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2013年9月

裏妙義・産泰山(前編)

Uramyogiubutaisan


酔眼の徒が所在無く新宿駅のプラットホームにしゃがみ込んでいる。始発電車を待つ人々の生気の無い表情を見ると、自分だけが場違いなような気がして当惑してしまう。赤羽から高崎線の電車に乗ったら、漸く気だるさと共に睡魔が襲ってきて、私は昏々と眠り続けた。気がつくと、疾駆する電車の車窓から、朝陽に照らされた山々が田園風景の広がりの向こうに見渡せるようになっていた。午前七時に高崎駅に到着する此の電車に、kz氏も乗っている筈である。倉賀野駅を過ぎて、メールを打ってみたが、応答が無い。しかし、高崎から直ぐに接続する信越本線の横川行きに乗れば否応無く会えるのだから、慌てる必要も無い。電車は徐行し始めて、終点の高崎駅に到着した。

Yokokawa1

2013/9/1

横川駅(10:15)---麻苧ノ滝---鼻曲り---産泰山---北西の尾根---鍵沢---横川駅(16:30)


短い編成の横川行きの車輌に乗ってから、メールが帰ってきた。着信にタイムラグがあったのだろうと何の気なしに其れを読んで、少し間を置いてギョッとした。寝坊して未だ家に居ると云うkz氏のメールだったから、さてどうしようと思いながら、私は電車から降りた。横川行きは直ぐに発車して去っていったので、プラットホームに少しだけ、静けさが訪れたから、kz氏に電話を掛けてみることにした。

常念岳行きで使用した青春18きっぷを、敢えて二日分残して置いたのは、近隣の低山しか同行できないkz氏を誘って、少し遠出をしてみたいという気持ちがあったからだった。ふたりで日帰りで、普段なかなか行けない山域に行ってみようと云う意図が先に有って、其れから何処に行こうかと思案するのは、愉しい作業である。

其れをkz氏に打診したら、夜行のムーンライト信州号に午前零時過ぎに乗れば、中房温泉から燕岳を往復して、其の日のうちに帰京できると云う、ハードな計画を提言された。余りにも痛快で無謀な計画だけれども、kz氏と同行して山に行くのだったら、定石に囚われる必要は無い。私は其の案に同意した。しかし、間もなく此の案は呆気なく御破算になった。肝心のムーンライト信州の指定券が取れない。休日、休前日の、或る一定の期間しか運行しない此の列車は、全てが指定席なので、気儘に乗り込むことができない。ムーンライト信州の指定券は、今夏の便全てが満席だった。私は落胆した。

後日知ったことだが、ムーンライト信州の指定券は満席の筈なのに、実際に乗車すると、空席が随分あるという実情が有るらしい。北アルプス方面に行こうと計画する人が、いち早く指定券を確保していながら、天候が悪いからとか、何らかの理由で実際には乗らないのにもかかわらず、キャンセル処理をしないと云うのが真相のようである。なぜキャンセルをしないでも平気なのかと云うと、指定席券の値段が安く、キャンセルした場合の違約金が発生すると、殆ど僅かな残金しか帰ってこないと云うのが其の理由ではないかと云われている。因みにムーンライト信州の指定券料金は三百円から五百円(閑散期と混雑期で値段が違うらしい)で、違約金は三百二十円だと云うから、わざわざキャンセル処理をする必要が無いと、殆どの人が考えるからだと思われる。かくして、乗りたいと急遽切望する私とkz氏の座席は満席で買うことができないのに、実際の列車には空席が沢山有ると云う現象が起こっているわけである。非常に不条理な現実であるが、如何ともし難い。

そう云う訳で、燕岳日帰り登山の案は成立しない。次に考えるのは、早朝に出発して帰ってくることができる極限の山域である。馴染みの多い中央本線沿線を除外して考えると、北関東に眼が向く。直ぐに思いつくのが、上越線の土合駅から谷川岳であるが、ロープウェイなどに乗って交通費を掛けるのでは、青春18きっぷで無銭旅行する今回の主旨にそぐわない。だから対面に聳える白毛門を往復する案が先ず確定した。

もうひとつは、妙義山の西上州である。奇峯が林立する妙義山に漠然と憧れてはいたが、中途半端に遠いので、此れ迄訪れたことが無い。kz氏も行ったことが無いと云う。西上州で駅からアプローチし易いのは、信越本線横川駅から巡る裏妙義である。T字型の奇岩、丁須の頭を、御岳の尾根から登り、鍵沢ルートで周回して帰ってくると云うのが丁度良い。昭文社の登山地図では破線の難路と有り、妙義山の破線ルートに初心者を同行する場合は、ザイル携行が望ましい、などと書いてある。しかし、私はkz氏と一緒であると云うことだけで、いつも抱いている不安とか懸念は全く覚えない。白毛門と丁須の頭、どっちにしましょうか。私はkz氏に決断を委ねるメールを送った。「おぎのやの方かなあ」メールが帰ってきた。「おぎのや」とは、横川名物「峠の釜飯」製造元の名前である。

以上が、標高こそ低いがクライマーたちが好んで訪れる、峻険な裏妙義に行くことになった理由である。其の、頼みの綱であるkz氏が高崎駅に居ない。此の時間に自宅に居ると云うことは、もう山には行けないだろう。私がひとりで、ザイル携行が望ましい、と云うような山に登れる訳が無い。此れではまるで、屋根の上に乗ってから梯子を外されたようなものである。私は茫然としながら、kz氏に電話を掛けた。

世紀の大遅刻を詫びるkz氏に、まあ仕方が無いです、と私は慰撫する。其れでお仕舞いになるのかと思ったら、此れから大急ぎで高崎に向かうと云うので、意外に思った。予定が大幅に遅れて、行程をどうするのか。そんな話は後のことである。とにかく出発して貰って、私は二時間余りを待つことにした。安堵する思いの儘、どうやって暇を潰そうかと考えて、間もなく出発しそうな、八高線のディーゼルカーに乗った。18きっぷの旅の雰囲気が様になってきている。児玉行きの終点迄乗って、武蔵七党の最大勢力、児玉党ゆかりの地を訪れることにした。児玉党は私の姻戚関係に多少の縁があると聞いた事があったので、此の訪問は丁度良かったのだが、話が全く本筋から外れてしまうので割愛する。

八高線のディーゼルカーで、測ったように丁度二時間後に、高崎駅へ戻った。数分後に到着した高崎線の電車から、kz氏が現われた。大騒ぎの邂逅の儀式を終え、立ち喰い蕎麦を食べてから、気を取り直して横川行きの電車に乗った。行楽客を満載した電車が松井田を過ぎて、裏妙義の独特な岩山が車窓に出現した。スタートは遅れたけど、予定通りの尾根を辿り、何処かの尾根を下山しようとkz氏が云うが、見たところ、登山道を外れて降りられるような山容では無い。どうにかなるでしょう。kz氏は鷹揚に云った。電車がゆっくりとした速度になって、横川駅に到着した。

大勢の行楽客が碓氷峠に向かうバスに吸い込まれていって、静まり返った横川駅前の広場から、陽射しの強い灼熱の舗装路を歩き始めた。目の前に此れから向かう予定の、鼻曲りの巨大な奇岩が、堂々と聳えている。其れがあまりにも迫力があるので、とても此れから自分が登って行く山と云う感じがしなかった。どんな一日になるのだろうか。漠然と思ったが、あまり考えるのはやめておこう。そう思った。

常念岳の月

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常念岳は常念坊とも呼ばれ、其の由来は諸説あるが、合戦尾根同様、坂上田村麿に拠る東征伝説が定着しているようである。田村麿と戦った八面大王の有明山に比べると、臣下の常念坊が此の壮麗な山の由来になっているのがなんだか可笑しい。其れはそうとして、常念岳には何故か神秘性が薄いような気がしていた。安曇野から顕著に眺めることのできる山容は、ヴェールを纏うと云うイメージが無い。ロマンティシズムは奥地に潜むと云う観念が、槍ヶ岳などに比べて常念岳を俗化せしめているような気がする。実際、私の心裡にしても、穂高岳に行きたいが時間其の他の制約上、仕方なく常念岳を巡ると云う動機があったのである。月明かりに照らされた常念小屋のテント場から、槍穂高方面の霞が掛かった空を見上げて、私は自分の思惟の、恐るべき驕慢さを実感していた。

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2013/8/22

常念小屋(4:00)---常念岳(5:20)---2512mピーク(7:10)---蝶槍(9::05)---2625mピーク分岐点(9:20)----横尾(11:20)----上高地(14:40)

シュラフに潜って、ウィスキーを舐めながら、登山地図を眺める。常念山脈を甘く見ていた私には、懸念すべき問題があった。二日目に蝶ヶ岳迄到達すれば、あとは上高地に下山するだけである。其れで帰途の高速バスの切符を、事前に予約し、購入していた。余裕の無い計画をした積もりは無かった。夕刻16時過ぎに出発する便を予約したのである。時間は随分余るに違いない。徳沢に降りたら、明神池を散策するのもいいだろう。そんな気持ちでいた。

常念小屋の目の前に聳える常念坊の威容を眺めて、明日の午後に上高地へ辿り着くにはどれくらいの時間が掛かるのか、一抹の不安がよぎった。堆積した疲労感。此れ迄の道程に掛かった所要時間。登山地図の標準コースタイムに、大幅な余禄を与えなければならない。常念岳登頂迄一時間。山頂から横尾へ下山する分岐迄は三時間四十分。横尾迄二時間。横尾から上高地迄三時間。常念小屋から上高地迄、休憩を控えめにしたとしても、実に十時間の行程だった。此れに余禄を与えたら、一体何時に出発したらよいのか。考えれば考える程、気持ちは沈みこんでいった。

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午前三時に、浅い眠りから覚めた。気持ちを静めながら、テントを撤収し、コーンスープを温めて飲んだ。心此処に在らずで、味がしなかった。午前四時、縦走最終日のザックを背負い、小屋の前に出て、常念乗越の底から、青黒い空を見た。期せずして、見事な満月が未明の空に浮かんでいた。ヘッドランプを消してみる。常念坊の黒い巨大な影が目の前に浮かび上がった。

足元を照らすランプの光を頼りに、歩き始めた。這松に縁取られた登山道は、やがて瓦礫状の岩襖を縫っていくようになる。赤丸印を見失わないように、慎重に歩いていると、心身に疲労が押し寄せてくる。暗闇の中で立ち止まり、眼下の常念乗越を見た。早出の登山者たちの灯火が、漸く集まってきたようだった。安曇野方面の空が、やや薄明るい感じになってきたが、反対側を見れば、満月は雲に見え隠れしながら、煌々と光っている。

瓦礫場を無心に登り続けていたら、東方から尾根が合流してくるのが分かった。雲間から白い光が覗いている。前常念岳と思しき山稜が近づいてきた頃、瓦礫の急登が終わった。見渡す限りに、岩の塊の堆積した地平が広がっていた。三股の道標をやりすごして、時折振り返りながら歩いた。二人組のヘッドランプが、直ぐ近く迄来ていた。其れで、自分の速度への疑念がよぎったが、彼の二人組は空身だったから、さもありなん、私は静かに歩き続けた。

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鉛色の雲が複雑に交じり合って、常念岳の山頂を覆っていた。前常念の彼方には雲海の果てに、夜明けの陽光の色が薄く染まっている。しかし、山頂の祠の向こうに広がる横尾尾根の山塊の向こうに見える筈の、槍、穂高の頂は、厚い雲に覆われていて見えない。常念山脈の衝立の正面に明るいステージが在って、背後に薄暗い緞帳が広がっている。其の頂点に、私は立っていた。標高二八五七米、常念岳の頂上に時折、雲の隙間から、朝陽が直射してくる。スポットライトを刹那的に浴びているような気分だった。

そんな感慨に耽っていたら、間もなく空身の二人組が登頂しようとしていた。妙齢の男女が、朗らかに会話をしながら登ってくる。私は祠の在る山頂から、道標の在る処迄下っていった。自分のペースが遅すぎるのではないかと、細かく所要時間を気にしていた昨日の心裡とは違う意味で、今日は切実に踏破時刻を気に掛けなければならない。スタートから常念岳頂上迄、既に標準所要時間を二十分超過していた。

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南方に連なる常念山脈の彼方に、厚い雲が今にも下りてきそうな程低く覆っている。蝶ヶ岳の向こうに大滝山が遠近感を際立たせて連なっている。蝶ヶ岳に至る山稜は、常念岳から落ちていく三連続の岩の尖峰が並んでいる。登山ルートの筋が、西側の斜面を辿っていた。道程は余りにも遠いような気がしたが、北アルプス縦走で、初めての好天と云って好い状況に、私は昂揚していた。岩襖の折り重なる険しい下りを、慎重に進んでいった。横尾尾根の山腹に、常念坊の影法師が浮かんだ。

岩場は延々と続いた。上から眺めた時は砂礫状のように思えたが、実際に踏み込んで行くと、其処は相変わらずの岩場だった。時折、盛り上がったピークのように見える巨岩の塊にぶつかると、頼りのマーキングを見失って、リッジの上に出てしまうことがあった。東側は断崖になっていて、其の向こうは圧倒的に無の世界であった。間違えた、そう気付くと、心臓が早鐘を打ち始める。赤丸印を血眼になって探すが、動揺している所為か、其れは中々見つからない。そしてふと我に返る。マーキングに依存する自分の感覚、其れは意志が停滞していると云うことに気付くのだった。岩の堆積している隙間を選んで、慎重に歩けそうなコースを判断して進んで行くと、やがて思い出したように赤丸の描かれた岩が現われた。

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想像以上に困難だった岩稜のアップダウンを繰り返して、2512mピーク手前の鞍部に到達した。陽光は愈々心地よく降り注いでいる。目の前の壮大な岩峰を眺めながら、休憩して煙草に火を点けた。2512mピークの上から、ふたりの登山者が現われた。蝶ヶ岳方面からやってきた、一番早い登山者である。トレイル・ランニング風の軽装の若者と、ベテランの年配者のふたりは、みるみるうちに急激な岩を下り、鞍部に到達した。そうして常念側の始発登山者である私と擦れ違った。振り返って彼等を眺める。確実で無駄の無い足取りで、アッと云う間に常念の岩尾根を登って行った。

実直な急登の果てに、2512mの頂上に立った。時計を確認したら、常念岳から二時間弱が経過していて愕然とした。昭文社の標準コースタイムは、此の間三十分と記してある。テント泊の重装備を差し引いても、四倍の時間が掛かるとは思えない。多少の遅れは覚悟していたが、此れは地図のデータが間違っているのだと判断した。90分の遅れは、困惑、そして動転する現実だった。

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長閑な岩稜の道を、ふたたび歩き始めた。前方には、此れ迄の風景から一転して、樹林に覆われた緑の山が聳えている。常念岳と並んで、一ノ俣谷へと長大な尾根を従えた2592mピークである。荒涼とした岩峰を辿ってきた眼には、生命の息吹を感じる此の山の風情は新鮮だった。登山道が、緩やかに下降を始めた。背の低い這松の道が徐々に深くなって、小ピークとの鞍部に着いた。精悍に日焼けした女性ハイカーが現われ、挨拶して擦れ違った。凛々しい風貌の単独女性を、茫然と見送った。

樹林帯の鬱蒼とした道に入り、緩やかに登り返す。湿った空気と、泥濘の足元が、気分を重くさせた。私は何時の間にか焦って、足早に歩を進めていたようだった。登山道は明瞭だったが、鬱蒼とした樹林の中の或る地点で、突然行き止まりのような錯覚に陥った。躊躇しながら繁みに近づいたら、薄い踏み跡が窺えた。藪状になった微かな踏み跡を進んでいったら、徐々に傾斜が急になった。爪先で制御しながら、恐る恐る下って行くと、やがて繁茂する樹林が薄くなって、明るくなった。

其の光景を見て、私は息を呑んだ。踏み跡が途切れた其の先は、霧に覆われていた。其処は断崖だった。勢い余って降りていたら、呆気なく谷底に墜落していただろうと思うと、全身が凍りつくような気分になった。間違えた、私は慌てて湿った土の斜面を登り返して、其の途端、靴が滑って片膝をついた。全身が総毛立ったような気がした。総毛立つとはこう云うことなのかと思いながら、私は息も絶え絶えになって樹林帯に引き返した。

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行き止まりのような錯覚に陥った地点に戻り、周囲を眺めていたら、登山道は死角になったように大きく西側に切れ込むような感じで、樹林帯へと続いていた。じめじめした泥濘の道を、未だ動悸が治まらない儘歩き続けた。登山者たちと頻繁に擦れ違うようになった。鞍部から、2592mピークへ、改めて登山口から入山するような気分だった。周囲の風景はまるで奥多摩の山間を辿っているような樹林帯で、既知のような感覚を想起させた。

見通しの利かない登山道を辿り、2592mピークに達して、休憩せずに其の儘通り過ぎた。山腹に刻まれたジグザグの道を、足早に駆け抜ける。何度か、膝に力が入らずに、転びそうになった。小さな沼を横目に見て、蝶槍との鞍部に降り立った。今日は何度も鞍部に降り立っているから、其の繰り返される行為の記憶が、眩暈にも似た疲労感で、全身を弛緩させていくような気がした。

また一からやり直しかとも思うが、此れを登りきれば蝶ヶ岳の山域に達するのだと、自らを鼓舞して、無心で登りを開始した。樹林帯の道はしばしば崩壊していて、木の根を掴んで登ったり、岩の折り重なる箇所を悩みながらルートを選んで進んでいった。そうして、ふたたび森林限界を越えて、眼が覚めるような眺望が広がった。横尾谷へ陽射しが差し込んでいる。天井は相変わらず厚い雲に覆われていて、槍ヶ岳は見えない。振り返ると、常念岳が、今迄通ってきた山々を配下にして、厳然と聳えている。

端整な形の山容に、突起したような尖峰の蝶槍を遠くに見ながら歩いて来たが、其れが目の前に現われた。至近距離で見ると、人工的に積み上げられた岩が重なってできた峰のようにも見える。傾斜の緩やかな西側に自然と足が向いたが、やがて岩が折り重なっていて、屈強な這松が群生している箇所に突き当たり、先へ進めなくなった。途方に暮れて、ふと背後に気配を感じ振り返ってみたら、何処からとも無く現われた登山者が、常念方面へと下って行くのが見えた。引き返して、改めて蝶槍の全容を眺めた。真直ぐに岩峰を登っていったら、東面を捲くようにして、あっさりと蝶槍の突端に着いた。

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天井の低い北アルプスの全てを見渡せる頂に立って、漸く自分の中の気持ちと、肉体の均衡が保てるようになった。蝶ヶ岳方面を眺める。天上の美しい庭園が広がっている。直ぐ目の前の大地は三角点の在る2664.3mピークで、其の向こうに丘陵のような感じで、ヒュッテの方へと起伏が続いていた。時刻は午前九時だった。二日間を掛けて縦走してきた常念山脈との別離が近づいて来た。常念岳から2512mピーク迄の90分の遅れは、累計すると一時間短縮した計算になる。滑落死の想像に対する恐怖で、私は所要時間に執着できなくなっていたから、何処で挽回できたのかは定かではない。

標高2625mに、道標がぽつんと立っていた。其処で随分滞って休憩した。槍ヶ岳が少しでも顔を出さないか。未練がましく、私は横尾と書いた道標の下に座って、紫煙を燻らせていた。天上を覆う灰色の分厚い雲は、泰然として動く気配は無かった。

穂高連峰を正面に見て、其れが徐々に見上げるような感じになって、分岐を下って行った。直ぐに樹林帯に突入し、延々と急激な傾斜をジグザグに下降する。バスの時刻には充分間に合う計算だが、単調な下りで神経が緩み、疲労と足の痛みを直截的に感じるようになった。重いザックを担いでアップダウンを繰り返して、6時間が経過していた。足の裏が悲鳴を上げているような気がした。途中、Tシャツと短パンで登ってくるおじさんと擦れ違った。横尾にテントを張っていて、空身で蝶ヶ岳を往復すると云うから、稜線で寒くないか心配になった。上は風が強かったと伝えたら、おじさんは途端に不安な表情になった。寒かったら引き返せばいいのだから、詰まらない不安を与えるようなことを云ったのが、却って迷惑だったかもしれないと後悔した。

沢音が聞こえてきて、苦痛に耐え続ける足に構わず歩いた。森林の中の小径に合流して、其れが槍沢への登山道と合流する処だった。喧騒が聞こえてきたら、横尾山荘に出た。吊橋の前で、此れが彼の有名な横尾であるかと立ち止まったが、所在が無いので其の儘歩き続けた。平坦な道をのんびり歩くのは快適な筈だが、足裏の痛みが酷くて、碌に足を繰り出すことができない。夢遊病者のようにふらふらと歩く私を、老人ハイカーのグループが次々に追い越していった。

梓川に沿った処で、前穂高岳北尾根の峻険が正面に見えた。屏風岩へと続く尾根も霞の薄いヴェールを纏って屹立している。眼福の散歩道を、よろめきながら歩く。途中、遠い彼方に陽光を浴びて光る立派な峰が見えた。其れが余りにも際立って美しいから、広域図を見て確認したら、立山連峰であった。曇天の谷間は全てが彩度の無い風景で、彼方に垣間見える、絵葉書のように光り輝く立山の彩りは劇的な光景だった。地図を広げた儘立ち尽くしている私の横を、後からやってきた人々が、次々に通り過ぎて行った。

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別記
(七月から八月の記録)

2013/7/28

東日原(7:30)---巳ノ戸橋---鷹ノ巣谷入渓---20m大滝---金左小屋窪---石尾根縦走路---鷹ノ巣山---稲村岩尾根---東日原(20:30)

2013/8/4
(西丹沢登山詳細図踏査)

浅瀬入口バス停(8:15)---寺ノ沢橋---二俣---寺ノ沢ノ滝---二俣---世附権現山---755mピーク---焼津---浅瀬入口バス停(16:30)

2013/8/18
(筑波山)

つつじヶ丘(7:00)---おたつ石コース---弁慶茶屋跡---女体山---男体山---弁慶茶屋跡---おたつ石コース---つつじヶ丘(11:00)

燕山荘から常念小屋

Otensho



希望的観測には特に根拠も無い。夜半に目が覚めて、ふたたび眠りに落ちて、其の繰り返しの果てに、テントを叩く雨音が止むことは無かった。周囲のテントから、曖昧な話し声が聞こえてくる。時計を見ると、午前五時に近い。テント場の下のほうから、多人数の足音が近づいてきた。関東の学生たちが、空身で燕岳へと向かうようであった。隣のテントは関西弁の学生たちで、ラジオを流しながら様子を窺っている。フライシートのジッパーを少しだけ開いて、外の様子を眺めた。雨は一時的に止んでいて、周囲は濃霧に包まれている。腹這いになって、頭だけテントの外に出して、行儀悪く煙草に火を点けた。今日の行程をぼんやりと思い浮かべる。本来であれば、既にテントを畳んで出発すべき時刻だった。私は、昨年の、岳沢での朝を思い出していた。焦って先を急ぐ必要は無かった。濃霧の中を、燕岳に登頂すると云う気力が湧き起こってこない。ぱらぱらと、ふたたび雨粒が落ちてきて、煙草の指先を濡らし始めた。

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2013/8/21

燕山荘(7:15)---蛙岩(8:00)---大天荘(11:20)---旧二俣小屋跡(12::25)---常念小屋(14:50)

ひと筋の登山道が、霧の彼方へと続いていた。単独行の若者が、ダブルストックで軽快に下りて行った。溜息の序でに、深呼吸してから、私は、燕岳の方角に背を向けて、歩き出した。幾つもの花崗岩の奇岩が、ぼんやりと現われ、そして消えていく。稜線の西側に沿って、霧の道は果てしなく続いていた。時折、数人のグループの気配が背後に近寄ってくる。重いザックで、重心を傾けることさえ億劫なので、背後を振り返ることなく、私は道端に避けて、登山者たちを見送った。

そんな感じで、表銀座縦走路を歩き続けた。言わずもがなであるが、晴れていれば、右手には壮大な北アルプスの山々の絶景が展開する筈である。そう考えてしまってから、虚しくなった。映画の『八甲田山』で、雪中行軍の連隊が遭難し、いよいよ死者が続出していく、という場面で、夏山の平和な景色が入り混じる、幻覚を表現した映像が挿入されていたが、何故か其れを思い浮かべてしまった。途中、大天井岳方面からやってきた大勢の学生グループと擦れ違った。巨大なザックを背負った若者たちが、一様に俯いて、粛々と数珠繋ぎで行進している。其の行列が燕岳方面の霧の中へ、幽霊のように消えていった。

濃霧の中を歩き続けて、距離感も時間の経過の感覚も失っていたような気がした。其れで突然、あっと思って時計を見た。出発して、三十分以上経過していた。昭文社の地図を広げてみると、最初のポイントである、大下りの頭と云う処迄、五十分のコースタイムが記されていた。大下りの頭よりもずっと手前の、蛙岩にすら到達していない。奇岩はいたるところに点在していたから、何時の間にか蛙岩を通り過ぎてしまったのだろうか。そんなことを考えていたら、目の前に大きな岩が立ちはだかるようにして屹立しているのに突き当たった。

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登山道は其の岩山を左に避けて蛇行していて、間もなく忽然と蛙岩の標柱が現われた。稜線を遮る、屹立した双頭の岩が蛙岩であった。其の真ん中の割れ目を通り抜ける。発ってから、四十五分が経過していた。大下りの頭迄のコースタイム迄、あと五分しか無い。私は、自分の歩調が著しく遅いと云う感覚が無かった。しかし、幾多のパーティに抜かれているのも事実だった。自分を急き立てるべきか、もう少し急いだ方がいいのか、自問自答してみたが、歩調は相変わらずで、惰性で歩いているような、そんな感じだった。

荒涼とした花崗岩が風化した土の道を辿り、大下りの頭に着いた。一時間二十分が経過していた。湯俣温泉の谷へ向かって、長大な尾根が伸びて居る。尾根の上で強風に晒されながら、ぼんやりと彼方を眺めていたら、霧が流されるようにして移動していった。そして、彼方に無骨な尾根の続く山なみが現われた。硫黄尾根、硫黄岳の末端であろうか。其処から左に視線を転じれば、北鎌尾根が連なっている筈である。霧の中に、槍ヶ岳が直ぐ其処に在るのだと思うと、不思議なことに、気力が漲ってくるように思えた。しかし霧は、ふたたび全てを覆いつくしてしまった。

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気が遠くなるような時間が経過した。稜線を歩き続けて、漸く切通岩に到達する。学生のパーティが屯していたので、衆目に晒されながら鎖場を通過するのが苦痛だった。鞍部は混み合っているから、喜作レリーフを眺めることもなく、ふたたび木段を登り、歩き続けた。槍ヶ岳と大天荘の分岐点は、茫漠とした濃霧の中に道標が立っていて、とても休憩しようと云う気持ちにはなれなかった。大天井岳の山腹をループするように、登山道は続いていた。瓦礫の道で、足元がぐらつき始める。辺り一面が真っ白な空間で、何処からとも無く、眼下の谷で停滞している学生たちの嬌声が聞こえてくる。其れがなんとも云えず不気味だった。

喘ぎながら登り続けて、気がついたら霧の中に建物が浮かんでいるのが見えた。大天荘は無愛想な大きい箱が置いてあるような感じで建っていた。窓の中に食堂で寛いでいる人々の姿が窺えた。小屋の軒先に在るベンチにザックを立て掛け、腰を下ろした。余りの疲労で、暫く動けないでいた。食堂で何か食べよう。昼食営業中の立札を見て、そう思った。思った途端に、テントサイトの方から、若者のグループが愉しそうに会話をしながら、小屋に近づいて来た。軽薄な口調の若者たちが、カレーあるじゃん、などと云って建物の中に入っていった。

其れで急速に気持ちが萎えていった。軽薄な輩と、同じような食事をするのが厭になった。疲れ過ぎていて、食欲があるのかどうかも判らなかった。ベンチに座った儘、行動食のカロリーメイトを齧って、其れで食事はお仕舞いにした。燕山荘から此処迄、四時間以上も掛かってしまった。標準コースタイムは三時間の筈だった。晴れていたら、未明に燕岳を往復し、今日一日で、蝶ヶ岳迄踏破しようと考えていたが、其れは余りにも無謀な計画であると云うことが実感できた。地図を広げた机上では、山を理解することはできない。山は、とにかく実際に歩いて経験しなければ、理解することができないのだ。大天荘の軒下で、私は独り、感慨に耽っていた。

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ザックを背負って、縦走を再開する。だだっ広いテント場の真ん中に道標があって、常念岳への道は真直ぐに続いていた。歩き出したら、取り巻く霧が動きを見せた。周囲に明るさを感じたので空を見上げたら、青空が垣間見えた。此れから劇的に晴れるのだろうか。昨年の重太郎新道での光景を思い浮かべた。霧の前穂高岳から紀美子平に降りて、時間が無いので止むを得ず下山の途に就いたら、途中で周囲を覆っていた霧が瞬く間に流れ去り、劇的に晴天へと変わったのだった。私は、期待に震えるような思いで、其の場に立ち尽くした。幾つかのテントから、人々が出てきて、同じように空を見上げた。

絵の具で描いたような青は、ふたたび鉛色の空気に覆われてしまった。登山道は霧に包まれた。北アルプスと云う壮大な存在が、私の心を弄んでいる。そんな気がしたが、此の大自然が、私に就いて関知する訳も無い。何故山に登るのか。絵葉書のような風景を眺めたいからではない。孤独に打ち克つのだ。そんな、本で読んだ台詞が脳裡に浮かんだ。本当は、槍ヶ岳を眺めたくて仕方が無いのに、心は意固地になっていくばかりだった。

そんな心境で、茫然としながら歩いていたら、登山道に雷鳥が降りて来た。一羽、そしてもう一羽と、這松の中からぴょんぴょん跳ねて私の行く手に現われた。四羽の目元が赤い雷鳥は、人間が歩いて来る様子に全く関心が無い様子で、其の儘歩いて行く。私は彼等の後から、呆気にとられたような気持ちで歩いている。数メートルもそうしていて、やがて飽きたのか、ふたたび這松帯へ、四方に散り散りになって、去っていった。

登山道は東方向に転換し、強風の吹きすさぶ稜線になった。霧雨が横殴りで吹き付けてくる。背中を丸めて、雨具のフードを手で押さえながら、歩き続けた。大勢の集団が現われて擦れ違った。疲労の極みのような表情をした集団は、高校生の団体だった。女子の割合が多いが、一様に大きなザックを担いでいた。殆どの高校生が、健気に挨拶をした。最後尾の、引率している教師の男性は、非常に切迫した表情をしていた。稜線の登山道は、何かが起こっても不思議ではないくらい、猛烈な風が吹き荒れていた。

東側の断崖は霧に覆われていて、何が何だか判らないが、西側の穂高方面は、遠くは見渡せないのだけれど、二ノ俣谷へと落ちていく尾根が濃霧の下に広がっているのが見えた。稜線は岩が多くなって、風は止んで、雨もいつしか上がっていた。二俣小屋跡の、石積みの遺跡を過ぎたら、景色が広がった。東天井岳から伸びる尾根に差し掛かり、道標の立つ尾根の上を越えた。尾根の反対側に出ると、山塊の肌を縫うように、登山道が連綿と続いているのが見えた。樹木の無い岩峰が無常に立ち並ぶ光景は、やはりアルプスと云うべきものだと思った。

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無欲の勝利と云うと大袈裟なような気もするが、曇天の儘なのに、視界が徐々に広がってきたように思えた。東天井岳から南西に伸びる尾根の雪渓、そして其の彼方に視線を移すと、端整な三角錐のような山が鎮座している。標高2492mの、中山と云う素っ気無い名前の山であるが、惚れ惚れするような山容だった。横通岳を捲く岩場で腰を下ろして休憩しながら、私は紫煙を燻らせて、其れに見惚れていた。

茫漠とした光景の最後に、常念岳の威容が現われた。岩崖の道を徐々に下って、常念乗越を眼下に見る処迄到達した。常念小屋は模型のように小さく、カラフルなテントが色紙の端のような感じで散らばっていた。疲労感が一度に押し寄せてくるような気がした。遠近感が、正常に受け止められないような、不思議な感覚に陥った。怪我をしないように、其ればかりを思って、私は長い下りを、歩き続けた。

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