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長英新道から燧ケ岳(前編)

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2012/10/19

大清水(12:00)---一ノ瀬---三平峠---尾瀬沼山荘---尾瀬沼ヒュッテ(15:30)

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もともと少なかった乗客の、殆どが戸倉温泉で下車したので、バスの車内は愈々閑散となった。車窓から見る、眼下の谷は険しくなり、人里はすっかり消え失せてしまった。沼田街道の、戸倉から大清水への最末端区間は、もうすぐ冬季の通行止め期間に入るのだ。私と友人のMは、新宿から大清水へ直行する高速バスの車中に居る。此のバスも、あと二日で今シーズンの運行を終了してしまう。

尾瀬に対する憧憬は随分永らく抱いてきたが、なにしろ尾瀬である。自然景勝地の極みである。膨大な観光客の群れが押し寄せるイメージが常に脳裏をよぎる。其れ等を掻き分けて、至仏山や燧ケ岳への登山口に立つのは、想像するだけで疲弊する。其れで敬遠していたのであるが、昨今は事情が変わってきた。

東日本大震災の被害は、福島県を一変させた。原子力発電所が爆発し崩壊すると謂う致命的な事故は、福島県と謂う場所自体の印象を暗澹たるものにさせてしまった。農産物や海産物は忌避され、呼吸をすれば被曝すると云う印象によって、訪れる観光客も激減した。福島県は広大であり、都道府県全体でも、其の面積の大きさは第三位、と謂うのは小学生でも周知の事実である。爆心地の浜通り、そして中枢都市が在る中通りに対して、戒厳的注意を払わなければいけないのは、此れは仕様の無い事実である。しかし、隔絶された山間部の会津地方に於いても、其の、汚染された土地、のイメージは拭うことができない儘のようである。同じ県に属しているが、福島第一原発から会津地方への距離は、東北の最大都市仙台市との距離と遜色が無い。しかも山に隔てられた其の風土は、最早裏日本の世界の其れなのにである。

福島県と群馬県の境界に在る尾瀬も、訪れる人の数は激減したと云う。原発ひとつで、あの、尾瀬の静謐な権威は崩壊したのだ。つまらないものに、人間は依存してきたものだと、つくづく思うし、自然を蹂躙した報いは、自然の中では最もひ弱な人間が、真っ先に淘汰されていく、そんな形で返ってくるのだと思う。

皮肉な現実だが、尾瀬が観光客の坩堝と謂う感じではなくなってきたようなので、其れでは、いよいよ燧ケ岳に登ってみようと、考えていた。考えていたら、尾瀬の秋はあっという間に終了の笛がなりそうなくらい早くて、我々は、慌てて今年最後の幕営行の準備を始めたのだった。

右手に広がる山の色は好天に映えて、端整な形で鎮座している。オモジロ山の細長い南尾根を正面から見ている故だろう。大清水からの林道を、左手の山肌を見上げるような形で歩いて行く。其処から幾つもの沢が落ちてきている。陽射しが当たると暖かいが、陰に入ると極端に冷える。身体が漸く暖まってきたなと思ったら、一ノ瀬の茶屋に到達した。軒先に巨大なシメジが置いてあって、Mが其れに興味を示してまじまじと眺めている。どうしたんだと訊くと、此れをバターソテーにしたら旨いんじゃないか、買って行こうかと思う、と云った。早くも今夜の夕餉に強い関心が向いているようである。

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そうは云いながら、Mはなかなか其れを買おうとしない。ふたたびどうしたと訊くと、値段が書いてない、と呟き逡巡している。早く尾瀬沼の風景が見たいと謂う逸る気持ちを抑えていた私は、仕方なく其のシメジを掴み、茶屋の中に入った。厨房の奥で何か作業をしていたおじさんに、此れは幾らかと訊いたら、少し間を置いて、其れは明日の為に採ってきたんだけど、と云った。私にとっては馴染みの深い東北訛りのようだったが、最初は殆ど聞き取れなかった。明日、明後日は最後の土日だから、多くの観光客を見込んで、茸汁を作るために、山で採ってきたばかりの茸を軒先で陰干しにしていたものらしい。奥さんが出てきて、説明して呉れた。おじさんが、他に採れた今日の収穫を持ってきて、ちょっと誇らしそうに見せて呉れた。私は、其れを購入するのをMに断念させて、その代わり、此処で茸汁を戴いていこうと提案した。数種類の巨大な茸がお椀に詰まった吸い物は、意外に淡白な味だった。Mは、なんとも複雑な表情で、其れを食べた。

一ノ瀬の橋を渡り、漸く林道と別れて山道に入った。尾瀬に雑草の種子を持ち込まない為に設えたマットに靴を擦り付けてから進入する。直ぐに歩行者用の木道が二列に連なって現われた。濠々と流れる沢に沿って、徐々に奥深い山懐へと歩いて行く。岩清水と謂う名の水場の先迄、緩やかに谷筋の道を辿る筈である。よく整備された道が緩やかに登り始めた頃、水場に到達した。振り返ると、秋の柔らかい光を浴びて、山々が配置されている。ベンチの周辺には、若者のグループが大勢屯しているから落ち着かない。だから直ぐに出発した。ジグザグに高度を稼ぐ登りに差し掛かった。其れも程なく終わり、尾根に乗った。暫く陽光の降り注ぐ気持ちの良い尾根歩きになったが、やがて暗い樹林帯に入った。道はふたたび二列の木道になった。

此の木道は、尾瀬の全域に渡って歩行者はどちらかを通行するのが決まりらしいが、其れが右側か左側かは忘れてしまった。其の旨をMに伝えると、そうか、其れなら左だろう、と云った。何故判るのだと訊いたら、こういうのは大体左側だろうと曖昧なことを云う。それでなんとなく左側を歩行していたが、程なく、尾瀬沼方面から帰ってくる人影が遠くに見えた。皆、右側を歩いていた。我々は素知らぬ風で、右側通行に転換した。

オモジロ山の西北に派生する尾根を緩やかに横断していく。その途上の最高地点が三平峠だった。此処迄、実際に歩いて来た距離も、そして所要時間も大したことは無い筈なのに、私の感覚は、漸く辿り着いたと謂う感慨に支配されていた。未知の、そして憧憬と共にあった尾瀬に、いよいよ近づいてきていると謂う実感に、素直に興奮していた。小休止で煙草に火を点けた。吐息が、紫煙を包み込むかのように、空気が冷えていた。

下りに差し掛かると、寒さが急な勢いで全身を覆ってくるかのようだった。防寒着を纏い、手袋を嵌める。暗く湿った山道は徐々に傾斜を厳しくさせて、降下していく。やがて木立の合間から、燧ケ岳が垣間見えてきた。木々の梢が、尾瀬沼の紺青色と混ざり合って静かに揺れている。下り切ったら、其処が湖畔で、尾瀬沼山荘の広場だった。人影は無く、湖面も、空も、決して曇っているわけではないのに、曖昧な感じの青さだった。湖畔に沿って、木道を歩く。水芭蕉の群生地も、今は冬枯れた葦が繁って、風景の彩りを淡くするのに一役買っているかのようだ。そして、燧ケ岳は茫然と、しかし泰然として、屹立していた。未だ陽は高いのに、寂寥感の漂う、湖畔の木道を、我々は、黙って歩き続けていた。

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コメント

なるほど、原発の影響が、尾瀬にも出ているとは思いませんでしたよ~。
観光客が少なくなると、どんな影響が出るんでしょうかね~。
確かに福島県と聞くだけ、被爆したら嫌だなあという印象がこびりつきました。

そんな間隙をついて、出かけるとは、なかなかの策士ですなあ。

大清水では他にそれくらいの人が下車したのでしょうか?

テント泊でやっと晴れたね~。
曖昧な感じの青さとは、やはり感じ方が普通の人と違っていいね。

PS,低山のテント泊ってどこでやるつもりだったの~?

2011.3.15に放射性物質は関東含めて広範囲に降下してますから…。

観光客が少なくなっても、自然其れ自体は馬耳東風でしょう。
が、人間の経済活動には支障をきたすでしょうね。

シーズン最後の大清水なので、降りたのは5.6人くらいでした。

真冬の低山テン泊は、箱根にしようかと目論んでいましたが…

精神力を回復させるのが先のようです。

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