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井戸沢尾根からトバノ岩山、そして天地山の彷徨。(前編)

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地元の図書館にて、思いがけず松浦隆康著『静かなる尾根歩き』を発見したので慌てて借りてきた。奥付を見ると、平成19年発行の第三版である。現在では書店で見かけることのない、知る人ぞ知る怪著、通称「松浦本」である。其れを漸く紐解くことができる。深夜熟読していたら、早速出掛けたくなった。続刊の「バリエーションルートを楽しむ」を読んだ時、恐る恐る出掛けた天地山の思い出が蘇る。今回は新緑の海沢から三ツ釜ノ滝で涼気を得てから、海沢探勝路の西側に延びている井戸沢尾根を登ってみようと思う。

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2013/5/26

白丸駅(9:00)---海沢園地---ネジレの滝---930m圏峰(11:50)---トバノ岩山(12:50)--- 鋸山---道標分岐---東尾根に入り標高800mで引き返す(14:40)---道標分岐---鋸尾根---愛宕山---奥多摩駅(17:30)

白丸駅から遊歩道を経て海沢林道に入った。何とも形容し難いスノッブさのアメリカキャンプ村を過ぎると、苔蒸した岩壁と、海沢谷の濠音が辺りを包んでいく。そして海沢隧道がぽっかりと暗闇の口を開けて居るのが見えた。古びた隧道は、彼岸と此岸の間に在る時空を繋いでいるような装置のように思えて、不思議な感覚に陥る。海沢園地迄の道程は長過ぎる林道歩きだが、私は其れ程苦痛には感じない。

などと考えながら暗闇のタイムトンネルを歩いていたら、彼方の明るい場所が、どうも変な様子である。此の土地には似合わない若者が数人、不定形な動きをしているのがちらちらと見えた。作業服を着た土木工事の人間ではない。怪訝な思いで隧道を出たら、其処には十数人の集団が道路を塞いでいて、静まり返っていた。よおいスタート、の声で、カメラと集音マイクが移動している。私に気づいた一人が近づいてきて、至極申し訳無さそうに、すみません、撮影をしていて、一分で終わりますから、と云った。

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海沢の彼岸は虚構の世界だった訳で、私は暫く立ち尽くして待っていた。撮影は直ぐに、カット、の声で終わり、俳優とスタッフたちがぞろぞろと引き返してきて、ロケバスに吸い込まれていった。其れで、海沢林道は元通りになって、ふたたび沢の音に包まれた。暫く歩いていくと、通行人の為の歩哨に立っていると思しき女の子が居たので、撮影は終わったようだと告げたら、微笑んで会釈をしながらも、立ち続けていた。まだ幾つかのシーンを撮るのだろう。

蛇行する沢に忠実に、林道も真直ぐに進んで呉れない。日なたで陽を浴びると肌を射すように感じるが、薫風と沢の音で、心地よさは変わらない。背後に聳える尾根の合間から、天地山の頭が、少しだけ見えた。海沢谷が天地沢を分けていく頃には、林道の高度が上がり、三段滝は、眼下に小さく、三本の白い筋を描いていた。

Ido3

久しぶりに訪れたと謂うのと、周囲の地形を確かめながら歩く行程が愉しくて、気がついたら海沢園地に到達した。誰も居ない休憩所で、『奥多摩東部登山詳細図』と、『静かなる尾根歩き』の、井戸沢尾根の項をコピーしてきた紙片を広げる。尾根への取り付きが、三ツ釜ノ滝の先であることを確認してから、瑞々しい空気が充満する沢沿いを歩き始める。三つの釜は透明な水を湛えていたが、水量は少ないようであった。ネジレの滝の道標を確認した時、もう直ぐ始まる尾根への取り付きを意識して気持ちが昂ぶってきたような気がした。私はネジレの滝を見下ろすウッドデッキに佇み、紫煙を燻らせた。

「松浦本」には、取り付きの目印は、二番目に在る道標と記してある。道標の記述が詳しい「登山詳細図」を、今日に限って地形図の代わりに使用することにした所以である。二番目の道標付近には、等高線が明確な尾根を表現していないが、実際に到達してみると、なるほどこんもりとした尾根が北西に延びている。しかし、尾根に分け入る踏跡は見つけることができなかった。意を決して、道標の真裏から、藪を掻き分けて登ることにした。手頃な枯枝を杖の代わりにして、藪と蜘蛛の巣を払いながら、尾根を夢中で登っていった。藪が途切れて、歩き易くなった頃には、海沢探勝路の谷の音は聞こえなくなっていた。

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藪が消え、露岩が跋扈する尾根の上は倒木も多く、中腰の姿勢の儘、四股を踏むように重心を低くして、慎重に登って行かざるを得なかった。「松浦本」の記述通り、漸く赤テープを発見した時の安堵感は、喩えようが無かった。しかし、地図の等高線は複雑を極めた形状を現わしているので、私は自分が、どの位置に居るのかと謂うことが、全く理解できないでいた。

崖状の尾根が左から合流してきて、其れに乗って更に登る。露岩はいよいよ激しくなってきていて、其れ等を避けるようにして進路を取っていくと、いつしか斜面の端を歩くようになっていた。下を見れば目が眩むような断崖である。大丈夫だ、俺は尾根の上に居るのだ。私は、そんな言葉を、自分に言い聞かせながら、喘ぎながら登っていた。

「標高740mで涸れ沢状の窪地のような所に出るが、ここは右手の尾根に取り付いてほしい」そんな感じで「松浦本」の記述が、やんわりといざなう。果たして広い窪地のような谷が現われた。コンパスを見ると、井戸沢尾根は左側に向かった方が近づいていくのでは、と謂う感覚に陥るが、百も承知二百も合点と心の中で叫びながら、私は右側の尾根を攀じ登っていった。尾根上は赤テープが点々と続き、と記されているが、ひとつのテープを確認した後は、全く見つけることができなかった。私はふたたび、大丈夫、尾根の上なのだと、自分に言い聞かせていた。

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尾根は徐々に痩せ、木々の繁茂が薄く感じられてきた頃、北西の風景が垣間見えるようになった。井戸沢尾根に合流したのだろうか。尾根の本体は何処から延びてきたのか、判然としなかった。恐らく、急激に切れ落ちていて解らなかったのだろうと推察するしか無かった。樹林の合間から窺う風景は、遥か高みに尾根が壁のように聳えていた。鋸尾根である。其の手前に、井戸沢を隔てた三ノ沢尾根があるのだが、余りの新緑で、色が同化している所為か、直ぐに判別できなかった。右手の奥に、唐突に盛り上って聳える塊が、天地山なのだろう。私は、漸く井戸沢尾根の上に立ったことを確信した。

尾根の核心部とも謂える930m圏峰迄、其れでも一筋縄ではいかない道程だった。国土地理院製25000分の1地形図を15000分の1に拡大した登山詳細図が表現する鷹揚な幅の等高線は、普段慣れている感覚を少々狂わせてしまうようで、尾根に乗ってからの傾斜を、其れ程のものではないと踏んでしまう。実際の坂路は所々で急激なものとなり、三十メートルの標高差は、途轍もなく遠くに感じられた。

瘤状のピークの圏内を歩いて、漸く930m圏峰に到達した。萌えまくる新緑の樹林に囲まれ、眺望は無い。心地よい疲労感の儘、昼食を摂って休憩した。陽光が緑色に映え、樹間より覗く空が眩しいくらいに青い。鶯の声だけが、周囲に響いている。水を湛え、樹木の息吹が勢いを増して感じられる。そんな大岳山周縁の懐は、此の季節が秀逸なのだと、改めて実感できる。

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井戸沢尾根は此処から緩急織り交ぜながら高度を、と「松浦本」は簡潔に記してある。実際も概ね其の通りなのだが、標高950mを越えて、左から支尾根が合流してくる付近では、本尾根の傾斜が頗る急激になっていた。登り詰めて合流したら、どちらが本体なのか判らないくらいであった。下る場合には支尾根に導かれてしまいそうで要注意である。

其の先は、緩やかに高度を上げていった。何度かの瘤を経て、辿り着いたピークの向こうには山が無かった。井戸沢尾根の基点である、トバノ岩山に登頂したのだった。突端から見下ろすと、左右に登山道が窺えた。鋸尾根の登山道は、此のトバノ岩山を忠実に迂回して捲いているのであった。

標高1158mであるトバノ岩山は、登山詳細図に其の表記が無い。山名は「松浦本」に敬意を表することにした。しかし、トバノ岩山は、トバノ中岩と呼ぶ場合もあるようで、私には当然真相は判らない。登山詳細図では、鋸山への途中に在る1100mピークを、中岩山と記してある。「松浦本」では、大岳山から鋸山への順で、トバノ岩山、中ノ岩山、オキノ岩山であると記している。此れは「奥多摩町誌」と謂う文献に倣ったものと云う付記が加えられている。教条主義的との謗りを免れないかもしれないが、私も地元の文献に倣う姿勢に共感を覚える。

トバノ岩山で、井戸沢尾根を踏破したと謂う達成感に浸っていたのだが、此の後の予定をどうするのかを決めなくてはいけなかった。出掛ける前は気持ちだけが昂ぶり、大岳山から御岳山、そして日ノ出山と、無心に歩き続けて青梅に戻ろう、などと考えていた。しかし、静かなる尾根歩きを満喫した後で、大岳山の喧騒を想像すると、此の気分が洗い流されてしまうような気がした。鋸山を経て、あの天地山に登って帰途にしよう。そう決めて、私は一般登山道に向かって、ゆっくりと降りていった。

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コメント

奥多摩って意外とロケが多いんだよね。
それに遭遇しちゃうなんてラッキーだよ~。

トバノ岩山は知りませんでした~。
「トバ」っていうのは、奥多摩の方言で、入口や手前といった意味があります。
どこかにオキノ岩山があるんですかね~?

奥多摩町誌の大岳山から見て、トバ、ナカ、オキとはちょっと違和感を感じます。

そうですね。普通は麓から見て、トバ~オキ、かなと、私も思いました。
「静かなる~」には、大岳山から見て、と書いてあります。
ただ、奥多摩町誌に拠るのは、トバの岩山、と、トバの中山、の件に就いてですね。

で、御存知かとは思いますが、宮内敏雄『奥多摩』には、
やはり鋸山を過ぎてから順に、オキ、中、トバ、だと書いてあります。
これは檜原方面からの呼称で、海沢からは呼ばないとありました。

なんとなく納得できるような気がします。

トンネル抜けたらロケでびっくりしました。
ADの女の子に訊いたら、35歳の何とか、というドラマの撮影だったみたいですよ。

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