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松枝バス停・牛喰入から蔦岩山・武川岳

Ushibami


凍てついた師走の芦ヶ久保駅から、松枝行きのバスに乗り込んだ。暗い谷底の街道の路肩に、雪が積もっている。ついひと月前に見た紅葉の枝も、雪化粧をしている。松枝バスの車窓から眺める風景は、最早うら寂しいなどと云う雰囲気ではなく、時が止まったかのような無常観を醸し出している。静止画の中を、松枝行きのバスだけが轟音を立てて走り続けている。


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2013/12/21

松枝(8:00)---林道牛喰線---557m---尾根---850m(林道)---1000m圏峰---登山道---蔦岩山---武川岳---前武川岳---南尾根---天狗岩---名郷(16:00)

終点に降り立ったkz氏と私は、去っていく折り返しのバスを見送った。今日の行程は、此処から牛喰入(地形図では牛喰谷と記されている)に沿った、林道牛喰線を歩き、標高557mと記された地点、谷が合流して三俣になっていると思しき処から尾根に乗る。此れが最初の手順で、尾根伝いの行く先には、やがて蛇行して登ってくる林道と交差する筈である。林道は横断し、焼山と蔦岩山を繋ぐ稜線に出る。其の先は、登山道を歩いて焼山に達し、北東に伸びる尾根を進んで横瀬駅に下山する。そんな予定だった。


Ushibami2

林道の舗装路は凍っていて、覚束ない足取りで歩く。植林の木々が白い装飾で並んでいて、山陰の暗い道を覆っている。空は雲ひとつない快晴で、遠くには陽が当たって暖色に光る山々が、樹林帯の隙間から垣間見えている。しかし、林道牛喰線が辿る谷の道は凍りそうに寒くて、モノトーンの風景が広がっているばかりであった。人家が無くなった頃、いつしかアスファルトは消え、雪の道になった。牛喰入が右へ左へと蛇行するのに忠実に、林道は山の奥へと続いている。我々は防寒着で膨れた儘、歩き続けていた。

やがて風景がぽっかりと開けた。林道は大きく左にカーブして、牛喰入に掛かる橋を越え、ヘアピン状に旋回している。地形図の557m地点である。此処から尾根に取り付くのだが、三俣の谷を判別するために、暫しの時間を要した。kz氏は早い段階で目的の尾根を認識したようだが、地図に無い林道が牛喰入に沿って伸びているのを見て、改めて地形図を見ながら熟考している。其の間に、私は本来の林道が延びていく先を偵察に行く。林道牛喰線は直ぐに右にヘアピンカーブを描きながら牛喰入に戻りながら勾配を上げている。kz氏が判断した牛喰入左岸の尾根が、やはり正解のようだと確信した。


Ushibami3

尾根の入口は急勾配なだけではなく、枯枝が跋扈していて足を踏み入れる雰囲気ではない。私は地図不掲載林道を暫く歩いて、途中から尾根に登ろうと考え、目論見通りに取り付けそうな地点を見つけた。しかしkz氏は、尾根の末端から登ると云い、来た道を引き返していった。未踏破の尾根を律儀に最初から登りたいと云う趣向は、私にも理解できる。しかし、私は側面からひとりで登り始めた。

倒木が散乱して歩きにくい里山の傾斜は、積雪のおかげで踏み易かった。日陰の暗い斜面を喘ぎながら登る。尾根の上に近づくにつれて、明るさが広がってくる。そして、尾根に乗った瞬間、南に併行する、武川岳へと連なって聳える尾根から射し込む陽光を浴びた。暗く寒い谷底から、漸く脱出したと云う感慨に包まれた気分であった。

難渋しているだろうと思われるkz氏の姿を、尾根の下方に識別することはできなかった。もしかしたら、諦めて先程の林道途中迄迂回しているかもしれない、などと考えていたら、枯枝の藪が音を立て始めて、泥濘を行進するかのような感じでkz氏がよろめきながら登ってくるのが見えた。藪だらけだよ、と誰に向かってではなく叫びながら、kz氏がいつもの感じで登ってくる。徐々に私の立っている地点から大きく逸れて、kz氏が遠ざかっていく。一心不乱に登っていると云う表現が相応しい。私も、彼に併行するように、尾根を登る。傾斜が終わって、平坦な場所に出たら、其処は牛喰入に落ちていく斜面に、刈り取られた山肌が広がっている伐採地だった。標高660mの、等高線が緩い小ピークに近づくにつれて、積雪が深くなっていった。



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白銀の途上で強烈な陽射しを浴びながら振り返る。遠くの山並みは正丸峠の稜線だろうか。ふたたび登り始めると、右手に木立の合間から、春に登ったヨーガイ入右岸の尾根が窺える。其の向こうに、一ヶ月前に登った甲仁田山の電波塔が顔を出す。松枝から、丹念に尾根のひとつひとつを歩いていると云う感慨が湧き上がり、次は左手に並んでいる、武川岳に伸びる尾根を登るのだろうか、などと思った。縁もゆかりも無い地に固執して、何度も訪れると云うのが、どうにも可笑しい。必然性の無い蓋然性。そんな、訳の判らない言葉が脳裏に浮かんでくる。

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自然林が現われて、尾根は痩せ気味になり、傾斜が急になる。木々に積もった雪を頭に被って、其の冷たさに声を上げながら賑やかに登っていった。先に行く人が雪を被ってくれるから助かるよ、などとkz氏が冗談交じりのことを云う。斥候役に徹して、私はウィンドブレーカーのフードを被り、雪を払っていった。標高750mくらいで少し平坦になるが、樹木の密度は増してきて、幹に掴まりながら、側面の深い谷への淵に怯えながら登っていく。此れはほんとに雪山だよ。kz氏が云う。バリエーションルートならではの、踏跡の無い新雪の尾根を歩くのは、得も言われぬ心地良さであった。

等高線が細く、間隔の広い820mが小ピークで、其れを越えていくと、雪は益々深まっていった。山肌が眼前に迫ってきて、いよいよ急登に掛かる。植林帯になり、喘ぎながら登って顔を上げると、木々の向こうに青空が見えてくる。林道が近づいている。其の直下は掘削されているのか、雪の壁のようになっている。四つん這いになって、無理矢理に攀じ登る。そうして、漸く林道に辿り着いた。陽光が反射して眩しい雪道は、其の明るさとは対照的に、奇妙な静けさを醸し出していた。


Ushibami6

大休止の後、ふたたび尾根に忠実に登り始めた。稜線直下の尾根は、さらに傾斜を増していった。植林帯の日陰の中を喘ぎながら登る。漸く登山道の稜線に出たら、枯木の向こうに、相変わらずの形で武甲山が立っていた。歩き続けて来た尾根の行き着くピークは、此の儘登山道を辿った果てに在る、標高1004mの蔦岩山である。私は自然に、其の方向へと足を向けた。kz氏が、少し遅れて続いた。

登山道は何も遮るものが無いからか、此れ迄に無いくらいに積雪が深かった。990mの小さなピークに至り、眼前の谷の向こうに、壁のような山容が現われた。箒平とも呼ばれる、頂上からの裾野が広い武川岳であった。牛喰入左岸尾根の終点、蔦岩山迄は、あと20mの高さを登れば着くのだが、直下の雪が余りにも深い。踏跡と云うよりも雪の穴と云った方が適切な箇所に足を合わせて歩く。我々は、最早登山道の態を為していない、雪の塊の傾斜を、黙々と登り続けていた。

頂上と云う風情の無い蔦岩山でへたり込み、昼食を摂った後で、此れからの行程に就いてkz氏と相談した。此処迄来ちゃったら、戻りたくないよ。kz氏が云う。確かに、目の前に聳える武川岳を見ると、其の儘南下して、標高1052mの箒平に登頂するのが適切かも知れない。私に異論は無いのだが、そもそもkz氏は登山道に出たら焼山に向かいたかっのだが、私が蔦岩山に歩き出したのを見て、もう武川岳に行くしかないと思ったのだ、と云った。


Ushibami7

思惑の違いはあれど、積雪の箒平が直ぐ目の前に在るから、登るだけのことである。鞍部を過ぎて武川岳への直下の傾斜に掛かった。普段であれば、恐らく何の変哲も無い整備された登山道だと思うが、膝迄埋まる程の積雪に包まれた斜面は、奥武蔵に居ると云うことを忘れてしまいそうになる。何処迄も青い空と、心地よい陽光の所為だろうか、意識が虚ろになっていく。そんな気分で登り続けていたら、呆気なく頂上に達した。

私は初めて訪れる山なのだが、kz氏は十数年ぶりだと云う。武川岳の頂上には誰も居ない。木製ベンチの上に雪が積もっている。誰も居ない武川岳と云うのが信じられない。そんなことをkz氏が云う。其れ程の人気がある山なのだろう。奥武蔵の山に通い始めて、漸く西武鉄道から離れた山域に辿り着いた。そんな気分だった。静か過ぎる山頂で感慨に耽っていたら、違和感のある雑音が聞こえてきた。


Ushibami8

其れはヘリコプターの音だったが、急速に其の音量が上がってきた。ヘリは妻坂峠方面の谷から浮上して、上空で停滞してから、我々、と云うか武川岳へと近づいてくる。思わずkz氏と顔を見合わせる。遭難者を捜索していると思しきヘリコプターが我々の方に下降してくるようだった。静まり返っていた頂上で、木々が暴風で揺れ始める。小枝に積もった雪が吹き飛ばされて、周囲は吹雪のような様相になった。ヘリなんか誰が呼んだんだ、kz氏がこんな時でも冗談を叫んでいる。ヘリの中から、捜索隊員がドアを開けて我々を見ている。そしてホバリングしながら、徐々に近づいてきた。

我々を、遭難者かどうかと確認しているのだろうが、kz氏は突然の出来事に大喜びのようで、嬌声を上げながら、デジタルカメラでヘリを撮影している。手を振ってみようかと云うから、絶対にやめてくれ、と、私は轟音の中で叫んでいた。

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