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2013年7月

桜島・春田山から中岳の断崖を眺める。

桜島は大正の大噴火以来、大隅半島から僅かに陸続きとなっているが、鹿児島港から終夜運行している市営のカーフェリーで簡単に渡れるようである。鹿児島は妻の生家があるので、此れ迄随分訪問したが、桜島に上陸したことがなかった。今回も親戚付き合いの間隙を縫って何処かの山に登りたいと考えていたが、開聞岳に登る程の時間が無い。私は、早朝の市電に乗って、鹿児島港に近い水族館口で下車した。西日本の猛暑は今日も続くと予報にあり、朝の七時前だが直射日光が厳しく降り注ぐ県道を渡り、フェリー乗り場の建物に入った。休日の所為か、場内は閑散としていた。切符売り場も改札も無い。勝手に乗船して、船代は桜島港で支払うと謂う方式である。料金は150円。隣の駅に行くような気軽さである。

2013/7/21

桜島病院バス停(7:50)---薩摩赤水---八谷橋---湯之平展望所分岐---春田山---430mピーク付近の築提---薩摩赤水---大正溶岩地帯---桜島港(12:30)

Sj1_2オープンデッキの甲板から、徐々に大きくなってくる桜島を眺めていた。冷房の効いた船室に乗客が集まっているので、誰も居ない。船が鹿児島港を囲む堤防を抜けて、海に船出したと思ったら、呆気なく桜島港に着岸した。閑散とした広場に出て、バス乗り場を探していたら、タクシーの運転手が近寄ってきた。何処に行くかと訊かれたので、桜島病院と応えたら、乗り場を教えて呉れた。

大隅半島の桜島口に向かうバスの乗客は三人だけで、出発したら直ぐに大正溶岩の殺風景な地平に向かっていく。バスは快速に飛ばし、私の目的地である、薩摩赤水は二つ目のバス停だったが、其れ程直ぐに着くとは思わず、降車合図のベルを押し忘れてしまった。慌てて次のバス停で降りたら、桜島病院前と云うバス停だった。私は、国道224号線を、来た方角に戻って歩き始めた。

昭和三十二年の大噴火以来、桜島への登山は禁止されている。桜島の御岳は南北に広がり、北岳、中岳、南岳のピークが並ぶ。そんな、横に広い山容である。鹿児島市内から、或いは桜島と併行して南に延びる薩摩半島から、対岸を眺める桜島御岳が、周知の秀麗な山容である。現在噴火を繰り返しているのは南岳の東に在る昭和火口なので、黒い霞が懸かっているように見えるのは、市内から見ると凡そ向かって右側からである。其れに対して、鹿児島空港からハイウェイバスに乗って市内に向かう途中に眺望できる桜島は、北側から見えるので、まるで端整な三角錐の独立峰に見える。其の姿もまた美しい。

Sj2_2観光客が桜島の峰に近づけるのは、湯之平と云う標高373mのピークに在る展望所迄である。溶岩や噴火による噴出物に塗れた険しい地形を縫うようにして、観光客がドライブできる車道が湯之平展望所を目指して周回している。私は其の車道を歩いて湯之平に向かって歩き出した。其の基点が赤水と云う集落なのである。大正溶岩の広がる一部に集落がある。湯之平に向かって歩いて行くと、点在する民家の中に、小さな東屋が密集している不思議な場所があった。近づいてみると、其れは墓地で、墓石ごとに小さな屋根が設えてあった。火山灰が降り注ぐ桜島の集落の、独特な光景だった。其れを過ぎると、赤水の氏神である愛宕神社が見えてきた。

道路は神社を過ぎて、大きく迂回しながら勾配を稼いでいく。やがて錦江湾を望むようになった。よく晴れた空だったが、薩摩半島の彼方は陽炎のように曖昧な感じで広がって見える。車道歩きだが、歩行者道は広く取ってあるので、窮屈な感じはしない。尤も、車道を通る車の姿は全く無かったので、開放感に浸りながら、私はゆっくりと歩を進めた。溶岩帯に繁る樹林を見下ろしながら、三回、四回と道は大きく切り返すようにしてカーブしながら勾配を上げていく。愛宕神社の由来と思しき愛宕山の在る地点に到達したが、其れらしきピークは確認できなかった。

遮るように伸びていた尾根を捲いていくように、愛宕山付近から車道は大きくカーブして切り返していった。尾根の裏側に出たら、対岸に、直ぐ近くに湯之平展望所の建物が見えた。道路は其処に直進することなく、東方に向かって真直ぐ伸びていた。真正面に南岳が聳えていて、夥しい黒煙が空に吹き上がっている。爆発したのだ。噴煙は大きく、やがて照りつけていた強烈な陽射しを隠していった。道路が部分的に、陽蔭になっている。活火山の、此処迄巨大な噴煙を間近で見たのは、初めてかもしれない。そう思った。

Sj4_3鹿児島地方気象台に拠る、桜島の噴火の記録を後日確認したら、此の日は7時36分に最初の爆発があり、8時30分迄、断続的に六回の噴火が起こっている。私が見たのは、8時10分の爆発だろう。「弾道を描いて飛散する大きな噴石」が五合目に確認され、場所は「昭和火口より500から800m」と記録されていた。

大噴煙に圧倒されたが、轟音のような爆発音が聞こえないのが少し残念な気がした。不謹慎な思惟なのは百も承知だが、此れ程巨大な噴煙が巻き上がっても、何も聞こえないのは不思議だなと思った。どおんと音がして、地面がぴりぴりと震えて、慄きながら桜島を見上げる、そんなイメージが、勝手に私の中で熟成されていたのだった。私は、車が一台もやってこない静かな車道を、黙々と歩き続けた。

桜島御岳の前衛とも云える寄生火山の、引ノ平を眺めながら車道はふたたび北にカーブした。錦江湾の眺望が、さらに遥かに広がる。溶岩の瓦礫で形成された尾根に逆らわずに、舗装路は緩やかに上昇しながら続いている。標高255mピーク地点で、折り返すように右に旋回すると、南岳がどんどん近づいてくる。長い直線の坂路が終わり、ふたたびS字のカーブを描いて、八谷橋を渡る。大きな谷だが、勿論涸れ果てている沢である。湯之平展望所が目の前に現われた。手が届きそうな程近いが、私と展望所の間には、断崖の底が在る。彼岸と此岸の間に、溶岩帯に繁茂する強靭な森が広がっている。車道は徐々に北東方向に、展望所から遠ざかるようにして続いていた。

いよいよ桜島火山群を望む限界地点に近づいてきた。私には深謀遠慮が有る。観光道路の行き着く先は湯之平であるが、地形図を見ると、直ぐ傍に、同じ寄生火山の春田山が在る。標高373mの湯之平よりも少しだけ桜島御岳に近い、標高408mの溶岩ドームである。私が現在歩いている地点から、間もなくして細い車道が分岐している筈であった。其処に行ってみようと思う。

Sakurajima_2

分岐点は間もなく現われた。一般車輌が迷い込まないように、左手に湯之平展望所の道標が在った。其れを黙殺して、私は右に分かれる舗装路に進入した。繁茂した樹林の枝打ちをしている車輌が停まっていたが、無人であった。鬱蒼とした林道は直ぐに終わり、空が開けてきたなと思ったら、左手に小さなゲートが現われた。金網のゲートは車輌の進入を拒絶しているが、両脇の石柱の傍から、人は簡単に通れる。石柱にプレートが在り、京都大学防災研究所、桜島火山観測所、そして、ハルタ山観測室と記されてあった。

施設の敷地へと続く道を見上げる。春田山は、この敷地内のこんもりと盛り上がったピークのようだった。私はゲートの横から其処に入っていった。春田山のピークに登る為の行動なので、もしも観測所の関係者に咎められたら、釈明しようと考えた。舗装路が山を捲くようにして頂上に伸びている。登りきったら、観測所の白い建物が現われた。振り返ると、湯之平展望所の溶岩ドームを見下ろす展望が広がっていた。私は、画策が成功したことを知った。

Sj6建物の横を廻って、観測機器が設置してある広場に出たら、真正面に、中岳が尖塔のように屹立していた。思ったよりも近い感じがした。南岳、北岳と、セットで桜島御岳を眺めるという感じではなかった。中岳の直下に深く抉れて崩壊した岩崖が、剥き出しになって落ちている。南岳の噴煙は消えていた。灼熱の太陽の下で、私は茫然と其れ等を眺めた。

観測所の周りを歩いたが、人が出てくる様子は無かった。敷地内に車が無いから、誰も居ないのだろう。春田山のピークに登った、と謂う感慨は然程感じることはできなかったが、湯之平展望所ではなく、ハルタ山観測室から眺めることができたと云うのが、嬉しかった。

ハルタ山観測室のゲートを出た。私は満足して、下山の途に就こうとしたが、地形図を眺めると、直ぐ傍に車道が分岐して、さらに火山へと近寄っていく道が在るのが気になった。春田山の東に430mのピークがある。春田山よりも22m程高い山の脇迄、車道は続いているようであった。430mピークと春田山の鞍部を貫く舗装路を、私は歩いていた。程無く、右手に道が分岐しているのが見えた。其処には、木製の大きなゲートが有り、当然のことながら厳重に閉じられていた。

ゲートの両側には先程とは違って、人が通れる隙間が無かった。少しの間思案してから、ゲートの木枠に足を掛けて、其れを乗り越えた。立ち入り禁止、と謂うような表記は無い。其れだけを拠り所にして、430mピークに向かって伸びていく舗装路を登ってみることにした。道の左手は深い谷が沈んでいる。振り返ると、鹿児島市内ではなく、姶良方面の景色が広がった。桜島の断崖の向こうに、海の青さが深みを増している。そんな景色だった。

春田山から眺めた中岳の威容が、さらに間近に迫ってくるような気がした。車道はひたすら真直ぐに勾配を登り続ける。登りきったなと思ったら、目の前には青空だけが広がっていた。中岳から深く抉れて切り落ちる谷を、巨大な築提が堰き止めていた。岩塊の崩落を堰き止めるためなのだろうか。乾ききった大地に、巨大な人工物が聳えていた。

周囲は木も土も刈り払われていて、舗装路は築提で終了していた。遮るものが何も無いから、錦江湾と、鹿児島市内の眺望が、何処迄も見渡せる。其れは何とも云えない無機質な光景だった。振り返ると、桜島の御岳が、岩崖となって迫ってくるように近い。その気になれば、中岳に登頂できそうな、そんな錯覚をしそうなくらいに、近い。茫然と立ち尽くしていたら、眩暈がしてきた。灼熱の陽光が、容赦なく降り注いでいる。私は、踵を返して、ゆっくりと、下山の途に就いた。

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初夏の高尾山北尾根を辿る

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2013/6/2

高尾駅(12:00)---日影---高尾山北尾根---高尾山---金比羅台---淺川---高尾駅(16:00)

朝、いつものように起きて雑事を済ませたら、山に行きたくなった。何処へと謂う積もりもなく、出発するにしても遅いから、考えも無く高尾山口行きの電車に乗った。其の車中で、高尾山北尾根を登ってみようと、以前下った時から考えていたことを思い出したので、高尾駅で下車して北口に出た。しかし、小仏行きのバスは二十分後迄無い。私は此のバスターミナルの居心地がよくないと思っていて、二十分が苦痛なのである。私はいつものように歩き出した。

小仏川の遊歩道を歩いていると、気持ちが悠然としてきた。樹林の中の疎らな陽射しが心地よい。蛇滝口から止むを得ず車道を歩くが、日影から林道に入ると、清々しい沢の気配に包まれた。最早下山の途に就いている人と擦れ違うが、トレイル・ランナーは縦横無人な方向から現われる。昼下がりからでも登れる高尾山の気楽さが嬉しい。

火災で焼け落ちたウッディハウス跡の箇所から、いろはの森コースが分岐するが、其れを横目で見ながらもう少し直進すると、また分岐点が現われる。いろはの森コースに合流する林道に左折して歩いて行くと、尾根が突き出ている処があり、林道は素直に其れを迂回すべく、左に回りこみながら右にカーブを描いている。高尾山北尾根の取り付きは、其の突端から延びて居る。林野庁の小さな看板が立っていて、其処から作業道が尾根を直登している。

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高尾山北尾根が、若葉の季節を越えて夏になったら、藪が繁茂して登るのに苦慮するような道なのかを確かめたかった。事実は全く杞憂であって、道筋は至極明瞭で、急登を楽しめるならば、人影が全く無い儘、山頂に向かうことが出来る。標高490mで尾根が合流するまで、ひたすら登り続ける。500mを確認して、緩やかな斜面に立ち止まり、振り返ると樹間から北高尾山稜を覗き、中央道の喧騒の名残りを微かに感じることができる。

ふたたび急登が実直に続き、標高550mで西へ延びる茫洋とした広い尾根が窺える。奥高尾の静かな谷間を見下ろすことができる迄登ってきた。休憩して煙草を燻らせていると、微かに人の気配を感じる。其れは漠然とした気配で、誰かが近づいてくるようなものではない。スタジアムの観衆の騒ぎが、遠くから聞こえるといったような感じだろうか。ざわめきが、私のテリトリーの遠く外側から聞こえてくる気配だった。

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徐々に東に進路がずれていくようになり、登りきったら唐突に樹木が道を塞ぐように重なりあっていた。其処に黄色い立ち入り禁止のテープが、バツ印を描くようにして張られていた。其れを難渋して越えると、其処はビジターセンターの裏手にある、高尾山頂の捲道だった。1号路に合流して、私はデパートのように混雑している高尾山頂に立った。

もうすることがない。私は携帯電話機を取り出した。さすがは世界の高尾山であって、私の微弱なPHS電話機も通じるようであった。其れで、登山詳細図即売所の小仏峠に居る筈であるC氏にメールを送った。早速返信がきた。彼等は既に下山途中の模様で、高尾駅で合流する約束をした。手持ち無沙汰な気分が、其れでずいぶん解消した。麦酒を我慢して、私はいそいそと下山の途に就いた。

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別記

2013/6/5(登山詳細図奥多摩東部篇補足踏査)

軍畑駅(9:50)---青梅沢井デジタルテレビ中継局---490.5mピーク---544mピーク---惣岳山---四辻---沢井駅---東光寺踏切---東光寺墓地---日枝神社---送電鉄塔---軍畑駅(15:40)

2013/6/23

大倉(8:50)---大倉尾根---塔ノ岳---新大日---烏尾山---烏尾尾根---新芽山荘---大倉(17:30)

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小下沢を遡行する(後編)

最初は及び腰で、沢の中に入っていったのだが、徐々に其の状況に慣れてきた。此れでは沢登りと謂うよりも、川遊びですね。そんな軽口を叩いたら、kz氏は笑って頷いた。小下沢林道が、直ぐ傍を通っていて、時折ハイカーが我々に気づいても、見て見ぬ振りをするかのように去っていく。異端の徒になったのだと思い、愉快な気持ちになる。梅雨の合間の良く晴れた日ではあるが、其れ故に山が供出する水量は夥しく、流れも激しくなってきた。川底も次第に深くなり、川遊びなどと云ってはいられない状況になってきた。

Kogesawa


2013/6/29

大下バス停(9:00)---小下沢梅林傍の資材置き場跡---小下沢遡行---砂利窪分岐---逆沢分岐---逆沢ノ滝---小下沢遡行---逆沢林道---逆沢ノ頭---景信山南東尾根合流点---ヤゴ沢---小仏バス停(16:30)


沢の両岸が狭まってきたと思ったら水流が激しくなった。大きな岩を見極めて、流れの多寡に係わらず、足を掛けられそうな方に進み、横這いになって通過する。なかなか上手いよと、kz氏が励ましてくれる。厳しい箇所を過ぎたら、平穏な沢歩きになる。気持ちに余裕ができると、直ぐ傍に併行する林道を見上げてみる。北高尾から注ぐ沢が合流してくるのが見えた。二番口だね、kz氏が云う。こげさわの森の散策コースの入口の番号である。未だそんな処迄しか来ていないのかと、驚いた。

左手、沢登り的に云えば右岸の方角を見上げる。景信山東尾根を形成する山が穏やかに連なっている。地形図を確認して、現在地を意識すると謂う行為は、既に意味を失っていた。時折現われる滝状の急流に意識を集中して、目の前の障害を乗り越えるのに精一杯なのであった。無心でひたすらにざぶざぶと小下沢を遡行していく。漸く林道のゲートが見えた。ザリクボで休憩しよう、kz氏が云った。入渓してから、既に二時間半が経過していた。林道を歩けば、四十分のコースタイムである。私は、漸く沢を歩くことと山歩きの違いを実感した。

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小下沢野営場跡からザリクボを分けて、ふたたび沢に入って歩き続けた。樹林の繁茂状態が激しくなり、枝や葉を掻き分けながらの遡行である。やがて視界が開けたら、流れが徐々に激しさを増す沢を登っていく。上流に向かうにつれ、滝状になっている箇所が増えていった。落差は1メートルくらいのものだが、水流の激しさに、びくびくしながら其れ等をパスしていった。

切り立った崖に挟まれた沢が蛇行して、白い飛沫を上げながら流れている。遥か前方に、苔むした堰堤が見えた。猛烈な勢いで瀑布を演出している。此れは無理だろう。kz氏が云う。右岸から山肌に張り付くようにして、迂回して登って行くことになった。高捲きである。慎重に進むが、堰堤を越えた頃になると、足元が覚束無くなり、次の一歩が踏み出せなくなった。眼下には遠く川の流れが見えた。滑落したら、只では済まない。沢を無心に歩き続けていたから、高所にいる感覚が唐突にやってきたような気がした。

柔らかい感触の沢靴で、崩壊しそうな山肌の土を蹴りこみながら、随分時間を掛けて、漸く沢に復帰した。神経を遣って疲弊し、やや惰性のような感じで遡行を続けたが、渓流は遡るにつれて急流の様相を呈して来ていた。併行する林道は遥か高い処を走っているようで、目の前に広がる風景が、渓谷らしくなってきた。巨大な岩崖が、尖塔のように聳えている。突き出た岩崖を縫うようにして、沢が流れている。昔、八王子城から、此処迄矢が飛んできたと謂う伝説があって、此の辺りは矢淵と呼ばれているんだよ。kz氏が解説して呉れる。

小ぶりな滝が連続し、其の淵が豊潤なまでに水を湛えている。飛沫を上げながら遡行を続けた。そして、いよいよ逆沢が合流する地点に辿り着いた。此処迄の道程は云わばウォーミング・アップで、沢登りの醍醐味は滝を溯ることである。我々は、逆沢ノ滝へ向かう前に林道に上がり、食事の休憩をとることにした。

Sasazawafall

小下沢に注ぐ支流が、上流の方向に落ちているから逆沢と云うのだと、kz氏が教えて呉れた。其の沢に分け入って行くと、程無く滝が見えてきた。凄い水量だ、kz氏が叫ぶ。滝は何段も続いているそうだが、とにかく目の前の一ノ滝を登ることになった。ザックを置いて、kz氏が、お手本を見せて呉れる。惚れ惚れする程、躊躇なく岩を掴み、登って行く。滝の上に立ったkz氏の姿が、大きな岩の向こうに消えていった。

左手の山肌に張られたロープを伝って、kz氏が戻ってきた。いよいよ私の番である。ザックを置いて登るように云われた。そうするとまた戻ってこなければなりませんが。私が尋ねた。此の水量では先迄行くのは危険なので、今日はこの一段目を登る練習だけにしましょう。kz氏が云った。私は少し安堵しながら、空身になった。

滝の下に立って、岩崖を見つめた。先程のお手本の残像が脳裏に浮かぶ。岩の僅かな突起に足を掛けて、二歩、三歩と登る。そして、滝の流れの中央に在る岩の突起を掴もうとした。水温は、あっと叫びそうになるくらい、冷たかった。其れで、私の体の動きが、止まってしまった。お手本通りに、滝の真ん中の岩に、足を掛けるための、もう一点が確保できない。

上に在る木の枝を掴め。そうkz氏は云うが、動転していて、どの枝も体重を預けられるような堅牢さが無いような気がした。滝の真ん中で、私は暫く停滞した。やっとのことで、次の一歩を出して、滝の真ん中に立った。お手本では、次のステップを滝の反対側に大きく跨いでいく感じだった。しかし、なかなか三点を確保することが出来ない。胸が早鐘を打っている、本当にそう感じた。暫く停滞して、結局は滝の中に片手を突っ込み、岩を掴むことで、対岸へと体重を移動することができたのだった。掴んだ岩を確信する決心が、なかなかできない。其れが問題の核心であるような、そんな気がした。

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小下沢に戻り、更に遡行を続けると、程無くして小さな滝が現われた。釜と呼んで差し支えないような、大きな淵が深い緑色に染まっている。滝の其の向こうに、更に大きな滝が濠音を立てていた。最初の滝の、左岸の岩壁に手を掛けて、ゆっくりと登った。登りきったら、いよいよ最後の大滝である。此処迄、kz氏の後をついて遡行してきたが、さあ行ってみよう、kz氏に背中を押されて、私が最初に大きな淵へ、突入することになった。

左岸、滝の右側にせり出している岩崖に向かって淵の中を進んで行くと、突然、腰まで浸かるくらい川底が深くなっていた。思わず叫び声をあげた。崖の下に辿り着いて、岩の上に立った。岩の抉れた部分を探して、足を掛けていかなければならないが、やはり躊躇してしまい、暫く佇んでから、意を決して、登り始めた。真ん中辺り迄登ると、自然に、滝から遠ざかるような方向に、手掛かりを探して登って行った。そっちじゃないよ、kz氏が叫んでいるが、身体が云うことを聞いて呉れない。滝よりも傾斜のきつい岩崖を、結局は登り詰めてしまった。

kz氏が続いて登りきった。ふたりで固い握手を交わす。達成感で胸が一杯だった。途中から滝の方を上がれば楽だったのに、kz氏が云った。水流から、反射的に遠ざかってしまうと謂う、恐怖心がそうさせてしまう、私は改めて思った。

林道に上がり、滝を見下ろした。釜に落ちる水の飛沫が美しかった。其れで気力が漲ってきたような気がした。kz氏を残して、空身でもう一回、滝登りを試みることにした。一段目の淵に降り立ち、大滝の傍に着いて、林道を見上げたら、kz氏が手を振っている。私は、改めて釜に腰まで浸かって滝壺に向かった。滝の途中から、思い切って滝の中の岩を掴んで、水流の上に立った。緩やかな傾斜の滝を登るのは、容易だった。

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ふたたび林道に戻り、沢靴と靴下を履き替えた。何とも云えない疲労感に、全身が覆われていた。子供の頃の、プールの帰りに感じたような疲労感に似ている。子供の頃、夏休みには母親の生家の田舎に行った。従兄弟たちと、川に入って泳ぎ、遊んだ記憶が思い浮かんだ。帰り道、山沿いの砂利道は、照りつける太陽の光で眩しく、そして辺りには噎せるようなくらい、草木の匂いが立ち込めていた。

小下沢林道の地べたに座り込んだ儘、ふと、そんな記憶が蘇ってきた。苔蒸した岩の匂い、何処迄も覆われた樹木の葉の匂いを、川風が運んでくる。思い出が、五感によって想起されてくる。其れが、何とも云えず、嬉しかった。

付記

林道に上がったら既に五時間以上も経過していた。小仏峠で「登山詳細図」の世話人氏に合流するのは不可能な時刻になっていたから、其の後は、逆沢林道から逆沢ノ頭に登り、帰途はヤゴ沢ルートで小仏バス停に向かった。小下沢を歩くだけだから、遅めに出発しましょうなどと提案した、自分の浅墓さが露見した恰好である。kz氏に、すみません、沢を舐めてましたと、冗談交じりに云った。kz氏は、そうだよ、舐めてるよお、と、嬉しそうに云った。

別記

kz氏の「悠遊趣味」、画像付き山日記No.668「堂所山6」の項で、小下沢遡行、逆沢ノ滝を登る記録が詳しく記されています。初めて沢登りをする私に、手解きをして戴きましたが、彼が充分な経験を積んでいた上で、コースを案内して戴いたということが、よく解ります。言葉だけではとても表現できない感謝の意を、記すばかりです。

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小下沢を遡行する(前編)

山が在って谷が在る。余りにも当たり前なことが、地形を意識して歩く山行きで、改めて実感できてきたような気がする。尾根はピークから派生して幾重にも分岐し、其の合間に谷が在る。其の沢の流れは相対的に、幾重もの支流が麓に向かって流れ、そしていつしか合流して、大河となって海へと注いでいるのである。あんまり当たり前なことを書いていると云うのが面映い限りである。道迷いでの遭難で、谷に降りるのは禁忌とされている。谷沢は下流に向かってはいるけれども、其処は自然の思うが儘に形成された峻険なる地形なのであり、断崖が滝となって落ちていく。渓谷の美しさは、峻険なる自然の厳しさを否応無く感受せられるからなのだろうと思う。

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2013/6/29

大下バス停(9:00)---小下沢梅林傍の資材置き場跡---小下沢遡行---砂利窪分岐---逆沢分岐---逆沢ノ滝---小下沢遡行---逆沢林道---逆沢ノ頭---景信山南東尾根合流点---ヤゴ沢---小仏バス停(16:30)


山に親しむことになってから、自然と謂うものに対して、恐る恐る対峙しながら、歩いて来たように思う。無意識に、谷、沢、渓と謂う存在に対して、云いようの無い畏怖を感じる。沢登りと謂うものに憧れてはいたが、自分にとっては余りに敷居が高い行為のように思っていた。しかし、「悠遊趣味」のkz氏に、何気なく、沢登りへの興味を話してみたら、初心者は高尾辺りの沢で練習すればいいんじゃない、と云われて、憑き物が落ちたような気分になった。峻険な渓谷の岩場を攀じ登る、と謂うような図ばかりが頭に浮かぶ沢登りであるが、高尾山に流れる沢を遡行するくらいであれば、気後れするようなことも無い。

そうと決まって、では何処の沢を登りましょうとkz氏に誘いを掛ける。気後れは無くなったけれども、独りでは心細い。kz氏に引率して貰おうと謂う甘えた思惟が端から有るのである。そうしたら、ヘルメットは持っているのかと訊かれて、思わず緊張が全身を貫くような気持ちになった。其れで、逡巡しながらヘルメットを選び、沢靴を購入した。濡れた岩や、苔蒸した岩にステップを踏んで、滑りにくいのは、フェルト製のソールを配した靴なのだ、と謂うのも初めて知ったことであった。

山道具屋には何度も訪れるが、クライミングや沢登りの用具売り場に近づいたことは無かったので、沢靴を選ぶ時には脂汗が流れるほど緊張してしまった。全くの初心者であると伝えたら店員氏は、そうですか、すっごく愉しいですよ、と爽やかな笑顔で云った。ボルダリングとか、岩登りをやる人々の、いかにもスポーツをしています、と謂うような底抜けな明るさに、私はどうしても馴染むことができないような気がしていた。しかし、店員氏は、どうってことないです、と謂った雰囲気で話すので、いつしか私も、テニスのラケットでも買いに来ているような気分になってしまった。店員氏は、先週長瀞に行ったけど、水はもう冷たくなかった、と云った。私は、長瀞の急流を行くライン下りの船、の図を思い浮かべ、途端に目が廻るような心持ちになってしまった。

沢登りに就いての疑問は、全身がずぶ濡れになって、帰る時はどうするのか、と謂うことだった。着替えをビニール袋に入れて濡れないようにするんだよ、とkz氏に云われたから、首肯しつつテント泊に持っていくことにしているドライサックに全ての荷物を入れた。着替えるのは何処でするのか、其れも疑問だったが、衣類が濡れても、下山する頃には乾いているような素材の恰好をするのだと謂うことを、此れはインターネットの情報で知ったのであった。沢から上がって着替えなければならないのは、靴と靴下くらいであろうと、判断することにした。

いよいよ実行の日が近づいた頃、「登山詳細図」の世話人氏からメールが届いた。高尾山詳細図の改訂版がいよいよ刷り上った、目出度いので今週末に関係者を呼んで宴会をしようと思うが来ませんか、と云う内容だった。改訂版には、僅かながら私も踏査に参加しているので御相伴に与れるようである。初めての沢登りの日に重なってしまうが、都合の良いことに、kz氏は高尾山詳細図改訂版作成に、多大な寄与をしているから、ふたり揃って参加できる。実に好都合である。

宴会は夕方遅めから始まるようなので、私はkz氏に、当日はゆっくりと、遅めに集合しましょうと提案したので、集合時間は午前九時に決まった。集合場所は小仏行きバスで終点のひとつ手前の、大下バス停である。其処から小下沢に行く、とだけしか知らされていない。私は漠然と、小下沢林道を奥まで歩いて、何処かの支流に入って遡行するのだろうと、想像していた。其れ以上の予定は、行ってからのお楽しみ、と云う、kz氏からのメールを受け取った。実行前日、私は、遠足に引率されていく児童のような心持ちで、ザックに荷物を詰め込んでいた。

梅雨の合間の週末、天気予報は悲観的なものだったが、小仏行きのバスから眺める高尾山の山なみは、青空を背景にして佇んでいた。大下のバス停に降りたら、登山詳細図の踏査でお馴染みのC氏と、相方のTさんが居て、お互いに驚いた。kz氏は既に到着していて、知人と遭遇したとのことで、話し込んでいる。同じく小下沢林道に向かうC氏たちは、先に出発していった。陽射しが強烈で、暑いと云うよりも痛いくらいに感じる。身支度を整えてから、kz氏と私は、のんびりと小下沢林道に向かって、歩いていった。

車道から林道へ分岐し、小下沢梅林の手前に在る資材置き場跡地に分け入る。此処から降りられそうだね、とkz氏が誰に云うとでもなく呟いた。林道ではなく、小下沢の下流から入ると知って、私は動揺した。此処から降りるのですか、と恐る恐る訊いてみる。だって、沢登りに来たんでしょ。kz氏が、何を云っているのか、と謂う風に応えた。そうか、沢に入って遡行するのだもんな。沢に入らなきゃ始まらないもんな。奥深い渓谷、滝壺の釜、それが私の、沢登りに対する漠然としたイメージであった。其処に至るプロセスを、全く想像できていなかった。我々は、小下沢の最下流の川べりに、ゆっくりと降りて行った。

Kogesawa

履き替えた沢靴は、全体に薄っぺらで柔らかい履き心地だった。登山靴の積もりで踏みしめると、柔らかすぎて足を挫いてしまいそうである。フェルトソールの頼りない感触の儘、川べりに近づいたら、植物の繁茂が激しくなってきた。漸く其れ等を掻き分けて進むと、前を行くkz氏の嬌声と、ざぶざぶと沢に入っていく音が聞こえた。入渓しましたあ。kz氏が叫んでいる。沢の淵に立った儘の私は、泳げない子供がプールサイドで逡巡しているかのように、暫く動くことができなかった。

木洩れ陽に光る、鮮やかな緑に包まれた川の真ん中に、私は立っていた。辺りは濠音に包まれていて、他には何も聞こえない。沢に入ったと云っても、足首が浸かるくらいの、浅瀬である。涼しい風を直截的に浴びる。其れだけで異空間に入ったような、そんな気がした。ざぶざぶと音を立てて、足を繰り出していく。足元に気を遣いながら、前進する。時折、遠くを眺める。緑の光が、彼方へと続いている。沢の流れが、無限に、そして溢れんばかりに、私へと向かってくる。其れに抗って、濠音の中を、私は歩き続けていた。

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