« 重太郎新道から前穂高岳(後編) | トップページ | 送電峠、長尾根山、五常山。関ノ入尾根を歩く。 »

加美富士の双耳峰、薬莱山に登る。

Yakurai




2012/10/6

東上野目(10:00)---やくらいスキー場---登山口---薬莱山南峰---薬莱山北峰---北面登山道---林道---やくらいゴルフ場---芋沢分岐---林道---漆沢(15:00)

Kami4

実母の生家で行なわれる法事の為に帰省することになったので、間隙を衝いて薬莱山に登ってみようと思った。市町村の大規模な合併により制定された大崎市を抜けて、果てしなく広がる水田の風景が美しい加美郡に入ると、唐突に独立峰の如く聳える端整な山が正面に見える。此れが薬莱山である。

加美郡のさらに山奥、現在は鳴瀬川を堰き止める巨大なダムが聳える漆沢という集落が、私の母の実家である。其の辺境ぶりは想像を絶し、陸の孤島と謂う喩えがよく似合う。母が中学校に通っていた頃は、町の体裁を辛うじて保っている西小野田迄、中羽前街道を二時間も歩いたと謂う。そんな昔日の情景を想像しながら、漆沢から西小野田へと歩き、薬莱山へ登ってみようかとも思ったが、親類縁者の手前、そんなにのんびりと時間を遣うのも憚られるから、従兄弟の車に乗せて貰い、東上野目へと向かった。

国道347号線から見ると、おむすびのような形の薬莱山だが、東側から眺めると、ふたつのピークを持つ双耳峰である。其の真ん中で抉れる谷から広がる斜面はスキー場として整備されており、雪の無い季節は、広々とした草原になっていて、家族連れやカップルなどの行楽客が多く訪れ、思い思いに愉しんでいる。其の傍らに赤い鳥居があり、参拝道の如く、山懐に続く道を緩やかに登って行く。其の道が突き当たり、此処から登山道、の標識が現われたから、いよいよだと、靴の紐を締め直していたら、年配の夫婦が話しかけてきた。茸狩りで採ったものを見せて、此れは毒茸かどうか判りますか、と謂うお尋ねであった。どうして私にそんな質問をするのかと面食らう。植物に詳しいような雰囲気を、私は醸し出しているのだろうか。すいません、全く解りません、と謝ると、おじさんは、少し悲しそうな顔をした。

Kami2

登山口から鬱蒼とした樹林帯に入り、暫くして、よく整備された木段が現われた。加美町に拠って整備された登山道で、御丁寧にも現在の段数、そしてあと何段、と謂うような立て札が随所に設置されている。地形図を見ると南峰から派生する急峻の尾根を直截に登れるよう、階段は設置されているのであった。其の傾斜は厳しいものだから、登っている多くの、年配者や、子供など、皆揃って苦しそうに、そこかしこで休憩を取っている。初秋の東北とは謂え、まだまだ樹林は生い茂っており、時折振り返っても、眺望は殆ど利かない。階段は標識によると全七百六段で、途中にベンチの類などは設置されていない。観光地然として整備された登山道にしては、容赦の無い実直な登りを強いられる。

南北に広がる双耳峰の南端の、標高540m地点で漸く階段は終わり、平坦な道を北西に進路を変えていくと、やがてこんもりと盛り上がったピークに登り詰め、其処が南峰だった。神社の祠があり、日当たりが良いので、草木が生い茂っている。薬莱山の頂上は、未だ夏の匂いが残っているような場所だった。右手にスキー場へと落ちていく谷筋を眺めながら、北峰へと歩いて行く。コルに差し掛かった処に、加美町の広大な水田風景、そして大崎平野を望む展望地があった。其処から直ぐの坂を上がったら、北峰の頂上である。疫病蔓延の時世に薬師如来を祀ったことが山名の由来とされる薬莱山。北峰にも祠があり、私は無為な気持ちになりながらも、合掌してみる。黙祷していると、急逝した叔父や従兄弟の思い出が脳裏に浮かぶ。そして、大震災の映像がフラッシュバックしてくる。

Kami3

暫くして、登頂してきた老人たちや子供たちの嬌声が聞こえてきた。苦しい登りの果てに辿り着いた眺望に、皆が満足気だった。老夫婦の男性と言葉を交わす。仙台から、時折薬莱山に登りに来るのだと云う。積雪の季節も、晴れていれば素晴らしいから、是非また登ってみなさいと勧められた。幼い頃見て驚いた、雪で埋もれそうな漆沢の家を思い出した。

翌日、法事を終えて、夕刻に古川駅から新幹線に乗った。夕靄に赤く染まった大崎平野が広がる車窓から、霞の上に頭を覗かせた薬莱山を見た。其の姿は、云い様の無い郷愁の念を覚えさせた。其の想念は、私をいつまでも捉えて、離さなかった。

« 重太郎新道から前穂高岳(後編) | トップページ | 送電峠、長尾根山、五常山。関ノ入尾根を歩く。 »

東北」カテゴリの記事

コメント

帰省しても山のことを忘れてないなんて~、その心意気に乾杯!
なんて読む山かわからんかったけど、やくらいでいいのかな?
薬師如来が由来なら、普通、薬師山になるんだろうけど、省略してやくらいってのがおもいしろ~い。

大崎ってなんか聞いたことあんなあと思ったら、戦国時代は、伊達家よりも栄えたことがある大崎家ゆかりの土地なわけね~。

伊達に比べたら全然マイナーだから、僕みたいな戦国マニアじゃないと知っている人少ないだろうけど。

東上野目?どどどどこなんだろ~?
魚の目なら足にあるかもだけど(笑)

前谷地で、電車を乗り過ごして、数時間待ったことを思い出しました。

そうです。やくらい山です。

薬師ではなく薬莱、確かに異質ですね。他にはあるのかどうか…検索しても出てきません。

大崎氏、そうです。まさに、兵どもが夢のあと、です。

近世以降は凋落の一途です。米のササニシキで挽回しましたが(笑)

歴史と地理の教養が乏しく、個人的な感慨だけで書いている自分が恥ずかしいです。戦国時代的歴史観に馴染めないという理由もあるのですが…。

東上野目なんて近所の人しかわからんですよね。中羽前街道ともいう国道347号線、宮城県と山形県の境を越える道です。その途上にあるんですが、地味です。

そもそも、「山と高原地図」の圏外ですから(笑)

ちなみに国境の最奥に私の親の郷里があるんですが、其処から銀山温泉への峠越えの道があって、最上海道とよばれています。いつか踏破したいと思っているのです。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1243257/48060806

この記事へのトラックバック一覧です: 加美富士の双耳峰、薬莱山に登る。:

« 重太郎新道から前穂高岳(後編) | トップページ | 送電峠、長尾根山、五常山。関ノ入尾根を歩く。 »

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

today

  • one day

twitter

  • naname's twitter
無料ブログはココログ

最近のトラックバック