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裏妙義・産泰山(前編)

Uramyogiubutaisan


酔眼の徒が所在無く新宿駅のプラットホームにしゃがみ込んでいる。始発電車を待つ人々の生気の無い表情を見ると、自分だけが場違いなような気がして当惑してしまう。赤羽から高崎線の電車に乗ったら、漸く気だるさと共に睡魔が襲ってきて、私は昏々と眠り続けた。気がつくと、疾駆する電車の車窓から、朝陽に照らされた山々が田園風景の広がりの向こうに見渡せるようになっていた。午前七時に高崎駅に到着する此の電車に、kz氏も乗っている筈である。倉賀野駅を過ぎて、メールを打ってみたが、応答が無い。しかし、高崎から直ぐに接続する信越本線の横川行きに乗れば否応無く会えるのだから、慌てる必要も無い。電車は徐行し始めて、終点の高崎駅に到着した。

Yokokawa1

2013/9/1

横川駅(10:15)---麻苧ノ滝---鼻曲り---産泰山---北西の尾根---鍵沢---横川駅(16:30)


短い編成の横川行きの車輌に乗ってから、メールが帰ってきた。着信にタイムラグがあったのだろうと何の気なしに其れを読んで、少し間を置いてギョッとした。寝坊して未だ家に居ると云うkz氏のメールだったから、さてどうしようと思いながら、私は電車から降りた。横川行きは直ぐに発車して去っていったので、プラットホームに少しだけ、静けさが訪れたから、kz氏に電話を掛けてみることにした。

常念岳行きで使用した青春18きっぷを、敢えて二日分残して置いたのは、近隣の低山しか同行できないkz氏を誘って、少し遠出をしてみたいという気持ちがあったからだった。ふたりで日帰りで、普段なかなか行けない山域に行ってみようと云う意図が先に有って、其れから何処に行こうかと思案するのは、愉しい作業である。

其れをkz氏に打診したら、夜行のムーンライト信州号に午前零時過ぎに乗れば、中房温泉から燕岳を往復して、其の日のうちに帰京できると云う、ハードな計画を提言された。余りにも痛快で無謀な計画だけれども、kz氏と同行して山に行くのだったら、定石に囚われる必要は無い。私は其の案に同意した。しかし、間もなく此の案は呆気なく御破算になった。肝心のムーンライト信州の指定券が取れない。休日、休前日の、或る一定の期間しか運行しない此の列車は、全てが指定席なので、気儘に乗り込むことができない。ムーンライト信州の指定券は、今夏の便全てが満席だった。私は落胆した。

後日知ったことだが、ムーンライト信州の指定券は満席の筈なのに、実際に乗車すると、空席が随分あるという実情が有るらしい。北アルプス方面に行こうと計画する人が、いち早く指定券を確保していながら、天候が悪いからとか、何らかの理由で実際には乗らないのにもかかわらず、キャンセル処理をしないと云うのが真相のようである。なぜキャンセルをしないでも平気なのかと云うと、指定席券の値段が安く、キャンセルした場合の違約金が発生すると、殆ど僅かな残金しか帰ってこないと云うのが其の理由ではないかと云われている。因みにムーンライト信州の指定券料金は三百円から五百円(閑散期と混雑期で値段が違うらしい)で、違約金は三百二十円だと云うから、わざわざキャンセル処理をする必要が無いと、殆どの人が考えるからだと思われる。かくして、乗りたいと急遽切望する私とkz氏の座席は満席で買うことができないのに、実際の列車には空席が沢山有ると云う現象が起こっているわけである。非常に不条理な現実であるが、如何ともし難い。

そう云う訳で、燕岳日帰り登山の案は成立しない。次に考えるのは、早朝に出発して帰ってくることができる極限の山域である。馴染みの多い中央本線沿線を除外して考えると、北関東に眼が向く。直ぐに思いつくのが、上越線の土合駅から谷川岳であるが、ロープウェイなどに乗って交通費を掛けるのでは、青春18きっぷで無銭旅行する今回の主旨にそぐわない。だから対面に聳える白毛門を往復する案が先ず確定した。

もうひとつは、妙義山の西上州である。奇峯が林立する妙義山に漠然と憧れてはいたが、中途半端に遠いので、此れ迄訪れたことが無い。kz氏も行ったことが無いと云う。西上州で駅からアプローチし易いのは、信越本線横川駅から巡る裏妙義である。T字型の奇岩、丁須の頭を、御岳の尾根から登り、鍵沢ルートで周回して帰ってくると云うのが丁度良い。昭文社の登山地図では破線の難路と有り、妙義山の破線ルートに初心者を同行する場合は、ザイル携行が望ましい、などと書いてある。しかし、私はkz氏と一緒であると云うことだけで、いつも抱いている不安とか懸念は全く覚えない。白毛門と丁須の頭、どっちにしましょうか。私はkz氏に決断を委ねるメールを送った。「おぎのやの方かなあ」メールが帰ってきた。「おぎのや」とは、横川名物「峠の釜飯」製造元の名前である。

以上が、標高こそ低いがクライマーたちが好んで訪れる、峻険な裏妙義に行くことになった理由である。其の、頼みの綱であるkz氏が高崎駅に居ない。此の時間に自宅に居ると云うことは、もう山には行けないだろう。私がひとりで、ザイル携行が望ましい、と云うような山に登れる訳が無い。此れではまるで、屋根の上に乗ってから梯子を外されたようなものである。私は茫然としながら、kz氏に電話を掛けた。

世紀の大遅刻を詫びるkz氏に、まあ仕方が無いです、と私は慰撫する。其れでお仕舞いになるのかと思ったら、此れから大急ぎで高崎に向かうと云うので、意外に思った。予定が大幅に遅れて、行程をどうするのか。そんな話は後のことである。とにかく出発して貰って、私は二時間余りを待つことにした。安堵する思いの儘、どうやって暇を潰そうかと考えて、間もなく出発しそうな、八高線のディーゼルカーに乗った。18きっぷの旅の雰囲気が様になってきている。児玉行きの終点迄乗って、武蔵七党の最大勢力、児玉党ゆかりの地を訪れることにした。児玉党は私の姻戚関係に多少の縁があると聞いた事があったので、此の訪問は丁度良かったのだが、話が全く本筋から外れてしまうので割愛する。

八高線のディーゼルカーで、測ったように丁度二時間後に、高崎駅へ戻った。数分後に到着した高崎線の電車から、kz氏が現われた。大騒ぎの邂逅の儀式を終え、立ち喰い蕎麦を食べてから、気を取り直して横川行きの電車に乗った。行楽客を満載した電車が松井田を過ぎて、裏妙義の独特な岩山が車窓に出現した。スタートは遅れたけど、予定通りの尾根を辿り、何処かの尾根を下山しようとkz氏が云うが、見たところ、登山道を外れて降りられるような山容では無い。どうにかなるでしょう。kz氏は鷹揚に云った。電車がゆっくりとした速度になって、横川駅に到着した。

大勢の行楽客が碓氷峠に向かうバスに吸い込まれていって、静まり返った横川駅前の広場から、陽射しの強い灼熱の舗装路を歩き始めた。目の前に此れから向かう予定の、鼻曲りの巨大な奇岩が、堂々と聳えている。其れがあまりにも迫力があるので、とても此れから自分が登って行く山と云う感じがしなかった。どんな一日になるのだろうか。漠然と思ったが、あまり考えるのはやめておこう。そう思った。

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コメント

いや~大爆笑しましたよ~。
寝坊しただけで一つの物語ができてんだもんなあ。

>世紀の大遅刻
歴史的な大遅刻でしたね、たしかに。
デートだったら、中止だよな。
相手が寛大寛容な七目さんで良かったです。

次の山行でまたやったら、焼肉奢りになりそうだな~。

立ち食い蕎麦で済んで良かった~。

今までの経験からどんな危険な目にあってもどうにかなって来たから、どうにかなると思いました~。

すみませ~ん。つい筆が乗ってしまいました(笑)
なにしろ高崎駅だから、途方に暮れましたよ。

西丹沢のリセット事件とともに、語り継がれるエピソードではないかと(笑)

でもしかし、かずさんが定刻に来ていたら、丁須の頭まで行ってたと思いますが、
そうしたらどんな恐ろしい局面が待っていたのかと想像して、身の毛がよだちます。

立ち食い蕎麦と、おぎのやの麦酒もご馳走になりましたよ。
最高に旨い麦酒でした!

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