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2014年2月

開聞駅から開聞岳

Kaimon


鹿児島中央駅を未明に出発した指宿枕崎線の始発列車が終点の指宿駅に着いて、此れを逃したら次はもうお昼迄無いと云う、虎の子に等しい枕崎行きディーゼルカーに乗り換える。乗り換え客は女子学生がひとりと、態度のよろしくない中年男女の酔っ払い、そして私の計四人だった。時刻は朝の六時だが、指宿駅は未だ闇の中である。鹿児島に居ると、真冬でも日の入りが遅くて、夕暮れが長い。冬の終わりが近いのかな、などと思うが、東西に長い日本列島の端に居ると云うだけで、黄昏が遅い分、日の出もゆっくりである。日本標準時子午線に在る明石市が東経135度で、此処指宿は130度。五度の違いがどんなものであるかは判らないが、一月下旬の指宿の朝六時は、やがて夜は明ける筈だと分かっていても、そんな気がしない程暗い。結局四人の客を乗せて出発したローカル列車は、轟音を立てながら、薩摩半島の南端を訥々と辿っていく。窓外は漆黒の闇で、車内の雰囲気は終列車、そんな風情だった。

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2014/1/26

開聞駅(6:40)---二合目登山口---開聞岳---二合目登山口---枚聞神社---東開聞駅(13:00)

初めて開聞岳に登った時は、図らずも義兄の自家用車で登山口迄運んで貰うと云う恩恵に浴した。其れは其れで愉しみはあったのだけれど、開聞岳の麓には指宿枕崎線の開聞駅が在る。開聞駅から開聞岳の山頂迄を歩いてみたい。駅から歩くなんて大変だろうと義兄は云うが、其の大変、と云うことに意味が有る。用も無いのに数時間も費やして山の上に登ると云うのが、そもそも大変なことなのである。

其れで鹿児島行きの用事を済ませた後、晴れて自由の身になって、気儘にハイキング、と行きたいところだが、今回も幾つかのハードルを越えなくてはならない。なによりも、帰京しなければならない。飛行機の出発は18時。鹿児島空港に17時迄には到達したい。逆算して、鹿児島中央駅からのバスに間に合う為には、帰途の列車、開聞駅14時7分発に乗らなければならない。開聞岳登山の往復、余禄を含めて所要時間は凡そ六時間である。開聞駅を朝の八時に出発すれば、まず大丈夫だろう。

都合のよい時刻に開聞駅へ到着する列車があれば申し分無いが、前述の通り指宿枕崎線の、指宿から先への列車が極端に少ない。開聞駅に朝の八時迄に到達する為には、鹿児島中央を4時51分に出る始発列車に乗るしか無いと云うことが判った。妻の実家を未明に出立することも不可能ではないが、ちょっと時間が早すぎる。遠征先で異常な行動を披瀝するのは、いろんな意味で得策ではない。其れで苦しい言い訳を拵え、前日に用事を済ませてから、鹿児島市内の中心街である、天文館のホテルに投宿することにした。

自由の定義が揺らぎそうなくらい、タイトロープを渡るような気分で、枕崎行きに無事乗り換えることができた。窓外の暗さに云い様の無い不安を覚えるが、気分は概ね開放的になっている。列車がJR日本最南端の駅である西大山に着いたが、風景は未だ夜の儘である。本来ならば開聞岳の全容が車窓に現われる筈だが、止むを得ない。小さい駅に丹念に停車して、部活の高校生がひとり、またひとり列車に乗ってくる。其れで今は朝なんだと、改めて認識できる。


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異彩を放っている中年男女の酔客が大声で何か喋っている。天文館で朝まで呑んで、始発列車で帰りながら缶麦酒を飲み続けて、何処迄帰るのかと思うが、まあどうでもよい。変わらないベタ塗りの車窓で、移動した感覚が希薄な儘、列車はいよいよ開聞駅に近づいてきたから、私はザックを背負って立ち上がった。おっ、開聞岳か。酔客の男が大声で叫ぶから、私は親指を立てて応える。今日の私はフランネルのシャツとニッカーボッカーズの装い、オールドスタイルである。酔眼のオヤジから見ても、如何にも登山者と直ぐ判るんだな、などと、どうでもよいことを考えながら、駅と云うよりも停車場と云った方が相応しいような開聞駅に降り立った。

列車が去って、静寂に戻った停車場のベンチに座り、紫煙を燻らせて暫しの間茫然としてから、身支度を始めた。買ったばかりの軽登山靴、サロモン製コンクエストの履き心地がよい。其処に簡便なモンベル製ストレッチスパッツを被せて履く。ニッカホーズが隠れないから、足元が軽快である。駅前広場を直ぐ右折して、線路と併行して指宿方面に戻る形で歩いて行く。漸く空が青味を帯びてきて、もう直ぐ朝の七時だが、住宅地は灯りの気配も無く静まり返っている。町役場の前を通過して、ふたたび右折し線路の踏切を越えて、開聞岳登山口に向かい、緩やかな坂を登り始めた。

何時迄も眠り続けているかのような開聞の町だったが、車道に出たら、数珠繋ぎに車が登山口方面へ連なっているので面食らった。指宿方面に向かう頴娃(えい)街道では無い。山麓で何かのイベントでもあるのだろうかと想像して、車を運転している人を目視するが、行楽客と云う感じではない。日曜日なので通勤と云う訳でも無いだろう。理由は判らず仕舞いなのだが、とにかく想像外のことだった。車道が尾根を捲いていく坂路になる頃、漸く渋滞が終わった。舗装路の傾斜を、覚悟していたから然程の苦も感じない儘歩き続けた。かいもん山麓ふれあい公園の敷地にぶつかり、車道が右に分かれ、登山口方面は直進して登って行く。舗装路が突き当たって、漸く見覚えのある、樹林帯の入口がぽっかりと開いている登山口が見えた。


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海を望める五合目迄は、特筆することの無い樹林帯である。前回との違いは、人が全く居ないと云うことくらいだろうか。登山道は左へと迂回している筈だが、登っている途上の感触は、緩やかな斜面を真直ぐに進んでいるような感覚である。右手の西の方向に、開聞岳の本体が聳えている筈だが、深い樹林で視界が無い。コンパスの針が曖昧に、南から東へと迷いながら振れている。濡れた登山道を滑らないように、木の根が這い廻る段差に難渋しながら慎重に歩いた。

木々の密度が薄まって空が広がり、羊歯が密生している崖に掛かる木段を上がって、展望台のような柵が設えてある五合目に到着した。昨夜の天文館は雷を伴う大雨が降った。其れは凡そ冬の夜と云う風景とは思えない、南国らしさを感じる程の光景であった。スコールの後に爽やかな陽光が降り注ぐアメリカ西海岸の風景みたいに、今日の天候を期待していたのだが、開聞岳五合目からの眺めは、海霧で白く煙っていて、茫洋とした輪郭の長崎鼻が、薄っすらと見える程度であった。雲間から覗く太陽のオレンジ色が、随分遠くにあるように感じた。

五合目から先は、山肌に沿って続く鬱蒼とした樹林帯にふたたび入るが、今迄の空気が澱んでいるような気配から、山岳の冷気を感じるような雰囲気に変わる。途中で男性が下山してくるのが見えた。早出の人はやはり居るものである。擦れ違う時に言葉を交わした。頂上はガスで何も見えませんでしたと、万感の思いを籠めるように云った。此れから回復するかもしれませんねと云って呉れるので、なんとなく申し訳ないような気分になった。しかし、登山道が海側になってから、樹林帯に居ても強風の轟音が断続的に響いて来ているので、天候は回復するのかもしれないが、山頂が穏やかになることは無いのだろうと云う気がした。雲に包まれた、強風の開聞岳山頂。前回の記憶が徐々に蘇ってくる。


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登山道が岩場に阻まれる地点で、踏み跡が左手に下っている箇所が在った。惰性で歩いていて、下り始めてはっとなり、慌てて岩場の根元に戻った。岩を少し登ったら、道が続いているのが見えた。渦巻き状に登山道を辿るだけと云うので、地形図を碌に見ていなかったら此の有様である。恐らく、「山と高原地図 霧島・開聞岳」2013年版に記してある、川尻歩道跡の分岐点だと思われる。尤も、五合目から現在位置を意識して歩いてなかったので、確かなことは云えない。

七合目を過ぎ、岩塊の山肌に沿って行くと、ふたたび明るさが増してきて、大海原が広がった。開聞岳から南に眺望が広がる処で、彼方には屋久島が浮かんでいる筈だが、勿論海霧に遮られて見えない。眼下には顕著な突起の脇崎が見える。景色を満喫したいが、ものすごい強風で、立ち止まっているのが苦痛だった。開聞登山の醍醐味であろう絶景に後ろ髪を引かれながら、樹林帯へ逃げ込む。仙人洞を過ぎて、第2救助ポイントの絶景を愉しみ、ロープ付きの木段が岩崖に設置してある処に着いた。山頂はもう直ぐなのだと判り、漸く安堵の気持ちが湧き上がってきた。

巨岩に乗った処で、背後に気配を感じた。ひとりの壮年男性が軽快に木段を上がってくる。随分本格的な恰好だねえ、と声を掛けられた。オールドスタイルの所以である。続いて、何処から来たのかと訊かれ、東京だと答えたら、後から登ってくる連れは名古屋から来ているのだと云った。話の繋がりが判らない儘、曖昧な返事をして、道を譲った。程無くアウトドアブランドの服に身を包んだ、先程の壮年氏よりも随分若い人が追いついてきた。挨拶を交わして道を譲った。


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雪の開聞岳の記憶とは違った岩塊をパスして、二度目の開聞岳登頂を果たした。山名標の在る岩場に立つと、猛烈な風で息ができないほどであった。先程の壮年氏が、カメラのシャッターを押してあげると云うので、其の通りにして貰う。地元在住で頻々に開聞登山をしていると云う壮年氏は、風が避けられるのは此の場所がよいと教えて呉れたり、林檎をカットして分けて呉れたりと、随分親切だった。連れだと云うアウトドアブランド氏は、登山口で知り合った赤の他人だそうである。出会ったばかりの人を連れと呼ぶ、そう云う感覚に私は馴染めない。

風を避ける岩の陰で、苦慮しながら煙草に火を点けた。開聞岳からの眺望は振るわず、池田湖も曖昧模糊と云う感じでぼんやりと広い。海霧は少し緩和されたのだろうが、猛烈な冷たい風が長居をさせて呉れない山頂であった。海に晒されて独り屹立する標高924mの山頂とは、このような常態なのかもしれないな、と思った。

なんだ、煙草を吸うのか。壮年氏が私に云った。其の残念そうな表情を見て、理不尽な気分になるが、どうしようもない。私は少し傷ついたような気持ちになったが、別段其の必要も無いと考え直して、早々に下山の徒に就くことにした。ふたたびの第二救助ポイントの展望地で、枕崎へと続く海岸線を見下ろした。何時の間にか陽光が射してきて、麓に開聞岳の影が、鮮明に出現した。

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別記

2014年1月の山歩き

2014/1/2

大倉(8:20)---雑事場ノ平---大倉尾根---塔ノ岳---大倉尾根---大倉(15:00)

2014/1/11

二俣尾駅(8:00)---愛宕神社---アタゴ尾根---梅ノ木峠---日ノ出山---御岳神社---御岳山奥ノ院---長尾平分岐---松尾バス停(16:30)

足柄駅から金時山・丸岳・箱根外輪山・初めての雪上野営(後編)

Photo


シュラフカバーにシュラフ、サーモライトリアクターの三枚重ね。衣類も重ね着で、ダウンジャケット迄着ている。其れでも、テントの底から浸透してくるような寒気を感じて、なかなか眠ることができなかった。ホットワインを拵え、文庫本を読みながら飲んで、漸く疲労感が訪れて、目を瞑ることができた。風は強くないが、はたはたと音を立てるテントは、理由も無く心細い気分にさせる。爪先の冷えは大丈夫だろうか。私は文字通り芋虫が蠢くような動きで、シュラフの中で何度も寝返りを打っていた。


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2014/1/21

丸岳(7:50)---長尾峠---芦ノ湖展望公園---湖尻峠---三国山---海ノ平---箱根町(16:00)

一体、真冬の雪山でテントに泊まると云うことで、何が必要になるのか。此れ迄の経験では、一昨年の晩秋に尾瀬沼ヒュッテで幕営したことが参考になりそうであった。晩秋と云っても十月中旬のことだったが、尾瀬の十月は、もう初冬と云って良い程、透き通った冷たい空気で、陽が暮れると、其の寒さは一気に加速していくようだった。ダウンのスリーシーズン用シュラフにサーモライトリアクター(シュラフの中で包まるインナーシュラフか。肌触りがよく、耐寒性能を摂氏八度分を補うとある)を加え、肌着を二重に穿いて潜りこんだが、爪先が冷えてきて、快適に眠ることができなかった。爪先が寒いと、いくら着込んでいても寒さが其処から染み渡ってくる。だから今回は、ウールの靴下を二重に履いて、其の間に使い捨て懐炉を挟むことにした。

何時の間にか昏々と眠り続けていて、目が覚めた。懇願するような気持ちで、時計を確認する。時刻は未だ夜の十一時を過ぎたばかりだった。早く夜が明けてほしいと思うが、どうしようもない。外に出て、富士山と裾野の夜景でも眺めたら素晴らしいだろう。そう思うだけで、此の安眠態勢を解除する気にはならなかった。靴はザックカバーに包んで、テントの中に置いてある。靴が凍ってしまったら、もう動けない。そんな危惧の思慮で頭の中は一杯だった。

観念して、冷え切った赤ワインを飲んだ。読書の続きをしようとしたが、掌が冷たくて苦痛だから止した。盲目だった不朽の作曲家、宮城道雄に就いて綴った内田百閒の随筆を思い出した。盲人は読書灯など不要で、紙に浮き出た点字を指先でなぞれば、我々が活字を読むように意味が通じる。宮城検校は昵懇の百鬼園に、寝てからも本を読み続けたい時は、点字の紙を布団の中に入れて、おなかの上で撫でればいいから、寒い冬でも手が冷えることはありませんと自慢した、と云う話だった。テントの隅に置いてあったジャスミン茶のペットボトルを振ったら、しゃりしゃりと云う音を出した。最早此の寝室も氷点下の気温である。点字読術を持っていればな、などと、不埒な想念を浮かべながら、私はシュラフのジッパーを締めて、力無く横たわった。

覚醒したら、テントのオレンジ色が明るくなっていた。存外に眠れたようである。爪先に温もりが感じられる。使い捨て懐炉が功を奏したようだった。時刻を見ると、もう六時半を過ぎている。起き上がって肘を突いたら、床が柔らかく陥没した。雪の上で寝ていたのだなと、改めて思った。外に出てみると、空は一面の雲に覆われている。富士山は、勿論見えない。雨の予報は無かったが、一夜にして天候は崩れてしまった。私は、黙々と撤収の作業を開始した。


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すべての準備を整えて、丸岳の頂上に立った。神山、早雲山、駒ヶ岳のひと塊である中央火口丘が要塞のように屹立している。其の上空の雲間から差し込む光が神々しい。富士山の反対側、南の方角の空を眺める。鈍重な色の雲は、彼方で途切れている。此れから私が向かっていく方角に明るさの予兆が在る。其のことが、気分を落ち着かせてくれるような気がした。

深く考えないことにしていたが、実情としては大変な寝坊であった。今日の行程は、外輪山の西側を縦断して、元箱根を目指すのがとりあえずの目標である。そしてあわよくば、と云った考えでは、其の儘旧東海道の石畳を踏んで、箱根湯本駅まで歩いてみたいと云う意欲すらあったのである。起伏はあれど、要は標高の低い処に向かうのだからと、そんな野望すら抱いていたのである。しかし、時刻はもうすぐ朝の八時である。巨大なザックを背負って、元箱根迄の標準コースタイム六時間を勘案すると、元箱根には午後三時に到着できれば上出来、そんな様相であった。疲れきった身体で、暮れていきそうな箱根の坂を歩くのは現実的では無い。其の目標を半ば諦めながら、朝の珈琲も飲まずに、私は丸岳を出発することにした。


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箱根スカイラインをドライブする車の為にあるような長尾峠迄、実直に泥濘と雪の道を下って行く。鉛色の空が深い笹薮の上に広がっている。月曜日の朝、併行するスカイラインからの気配は感じられない。空腹を感じるようになってきたが、落ち着けそうな場所が見つからない儘、1044.9mピークへの登りに掛かった。登り詰めて、直ぐに下降して目の前に盛り上がっている1063mピークに達した処で、朝食にした。昨日の続きで、今朝も袋入りのインスタント麺だが、天麩羅蕎麦と云うのを買ってきた。此れに切り餅を入れて茹でる。天麩羅と云っても揚げ玉が入っているだけなのだが、熱湯に浸した揚げ玉は火傷しそうに熱い。其れが嬉しい。概ね満足できる食事で、ふたたび歩を進めた。

富士見ヶ丘公園から下りに差し掛かり、芦ノ湖が直ぐ其処に近づいてくるのを見渡す。柵が連なる芦ノ湖展望公園で、箱根スカイラインが擦り寄ってくるように合流していた。その軌跡の向こうに、何時の間にか姿を現わしていた富士山が在った。気持ちの良い防火帯の道を緩やかに登り、尾根が分岐している1018mピークの脇を直角に左折して、湖に向かって降りていく。湖尻峠は箱根スカイラインと芦ノ湖スカイラインの緩衝地点で、自動車専用道路なので歩行者進入厳禁、と云うような意味の看板が林立していて気分が悪い。何様の積もりかと思いながら、舗装路に軽アイゼンの音を立てて横断した。


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登山道は稜線の上から少し湖側に沿うようになって、谷筋を渡りながら樹林帯に入った。三国山はハイカーが少なからず訪れるようで、道標が充実している。展望が利かなくなって、足取りが少しずつ重くなってきているような気がした。出発してから、朝食の休憩を挟んで三時間半が経過していた。然程気に留めることでも無いが、標準コースタイムよりも一時間程余計に掛かっている。木段に積もった雪に留意しながら、ゆっくりと三国山への登路を踏みしめていった。

縦に長い、広々とした山頂で、珈琲を淹れて休憩した。朝の天気は杞憂に終わり、陽光が降り注ぐ暖かい三国山で、枯木越しの芦ノ湖を眺めながら、茫洋とした気分になった。もう満足である。バスに乗って帰ってしまっていい。そんな風に思うが、嫌悪すべきスカイラインに路線バスはやってこない。歩き続けるしかなかった。

三国山の尾根を降りきって、枯芒の道を、自動車専用道路と並んで歩く。顕著なピークにぶつかると、彼奴は西へ、私は東へ迂回して、気がついたらまた併行して歩いている。分離帯の植栽の切れ目が在ると、自動車専用道路、危険と云う看板が必ず立っていて、其れが腹立たしい。何度も云うな愚か者。心の中で叫びながら、歩き続けた。


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山伏峠、茶屋の展望所を経て、茫漠とした枯野原の道を歩く。芦ノ湖スカイラインの料金所を過ぎて、緩やかな丘を登り振り返ると、扉の向こうから半身で覗いているような感じで、富士山が見えている。丘を越えた辺りに海ノ平の看板があった。右手にゴルフ場が広がっていて、正面には鞍掛山と無線電波塔が立つ山々が並んでいた。箱根外輪山の西側を巡る山歩きが、静かに幕を閉じようとしている。芦ノ湖の向こう、遥か彼方に連なる山塊を眺める。タワーを載せた丸岳の顕著な姿を確認して、私は、歩いて来た距離を、改めて実感していた。

足柄駅から金時山・丸岳・箱根外輪山・初めての雪上野営(中編)

改めて考えてみると、旅の寝床で寛げるような場所は無いのだと思う。喩え離れの部屋に温泉を占有できる旅館だろうと、富士屋ホテルの重厚な部屋だとしても、厳密な意味で落ちつくことはできないような気がする。自分の寝室のベッドと枕以上にリラックスできる場所は無いと云う意味のことで、決して旅館やホテルを誹謗しているわけではない。自分の名誉の為に付け加えることにするが、私は富士屋ホテルの花御殿の部屋が大好きであり、過去に数回滞在したことがある。余計なことだが、日光金谷ホテルも大好きである。其れでも、旅の寝床と云うものは、或る種の緊張感を内包せざるを得ない。私の感覚である。だから、漂白の思いに誘われて、私の宿はテントで大丈夫である。旅を住処にしているような錯覚を愉しみながら、私は初めての冬テント行を続けているのである。


Maru1

2014/1/20

御殿場線足柄駅(8:50)---円通寺---公時神社---金時山---長尾山---乙女峠---丸岳(15:00)

暗い急峻に掛けられたアルミ階段が漸く終わって、建造物が見えた。登りきった処が、金時山の頂上だった。小屋の前に出たら、今迄の切迫した風景が全て幻だったかのように、穏やかな眺望が広がっていた。天下の秀峰金時山、の巨大な看板と、青空を背景に鎮座している富士山の風景は、写真で何度も見たことがある。あからさまな既視感と云うものが、妙に気恥ずかしい気分にさせる。そして、山頂には夥しい数の人々が屯している。場違い。そんな言葉が脳裡を駆け巡る。私は、金時山に数分間立ち尽くしてから、乙女峠方面の道に姿を消した。

殆どの登山者は、仙石原や明神ヶ岳から矢倉沢峠を経由して金時山に向かうものと思われる。乙女峠方面へ向かう、金時山直下の岩塊の道には、全く人影が無かった。山頂直下の道は存外に急で、ロープが渡してある箇所も散見され、凍結している処も少なくない。此処でコンパクトスノースパイクを装着して、私は慎重に鞍部へと降りていった。1180m圏峰は思った以上に広く、緩やかな登りが延々と続いた。右手の御殿場方面からは猛烈な風が吹きすさび、左手の眺望が開けたら、春の穏やかな一日、とでも云うような風景が広がっている。箱根外輪山に於ける内外のコントラストを、文字通り体感しながら、私は雪を踏みしめて歩いた。

時刻は未だ正午を過ぎたばかりなので、私は思いの儘に、ゆっくりと歩いていたようである。コースタイムで金時山から35分の長尾山に、一時間近く掛かって到着した。陽当たりの良い山頂は雪が解けて泥濘が酷いから、乙女峠に下って食事を摂ることにした。鞍部の手前に在る木製テーブルで、荷物を広げた。寒くて厳しいであろう雪上幕営のことを考えて、気を紛らわす為の準備をしてきた。いつもの手段である、ジェットボイルで湯を迅速に沸かしてカップ麺を啜ると云うだけでは詰まらない。では何をするのかと云うと、袋に入ったインスタントラーメンを作るだけなのであるが、其れに切り餅を入れて茹でて食べる。そんなことだけでも新鮮に思えるのが、山歩きと云う非日常の行為である。


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此処迄人気の無い登山道を歩いてきたが、徐々に金時山方面からの下山者が現われて、乙女峠はかなりの賑わいを見せていた。温泉混んでるかな、などと云う言葉が聞こえる。御殿場市温泉会館と云う文字が道標に記してある。其れが定番のコースなのかな、などと思いながら、私は南西の、丸岳方面の斜面を登っていった。今度こそ、誰も居ない登山道になった。

雪に染まった枯枝の向こうに、心なしか暮色の気配の空が見える。仙石原に分かれていく尾根が近づいて、1120m圏峰の平坦なピークに達した。此処で駿河湾が午後の陽光に照らされて光っているのが見渡せる。富士山は、宝永火口をぽっかりと開けた姿を見せている。日帰り登山者が存在し得ない地点に居ると云う実感。どう転んでも今夜はテントの中で眠らなければならないと云う緊張感。さまざまな想念が、断片的に、身体に染み込んでくるような気分だった。

箱根外輪山の稜線に立ってからずっと、丸岳の姿は明瞭に確認していた。電波塔が立っているので、一目瞭然である。其の電波塔が、直ぐ近くに迫ってきた。丸岳への、最後の登りに掛かったと思ったら、電波塔の横に、一面雪で覆われた広場が在った。正面には1093.7mの寄生火山の頭部が顔を出している。其の向こうに、富士山の全貌が見える。幕営に打ってつけの場所だった。


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NTT電波塔の敷地の外側の、笹薮の近くに場所を決めて、雪を踏みしめながら設営の見当を付ける。ビニールシートを敷き、フライシートやテントを広げて組み立てる。自立したら、テントの中に銀マットに加えてクローズドセルマットを敷き詰める。ザックを入れてから、テントを割り箸でペグダウンした。割り箸ペグは机上の知識で持ってきたが、容易には固定できず、雪を踏みしめて、何度も試みた。

雪上テント設営は難なく完成した。陽は未だ高く、風も其れ程ではない。落ち着いて行動できたのは有り難かった。靴を脱いで、テントの中に入ってみる。マットは二重ではなく、室内全域を覆うように敷いてみた。テントの化繊を通して、雪の感触がするだけで冷えてくるような気がしたからである。テントは西陽を浴びていて、中は明るいから、雪上野営の緊迫感は未だ襲ってこない。ひと心地がついたので、時間は早いが、夕餉の支度をして、丸岳の頂上に向かった。

木製テーブルとベンチが二組設えてある頂上から、仙石原の広大な風景を眺める。歩いて来た稜線を目で追うと、金時山に対抗して威容を誇る明神ヶ岳が聳えている。其の幅広さはエアーズロックに似ている。其の向こうに見える、大文字の刻印が在る明星ヶ岳は小さい。主役は芦ノ湖を侍らせた、神山を中心とする箱根の險だった。


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登山電車とケーブルカー、そしてロープウェイで巡る箱根の山と云うイメージを、直ぐ近くから客観的に眺めていると云うのが不思議な感覚だった。駅伝ではないが、箱根湯本から坂を登り、芦ノ湖に至るのが箱根のイメージである。行き着く処には関所が在り、旅人は国境を越えていく。丸岳から眺める箱庭のような箱根は、其のイメージがちっぽけな人間からの視座に拠るものであり、此処は太古の昔に火山が爆発して構成された世界である、と云うことを教えて呉れる。

外輪山の向こうに、江ノ島迄見渡せる相模湾が、夕映えに光っている。夕暮れは、思った以上に加速して訪れていた。紫煙を燻らせながら、空と海の境界がオレンジ色に染まって薄まっていくのを眺めた。明神ヶ岳の上部が夕陽に照らされて赤く染まって、いよいよエアーズロックそっくりになった。仙石原に人家の灯りが広がり、風景は何時の間にか、夜景になっていた。

足柄駅から金時山・丸岳・箱根外輪山・初めての雪上野営(前編)

Ashigarakintoki


御殿場線の電車が山北駅を過ぎて、熾烈な勾配を登っているのだぞと云わんばかりにモーターの音を唸らせている。山間の谷峨駅を発車して、窓外には絵葉書のような、雪化粧をした富士山が現われた。駿河小山の駅名板を見て、ああ静岡県に居るのだなと実感する。日曜日の朝なのに、車内にはハイカーらしき乗客は見当たらない。私は、足柄駅に近づいているアナウンスを聞いて、巨大なザックのショルダーハーネスを掴んだ。久しぶりのテント泊。それも真冬の箱根単独行である。積雪の山で幕営すると云う、初めての行為である。心地よい緊張感が全身に染み渡ってくるような気がする。電車が減速して、古びた足柄駅に進入した。快晴で眩い陽光が降り注ぐプラットホームに降り立ったら、強風がものすごく冷たくて驚いた。


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2014/1/20

御殿場線足柄駅(8:50)---円通寺---公時神社---金時山---長尾山---乙女峠---丸岳(15:00)

テントを担いで山を歩くのは、日帰りでは踏み込めない行程を辿る為なのであって、自然の儘に野営を愉しむと云う意図では無い。しかし、北アルプスの縦走でも実感できたが、山に泊まることで、夜と昼の境界と云う、最も情緒的な風景を愉しめることも事実である。真冬に野営すると云う経験を得る為の、訓練登山の計画だが、惚れ惚れするような景色も味わいたい。富士山と、芦ノ湖を巡る箱根の山を眺めたい。其れが箱根外輪山の途上で幕営しようと思った経緯である。

相変わらずのクレッタルムーセンHuginの中に、今回は銀マットを筒状に入れてある。サーマレストの折り畳みマットだけでは床の冷えが心配だからと云うことで、二重に敷こうと考えた。その筒状に入れた銀マットのお陰で、ザックの形が崩れないから、思いの外パッキングが上手に出来た。そんなことかと後になってから思うが、新発見、新たな実感である。試行錯誤の末の僥倖は、山の中だけで起きるわけではない。型崩れしなくなったクレッタルムーセンは、巨大な煙突のような筒になった。

そんな黄緑色の大きな筒を背負って、私は足柄駅を後にした。住宅の並んだ地域を通る車道を暫く歩く。新しい住宅建築が多いので、田舎の集落と云う雰囲気ではない。日曜の朝らしく、周囲は静まり返っている。やがて住宅街が途切れる頃、線路に併行するように車道が右にカーブしていく。金時山に詰め上がる鮎沢川の支流を渡って、車道を歩き続けた。閑散とした車道に、時折通過する車のスピードが恐ろしく速いので、怯えながらゆらゆらと、大きな筒が歩いている。


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種苗販売の看板が在る処で、漸く円通寺の指標が現われ、左折する。御殿場線の線路を越える橋の上で振り向いたら、富士山が目の前に聳えている。山腹が、スコップで固められたように雪で埋まっている。一瞬、宝永火口が雪で埋まっているのかと思ったが、方角を勘案すると、須走口、御殿場口ルート周辺の稜線であった。頂点から裾迄、富士山の全貌が普通に見えると云うのが、とても不思議なことのように思えた。

円通寺の墓地を遠巻きにして登り、足柄神社を越えると、舗装路が平坦になり、家が点在する集落を通過する。山林が現われ、舗装路は高原の別荘地のような雰囲気になる。やがて、色褪せたゴルフ場が現われる。クラブハウスを過ぎた処で、漸く登山道になった。暫く尾根の横腹を縫うように続く薄暗い道を歩く。木々の合間から差し込む陽光に、雪の粉が舞っている。遠くに明るさが窺えて、樹林帯がもうすぐ終わるのかと思った頃、金太郎を祀る公時神社の看板が現われた。登山地図に記されている、浅間塚であった。

明るくなった山道の先に、古びた堰堤が聳えている。其処に続く道と分かれて、金時山の道標があり、いよいよ登りに掛かる。平行していた沢は長尾山に向かっているが、登山道は今迄トラバースしていた624.4mピークの在る尾根に登り始める。勾配を上げて行くと、支尾根に沿ってジグザグの坂路になり、端整なレタリングと色調の道標が現われる。地元行政で物議を醸し出している岩田澗泉氏制作の道標である。道中安全と書かれた道標は、非常に的を得た位置に立っていた。


Kintoki3

ジグザグ道を登るに連れて、雪が深くなってきた。木立の向こうに、御殿場の市街地が広がり、富士山が聳えている。晴天の登山道に、人が居ないのが嬉しい。やがて左手から尾根が近づいてくる。金時山から伸びる尾根である。其れに合流してひと登りで、林道金時線がヘアピンカーブしている処にぶつかった。轍の跡もない深雪の林道で、持ってきた手製の握り飯を食べて休憩した。

其処からは、実直に登路が続く。822mの小ピークと思しき地点に近づいた頃、左手に長大な尾根が聳えているのが見えた。足柄峠からやってきた長い尾根である。日蔭で暗い斜面は、標高よりも大きく聳えているように感じた。あの尾根と合流すれば、金時山は直ぐ其処だ。私は、拍子抜けとは云わないが、呆気ないな、などと云う感覚で歩いていた。


Kintoki5

尾根が合流する標高約1000mの地点。其処は此れ迄以上に積雪が深く、目の前には金時山への斜面が急激に高く聳えている処だった。アルミ製の階段があり、凍てついた手摺りを摑んだ。階段は十二有ります。そんなことが書いてあるので、面食らった。岩崖に連なるアルミ階段の一歩一歩を、滑らないようにと踏んでいく。徐々に下山の徒が増えてきて、擦れ違いに気を遣う。下山者が圧倒的多数派で、先頭で向かってくる人が、登ってくる人がいるぞう、などと後続のパーティに叫んでいたりする。

積雪、凍結の北面を下山する人々は、年配のグループが多く、ピッケルを持っている老人なども居る。時折、普通の恰好をした若い男女のカップルが降りてくる。覚束無い足取りで、女の子の顔が蒼白になっているので大丈夫かと思う。続々と降りてくる人々が、私の恰好を見て、凄い荷物ですね、とか、重いですか、などと云う。老年の女性のグループが降りてきて、其のひとりのおばあさんが、今夜は何処かでビバークですかと訊いた。私は狼狽しながら、まあ何処かで、などと曖昧なことを答える。何処迄行くのと、畳み込むように訊かれるので、冬に幕営するのが初めてなので其の訓練ですと、生徒が先生に報告するみたいに答えた。

おばあさんの口調と、雰囲気は、相当の熟達者のような威厳があった。がんばってね、と云われ、恐れ入りながら低頭し、私は引き続き円筒を背負って、登り続けた。

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