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日向山、天神尾根界隈・登山詳細図踏査隊と歩く(前編)

Hinatayama_2


2012/7/18

Hinatayama




『登山詳細図』世話人氏からメールが届き、丹沢東部篇の踏査に、ふたたび参加することになった。今回は、著者の守屋益男氏が岡山から上京して、実質的には世話人氏と二人で、踏査できなかった細部のルートを探索すると謂う、落穂拾いのような作業をされているようだった。前回、全くと云っていい程役に立てず、なんとも謂えない無力感に苛まれていた私は、待ってましたとばかりに、一日だけではあるが、参加することにした。

半原の集落を過ぎ、車は俄かに高度を上げて、トンネルを越えると、快晴の宮ヶ瀬湖に飛び出した。世話人氏がナビゲーションを行ない、守屋益男氏がハンドルを握る。後部座席には、私と、前回の踏査で一緒だったMNさんが座っている。彼女は、単独で大山に登っている途上で、登山詳細図のスタッフと知り合い、意気投合して、いつしか踏査隊員になってしまったと謂う、うら若き女性である。詳しいことは判らないが、話した感じだと、登山経験は私と似たような、素人同然の徒と云って差し支えないようである。事前に彼女が参加すると謂うことは知らなかったので、途中の駅でもうひとりをピック・アップします、と世話人氏が云うから、どんな猛者がやってくるのかと想像した私は、MNさんの姿を見て、少しホッとした。

いつも小田急線の駅から丹沢を目指すしかなかった私にとって、宮ヶ瀬湖から眺める風景は新鮮だった。黍殻山あたりを指して、踏査した模様の話を世話人氏が語ってくれるから、今日はいよいよ丹沢主稜の東部に、初めて訪れることになるのかな、と、勝手な期待を抱いたが、車は速度を落とさず、やまびこ大橋は右手に過ぎ去っていった。仏果山登山口も過ぎて、宮ヶ瀬湖も尽きて、煤ヶ谷方面に向かって走っていく。何処に連れていかれるんでしょうねと、MNさんと私は、やや緊張を隠せない儘、笑って車中の人で居るばかりであった。

広沢寺温泉方面に入ると、途中で左に林道入り口のゲートがあり、其れを開けて進入し、大沢川沿いの涼しげな道を行く。やがて車が転回できるようなスペースのある処が在り、其処が今日の踏査の、出発地点だった。『東丹沢登山詳細図』に於ける、最東端の部分の未踏査部分で、此処には日向山への登山口がある。其れは昭文社の『山と高原地図』にも赤い実線で記されている道である。私とMNさんが、此処から日向山に登り、山頂から二手に分かれて、ひとりは其の儘日向薬師に降りる登山道を、日向薬師の真上にある林道迄、もうひとりは、厚木市と伊勢原市の境界線でもある稜線を辿り、途中の小ピークから、やはり日向薬師の林道に降りて、ふたたび合流する。

Hinatayama2

一方、世話人氏は、単独での踏査である。出発点から、さらに先に進み、左に伸びる林道の途中から、515mピークへと続く尾根を登り、674mの手前でふたたび大沢川に落ちていく尾根を下り、七沢弁天の森キャンプ場の奥の方に辿り着くと謂う、昭文社は勿論、地形図にも登山道の印など無いルートである。登山詳細図の面目約如と云っていいコースであるが、後日談では、地図掲載には至らない、厳しいルートであったようである。

守屋益男氏は、今日は此の踏査隊を下山地点で拾うために、車で待機することになった。隊長の高齢を勘案してと謂うことではなく、少し体調が良くないとのことであった。其れもその筈で、守屋益男氏の、此処一週間の驚くべき行動を聞いていたから、充分に納得できた。守屋益男氏は、地元岡山の山岳グループを率いて、ネパール、ランタン・リルンへのトレッキングをこなしてきたばかりだった。帰国して直ぐに上京し、7月16日に代々木公園で行なわれた、反原発デモにも参加し、此の丹沢踏査に入ったとのことであった。連日の猛暑、そして其の高齢を考えると、驚愕すべき体力と行動力である。

ロードメジャーと、ハンディGPSを借りて、私とMNさんが日向山への登山道に、踏査を開始した。私がロードメジャーを転がすことになり、実に初めて、此の実直な測距離計を手にすることになった。木段のある整備された道で、あっと云う間に、七沢からの道に合流する、375mピークから下りた鞍部に着いた。其処から、眺望の開けた尾根を登り詰めるが、此処も整備された木段の道である。出発する時、お互いに見合わせて、少し間を置いてから、私が先に歩き出す。ロードメジャーの係が先頭を行くのが決まりみたいでしたよ、と、前回の踏査で隊長の班に同行したMNさんが云った。そんな決まりは無いと思うが、見よう見まねで踏査隊を構成することになったビギナーふたりらしい感じで、おずおずと最初の目標である、日向山へと歩いた。

日向山の頂上には、平日にも係わらず、十数人の高齢者グループが談笑していた。ロードメジャーの数値を私が報告し、MNさんがメモを書き記す。そんなふたりに皆が注目しない訳も無く、何の調査かと訊かれ、登山詳細図の説明をして、ついでに宣伝も行なう。其れなら、見城も紹介してほしいなァ、と誰かが云った。見晴らしが素晴らしいよ、と勧めて呉れる。其れはくだんの鞍部から反対側に登る375mピークのことのようで、後日調べて理解したことなのであるが、其の時は、えっ、みじょう、ですか、などと、狼狽しながら場所の説明を聞いて、とりあえずメモをとった。単なるハイカーではなく、地図作成作業の調査を行なっている者にしては、どうにも頼りない奴、などと思われてないかな、などと、またどうでもいいことを考えてしまった。訊いてみると、彼らも単なる行楽客では無かった。「あつぎ観光ボランティアガイド協会」と謂う、厚木市の観光事業を支援する団体の方々であった。実際に観光ガイドを行なうための、実地検分のような活動で、今日は日向山にやってきたと云う。思いがけないことだが、日向山の頂に勢揃いした面々が、遊びで来たのではない、と謂う自負と云うか、率直な役割を背負っているというのが、何とも可笑しかった。

Hinatayama3

ところで、予定では此処、日向山から我々は二手に分かれて踏査するのだが、山頂から日向薬師方面への尾根には、ロープが渡してあり、私有地につき通行禁止、という標識が立っていた。私有地とは何ぞやと怪訝に思い、しばし黙考する。日向山の山頂には、本来の山名標とは別に、某民間会社による、「ナイスの森」山頂、と謂う奇妙な看板が立っている。私有地とは此の会社のことだろうか。あつぎ観光ボランティアガイド協会のメンバーに訊いたら、五年前くらいから、此処は通行止めになっていると謂うことだった。いずれにしても、登山詳細図に記すと謂う前提では、進入することは憚られるコースであることが判明したわけである。

指示を受けて踏査に入り、いきなり壁にぶつかった恰好であるが、他に方法も無いので、ふたりで西北に伸びる、日向山から続く山稜を歩き、途中の小ピークから分かれる筈の下山道を目指すことにした。では今度は私が、と、小さな声でMNさんがロードメジャーを手にした。私は、ではお先にどうぞ、と会釈した。MNさんは小さく微笑んで首肯し、樹林に囲まれた市境尾根の上を、軽快に歩き始めた。

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