、私は石畳の道を、ゆっくりと歩き出した。


Shinyu

大浪池は山頂火口湖の名前で、勿論活火山である。山容も独立しているし、火口の直径は1000mと云う壮大さで、火口淵の東南に在る三角点の標高は1411.4mと云うから、立派な山名を冠したら、随分有名になるのではと思うが、現在迄大浪池と云う、一見山岳とは判別し難い名前に甘んじている儘である。其の、通称大浪池火山の南西の山裾を、遊歩道のように整備された石畳が、左へと捲いていくように続いている。途中、軽装の男女や、親子連れが下ってくるのと擦れ違った。火口湖を望む大浪池休憩所迄は、難なく登れる道のようであった。

標高1200mの手前で大きく切り返した登山道を、休むことなく登り続けて、呆気なく大浪池休憩所に到達した。コンクリートの建物は閉塞感が在り居心地が悪そうだが、噴火防災時の為の頑強さを考えると納得できる。木道が溶岩帯に設置されていて、ベンチやテーブルが随所に在る。火口湖を望むと、其の向こうに、さらに雄大な山容が聳えていた。昨日から韓国岳を、いろんな角度から眺めているような気がする。

此処から韓国岳に向かう分岐の在る避難小屋迄、火口湖の淵を辿る訳だが、時計廻りでも其の逆でも所要時間は然程変わらない。私は、無意識に反時計廻りの道を選んだ。三角点を経由するのが本筋だと考えた訳だが、時計廻りの方が火口に近い踏路のようにも見えるから、どちらの道がよいかは断言できない。

溶岩帯が樹林に覆われて、暫く池の見えない外側を歩くが、やがて坂路が急になって、陽射しが照りつける岩場に出ると、先程よりも高い処から、火口湖の全容を眺められる場所に立った。彼方に広がる筈の山々は、相変わらず靄靄とした空気の向こうに並んでいる。其れが、大浪池の湖面がひと際鮮やかな濃紺色をしているのに効果を上げている。陽光が真上から降り注ぐ、陰影の無い景色だが、此の規格外の火口湖には、其れも相応しいような気がした。


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三角点を確認できない儘、火口の絶景を眺めて歩いていたが、次第に踏跡は樹林帯の中に入り、対向のハイカーと擦れ違うようになった。火口の外側の山腹を捲くようにして徐々に傾斜が下り加減になって、感覚としては随分歩いたような気分で、韓国岳避難小屋に到達した。通過するハイカーの姿が無い、静かな分岐点で暫く休憩し、気を取り直すようにして、いよいよ韓国岳に向かう。

大浪池火山と韓国岳の鞍部は広大な森で、繫茂した植物に囲まれた泥濘気味の道を暫く歩く。ふたたび勾配が近づいてきても、其の鬱蒼とした雰囲気は変わらなかった。腐食した木段を慎重に踏んで、不快な気分の儘、登り続けた。霧島連山の、よく整備された登山道に慣れきってしまっていたので、此の状況は想定外であった。喘ぐように、無意識になって脚を繰り出していたら、頭上に明るさが増してきた。足元の土が乾いた褐色を帯びてきたなと思ったら、唐突に山腹の、眺望が広がる砂礫の道になった。振り返ると大浪池の全貌が見えたから、もぐらが一旦地中に入って移動して、何処かに這い出てきたような気持ちになった。歩いてきた鞍部が、樹海のように広がっているのが見渡せた。


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御椀を逆さにして、高台に紺碧の水が浸されている。そんな、絵に描いたような円錐状の大浪池火山を眺めて、左手を見ると、新燃岳の歪んだ山容が、靄が掛かったような曖昧さで浮かんでいる。昨晩、新湯温泉の林道から眺めた、黄昏に映る影絵のようだった山容を、同じ高みから眺めている。溶岩で埋まった火口は未だ見えない。韓国岳に登頂したら見えるのだろうか。そんなことを考えながら、森林限界を越えて、茫漠とした山腹を登り続けた。陽射しが容赦なく照りつける登りは疲弊するが、泥濘の樹海よりは我慢できる。山頂から下ってくる人が増えてきた。此れは、えびの高原からの道よりも景色がいいねえ、単独行の壮年男性が擦れ違いざまに云った。此の先は泥濘ですが、とは云わないでおいた。

砂礫の丘に、道標が立っていた。見覚えのある、山頂へ、と云う文字を確認して見上げると、韓国岳の山名標がぽつんと立っているのが見える。岩塊の合間をひと登りで、標高1700.1m、二度目の韓国岳山頂に到達した。風雨の前回では見えなかった巨大な火口の底が、明瞭に広がっている。鋸歯状の火口淵の壁に囲まれ、砂礫と点在する緑が、造成したかのように構成されている。其れを客観視すると、西部劇の舞台が箱庭になったようにも見える。ちっぽけな人間の視野では、其のスケールを実感できないばかりか、遠近感も曖昧になってしまう。そんな光景だった。


Bakuretsu

新燃岳はと云えば、相変わらず靄の向こうに居るような感じで、連なりの彼方に聳えていた。端整な高千穂峰の輪郭も、やはり靄靄としている。大噴火から三年が過ぎたが、新燃岳は現在も地下マグマが膨張しているそうで、火山性地震も頻発していると云う。気象庁の警戒レベルは引き下げられたが、新燃岳には相変わらず立ち入ることはできない。いずれは沈静化するであろうが、何時のことになるのかは分からない。

火山群の上を辿り、此処から琵琶池、獅子戸岳、そして新燃岳を経て、中岳の北側をふたつの火口を眺めながら歩き、御鉢と高千穂峰を望みながら、高千穂河原へと下って行く。霧島連山の縦走路である。

歩きたい、と思うが、其れは文字通り、自然の成り行きに任せるしかないようである。

新燃岳の、兎の耳と呼ばれる特徴的な火口南面の双岩峰が、不気味な程静かに、屹立している。新燃岳は、近くて遠い山なのであった。私は其れを、茫洋とした気分で、何時迄も、眺めているばかりだった。


Shinmoedake

追記

韓国岳から下山。時間的には微妙だったが、途中から欲が出て快速で駆け下り、13時発のバスに間に合う。結局、また高千穂河原迄連れていかれてから、丸尾に戻った。直ぐに温泉に浸かっても時間があり余るので、一日乗車券を駆使して、霧島神宮へ参詣した。再度丸尾に戻り、相変わらずの前田温泉で汗を流した。

別記

『火山噴火予知連絡会(会長・藤井敏嗣東大地震研究所名誉教授)は、霧島連山・新燃岳(1421メートル)で、2013年12月ごろからマグマだまりが膨張傾向を示し、今月20日ごろには火口直下を震源とする地震も一時的に増加していることを明らかにした。25日、気象庁(東京)で開いた例会で報告。同会は「マグマの供給量は増えていると思うが、これからどうなるか分からない。今後の推移に注意する必要がある」との認識を示した』
宮崎日日新聞(2014年2月27日)より。

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霧島連山・甑岳

Koshikidake


鹿児島中央駅にやってきた指宿始発の高速バス「メモリーライン」は、見事なまでに乗客が居なかった。猛暑の駅前から快適な車内に乗車しようとすると、霧島行きですが、と、運転手氏が窺うように云った。合点承知の旨を伝えると、私ひとりだけを乗せたバスがゆっくりと発車した。次の停留所は鹿児島空港で、其の次はもう丸尾迄停まらない。持参した弁当で食事を済ませて、時間調整で暫く停車する桜島SAで珈琲と煙草と御不浄を済ませる。そして発車後、空港迄の間にサポートタイツやストッレッチスパッツを穿いたりして身支度をする。快適にも程が在ると云うくらいに快適なのだが、いわさきバスの営業収支が心配である。結局、丸尾迄、貸切状態で移動した。勿論、霧島連山周遊バスは、丁度良く接続している。一昨日の繰り返しのような気持ちになって、ふたたび、えびの高原に向かうバスに揺られた。因みに、連山周遊バスの乗客も、私ひとりであった。


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2014/7/27

えびの高原(13:15)-----不動池-----甑岳-----えびの高原(15:20)

無事に所用を済ませてからの霧島滞在であるから、気分は開放感に満ちている。今夜は新湯温泉に投宿すると云うことだけが決まっている。午後一時にえびの高原に到着して、どうしようかと思うが、行動の制限としては、新湯に帰る為のバスの発車時刻が午後四時であるということは決まっている。だから、三時間で何処かに行って帰ってこなければならない。韓国岳は時間的な余裕が無いので、想定できるふたつの選択肢を検討するしかない。六観音御池を経由し、白紫池の火口湖を持つ白鳥山を目指して周回すると云う、池巡りコースか、霧島連山の中でもユーモラスな形状の個性的な山、甑岳に登るかと云う選択である。尤も、決めかねて此処に居ると云う訳ではない。最初から、甑岳に登ることは決めていた。

往路からすると容量は大分軽減したクレッタルムーセンHuginだが、此処もできれば荷物を預けて軽快に歩きたい。そう思ってコインロッカーを探すが何処にも見当たらない。火山に囲まれた山間盆地であるえびの高原は、いわさきバスの閑古鳥とは裏腹に、夥しい観光客が押し寄せる大観光地であり、土産物屋からお洒落なカフェ迄揃っている。しかし、荷物を預けるような者は居ないようである。自家用車や観光バスで訪れる者ばかりでは、それも首肯できるのだが、なんとか何処かで預かって貰いたい。

最初からそのような積もりでは無かったのだが、広大な駐車場の料金所が手頃な小さい建物なので、其処に近寄っていった。中に居たおばさんとおじさんのふたりに、コインロッカーの所在を訊き、案の定、そんなものはないねえ、と云われるが、何処かで荷物を預かってくれる処はないかと哀願調で訊ねる。すると、警戒感をあらわにしながらも、おじさんの方が重い口を開く。

「五時迄だったら、此処に置いといてもいいけど……閉まるのが五時だから……でも責任は持てないんだけど……」

心の中で快哉を叫びつつ、四時のバスに乗るから絶対戻ると力説した。そうして、サブザックに必要な荷物を詰め込み、巨大ザックを預かって貰った。おじさんは、其れでも時間のことが気になるらしく、五時になっても戻らなかったら、此の建物の外に置いといていいかと云った。其の場合は是非そうして貰って構わないと伝えるが、おじさんは其れでも、貴重品は持ったか、などと、いろいろ心配して呉れる。人情紙の如き時代に、なんとも心温まる対応である。


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エコミュージアムセンターの裏手に廻り、キャンピングカーが屯している駐車場の傍を通って、一旦車道に出ると、不動池への道標が在る。三ヶ月前に風雨の中を歩いた処である。前回は此処から野原を縦横に歩いて韓国岳登山道に向かったが、今日は道標の通りに遊歩道を真直ぐに進む。ヘアピンカーブで折り返して登ってくる車道にふたたびぶつかり、横断すると、徐々に勾配となり、遊歩道に木段が現われる。異様な迄に白い硫黄山を右手に見ながら登り続けると、三たび現われる車道が近づいてくる。合流した処が不動池で、地形図を見ても判然としないが、勿論火山の火口湖である。

不動池と硫黄山から北北東に向かって、大雑把な広がりで地形が緩やかになっている。其れは不動池が噴火した溶岩が、甑岳の麓迄流れついたものだと云われる。凡そ三千年前と云うから、まあ最近のこととも云える。溶岩帯の起伏を直截的に車道は延びているが、遊歩道が六観音御池方面に分岐しているので、迷わずに進入する。少し歩いて、程無く甑岳への道標が在る。緩やかに下っていく湿った樹林帯を、少し急ぎ足で歩いた。林立する火山群から少し離れた処に甑岳が在り、其処に向かって、今は鞍部へと下っている最中なのである。不動池の標高が1228mだから、独立したように裾野を広げる甑岳の標高1301mへ向かうには、随分下って、ふたたび登り返していくと云うことになる。

池巡りコースから別れた樹林帯を歩き、正規の登山口からの道に合流し、明瞭な登山道になった。目印の赤いテープが頻繁にぶら下がっている。見渡すと、広い林野の中である。程無く枯れた沢に木橋が架かってある場所に着いた。此処が最低鞍部なのだろう。此処から漸く登りに掛かる。所要時間は想定内だったが、気持ちが逸る所為か、少し慌てたような足取りで、徐々に急になる勾配を登る。駐車場のおじさんの心配そうな顔が、どうしても浮かんでしまう。


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登山道は急勾配をジグザグに切ってあり、次第に鬱蒼とした藪混じりの細い踏跡になった。相変わらず、息を弾ませながら黙々と脚を繰り出していくと、やがて空の明るさが近づいてきた。強烈な陽射しを受けて振り向いたら、韓国岳が正面に聳えている。韓国岳は爆裂火口淵の、最も抉れた部分が真ん中に見えるから、お椀を逆さにして、手刀で叩き割ったような形をしている。何時の間にか、甑岳の頂上に近づいていた。過酷な陽射しだが、視界の無い樹林帯から抜け出た開放感は其れを凌駕していた。

ぽっかりと開けた山頂は砂礫の広場で、山々の展望が出来過ぎのような感じで見渡せる。何処かの高原のスカイラインに在る展望台のような景色である。甑岳の由来は、山頂が平べったいので土器の甑を連想させる為と云われている。平坦で広い火口淵の直径が約五百米。火口は浅いが、底が湿原になっていて、池塘も在ると云うのが特徴である。山名標の近くに、湿原と書かれてある道標が在ったので、火口の中に下りていく樹林帯の道に脚を踏み入れた。


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昭文社地図の「霧島・開聞岳」には、池塘の横に1278mと云う標高点が記されている。鬱蒼として虫が氾濫する不快な藪道の踏跡を下る。高低差二十米強は直ぐに終わり、視界が開けた。其処はまるで瞬間移動でもしたのかと云うくらいに、全く異質な光景が広がっていた。空の青と火口湿原の緑が、原色のコントラストを表出している。其の風景を額縁のように、ぐるりと囲んだ火口壁を眺めていると、自分が天然に造られたコロッセウムの中に居るような気持ちになる。陽光の照りつける緑の中は、奇妙なくらいに静寂だった。

繫茂した緑が波のように揺れている。其の中に一本道が辿っているのを歩いていくと、池塘に突き当たった。池塘は進入禁止の意図であるロープの囲いがしてあり、其の右手に踏跡は続いていたが、茅戸が生い茂っていて、其れ以上先に行くのは困難に思われた。登山道終点である、山名票が在る頂上の、丁度反対側の火口淵に、標高1301.4mの三角点が在る筈だった。其処迄到達してみたかったが、引き返すことにした。時の流れが止まったような、此の火口湿原で充分である。そう思うことにした。


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ふたたび山名票の頂上に戻り、下山の途に掛かろうとした時、広場の西側に在る樹林帯から、高齢の夫婦が現われたので驚いた。挨拶して、登山道が他に在るのかと訊いたら、此の火口を一周できる道があるんだよと、御主人の方が教えて呉れた。三十分くらいだから巡ってみたら良いと云われて、暫く逡巡した。夫妻を見送った後、東側の端に近づいたら、火口周回の道標が設えてあった。其処に踏み入ると、程無くして、大きな岩が突き出た展望地が在った。くだんの山頂よりも韓国岳が裾野迄見渡せることができる場所で、彼方には高千穂峰が薄っすらと、端整に屹立している。

暫く紫煙を燻らせて、霧島連山を眺めながら黙考した。やはり駐車場のおじさんに心配を掛ける訳にはいかないな。そう考えた。其れで周回は諦めて、下山することにした。だから、甑岳には、また登ることがあるだろうと云う予感がする。そして、何度でも登る価値の在る山だと、そう思った。


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追記

えびの高原駐車場には、予定通りに余裕を持って帰還した。おじさんとおばさんは、最初に話した時とは別人のように満面の笑みで迎えて呉れた。ちゃんと帰ってきて、漸く信用されたものと思われる。僥倖と云える親切を施して貰ったが、当然例外のことであり、駐車場の料金所は一時預かりは行なっていないと云うことを敢えて記しておく。あたりまえである。

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高千穂峰(後篇)

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七千年前から活動を始めたと云う高千穂峰は、比較的新しい火山と云うことになっている。一万年前以内は然程昔のことではないと云う概観は、考える程に気が遠くなりそうになるが、そんな高千穂峰が、溶岩ドームで尖った山容の怜悧な美しさ故に、ニニギノミコト降臨の地と云う神話になったのは想像に難くないような気がする。山頂には青銅製の天逆鉾(あめのさかほこ)が刺さっていたそうだが、現在はレプリカが屹立していると云う。青銅は噴火の衝撃で折れてしまったらしい。そんな予備知識くらいしかないが、知人に、今度高千穂峰に登るのですよと云ったら、「ああ、龍馬が鉾を引っこ抜いたとこですね」と云う言葉が返ってきた。そう云えば霧島に入ってからの道程では、坂本龍馬の新婚旅行に纏わる観光スポットの宣伝惹句が目に付いた。現在の高千穂峰に対する大衆のイメージは、概ねこんなところだと云える。因みに龍馬が引き抜いた鉾はレプリカ以前のオリジナルだったそうである。


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2014/7/25

高千穂河原(12:00)-----御鉢-----高千穂峰-----高千穂河原(14:45)

霧島連山周遊バスを降りて、高千穂河原ビジターセンターに向かう。私には未だ懸案事項がある。巨大なクレッタルムーセンの中に、膨大な荷物が積載されている。登山に不必要なものばかりが入っている。此れをなんとか預かって貰いたい。高原の爽やかな風が時折吹くが、陽射しに当たっていると暑さで頭がくらくらしてくる。建物に近づいたら、職員らしき男性と女性が出てきたので、待ってましたとばかりに、声を掛けた。

コインロッカーはありますかと問うと、男性職員が合点と云わんばかりに別棟に案内して呉れた。霧島の植生状況を説明展示している建物の、裏手に在る物置のような部屋に、木製の大きなロッカーがあった。三百円を支払い、鍵を受け取ると云う手順になっていた。此れでサブザックに必要なものだけを入れて登ることができる。私は安堵した。準備していると、えびの高原からバスに乗車してきた高齢の女性が、荷物を預かって貰えると訊いてきたのですが、と云って建物に入ってきた。職員が案内していくのを傍目に、揚揚たる気分で出発した。

高千穂河原は現在の霧島神宮に分祀される前に社殿が在った処で、案の定と云うか、噴火で焼失してしまい、現在は古宮址(ふるみやあと)と呼ばれる史跡が残っている。高千穂峰の登山口は、其の古宮址の手前で分岐するようになっているが、周囲は自然公園となっており、遊歩道が整備されている。私は自然研究路を経由して、登山道に合流する経路から歩き始めることにした。

木漏れ陽の差し込む静かな森を歩いて行くと、石畳の道が徐々に勾配を上げて行く。御鉢から麓へと延びる緩やかな尾根を、古宮址側とは反対の方から取り付いていくような進路である。見晴らしが良くなって、直ぐにつつじヶ丘の道標があり、其れを無視して尾根に向かって進むと、やがて登山道の分岐点に着いた。赤松や栂の樹林帯が徐々に疎らになって、直截に陽射しを受けるようになる。其れ程急いでいないが、三人組のハイカーに追いついてしまい、追い越させて貰う。木段が設えてある乾いた土の登山道を暫く登ると、程無くして広大な視界が開けた。


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なんとも呆気ない程に、御鉢の山腹に到達していたようだった。見上げると、砂礫の斜面の果てに、直ぐ其処に湾曲した御鉢の火口淵の稜線が見渡せる。こんなに近かったのかと、私は拍子抜けしたような気分になった。左手に、中岳の鷹揚な形の山容が見える。新燃岳は、未だ其の裏に隠れているようだった。そうして、踏跡らしきルートをなぞって、斜面を登り始めた。

急勾配の砂礫が、徐々に砂場のようになった。周囲には溶岩の赤が散らばり、灼熱の陽光が照りつける。呆気ないと思って眺めた御鉢のピークは、幾ら歩いても近づいてこなかった。砂を一歩踏み出して、半歩ばかりずずっとずり下がる。次第に、喘ぐような息遣いになって、前のめりの姿勢になって歩き続けた。此れは、と、フラッシュバックのように記憶が蘇る。宝永火口から馬の背に登った時の、徒労のような登りに似ている。宝永火口は霧の中で、砂礫が黒ずんでいて、地獄の底のような雰囲気だったが、高千穂峰の砂礫は、あっけらかんとした、広大で明るい中を歩き続けるから、趣は大分違う。見上げると、描いたような青空で、俯いて見ると、生物が何時迄も留まってはいけないと云われているような、無慈悲な荒野の斜面だった。其のコントラストは、天国でも地獄でもない、想像することの出来ない煉獄の風景を思わせた。老齢の夫婦を追い越した。もう死にそう。笑えない冗談を、息も絶え絶えに婦人が呟いた。

砂に埋まるような道程が漸く終わり、振り返ったら、高千穂河原の風景がジオラマのように見下ろせた。気がつくと、中岳の背後に、此れこそ無慈悲な褐色に染まった、新燃岳の奇怪な頭部の山容が現われていた。霧島連山の遠くは霞んで見えない。曇天でもないのに眺望が広がらない、夏の靄靄とした、特徴的な遠望だった。溶岩の乱立する斜面を蛇行しながら、私は間近に迫った火口淵の上を目指して登り続けていた。


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まるで冷房のような涼風が身体に吹きつけてきた。御鉢の突端に登り詰めて、火口を見渡した。直径五百米、深さ二百米の、活火山の火口だった。時計回りの稜線の向こうに、此処に居たのか、と云った感じで、高千穂峰がそそり立っている。側火山の広大な火口と、主峰の遠近感が、茫洋として掴めない。壮大なスケールの山容の隅っこに、私は立ち尽くしていた。

御鉢の火口淵を時計回りに、馬の背を黙々と歩いた。二百年前に噴火を繰り返したと云う噴火口の淵を歩いている。新燃岳の直ぐ近くに並んでいる、脈々と活動を続けている火山の上に居るのだと思うと、背筋に微かな戦慄が走ってくる。馬の背は標高を上げていく程に痩せていき、東端の際に達した処から、高千穂峰の全容が見渡せた。噴火の傷痕なのか、崩落して抉れた山腹から、褐色の土が剥き出しになっている。其れは凄惨な色彩だった。


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いよいよ御鉢の馬の背から、高千穂峰との鞍部を見下ろす。ただのコルではない。其処は馬の背が緩やかに湾曲した形状からの由来か、背門丘(せとを)と呼ばれる箇所で、鳥居がぽつんと立っている。背門丘は天孫降臨の現場とされており、其れを祀る霧島岑神社が在った処である。噴火のたびに焼失し、結局高千穂河原に分祀され、其れも噴火で焼失し、現在の霧島神宮に分祀されていると云うことである。其の名残として鳥居と小さな祠が設えてある。


其処に向かって、木段を下っていった。馬の背で小休止している間に私を追い越していった、バスと荷物預かりで一緒だった高齢の女性が、もう高千穂峰の登りを開始しているのが見えた。私が砂礫の途中で追い越した後続の人々がやってくる気配は無い。連山バスでやってきた単独行のふたりだけが、背門丘を黙々と歩いていた。

背門丘から高千穂峰の登山が始まる。道標は親切にも百米毎に設置されていて、頂上迄の距離が徐々に減っていくのが判る。しかし、踏路は実直に続き、木段が在るとは云え、砂礫、溶岩でざらざらした急勾配だった。そして、霊峰を登り詰めていくに従って、空の青が消えた。つい先程迄の晴天が、嘘のように豹変した。周囲が霧に包まれて、頂上から下山してくる人々が、陽炎のようにぼんやりと現われる。木段の先が見えなくなり、彼方が白く揺らめいている。そうして、標高一五七四米、高千穂峰の頂上に達した。

山頂に祀られた天逆鉾が、囲いの中で石積みの上にそそり立っている。旗竿には日章旗が掲げれていなかった。山小屋が休業しているので、掲揚役が不在の所為だと思われる。霧の山頂には、くだんの高齢の女性と私のふたりだけである。私は鉾に向かって参拝してから、其の裏手に廻ってみた。北面では霧の合間に、宮崎県側の景色が薄っすらと眺めることができる。矢岳を眼下に、其の向こうには新燃岳から派生する山脈が延びているのが窺えた。駱駝の瘤が深緑色の装飾を纏ったみたいに、丸岡山と夷守岳(ひなもりだけ)が浮かんでいる。

天逆鉾の裏側は、そんな眺望も在り、三角点と立派な風景指示盤が設えてあった。私は登頂者で賑わう表側を避けて、此処で簡単な食事をすることにした。暫くしてから、例の高齢の女性が、カメラを手にして私に近づいて来た。機智を利かせて、シャッターを押しましょうと云ったら、困ったような表情をしながら喜んで、お願いします、と云われた。

「誰も居なくなっちゃって……韓国岳の時もそうだったのよ。私が登ったら、みんな下りていっちゃって」

間違いなく私よりも健脚である高齢女史のカメラのシャッターを数回押した。天逆鉾の裏側なので、表側に廻って撮ってあげた方がよかったかもしれないな、と、其れは下山の途中で気がついたことだった。霧の背門丘でふたたび参拝してから、御鉢の火口淵に戻った。不思議なことに、瞬く間に、天候が快復して、当たり前のように陽射しが差し込んできた。振り返ると、高千穂峰は、やはり霧の中に姿を隠していた。

ふたたび西端の火口淵迄到達し、後は砂の道を下るだけとなった。ちょうど登りついて、岩に腰掛けて休憩していた、太鼓のように太ったおばさんと挨拶を交わした。太鼓のようだけれども精悍な顔つきで、恰好もベテランの登山者と云う雰囲気がある。頂上はどうだった、と訊かれたので、ガスで何にも見えませんでした、と応えた。しかし、振り返れば、既に雲が流れるようにして霧が晴れていき、高千穂峰の姿が徐々にに見えようとしていた。其れをふたりで眺めたあとで、太鼓女史が云った。

「ああ、私が登る頃には、丁度晴れるかもね」

其れは俺が云ってあげる台詞の筈なのに、と、内心癪に障ったのだが、太鼓女史のあっけらかんとした表情は、どうにも憎めない風情があった。


自然に拠る節理と云うようなものが、在るのだ。背門丘を越えて、神域に入って霧に包まれた霊峰を登った情景は、心に染み入るような記憶として、私の裡に残っている。そうだそうだ、其れでいいのだ、と自分に云い聞かせるようにして、私は砂礫の道を、駆け下りていった。

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追記

連山周遊バスの15時半発に無事乗車した。帰路も乗客は高齢女史と私のふたりだけであった。えびの高原から日焼けした散財氏も乗車して、既知の乗客たちと丸尾に戻った。空港行きに乗るふたりと別れて、廉価でプリミティヴな風情の前田温泉で汗を流し、国分行きの最終バスに乗った。乗客は最後迄私ひとりで、延々と一時間もバスに揺られた。いわさきバスの存立に危機感を覚える。一日乗車券を使用して、バスで移動する登山客が増えることを願って止まない。

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