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2014年7月

高千穂峰(前篇)

Kirishima


溝辺鹿児島空港には朝の八時半に着陸した。此の早朝航空便に搭乗するために、自宅を出たのが未明の四時半だから、18切符の鈍行で北アルプスに向かうと云うような出立の時刻にも似ている。此れからバスで移動し、高千穂峰の登山口である高千穂河原に降り立つのは正午の前になる。丁度、昨年敢行した、八方尾根を登り始めるくらいの時刻である。尤も、高千穂河原に到達する迄に随分時間が掛かっているように思えるのは錯覚ではない。霧島連山周遊バスに接続する、丸尾経由いわさきホテル行きの一番バスの出発迄、一時間待たされるからである。しかし、空港での乗り換え時間としては適切なようにも思える。そして、此の時間を利用して、やらなければならないことがある。

2014/7/25

高千穂河原11:40-----御鉢-----高千穂峰-----高千穂河原14:30


Takachihokawara

南九州の山に頻繁に訪れているが、例によって妻の実家に用事があっての鹿児島行きの序でに、あれこれと山行きを絡ませようと云う苦し紛れの計画である。開聞岳、韓国岳と登り、今年は此れで三度目である。鹿児島は既に曾遊の地と云っていいだろう。因みに、何の用事で妻の実家に頻々な用事があるのかと怪訝に思われる方も、或いは居るかもしれないが、別段不穏な争議が有る訳ではないと云うことを敢えて記しておく。とにかく朝の早い時刻に、溝辺鹿児島空港に到着したのである。

初めて訪れた霧島連山で大雨の憂き目に遭ったのはつい三ヶ月前のことで、止むを得ず、えびの高原から最も楽なコースで韓国岳に登った。巨大な噴火口を持つ火山群の眺望を見ることができなかったのは勿論のことで、猛烈な強風で吹き曝しとなり、生命の危機に瀕しているような気分で往復してきた。今回も日程は恣意的には設定できないが、用事の前後で複数日に渡って登山をすると云う計画が浮かんだ。一日だけ山を訪れる計画を立て、当日が雨では愚行の二の舞である。

果たせなかった韓国岳からの眺望を享受したいのは勿論だが、私の主題は、あの端整な高千穂峰である。とりあえず、初日の朝から鹿児島県に居て、天候が良ければ、万難を排して高千穂河原に向かう。駄目ならば丸尾温泉に浸かって霧島神宮へ参詣でもしようかと云う算段である。いずれにしても、今日の晩は天文館に投宿しなければならない。用事は二日目である。酒宴にも参加しなければならないので、三日目の出発時刻を未明にするなど、極端に早くすることができない。妻の実家で奇矯な振舞いは避けなければならない。其処は肝に銘じておかなければならない。

だから三日目に霧島を再訪するにしても、高い山には行けない。正念場は四日目と云うことにして、三日目はえびの高原から離れない程度の場所に投宿しなければならない。それはそうとして、鹿児島空港の空は抜けるような青空で、強烈な陽射しが照りつけている。今日は高千穂峰に登ることができる。日程を滔々と説明しているうちに、バスに乗り遅れたら大変である。

市内に向かうリムジンバス乗り場の前に、バスの案内所がある。此処で、「霧島バス一日乗車券」を買わなければならない。連山周遊バスは勿論、空港や国分駅、霧島神宮駅からのアクセスに必要なバスも含めて、乗り放題の切符である。値段が千円と安価なので、是非とも入手したい。窓口には客が居ない。係員の女性がなにやら伝票のようなものに記入する作業に没頭している。おずおずと彼女に声を掛けて、フリー切符を買い求める。難なく入手した切符は、ご利用日、の欄が空白で、其処に係員が手書きで記すと云うものだった。案内所が閑散しているのを幸いに、私は自分の計画に必要な質問をすることにしてみる。

「あの、此の切符ですが、例えば明後日の日付の切符を今此処で買うことはできるのでしょうか」
「あ、はい。買えます」

愛想のよい女性係員が、朴訥に云った。一日乗車券の売り場は限られていて、鹿児島中央駅や国分駅、此処鹿児島空港の他は、霧島の観光案内所とか、土産屋とか、霧島の指定宿泊施設と書いてある。明後日は鹿児島中央駅で買えばいいが、最終日に、此の切符を販売している宿には居ない予定なので、此処で買えるのならば是非買いたい。そう考えていたから、芙久本と名札に書いてある女性係員の言葉にホッとした。続いて、懸案事項があるので芙久本嬢に再度の質問をする。

「実は、明後日は鹿児島中央駅から丸尾に行くのですが」
「……」
「指宿からの高速バスが、中央駅に立ち寄りますが、其れに乗るんです。其れに乗って、空港を経由して、丸尾迄乗って、其処から連山周遊バスに乗ります」

芙久本さんは何の話かと云うような表情で、理解できているのかいないのか、無言の儘で微笑んでいる。早く要点を説明しないと、異常者と思われてしまう。

「此の一日乗車券は、空港から霧島方面で有効ですが、明後日の高速バスに乗って、空港迄の切符を買い、今此処で、明後日有効の一日乗車券を買えば、併用できますか」

要点を云った積もりだが、芙久本さんは随分思案してから、高速バスだと、丸尾迄の切符が必要です、と云った。仕方が無い。丸尾からえびの高原、そしてえびの高原から宿泊地である新湯温泉入口バス停迄の乗車でも元が取れるだろうか。そう思案して、其の区間の運賃は幾らか聞いてみた。

「空港から丸尾迄は分かるんですが……その先がわからないんです……でも、電話して聞いてみます」

かなり狼狽した表情になった芙久本さんが電話を掛けている。お待たせしました、と云って金額を説明した。

「……ですので、此れだと、一日乗車券の方がちょっと高いです」

困りましたね、と云うように芙久本さんが云う。此れ以上困らせてはいけないので、私は明々後日の分を一枚所望した。其れで芙久本さんが漸く開放された。無事清算を済ませると、芙久本さんが大きな声で、いってらっしゃいませえ、と云った。

製造後三十年は経っていると思しき古びたバスが空港に迷い込んでくるように進入して停まった。霧島いわさきホテル行きのバスである。霧島国際音楽祭に向かう男女の学生が巨大なチェロのケースを抱えて乗車した。其れに続いて乗り込む。私が背負っているのは、テント泊用の60リットル容量の、クレッタルムーセンHuginである。テントやシュラフを積んでいる訳ではない。肝心の鹿児島の用事に必要なものが思いの他嵩張り、東京からの手土産品を数個運ばなければならないので、止むを得ず大容量のザックを背負ってきている。外見はどう見てもテント連泊縦走登山の趣である。異様に映るのだろうと諦めていたが、チェロのケースに比べると可愛いものである。

途中のみやまコンセールと云う処でチェロの学生が全員降りて、私独りの貸切になった。バスの唸り声が大きくなり、相対的に速度が遅くなった。霧島温泉郷の看板が見えて、急勾配をゆっくりとバスが走る。晴天の車窓の遠くを見たが、夏の靄靄とした空気が、見える筈の霧島連山の眺めを遮断してしまっている。そうして見慣れたような積もりになっている、丸尾の風景が近づいてきた。バスを降りたら、猛烈な陽射しが照りつけた。丸尾バス停の横にある、温泉市場の方から、相変わらず硫黄の煙が流れてくる。其れで、丸尾に来たのだな、と云う感興が湧き上がってきた。

十数分の待ち合わせで連山周遊バスがやってくる迄、木陰で涼を取りながら紫煙を燻らせていた。前回、初めて訪れた時は、大雨故の閑散ぶりなのかと思ったが、晴天の今日も、丸尾からバスでえびの高原に行く人間は居ないようである。平日とは云え夏休みの金曜日であるから、バスの存続は大丈夫なのだろうかと、ぼんやりと思った。

前回に出会った無謀軽装氏を思い出し、今日は誰も居ないなと思っていたら、タクシーが目の前に停まった。後部座席の乗客を其の儘にして、運転手が下りて、丸尾バス停の時刻表を見ている。客はどうやらハイカーのようで、ザックが隣に鎮座している。だから客は最初ふたりなのかと思ったが、ひとりなのだった。運転手が車に戻り、客と少し話していて、暫くして客は清算して下車した。今日も連山周遊バスは、私と、もう一人の登山客を運ぶようであった。

悠々とタクシーで丸尾に着き、運転手にバス時刻を確認させるとは優雅なものだと思っていたが、其の中年男性は私に弱々しく挨拶をしてきた。何処から来ましたか、と云うような通り一遍の会話の後、貴殿を今朝の羽田で見掛けて、重装備だなあと思いました、と其の男性が云うので驚いた。一緒の飛行機で鹿児島に来たらしいが、空港からタクシーで来たのかと訊いたら、そうではないのですと、沈鬱な表情で云った。

彼の計画では、高千穂河原に行くバスが、霧島神宮駅から出るものと認識していたらしい。其れは、前回初めて霧島行きを計画した時、私もインターネットサイトで、其の時刻表を見たことがある。しかし、念の為いわさきグループに電話して確認し、其のバスは昨年で廃止になったことを知ったのである。高千穂河原・バスで検索を掛けると、古い儘の時刻表がヒットしてしまう。彼は其れを真に受けてしまったらしい。因みに、昭文社「山と高原地図 霧島・開聞岳」の、私が所持するのは2013年度版だが、其処にも「霧島神宮駅-高千穂河原 いわさきバス35分」と記してある。

どんな経路で空港から霧島神宮駅に向かったのかは定かではないが、バスが無いことを知り、仕方なく霧島神宮駅からタクシーで丸尾に向かい、そして此処に居ると云う訳であった。六千円も掛かった、散財です、と、独り言のように云う。脚を怪我してしまって、今はリハビリ登山です、と語る散財氏と冴えない会話をしているうちに、連山周遊バスが到着した。

丸尾を発車したバスが、硫黄谷温泉に差し掛かる頃から急勾配に喘ぐように、ゆっくりと走る。噴出する蒸気が車道を覆い、周囲が真っ白になる。いわさきホテルの敷地に立ち寄るが、相変わらず乗客は我々ふたりだけであった。散財氏は高千穂河原に行く気が失せたのか、えびの高原から韓国岳に登ると云う。私が一度登ったと云う話をしたので、コースは厳しいですかと訊くから、丹沢の大倉尾根に比べたら随分楽ですと云うと、散財氏は複雑な表情をした。

二度目のえびの高原に到着した。雨と霧の風景しか知らないから、全く違う処に来たような風情だった。エコミュージアムセンターの向こうの、直ぐ其処に韓国岳の巨大な山容が聳えていた。相変わらずの弱々しい感じで挨拶をしながら、散財氏が下車した。入れ替わりに、高齢の女性がザックを背負い、黒い大きな手提げ鞄を持って乗車した。連山周遊バスは、えびの高原から引き返すようにして県道を下って行った。

新湯入口迄来た道を戻り、左折して奥深い森の中をバスが走る。新湯温泉は明後日に宿泊する場所なので情景の説明は省略する。車内に迄硫黄の匂いが充満するようになって、霧島川に併行しながら湯之野温泉を過ぎて、漸く高千穂河原に到着した。広大な駐車場を従えて、立派なビジターセンターが建っている。其の奥に大きな鳥居が屹立して、いにしえの神宮への道が続いている。見上げると、見紛うことの無い双頭の山容が聳える。高千穂峰に隣接する御鉢が、広い火口を湾曲させて双頭のような山容を表現している。

天候は、申し分ない。いよいよ天孫降臨の高千穂峰に登るのだ。そんな感慨で胸が一杯になり、私は、何故か息苦しいような気分になった。

イソツネ山・沖ノ指・小中沢

Photo


奥多摩駅から奥多摩湖へ向かう青梅街道は、左右に険しい山々を見上げながら、激しく蛇行する多摩川に追随するように続いている。時折現われる隧道の多さが、此の道程の険しさを感じさせる。バスに乗って車窓を眺めていると、山奥に分け入っていると云う実感が湧き起こり、やがて別世界のような広がりが見渡せると、人造湖を形成する小河内ダムが見えてくる。車窓は此処で新たな展開を見せる。山行きバスの趣である。

2014/7/12

梅久保バス停(8:30)---イソツネ山---沖ノ指---小中沢(沖ノ指クボ)---三ノ木戸---城---奥多摩駅(15:30)

登山者たちでぎゅうぎゅう詰めの、土曜日の朝の峰谷行きのバスに、私とkz氏は揺られていた。随分早い時間に到着していたと思しきkz氏が座席を確保して呉れたので、小さいふたり用のシートに身を寄せ合って縮むようにして座って居る。今日の行程の参考資料をコピーしたものを見せて、kz氏がいろいろと説明して呉れるが、私は其れが余り頭に入らない。満載の乗客の圧迫感で落ち着かないのが原因で、しかも私の膝に臀部を押し付けてくるのが若い女性なので、さらに落ち着かない。

山行きバスの醍醐味である、山峡を抜けて奥多摩湖へと至る車窓を愉しむことなく、我々は降車の準備をする。境橋で数人が下車した。御前山に向かう登山道に近いバス停である。境橋を出ると次は梅久保。そんなバス停があることすら今迄知らなかったが、kz氏と私は此処で降車する。ひしめき合う人間とザックを掻き分けて、懸命にバスを降りた。

バス停はまったく人家の類が見えない街道の途上で、石灰を運ぶダンプカーが断続的に疾駆して通り過ぎる恐ろしい場所だった。目の前に隧道があり、反響した轟音がいつまでも消えない。隧道が貫通している尾根が、急傾斜で多摩川に落込んでいる。今日は先ず、此の尾根に取り付いて、地形図に三角点の印がある846.2mピーク、イソツネ山に登る。

隧道に回り込むようにして、斜面の踏跡を難なく見つけることができた。最初の傾斜を登りきると、祠が鎮座している。其の傍らから歩きだすと、其処はくだんの隧道の真上だった。開けた風景の眼下は、かなりの高度感で、砂礫の道を転倒しないように慎重に歩く。転げ落ちたら最期である。程無く植林帯の急勾配が始まり、我々は無言で其れを登り続けた。

私はkz氏所有のロードメジャーを転がしている。今日の山歩きも「登山詳細図奥多摩西部篇」の踏査なのである。昭文社「山と高原地図」に載らない登山ルートを踏査して網羅する「登山詳細図」に梅久保からの登山ルートが載れば白眉の出来と云える。そんな思い込みで、いきなりの急登を登り続けた。足元はしっかりとしている。

尾根は明瞭に一本道で、見上げれば延々と上に向かって続いている。右手は植林帯が広がり、左手も同様だが、直ぐに山肌が急降下しているようで、青梅街道と多摩川が遡上していく雰囲気が窺える。しかし眺望は無い。道に迷う心配は無いが、ひたすらに続く急登を見ると、少しだけ意欲が減退していくような気がした。

急登が一旦終わり、緩やかになった処が528m地点で、左手に広がる伐採された山肌に向かって延びていく作業道のような踏跡が見える。我々は、勿論尾根の上を登り続けた。途中、露岩が突出している箇所が現われ、其れを合図に休憩を取る。kz氏は、岩塊を見ると近寄っていき、丹念に其の形状を調べている。穴かと思ったらそうではなかった、と云うようなことを頻繁に口にする。洞窟のようなものを発見することに意欲があるようだ。洞穴を見つけると云うことが、山の調査では意義の深いことなのだろうか。私は、私自身が理解していない価値観があるようだと云うことに興味が湧いたのだが、其れをkz氏に訊くのは止めておいた。私は、休憩することだけにしか、専念できなかったからである。此の急勾配の連続は、想像以上に私を疲弊させていた。

いつしか周囲は広葉樹林に囲まれていて、立派な巨木が林立している。イソツネ山に辿り着く直前に、東西に走る尾根に乗り上げる。此れは六ツ石山から南下して、トオノクボから東に分岐する榛の木尾根と呼ばれる尾根である。先に登りついていたkz氏が、あそこが頂上だよと、左手の盛り上がったピークを指している。榛の木尾根に立つと、彼方に立派な山なみが聳えているのが見渡せた。雲取山から延々と氷川迄連なる、石尾根である。其の連なりに、ひと際雄大な台形の山が盛り上がっている。此れが三ノ木戸山で、数週間前に訪れた平坦な広いピークの山である。小中沢を隔てた榛の木尾根から眺めると、立派な山容であることを初めて認識できる。

イソツネ山の頂上は、少しだけ樹林が伐り拓かれていて、植物が繁茂している雑然とした雰囲気の場所だった。三角点の石柱は黒ずんで煤けている。手作りの山名標が朽ちかけている。三角点から外れた処に、居心地のよい木陰があって、其処で休憩した。三ノ木戸山の山肌に、一軒の家屋があり、其れが遠近法を無視したかのように大きく見える。あれが三ノ木戸の集落だと、kz氏が教えて呉れる。山腹に、目を凝らして見ると、樹林帯にひとつの筋が切ってあり、其れが氷川方面に続いている。途中に家並みが集まっている処がある。城の集落だよ。またkz氏が教えて呉れた。刻まれた筋が、三ノ木戸林道なのであった。

さて、梅久保から尾根を直登してイソツネ山に登ると云う踏査は達成した。これからどうするのかと云うと、前回、私とNZ氏が発見できなかった、石尾根の途上から寺地に下る、地形図の破線を探索しようと云うことになっている。石尾根から分岐する地点は峰畑峠と云い、其の地点は、地形図の破線が分岐する処よりも、少し氷川寄りにあるらしい。全てkz氏の調べによるものである。目の前に聳える石尾根に行くのだが、尾根に忠実に歩くとすれば、六ツ石山を経由して、遠回りせざるを得ない。其れはしんどいので、眼下の谷に下りて、小中沢を渡り、三ノ木戸集落に出て、城集落から峰畑峠に登ると云うことになった。

榛の木尾根をぐるりと廻るのも遠いが、谷底に下りて向かいの山に登り返すと云うのも、考えただけで疲れるような案である。梅久保からの途上で、あまりにも疲れたら、三ノ木戸から氷川に帰ろう、などと会話していた我々だったが、今、目の前に石尾根を眺めて、其れはもう既定路線と云うような雰囲気になっていた。しかし、此処から直截的に小中沢に下降することはできない。榛の木尾根を登り、途中の1041mピークである、沖ノ指を越えてから、谷へ降りる道がある。だから、ふたたび尾根を登り続ける。

北西方向に延びる尾根の上は、岩塊が連なっている。其れを避けてトラバースしようとすると、見通しのよい場所故の夥しい藪が広がっている。もとより、尾根の上を回避するつもりは無いから、岩の隙間を慎重に進んで行く。北アルプスの練習だあ、と、kz氏が笑っている。岩場の左側は崖状になっていて、谷底の気配が陰気に広がっている。イソツネ山に登頂して弛緩していた身体に、改めて緊張感が走って硬くなっていく。そんな気がした。

岩尾根を辿り、鬱蒼とした樹林帯を抜けたら、眩い広がりの光景になった。場所は、境橋から続いてきた地形図の破線が、榛の木尾根に合流する地点である。ふたたび石尾根が見渡せる良景だが、周囲は背丈くらいの藪が広がっていた。分岐点にイソツネ山への指標が在る筈、と云って、kz氏は周囲を探索しているが、発見は出来なかった。其れでふたたび先に進まねばならないが、藪だらけで先が見えない。踏跡らしきものを足元で探し、藪を掻き分けながら進んでいった。

見上げると尾根は真直ぐに聳え、登って行く方角は明確だから、必死に藪を漕いでいく。繁茂した叢によって、剥き出しの二の腕が次第に掻痒感に苛まれていく。痒いです。痒いよお。と、ふたりで叫びながら行進している。そんな時、遥か彼方で人の声がした。何か叫んでいる。一瞬、山の地主が我々を見つけたのかと思ったので、ふたりで目を見合わせた。怒られているのかな、などと云っているうちに、また声がした。

叫び声の内容が判然としてきた。此の先に道があるのかと云っている。後ろからやってきたハイカーのようである。其の儘藪を進むしかない、kz氏が呼びかけるが、声の主は、其処で待っていてくれ、と叫んでいる。榛の木尾根を登ろうと云う程の者にしては、随分軟弱なことを云っている。こちらも未だ藪を脱出している訳ではない。植物が繁茂した見晴らしのよい尾根の上は、灼熱の陽射しが降り注いでいる。待ってられないよと、思わず私は口にして、kz氏に目で合図をして、先を急いだ。樹林帯の入口に漸く辿り着いて振り返り、くだんの軟弱氏の様子を窺う。なんとか進んでいるようなので、其の儘抛っておいた。

木陰の山道になり、安堵して登り続けたら、小さな祠が祀ってあった。榛の木尾根は漸く落ち着きを取り戻したようで、明瞭な踏跡が続いていた。暫くすると、登山道が目の前の斜面を右に迂回するような形になっている。石積みの焼窯跡が在る処で、此処から踏跡を無視して、目の前の斜面を登る。ピークは視線の先に窺えるが、久しぶりの急登である。喘ぎながら登り、頂上に着いた。周囲は岩で囲まれていて、鬱蒼としている。山名標があって、沖の字が朽ちていて、中ノ指、と記してある。此処が1041mピークの、沖ノ指だった。

軽い食事を摂り、大休止をして、沖ノ指を降りることになった。岩山のピークの、直ぐ北側に尾根全体が広がっていて、トラバースの登山道が見える。其れに合流した処に、ひとりのハイカーが座り込んで休憩していた。勿論くだんの軟弱氏で、疲れきった様子で座っている。境橋から登ってきたと云う疲弊の極みのような軟弱氏とは話が弾まず、我々は早々に出発した。

西北に延びる榛の木尾根は、実直な登りの連続になった。標高1100m付近で、ふたたび北面の風景が広がる。其処は地形図の破線が、尾根の南面に捲いていくのが記されている地点であった。そして、漸く現われた、小中沢へと尾根が分岐して落ちていく地点でもある。kz氏は暫く周囲と地図を凝視していて、進路を確認している。持ってきた資料である、「新ハイキング」誌に掲載の松浦隆康氏によるガイドを読む。此れは小中沢から周縁の尾根迄を巡る幾重もの踏跡が克明に記されてあるもので、微細な記事である。読んでいると頭痛がしてくる程に細かい。其の、現在居る榛の木尾根途上地点に至る部分を探して読んでみると、目印は用地境界標の番号であった。小中沢から榛の木尾根迄を辿る尾根の途上にある境界標は、1070m付近にある、556番であると記されていた。

其れで、分岐している急勾配の尾根を下りて、境界標を探した。松浦氏記述の頃から年月が経っていて、新しい境界標があり、番号が全く関連性の無い数字だったので一瞬躊躇したが、程無く556番の古い標柱を発見することができた。其れで安堵して、勾配を下げていった。右手の視界に、榛の木尾根が遠ざかっていく。ジグザグに切ってある道は明瞭で、想定外の歩き易い道である。左手に沢の音を感じるようになった頃、西に延びる金山沢から続く踏跡に合流した。道はその後、尾根を大きく跨ぐように、反時計回りのように辿り、トラバースしながら小中沢の濠音が聞こえる方へと下りていく。

榛の木尾根の上から小中沢の底に辿り着いた。其処には木橋が渡してあり、上流を眺めると滝状になっている。其れが濠音となって山腹まで轟いていたと云う訳であった。せせらぎの傍らには石を積んで水を呼び込んでいる山葵田が設えてあり、其の上の三ノ木戸側に、モノレールの軌道が走っている。宮内敏雄著「奥多摩」の概念図に記されている、沖ノ指クボ、が此処だと思われる。kz氏と私は、此処で大休止を取り、畔に下りて汗に塗れた顔を洗い、藪を漕いで痒く不快だった腕を洗った。

木橋を渡り、三ノ木戸方面に辿る道を行くと、夥しい倒木で道が塞がれていた。大雨の土砂崩れの所為だろうが、倒木の群はモノレールの軌道を破壊し、山葵田の一部にも突き刺さるようにして折り重なっている。勿論山道も寸断されているので、其れ等を跨いだり潜ったり、一部を高捲いて、難渋しながら通過した。

崩壊地点を過ぎて、山肌に沿う道を諄々と辿る。余り下っているように感じないトラバース道だが、気がつくと右手に在った小中沢が、遥かに下方を流れている。沢に至る山肌は、断崖となっているのだろうと察せられる。地形図にも崖のマークが記されている。

地形に忠実に、山肌の起伏を蛇行しながら横切って歩く。途中に、見所として詳細図に記したいくらいに立派な大岩があった。其れを通り過ぎると、左手の上の方から、道が合流してくるのが見えた。三ノ木戸山からの登山道だよと、kz氏が教えて呉れる。其れと合流してくると、前方に極端な高床式の建造物が見えてきた。対岸から見えた大きな家である。山道が終わり、舗装路の終点に出た。其処が三ノ木戸であった。

豪奢な別荘と思しき家が一軒だけ存在するのが三ノ木戸集落と云う訳のようで、林道終点の地点からは、出来すぎのような山々の風景が広がっていた。鋸山、天地山、御岳山、そして鳩ノ巣城山が並んでいる迄を見渡せる。別荘の為に伐り開いたのだとしたら、豪勢なことである。

其の景勝ポイントに座って、暫く茫然として休んだ。峰畑峠はどうしよう。kz氏が窺うようにして云う。もう帰りましょう。私が云うのを、想定内と云った感じで、kz氏が頷いた。そうして、長い道程で、氷川に戻った。


Sanukidos

補記

帰途の途中、城の集落から山道に入り、地形図の破線通りに歩き、林道へのバイパスとする。羽黒三田神社の境内に下り着こうかという処で、左に分岐する山道があり、奥多摩駅に繋がる舗装路に出るからと云うことで、kz氏が踏査も兼ねて歩こうと云うから従うことにした。道は神社の在る尾根から外れて谷へと下っていき、沢沿いに下って行く道だったが、著しく倒木があり、最後の最後で困難な道程となった。梅久保からイソツネ山に登る途上の落石負傷未遂事件があって、餃子を奢って貰うと云う約束は取り付けてあったが、最後の難路でふたたび藪に塗れて腕が痒くなったので文句を云ったら、kz氏が、麦酒も奢ると云ってくれたので、納得して奥多摩駅前の食堂に到着した。結局、kz氏に全部奢って貰うことになってしまい心苦しく思うがまあ止むを得ない。感謝の念とともに丁度良く出発するホリデー快速で帰途に。抗えない睡魔に襲われ、立川で朦朧としながらkz氏と別れた。

山ノ神尾根・三ノ木戸山。登山詳細図踏査隊と歩く。

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奥多摩の山と云うものを随分承知しているような気分でいたが、実際は登っていない山の方が多いのは当然である。「登山詳細図」の踏査で日原から三ツドッケに登って、其の感懐を改めて認識した。其れで、ふたたび奥多摩西部篇の踏査に誘われたので、今日も二週間前と同じ時刻の奥多摩駅に居る。木製ベンチに座って、紫煙を燻らせながら、好天の空を見上げる。御不浄に行き、簡易なストレッチスパッツを装着したりして、緩慢な動作で準備をしながら時間を稼ぐが、鍾乳洞行きのバス時刻はなかなかやってこない。踏査隊が乗ってくる電車が漸く到着しそうな時刻に、バスが何時の間にか駅前に停車したので乗り込んだ。いちばん奥の座席に座って待つが、駅前の閑散とした雰囲気が、何時まで経っても変わらない。対照的に、西東京バスの従業員たちが、なにやらせわしない。彼らは協議を重ねた挙句、漸くバスに居る数人の乗客たちに、電車が遅れているので出発を二十分遅らせると発表した。

2014/5/30

寺地バス停(9:00)---大沢---小菅---山ノ神尾根---狩倉山---三ノ木戸山---石尾根---奥多摩駅(16:30)

引き続きぼんやりとしていたら、やがてレールが軋む不協和音が響いてくるのが聞こえた。其れで、漸く青梅線の電車が到着したのだが、間もなく駅舎から夥しい登山者が溢れ出してきて驚いた。待ち合わせをしている人がバスに間に合うかと気を揉んでいるこちらの立場以上に、大幅に遅れた電車の乗客の、数少ないバスに乗れるのだろうかと云う危惧と焦燥は切実のようで、難民がボートに押し寄せるかのように、大勢の人が鴨沢行きや鍾乳洞行きのバスに殺到してきた。平日の朝の光景とは思えない程、登山客でバスの車内は埋め尽くされた。

ごったがえす車内の彼方から、「登山詳細図」世話人氏が私の名を呼んでいるのが聞こえて、大慌てで返事をする。待ち合わせが成就したので安堵するが、バスが発車して程無く、次の寺地で降りると云う世話人氏の呼びかけにふたたび驚く。寺地は奥多摩駅から四つ目の停留所である。私はバスの最奥の席から、川乗橋や日原に向かうハイカーの人混みを掻き分けて、決死の態勢で下車した。早くも波乱含みの様相である。

バスが去ってしまうと、寺地は何も無い、日原街道の山沿いの途上にバス停が或るだけの処であった。本日の行程は、三ノ木戸山から日原川に落ちる尾根と、六ツ石山付近にある、登山道が捲いている狩鞍山と呼ばれる1452mピークから日原川に落ちる尾根の踏査である。前回初めて御一緒したNZ氏と三人で、寺地から見通尾根と十二天尾根を調べながら三ノ木戸山へ向かい、石尾根を狩鞍山へ移動して下山の途に掛かると云う目算が世話人氏に在って、此の変哲の無いバス停で下車した次第である。

地形図に破線が記されている寺地から見通し尾根に乗る為のルートは、沢沿いの鬱蒼とした踏跡が窺える。しかし、登りの途上で行き止まりになった場合のことを憂慮した結果、車道を大沢迄歩き、小菅集落から狩鞍山へ登るコースに変更することになった。インターネットの情報で、山ノ神尾根を歩いた記録は散見するが、見通尾根の情報が無いと云うのが懸念の根拠だった。


Sanukido1

国際虹鱒釣場の大沢は、山間に開けた気分の良い場所である。石尾根に続く道としては、此処から直登できる十二天尾根と、狩鞍山から派生する、日蔭指尾根と呼ばれる長い尾根もあるのだが、今日の踏査は、小菅集落経由を全員で登ることになった。山の中腹に在る小菅迄、延々と車道を歩く。途中、ショートカットして民家の合間を縫って登り、ふたたび車道に出ると、随分高い処迄登ってきたな、と云う思いに駆られる風景が広がった。石段を登ると、漸く山ノ神尾根の取り付きである伽藍神社に到着した。

神社の裏手の心細い踏跡を辿り、尾根の左側に沿って進むと、廃屋と古びた石碑のある広場に達した。伽藍神社が以前在った場所のようで、確かに祭事のできそうな広場だった。そして、此処から漸く山道が始まった。植林杉に覆われた尾根の左側をトラバースして、緩やかに作業道が続いていた。次第に高度を上げて、途中で無理矢理にジグザグの道が切ってあり、ひと登りで尾根の上に達した。北面には広葉樹林が散見できるようになって、漸く開放感のようなものが身体を満たしていくような気がした。樹間から石灰の採掘場が垣間見えるので、視界の端に余計な白い光が残像となって纏わりついてくる。其れが気に障った。

山ノ神尾根の主尾根に合流する迄は、広々とした樹林帯の真ん中を、明確に道が連なっていた。やがて其れが行き止まり、緩やかに尾根を真っ直ぐに登っていく。左手にも起伏の乏しい尾根が併行しているのが見える。其れと寄り添うようになると、周囲は茫洋とした広場で、目の前に主尾根は見えるのだが、踏跡は不明瞭になった。やや北側に回りこんで尾根に乗る。其処から後ろを振り返ると、小菅に下りる尾根は判別できない。下山の場合は進路を探すのに躊躇してしまいそうな場所である。


Sanukido2

勾配はやや急になり、尾根は南西方面へシフトして、直截的に登るようになった。右手に広がる日原方面の風景が、新緑のフレームに囲まれたような感じで広がる。主尾根に乗ってから、世話人氏とNZ氏が、加速するようにして登っていく。私は、ロードメジャーを転がしていると云うのもあるが、自分のペースを変えないから、みるみるうちに引き離されていった。漫然と続く勾配が、少し厳しくなり、其れを登りきったら、小菅山と麓では呼ばれている、989mピークだった。北西に崖の印の在る小菅山だが、頂上からの眺望は無かった。

鞍部に下りて、ふたたび登り返す。やがて、五万分の一地図でも判然と崖が構成されているのが判る箇所に近づいていく。登路としては、標高凡そ1020mくらいの処で崖地にぶつかる筈である。踏跡は当然、崖とは反対側の、尾根の左側を辿っているのだろうと思っていたが、実情は違っていた。岩場は其の一帯を覆うように構成されていたから、尾根を登り続ける為には、手掛かりを見つけて、岩を登るしかなかった。ロードメジャーを転がしながら私が登ることができたくらいなので、其れ程危険な岩場ではないのだろうが、下山の場合では注意すべき箇所である。


Sanukido3

標高1200mで瘤を越えて、尾根が左にカーブしていく。ふたたび崖マークの在る箇所だが、此処は其れ程の岩場では無かった。尾根が断続的に派生しているので、地形図では推し測れない小ピークをアップダウンしながら登る。狩鞍山が間近になってきて、最後の急登の直前で休憩して、ひと息で登り詰めて、樹林に囲まれたピークに到達した。狩鞍山と記された札が木に打ち付けてある。木々から漏れる光の方へ歩を進めると、刈り払われた防火帯になっている、展望のよい石尾根の上に出た。縦走路が下方を捲いているのが窺えた。鳥の声に混じって、蝉が鳴いているのが聞こえてくる。そんな季節なのかと、自分の感覚の鈍重さに気づいて、深呼吸をした。

気持ちの良い稜線上で、食事を兼ねて長い時間休憩してから、六ツ石山に背を向けて石尾根を下っていく。山歩きを始めた頃は頻々に歩いた道だが、気がついたら随分久しぶりに歩く道である。雲取山や鷹ノ巣山から下山する時、此の三ノ木戸山分岐迄の砂礫状の下りは、疲労を一気に感じさせる急勾配が続くと云う印象であり、脇目も振らずに歩き続ける区間だ。人知れず分岐する細い作業道を見つけて、世話人氏とNZ氏が地図を広げて推察しようとしている。私も地形図を凝視して、何処へ降りていく道か、それとも六ツ石山方向へトラバースする道か、などと思いを巡らせる。お馴染みのように思っていた登山道が、踏査隊と歩くと、新鮮な風景のように感じられるのだった。


Sanukido4

登山道は細い痩せ尾根になって、瘤を右に捲きながら続き、やがて三ノ木戸山を前にして北面を捲いていく。其処を直進して、三ノ木戸山のピークに向かって登る。此れも初めて訪れる場所だった。山頂は丘陵のように広く、何処が頂点なのかは判別し難い。骨組みだけ残った小屋の残骸が在る処に、石票のようなものがあったが、頂上の印なのかどうかは、判らない。

山頂を其の儘直進していくと、東京農大演習林の立て札が散見するようになり、やがて北面に向かう踏跡に手製の道標が在る。真っ直ぐに降りていくと、捲いていた登山道に合流した。此処を其の儘直進して演習林に向かうのが十二天尾根で、世話人氏がひとりで踏査に向かった。NZ氏と私は、登山道を下山して、今朝確認した、寺地へと降りていく地形図の破線路を踏査することになった。

広い尾根が幾つも別れて、登山道は其の合間を辿り、愈々下界が近いと云う雰囲気を感じさせる。陽射しが山峡に隠れて、周囲が唐突に薄暗くなる。標高934m地点を通過して、踏査対象の地形図破線路が分岐する筈の場所が近づいてきた。何度も通った道だが、日原側は勿論、南面である林道小中沢線へと落ちていく尾根もある筈なのに、分岐点が在ると云う記憶は無い。果たして、GPSを駆使して現場を特定したNZ氏とともに、周囲を探索してみるが、日原方面には広い谷が緩やかに開いているが、歩けそうな跡は見つけることができなかった。


Sanukido6

其れで結局踏査は断念し、普通に登山道を使って下山した。致し方ないことであるが、殆ど地図作成の為の成果を得られずに行程を終えることになった。破線路が廃道化していたと云う確認ができたと云えばひとつの成果であるが、歩いた道が地図に載ると云う愉しみが無い。山ノ神尾根を歩くことができたと云う個人的な充足感で我慢するしかない。

終わりそうで終わらない奥多摩駅迄の道は存外に時間が掛かったようで、十二天尾根を苦慮しながら下山した世話人氏よりも、遅れての到着となった。登山家が集うので知る人ぞ知る餃子の店で、既に麦酒を飲んでいた世話人氏と合流し、皆で乾杯して一献を傾けた。山峡の奥多摩駅前は、心地よい黄昏の時間が何時迄も続いているようで、なかなか暮れないでいた。

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