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2014年4月

霧島連山・韓国岳(後編)

Kirishima2



雨合羽の頭巾の端を掴み、俯き加減で歩き続けた。断続的に吹く猛烈な突風が直撃すると、身ぐるみ迄をも剥がされそうな気分である。小高い丘にある、エコ・ミュージアムセンターの傍らに立っていた「韓国岳」の道標を頼りに、茫漠とした高原の道を歩き始めた。下山時に判明した、通常の登山口ではなく、道の無い広場を横切ると、蛇行して走る県道に合流した。雨と風の所為で顔を上げているのが苦痛で、闇雲に歩いていた。しかし、コンパスを取り出す迄も無く、荒天のえびの高原ではあるが、目指す韓国岳の前衛を成す山容が、正面の遥か彼方に聳えているのが見えた。其の方角に向かって、県道を横断し、「不動池」の道標を分けて、とにかく歩いていった。


Ebino

2014/4/13

えびの高原(9:20)---登山口---四合目---韓国岳---硫黄山---えびの高原(12:40)

最初、目の錯覚なのかと思った。草地が砂礫混じりになって遠くを見たら、夥しい人数のハイカーが、縦列になって歩いていた。雨合羽とザックのレインカバーの明瞭な色彩が、ゆらゆらと揺れるように、森の中に吸い込まれていった。其の後を追うようにして歩いていくと、やがて舗装された遊歩道に辿り着いた。其れに沿って歩くと、やがて樹林帯から抜け出て、溶岩帯の広がりが見渡せる。三十万年と云う火山活動の歴史から見ると、つい最近噴火したとも云える硫黄山の周縁の光景である。遊歩道がせり上がり、展望地になっていると思しき処で、十数人のパーティが休憩している。其れを見て私は、無謀な登山者の烙印を免れたような気分になった。

硫黄山の奇岩が林立する眺めと別れて、遊歩道は南に舵を切って勾配を上げていく。雨足が何時の間にか少なくなっていて、周囲が明るくなったような気がした。振り返って、エコ・ミュージアムセンターの方を見下ろすと、束の間の陽射しがえびの高原を照らし、天気雨を虹が彩色している。不思議な光景に、思わず立ち尽くした。天気は快復するのだろうか、淡い期待を抱いた儘、登山届投函用ポストの在る登山口に到着した。

登山道には木段が設えてあり、英語とハングルが併記されている、一合目の立派な道標があった。此処から標高差凡そ四百米を実直に登り続けるのである。韓国岳は地図を見ても明らかで、巨大な火口を持っている。其の最高峰が南側にある頂上で、登山道は直截的に尾根を辿り、火口の西側に達する迄続いている。其の図面を脳裏に描きながら、まるで丹沢の大倉尾根を歩いているような気にさせる木段を一歩ずつ進んでいく。四合目を過ぎて、勾配を少し上がっていくと樹木は少なくなり、周囲は霧雨が降りしきる底の無い茫漠とした空、そして薄っすらと山々が彼方に聳えるのが見渡せる。晴天であればどんなに雄大な景色なのだろうかと思うが、此れは何度も味わっている、無為の想念とでも云うべき莫迦莫迦しい感慨であった。


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天候は快復するどころか、雨粒の塊が徐々に大きくなって、雨合羽を叩き始めた。五合目の広場で休憩して、其の先は風雨を遮る潅木が殆ど無い尾根道になり、風向きが目まぐるしく変わって、時折吹いてくる突風で身体がよろめく程であった。余りにも激しい横殴りの雨粒が、側頭部から後頭部に、ばらばらという音を立てて叩きつけるから、徐々に朦朧とした気分に陥る。ふと我に返ったような気になり、此の登山は危険なのではないかと思うようになった。先を行くパーティの姿はもう見えなかった。登っている人々がいるからと云うだけの理由で、其の現実に盲従して無謀な行為をしているのでは、そんな疑念に苛まれるような気になった。

しかし、登山道は余りにも整備されていた。風雨は激しいが、未だ危険な状況とは云えない。そう思うことにして、砂礫状の坂路を辿り続けた。そうして、とうとう火口の淵に着いてしまってからは、吹きすさぶ風と云う表現が適切ではない、猛烈な突風が断続的に襲ってくるようになった。其処は稜線ではなく、長大な火山の周縁の上だった。天空に突き出た、韓国岳のてっぺんであった。火口を廻る岩塊の陰に沿って、登山道は続いているが、猛獣が呼吸をしているかのような気流の動きが察せられる。そして突風が来る気配を感じると、迷うことなく私は地べたに這い蹲った。


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余りにも危険な状況だったが、私の想念は理性を制御できないでいた。此処迄来たからには、もう最高地点は近いのだから、折角なので登頂しようと云う想念。あの大人数のパーティは引き返して来ない、慎重に行けば大丈夫なのだから、折角なので登頂しようと云う想念。どうしようもない程の、本末転倒の想念が、私の裡で蠢いていた。全身を叩く雨粒の音を感じながら、何故登るのか、自問自答を始める。頂上の印と云う設定された目標に束縛されて、私は歩き続けていた。恣意的に決められた事象に束縛されながら生きている不自由な精神が、理性に敗北していることにも気づかないで、歩いているのだった。

突風の間隙を窺って進んでいるうちに、大勢のパーティが向かってきた。登頂を果たして、引き返してきたのだろう。驚いたことに、集団は高校生くらいの若者だった。皆が憔悴した表情で、私に挨拶をしていった。最後尾に年配の男性が付いていた。引率者は教師なのだろうか。余りにも無謀な行動であることは明白だった。頂上は直ぐですよと、人の好さそうな表情で云って呉れたが、私は唖然として、曖昧に挨拶を返すことしかできなかった。大浪池への分岐、そして九合目の道標に到達して、頂上と書かれた方角に、岩塊の合間を登っていった。火口の淵に近づけば近づく程、突風の恐怖が増していった。標高千七百米。韓国岳の三角点に、私は四つん這いで到達した。火口の内側に視線を移しても、見えるのは気流の渦巻く深淵だけであった。


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疲弊した脚が交互に繰り出され、其のリズムが崩れないように、私は残り少ない気力で歩き続けた。帰途の半分の距離を消化して、漸く風雨の厳しさから開放された。茫然と下山を続けて、呆気なく登山口に戻った。予め設定していたバスの時刻迄、相当の余裕があるので、硫黄山の遊歩道に寄り道をした。其れでも土産物屋前のバス停に戻ったら、図らずも一本早い周遊バスが到着する間際だったので、急いで雨合羽その他の装備を脱いで、荷物をまとめに掛かった。雨合羽の性能は折紙付きの筈だったが、気がつけば、衣服は随分濡れていた。

到着した霧島連山周遊バスは、高千穂河原迄行って、丸尾に引き返すと云う行程だった。乗車したのは私の他に、何処に登って来たのか不明だが、トレッキング装備の外国人の男性二名と、やはり外国人だが単独行の女性がひとりであった。疲労感に悄然としてバスに揺られ、高千穂河原に着いた。果たして乗ってくるだろうかと窓外を眺めていたら、茫然の態の軽装氏がバス停に立っていた。虚ろな目で乗り込んできた彼に声を掛けたら、驚いたように私を見た。軽装氏は、何故か短パン姿になっていて、傘を持っていなかった。訊いてみると、高千穂峰に登頂して、戻ってきたと云う。御鉢に差し掛かった処で、突風で傘がバラバラになって、何処かに飛んでいってしまったそうである。下山後、特に下半身がずぶ濡れになったので、短パンに穿き替えたということであった。

丸尾に戻り、飛行機の時刻がギリギリであると云う軽装氏は、寒いのでコンビニの中で待機して空港行きバスを待つと云った。其れで、此れ以上軽装にはなれないであろう姿の軽装氏と別れることにした。其れにしても異様なので、傘を差して上着も持たずに登るとは、随分タフですね、と余計なことを云ってみた。軽装氏は相変わらず表情の無い雰囲気で、無謀なだけです。無謀なことがしたいのです。と、独り言のように呟いた。

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別記

2014年2月から4月の山歩き

2014/2/25(奥ノ院参拝後三室山に向かうが積雪の量が一気に増して、鞍部で腰まで埋まった時点で敗退を決意)

二俣尾駅(11:40)---愛宕神社---愛宕山奥ノ院---鞍部で撤退---愛宕神社---二俣尾駅(15:30)

2014/3/1

間野黒指バス停(7:50)---石神大明神---愛宕山---いぼとり地蔵---細田---大仁田山---大峰山---久林峠---雲ノ峰---久方峠---小沢峠---久林バス停(16:00)

2014/3/15

弁天前バス停(7:30)---富士浅間神社---嫗ヶ岳---タブノ木---間野富士山(奥ノ院)---366mピーク---新飯能変電所---410m圏峰---四十八曲峠---石神大明神---間野黒指バス停(14:45)

2014/3/24

沢井駅(8:45)---櫛かんざし美術館---岨端沢林道---築瀬尾根---高峰---日ノ出山---御岳山御嶽神社---顎掛岩---滝本---つるつる温泉(15:00)

2014/4/2(登山詳細図踏査)

奥多摩駅---安寺沢---本仁田山---コブタカ山---大ダワ---大根山ノ神---鳩ノ巣駅

2014/4/6

間野バス停(7:40)---正木入林道---都県境成木尾根ハイキングコース---安楽寺(13:00)


2014/4/24

足柄駅(8:00)---浅間塚---金時山---公時神社---仙石原(12:30)

霧島連山・韓国岳(前編)

Kirishima


霧島神宮の麓にバスが停車してアイドリング・ストップをしたら、がらんとした車内に、雨の打つ音だけが響いていた。水の底に居るような気持ちになって、判然としない車窓の外を眺める。水滴の向こうに、ロータリーの様子が見える。土産物屋の建物は鬱蒼として、眠り続けているようだった。乗降客の無い儘、ふたたびゆっくりと走り出したバスが、大鳥居の前で左折して、勾配のある道路を唸りながら速度を上げて走る。途中のバス停で、私の他に唯一乗っていた客が降りていった。私は改めて、こんな状況で、果たしてえびの高原に行くバスが接続してくれるのだろうかと、不安になった。


Jingu

2014/4/13

えびの高原(9:20)---登山口---四合目---韓国岳---硫黄山---えびの高原(12:40)

またしても鹿児島県に所用が発生した。其れは少し気が重くなるようなことではあるのだけれど、今度はどのようにして山に登ろうかと云う思案に暮れる愉しみもある。宿泊代も含めたツアーで、航空券が廉価で買えるのを利用して、二泊三日の最終日の飛行機を、敢えて夜の便に設定する。そうして、一日を登山の計画に充てることができる。開聞岳を開聞駅から登ると云う企みは達成したので、今度は季節も穏やかになってきたから、いよいよ霧島連山に登ろうと考えていた。

溝辺鹿児島空港のロビーから眺める霧島連山、其れだけでも高千穂峰の端整な姿に惹かれてしまう。そして、飛行機の窓から眺める、鹿児島に近づいた頃に現われる、天孫降臨伝説の所以となる此の霊峰は、見まごうことが無いくらいに美しい。霧島に行くなら、高千穂峰を目指したい。そう決めてから、公共交通機関を調べるのだが、今回も一筋縄ではいかない。

まず、登山口となる高千穂河原に行くバスが少ない。鹿児島では名にし負う岩崎グループのバスが、霧島屋久国立公園を網羅している。しかし高千穂河原へ到達するのは、霧島連山周遊バスと名づけられた、丸尾温泉を起点にした高原バスが一日に数本運行しているだけである。ちなみに周遊バスと云う名前は誤解を招くと思うが、此れは観光バスではなくて普通の路線バスである。其れはともかく、交通の要衝とも云える丸尾に、まずは向かわなければならない。日帰りで登山を敢行するためには、丸尾発八時半の周遊バスに乗らなければならない。

例によって鹿児島天文館に投宿し、未明に出発した。霧島神宮駅から丸尾に向かうバスに間に合う、JRの普通列車に乗るためである。岩崎バス同士は丸尾で気持ちよく接続して呉れるが、其の丁度よい時刻に、霧島神宮駅に到着する普通列車が無い。其れで霧島神宮駅の待合室で、一時間半も待ってからバスに乗ったわけであるが、計画としては此れしか方策は無いようであった。溝辺鹿児島空港から丸尾に向かうバス路線もあるのだが、此れは霧島連山周遊バスに接続する便が無い。鹿児島市内を発って、其の日のうちに高千穂登山をして空港に行き、帰京するためには、鹿児島中央駅五時三九分発の日豊本線始発、宮崎神宮行きに乗らなければならないのである。

意気揚々と、其の当日を迎えた訳では無かった。鹿児島滞在二日目で、既に登山予定の日曜日の天候は、絶望的な程の雨に見舞われると云うことが判っていた。諦めて終日を鹿児島市内で過ごすか、と云う気持ちも無いでは無かったが、空港に近い霧島に行かないと云うのも合理的では無い、そんな風に考えた。とりあえず丸尾に行き、霧島連山周遊バスがやってくるならば乗ってみよう。但し、高千穂河原から高千穂峰登山は諦める。標高差の少ない、えびの高原から韓国岳に登り、其の儘戻ってくるというくらいにしておこうと、そんな感じで考えが纏まった。


Maruo

よく整備された道路を、バスは黙々と走っていた。丸尾を告げる車内アナウンスで、茫洋とした意識に緊張感が走った。丸尾は車道がT字路になっている処で、温泉旅館が点在していて、山肌から水蒸気が噴き出している。雨の煙が其れとない交ぜになって、判然としない靄の掛かった風景だった。降りたバス停から歩いて、車道を渡り、空港方面からの道に立っているバス停に移動した。周遊バスの時刻を確認して、誰も居ない路傍で紫煙を燻らせた。と、突然強風に煽られて、傘が飛ばされそうになる。すごい風だったね、何処かから声が聞こえた。硫黄の匂いの充満する煙の向こうから、温泉饅頭の仕込みをしている、霧島温泉市場と云う店の従業員の若い女性が、私を珍しいものを見たような感じで見上げて、微笑んでいた。

バスは本当にやってくるのだろうかと半信半疑だったが、バスが来る前に若い男性がひとり、バス停に近づいてきた。登山ですかと話しかけてきたので、韓国岳に登ると答えたら、僕は昨日登りました、と云った。どうやら今日の登山者は私だけではないようで、安堵した。しかし、今日は高千穂峰に登ると云う彼の姿を見て、私は戸惑いを隠せなかった。化繊のスポーツウェアを着た彼の荷物は其れほど大きくないショルダーバックと、ビニール傘だけであった。ずいぶん軽装ですね、と、普段なら云わない余計なお世話なことを口走ってしまった私に、彼は、ええ、まあ、と、曖昧な呟きを返した。

何事も無い、と云った感じで、霧島連山周遊バスがやってきた。軽装氏と私だけを乗せたバスが丸尾を出発して、いわさきホテルを過ぎても乗客は無く、いよいよ本格的に高地へと登り始めた。新燃荘の手前で分岐して、えびの高原方面の道に入る。昨日は韓国岳から避難小屋を経由してキャンプ場に至るルートを下山したと云う、軽装氏の話を聞く。僕の足は遅いので、バスに間に合わなかったから、丸尾迄歩いて帰りました、と彼は云った。其の登山口にバスが近づくに連れて、しかし歩きやすい道だったのです、もうすぐ入り口が見えます、と云うから、なんだか勧められているような気がしたので、バスに遅れるわけにはいかないから、えびの高原からピストンしますよと、必要も無いのに、私は答えた。


Ebino2

雨はいよいよ激しさを増して、窓硝子を打ち始めた。えびの高原の土産物屋の軒先に停車したバスは、すぐには発車しないようで、アイドリングを止めた。運賃を支払う時に、運転手が、登るのですか、と云った。ええ、まあ、と、私は曖昧に云った。今日登る人はいませんよ。遭難者も少なくないのだと、運転手が云った。私は、さもありなん、尤もな忠告であると思って、素直に受け止めた。そして、無理なようなら、必ず引き返しますと答えた。

バス停の前のベンチで身支度を整えていると、停まった儘のバスから、高千穂河原に向かう筈の軽装氏が降りてきた。自販機で飲料を買って、バスに戻る途中で、私の方に近づいてきた。僕も運転手に、登山はやめろと云われちゃいました、と云った。其れはそうだろうとは口には出せず、私は曖昧に、まあ無理をしないで、と呟いた。土産物屋の軒先は、雨樋から溢れた雨水が降り注ぎ、時折水飛沫が頬に当たる。えびの高原の雨は、本格的に、降り続いていた。

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