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2012年9月

鳳凰三山・初めての南アルプス(前編)

2012/9/1

青木鉱泉(10:40)---南精進滝---五色滝---鳳凰小屋(16:20)

Photo

何処か遠くに行きたい、と謂う漠然とした願望を思慮して、行き着く処が山の中になってしまって久しい。其れでも、装備を万全にして、高山を縦走すると謂うような、計画的、或いは予定調和的なレジャーとしての登山をしようとは思っていなかった。日本アルプスの絶景には憧れるが、誰もが目指す処にバスに揺られて、誰もが写真を撮っているような有名な山頂を目指すと謂う行為が、テレビで有名になった店に行列する輩と同じ程度に堕してしまうと謂う気がして、なんとも気恥ずかしいことのように思えた。自意識過剰はもとより、根本的に鬱屈した性質なのだと、自分で自分のことを思う。南アルプスに行こうと決めてから、私は浮き足立って、そのことばかりを考えて数週間を過ごした。毎日夢想して、私は出発の日が待ち遠しかった。

地蔵岳、観音岳、薬師岳の総称である鳳凰三山に登ることになった動機は、友人Mのかねてからの希望だったことに加え、私がテント泊の登山に執心し始めたことが後押しになった恰好だ。多くの登山者は、南アルプス市側の夜叉神から出発するようだが、我々は韮崎市側の青木鉱泉から登る。此れもMがずっと前から主張してきたことで、其の理由として、山間の鄙びた鉱泉の宿に憧憬を感じており、行きでも帰りでもよいから宿泊して、湯上りの麦酒を飲みたい、と謂うような願望があるようだった。どんな望みを持とうと勝手だが、私はテントを張りながら、此迄であれば到底踏み入ることのできなかった、南アルプスの行程を歩くだけでよい。わざわざ温泉宿に金を払って泊まるつもりは毛頭無かったから、其れでもいいなら行くと、冷たいようだが実直に伝えたら、其れでもよい、とMも納得したから、我々は晴れて韮崎駅発青木鉱泉行きマイクロバスの車中の人となった。

名にし負う南アルプスの入門篇、鳳凰三山の登山口に行く土曜日のバスだから、どんな混雑が待っているかと覚悟していたのだが、マイクロバスの客は十数人で、私は全く拍子抜けしてしまった。甲州街道から山深い林道に入り、激しいバウンドを繰り返しながら、バスは淡々と走り続ける。此のバスは、乗客全員が青木鉱泉に行くことが判然としたので、途中、御座石温泉に立ち寄るのを省略し、予定より15分程早く到着した。青木鉱泉の敷地内駐車場に、夥しい数のマイカーが並んでいたから、私はやや認識を改めた。鳳凰三山の人気は、やはり疑いようが無かった。

古びた木造の、立派な青木鉱泉宿の広場で身なりを整え、地蔵岳の指標の立つ登山道に入った。小武川渓谷の広大な河川敷に沿って、堰提の工事だろうか、重機の音が五月蝿い道を歩く。途中、工事現場の都合で川を渡り、堰にぶつかると、ふたたび西側の山腹に戻り、緩やかに登る山道に入った。御座石温泉口から登る、燕頭山に連なる尾根から、幾多の支尾根が小武川渓谷に落ちて山稜を構成している。我々は燕頭山と御所山の山稜の谷間を流れる、ドンドコ沢に沿って行くルートを歩いている。遠くの頂は白い雲に覆われているが、渓谷の河川敷は、陽射しが河原に照りつけて眩しく、そして暑かった。

ドンドコ沢は、地蔵岳と燕頭山の鞍部から流れており、目指すのは其処にある鳳凰小屋である。韮崎駅に到着できる時刻の関係で登り始めが遅いから、小屋迄のコースタイム五時間半を気にしながら、大きなザックを担いで歩き続けた。テント装備で登るのも今回で三回目だが、私のパッキングが改善されてきたのか、其れとも重さ自体に慣れてきたのか、今日はすこぶる背負い心地が良いような気がする。

クレッタルムーセンHuginは、薄くて軽い材質のものなので、雨天好天に係わらず、常にレインカバーを装着している。カバーを付けていれば、休憩でザックを道の側に転がしても汚れる心配が無いし、交通機関で移動していても、ともすれば山中よりも格段に不衛生な地面にザックを置いても心の負担が少ない。そんな私のスタイルに感化されたのか、Mも今回から自慢のホグロフス製ザックに、誂えるように同社製のレインカバーを装着して登っている。其れは恐らく、百リットルくらいのものまで装着できる大きさのもののようで、後ろから彼が歩いている様を見ると、ザックが大きく膨らんで、背負っている人間の姿が殆ど隠れてしまう程だから、まるで巨大な袋が左右に揺れながら移動しているように見える。

暫く山腹に沿って歩き、左手にドンドコ沢が近づいて来て、登山道は沢に出た。大きな岩が林立する其の河原には、若い男女の団体が、思い思いに休憩と謂うか、嬌声を上げながら遊んでいた。其れ等を縫うようにして岩場を登り、ふたたび右へ旋回して、漸くジグザグに高度を上げて行く。ひと通り登ったら、延々と続くトラバース道を、ドンドコ沢に沿って歩く。樹林帯の中は涼しくて、心地よい山歩きである。ゆっくり進む我々の背後から、次々に若者のグループが近づいてくるので、頻繁に道を譲る。暫く歩くと、急に山腹の道が途切れ、水量豊かな沢に突き当たった。燕頭山の西南から伸びてくる沢が、ドンドコ沢に合流する手前の谷のような場所だった。此処にも数人の若者たちが休憩しており、我々は渡渉して先に進む。

岩場を越えるのに、Mは随分手こずっていて、後ろから見ていると、適切な足場があるのに、見つけられないでいて、無理な位置に足を掛けては苦労して歩いている。巨大な袋が岩の合間で蠢いている感じを眺めながら、私は其の後ろから、順調にルート・ファインディングをこなして歩いている。Mは以前、滝子山へ登る寂ショウ尾根の途上の岩場でも難渋し、大きな露岩で滑りそうになったことがある。そして寂ショウ尾根にはもう二度と行かない、と云っていたのを思い出した。岩場が苦手だと、此の先の沢沿いが続くルートが思いやられるなと、私は不安になった。

ふたたび山腹を捲くようにして続く道を歩くと、また薄暗い沢に辿り着いた。険しい谷から岩が突き出て、急峻から滝のように水が落ちてきている。清涼な場所なので、此処にも多くの人が休んでいる。高校生くらいの男子グループのひとりに、此れが南精進滝ですかと訊いたら、照れたように笑って、僕らも分からないんです、と云った。先程の沢が支流だと謂うことは地形図から読み取れたが、此処がドンドコ沢の途中なのかは、私も判別できなかった。いずれにしても、南精進滝で食事を兼ねた休憩をする予定でいたので、どうするか迷ったが、人が多すぎるので、とりあえず出発することにした。渡渉し、改めて捲くような道を登ると、程なく南精進滝を示す道標が現われた。其れで元気を取り戻し、我々は先に歩を進めた。やや険しい急登をこなし、唐突に視界が開けた。広大な瓦礫の谷に、豪快な滝が濠音を立てて落ちている。此れが南精進滝だった。

簡単な食事を摂りながら、見事な滝を眺めていると、徐々に賑やかな声が近づいてきた。先程の高校生が登ってきたのだった。そして、我々を見て快活に挨拶をすると同時に、南精進滝の絶景を見て、此れですか、と叫んだ。続いて仲間たちが駆け上がってきて、それぞれが、うわあ、とか、やられた、などと叫んだ。私は微笑を浮かべて、諸君、此れが滝と謂うものだね、と云った。そして皆で大笑いをして、それから、記念写真を撮った。

日向山、天神尾根界隈・登山詳細図踏査隊と歩く(後編)

Hinatayama


2012/7/18

3352


冷房の効いた車に戻ったら、謂いようのない脱力感が襲ってきた。七沢温泉を経由して、薬師林道に入り、車は先程私とMNさんが下りた、日向薬師の傍の駐車場に停車した。世話人氏が、此処からバス停のある坊中迄の距離を測ると謂うことで下車した。此れで日向薬師のバス停から日向山迄の踏査が完成すると謂う寸法である。

梅ノ木尾根の南面に張り出した尾根は、日向川に向かって落ちているが、其の、最も峻険に張り出しているのが天神尾根と呼ばれているようである。地形図を見ても、日向川が、天神尾根を迂回するように、石雲寺から浄発願寺に向かって、南に流れ、そして坊中へと注いでいる。『登山詳細図丹沢東部篇』の、本日の踏査は、其の天神尾根から梅ノ木尾根迄の測距と、梅ノ木尾根の、さらに大山へと続く稜線を測ると謂うことのようだ。

世話人氏を降ろした車は薬師林道を走り、ふたたび世話人氏を拾う為に坊中へ向かうが、途中で鬱蒼とした谷間を守屋益男氏が目ざとく発見し、車を停めた。当初の予定では、天神尾根の最も尖ってせり出した、浄発願寺手前の道路脇にある登り口から入る筈だった。しかし、其の林道の途中に在る登り口は、どうやら天神尾根へと続いているようであり、道標も確認できた。

灼熱の太陽が照りつける、日向薬師バス停の近くで車を停めて、程なく世話人氏が合流した。ふたたび林道途上の登山口に戻り、世話人氏が踏査の分担を決定した。道標は、左に天神尾根、右に梅ノ木尾根と、二通りのルートが梅ノ木尾根に向かっているようであった。此処から、天神尾根に合流する地点迄登り、天神尾根に入ったら其の儘下山する迄の短距離コースを、MNさんがひとりで踏査する。世話人氏と私は、梅ノ木尾根方面と記してある尾根を登り詰め、世話人氏は其の儘大山方面へ、私は梅ノ木尾根から分かれる天神尾根を、MNさんが下りていく地点迄を踏査し、下山する、と謂うことになった。

Tenjinbunki

車でそれぞれを拾うために残る守屋益男氏に見送られ、二手に別れて登り始めた。植林地帯を捲いて登る作業道のような処を、世話人氏が先頭になって歩く。蒸し暑さが酷く、汗に塗れながら、やがて道は直線的に登る様相に変わった。喋る余裕も無い儘、登り続けると、左の尾根から連なるトラバース道が合流してきた。道標が在り、左方向に天神尾根と記してあったが、登り道は、あくまでも真直ぐに続いている。地形を眺めても、此処から左に行って、天神尾根に合流し、梅ノ木尾根に登れるのか判然としない。

少し間を置いて、世話人氏がまた判断を下す。此の儘ふたりで、真直ぐ登り、梅ノ木尾根に行くが、私はふたたび此の分岐迄戻り、此の天神尾根方面に歩き、其の儘下山して行くと謂うことになった。引き続き直登を開始し、右手から尾根が近づいてきて、徐々に勾配が急になり、其れに呼応するかのように、整備された木段が敷き詰められていた。登り詰めたら、其処は今日の午前中にMNさんとふたりで通った、四辻からひと登りした処である、400mの小ピークだった。

先が長い世話人氏は、直ぐに梅ノ木尾根を大山方面に向かって出発した。其れを見送ってから、私は汗だくの体を冷やそうと、上衣を脱いで、暫く分岐の処で立ち尽くしていた。既に陽は傾いてきていて、ハイカーの姿も皆無である。煙草を燻らせて、心地よい風を浴びていたが、ふと我に返った。考えてみると、これから初めて、ロードメジャーを手に、ひとりで踏査するのだ。気を引き締めて行かなければならないところであった。

くだんの分岐点迄戻り、山腹を捲く道に入って行くと、程なく廃れた東屋が現われた。其処からは樹林が伐採された所為か、広々とした景色が見渡せる。痩せた尾根が前方に盛り上がって見える山に続いていた。蝉の声に包まれながら、渡り廊下のような其の尾根を行くと、ふたたび樹林の中を登りに掛かる。程なく、廃れた木のテーブルのあるピークに到達した。335mの小ピークである。

335

薬師林道と梅ノ木尾根を、双方向に記した伊勢原市の真新しい道標があった。そして、西側にやや古びた道標があり、其処には、日向林道と日向山荘、と記されてあった。335のピークに居る自分が、天神尾根で下山する、と謂う判断をするには、其の日向山荘に向かえばよいだけのことなのに、其の時の私は、どういうわけだか、薬師林道方面に足を向けてしまった。天神尾根の登山道とは、日向山荘から335を経由して、先程下ってきた分岐を経て、梅ノ木尾根に達するものであると、今になって理解できるのだが、335に居る私は、其の全体感を掴むことができなかった。真新しい道標に導かれるように、薬師林道方面へ、335のこんもりと盛り上がった山腹を、ループして下って行った。

結局、登り始めた地点に戻ってしまい、林道に出た私は、未だ状況を掴めない儘、守屋益男氏の携帯に電話したが、電波状況が圏外表示になっており、結局浄発願寺迄、車道を歩き、やっと電話が繋がった。迎えに来てくれた守屋氏の車に乗り、日向ふれあい学習センターの在る、駐車場に向かった。日向川のせせらぎが心地よい場所で、世話人氏は此処に帰還してくるのだ。MNさんが、笑顔で迎えてくれた。彼女の辿ったルートの様子を訊いて、335mから天神尾根へと下山する方向を勘違いした自分の判断を、私はやっと理解した。

山峡が翳りだす頃、世話人氏が帰ってきた。かなり難渋したらしく、疲れた表情だった。踏査の結果を話し合って、無事本日の踏査は終了した。記念写真を撮りましょうと云って、世話人氏がカメラをセルフタイマーにセットした。四人で並んで、カメラに向き合う。ぼんやりしている私に、MNさんが、ロードメジャーを差し出した。其れを握ってカメラを見る私は、如何にもひと仕事終えたような、気分になっていた。

付記

『東丹沢登山詳細図』に関する情報は、
『登山詳細図世話人の日記~全国に登山詳細図を広める活動をスタートさせた世話人の日記~』
を御参照ください。

別記

2012年8月の山歩きの記録。

2012/8/1

高尾駅(12:30)---駒木野---地蔵ピーク---富士見台---高ドッケ---狐塚峠---小下沢林道---蛇滝---高尾駅(16:30)

2012/8/19

沢井駅(13:00)---四辻---惣岳山---馬仏山---岩茸石山---常福院---軍畑駅(16:00)

2012/8/25

沢井駅(10:00)---かんざし美術館---362mピーク---送電新秩父線27号鉄塔---分岐---梅野木峠---三室山---梅郷北コース---284mピーク---梅の公園---日向和田駅(14:00)

日向山、天神尾根界隈・登山詳細図踏査隊と歩く(中編)

2012/7/18

Map1




登山口から山頂迄、距離を実測するのが役割で、途中、道標があったら区分するというだけのルール。『登山詳細図丹沢東部篇』の踏査で、日向山の山頂から、予定していた尾根が地主による通行止めと謂う事態に遭遇し、私とMNさんは梅ノ木尾根へと連なる山稜を歩いていた。双頭の小ピークを過ぎると、木段が下り始める。世話人氏の指示では、この辺りから南へ急降下して、日向薬師の傍の林道へと下りる筈だが、其のような道は見当たらない。ハイキングコースは尾根伝いに続いており、我々は其れに準じるしかなかった。

下りきると、四辻の在るコルへ下り立った。三方への道標は、南は日向薬師・薬師林道、西は梅ノ木尾根、そして北へ下りていく道には、弁天の森キャンプ場と記してあった。日向山から日向薬師への尾根に阻まれ(此れは昭文社に於いても実線で記されてあったのだが)、続く予定の尾根の道も発見できずに、よく整備された峠に居るものだから、一体、此の普通の道を降りて日向薬師に行ってよいものなのか、そして、弁天の森キャンプ場迄、明瞭に繋がっている、此の峠から北へ続く道を踏査しなくてもよいのか、我々はしばし考え込んでしまった。正確に云うと、前者は私の疑念で、登山詳細図ともあろうものが、こんな普通の道ばかり調べていていいのか、と謂う過剰な思惟で、後者はMNさんの、道があるのに調べないと、また二度手間になってしまう、と謂う実直な意思だと思われた。

Koru

今になって思えば、此処で南北に二手に分かれて、ふたたび引き返してきて、合流すればよかったのだが、結局、指示通りに日向薬師への道を、ふたりで下ることにしてしまった。道は日向山の中腹をトラバースしながら下る安全なルートだった。途中、稜線から膨らむ尾根を注視して、道が分かれていないか見ていたが、結局、山頂からの通行止めルートがあるのみだった。道を遮る紐は廃れていて、下から見上げると、うまい具合に直登できそうな道で、私有地だからと云って、何故通行止めにしているのか、理解に苦しむところであった。

直射日光が照りつける薬師林道の駐車場に到達し、我々は日向薬師の茶屋の在る休憩所で、しばし休んだ。暫くして、ふたたび来た道を戻るべく、駐車場の登山口に向かう。山蛭除去用の塩が据え付けられていたので、既に忌避剤を丹念に塗りつけてはいたが、さらにスパッツにすり込み、出発した。僅かな距離だが、折角下山したのに登り返すと謂う行為、其れ自体が疲労感を湧かせる。私は、予定通り歩けていないことに、何時迄も拘って居る所為か、曖昧な気持ちで歩いていた。

厚木市と伊勢原市の境界尾根は、くだんのコルから西へと連なっていて、昭文社の登山地図に於いては赤い破線のルートで記され、537mのピークから浄発願寺奥ノ院へと下っているようである。私とMNさんは、其の梅ノ木尾根を辿り、ふたつの小ピークを越え、途中の鞍部から、弁天の森キャンプ場の奥に下りていくと謂う予定だ。整備された木段が続き、400m迄登ったら、天神尾根からの道に合流した。平坦な道が続き、歩きやすいコースで、破線ルートには見えない。右手に大沢川の谷を挟んで、奥深い山の風景が見渡せる。人の姿が無くなり、静かな山歩きが愉しめる道だと思った。

しかし、440m小ピークから右に伸びる尾根を辿り、やがて現われた古びた指標は、此れから下る北尾根への不安を掻きたてた。全体に道は湿っており、木段は腐り、植物の繁茂が激しくなってきた。ジグザグに数度折り返したら、不明瞭な踏み後が分岐していて、間違えて踏み入ってしまった。下りる川岸は直ぐ其処に見えているのだが、人が歩かなくなって久しい様子であった。迷った地点に戻って、リスタートした直後、突如MNさんが、狼狽を伴う軽い叫び声を上げた。気がつくと、足元に山蛭が集まって来ていた。足場のよい処迄移動し、持っていた忌避剤を彼女のスパッツに噴射する。私も自分のスパッツを見ると、当然の如く蛭が張り付いていた。前回の悪夢が蘇るが、今回はスパッツの裏側から、忌避剤を染み込む程ふりかけており、皮膚に被害があるかどうかを確認する余裕は無いが、其れを信じて、一刻も早く此の場所を脱出するのが得策だと考えた。

Map2

私はMNさんからロードメジャーの役割を引き受け、走るようにして下り始めた。背後で、蛭が飛んでくる、とMNさんが云う。そんな莫迦なと思うが、ぴょんぴょん跳ねて靴に向かってくる、と彼女は叫ぶ。私は視力が弱いのでそんな観察はできないが、MNさんは実によく見えているようであった。ジグザグ道の途中で、やはり古びた指標が現われたが、もう構っている余裕も無く、わあとかきゃあとか、叫びにならない叫び声を発しながら、我々は脇目も振らずに、梅ノ木尾根の北面を走り続けた。

漸く、最後の折り返しを終えて、川岸が近づいてきたが、ふたりとも其の儘川に突入し、石伝いに渡渉して、弁天の森キャンプ場の敷地内に到達した。東屋もある涼しげな休憩所に、無事帰ってきたね、と謂うような穏やかな表情で、守屋益男氏が立っていた。どうやら、山腹を叫びながら下りてくる一部始終を、見られていた様子であった。木のベンチに座り、スパッツと靴下を外して、山蛭の被害を確認してから(見事なくらい無傷であった!)、今更のようにロードメジャーの数値を確認し、MNさんに北面を下りてきた距離を伝えた。

川の流れの清々しい音と、木陰の涼風を浴びながら、私は煙草に火を点けた。其れは喩えようもなく、格別に旨い煙草だった。

日向山、天神尾根界隈・登山詳細図踏査隊と歩く(前編)

Hinatayama_2


2012/7/18

Hinatayama




『登山詳細図』世話人氏からメールが届き、丹沢東部篇の踏査に、ふたたび参加することになった。今回は、著者の守屋益男氏が岡山から上京して、実質的には世話人氏と二人で、踏査できなかった細部のルートを探索すると謂う、落穂拾いのような作業をされているようだった。前回、全くと云っていい程役に立てず、なんとも謂えない無力感に苛まれていた私は、待ってましたとばかりに、一日だけではあるが、参加することにした。

半原の集落を過ぎ、車は俄かに高度を上げて、トンネルを越えると、快晴の宮ヶ瀬湖に飛び出した。世話人氏がナビゲーションを行ない、守屋益男氏がハンドルを握る。後部座席には、私と、前回の踏査で一緒だったMNさんが座っている。彼女は、単独で大山に登っている途上で、登山詳細図のスタッフと知り合い、意気投合して、いつしか踏査隊員になってしまったと謂う、うら若き女性である。詳しいことは判らないが、話した感じだと、登山経験は私と似たような、素人同然の徒と云って差し支えないようである。事前に彼女が参加すると謂うことは知らなかったので、途中の駅でもうひとりをピック・アップします、と世話人氏が云うから、どんな猛者がやってくるのかと想像した私は、MNさんの姿を見て、少しホッとした。

いつも小田急線の駅から丹沢を目指すしかなかった私にとって、宮ヶ瀬湖から眺める風景は新鮮だった。黍殻山あたりを指して、踏査した模様の話を世話人氏が語ってくれるから、今日はいよいよ丹沢主稜の東部に、初めて訪れることになるのかな、と、勝手な期待を抱いたが、車は速度を落とさず、やまびこ大橋は右手に過ぎ去っていった。仏果山登山口も過ぎて、宮ヶ瀬湖も尽きて、煤ヶ谷方面に向かって走っていく。何処に連れていかれるんでしょうねと、MNさんと私は、やや緊張を隠せない儘、笑って車中の人で居るばかりであった。

広沢寺温泉方面に入ると、途中で左に林道入り口のゲートがあり、其れを開けて進入し、大沢川沿いの涼しげな道を行く。やがて車が転回できるようなスペースのある処が在り、其処が今日の踏査の、出発地点だった。『東丹沢登山詳細図』に於ける、最東端の部分の未踏査部分で、此処には日向山への登山口がある。其れは昭文社の『山と高原地図』にも赤い実線で記されている道である。私とMNさんが、此処から日向山に登り、山頂から二手に分かれて、ひとりは其の儘日向薬師に降りる登山道を、日向薬師の真上にある林道迄、もうひとりは、厚木市と伊勢原市の境界線でもある稜線を辿り、途中の小ピークから、やはり日向薬師の林道に降りて、ふたたび合流する。

Hinatayama2

一方、世話人氏は、単独での踏査である。出発点から、さらに先に進み、左に伸びる林道の途中から、515mピークへと続く尾根を登り、674mの手前でふたたび大沢川に落ちていく尾根を下り、七沢弁天の森キャンプ場の奥の方に辿り着くと謂う、昭文社は勿論、地形図にも登山道の印など無いルートである。登山詳細図の面目約如と云っていいコースであるが、後日談では、地図掲載には至らない、厳しいルートであったようである。

守屋益男氏は、今日は此の踏査隊を下山地点で拾うために、車で待機することになった。隊長の高齢を勘案してと謂うことではなく、少し体調が良くないとのことであった。其れもその筈で、守屋益男氏の、此処一週間の驚くべき行動を聞いていたから、充分に納得できた。守屋益男氏は、地元岡山の山岳グループを率いて、ネパール、ランタン・リルンへのトレッキングをこなしてきたばかりだった。帰国して直ぐに上京し、7月16日に代々木公園で行なわれた、反原発デモにも参加し、此の丹沢踏査に入ったとのことであった。連日の猛暑、そして其の高齢を考えると、驚愕すべき体力と行動力である。

ロードメジャーと、ハンディGPSを借りて、私とMNさんが日向山への登山道に、踏査を開始した。私がロードメジャーを転がすことになり、実に初めて、此の実直な測距離計を手にすることになった。木段のある整備された道で、あっと云う間に、七沢からの道に合流する、375mピークから下りた鞍部に着いた。其処から、眺望の開けた尾根を登り詰めるが、此処も整備された木段の道である。出発する時、お互いに見合わせて、少し間を置いてから、私が先に歩き出す。ロードメジャーの係が先頭を行くのが決まりみたいでしたよ、と、前回の踏査で隊長の班に同行したMNさんが云った。そんな決まりは無いと思うが、見よう見まねで踏査隊を構成することになったビギナーふたりらしい感じで、おずおずと最初の目標である、日向山へと歩いた。

日向山の頂上には、平日にも係わらず、十数人の高齢者グループが談笑していた。ロードメジャーの数値を私が報告し、MNさんがメモを書き記す。そんなふたりに皆が注目しない訳も無く、何の調査かと訊かれ、登山詳細図の説明をして、ついでに宣伝も行なう。其れなら、見城も紹介してほしいなァ、と誰かが云った。見晴らしが素晴らしいよ、と勧めて呉れる。其れはくだんの鞍部から反対側に登る375mピークのことのようで、後日調べて理解したことなのであるが、其の時は、えっ、みじょう、ですか、などと、狼狽しながら場所の説明を聞いて、とりあえずメモをとった。単なるハイカーではなく、地図作成作業の調査を行なっている者にしては、どうにも頼りない奴、などと思われてないかな、などと、またどうでもいいことを考えてしまった。訊いてみると、彼らも単なる行楽客では無かった。「あつぎ観光ボランティアガイド協会」と謂う、厚木市の観光事業を支援する団体の方々であった。実際に観光ガイドを行なうための、実地検分のような活動で、今日は日向山にやってきたと云う。思いがけないことだが、日向山の頂に勢揃いした面々が、遊びで来たのではない、と謂う自負と云うか、率直な役割を背負っているというのが、何とも可笑しかった。

Hinatayama3

ところで、予定では此処、日向山から我々は二手に分かれて踏査するのだが、山頂から日向薬師方面への尾根には、ロープが渡してあり、私有地につき通行禁止、という標識が立っていた。私有地とは何ぞやと怪訝に思い、しばし黙考する。日向山の山頂には、本来の山名標とは別に、某民間会社による、「ナイスの森」山頂、と謂う奇妙な看板が立っている。私有地とは此の会社のことだろうか。あつぎ観光ボランティアガイド協会のメンバーに訊いたら、五年前くらいから、此処は通行止めになっていると謂うことだった。いずれにしても、登山詳細図に記すと謂う前提では、進入することは憚られるコースであることが判明したわけである。

指示を受けて踏査に入り、いきなり壁にぶつかった恰好であるが、他に方法も無いので、ふたりで西北に伸びる、日向山から続く山稜を歩き、途中の小ピークから分かれる筈の下山道を目指すことにした。では今度は私が、と、小さな声でMNさんがロードメジャーを手にした。私は、ではお先にどうぞ、と会釈した。MNさんは小さく微笑んで首肯し、樹林に囲まれた市境尾根の上を、軽快に歩き始めた。

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