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2013年8月

合戦尾根から燕山荘

Tsubakuro


肩に喰い込む積荷の重さを堪えながら、段差の有る木段をゆっくりと登り続けていた。燕岳登山口の喧騒から逃れる為には、登り始めから高度を稼ぐ、此の勾配は丁度よいのであるが、久しぶりのテント泊装備でザックの負荷が辛い。北アルプスの稜線から下山してくるにはお誂え向きの時刻で、疲れきった家族連れも居れば、精悍に日焼けした若い男性、山慣れた風情の壮年男性などが単独で続々と降りてくるのと擦れ違った。まだまだ長いよ。登山口から間もないのに、巨大なザックを背負い、牛歩のように進む私に、或る壮年氏が声を掛けてくる。知ったことかと毒づきたくなるが、傍から見れば、大丈夫なのかこいつは、と云う風に見えるのかもしれない。北アルプス三大急登などと呼ばれる合戦尾根だが、尾根に乗る迄と云うのは急傾斜が常であるから、云われるほど驚きはしなかった。しかし、ジグザグの登山道を何度繰り返しても、中房渓谷の余韻は、なかなか離れていって呉れない。


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2013/8/20

中房温泉(11:45)---第二ベンチ(12:40)---富士見ベンチ(14:00)---合戦小屋(14::25)---合戦沢の頭(14::45)---燕山荘(15:45)

北アルプス再訪は、昨年果たすことのできなかった奥穂高岳に登る筈だった。岳沢から、今度こそ吊尾根を歩くのだと思い描いていた。其れがなんで燕岳を目指しているのかと云うと、理由は甚だしく御都合主義的な顛末であった。

青春18きっぷと云うのを、今夏初めて購入し、理由は割愛するが、子供とふたりで大阪から東京に鈍行を乗り継いで帰ってくると云うことをやった。知っている人には冗長な説明になるが、全国のJR路線に乗車できる此の切符の有効期限は五日間で、其の一日毎に使用開始の捺印を受ける。其の捺印箇所が五箇所あるが、ひとりでそれぞれ五日間をかけて使用してもよいし、五人で一度に一日限りで使用してもよいと云う規定である。

私はふたりで一日をかけて使用したから、残る捺印箇所は三つ。大阪から東京までの運賃のふたり分で、既に此の切符の購入代金を凌駕した。つまり元を取ってしまった。だから使用期限は九月上旬迄あるが、使わなくて其の儘紙屑にしたところで何の痛痒も感じなくていい。しかし、使わなくては勿体無いと云う考えが、背中を押すように急き立てる。

完全に品性の問題である。飲み放題食べ放題の制限時間で、既に満腹なのに、食べなくては勿体無いと牛飲馬食する。そんな情景が思い浮かぶ。あと三日分、只で遠出できるのにしないのは損なので無理矢理出掛けると云うのは、同じような品性に思えて面映いが、何処かに行きたい。それも遠くに行きたい。遠くに行くほど得をすると云うのもあるけれど、今年は未だに北アルプスに行っていない。

松本駅迄鉄道に乗って行き、バスに乗り換えて上高地に入ると云うのは、此の場合適当ではない。上高地に行くのであれば、新宿から高速バスに乗って行く方が快適であると云うことを昨年の山行きで知っているから、相対的に比較して、列車の旅が貧相なように感じてしまう。折角の、列車に只で乗って得をしたと云う下卑た満足感が逓減してしまう。だから早朝に東京を出発して、松本で大糸線に乗り換えて、北アルプスに向かうことに決めた。

其れで、一体お前は何処に行きたいのだと云う命題が、此処で初めて検討課題になる。しかし、未だ山歩きの主題には近づかない。喩えば、大糸線で白馬の方に行ってもいいのだけれど、余り奥まで足を延ばすと、帰りが大変になる。復路は、疲れているので、快適な高速バスに乗りたいと云う我儘が敢然と立ち上がってくる。青春18きっぷの二日分を取って置きたいと云う別の理由もあるが、説明は割愛する。

そうなると、北アルプスの何処かを歩いて廻って、上高地に下山すると云うのが理想的な行程になる。何処かと云っても、選択肢は無いのであって、往路は延々と列車に乗って穂高駅で下車する。バスで中房温泉に行き、合戦尾根を登って燕山荘で幕営し、翌日に縦走を開始して南下する。槍ヶ岳に行きたいけれど、時間が掛かりすぎるから、今回は常念岳、蝶ヶ岳を経由して上高地に降りる。以上が御都合主義的、消去法的な北アルプス再訪の所以なのである。

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久しぶりの幕営行で、装備は慎重に整えた。縦走を始めたら途中で横道に逸れて帰ることは不可能なので、必要以上に食料と水を入れたら、覚悟はしていたのだが、ザックは重力に忠実に、私の双肩に圧し掛かってきた。私は、合戦尾根の登山道の序の口で、よろよろと歩き続けた。水場の標識が現われ、一旦道が平坦になって、ベンチが現われたが、構わずに通過した。合戦尾根へ完全に乗るのは、荷揚げケーブルと交差する、第二ベンチである。其処迄、なんとかコースタイム通りに歩かなければと思った。

ふたたび尾根の横っ腹をジグザグに急登する登山道に差し掛かった。其の途上で、無表情な家族連れが下山してくるのと擦れ違った。父親が子供を背負っている。子供のシャツの背中が泥だらけになっていた。激しく転んだのか、疲れきったのだろうか。少し経って、男女二人組みが降りて来た。男性は、三角巾で右腕を包んで固定していた。其れで、冷や水を浴びたような気分になった。北アルプス。漫然と歩く危険を、私は改めて思い出していた。

索道が現われ、交差すると、広場に到達した。第二ベンチである。時計を確認したら、一時間も経っていなかった。「山と高原地図」2012年版のコースタイムは、一時間半とされているので、意外に感じた。呼吸を整えて、そんなに長い休憩は取らずに歩き始めた。此の調子だと、随分順調に燕山荘へ到達できそうである。気分が軽くなり、ザックの重さを肯定的に受け止めながら歩いていたが、程無くして雲行きが怪しくなった。雨が降り出してきた。

其れからは、ふたたび足取りが重くなった。忠実に尾根を辿るが、高度計は遅々として進まない。雨合羽の上だけを羽織って、フードを目深に被って、雨粒に俯きながら、鈍重に脚を繰り出していった。順調に思えた歩調の割りに、第三ベンチに辿り着く迄、随分掛かった。先行していた壮年グループに追いついてしまい、落ち着かないので、先を急ぐ。標高2250mで幾つもの尾根が合流して、漸く富士見ベンチに到達した。眺望は勿論皆無である。

2000mを越えて、いい加減に高山の気分を味わいたいが、樹林の中の道は未だ続いている。合戦小屋迄が吹き晒しを免れる穏健な樹林帯なのである。其の合戦小屋に到着して、時計を確認する。出発から二時間四十分が経過している。コースタイムよりも十分の延着である。しかし大勢に影響は無い程度の遅れではある。名物の西瓜が一欠片だけ残っていた。小屋の軒先で、大休止中と思しき壮年氏グループが、何時までも喋っていた。

雨は何時の間にか止んでいた。合戦小屋の屋外ベンチで、茫然と煙草の煙を燻らす。雨上がりの山なみの、麓の方から立ち籠める水蒸気が森林を包んでいる。空はやや暮色の気配を醸し出していた。幕営地の燕山荘に、午後四時台には到達しなければと考えて、少し焦燥していた感があった。しかし、其の心配は無用であると目算できる。一度降ろしたザックを背負い直すのが憂鬱だが、担いでしまうと、間もなく現われるだろう高山帯の道を想像して、気分は軽快になっていった。

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小屋を出たら、直ぐに樹林の背が低くなっていった。そして這松の広がる山稜を見渡す、眺望の良い尾根の端に乗り上がった。標高2488.1mの三角点が設置されている、合戦沢ノ頭である。安曇野や大町の方角の景色は、青空の下方の雲に包まれていた。目の前には、重心の低そうな、安定感のある有明山が、黒いシルエットのような色で鎮座している。其の山塊の連なりを、北の方へ視線を転じれば、餓鬼岳と唐沢岳の奇峰が、仲良く並んで屹立していた。

標高2500mを越えて、漸く気持ちの良い高山帯の歩きになる筈だったが、次第に登山道は不吉な色をした雲の中へと分け入っていく。霧の中に入って、山肌をトラバースしていくと、ふたたび雨粒が落ちてきた。カラフルな高山植物の花が、靄に包まれた道端に現われてきた。遠くに、大振りな色彩が垣間見えてきたなと思ったら、其れはテントのコントラストであった。そうして、漸く燕山荘に到達した。時刻は午後四時を廻っていなかったので、安堵した。しかし、山小屋は霧の中に聳えていて、当然のことながら見渡せる筈である北アルプスの全景は、またもや霧の中である。

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ザックを軒先に置いて、燕山荘の扉を開けて入った。人だかりが建物の奥まで蠢いている。受付でテント設営の手続きをしていると、壮年氏グループが入ってきた。代表が宿泊の手続きをして、説明を受けている。宿泊代はひとり一万三百円なので三万九百円ですと受付の女性が云った。隣でテントの申込書に記入している私も思わず手が止まったが、代表のおじさんが仲間に、おういひとり一万三百円、と云ったら、誰かが、飲み代も入ってるんだろうな、と冗談を云った。

午後四時を過ぎたばかりなのに、霧で薄暗い幕場で、私は諦めたようにゆっくりとテントを設営した。寝床が出来上がると、随分心が落ち着いた。空腹をカップ麺と握り飯で満たして、紫煙を燻らせていたら、大粒の雨が落ちてきた。周囲は学生達の集団が大きなテントを張っていて、中で談笑している声が周囲に響き渡っている。関西弁と標準語の嬌声が、方々から聞こえてくる。テントの中に潜り込んで、ウイスキーを飲みながら本を読んでいたら、睡魔が襲ってきた。シュラフに入って横になったら、現実が遠ざかっていくのを感じた。雨がテントを叩く音が激しくなってきたなと思ったら、すとんと眠りに落ちた。

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水根沢・沢登り初心者部隊の蹉跌

沢靴を履いて川の中に入ると謂う感触をとりあえず経験して、さてこれからどうするのか。自分でもはっきりした考えは無かった。小下沢をkz氏と歩いた其の日の晩に、登山詳細図世話人氏宅で開催された、高尾山詳細図改訂版完成記念の酒宴に参加した。其処で、酔った勢いで世話人氏にいろいろ質問して、沢登りの話を聞かせて貰った。沢登りの魅力と、推奨ルートの話を聞いていると、私の裡に在る欲望も膨らんでくる。初心者は水根沢辺りから始めるとよい。簡単で美しいルートである。そう世話人氏が云うので、酔っ払いの私は、是非引率して戴きご教示を賜りたいと、甘えたことを云った。返す刀の勢いで、同席のC氏とT子さんに対して唐突なオルグ活動を開始した私は、沢登り初心者部隊を構成することに成功したのであった。私、C氏、T子さんに、世話人氏の妻、M子さんを含めた四人の素人が、無謀にも初めての沢登りを敢行することになった。

2013/7/7

水根キャンプ場(10:00)---水根沢遡行---二番目のゴルジュ帯で頓挫---大高捲きで水根沢林道にエスケープ---水根キャンプ場(12:30)

Mz1

奥多摩駅でT子さんの車に便乗し、氷川から青梅街道を登る。奥多摩湖の直前で山道に分け入り、水根沢キャンプ場の駐車場に着いた。水根沢谷は、倉戸山から鷹ノ巣山に至る榧ノ木尾根と、六ツ石山から水根に南下する尾根の間に深く長く流れる沢である。水根沢林道と謂う名の山道が、六ツ石山側の斜面をトラバースするように、石尾根の水根山へと続いている。

Topo山の地形を脳裡に描き、キャンプ場を覆う山なみを眺めるが、初めて本格的な沢登りを始めると謂う緊張感で、私は、北も南も判らない、そんな状態だった。ハーネス、カラビナ、下降器などを世話人氏から貸して戴き、覚束無い手つきで装着する。一本のロープに輪を作る方法、カラビナとロープで、木に固定する方法、世話人氏が実演して呉れるが、初心者部隊は、茫然と其れを眺めるだけであった。

猛暑の続く真夏の週末だった。水根沢キャンプ場に、沢登りのパーティが続々とやってきて、水根沢に入渓していく。世話人氏が引率する初心者部隊は、駐車場に到着してから随分時間が経ったが、なかなか入渓できないでいた。ロープ確保の講習は、埒が明かないので中途で切り上げ、我々は漸く水根沢谷へと入っていった。

昂揚した気分の儘、沢の水に浸かった。明るい広場から、岩が聳える狭い渓谷へと入っていく。心の準備が出来ない儘、いきなりゴルジュ帯が現われる。世話人氏、M子さん、T子さん、私、C氏の順で、一列になって遡行していくことになった。小さな滝の下に着くと、世話人氏は、少し思案してから、するすると岩を登っていく。そして、滝の上で、素人たちを確保するために、長いロープをザックから出して、準備する。我々は、其れをじっと待っている。ロープが下ろされたら、ひとりずつ、ハーネスの前面に装着したカラビナにロープを引っ掛けて、其の命綱の張力を確認しながら、岩を登るのである。

小さいと云っても三メートルはある滝が、間断なく現われた。釜の深さは小下沢の比ではなく、胸まで浸かる箇所も珍しくなかった。滝の側面にある岩崖に向かって、半ば泳ぐようにして辿り着く。岩の手掛かりを探すのに、時間が掛かると、内心の焦りが顕在化して、ますます判らなくなる。逡巡していると、ロープのテンションが強くなっていく。世話人氏に半ば引っ張られるようにしながら、岩を必死に掴んで登っていった。

最初のゴルジュを終えて、其れでも深い谷間の流れを、歩き続けた。峻険な岩崖が、苔むした岩となって、沢を形成している。渓谷の美を、完璧な位置から鑑賞しているような気がした。暫く快適に歩いていたら、先行していた遡行パーティに追いついた。二番目のゴルジュ帯に差し掛かったようで、難しい滝があるようだった。複数のパーティが、其処で渋滞していた。暫く立ち往生しているうちに、後続のパーティも追いついてきた。狭く蛇行しながら流れ落ちる滝の釜に、大勢の人間が集まっているのが、不思議な光景だった。

Mz3

遡行図を眺めて、おおよその距離感を掴もうとするが、深い渓谷の底に居ると、自分が何処に居るのかと謂う思惟自体が、どうでもよくなっていくような、そんな気がした。滝の数を数える余裕は無かった。問題の滝に、世話人氏が難渋しながらも登り、ロープをセットして、M子さんを引き上げようとするが、激しい水流の圧力で、どうしても登ることができない。暫くの間、停滞した儘だったが、やがて世話人氏が、遡行を諦めて登山道に転進すると決断した。

気がつくと、周囲には夥しい数の人が集まっていた。我々は、左岸に上がって、険しい斜面を這うようにして登っていった。大勢の人が居るので、落石をしないように注意せよと、世話人氏が云った。云われた直後に、私は漬物石のような大きな石を踏んでしまい、其れがゆっくりっと転がっていった。啞然として、声が出なかった。ラーク、と謂う絶叫を、世話人氏が放った。石は幸い、途中で停まったので、私は安堵しながら、跪くようにへたり込んだ。自分の技量が、自分で思っている以上に拙いことを思い知って、恥ずかしかった。

気がついたら、眼下は目が眩むような高度感だった。通常の登山で、此のような斜面を登ることは有り得ない、そんな気がした。沢を登り詰めることができない場合、退避するのも命懸けであると謂うことを知った。登山道に辿り着き、全員が茫然とした感じで立ち尽くしていた。山腹を抉ったように細い登山道だったが、其処が水根沢林道だった。其の安定感は、地べたに頬ずりしたくなるくらい、有りがたかった。

下山の途中、盛り上がった尾根の突端で、休憩した。世話人氏が、携行してきたおでんを温めて振舞って呉れた。温かいものを食べて、漸く全員が我に返ったような気分だった。沢を遡行して、胸まで水に浸かった身体は冷え切っていたが、尾根の上では、風が心地よかった。そうして、水根沢林道を辿って下山するのだが、信じられないくらい、あっという間に、キャンプ場へと降り立ってしまった。

Mz2気が遠くなるくらい、緊張感とともに遡行した水根沢だったが、進んだ距離は、ほんの僅かなものだったようである。後から確認すると、遡行していたのは二時間にも満たなかったようであった。自分が何処を歩いているのか判らない儘、目の前の滝や岩を攀じ登る行程は、想像以上に時間の感覚を失ってしまったようで、そんな自分の感覚の曖昧さにも驚きを禁じえない。

水根沢キャンプ場の駐車場に戻って、濡れた衣服を着替えた。全身が弛緩していて、緊張感が、解けるようにして消え去っていった。途端に、灼熱の太陽の陽射しが、突き刺さるように、降り注いできたような、そんな気がした。

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