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2012年8月

富士山スカイラインから宝永山

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2012/7/25

富士宮口五合目(10:30)---六合目---宝永火口---宝永山---富士宮口五合目(14:00)

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涼しい処に行ってみようか、と思い立ち、衝動的にレンタカーを利用して家族を連れて宝永山に行くことにした。デフレの所為か、中古レンタカーが安く借りることができる故であって、そうでなければ思いつかない案である。富士山スカイラインは七月下旬から八月迄恒常的に、水ヶ塚に於いてマイカー規制をするようなので、直前の平日に車を走らせた。

自衛隊の演習場を越えて裾野を登坂していくと、信州の高原に来たような雰囲気になる。窓を開けると涼風が心地よい。ところが、旧料金所を過ぎていよいよスカイラインに入り高度を上げて行くにつれて、空は覆い隠され、曇天の様相になり、快適に飛ばしていた車が、乗り合いバスによる渋滞にぶつかる頃、辺りは霧に包まれてきた。

富士登山で五合目の駐車場は常に混みあっているという情報は把握していたが、平日と謂うこともあって、軽視していた。しかし、下り車線に、隙間無く路肩に停められた車の列を見るに至って、私は少し動揺した。富士宮口五合目の駐車場入り口に着いたら、なかなか先に進めず、我々の前に並んでいた車の二台が、何度も手こずりながら、Uターンしていく。途中に僅かに隙間のあった路肩に停めようという魂胆のようであった。滅多に車の運転をしない私は、小刻みに車を操るのが億劫で、其の儘霧の五合目で、状況の推移をじっと待っていた。そうしたら呆気なく進路が開き、ゆるゆると満車の駐車場内に入り、さてどうしたものか、と思っていたら、一台の車が駐車枠から出てきたので、はい合点とばかりに、その枠に駐車した。

憧れの富士山に、いつか登ってみたいと思う気持ちは正直なところである。実際に五合目から六合目迄を歩いただけで、いつもの低山とは違う風景に眼を瞠らされた。正午に近い午前中だが、若いカップルやら子連れのグループが、宝永山荘から富士登山に向かって歩き始めていく。途中の山小屋に泊まるのだろうか、それはそうだろう、などと考えながら、なんで彼奴等が登れて俺がと謂う、理不尽な憤りを感じていた。そして、自分が富士に登頂する時は、必ず一合目から登ってやるぞ、などと、一体何に向かって悔しがっているのかよくわからないが、そんな気持ちで、宝永火口に向かって歩き始めた。

富士宮登山道の稜線が左に遠ざかるのを感じながら、平坦な、少し岩の多い道を歩いて行くと、やがて、前方に、白い煙のフィルターを通したような、黒い稜線が現われ、指導標が在る第一火口分岐に着いた。其処から、荒涼とした擂り鉢状の火口に向かって下りていく。宝永火口の標識で休憩し、今度はひたすらに砂状の道を、足を取られながら登り続ける。車でやってきて、ちょっと其処迄、と謂うような気分が、徐々に揺らいでくる。普段の山登りの概念とは掛け離れた、疲労の伴う登りだった。

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其れでも、猛烈な酷暑に辟易していた東京での日常が、彼方に消え去ってしまう程、火口の中は涼しかった。普段の価値観を放棄して、我々は歩調を合わせるように、矢鱈に休憩を取りながら、富士山の横っ腹に空いた大きな穴の中から、無常の光景を眺めていた。振り返って、火口の底を見下ろすと、大勢の団体が、一列になって、行進してくるのが見えた。その団体は皆白い服装をしているようで、どす黒い谷の底に、不気味なコントラストを表現していた。もし三途の川の光景があるとしたら、こんな風なのかな、と、ぼんやりと思った。

砂礫の道が、折り返しながら、稜線に向かって何処迄も続く。軽装の家族連れから、充分な装備をした恰好の登山者迄、いろんな人が下りて来るのと擦れ違う。ガールフレンドをサポートしながら下りて来る男が、私の目の前で、派手に転倒した。苦悶の表情を隠せない儘、其れでも体裁上直ぐに起き上がって、よろよろと歩き始めた。女の子の啞然とした表情と、折角のカラフルなウェアが砂塗れになって煤けた色になった男の足取りが、宝永火口に、よく似合っていた。

続いて、赤ん坊を抱いているのかと思うような荷物を抱えた男性が近づいてきた。至近距離で見たら、それは背負ったザックとは別に、デイパックを身体の前面に抱えているのだった。男性の背後に、手ぶらで歩いている女性が続いていた。疲れきった表情の女性は、我々とすれ違って直ぐに、路傍にへたりこんで座り、男性に向かって、もう歩けない、と謂うような意味の罵声を浴びせた。我儘だね、そうだね、別れるね、男のほうからだね、などと、中学生の長男と感想を述べ合いながら、漫然と登り続けた。そうして、漸く馬の背に辿り着いた。

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火口の底から見上げる宝永山の稜線は明瞭だったが、馬の背に立ったら、其処は幻想的なまでに真っ白い霧に覆われた世界だった。其迄のひんやりとした涼しさから、強い風が冷たい、防寒着が必要な状況になった。標高2600mを越えた吹きさらしの稜線に居るのだな、と実感できる寒さだった。視界が開けたら、どのような絶景が見渡せるのだろうかと、虚ろな感じで、霧の彼方を見て、想像するしかなかった。

霧の彼方から、御殿場口に向かって下山してくる人影が、次々と現われ、そして、ふたたび霧の中に消えていく。現実感の無い、シュールな場面のように思えた。生命の息吹と謂うような存在が希薄な、火山の焼け跡の黒い風景が白い霧に包まれて、日常的に抱いている遠近感のようなものを、奪い取られたと謂うような、不思議な感覚を味わいながら、私は立ち竦んでいた。

振り返って、宝永山の方を見ると、霧の中に、馬と謂うよりも、駱駝の瘤のようなものが、薄っすらと浮かんで見えた。我が連れ合いが、さっさと其の方向に歩いて行くのが見えて、さらに其の先に、子供たちが、黒い点のように、遠ざかっていくのが見えた。其れは、本当に消え入ってしまうかのような錯覚を呼び起こさせる光景だった。私は、我に返り、少し慌てて、その後を追うように、歩き始めた。

断章的に。笹子駅から清八峠経由の御坂山、黒岳

2012/7/14

笹子駅(8:30)---清八山---八丁山---御坂山(16:00)

2012/7/15

御坂山(6:00)---御坂峠---黒岳---水口(11:00)

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雲取山初幕営から間髪入れずに登山詳細図踏査に参加すると謂う強行軍で、やや茫然自失の態で過ごしていたら、蒸し暑い季節に突入していたから、テント山行きをどうしようかと逡巡した。文字通りの高山に踏み込むべきなのに、謂い様の無い弱気が湧き起こり、御坂山系の黒岳で富士山を眺めながら幕営しようと謂うことになった。

日帰りでは躊躇してしまう、笹子駅から清八峠、そして御坂峠へと謂う距離感で、野営も止む無しと勝手に決め込んだ。結果としては、重い荷物を担いで、甲州街道の不快な車道歩き、そして林道に入っても舗装路の照り返しを受けて、発電所の手前迄来たらもうバテてしまっていた。清八峠への登りは厳しく、漸く辿り着いて、清八山に登頂した頃には、精魂尽き果ててしまった。富士山の秀麗な姿を見たのも此処が最後で、徐々に曇り空が広がる中、八丁山へと重い足を運ぶ。

御坂山と釈迦ヶ岳を遠くに見ながら、本来の野営目的地である黒岳迄歩ける自身を喪失した。16時をリミットに定めて、眺望の無い鬱蒼とした御坂山で本日の行程を終了。今回早速自分用を購入してきたMと、やや湿った地面に並べてテントを張った。虫が矢鱈と多く、テントの出入りを迅速にしないといけないのが神経に障る。其れでもひと通り夕餉の時間を愉しく過ごす。テントに入り、就寝しようとする頃、風が強くなり、木々のざわめきが怖かった。

翌朝は夜明けとともに起きたら、雲間から朝陽が顔を出した。今日は眺望を愉しめるのかと喜んだのも束の間。直ぐに曇ってきて、出発する頃には霧に包まれていた。樹林帯を緩くアップダウンしながら、御坂峠に到着。茶屋の廃墟と、鉛色の空と、草生した緑がなんとも謂えないコントラストを醸し出す。

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蒸し暑さの中、充分に眠ったのにも係わらず取れない疲労感が増してくる。其れ程きつい登りでもないのだが、黒岳山頂、そして展望台に着いても霧の中で、空虚な気分だけが心を満たしていく。一瞬、凄い勢いで雲が流れて、富士山の稜線が見えて、アッと云う間に晴ればれと、その全容が現われた。ドラマティックだが、写真を撮る間もなく、すぐに霧が押し寄せてきて、ふたたび黒岳展望台は真っ白になった。

あまりの苦行に耐えられず、其の儘河口湖に向かって下山の途に入った。徐々に空は拡がりを増して、見事に富士山が其の姿を現した。烏帽子岩の尾根を前景に、絵に描いたような富士は、云い様の無い程、其の存在を遠く感じさせた。私は、私の感情が、山と触れ合っていないんだなと、薄っすらと思った。

東京ゴルフ尾根から高取山・登山詳細図踏査隊と歩く(後編)

2012/5/31

秦野駅(8:00)---タクシー移動---東京カントリー倶楽部---高取山---454m峰---尾根探索---454m峰---念仏山---善波峠---吾妻山---鶴巻温泉駅(16:00)


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登山詳細図踏査のボランティアに参加することになったのは、世話人氏から拙ブログへコメントを戴いたのがきっかけだった。『ヤゴ沢ルートから小仏城山、そして薬王院飯縄大権現の謎』の項で、小仏峠で購入した詳細図のくだりで発見して戴いたか、私のバイブル的サイトの『悠遊趣味』でのリンクから飛んできて戴いたのか定かではない。距離計を転がして踏破し、登山地図を作ると謂う、あまりにも地道で、鈍重とさえ思える行為に、私は深く感銘を受けてしまった。世話人氏が何で私の文章に反応して呉れたのかと謂うことや、何故ロードメジャーなのか、歩行時間ではなく距離を記すのは理由があるのか、など、率直な疑問が内心で交錯していた。だったら訊けばいいではないか、と云われそうだが、初対面で、しかも踏査中ということもあるし、無駄口を叩くのを過剰に自制していたのであった。私は人見知りで、話したいことがあっても、自分の感覚や言葉が受け入れられなかった場合のことを恐れてしまう。気が小さいのである。

と、云うような、あまりにも無為で無駄なことを考えながら、私は、よく整備された、大山から伸びる、伊勢原市と秦野市の境界尾根を、踏査隊の最後尾の位置をキープして歩いていた。高取山からハイキングコースは下り続けて、直ぐに聖峰へと尾根が派生する分岐点に着いた。此処からUR氏が単独で聖峰方面に別れた。辺りを睥睨しながら先頭に歩く世話人氏、ロードメジャーを転がすNR氏の後に続いて、私は南下を続ける。新緑の木立で視界は無いが、市境が左右に広がる、細い尾根の上をなだらかに下りながら進む。やがて左側に斜面を見ながら、鬱蒼とした樹林帯に入り、正面にこんもりと聳える山容が現われる。此れが454mのピークで、道は其処に向かっている。昭文社を見ると、登山道はピークに続いているように記されているが、実際には、道はピークの塊の手前で右に捲道が辿っていて、直進は出来なくも無いが、倒木が折り重なって、薄っすらと見える踏跡を遮っていた。踏査隊は粛々と捲道に歩を進める。そして、左から下りてくる454mからの尾根と合流した。

454のピークへの道は、やはり踏跡はあるが倒木や枯枝で不明瞭な道だった。しかし、歩けないと謂うほどのものではない。改めてピークに向かって登ることになった。454の頂上は、東側が伐採されて、広々とした眺望が開けている。此処から、地形図には破線の登山ルートが二手に分かれて伸びている。緩い傾斜の尾根を、とりあえず進んで行くことになった。尾根が少し落ちかけた処から、樹林帯になる。そろそろ尾根が分かれて分岐する筈だが、なかなか判別し難い。踏跡を辿って、歩いて行く。右手に谷が落ちている斜面の途上を辿り、また尾根の上に乗り、と謂うような行程を繰り返して、今度は左側の斜面に沿って踏跡は続いていた。そして、繫茂する植物の鬱蒼とした様相が激しくなってきた。

右上に聳える尾根の道に登って行かないと、視界も踏跡も、徐々に消え入るような雰囲気になった。世話人氏が、やはり上がっちゃいましょう、と云って少し歩けそうな間隙を見つけて這い上がる。尾根上に乗ったが、周囲は木立に囲まれており、進むべき踏跡は見出せなかった。地形図の、340mピークから続く尾根の上に居るような積もりでいるが、此処迄の道程を明確に判断できている訳ではない。二手に分かれて伸びる、もうひとつの尾根を確認したいが、繫茂した樹林で、其れも儘ならない。そして、我々の目的は、明瞭に登山道として歩くことのできる道を記録することであるから、行き場の無い尾根の上に居ても意味が無い。来た道を戻り、ふたたび斜面の繁茂した植物を掻き分けながら、踏跡を辿って行ったが、藪はますます深まるばかりだった。世話人氏が、此れでは地図に載せられないな、と云った。遠くに、見上げるような大きさで、ひとつの山容が垣間見えた。コンパスで判断すると、其れは聖峰のようだった。

無念の撤退である。私は素直に徒労感に浸って、疲れが押し寄せてくる気持ちになった。しかし、ロードメジャーを此処迄実直に転がしてきたNR氏、そして世話人氏の足色は全く衰えず、キビキビとした足取りで登り返していく。隊長に次ぐ年配のNR氏は、かなり高齢の筈だが、アッという間に、私は彼等から引き離されていった。漸く454が窺えそうな、樹林が途切れがちになった尾根の上に辿り着いた処で、ふたりが休んでいた。追いついた私も、漸く安堵して荷を降ろす。そして足元を見たら、スパッツに山蛭が何匹も張り付いているのに気づき、声にならない叫び声を上げて、其等を振り払った。スパッツを外したら、サポートタイツの上にも山蛭が張り付いている。其れは既に、充分吸血した後のようで、丸々と膨らんでいた。阿鼻叫喚の態の私を見て、NR氏と世話人氏も慌てて足元を確認するが、夥しい数の山蛭は、例外なく彼等の靴に張り付いていた。わあと叫んで飛び跳ねながら、地獄の茹で釜の淵で踊りを踊っているかのように、我々は山蛭を払い続けた。

ほうほうの態で454に戻り、暫く各々が靴下を脱いで、山蛭の被害の惨状を確認した。私は云う迄もない程の惨禍に塗れていて、靴下にも血が滲んでいて、其れは見た目にも広範囲で、どんな大怪我をして出血したのか、と謂う位のものであった。NR氏も、脛にぽっかりと赤い穴が開いていて、充分に吸血せられた様子であった。そして、世話人氏だけが文字通りの無傷であって、山蛭の大群が纏わりついていたにも係わらず、皮膚への吸着を逃れていた。今回の踏査以前に、丹沢で蛭の大群を認識していたから、其のおぞましさに充分な危惧を抱きつつ、防蛭剤をスパッツの裏側に迄、充分に浸るほど塗りこんできたとのことであった。其の効果に感動するあまり、私は無傷です、と連呼するので、負傷兵の同志である私とNR氏は、虚脱感と敗北感に浸りながら、ひたすらに血を拭うばかりであった。

さて、藪の中を彷徨し、無収穫の儘振り出しに戻った我々、登山詳細図丹沢東部篇踏査隊第三班は、もう手ぶらで皆との合流地点である、念仏山に向かうしかなくなってしまった。阿鼻叫喚の地獄で茹で釜と謂えど、その間僅か数十分であって、予定の時刻迄は数時間も余禄を残しているのだが、粛々とやや南西に方角を変えて、整備されたハイキングコースを歩いて行った。程なく到達した念仏山は、市境尾根を緩やかに下ってから少し登り詰めた処に在る小ピークで、東側が伐採されて眺望が思いのほかよい処だった。平日だが、大勢のグループ登山客が敷物を広げて昼食を摂り歓談していた。我々も思い思いに食事をして、風景を眺め、念仏山の由来の看板を読んでも、まだ踏査隊が集合するまでかなりの時間がある。此処で漸く、私は世話人氏と話し込むことができた。登山詳細図の制作や販売に係わる苦労話などは、是非父御の隊長とともに、広く発表してほしいものである。ダラダラと話し込んでも、時計は一向に遅々として進まない。団体客もとうに去っていき、時折トレランの男女が現われては、去っていった。

一時間くらい経って、聖峰経由保国寺迄を往復して距離測定を終えてきたUR氏が現われた。道程は良好な環境で、眺望もよく、充分な踏査を果たしたようだった。ひとしきり我々の山蛭談議に花が咲くが、其れも終わると、またぼんやりと静かな山頂に戻る。本当に念仏でも唱えてしまいそうな、無常感いっぱいの停滞した時が流れていた。やがて、待望の隊長率いる第一班が到達した。念仏山の頂上に、ひさしぶりの活気が戻った。第一班も無事踏査を達成し、隊長は他班の結果報告を聞く。第三班の惨状を報告して、また盛り上がる。ウィンドブレーカーを着込んだ先着四名の姿を見て、ずいぶん待って寒かったでしょう、早く行きましょう、と岡山組の女性MTさんが云った。第一班は最も長距離を歩いて、到着したばかりなのに、MTさんの、此の実直な気遣いに、私は密かに感銘を受けていた。

念仏山から南に急降下して、もう住宅街が直ぐ其処に見えるくらいの低地コースを、縦列になって全員が歩いた。国道246号を飲み込むような里山の小高い山道は、付近の住民の散歩コースにも適当なようで、時折其のような人たちと擦れ違う。MTさんは路傍で作業している人やら、軒先に咲いている花が綺麗だと云っては、其の住人に話しかける。今朝初めて会った時は無表情で、なんとなく近寄り難い雰囲気を感じていたが、物怖じしない率直な人柄のようで、此れが岡山人の気風なのかな、と思った。

あのひとはすごいんですよ、誰にでも声掛けちゃう。と、軽妙な口調のUR氏が云う。この人だって、と、私と同様、今回が初参加である最年少の女性MNさんを見る。前回の踏査で大山に登る途中で独りで登っていた彼女にMTさんが声をかけて、一緒に登ろうと謂うことになって、意気投合しちゃったんだよ。それで今回も誘われて来てくれたんだよ、と云った。MNさんは静かに笑い、其の邂逅に僥倖を感じると謂うようなことを云った。

私は、そんな話を聞いて、ただ感心するばかりで、相変わらず、いちばん後ろから踏査隊について行くように歩く。私が無口過ぎて気を遣ってくれるのか、時折MNさんが振り返って話しかけてくれる。山登りに親しみ、こんな出会いもあるのだな、と謂う感慨に耽りながらも、私は、此の一日を反芻しながら、結局踏査の進展に貢献できなかったと謂う結果に、失意を感じていた。目星を付けていたルートが難路であることが判明しただけでも、其れは成果なんです、と謂うようなことを、下山後、皆で打ち上げをした席上で、世話人氏が私に云って、慰めて呉れた。それが嬉しくもあり、なんだか悔しい、と謂うような、不思議な気分で、私は日本酒を、随分飲んだ。



付記

登山詳細図丹沢版の正式名称は『東丹沢登山詳細図』のようです。ブログ『登山詳細図世話人の日記』で、漸く完成の模様を知ることが出来ました。既に入稿済みとのことですが、あらゆる印刷物の中でも、地図の誤植は神経を遣うものなので、校正作業も大変な作業だと察します。全110コースを見るのがとても楽しみです。

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