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2013年4月

伊豆ヶ岳東尾根を行く

2013/2/16

西吾野駅(8:30)---森坂峠---下久通---琴平神社---542mピーク---670mピーク---伊豆ヶ岳---五輪山---598mピーク---501mピーク---426mピーク------西吾野駅(17:20)

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青空を背景に端整な本陣山がぽっかりと佇んでいる。閑静な西吾野駅から坂を下って、国道299号に出ると、猛烈な勢いで大型トラックが驀進しているから、折角の山村風景の長閑さが台無しになってしまう。私はkz氏とともに、恐る恐る国道を横断して、吾野方面に戻る形で南下して歩いていた。程無く右手に現われた立派な橋が、本陣山からの鞍部である森坂峠へと入っていく道に続く筈である。

今日の目的地は、奥武蔵では人気随一の伊豆ヶ岳である。しかし、kz氏と歩く伊豆ヶ岳なので、常人の行くコースでは無い。とりあえず、森坂峠を越えて、下久通(しもくずう)と謂う集落に達し、昭文社登山地図には無い尾根を伝って歩いて行く。一直線に東西を結ぶかのような最短ルートの尾根は、伊豆ヶ岳東尾根と呼ばれているようである。

橋を渡った先は頑強なゲートで閉じられていて、其の端から歩行者は進入できる。日陰になったら、道は雪で真っ白になった。人工的に伐り拓かれた処を、湿った雪を踏みしめながら歩く。私のザックに括られた熊鈴が、心細い感じで鳴り響いている。kz氏は饒舌で、最近の山歩きで遭遇したアクシデントに就いて、私に語って呉れる。独りで山に入るのが怖くなったと云うkz氏に、禍独り行かず、悪いことは重なると云う言葉が二重写しになった。山の災禍と云えば熊に遭遇することが真っ先に浮かんで来るので、気休めに熊鈴をぶら下げることにしたのである。

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緩やかに別れていく谷を見送り、道を辿っていくと、アクリル板に書かれた珍しい指標があって、本陣山、森坂峠、イモリ山、と記されていた。杣道は続いているようだが、其の指標の矢印に従って、右手の谷筋に進路を変えた。植林の立ち並ぶ、陽の当たらない峠への道は、苔蒸した、大きな岩が散在していた。程無く稜線からの明るさが見えて、ひと登りで鞍部に立った。冷たい強風が吹きすさぶ森坂峠に、先程と同じアクリルの指標を見て、我々は直ぐに立ち去った。静かな沢に沿って下り続けて、下久通の集落に降りた。

舗装路を歩いて民家が賑わう処迄下って、西に進路を変えると、右手に里山が穏やかに連なっている。冷たい空気と、陽光の暖かさが心地よい。程無くして、琴平神社と思しき鳥居が、小高い山腹に鎮座しているのが見えた。民家の傍の石段を登っていくと、西吾野駅から眺めた、平板な絵のような山容が、今度は逆光のシルエットになって、たった今越えて来た本陣山の連なりが見渡せた。

踵を返して鳥居をくぐり、急傾斜の石段を登ると、小さい社が在る。其処からさらに山腹を登り、琴平神社の小振りな本殿が現われた。山禍に遭わぬよう祈念してから、其処から伸びている尾根の道を、北西へと進んでいった。木漏れ陽の射す明るい尾根の道は、充分に歩かれている様子で、明瞭なものだった。地形図を確認しながら、順調に高度を上げていくと、伊豆ヶ岳東尾根の主山稜とでも云うべき尾根に合流し、最初のピークである、標高410m地点に達した。尾根の上は、相変わらず冷たい風が吹いていた。

其処からは、諄々と続く尾根に沿って、道が続いている。北面から、次々と緩やかな尾根が合流してきた。急登の先に立つと、花桐方面から、山林業務の機械音が、薄っすらと聞こえてくる。いにしえの地図で、此の付近に峠道が交差すると記録されているものを、事前にkz氏から見せて貰っていた。其の峠には、登リット、と謂う名が記されていたので、前回訪れたノボットへの親近感から、此の峠を確認したいと考えていた。しかし、鞍部に掛かっても、峠道を見つけることはできなかった。

Inisie

琴平神社から歩き始めて、漸く地形図に標高が記されてある542mに達して休憩した。暫く緩やかな尾根に変わったが、突き当たってふたたび急登になる。其れを登りきったら、眺望が開けてきた。至る所の地面に雪が残っていた。自然林が疎らに立つ尾根の道は風が強く、自分の顔が強張っていくのが感じられた。670mピークに立つと、伊豆ヶ岳と古御岳の姿を確認できる迄になった。右手に広がる奥武蔵の山々を見渡せる稜線になったが、北面は雪で真っ白になっている。標高700m迄上がる傾斜になったら、辺り一面が積雪で覆われていて、完全に雪山の様相に転じた。

標高700mで、伊豆ヶ岳から直截伸びる尾根が南下していくのと、直角にぶつかって合流した。進路は真北に変わり、極めて痩せた尾根が、徐々に伊豆ヶ岳に吸い込まれるかのように、北西にカーブしていく。痩せ尾根に積もった雪を踏みしめながら、慎重に歩いていく。右手に、西武鉄道を挟んだ対面の山々の、眺望が広がった。対する古御岳側の深い谷は、穏やかな色彩で木々に覆われていた。

痩せ尾根が終わり、ふたたび急登に掛かると、雪は深くなった。其れは粉のように軽く、時折風に舞って雪煙を起こした。登り詰めたら、其処は等高線が閉じている770m地点で、伊豆ヶ岳は直ぐ其処である。暫く歩き突き当たると、目の前に、大きな壁が立ち塞がったかの如く、周囲が薄暗くなった。

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kz氏が、此処でアイゼンを装着すると云うので、私も其れに倣った。大きな壁は伊豆ヶ岳の直下である山腹で、樹林で遮られているから頂上は窺えないが、急激な傾斜である。左に、トラバースしていく道が薄っすらと伸びていた。古御岳との鞍部に至る捲き道であろうと察せられる。我々は眼を見合わせたが、自然に、此の斜面を直登すると謂うことに決まった。アイゼンを穿いた後の道理となる決断であった。

先頭になって登る私は、其の余りの傾斜に耐え切れず、無意識に足を左右に大きく踏み込んでいた。私は次第に斜面を左へと逸れていくようにして登っていた。

「其れじゃ直登にならないよ」背後から、冷ややかな声でkz氏が云った。

私は我に返り、周囲を見渡した。私は何時の間にか、くだんのトラバース道の方向に、斜面をトラバースしていたのだった。面映さに駆られながら、私は直登していた位置に引き返した。枯れ枝に気づかず、顔に突き刺さって驚き、思わずのけ反って、其の儘倒れそうになった。此の儘登れるのだろうか。私は枯木の幹を懸命に掴みながら、雪の重さと、傾斜による重力に抗って、牛歩のような速度で登り続けた。背後のkz氏が、厳しい視線を私に投げかけている、と謂う想像をしながら登っていたのだが、聞こえてきたのは、ひゃあ怖い、とか、此れは急だよ、などと謂う素っ頓狂な独り言だった。却って私は、ますます訳の分からない恐怖感を、全身に感じていた。

急登を終えると、ふたたび痩せ尾根が渡っていて、直ぐにまた壁に突き当たった。陽当たりの良い斜面に雪は殆ど無かった。倒木や突き出た岩に阻まれながら、急傾斜を登っていく。そうして、とうとう岩壁の聳える箇所に突き当たった。最早此れ迄なのかと思ったら、視界の端にトラロープが垂れ下がっているのに気づいた。

ロープは随分前から設置されていた模様で、所々に磨り減っている箇所があるように思えた。岩に摑まり、補助的にロープを使うと謂うことは不可能だった。片手でロープを、もう片方で岩を掴み、足を一歩ずつ岩に掛けていく。ひとつの岩壁をこなすと、左に移動して、もうひとつのロープに摑まる。やっとのことで岩壁の上に辿り着いた。

其の先は、巨岩が折り重なって構成された山肌に、微かな踏み跡が空に向かって伸びていた。空から、人々の陽気な喋り声が聞こえてきた。頂上が、直ぐ其処にあるのだと判った。私は、伊豆ヶ岳の壁に凭れて、地面に座り込んだ。眼の前に、正丸峠から、奥武蔵を巡る連嶺へと、山々が広がっている。青空が、果てしなく広い。忽然とした儘、私はkz氏が登ってくるのを待った。

我々は伊豆ヶ岳に登頂した。山頂は一面の雪だった。奥武蔵、そして秩父方面の風景まで、全方位を見渡せる絶景であった。やりました、伊豆ヶ岳を直登しました、と謂う言葉が思わず口に出た。やった、すげえ……kz氏が、何度もすげえと叫んだ。登頂への過程が、登頂の興奮を生み出すと謂う、分かっていた筈のことを、私は、改めて体感したような、そんな気がした。


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付記

伊豆ヶ岳東尾根としか題せない儘記録を終わる。伊豆ヶ岳を五輪山経由で下山するが、一般ルートが尾根から降りる標高650m付近から、道迷い多発の看板のある尾根を直進した。花桐集落の北面に連なる伊豆ヶ岳の、此れも東尾根と云うべきルートである。いにしえの地図では、途上に「ムジナ峠」と記されていたが、何処が其の場所かは分からず仕舞だった。尾根は次第にいくつもの尾根を派生させながら、標高を下げていくのだが、地形図で現在地を確認しながら、慎重に下った。標高598mで、とうとう尾根を間違えたが、直ぐに気づいて事なきを得た。598から先、標高550mで等高線が閉じられた長い山域は、地形図から窺えるイメージとは違って、奇岩が林立する登り下りを繰り返した。岩山其れ自体が趣深い佇まいで、時折眺望もある好ルートだった。其の後尾根は複雑に分岐して、予断を許せない儘、南川地区の集落を窺う処迄下りて行った。最後は明確な踏み跡も消えて、強引に樹林帯を下降した。

別記

2013/2/24

西吾野駅(9:00)---間野---萩ノ平茶屋跡---不動茶屋---関八州見晴台---高山不動---三社峠---西吾野駅(15:00)

2013/3/17

正丸駅(9:00)---伊豆ヶ岳---長岩峠---正丸峠---正丸駅(14:00)

2013/3/20

梁川駅(9:30)---月尾根沢---立野峠---倉岳山---穴路峠---天神山---高畑山---石仏地蔵---イトヒバ---鳥沢駅(16:00)

2013/4/4

沢井駅(14:30)---惣岳山---馬仏山---岩茸石山---常福院---軍畑駅(18:40)

断章的に。「矢の音山、高尾山北尾根。登山詳細図高尾篇の補足踏査に随行する」「奥武蔵の入口、黒尾根を歩く」

2013/2/3

相模湖駅(8:40)---与瀬神社---大平小屋跡---矢の音---明王峠---小仏峠---小仏城山---高尾山---高尾山北尾根---日影バス停---高尾駅(17:00)

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登山詳細図高尾山篇の補足的踏査を兼ねてのハイキングと謂うことで、C氏と其の相方Tさんと相模湖駅で集合した。C氏のGPS受信機を貸与して貰い、歩くだけだと聞いていたので、当然のようにロードメジャーを手渡されたから驚いた。GPSだけでいいんじゃなかったの、と異議の申し立てをしたら、実は高尾駅で世話人氏と会っちゃって、渡されたんですよ、と、C氏が云った。其れで思わず破顔してしまった。踏査隊のルーキーである私は、謹んでGPSとロードメジャーの二刀流で踏査を開始することになった。

日曜日の相模湖周辺なので、ハイカーが多い。ロードメジャーを転がして歩いていると、当然だが目立って仕方が無い。C氏等はマイナールートの孫山桂北コースだが、私は与瀬神社からの孫山南尾根コースを登る。合流点に着き、別動隊を待つ。樹間から珍しく富士山の頭部が明瞭に見えた。

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大平小屋跡を過ぎて、登山道は矢の音を捲いて北上している。登山詳細図に記してある、矢の音への直登の道を再踏査することになった。踏跡は途中で消え、西の方角に捲いていく跡があるので、仕方無く辿り、南面の山腹を廻って漸く登れそうな尾根に乗り、其れでも傾斜は厳しく、最後は這うようにして登頂した。壮年夫婦のハイカーが休憩していて、突然現われた私を、怪訝そうに見ているので、怪しい者ではありません、と謂う態で、話し掛けて事無きを得た。

補足的踏査は此れで終了。明王峠で食事を摂って、三人で陣馬山からの縦走コースを歩き、小仏峠に到着した。此処で、地図の直売を行なっている世話人氏夫妻と合流。初対面のtz氏も加わり、城山経由で高尾山に向かう。高尾山頂を北側に捲く道から、いろはの森コースの基部へと連なる尾根が在り、高尾山北尾根と呼ばれている道が在る。踏査を兼ねて其処から降りることにしたが、観光客が迷い込まないようにとの用心からだと思われるが、立ち入り禁止のテープが渡してあった。

其れでも明瞭な尾根に、皆で進入した。高尾山頂への、恐らく最短ルートとなるであろう此の尾根は、傾斜は急だが、踏跡もあり、充分に使える道だった。しかし、季節によっては藪だらけで困難になるかもしれない懸念はある。登山詳細図には、熟達者向きの破線ルート扱いでもいいので、採用して貰いたいものである。

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2013/2/9

高麗駅(11:15)---高麗橋---黒尾根---駒高---高指山---日和田山---高麗駅(14:30)

出立を決めた時刻が遅かったので、何処へ行こうかと漠然と考えながら、飯能迄やってきた。春を窺う様な陽気なので、徒然に歩ければ其れでいい。とりあえず日和田山の上迄行って考えよう。それくらいの気分だった。奥武蔵の常連客になっている積もりだが、其れは思い込みであって、私は今日も新しい経験を自分に擦り込む為に、山歩きをする。

大型トラックが驀進する危険な国道299号の、高麗橋を渡って直ぐに右折した辺りから、物見山の直ぐ傍迄の処に、尾根伝いに歩くコースが、昭文社地図に破線で記されている。此処を歩こうと思った。しかし、崖に沿って住宅が並ぶ道沿いに、取り付き口が見つけられない。来た道を戻り、目星を付けた農道のような道を上がって行くと、やはり民家が在る。飼犬がけたたましく鳴いているので臆するが、民家の上に墓石が在り、目指す尾根に続くなだらかな傾斜の雑木林が見える。意を決して、民家の軒先を挙動不審の態で通過し、なんとか山腹に辿り着いた。

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植林の中を暫く登って行くと、やがて明瞭な踏跡にぶつかった。やはり正式な登山口が有るのだと知り、私は敢えて其の道を下って行った。登り口を確認するためである。登山詳細図の踏査に参加してから、此の様な行動も惜しみ無く行なうようになった自分に驚く。下って行くと、やがて墓地があって、民家の傍を横切って行く道なのだが、敷地内に進入すること無く、国道299号に降り立った。高麗橋を渡って住宅地への道に曲がらないで、入口は存在していた。其れを確認して、私はふたたび登山道に姿を消していった。

山林の作業道のような道をひたすら登っていくと、やがて尾根をトラバースしようかと謂う地点に着いた。其処に、関ノ入尾根でお馴染みになった、手書きの道標が木に括ってあった。尾根越えの道の行先は、日向と謂う集落になっていた。尾根を直登する方角には、「尾根への山道」と書いてあり、小さく「ヤブ」と書き添えてあった。冬枯れの季節なので、私は尾根へと突き進んでいった。

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物見山方面へと続く目的の主稜から派生している此の尾根は、やがて西北へとカーブしていく。其の頃には、既に新たな登山道と云ってよい道に合流した。標高240mの小ピークを過ぎると、小高い丘の上を、実直に進む道に導かれて、少々のアップダウンを繰り返す。三つ目の瘤が250mで、其れから徐々に高度を上げていく。

途中で、簡便な手書きの表示で、黒尾根、と謂うのが木に括りつけられていた。初めて知る名前だが、此の道が古くから歩かれているのが察せられた。勾配を登っていると、右手に明るい展望が開けて、高指山の電波塔が見える。奥武蔵の入口で、静かな尾根を、のんびりと歩く。

送電鉄塔が在る標高330mで、右手の谷に下りていく道が分岐していた。手書きの標識に、来た道の方向には、高麗方面と書いてあり、其れに添えて、黒尾根と記してあった。谷への道には駒高とあった。充足した気分だったので、谷に下りた。随分と急降下して、降り立ったのは、カーブの途中の舗装路だった。少し面倒な気もしたが、駒高の山上集落に登り返すことにした。舗装路を歩いて行けば、終点が高指山である。

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高指山の電波塔は、いつも通り過ぎてばかりだったので、電波塔が立つコンクリートの壁迄行ってみることにした。其れで、高指山に登頂と謂うことにした。奥多摩の山なみが見渡せて、大岳山の特徴的な山容が、今迄見た姿と、少し違うような気がした。電波塔の突端は、絶景なのだろうなと思いながら、私は、空を見上げた。

周助山・ノボット(後編)

2013/1/20

原市場中バス停(8:00)---周助山---ノボット---404mピーク---戸丸---中藤---飛村---前坂---吾野駅(15:00)

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片仮名の奇妙な山名であるノボットを目指して歩いているが、国土地理院製地形図では、其の435.8mピークに周助山の記載が有る。官製の地図に対して盲従してしまいがちになるが、周助山は383m圏峰の名である。原市場から無理矢理攀じ登り尾根に乗った。其処から、関東ふれあいの道に編入してあげたい程の、諄々と続く明瞭な道を歩き、ひとつのピークを越えると、やがて急登になった。其れを登り詰めて、最初の目的地に到達した。

383mの頂上には、立派な山名板が立っていた。此処が周助山であると謂うことが明確に確認できる。何故此のような誤りが是正されないのかと、kz氏に尋ねてみる。

「誰かが国土地理院に指摘したんだけど、受け入れて貰えなかった、みたいな話を何処かで読んだけどなあ」

「官僚的な態度と謂う訳ですね」

眺望の無い周助山を早々に立ち去る。此処からはピークの合間を緩やかに歩く道が続く。植林の山に、天然の雑木が入り混じるようになった。陽射しは眩いばかりで、軽快に歩く。途中の410mピークに突き当たると、道は右に捲くような形になった。倉掛峠の方向に派生する尾根が見え始めると、雪が残る北面の陽陰になった。分岐点に乗り上げたら、ふたたび明るい雑木林の平地で、木の枝に赤いテープが巻いてあるのが見えた。風に棚引く赤いテープには、乱雑な字で、「倉掛峠へ」と書いてあった。主稜の方向に歩くと、同じようなテープが括りつけてあり、其処には「ノポットへ」とあった。ノボットなのかノポットなのか、また新たに謎を掛けられたような気分だが、片仮名では要領を得ない。何かの口語が山の名前になったのだろうと推し量るしか無い。

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ノボットを取り巻く400m圏の中を、さらに進んで行く。直ぐに現われる鞍部には、妻沢と中藤の集落を結ぶ道が交差する峠が在る筈である。其の道は官製地図に記してある。しかし、相変わらずの雑木林の中に続く道が、痩せた尾根になり、鞍部を過ぎて登りに掛かっても、其れらしき道筋は現われなかった。其の儘登り続けたら、呆気なく頂上に達した。周助山と同じ体裁の山名板には「登戸」と記してあった。

登る戸、と謂う風に、修飾して意味を捉え、何処かへ向かう登り口の様なものだろうか、などと考えてみる。此れから下山する北面の集落は戸丸と謂う地名で、何か関係が有りそうな気もする。丸は山頂に名付けられることの多い接尾語的なもの、と謂う生半可な知識が有るから、山頂が戸丸で、登り口の集落が登戸の方が納得できるような気もする。或いは、ノボットと謂う口語から、いつしか当て字になって登戸になったのかもしれない。

そんな思惟に耽っているが、ノボットの頂には強風が吹き荒れている。私は此処迄の穏やかな道を思い浮かべ、一転して強風の通る場所に在るノボットの異質性を感じた。木々の梢の、ざわめく音も不穏で、我々は目的地に着いた安寧の気分になれず、早々に山頂を後にした。

ふたたび鞍部へと下る道は、木立が迫ってきて徐々に狭まっていった。鬱蒼とした鞍部を越えて、ひと登りで404mのピークに立った。暖かい陽当たりを求めて、少し戻った地点で荷を降ろし、昼食を摂った。原市場から尾根に乗って、誰にも出会っていなかったが、漸くトレイル・ランニングの男性が独り、通り過ぎて行った。眺望が望めないノボットの山稜に、好んでやってくるハイカーは居ないようであった。

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南面に伸びる尾根を見送り、其の儘西北の方向に下って行く。此の儘直進してピークを越えると、中沢集落と仁田山峠を結ぶ林道に達するが、我々は其の手前の鞍部から北面の道を行く予定である。官製地形図には、妻沢川側と、前述の戸丸を繋ぐ道が記されている。しかし、ノボットの手前に在る筈の道が見当たらなかった事実から、我々は前途に対する予断を許せない。

悪い予感は杞憂に終わり、目的の鞍部には、眼前に在るピークの腹を左右に捲くようにして、双方から踏跡が辿って、合流してきていた。其れは、ハイキングで人間が踏み入れるには、何とも心細い踏跡で、作業道が朽ち果てたような様相ではあった。北東に右折して、樹林帯のトラバース道に進入する。地形図のルートは、其の儘北東に伸びる尾根に乗って下降し、途中で西へと、谷筋に沿ってトラバースしていく、と謂うように記されていた。程無く、其の尾根が分岐するところに行き当たり、少し逡巡しながらも、背後に続くkz氏に背中を押されて、恐る恐る進んだ。

すっかり陽の当たらなくなった尾根の上は、やがて枯木が縦横に立ち塞がり、植物が繫茂してくるようになった。漸く、kz氏が喜びそうな、無名の尾根歩きが始まったようであるが、谷筋に分かれる踏跡は、全く見つからない。心の中で、徐々に黄色い信号が点滅してくのを感じる。左に降りる道は無いかと、kz氏もやや狼狽気味に声を掛けてきた。

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余りにも尾根を進んでしまったので、谷筋への道を探しながら引き返すことになった。そして、尾根の分岐点迄戻ってきてしまった。地形図の破線の形状を無視して、其の儘トラバース道を辿っていく。やがて、次に派生する尾根が木々の合間に見えてきたが、私は直ぐには気づかなかった。kz氏が、此の尾根を下ろうと云った。戸丸へ降りる本来の尾根である。私は、もし独りだったら、此の尾根を見過ごしたかもしれないと思った。

序盤は尾根の東側の斜面を、難渋しながら歩いた。倒木が縦横無尽に横たわり、枯木や草が埋もれている。一歩、そしてまた一歩の足先に神経を遣うので、冷静になって状況を把握することが出来ない。やがて、行く手にひとすじの踏跡のようなラインが現われたように感じた。

「此れが、地形図の登山道でしょうか」

「んー。けもの道かもしれんけど、峠道かもしれん…」

泰然とした感じで、古老のように呟くkz氏の声に、私は安堵した。

戸丸方面に派生する尾根に乗る迄、かなりの時間が経ったような気がした。等高線の、360m地点で、漸く尾根に乗った。此れでひと安心と云いたいところだが、傾斜は急で、先頭を歩く私は、随所で足を滑らせて、転倒しそうになる。バリエーションルートを下る時は、横歩きみたいにして、靴のエッジを利かせるんだよと、kz氏がアドバイスを呉れる。重力に負けてずり落ちないように、次から次へと、木の幹に抱きつきながら、急勾配を下って行った。

薄暗い、左右に広がる谷が浅くなり、遠くの山なみが望めるようになった頃、左手に沢が流れる様子が窺えた。もうすぐ終わるね、と、kz氏が云った途端、尾根は急激に落ちていくように、傾斜の度を増してきた。体がふらつくと、傍らの倒木に手を掛ける。四つん這いになった方が楽なのではないか、とさえ思った。其の急勾配を終えたら、沢を直ぐ下に見る処迄降りて来ていた。右側の谷も合流して、其れを渡渉し、登り返したら、いつの間にか、崖の淵の上に立っていた。

振り返ると、何処へ行くんだ、と云うような顔をして、kz氏が手を振っている。どうやら盲目的に直進して、支流を渡渉してしまったようだった。kz氏の後から、本流に掛かる堰堤を越えていく。そして漸く、舗装路が横切る戸丸に降り立った。集落と云うよりも、山間に点在する民家が数軒在るだけの場所で、峠越えの道が目指すには、少し寂しすぎるのではないか、そんな気がした。

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中沢の清流に併行して、中藤迄県道を歩いた。中藤からも飯能駅に行くバス路線があるのだが、本数が極端に少ない。其の後は、前坂を越えて吾野駅迄歩いた。途中、多少の紆余曲折はあったのだが、無事に西武電車に乗って、所沢迄戻ってから、祝杯を上げた。ノボットとは何ぞや。そんな話にはならず、一献の席で気炎を上げる私は、年明けの災厄をkz氏に愚痴愚痴と喋っていたような、曖昧な記憶だけが、微かに残っている。

周助山・ノボット(前編)

2013/1/20

原市場中バス停(8:00)---周助山---ノボット---404mピーク---戸丸---中藤---飛村---前坂---吾野駅(15:00)

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冬の陽が登り始めた頃、閑散として冷え込む所沢駅のプラットホームで、飯能行きの電車を待っていた。進入してきた電車の窓は曇っていた。扉が開くと、一様に着膨れた乗客たちが大儀そうに降りてきた。暖かい車内に入り、座席に落ち着くと、眠くもない筈なのに、何故だか瞼を閉じてしまった。そして、気がついたら車内は閑散となっていて、車窓から入間市駅のサインが後方に去っていった。電車が大きく右に旋回すると、山頂付近が雪で覆われた奥武蔵と秩父の山々が、怜悧な佇まいで車窓に広がった。関東平野から、いよいよ山へと分け入って行くのだぞ、とでも云うような此の眺めは、通い慣れてきたとは謂え、改めて私の心を躍らせた。

新年が明けて、想定外の災厄が続いた。原因不明の高熱が出て、松の内から臥せっていた。回復したと思ったら、此れは私生活の上のことなので敢えて記すのも虚しいから記さないのだが、悪い知らせが続いた。折角仲間に入れて戴いた登山詳細図関連の新年会も欠席となり、独り病床で鬱屈して過ごした。登山詳細図の世話人氏からお知らせのあった、一月下旬に行なわれる予定の、第二回西丹沢踏査にも参加するつもりだったが、病み上がりの体調はすこぶる悪く、此れも欠席することになった。尤も、関東に降った大雪の所為で、西丹沢の積雪は余程深かったらしく、踏査計画自体も中止となったようなので、良心の呵責は辛うじて軽減されたような心持ちではあった。

ユガテ、スカリ山で堪能したkz氏との山行き、第二回奥武蔵探訪の約束も不本意ながら順延を重ね、漸く出掛けることができたのは、病臥開始から二週間が経った頃になった。登山道の線が張り巡らされた、昭文社の「山と高原地図22 奥武蔵・秩父」を眺めていると、丁度飯能市と記されている辺りの、バス停のある原市場中学校から西北に伸びる尾根がある。整備された登山道である赤い実線はもとより、難ルートである破線さえも記されていない山域であって、標高435.8mの三角点ピークに「ノボット」と謂う不思議な山名が記されている。原市場から尾根に張り付いて、周助山と謂う383mピークを越えて、此の不思議な名前の山に行ってみることにした。

冬晴れの休日だが、車内に行楽客の姿は疎らだった。其れでも電車が飯能駅に到着したら、接続する秩父方面行きの電車に、ハイカーたちが小走りに向かって行った。今日の私は、此処でkz氏と待ち合わせた後に下車して、バスに乗り換えるのだから、急ぐ必要もない。のんびりとホームの上を歩いているが、飯能の冷たい空気は刺すように痛い。気温は都心から比べると、随分低いのではないかと感じた。途端、背後から声を掛けられた。

振り返ると、雨具のアタッチメントと思しき化繊の目出し帽とでも云うようなものを被っているkz氏が居た。雪山の途上で声を掛けられたような、そんな風体なので、思わず絶句してから、挨拶を返した。

「どうしたんですか、そのヘッド・セットは」

「だって寒いんだもん」

と、云って其の儘すたすたと階段へ向かってkz氏は歩いていく。西武電車の車内から此のフードで顔を覆って来たのだろうか。どうでもいい疑問なので追って問うことは諦め、私は、気を取り直して其の後に続いた。飯能駅前のバス乗り場は閑散としていたが、名栗方面行きのバス停に、登山客の一団が固まっていて、其処だけが賑やかだった。やがてバスがやってきたが、乗り込んだのは其の高齢者グループと我々だけであった。

市街地を抜け出たバスが県道を走る。右手に天覧山から続く山並みが続く。時折現われる集落は何処か鄙びていて、古くからある街道だということが察せられた。下赤工、上赤工と謂う地名が現われる。バスの車内アナウンスで、赤工は、あかだくみ、と読むことが判り、どう謂う意味でしょうね、と、kz氏に聞いてみる。たくみは匠だから、帰化人によって開拓された土地と謂う線はありませんか、と、私は突発的に思いついた仮説を立てる。kz氏は、余り興味が無さそうに、うーん、良質な赤い石でも出たんじゃないの、と云った。

入間川が大きく蛇行して左に旋回し、山間の道路が明るい原市場の町に出た。原市場中学校のアナウンスで降車合図のベルを押したので、バスが速度を落とした。我々を降ろしたバスが、残りの登山グループだけを乗せて、原市場から去っていった。山間の朝の陽光は未だ迎えたばかりのように、瑞々しいような気がした。

改めて地形図を広げる。上赤工から入間川が大きく南に迂回して上流に向かうのは、此れから向かうノボットの尾根が大きくせり出してきているからである。其の麓が原市場で、入間川に合流する支流の妻沢川が、ノボットから南に落ちる谷底に沿って流れている。我々は、今来た道を少し戻り、中学校の敷地の端に、妻沢川が合流する地点迄戻る。妻沢の集落へと向かう道は、天神峠、仁田山峠を経て、高低差を度外視すれば最短で名栗へ抜けると謂う、往年のメインルートであるが、我々は其のいにしえの古道を歩き出して直ぐに現われる、山肌に沿って建っている一軒家の前で歩を止めた。

kz氏が用意した事前情報では、此の辺りにある墓地の付近に、周助山へと続く尾根に登る入り口が有ると云う。其れは、松浦隆康氏著作の通称「松浦本」に拠るものだそうで、私は異論が有る筈も無く、kz氏に続いて、一軒家の敷地内に踏み込んでいった。目指す尾根は眼前に在る。其の尾根の淵に辿り着こうとするが、いつの間にか、住宅の玄関の前に来てしまった。ちょっとマズイんではないでしょうか、と私はkz氏に目で訴える。ふたりで中腰になりながら、抜き足差し足で住宅の庭から脱出した。家の反対側に出たら、先程歩いて来た妻沢の道に戻ってしまった。

大いに有り得る事態だが、登り口が見つからない。仕方が無いなあ、何処かから無理矢理登っちゃおうか。kz氏が云う。とりあえずの、最初のピーク迄の標高差が約70メートル。大した山じゃないから攀じ登ろうかと謂う、いきなりのワイルドな提案である。其れもやぶさかでは無いのだが、情報も有るのだから、何とか其の墓地を見つけたいものだと思い、ぼんやりと山林を眺めていたら、くだんの一軒家から少し道を上ったあたりの山裾に、墓石が数個建っているのを発見した。

墓地へ至る道には当然ながら木段が設えてあり、我々は墓地に向かって階段を登っていった。其処から先は、踏跡らしきものはあるが、枯葉と伐採された木の残骸などによって、歩き出して間もなく、道筋は消えていった。止むを得ず、急傾斜の山肌に足を蹴り込むようにして踏み締め、進路をジグザグにとって、登っていくことになった。「松浦本」の情報が怪しいと云うには、余りにも行き当たりばったりな行程である。恐らく他の何処かに、登り口に通じる墓地があるのだろうが、もう後戻りはできない。

間伐の所為で土は乾いているから、砂を掻く様な思いで、息急き切りながら登り続けた。程無く尾根の端に辿り着くと、緩やかに尾根が広がっていて、明瞭な登山道と云って良い程の踏跡が続いていた。地形図を改めて確認すると、周助山から徐々に東南へと下りてくる尾根は、最後に北東に向かって伸びている。其の末端は妻沢ではなく、中学校から見ると北に在る集落へと続く道に落ちているようである。尾根が急激に北東に曲がる箇所の、等高線が狭い南面を、我々は攀じ登ってきたのであった。

植林は疎らで、木々の合間から陽光が降り注ぎ、尾根上の道は明瞭で、心地よい山歩きになった。地図に無い山道はゆるゆると、暖かい陽射しを受けて、真直ぐに続いていたのだった。

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