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2013年5月

井戸沢尾根からトバノ岩山、そして天地山の彷徨。(前編)

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地元の図書館にて、思いがけず松浦隆康著『静かなる尾根歩き』を発見したので慌てて借りてきた。奥付を見ると、平成19年発行の第三版である。現在では書店で見かけることのない、知る人ぞ知る怪著、通称「松浦本」である。其れを漸く紐解くことができる。深夜熟読していたら、早速出掛けたくなった。続刊の「バリエーションルートを楽しむ」を読んだ時、恐る恐る出掛けた天地山の思い出が蘇る。今回は新緑の海沢から三ツ釜ノ滝で涼気を得てから、海沢探勝路の西側に延びている井戸沢尾根を登ってみようと思う。

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2013/5/26

白丸駅(9:00)---海沢園地---ネジレの滝---930m圏峰(11:50)---トバノ岩山(12:50)--- 鋸山---道標分岐---東尾根に入り標高800mで引き返す(14:40)---道標分岐---鋸尾根---愛宕山---奥多摩駅(17:30)

白丸駅から遊歩道を経て海沢林道に入った。何とも形容し難いスノッブさのアメリカキャンプ村を過ぎると、苔蒸した岩壁と、海沢谷の濠音が辺りを包んでいく。そして海沢隧道がぽっかりと暗闇の口を開けて居るのが見えた。古びた隧道は、彼岸と此岸の間に在る時空を繋いでいるような装置のように思えて、不思議な感覚に陥る。海沢園地迄の道程は長過ぎる林道歩きだが、私は其れ程苦痛には感じない。

などと考えながら暗闇のタイムトンネルを歩いていたら、彼方の明るい場所が、どうも変な様子である。此の土地には似合わない若者が数人、不定形な動きをしているのがちらちらと見えた。作業服を着た土木工事の人間ではない。怪訝な思いで隧道を出たら、其処には十数人の集団が道路を塞いでいて、静まり返っていた。よおいスタート、の声で、カメラと集音マイクが移動している。私に気づいた一人が近づいてきて、至極申し訳無さそうに、すみません、撮影をしていて、一分で終わりますから、と云った。

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海沢の彼岸は虚構の世界だった訳で、私は暫く立ち尽くして待っていた。撮影は直ぐに、カット、の声で終わり、俳優とスタッフたちがぞろぞろと引き返してきて、ロケバスに吸い込まれていった。其れで、海沢林道は元通りになって、ふたたび沢の音に包まれた。暫く歩いていくと、通行人の為の歩哨に立っていると思しき女の子が居たので、撮影は終わったようだと告げたら、微笑んで会釈をしながらも、立ち続けていた。まだ幾つかのシーンを撮るのだろう。

蛇行する沢に忠実に、林道も真直ぐに進んで呉れない。日なたで陽を浴びると肌を射すように感じるが、薫風と沢の音で、心地よさは変わらない。背後に聳える尾根の合間から、天地山の頭が、少しだけ見えた。海沢谷が天地沢を分けていく頃には、林道の高度が上がり、三段滝は、眼下に小さく、三本の白い筋を描いていた。

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久しぶりに訪れたと謂うのと、周囲の地形を確かめながら歩く行程が愉しくて、気がついたら海沢園地に到達した。誰も居ない休憩所で、『奥多摩東部登山詳細図』と、『静かなる尾根歩き』の、井戸沢尾根の項をコピーしてきた紙片を広げる。尾根への取り付きが、三ツ釜ノ滝の先であることを確認してから、瑞々しい空気が充満する沢沿いを歩き始める。三つの釜は透明な水を湛えていたが、水量は少ないようであった。ネジレの滝の道標を確認した時、もう直ぐ始まる尾根への取り付きを意識して気持ちが昂ぶってきたような気がした。私はネジレの滝を見下ろすウッドデッキに佇み、紫煙を燻らせた。

「松浦本」には、取り付きの目印は、二番目に在る道標と記してある。道標の記述が詳しい「登山詳細図」を、今日に限って地形図の代わりに使用することにした所以である。二番目の道標付近には、等高線が明確な尾根を表現していないが、実際に到達してみると、なるほどこんもりとした尾根が北西に延びている。しかし、尾根に分け入る踏跡は見つけることができなかった。意を決して、道標の真裏から、藪を掻き分けて登ることにした。手頃な枯枝を杖の代わりにして、藪と蜘蛛の巣を払いながら、尾根を夢中で登っていった。藪が途切れて、歩き易くなった頃には、海沢探勝路の谷の音は聞こえなくなっていた。

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藪が消え、露岩が跋扈する尾根の上は倒木も多く、中腰の姿勢の儘、四股を踏むように重心を低くして、慎重に登って行かざるを得なかった。「松浦本」の記述通り、漸く赤テープを発見した時の安堵感は、喩えようが無かった。しかし、地図の等高線は複雑を極めた形状を現わしているので、私は自分が、どの位置に居るのかと謂うことが、全く理解できないでいた。

崖状の尾根が左から合流してきて、其れに乗って更に登る。露岩はいよいよ激しくなってきていて、其れ等を避けるようにして進路を取っていくと、いつしか斜面の端を歩くようになっていた。下を見れば目が眩むような断崖である。大丈夫だ、俺は尾根の上に居るのだ。私は、そんな言葉を、自分に言い聞かせながら、喘ぎながら登っていた。

「標高740mで涸れ沢状の窪地のような所に出るが、ここは右手の尾根に取り付いてほしい」そんな感じで「松浦本」の記述が、やんわりといざなう。果たして広い窪地のような谷が現われた。コンパスを見ると、井戸沢尾根は左側に向かった方が近づいていくのでは、と謂う感覚に陥るが、百も承知二百も合点と心の中で叫びながら、私は右側の尾根を攀じ登っていった。尾根上は赤テープが点々と続き、と記されているが、ひとつのテープを確認した後は、全く見つけることができなかった。私はふたたび、大丈夫、尾根の上なのだと、自分に言い聞かせていた。

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尾根は徐々に痩せ、木々の繁茂が薄く感じられてきた頃、北西の風景が垣間見えるようになった。井戸沢尾根に合流したのだろうか。尾根の本体は何処から延びてきたのか、判然としなかった。恐らく、急激に切れ落ちていて解らなかったのだろうと推察するしか無かった。樹林の合間から窺う風景は、遥か高みに尾根が壁のように聳えていた。鋸尾根である。其の手前に、井戸沢を隔てた三ノ沢尾根があるのだが、余りの新緑で、色が同化している所為か、直ぐに判別できなかった。右手の奥に、唐突に盛り上って聳える塊が、天地山なのだろう。私は、漸く井戸沢尾根の上に立ったことを確信した。

尾根の核心部とも謂える930m圏峰迄、其れでも一筋縄ではいかない道程だった。国土地理院製25000分の1地形図を15000分の1に拡大した登山詳細図が表現する鷹揚な幅の等高線は、普段慣れている感覚を少々狂わせてしまうようで、尾根に乗ってからの傾斜を、其れ程のものではないと踏んでしまう。実際の坂路は所々で急激なものとなり、三十メートルの標高差は、途轍もなく遠くに感じられた。

瘤状のピークの圏内を歩いて、漸く930m圏峰に到達した。萌えまくる新緑の樹林に囲まれ、眺望は無い。心地よい疲労感の儘、昼食を摂って休憩した。陽光が緑色に映え、樹間より覗く空が眩しいくらいに青い。鶯の声だけが、周囲に響いている。水を湛え、樹木の息吹が勢いを増して感じられる。そんな大岳山周縁の懐は、此の季節が秀逸なのだと、改めて実感できる。

Ido6

井戸沢尾根は此処から緩急織り交ぜながら高度を、と「松浦本」は簡潔に記してある。実際も概ね其の通りなのだが、標高950mを越えて、左から支尾根が合流してくる付近では、本尾根の傾斜が頗る急激になっていた。登り詰めて合流したら、どちらが本体なのか判らないくらいであった。下る場合には支尾根に導かれてしまいそうで要注意である。

其の先は、緩やかに高度を上げていった。何度かの瘤を経て、辿り着いたピークの向こうには山が無かった。井戸沢尾根の基点である、トバノ岩山に登頂したのだった。突端から見下ろすと、左右に登山道が窺えた。鋸尾根の登山道は、此のトバノ岩山を忠実に迂回して捲いているのであった。

標高1158mであるトバノ岩山は、登山詳細図に其の表記が無い。山名は「松浦本」に敬意を表することにした。しかし、トバノ岩山は、トバノ中岩と呼ぶ場合もあるようで、私には当然真相は判らない。登山詳細図では、鋸山への途中に在る1100mピークを、中岩山と記してある。「松浦本」では、大岳山から鋸山への順で、トバノ岩山、中ノ岩山、オキノ岩山であると記している。此れは「奥多摩町誌」と謂う文献に倣ったものと云う付記が加えられている。教条主義的との謗りを免れないかもしれないが、私も地元の文献に倣う姿勢に共感を覚える。

トバノ岩山で、井戸沢尾根を踏破したと謂う達成感に浸っていたのだが、此の後の予定をどうするのかを決めなくてはいけなかった。出掛ける前は気持ちだけが昂ぶり、大岳山から御岳山、そして日ノ出山と、無心に歩き続けて青梅に戻ろう、などと考えていた。しかし、静かなる尾根歩きを満喫した後で、大岳山の喧騒を想像すると、此の気分が洗い流されてしまうような気がした。鋸山を経て、あの天地山に登って帰途にしよう。そう決めて、私は一般登山道に向かって、ゆっくりと降りていった。

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西吾野駅周縁を巡る尾根・虚空蔵山(後編)

Kokuzo




2013/4/6

西吾野駅(7:15)---山之神---340mピーク---三社峠---410mピーク---418mピーク--- 「パノラマコース」登山口---石地蔵---高山不動---虚空蔵山---志田---三社峠---西吾野駅(13:30)

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関東地方全域に暴雨風の予報なので、一般登山道に入ってからも、誰とも出会わない儘、高山不動に到達した。天候は至って平穏であるが、嵐の前の静けさと云えなくも無い。時刻は未だ午前十時半である。関八州見晴台から飯盛峠へ向かうには充分な余裕がある。しかし、何とも云えない疲労を感じる。不穏な低気圧が神経に障る、そんな気分だった。

天候が悪化するのは明白であるし、西吾野駅の裏山を周回できたことで満足したから、もう帰りましょう。私は、自分の疲労を悪天予兆の所為にして、kz氏に提案した。だが、最終目的地が高山不動では恰好がつかない。何処か明確なピークに登ってから下山したい、其れが彼の考えであることは承知していたので、此処から程近い処に在る標高618.8mのピーク、虚空蔵山を提案した。kz氏は間髪入れずに賛同して呉れた。

虚空蔵山の位置をよくよく見ると、昭文社の登山地図には実線が引かれていない場所に在る。周辺には登山道が巡っているようだが、三角点のポイントは少しだけルートから逸れた処に在る。未知の山道に惹かれて歩く我々に、合点のいく目的地であると云えなくも無い。不穏な天候で早く帰りたいという共通の心裡も相まって、我々は虚空蔵山を目指した。

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高山不動を通る車道は蛇行して勾配を登り、奥武蔵グリーンラインへと繋がるのだが、其の途上に虚空蔵山を含む尾根の、標高600m辺りを通過する。虚空蔵山への行程は、車道を登ってから、尾根に侵入して下り、途上のピークに至ると謂う変則的なコースになる。境内を出て舗装路を登ると、道は大きく南に向かってから、ヘアピン状にカーブして北上する。其の突端から山に入った。鬱蒼とした雑木林の中に分け入るような感じで、山に登ると謂う雰囲気ではない。

直ぐに瘤状のピークが現われた。登り詰めたら、もう着いちゃったのと、kz氏が云うが、此れは隣接する610m圏峰で、もうひと登りすると、山腹に鎮座する高山不動尊が見下ろせる、好展望の露岩道を経て、虚空蔵山に着いた。山頂には古びて苔に塗れた三角点が在り、トタン壁で覆った小屋の中に、仏像を刻んだ石碑が祀られていた。舗装路から逸れて、直ぐ近くに在るとは思えない程、静寂に満ちた秘境のような頂上である。

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転進となった目的地が存外に良い処であったから、もう満足して下山の途に就くことにした。不思議なことに、虚空蔵山から降り始めた途端、空は暗くなり、轟々と不穏な音を立てるようになった。風が急激に強くなってきた。虚空蔵山の南へ下り、直ぐに登山道に合流した。志田集落に向かって降りていく尾根を辿る登山道を暫く歩いた。当初は此の先から別れる、名も無く地図にも道が載っていない尾根を辿ろうと、色気を出していた。しかし、吹きつける強風が辛く、何時迄も尾根の側面を辿る登山道を歩いて風を除けていたら、其の儘下山してしまった。

集落に着いたら、山上の強風が嘘のような静けさだった。曇天の下で、色とりどりの花が咲いている。ぽつりぽつりと、雨粒が落ちてきた。集落を流れる川を渡って、ふたたび山道に入った。此処からは、あじさい館への案内標に導かれて、小さな尾根を越していく道を歩く。斜面を捲いていく静かな道に、民家が点在している。古くからある吾野への生活路らしく、墓地や古びた神社もあって、何とも云えない趣がある。

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山桜の咲く美しい集落に降り立った。高山不動から降りて来た舗装路と合流したら、其処が大窪の集落であった。止んでいた雨が、また降り始めた。此処から大久保峠を越えて行けば、あじさい館、そして吾野小学校へと繋がる古道があるのだが、我々は舗装路を高山不動方面に逆戻りする。最後の悪あがきのようだが、ふたたび三社峠を目指して、西吾野駅への最短ルートを試みることにしたのである。

舗装路を戻り、送電線の下を越えると、左側に細い道が別れていて、真新しい道標には、三社・国道299号と書かれていた。立派な道標が不安になる程、三社峠への行程は鬱蒼とした谷間を辿る道で、独りで歩くには心細くなるような雰囲気である。kz氏とふたりで、そんな峠道を黙々と歩いていると、いにしえの旅人になったような気分になる。奥武蔵の民衆が歩いてきた足跡を、丁寧に辿る旅。そんな目的の山歩きをしているかのようでもある。などと考えて歩いていたら、本日二回目の、三社峠に戻ってきた。

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疲れたねえ。いい加減、一杯やりたいですな。思うが儘に疲弊感を漂わせた言葉を交わして、我々は最後の山を越える為に出発した。今朝歩いたばかりの、410mピークを左にトラバースしていく道を辿り、西吾野駅周縁の尾根に向かう。雨に濡れた枯葉も相まって、崩れそうな捲道を慎重に歩く。漸く尾根に復帰して南下すると、西吾野駅最短コースが別れる地点に到達した。

尾根道は明瞭だった。密度の濃い杉林に覆われて薄暗いが、天候の所為もあるかもしれない。そして、いよいよ西武鉄道の隧道の上に差し掛かった。樹間から覗くと線路が見える。視線を上げたら、西吾野駅が、直ぐ其処に在った。此れで周縁を巡る旅が終わり、尾根を真直ぐに降りていく。国道から少し入った墓地に着いた頃には、雨が本格的に降り始めていた。人影の無い西吾野駅前の山桜が、誰の為でもなく咲いている。其れが無性に、美しいと思った。

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付記

「不動堂の南の618.8mの三角点の置かれる山は虚空蔵山で、これは不動尊の周囲に神明大神、将軍地蔵、十一面観音、虚空蔵菩薩を勧請したものの一つで、昔は女人禁制の山でした。(中略)昔はここに池があり、どんな旱天にも冷泉をたたえていましたが、ある時女人禁制のおきてを破って、一人の女が登ってからは水がなくなってしまったといいます(後略)」
『増補 ものがたり奥武蔵 伝説探訪二人旅』 (神山弘・新井良輔)岳(ヌプリ)書房刊 (1984)に拠る。

kz氏のHP「悠遊趣味」のblogから転載しました。
「虚空蔵山の由来」

別記

2013/4/10(登山詳細図踏査)

軍畑駅(8:30)---高源寺---砂防ダム入口---常福院---高水山---岩茸石山---惣岳山捲道---沢井駅分岐---送電鉄塔---沢井駅(15:00)

2013/4/14

高麗駅(8:40)---日和田山---高指山---物見山---北向地蔵---ユガテ---飛脚道---東吾野駅(13:30)

2013/4/20

初狩駅(8:40)---藤沢---桧平---滝子山---鎮西ヶ池---曲り沢峠---オッ立---景徳院---甲斐大和駅(15:40)

2013/4/24(登山詳細図西丹沢踏査)

寄---水源林管理棟ゲート---檜岳南東尾根---檜岳---檜岳南東尾根---750m---林道---水源林管理棟ゲート

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西吾野駅周縁を巡る尾根・虚空蔵山(前編)

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2013/4/6

西吾野駅(7:15)---山ノ神---340mピーク---三社峠---410mピーク---418mピーク--- 「パノラマコース」登山口---石地蔵---高山不動---虚空蔵山---志田---三社峠---西吾野駅(13:30)

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岩崖の切り通しを縫って走るローカル線の電車が、山間から抜け出ると、小さな谷間の集落が現われて、静かな駅に停車する。ふたたび動き出した電車は、谷間から山へと分け入って、やがて隧道に吸い込まれていく。幾つもの山を越えて、風景が次第に抑揚を失うかのように、緑色の樹林が全てを覆い尽くそうとしている。先程遠くに去って行った筈の国道が、何時の間にかこちらに近づいてきて、しばらく併行して走り、また何処かに去っていくように、遠ざかっていく。電車はまた隧道に突入していった。

此の半年の間、足繁く通っている奥武蔵の、西武鉄道の車窓から広がる風景を改めて記すと以上のような感じである。中央本線でも青梅線でも然程変わり映えしない山間の風景だが、懸命にモーターを唸らせて、山奥へと走っていく西武線の小ぶりな電車は、古色蒼然とも違う風合いを感じさせる。ヨーロッパの登山電車とまでは言わないが、よく出来たジオラマの中に配置された山行き電車が、訥々と山間を走っている風景が想像できる。其れは、まるで空から俯瞰して見ているような気持ちになることができる。

山深くなっていく途上に、ぽつんと在る西吾野駅に近づくと、小さな隧道を通り抜ける。鉄路は山肌に沿って忠実に走っている。山の尾根は、其の儘北東へと連なり、高山不動尊のある山塊に続いているのである。隧道の手前で車窓から見える、山腹に小さな鳥居が在るのを見つけて、前から気になっていた。鳥居には、山之神と記してある。其処から入って尾根に乗り、歩いて行きたい。kz氏にそんな計画を伝えたら、面白そうじゃないの、と云って、同行して貰うことになった。線路際から山に登り、高山不動、関八州見晴台、そして飯盛峠へと歩くことにする。

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週末に近づくにつれて、天気予報は剣呑な警告を発し続けた。関東の広範囲で暴風雨になる。不急不要の外出を控えよ。其れで計画は断念したのだが、前夜になって雨雲レーダーを見てみると、暗雲は未だ西日本にあるようなので、どうしようかと迷った。kz氏に打診すると、早く出掛けて早く降りれば大丈夫なんじゃないの、と云った。飯能の天気予報は、土曜日の午後三時から、雨になると伝えていた。だから、行くだけ行ってみようと謂うことになった。

西吾野駅から車道を下り、喧騒の国道に出る。吾野方面に引き返し、暫く歩き続けると、線路と国道が交差する。其処から道を外れて、線路脇に入っていくと、山之神が見えた。鳥居を潜ると、石を積み上げた階段が急斜面に設えてあり、少し登った処に、小さな祠が在った。見上げると、直ぐ其処に尾根の突端と思しき空の明るさが見える。急斜面には踏跡は無かったが、ひと登りで尾根の上に立った。吾野小学校と線路を分断する小さな里山の尾根である。

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尾根の上には、明瞭に道筋が有った。送電鉄塔の為の巡視路であるが、尾根の上を伝って行く道は長閑で、登山道と云われても差し支えはない。我々は其れに準じて、進路を北に向けて歩いていった。気になる天気だが、今の処は平穏で、曇り空から僅かに陽光も感じることができる。山椿が所々に咲いている道を進み、大きな岩が重なる、少し傾斜が急になった坂を登りきると、程無く最初のピークに達した。標高340mには、送電鉄塔が窮屈そうに立っていた。

道は尾根の上を忠実に続いていた。ピークを越えるとふたたび鞍部に向かって急降下し、そして登り返して行く。右手の方角は三社集落方面で、時折風景が広がるが、左手は鬱蒼としている谷間が暗く広がっていた。直ぐ向こうに西武鉄道が走っているとは思えない。登り調子がひと段落すると、瘤のように突き出た処に出た。右手の、東方が開けた明るい場所で、思わず小休止したくなる処だった。木の幹に、平仮名文字が書いてある板が打ち付けてある。吾野小学校の生徒たちは、此の裏山でオリエンテーリングのようなハイキングを愉しんでいるようである。地図を凝視すると、山之神からの尾根から、三社峠を旋回すれば、丁度小学校を囲む山々を踏破できるようであった。

左手の、薄暗い谷に、控えめだが分け入る道が在った。木の枝に赤いテープが巻いてある。尾根が西に派生している。恐らく、此の道を下って行けば、西吾野駅手前の隧道の上に至る尾根の筈である。やはり道はあったのだ。此の昂揚する気分は、読図の登山をしていないと解って貰えないだろうと思う。眺望も無い低い山を、地図に照会しながら、現在位置を推し量りながら歩く。此の行為に飽きることが無いのは、自分でも不思議に感じる。

少し歩いた先に、三社峠へと尾根が派生する410mピークへの傾斜が現われた。其処に、三社峠と書かれた小さな指標があった。ピークの手前を捲いて、峠に下りていく道が右手に分かれていた。指標に小さく、みやしろ、とルビが書いてあった。迂闊なことに、此れを見る迄、私は三社峠を、さんじゃ峠と呼んでいた。自分の脳裏にかなり定着してしまった呼び名なので、みやしろ峠を頭の中で繰り返しながら、三社峠へのトラバース道を下っていった。

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折角の尾根上から外れて三社峠に向かう深い理由は無い。捲道で三社峠に立ち寄って、帰路は尾根に乗って410mピークに復帰しようと思っただけである。しかし、捲道は思いの外痩せていて、用心しながら進む。西丹沢でロープに宙ぶらりんになって以来、私はトラバース道への猜疑心が消えなくなってしまったから、もう読図の余裕も無くなってしまった。

山肌の道が徐々に左にカーブして、谷間へと降りていく。410mピークから三社峠へと延びる尾根を見上げながら、其の窪んだ溝に沿っていった。程無く見覚えのある三社峠に到着した。kz氏は此れが初めての訪問なので、わざわざ迂回してやってきた甲斐がある。何の変哲も無い鞍部だが、妙に落ち着いた雰囲気のある三社峠で、暫く休憩した。

本来の尾根に戻ってから、改めて410mピークを越えて、ふたたび下り、いよいよ鬱蒼とした鞍部に踏み入れた。此処から地形図の上に標高が記されている、418mピークへと登る。410とか418などと云っていると、何の起伏もないように思うが、其れを登りきってみると、西北の空が明るく開けている。徐々に山の奥へと進んでいるのだ。そう思った途端、遠くに電車が走る音が聞こえてくる。其れで現在地が、未だ西吾野駅から程近いことを思い知る。

道はいよいよ明瞭で、周囲は間伐で更に開放感を醸し出す森の中、と謂った雰囲気になった。西武鉄道と併行して連なる尾根の上を歩いている。徐々に標高を上げながら進んでいる筈なのに、駅から殆ど離れていないと謂うのが、不思議な遠近感のように思えた。連綿と続いていた、なだらかな尾根の道は、徐々に側面に逸れていく気配を見せてきて、唐突な感じで広場のようなものが現われた。其処へ押し出されるように降り立つと、ベンチと道標が前方に見えた。

西吾野駅の周縁を巡る、小さな尾根歩きは、此処で漸く終わったようであった。空は相変わらず不明瞭に曇っている。登山道の入口に人影は無かった。其の静けさが、却って不自然なような、そんな気がした。

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