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長英新道から燧ケ岳(後編)

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2012/10/20

尾瀬沼ヒュッテ(3:00)---長英新道---ミノブチ岳---俎嵓---柴安嵓---ナデッ窪---沼尻---尾瀬沼ヒュッテ---三平峠---一ノ瀬---大清水(15:00)

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忍ぶように、足元を確かめながら、歩を進める。長蔵小屋の真黒い棟の傍らを通過して、木道になった。周囲は暗黒なのだが、其れでも果てしなく広がる風景が、徐々に網膜へ映し出されてきた。空は、まるで巨大なイルミネーションの如く、満天の星が散りばめられている。こんな星空を見たのは、果たして何十年ぶりだろう。尾瀬沼と、其処にせり出している湿原の地との境界は、定かではない。闇の中に、ただ広がりだけが続いているのである。ふと、遠くの空へと、視線が移動した。ひと際輝く光芒が、地平線に降下していった。オリオン座流星群の欠片なのであろうか。

尾瀬沼ヒュッテのテント場に幕営した我々は、其の儘装備を基地に置いて、軽装で燧ケ岳に登攀するため、午前三時に出発した。今日の夕刻に大清水を出発するバスに乗車するために、逆算した時刻だった。ヘッドライトが照らす足元の木道は、凍ってはいないが、冷たそうに湿っている。あまりにも超自然的に輝く星空と、遠近感の無い暗黒の周囲の広がりの中で、前方を歩くMが照らすライトの光がぽつねんと、揺らめいている。其の光景は、まるで現実感が無かった。

大江湿原、と記された道標が在る処で、木道は分岐していた。此処が登山口である長英新道に向かう、沼尻方面への分岐だろうと思うが、大江湿原方向にしか道標は無く、北西に向かう分岐道への指導標は無かった。昼間なら何の疑問も無く左折するところだが、周囲は真暗なので、我々は暫く其処で地図を広げて逡巡していた。視界を遮断されると、自分の居る場所が何処なのか、完全に自信が持てない。そうは云っても、まあこっちだろう。Mがそう云って敢然と歩き出す。私は、少し臆しながらも、彼の後に続いた。

湿原を渡り、樹林帯に進入すると、遂に星空の明かりとも決別しなければならなかったので、私は、ますます心細い気持ちに襲われた。小高い森林の隆起する処をパスして下ると、ふたたび湖畔に出た。大入洲半島の付け根に差し掛かったようだ。唐突に、燧ケ岳への登山道の道標が現われた。長英新道の方向を見ると、其処はただ漆黒の闇だった。

ひたすらに、前方を照らす光に道を確認して、歩き続ける。緩やかな尾根を捲くようにして、湿った木の根に注意しながら、進んでいった。所々に、小規模な沢が横断していて、場所によっては、涸れた沢を登山道と錯覚してしまいそうになる。前を歩くMが、遂に其の失策を犯したので、途中から私が先頭に交代した。

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沼と湿原を取り巻く、連綿と続く山塊に取り付き、其の尾根筋に忠実に、迂回するように徐々に、燧ケ岳の峻険へと辿る長英新道。此の、歩きやすい傾斜を選んで作られた道は、恐らく昼間でも鬱蒼とした樹林帯の道なのだろうと思われる。暗中に歩いている今は、木々の合間に、物の怪の気配すら感じ取れそうなほどだ。夜露に濡れた草叢の匂いを鼻腔に感じる。

緩やかに旋回するように、西に舵を切っていく。徐々に登攀の道を傾斜が構成するようになった。暗闇の中での緊張感もあって、疲労感が堆積してきた。何度目かの折り返しながらの登りを終えたところで、空が白んできたのに気づいた。振り返り、木々の合間に見える山々の陰影が判別できる程になった。夜が明ける。我々は声にならない安堵感に満たされていった。

地図に急坂と記されている、標高2000m手前からの道に差し掛かり、いよいよ俎嵓の片鱗が見えてきた。階段状の登りをこなすと、此れ迄の鬱屈とした道程から解き放たれたように、空が広がった。振り返って見下ろすと、尾瀬沼が霧のヴェールを纏っている。壮大な要塞のように、山脈が朝陽のシルエットになって、連なっている。日光白根山の、独特な山容が、堂々と聳えている。其の輪郭は、太陽の光が増すに連れて、全景の中でのコントラストを強めていく。

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広々としたピークに登り詰めて、其処がミノブチ岳だった。尾瀬沼は徐々に霧の纏を薄めつつあった。朝陽は強烈に射し込み、燧ケ岳のひとつの雄、俎嵓の真正面を照らしている。尾瀬から見ると、前衛に当たる赤ナグレ岳が聳えている。風が強いが、快晴の空から降り注ぐ陽光は、心地よいものだった。ミノブチ岳の南北に広い頂上を北に進み、引き続き俎嵓へと進路を取る。谷の向こうの赤ナグレ岳が近づいてくると、ナデッ窪からの登攀路と合流した。

赤ナグレ山へと伸びる隆起した山塊を左に眺めながら、岩の多くなった道が傾斜を強くしていく。噴火口の有る御池岳の位置が解らない儘、喘ぎながら登る。やがて、隠れていた芝安嵓の端整な山容が出現した。北アルプス、岳沢から登った重太郎新道の記憶と感触が、私の中には未だ生々しく息づいている。岩場の峻険な登りは懐かしく、私に気力を奮い起こさせて呉れた。足場の選択と判断は迷いが無かった。そして、燧ケ岳の一方の頂点、三角点の在る俎嵓へ登頂した。

祠の在る頂上から全方位の眺望が可能になった。日光連山も既に見下ろす位置に連なっている。遥か水平線の雲の上から、富士山の白い頭が浮かぶ。彼方に、日本アルプスの怜悧な白銀の威容が確認できる。視界を遮るものは無かった。越後三山から連綿と連なる山脈は、紅葉に燃えていた。冷たく強い風に打たれながら、私は茫然と、案山子のように、突っ立っていた。

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程なく、御池方面から、登山者の影が次々と現われた。山頂は徐々に、賑やかになっていった。俎嵓から眺める芝安嵓と、其の途上に在る這松に覆われた鞍部が、箱庭のジオラマのように見える。其処に向かって下りていく。俎嵓の影が、芝安嵓と鞍部の一部を明瞭に覆っていた。山を下りていく自分の影法師が、ひと足早く芝安嵓を駆け登っていく。俎嵓で時が流れている間に、多くの人々が芝安嵓に向かって登り始めていたようだった。笹藪を抜けた処に在る鞍部は木道が渡されてあって、周囲は不毛の平地だった。こんな場所で幕営したらさぞかし気持ちがよいだろう、突風で飛ばされてしまうんじゃないか、這松の近くだったら大丈夫だろう、そんな他愛も無い会話をした。

ふたたび、屹立した芝安嵓への、傾斜に忠実な、そして直截的な急登が始まった。巨大な露岩を横目に、最後のひと登りで、燧ケ岳の最高地点である芝安嵓に登頂した。こちらには立派な山名標が立っており、人々は其の周囲で記念撮影に余念が無い。山頂の広がりの、其の突端に立って、尾瀬ヶ原の全景を眺めた。湿原は冬枯れた色で覆われていて、正面に至仏山が対峙している。初めて訪れた尾瀬だったが、此の湿原を歩かないで帰るのが、なんとなく惜しいような気になった。至仏山の向こうに浮かぶ、谷川連峰や三国山脈の、永遠に続くかのような景色。あの向こうに、何処迄も歩き続けて行けたら。私は陶然とした儘だった。そして、友人が、そろそろ下りよう、と声を掛けてくるまで、私はいつ迄も、夢を見ているような気分で、立ち尽くしていた。

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