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2013年1月

ユガテ・スカリ山・深沢山(後編)

Fukazawayama



2012/12/1

Yugate4

東吾野駅(7:30)---吾那神社---雨乞塚---橋本山---ユガテ---エビガ坂---スカリ山---沢山峠---深沢山東峰---深沢山西峰---水晶山---愛宕山---武蔵横手駅(15:00)

冬枯れた藪の中の尾根上を、其れでも順調に進むと、やがて左右から落ちてくる尾根に出会う鞍部に到達した。道らしきものは、全く無かった。

「完全に迷ってしまった」kz氏が、言葉の意味とは裏腹に、楽しそうな口調で云った。

南下する筈が、進路は徐々に右方向、西南へと逸れていたようであった。迷った場合は、其の儘来た道を戻るのがセオリーではあるが、左から来ている尾根を登り返せば、沢山峠の方角に修正できるような気がしたので、東へと急旋回しながら、徒労による疲労感とともに、歩き始めた。尾根に乗ると、右方向に下降していく道が窺えたが、其の儘尾根を引き返すようにして登っていった。やがて、見覚えのある箇所に到達した。先程の、土山の峰から下降し続けて藪に突き当たった地点である。

結果的には、迷う手前の地点に引き返してきたことになった。旋回して戻ってくる途中で見た南東への道が、沢山峠方面への踏跡であることが、元に戻ってきたことで漸く判然としたのだった。尾根は明瞭に下降していると思い込んだが、実際はあらゆる方角に派生して伸びているのであった。

左から山道が辿ってきて、横切っている。其の鞍部の様子に、記憶が蘇ってくる。沢山峠に到着したのだった。赤テープは勿論、手書きの指標が雑然と散在している。其の儘直進すれば、前回辿ってきた、関ノ入尾根に分け入る筈である。峠の四辻から、ふたたび南下する尾根を登り始めた。見覚えのある、東側に落ちていく谷を視界に感じながら、今日は尾根に其の儘乗って、いよいよ三角点の在る313.4mピーク、kz氏の古エアリアには登山ルートも記されていない、コワタを目指す。沢山峠の雑然とした指導標にも、コワタの文字は無く、深沢山が代わりに記されてあったが、其の情報に縋る気持ちは、微塵も無かった。

320mの瘤を左手に眺めながら、南南西に針路を変えて、今度は尾根を下って行った。するとふたたび縦横に登山道が絡み付いてくるように合流してきた。頭上から光が差し込んできた。目まぐるしく変わった天候は、漸く落ち着いてきたようだった。手製のプラスチックの板に書かれた案内の後に、立派な指導標が現われた。関ノ入尾根と谷筋の道を含めた、武蔵横手駅、と謂う大きな文字が左手に、注目すべき直進方向は、深沢山、水晶山、愛宕山と謂う山名が、三役揃い踏みのような感じで書かれていた。313.4mから南下して、最後のピークには鳥居の印が付いているので、此れが愛宕神社、詰まり愛宕山であると謂うことは察せられる。しかし、其の途上に水晶山と謂う名のある山が存在していたとは、予想外の展開である。

遠くに見える山並みは、今朝歩いて来た橋本山の在る尾根である。我々は、木漏れ日の差す気持ちの良い枯葉の道を歩いていた。捉えどころの無い広々とした尾根上から茫洋と、あらゆる方角に尾根は伸びているが、南南西への道筋は明瞭だった。途中、山肌に張り付いて谷へと下る、右手に分岐する道が在り、相変わらずの立派な指導標には、深沢と記してあった。集落に至るエスケープルートとして、覚えておくべき道である。ひと登りで、350mのピークに到達した。

其処は、枯木の所為で眺望の利く、明るい頂上だった。ひと際立派な山名標があり、深沢山と書いてあった。深沢集落に屹立する明瞭なピーク故の名前だろう。しかし、気になるのは、古エアリアに書いてある、コワタのことである。コワタとは何なのか。悩ましいことに、山名標の片隅には、誰かの手書きで、コワタ、と記してある。何の根拠も見出せない其の落書きは、我々の疑念を増幅させるばかりなのであった。

堂々たる山名標の在る350mピークの深沢山であるが、此のエリアで燦然と輝く313.4mの三角点ピークは、此処から更に西方向へと向かった場所に在在する。コワタの謎は、其処で解けるのであろうか。折角の好天下の、見晴らしのよい場所であるが、我々はザックを下ろすこともなく、尾根の下降を開始した。細長い痩せた尾根の傾斜が落ち着いた頃、また道標が現われる。水晶山を示す左方向、そして直進は、平戸、白子地区と記されてあった。やはりコワタの名は全く現われない。三角点ピークの気配すら道標に無いと謂うのが不気味にさえ感じる。

などと思っていたら、手製の、小さな板に手書きで記された案内が、木に打ち付けられている。其れに拠ると、350mピークは深沢山東峰、そして三角点ピークは深沢山西峰、そう記されていた。双耳峰と謂う訳である。一体、何が本当のことなのか、全く解らない。訳の解らない儘、徐々に藪に覆われた痩せ尾根のコルに向かって歩いて行く。登り返す直前に、白子方面の、古びて朽ち果てた道標が現われたが、其の方角に道は無かった。程なく、三角点の在る、狭くて草木が繁茂する地点に到達した。313.4mピークに、先程のような立派な山名標は無く、やはり手製の、深沢山西峰と書かれた板が木に釘で打ってあった。鬱蒼とした周囲を眺めるが、踏跡はおろか、派生する尾根を判別することすら困難な様相だった。古エアリアに書かれているコワタとは、やはり深沢山東峰のことなのだろうか。そして、此処は果たして何処なのか。深沢山西峰と謂う名前を、私は受け入れることができないような、そんな気がしていた。

Yugate5

水晶山への分岐に戻り、尾根から急激に降りていく道に入った。降りてしまえば、後は緩やかな尾根の道になる。送電線の巡視路を示す指標も散見するようになり、其の途上に、等高線が囲んである広い箇所が水晶山で、例の立派な山名標が無ければ、全く山頂だとは判らない場所に見えた。樹林帯の密度は薄くなり、正面に愛宕山の膨らんだ形が、垣間見える。やがて山腹に到達して、其処にぽつんと、小さな鉄塔が立っていて、最後の登りが始まった。御丁寧にも、愛宕神社を経て長念寺、と謂う手書きの札が木に貼り付けてあった。篤志家の親切なのか、訳知り顔の輩に拠る御節介なのか、私には解読の術が無い。

愛宕山の頂上には、小さな社と、古びた鳥居が、午後の眩い陽射しを浴びて建っていた。北面の薄暗い道を登りきって、漸く明るい山頂から、見事に開けた眺望を味わった。武州街道を走るトラックの騒音の余韻が流れ、西武電車の、轍を鉄路に刻む音が、長閑に聞こえてくる。麓はもう直ぐ其処に在るのだった。

下山の道をひと息で駆け抜け、巨大な鉄塔が立つ、果樹畑が広がる場所に出た。芒が陽光に反射して輝き、柔らかな風にたなびいている。なかなか雰囲気の良い処だねえと、kz氏が呟く。ユガテよりも感じがいいじゃないですか、と私も応える。其れも僥倖である。ふたりは笑いながら、眩くて暖かい、里山の麓への道を、ふたたび歩き始めていた。

付記

下山後、「山と高原地図22 奥武蔵・秩父」を確認した。最新のエアリアマップでは、虎秀の尾根道も、スカリ山も、土山から長念寺への道も、実線破線の違いはあるが、ちゃんと記されてあった。気になるコワタだが、350mピークに「深沢山(コワタ)」と有り、313.4mピークへの道は記されていなかった。コワタの謎は、いにしえの資料による調査が必要だと考えられる。kz氏の考察に期待する所以である。

kz氏の透徹な登山記録が読めるサイト。

「悠遊趣味」
http://yuyusyumi.hobby-web.net/

ユガテ・スカリ山・深沢山(中編其の弐・不可解なる土山の峰)

Tsuchiyama




2012/12/1

東吾野駅(7:30)---吾那神社---雨乞塚---橋本山---ユガテ---エビガ坂---スカリ山---沢山峠---深沢山東峰---深沢山西峰---水晶山---愛宕山---武蔵横手駅(15:00)

冷たい雨は、樹林帯に入って程なく回避できた。東西に伸びるスカリ山の地勢に逆らうことも無く、明瞭な登山道を下っていった。併行して近づいてくる、奥武蔵グリーンラインの舗道を見て、漸く人心地が付いた気分だった。降りた箇所に在る樹木にも、やはり手製の、スカリ山入口と謂うプレートが打ち付けてあった。だからスカリ山は、グリーンラインの途上から容易に登ることができる、眺望のよい山であった、という結論になる。

次の目標であるコワタへと南下する為に辿る進路は、登山地図の上では、北向地蔵へと向かい、土山へと下るのが定石になる。其の方角を見ると、濡れた歩道は大きく左へ向かってカーブするような気配だった。つまり正面には道路に立ちはだかる山塊がある。よく見ると、カーブの手前の右手に、薄暗く、か細い道らしきものが窺えた。

「せっかく俺と歩いているんだから、此処に入ってみようか」kz氏が、随分頼もしそうに云う。小雨の降る舗道から、我々は山の斜面に沿って続く踏後を歩き始めた。

岩肌が露出するトラバース道で、やや傾いた不安定な踏跡だったが、其れも直ぐに終わり、深い谷が広がる植林帯に出た。左に北向地蔵からの登山道が窺えるが、併行した尾根の上に乗った儘、少し鬱蒼とした微かな踏跡を辿る。小さなピークが有る筈だが、気づかない儘進んだ。獣の糞が散見し始めて、少し慄くが、間もなく正規の登山道が横切る箇所に出た。其処は小さなジャンクションになっていて、登山客が数人、休憩していた。どうもどうもと、全く道の無い北方の樹林から現われた不審な我々は彼等に挨拶をしたのだが、年配のハイカーたちは、あからさまに怪訝そうに、会釈しただけだった。

ちょっとした峠のような雰囲気の、四辻ならぬ三辻に在る樹木には、赤いテープがぐるりと巻かれており、其処に手書きで、指標が記されていた。関ノ入尾根で見覚えのある、親切なようで、そうでないような、方角を感知するのに戸惑うサインである。横断している登山道を其の儘横切り、土山方面に南下する方向には、山道、そして小さく土山、深沢山と書いてあった。右はユガテ、左は北向地蔵、そして直進は山道、であるから、我々の行くべき道の辺境ぶりが想像できる。

国土地理院製二万五千分の一地図「飯能」に、土山と縦書きで記されている辺りは、三方向に尾根が伸びる、緩やかな小ピークの在る山塊である。我々は、北面の細長く伸びる尾根を、登り始めた。小さくてもピークなので、頂上の手前では直登する。唐突に、落ち着きかけていた天候が変わり始めた。冷たい風が吹き始め、雨か、と思ったら、手応えのある氷の粒が頬に当たった。其れは雪だった。樹林から垣間見える、北西方向の山並みを見上げた。雪が横殴りに吹き荒れていた。ふたたび上着のフードを被りながら、390mピークに登り詰めた。小さなケルンと云ったら申し訳ないような、石の重ねてある塊と、木片に手書きで、土山の峰、と記されたものが、木の杭に釘で打ってあった。

見るからにイリーガルな雰囲気の漂う木片である。土山の峰とは、勿論地図には載っていない。土山の峰。修飾語の文節で構成されている処も安易である。虎秀地区の立派な山名票を思い出すと、何処の誰かも判らない者が、勝手に指導標や山名を規定しているのではないかと、疑念が湧いてきてしまう。kz氏は、おお、土山の峰にやってきました、と、動画を記録するデジタルカメラに向かって喋っていた。

所謂ひとつの土山の峰を緩やかに下り始める。明瞭な道が真直ぐに伸びていた。程なく、道が二手に分岐していた。相変わらずの赤テープが木に巻きつけてある。左に分かれる道に、沢山峠、と記してあった。ふたりは暫し立ち止まった。直進の方向には何も指標が記されていなかったが、道は堂々とした広いもので、尾根の続く道であった。我々は、特に疑問を持たず、赤テープを無視して、直進した。そうして、急激に下って行った先で、尾根上の道は途切れ、またもや左に直角に、尾根から降りていく道が続いていた。

雪は既に止んでおり、周囲は冬らしい鉛色の空に包まれて、陰鬱な光景になった。我々は既に、地図を凝視して吟味しつつ歩く態度から大きく逸脱していた。尾根は続いているが、其の先は藪状に枯れ枝や草木が繁茂していた。しかし、其れ等を越えると、枯葉の敷き詰めた、穏やかな道が続いているようにも見える。其れで、左手に向かう踏跡には構わず、直進することにした。

枯れ枝を掻き分けて、明るさが戻ってきた。もう踏跡はない、静かな尾根の上を、我々は軽快な足取りで、降下していった。

ユガテ・スカリ山・深沢山(中編)

Yugatesukari



2012/12/1

Yugate3


東吾野駅(7:30)---吾那神社---雨乞塚---橋本山---ユガテ---エビガ坂---スカリ山---沢山峠---深沢山東峰---深沢山西峰---水晶山---愛宕山---武蔵横手駅(15:00)

虎秀やまめクラブにより整備された「飛脚道」が、新田からの正規ルートに合流した。其処は四辻になっていて、方角通り右折して暫く歩くと、畑の広がる明るい場所に出た。漸くユガテに到着した模様である。畑は鳥獣害防止や、単に敷地区分の意味だろうか、縦横に網が張ってあり、遠くには立派な民家が建っているのが見える。

「ユガテって、こんな処ですか」私は失望を隠すことができない。
「春の、桃の花が咲く頃がいいんだよ」kz氏がユガテを庇うように釈明する。
「其れで、桃源郷っていう訳ですか」少し、嫌味な感じを漂わせつつ、私は嘆息しながら呟いた。

ちょっと期待し過ぎたんじゃないの、と云ってkz氏は笑った。私も、字面の通りに桃源郷を想像した訳ではないが、ユガテは、あまりにも人工的な物体が散見しているし、巨大な高圧送電線の鉄塔が聳えるように立っている。「山上の桃源郷」とは、誇大広告も甚だしい、と謂うのが率直な感想であった。

Yugate2

ユガテの、希少な民家の敷地内を抜けて、崖の上の舗装路に出た。其れを横断して、山肌に沿う道に進入する。暫くして、ふたたび林道に出たが、また横断して山道に入り、緩やかなトラバース道を歩く。一般的なハイキングコースである。樹林帯の薄暗い道を歩き続けて、ひとつの尾根にぶつかるようにして乗り上げた。其処からは徐々に勾配を上げていく。今回のカタカナ山巡りに相応しい、エビガ坂迄はもう直ぐ其処である。エビガ坂は、と、kz氏が云う。薄暗い処にあるんだよね、と呟く。暗に、凡庸な処だから余り期待しないように、と謂う意味だろうと受け止めた。勾配が更に増したような気がした。そして、唐突に、登っている途上に指導標が現われ、エビガ坂と書いてあった。

ガイドブックにも小さくない表記で案内されているエビガ坂が、まさかこんなに中途半端な場所にあるとは。期待はしてなかったが、想像以上に詰まらない処である。そんな私の心中を見透かしたかのように、詰まんないでしょ、と、kz氏が笑いながら云った。少し離れた場所に、廃道らしき分岐があり、其処を指し示しながら、一応峠道のようにはなっているんだよ、kz氏がエビガ坂になり代わって弁明する。鎌北湖の毛呂山町、そして吾野、つまりは飯能との境界、分水嶺のような重要な位置にエビガ坂が在ると謂うことはなんとなく判る。エビガ坂にしたところで、私に詰まらないと云われても困るだろう。

進路を東に、鎌北湖方面に下ると、隆々と盛り上がっている尾根にぶつかる。鎌北湖への道は此処から直角に北へと方角を変えるが、我々が目指す処のスカリ山は、まさに此の尾根を、其の儘東へと登り詰めた処にある筈である。分岐に近づくにつれて、なんだか道がありそうに見えるな、と、kz氏が不安そうに云う。スカリ山と謂う札が掛かってます、と、分岐点に在る樹木に括り付けられた木片を見て、私も愕然とした思いで応える。道が在って道標もあって、何か困ったことがあるのかと、此の辺りは常識的に云えば奇妙な会話となってしまうが、我々の心境としては、スカリ山よ、お前もか、お前も手垢に塗れた山なのか、と、そんな気分なのである。なあんだあ、と、kz氏の慨嘆のような叫びが、虚しく響く。

とは謂うものの、スカリ山に踏跡が明瞭に在ったからと謂って、私自身は別段無念の念に駆られている訳では無い。しかし、道無き道の藪を漕ぎながら山を歩くのが好きなkz氏を誘ったにも係わらず、此れはと提案したユガテ迄の道は予想に反して整備されていたので、スカリ山と謂う無名の山に、此れで挽回できるかも知れない、と淡い期待を抱いていたのも否めない事実であった。詰まらなそうにしているkz氏に、やや肩身が狭い思いをしながら、私は飄々と、尾根を登り始めた。途中、鎌北方面が遠く望める箇所も在り、あっ、いい眺めが、とか、向こうは青空が見えてますよ、などと、気分を盛り上げるために、私は努めて前向きなことをkz氏に向かって云う。

地形図の等高線を見る限りでは、最初の急登が済めば、あとはなだらかな登りで登頂するのかと思っていた。しかし、実際は露岩の平坦の道の後に、多少のアップダウンが在り、簡単には到達しない。途中、山頂を捲く道も作られていて、山頂直下は険しい傾斜も在った。ひと登りで、435.1m、スカリ山の頂上に到達した。北面に開けた眺望が心地よい、こじんまりとした場所である。興覚めなことに、先客がひとり、のんびりと食事を摂っている。勿論先方も同じ気持ちであろうことは想像に難くない。軽く会釈をしただけで、会話も無い儘、我々も昼食の休憩を此処で過ごすことにした。

私はジェットボイルを組み立て、プラティパスの水を注ぎ、湯を沸し始めた。予め用意しておいたふたつのカップ麺の、ひとつをkz氏に差し出す。今朝の遅刻の、ささやかなお詫びで御座います、と、無礼なくらいの慇懃な口調で云う。kz氏は軽くのけぞり、まさか遅刻したから買ってきたの、と恐る恐る訊ねる。

「遅刻しているのにそんな余裕はありません。此れは当初から考えてのことです。謂わば見返りを求めない、無償の愛情と云っていいでしょう。しかし遅刻してしまったので、此れで勘弁してね、と謂う感じになってしまいましたなあ」

煙草を燻らせて、曖昧な色に広がる奥武蔵の空を見上げながら、呟くように、私は云った。

kz氏は、きょとんとした表情の儘である。ジェットボイルは瞬く間に熱湯を作り、我々は、黙々とカップ麺を啜る。いやああったまるねえ、と、kz氏が喜んで呉れたのはいいのだが、スカリ山の上空は、みるみるうちに鉛色に変わり、冷たい風が強く吹き始めた。不穏な気候の変化に、慌てて食事を済ませ、手早く撤収を始めた。

ふたりがザックを背負った頃には、雨粒が硬い音を立てて降り始めた。此れは雹だ、とkz氏が叫ぶ。瞬く間に其の勢いは増してきて、被ったフードの脳天に、ぱらぱらと氷の粒が打ち付けてくるのが感じられる。我々は、逃げるようにして、スカリ山の頂上から、去っていったのだった。

ユガテ・スカリ山・深沢山(前編)

Kosyu


2012/12/1

Yugate1


東吾野駅(7:30)---吾那神社---雨乞塚---橋本山---ユガテ---エビガ坂---スカリ山---沢山峠---深沢山東峰---深沢山西峰---水晶山---愛宕山---武蔵横手駅(15:00)

早朝の西武新宿線某駅に着いたが、予定していた電車に乗り遅れた。意気消沈した儘、同行者のkz氏にメールを送った。知り合って未だ二度目だというのに、待たせてしまうのは遺憾なので、出発を遅らせて貰おうと思ったからだ(勿論、充分な知人であれば待たせても構わないと謂う意味ではない)。しかし、返ってきたメールの文面は、先に行って待つ、とあったので、私はますます忸怩たる思いに駆られるのだった。飯能駅での長い待ち合わせの後、漸く発車した電車の車窓から、曇天に沈む奥武蔵の山里風景を眺める。東吾野駅に降り立つと、駅前広場のベンチにひとり、合羽を被って座っている人が居る。此れはヤバイと思いつつ、小走りにプラットホームから駅舎に向かった。果たしてお地蔵さんのように微動だにせず、駅前ベンチに蹲って座っているのがkz氏なのであった。

関ノ入尾根を歩いてから、手軽に行ける奥武蔵に関心が深まるようになった。ハイキングコースは充分に整備されている地域だが、登山地図には無い尾根歩きの道筋を発掘してみたいと謂う欲求が湧いてきていた。今回は、「外界から遮断された桃源郷」などと紹介されているユガテ集落を見てみたいが、通常の車道歩きでは詰まらない。東吾野駅から程近い吾那神社から、ユガテに向かって連なる尾根がある。此の山の上を踏破して歩いて行きたい。私は自分の、とりあえずの希望をkz氏に提案した。彼は、先程の佇まいとは思えない快活な口調で、それじゃ、ユガテに行ってからエビガ坂、其の近くに在るスカリ山に登り、南下して、此の、コワタと謂う処に行ってみよう、今日はカタカナの山に登ると謂うテーマで行きましょう、と云った。昭文社の登山地図を広げているが、よく見ると、其れは十年くらい前に発行された、未だ「エアリアマップ」の表記がある「奥武蔵・秩父」だった。

斯く云う私にしたところで、昭文社の登山地図は用意しておらず、二万五千分の一地形図「飯能」しか携行していない。スカリ山とは北向地蔵とユガテの中間の処にある、435.1mのピークのことのようだった。コワタは深沢地区、白子地区に挟まれた313.4mピークのことだろうか。古エアリアには、スカリ山もコワタも、赤い破線すら引かれていないでぽつんと山名だけが記されている。私に異論がある筈もなく、カタカナ山を廻るコースに決定した。

そう謂う訳で、駅前から国道299号に出たのだが、kz氏は吾那神社の在る右手には向かわず、正面の駐在所に向かって歩いていく。窓の外から中を窺っている彼に、何してるんですか、と、私は怪訝さを隠せずに声を掛ける。駐在所に置いてある住宅地図を見たいんだよ、あれは思いがけない道が見つかったりして、便利なんだ、と謂う答えが返ってきた。私は、見知らぬ町にやってきた、飛び込み営業のセールスマンの手下になったような気分がしてきたのだった。

駐在所は留守のようで、扉は施錠してあったから、諦めるしかないのだが、大抵は無人でも自由に入れるのになあ、と、kz氏は不服の態度をを隠さない。我々は、吾那神社の廃れた石段を登って行った。其の階段は裏手に在るもののようで、神社自体は立派な造りであり、清廉な佇まいであった。そして、橋本山、ユガテ方面への、立派な指導標が立っていたから、尾根筋のルートは、人為的に整備されていると謂うことになる。私は軽く拍子抜けをしたが、kz氏は、なあんだ、と、かなりのオーバーアクションである。道なき道を探索しての山登りを追及する彼としては、詰まらないことこの上ない成り行きだろうと思われた。私は、何だか自分の所為みたいな、申し訳ない気持ちになる。

其れでも、気を取り直して、神社の裏手に廻り、山肌に取り付いていく。斜面をトラバースして、緩やかに登るように、道は整備されている。東吾野駅を見下ろす、展望の良い山道になった。朝の空気が漂う曇天の風景を眺めながら、kz氏は対岸に見える天覚山を指して、尾根筋を教えてくれる。地図を見てからの山座同定の判断が速やかで、感心してしまう。ジグザグに登り詰め、北に真直ぐに山道が伸び始めた。トラバース道から尾根に乗った時など、アクションが変わる時には必ず立ち止まって地形図を凝視して、自分の居場所を確認する。そうすると、何の変哲も無い樹林や遠くの山なみが、興味深く脳裏に刻まれてくるような気がする。読図を心掛けるようになってから、私は山歩きを急がなくなった。しかし、kz氏は、更に輪を掛けての読図家であって、私の遥か後方を歩いている。其処から見えている山や道標、作業道が分岐していたら其の状況などを、克明にメモして、写真を撮ったりしている。私の、地形図を見て位置確認するだけの作業は緩慢なので、kz氏は程なく追いついてくる。ふたりのバイオリズムは、軌道は違うのだけれども、同じような流れを描いているような、そんな気がした。

最初のピークである270mを越えて、送電鉄塔が現われた。ひとつひとつのポイントが、確認作業と謂う愉しみになる。送電線が延びる東方に、ふたつの山が見えた。あの高い方の山が、帰りに寄るコワタだねと、kz氏が云う。私は律儀に、地形図にコンパスを当てて、山座同定を行なった。そうしたら、コワタは、もうひとつの低い方の山のように見えたので、そう進言した。果たして其れが正解であったため、私は鼻が高い。そう云えば、知り合って最初にふたりで歩いた、景信山東尾根を下りた時に、私の地形図に磁北線が引いているのを見て、kz氏が、磁北線は必要ないよ、と云っていたのを思い出した。

「やはり、磁北線は必要だと実感できましたな」
「うーむ……ちょっと当たっただけで、天狗になってるなあ」

しばしの沈黙の後、我々は気を取り直して、ふたたび鉄塔から歩き始めた。ひとつのピークを越えたので、鞍部へと下り始める。降りきった処で、左手から山道が合流した。手製の立派な指導標に、福徳寺と記してあった。年配の単独ハイカーが、其の方向から歩いて来るのが見えた。指導標には、虎秀やまめクラブ謹製のサインがあった。地元の老人クラブのような団体だろうか。丁寧な仕事である。(後日、此の森林ボランティア団体が、「飛脚道」と命名された、福徳寺からユガテ迄のルートを開拓整備したと謂う事実を知ることになる)

登り返す道は緩やかで、徐々に北西方向に山道は進むが、小さな瘤に攀じ登ったら、登山道が西の方向に延びていた。地形図にある270mの小ピークに向かっているものと見て、寄り道をすることにした。途中、倒木を潜ったりしながら、広々とした場所に着いた。其処が目的の場所で、予想以上に立派な山名標が在り、雨乞塚と記されていた。隠れた名所なのかなと、kz氏は云うが、山名票はあまりにも堂々としたものである。引き返し、くだんの瘤から道なりに下ると、やがて元から歩いて来た道と合流し、やまめクラブの指導標が、ちゃんと設置されていた。別に隠れた名所と謂う訳じゃないなあ、kz氏の独り言が樹林帯の中に虚しく響く。私は相変わらず、彼が詰まらなさそうに思っている状況に、居た堪れない気分になってしまうが、其の言葉の響きにしては、然程詰まらなさそうでもないようだ。

次のピークは、此のコースの核心部とも謂える、321m地点である。核心部と断じる根拠は、地形図に唯一、標高が記されているピークだからである。等高線の幅もやや狭まっており、実際歩いてみても、急なジグザグの登りになった。途中で、橋本山への指導標が在り、男坂と女坂と謂う名で分岐していた。では折角なので二手に分かれて登りましょう、と云うことになった。kz氏はどちらでもよいと云うので、私は自分の希望で、男坂を行くことになった。

男坂は直登で、此迄の茫洋とした樹林帯歩きに飽きてきた身にとっては、心地の良い傾斜だった。息つく間もなく登り詰めると、風景が広がった。321mピークには、相変わらず立派な山名標が設えてあり、橋本山の名前が記されていた。風景は西の方向に開けており、相変わらずの曇天だが、久しぶりの開放感を味わうことができた。ザックを下ろして、煙草に火を点ける。未だユガテへの道は半ばなのに、想定以上の充足感である。地形を意思的に理解しながらの山歩きは、全く飽きることが無かった。女坂経由のkz氏は、なかなかやって来ない。恐らく、いろんな箇所で洞察力を駆使し、記録しながら、登ってきているのだろう。私は、暫しの間、ぼんやりと、紫煙を燻らせて、彼の到着を待つことにしたのだった。

断章的に。塔ノ岳・尊仏山荘前に『東丹沢登山詳細図』を届ける。

2012/10/27

大倉(8:30)---大倉尾根---花立小屋---塔ノ岳---金冷やし---堀山の家---大倉(18:30)

Tanzawa1

『東丹沢登山詳細図』が目出度く完成、発売したので、其の記念即売会を塔ノ岳、尊仏山荘で行なうことになった。そんなわけで、世話人、守屋二郎氏から、商品の地図を運ぶのを手伝ってほしいと云うメールが届いたので、当然合点だとばかりに受託したのだが、送られてきた商品は其れ程の荷物ではなくて、全く拍子抜けしてしまった。澁澤駅で待ち合わせたMNさんに、一応手分けして運ぶと云っていたから、半分を渡したら、詳細図の束はすっかり軽くなってしまった。

大倉尾根から実直に塔ノ岳を目指すので、無味乾燥な行程になるかと思われたが、神奈川在住なのに大倉尾根は初めて登るというMNさんに気を遣ってしまい、ゆっくりと登っていった。そうすると、勝手を知っている私は、いろいろ説明をしたり、知ったかぶりの解説をしてしまう。そうすると、単独行のおじいさんが話しかけてきて、昔の丹沢はこうだった、みたいな話に展開していったりする。商店街の通りみたいに人が行き交う大倉尾根ならではの風景である。完全に行楽客となって、随分時間をかけてしまい、塔ノ岳迄四時間も掛かってしまった。『東丹沢登山詳細図』は順調に売れていて、我々の運んできた補充分の商品も、殆どが捌けたようで、喜ばしい限りである。

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踏査隊のメンバーのC氏に初めて会う。植物を撮影しながら山歩きを行なうブログを書いており、詳細図の踏査では最も機動的に活躍している人である。彼のバックパックは、前から気になって居たウルトラ・ライト志向のブランド製品だったので、そんな話題でおずおずと会話をする。ウェアの類も古色蒼然とした詳細図踏査隊員らしからぬハイカラなスタイルである(と、此処迄書いてハタと気づいたが、世話人氏夫妻も、別に古色蒼然としている訳ではなく、充分に洒落ている。古色蒼然は、守屋益男氏以下岡山部隊のイメージかもしれない)。

C氏は、デジタル一眼レフの、かなり最新式の機材を携行しているので、更に驚いてしまう。私は精密機器の取り扱いに対して臆病で、霧の降る山の中に高級カメラを持っていくということができない。そんなとりとめのない会話をしながら、尊仏山荘前で随分長い時間を過ごしたのだが、予想以上に寒さが堪えて、辛くなってきた。午後三時には殆ど客もいなくなったので、世話人守屋氏夫妻と、サポートメンバー三名で大倉に下山する。

Tanzawa2

途中、詳細図を販売してくれることになった堀山の家に、挨拶するために立ち寄った。此処で想定外の歓待を受けたために、堀山を出発した頃には、陽が暮れかける時刻になってしまった。三ノ塔に、月が昇った。駒止茶屋を過ぎたら、とっぷりと暮れてしまった。ヘッ電を頼りに、見晴茶屋迄の急な下りを慎重に歩く。見るからに高性能な風のC氏のLEDヘッ電がとても明るく、私の其れと比べて歴然とした差があるのを感じて、内心で臍を噛む。其のうち買わねばと決意する。

途中、ライトを持ってない儘立ち往生していた夫婦を救援したりするが、他にもヘッドライトを持たずに急ぎ早で下って行く無謀な人も少なくなかった。

付記

『東丹沢登山詳細図』販売取り扱い店一覧

http://mordred1114.blog.fc2.com/blog-entry-78.html

C氏のblog

http://cashila2.exblog.jp/

追記

2012年11月の山歩き。

2012/11/04

猿橋(10:30)---市営グラウンド---907mピーク手前のコル---百蔵山---宮谷分岐---大久保山---扇山---大久保のコル---梨ノ木平---鳥沢駅(16:30)

2012/11/10

高尾駅(8:30)---小仏バス停---小仏峠---水平古道---景信山---景信山東尾根---478ピーク---裏高尾---高尾駅(16:00)

2012/11/24
大倉(7:30)---西沢林道---二俣---後沢乗越---栗ノ木洞---擽山---県民の森---西沢林道---大倉(13:30)

長英新道から燧ケ岳(後編)

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2012/10/20

尾瀬沼ヒュッテ(3:00)---長英新道---ミノブチ岳---俎嵓---柴安嵓---ナデッ窪---沼尻---尾瀬沼ヒュッテ---三平峠---一ノ瀬---大清水(15:00)

Oze5

忍ぶように、足元を確かめながら、歩を進める。長蔵小屋の真黒い棟の傍らを通過して、木道になった。周囲は暗黒なのだが、其れでも果てしなく広がる風景が、徐々に網膜へ映し出されてきた。空は、まるで巨大なイルミネーションの如く、満天の星が散りばめられている。こんな星空を見たのは、果たして何十年ぶりだろう。尾瀬沼と、其処にせり出している湿原の地との境界は、定かではない。闇の中に、ただ広がりだけが続いているのである。ふと、遠くの空へと、視線が移動した。ひと際輝く光芒が、地平線に降下していった。オリオン座流星群の欠片なのであろうか。

尾瀬沼ヒュッテのテント場に幕営した我々は、其の儘装備を基地に置いて、軽装で燧ケ岳に登攀するため、午前三時に出発した。今日の夕刻に大清水を出発するバスに乗車するために、逆算した時刻だった。ヘッドライトが照らす足元の木道は、凍ってはいないが、冷たそうに湿っている。あまりにも超自然的に輝く星空と、遠近感の無い暗黒の周囲の広がりの中で、前方を歩くMが照らすライトの光がぽつねんと、揺らめいている。其の光景は、まるで現実感が無かった。

大江湿原、と記された道標が在る処で、木道は分岐していた。此処が登山口である長英新道に向かう、沼尻方面への分岐だろうと思うが、大江湿原方向にしか道標は無く、北西に向かう分岐道への指導標は無かった。昼間なら何の疑問も無く左折するところだが、周囲は真暗なので、我々は暫く其処で地図を広げて逡巡していた。視界を遮断されると、自分の居る場所が何処なのか、完全に自信が持てない。そうは云っても、まあこっちだろう。Mがそう云って敢然と歩き出す。私は、少し臆しながらも、彼の後に続いた。

湿原を渡り、樹林帯に進入すると、遂に星空の明かりとも決別しなければならなかったので、私は、ますます心細い気持ちに襲われた。小高い森林の隆起する処をパスして下ると、ふたたび湖畔に出た。大入洲半島の付け根に差し掛かったようだ。唐突に、燧ケ岳への登山道の道標が現われた。長英新道の方向を見ると、其処はただ漆黒の闇だった。

ひたすらに、前方を照らす光に道を確認して、歩き続ける。緩やかな尾根を捲くようにして、湿った木の根に注意しながら、進んでいった。所々に、小規模な沢が横断していて、場所によっては、涸れた沢を登山道と錯覚してしまいそうになる。前を歩くMが、遂に其の失策を犯したので、途中から私が先頭に交代した。

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沼と湿原を取り巻く、連綿と続く山塊に取り付き、其の尾根筋に忠実に、迂回するように徐々に、燧ケ岳の峻険へと辿る長英新道。此の、歩きやすい傾斜を選んで作られた道は、恐らく昼間でも鬱蒼とした樹林帯の道なのだろうと思われる。暗中に歩いている今は、木々の合間に、物の怪の気配すら感じ取れそうなほどだ。夜露に濡れた草叢の匂いを鼻腔に感じる。

緩やかに旋回するように、西に舵を切っていく。徐々に登攀の道を傾斜が構成するようになった。暗闇の中での緊張感もあって、疲労感が堆積してきた。何度目かの折り返しながらの登りを終えたところで、空が白んできたのに気づいた。振り返り、木々の合間に見える山々の陰影が判別できる程になった。夜が明ける。我々は声にならない安堵感に満たされていった。

地図に急坂と記されている、標高2000m手前からの道に差し掛かり、いよいよ俎嵓の片鱗が見えてきた。階段状の登りをこなすと、此れ迄の鬱屈とした道程から解き放たれたように、空が広がった。振り返って見下ろすと、尾瀬沼が霧のヴェールを纏っている。壮大な要塞のように、山脈が朝陽のシルエットになって、連なっている。日光白根山の、独特な山容が、堂々と聳えている。其の輪郭は、太陽の光が増すに連れて、全景の中でのコントラストを強めていく。

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広々としたピークに登り詰めて、其処がミノブチ岳だった。尾瀬沼は徐々に霧の纏を薄めつつあった。朝陽は強烈に射し込み、燧ケ岳のひとつの雄、俎嵓の真正面を照らしている。尾瀬から見ると、前衛に当たる赤ナグレ岳が聳えている。風が強いが、快晴の空から降り注ぐ陽光は、心地よいものだった。ミノブチ岳の南北に広い頂上を北に進み、引き続き俎嵓へと進路を取る。谷の向こうの赤ナグレ岳が近づいてくると、ナデッ窪からの登攀路と合流した。

赤ナグレ山へと伸びる隆起した山塊を左に眺めながら、岩の多くなった道が傾斜を強くしていく。噴火口の有る御池岳の位置が解らない儘、喘ぎながら登る。やがて、隠れていた芝安嵓の端整な山容が出現した。北アルプス、岳沢から登った重太郎新道の記憶と感触が、私の中には未だ生々しく息づいている。岩場の峻険な登りは懐かしく、私に気力を奮い起こさせて呉れた。足場の選択と判断は迷いが無かった。そして、燧ケ岳の一方の頂点、三角点の在る俎嵓へ登頂した。

祠の在る頂上から全方位の眺望が可能になった。日光連山も既に見下ろす位置に連なっている。遥か水平線の雲の上から、富士山の白い頭が浮かぶ。彼方に、日本アルプスの怜悧な白銀の威容が確認できる。視界を遮るものは無かった。越後三山から連綿と連なる山脈は、紅葉に燃えていた。冷たく強い風に打たれながら、私は茫然と、案山子のように、突っ立っていた。

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程なく、御池方面から、登山者の影が次々と現われた。山頂は徐々に、賑やかになっていった。俎嵓から眺める芝安嵓と、其の途上に在る這松に覆われた鞍部が、箱庭のジオラマのように見える。其処に向かって下りていく。俎嵓の影が、芝安嵓と鞍部の一部を明瞭に覆っていた。山を下りていく自分の影法師が、ひと足早く芝安嵓を駆け登っていく。俎嵓で時が流れている間に、多くの人々が芝安嵓に向かって登り始めていたようだった。笹藪を抜けた処に在る鞍部は木道が渡されてあって、周囲は不毛の平地だった。こんな場所で幕営したらさぞかし気持ちがよいだろう、突風で飛ばされてしまうんじゃないか、這松の近くだったら大丈夫だろう、そんな他愛も無い会話をした。

ふたたび、屹立した芝安嵓への、傾斜に忠実な、そして直截的な急登が始まった。巨大な露岩を横目に、最後のひと登りで、燧ケ岳の最高地点である芝安嵓に登頂した。こちらには立派な山名標が立っており、人々は其の周囲で記念撮影に余念が無い。山頂の広がりの、其の突端に立って、尾瀬ヶ原の全景を眺めた。湿原は冬枯れた色で覆われていて、正面に至仏山が対峙している。初めて訪れた尾瀬だったが、此の湿原を歩かないで帰るのが、なんとなく惜しいような気になった。至仏山の向こうに浮かぶ、谷川連峰や三国山脈の、永遠に続くかのような景色。あの向こうに、何処迄も歩き続けて行けたら。私は陶然とした儘だった。そして、友人が、そろそろ下りよう、と声を掛けてくるまで、私はいつ迄も、夢を見ているような気分で、立ち尽くしていた。

長英新道から燧ケ岳(前編)

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2012/10/19

大清水(12:00)---一ノ瀬---三平峠---尾瀬沼山荘---尾瀬沼ヒュッテ(15:30)

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もともと少なかった乗客の、殆どが戸倉温泉で下車したので、バスの車内は愈々閑散となった。車窓から見る、眼下の谷は険しくなり、人里はすっかり消え失せてしまった。沼田街道の、戸倉から大清水への最末端区間は、もうすぐ冬季の通行止め期間に入るのだ。私と友人のMは、新宿から大清水へ直行する高速バスの車中に居る。此のバスも、あと二日で今シーズンの運行を終了してしまう。

尾瀬に対する憧憬は随分永らく抱いてきたが、なにしろ尾瀬である。自然景勝地の極みである。膨大な観光客の群れが押し寄せるイメージが常に脳裏をよぎる。其れ等を掻き分けて、至仏山や燧ケ岳への登山口に立つのは、想像するだけで疲弊する。其れで敬遠していたのであるが、昨今は事情が変わってきた。

東日本大震災の被害は、福島県を一変させた。原子力発電所が爆発し崩壊すると謂う致命的な事故は、福島県と謂う場所自体の印象を暗澹たるものにさせてしまった。農産物や海産物は忌避され、呼吸をすれば被曝すると云う印象によって、訪れる観光客も激減した。福島県は広大であり、都道府県全体でも、其の面積の大きさは第三位、と謂うのは小学生でも周知の事実である。爆心地の浜通り、そして中枢都市が在る中通りに対して、戒厳的注意を払わなければいけないのは、此れは仕様の無い事実である。しかし、隔絶された山間部の会津地方に於いても、其の、汚染された土地、のイメージは拭うことができない儘のようである。同じ県に属しているが、福島第一原発から会津地方への距離は、東北の最大都市仙台市との距離と遜色が無い。しかも山に隔てられた其の風土は、最早裏日本の世界の其れなのにである。

福島県と群馬県の境界に在る尾瀬も、訪れる人の数は激減したと云う。原発ひとつで、あの、尾瀬の静謐な権威は崩壊したのだ。つまらないものに、人間は依存してきたものだと、つくづく思うし、自然を蹂躙した報いは、自然の中では最もひ弱な人間が、真っ先に淘汰されていく、そんな形で返ってくるのだと思う。

皮肉な現実だが、尾瀬が観光客の坩堝と謂う感じではなくなってきたようなので、其れでは、いよいよ燧ケ岳に登ってみようと、考えていた。考えていたら、尾瀬の秋はあっという間に終了の笛がなりそうなくらい早くて、我々は、慌てて今年最後の幕営行の準備を始めたのだった。

右手に広がる山の色は好天に映えて、端整な形で鎮座している。オモジロ山の細長い南尾根を正面から見ている故だろう。大清水からの林道を、左手の山肌を見上げるような形で歩いて行く。其処から幾つもの沢が落ちてきている。陽射しが当たると暖かいが、陰に入ると極端に冷える。身体が漸く暖まってきたなと思ったら、一ノ瀬の茶屋に到達した。軒先に巨大なシメジが置いてあって、Mが其れに興味を示してまじまじと眺めている。どうしたんだと訊くと、此れをバターソテーにしたら旨いんじゃないか、買って行こうかと思う、と云った。早くも今夜の夕餉に強い関心が向いているようである。

Oze1

そうは云いながら、Mはなかなか其れを買おうとしない。ふたたびどうしたと訊くと、値段が書いてない、と呟き逡巡している。早く尾瀬沼の風景が見たいと謂う逸る気持ちを抑えていた私は、仕方なく其のシメジを掴み、茶屋の中に入った。厨房の奥で何か作業をしていたおじさんに、此れは幾らかと訊いたら、少し間を置いて、其れは明日の為に採ってきたんだけど、と云った。私にとっては馴染みの深い東北訛りのようだったが、最初は殆ど聞き取れなかった。明日、明後日は最後の土日だから、多くの観光客を見込んで、茸汁を作るために、山で採ってきたばかりの茸を軒先で陰干しにしていたものらしい。奥さんが出てきて、説明して呉れた。おじさんが、他に採れた今日の収穫を持ってきて、ちょっと誇らしそうに見せて呉れた。私は、其れを購入するのをMに断念させて、その代わり、此処で茸汁を戴いていこうと提案した。数種類の巨大な茸がお椀に詰まった吸い物は、意外に淡白な味だった。Mは、なんとも複雑な表情で、其れを食べた。

一ノ瀬の橋を渡り、漸く林道と別れて山道に入った。尾瀬に雑草の種子を持ち込まない為に設えたマットに靴を擦り付けてから進入する。直ぐに歩行者用の木道が二列に連なって現われた。濠々と流れる沢に沿って、徐々に奥深い山懐へと歩いて行く。岩清水と謂う名の水場の先迄、緩やかに谷筋の道を辿る筈である。よく整備された道が緩やかに登り始めた頃、水場に到達した。振り返ると、秋の柔らかい光を浴びて、山々が配置されている。ベンチの周辺には、若者のグループが大勢屯しているから落ち着かない。だから直ぐに出発した。ジグザグに高度を稼ぐ登りに差し掛かった。其れも程なく終わり、尾根に乗った。暫く陽光の降り注ぐ気持ちの良い尾根歩きになったが、やがて暗い樹林帯に入った。道はふたたび二列の木道になった。

此の木道は、尾瀬の全域に渡って歩行者はどちらかを通行するのが決まりらしいが、其れが右側か左側かは忘れてしまった。其の旨をMに伝えると、そうか、其れなら左だろう、と云った。何故判るのだと訊いたら、こういうのは大体左側だろうと曖昧なことを云う。それでなんとなく左側を歩行していたが、程なく、尾瀬沼方面から帰ってくる人影が遠くに見えた。皆、右側を歩いていた。我々は素知らぬ風で、右側通行に転換した。

オモジロ山の西北に派生する尾根を緩やかに横断していく。その途上の最高地点が三平峠だった。此処迄、実際に歩いて来た距離も、そして所要時間も大したことは無い筈なのに、私の感覚は、漸く辿り着いたと謂う感慨に支配されていた。未知の、そして憧憬と共にあった尾瀬に、いよいよ近づいてきていると謂う実感に、素直に興奮していた。小休止で煙草に火を点けた。吐息が、紫煙を包み込むかのように、空気が冷えていた。

下りに差し掛かると、寒さが急な勢いで全身を覆ってくるかのようだった。防寒着を纏い、手袋を嵌める。暗く湿った山道は徐々に傾斜を厳しくさせて、降下していく。やがて木立の合間から、燧ケ岳が垣間見えてきた。木々の梢が、尾瀬沼の紺青色と混ざり合って静かに揺れている。下り切ったら、其処が湖畔で、尾瀬沼山荘の広場だった。人影は無く、湖面も、空も、決して曇っているわけではないのに、曖昧な感じの青さだった。湖畔に沿って、木道を歩く。水芭蕉の群生地も、今は冬枯れた葦が繁って、風景の彩りを淡くするのに一役買っているかのようだ。そして、燧ケ岳は茫然と、しかし泰然として、屹立していた。未だ陽は高いのに、寂寥感の漂う、湖畔の木道を、我々は、黙って歩き続けていた。

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