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雲取山・初めての幕営(後編)

2012/5/26
鴨沢(9:30)---七ッ石小屋---七ッ石山---奥多摩小屋---雲取山---雲取山荘(17:00)

2012/5/27
雲取山荘(8:30)---捲道---小雲取山---七ッ石山---捲道---鷹ノ巣山避難小屋---捲道---将門馬場---六ッ石山分岐---石尾根---奥多摩駅(17:00)

大きな木の傍にザックを下ろして、私は、落ち着け、と内心に言い聞かせていた。いよいよテントを張るのだ。クレッタルムーセンの大きな口を開いて、荷物を取り出していく。水の入った1リットルのペットボトル二本は、重いだけでなく、無駄に嵩張った。此れは反省材料で、次回はプラティパスを買わなければ、と痛切に感じた。
食料やクッカーの入った10リットル入りのスタッフバッグ。レインウェア。着替えの衣類が入った15リットル入りのスタッバッグ。そして冷凍したソーセージと缶麦酒が入っている保冷バッグ。これが負荷の元凶であったが、此処迄来たら最早後悔は無い。そしてやっと、テント関連の荷物が覗く。フライシートの入ったケースを出して、同時に折り畳み式のサーマレストを引っ張り出す。最後にエアライズ本体を取り出した。

いざ設営、とは云っても、自立型ダブルウォール式テントは、難なく組み立てることができた。家で何度も練習したと謂うのもあるが、実に簡単に完成した。
本体にフライを引っ掛けるのを忘れてペグを打ってしまい、やり直すとか、フライを引っ張りすぎてペグを打ち、客観的に見たら歪んでいるので張りなおす、と謂ったような失敗も御愛嬌である。
雲取山荘は予想通りの大盛況で、テン場の適当な場所を探しているうちに、ずいぶん山荘から遠ざかってしまった。しかし、樹林の途切れた、雲取ヒュッテ跡の近くにある広い場所は、眺めも良くて、初めて張ったテントがいい具合に配置されているような気がする。贔屓の引き倒しなのだが、そう感じてしまうから仕方が無い。

保冷袋から、よく冷えた缶麦酒を二本取り出し、Mと乾杯をする。缶麦酒を、喉を鳴らして流し込む。缶麦酒は、乾杯でごくごく飲んでも大丈夫。けちけち飲むことはない。何故なら、ちゃんと、お代わりの分として、あと二本持ってきてあるのだ、と、私は挑むような表情でMに云った。それは重かっただろうと、さすがにMは驚き、呆れていたようだ。自分でも、なぜそんなに麦酒にこだわっていたのか、もう定かではない。

冗長な黄昏の空を眺めながら、あとは飲んで食べて、眠るだけである。
岳友は食材を並べ、ガスストーブをセットして、なにやら物々しく準備をしている。テント泊の山行きで、彼はどうやら食事のことに執心していた模様であった。

細かい状況は割愛して、Mが執り行った過剰な夕餉のメニューを記すと、

ソーセージを網焼きで麦酒。

此のソーセージは私の持参したもので、其の後はMの独壇場である。

塩胡椒で味付けただけのサイコロステーキ。

バターコーンのコチュジャン和え。

ソーセージチーズカレー和え。

カニ缶詰を温めたもので純米酒。

帆立貝の缶詰とシメジのソテーでサントリー山崎の水割り。

と、謂うようなもので、どれも此れもこの上なく味の濃いものばかりだが、此処迄歩いて疲れきった身には丁度よい味加減なので、ひたすら飲んで食べ続けた。気がついたら辺りは深閑とした静けさで、皆テントの中に入って休んでいる様子だった。気温は随分と下がっているように思う。私は百円ショップで買った、性能が怪しいエマージェンシー・シートを下半身に巻き付けて酒を飲んでいたが、トイレから帰ってきたMは急に、寒くて震えが止まらないと云って、テントに消えていった。
独りになると、寒さが意識の中に迄入り込んでくるように厳しくなってきたので、私も寝袋に入って横になった。そして、意識が急激に遠ざかっていくような感じで、眠りに落ちた。

眼が覚めたら外は明るい気配で、隣のMも寝袋の中で覚醒していた。随分眠ったのかと思うが、時刻を見ると四時半で、そんなに寝坊をしたと謂うわけではない。珈琲を沸して飲んでから、折角なので、雲取山の山頂に空身で登ってこよう、と謂うことになったが、此れが予想以上に疲労を感じる行動になった。昨夜の飲み過ぎが原因なのか、どうにも身体が重い。眺望の無い山道を黙々と登る。やがて到達した山頂は、高校生の団体が丁度登頂したばかりのようで、騒々しいこと夥しい。感興も無く、山荘に引き返した。

テントに戻って、簡単な食事を摂って、また珈琲を飲んで、茫然と煙草を燻らせて、のんびりしているうちに、周囲のテントが次々に畳まれていく。陽射しが明瞭になってきて、暑いくらいになるが、太陽が雲に少しでも隠れると、途端に肌寒くなる。漸く撤収を始めて、山荘前迄戻り、水場でペットボトルに補給して、さあ出発だと思い、Mに現在時刻を聞いたら、もう九時だよ、と云う。山で幕営する者のタイムテーブルでは到底無い時刻だった。

雲取山の捲道を辿り、石尾根に向かう。途中迄、あまりの疲労というよりも虚脱感に塗れていた我々は、帰途のコースを巡り、少し揉めた。私は富田新道から最短で林道に下りて、ぶらぶらと日原に向かう案だが、コースタイムを見ると長すぎるからと云って却下された。では相方の案は何かと謂うと、鴨沢迄来た道を戻るのが最も楽だと云うから、其れは余りにも詰まらないと私が拒絶する。ならば折衷案と謂うことで、千本躑躅から赤指尾根に入り峰谷バス停に下りるということに、とりあえず決定した。

しかし、石尾根に合流し小雲取山を捲いて、広々とした防火帯の道に入ったら、何だか気力が戻ってきた。私は、峰谷発のバスに乗っても、奥多摩駅に着くのは夕刻だから、此の儘石尾根を歩き続けても変わらないと主張し、啞然としているMの説得に掛かる。ブナ坂の分岐の木陰で、心地よい風に吹かれたら、どうやら彼も元気が出てきたようで、ふたたび七ツ石山の頂上を踏んでからは、ひたすら捲き道を、東に進んでいった。

鷹ノ巣山避難小屋の広場で昼食を摂る。Mのザックからは、未だあったのかと思う程、レトルト食品の類が出てくる。私も、自分で自分の食事を賄おうと、パスタを茹で、同時にレトルトのソースを温めてみた。ジェットボイルに五徳を付けて、コッフェルで湯を沸す。茹で汁は、使用していないジェットボイルのボトルに移し、コッフェルに残ったパスタにレトルトの浅利ソースを掛ける。食べたら茹で汁でコッフェルを洗う。思いがけなく手際のよい手順となって、自分で自分に感心してしまった。

石尾根を捲く道は、途中南下するようにして迂回する単調な道で、将門馬場迄来たら、さすがに疲労が増してきた。しかし、此処迄来たら、もう奥多摩駅に向かって歩くしかない、と謂う雰囲気に、自然となった。私は、雲取山頂からではないけれど、雲取山荘から奥多摩駅迄歩くと謂う行為が、余りにも愚直で、其れが却って愉しく感じることができる。
Mの様子を窺うと、明らかに退屈で、疲労感に覆い尽くされて居ると謂う風情で、黙々と歩いている。荷物は大分軽くなっている筈だが、足裏が痛いと云う。六ツ石山分岐で、もう此処迄来たか、とは私の感慨で、Mはどうだか分からない。未だこんな処か、と云っているように、中々出発しないで座り込んでいる。

石尾根の捲き道を延々と辿り、三頭山の全容を眺め、次いで御前山の威容を愛でて歩いて来た。六ツ石山分岐から、ガレ場の急坂を下りる途上で、遠くを見上げたら、大岳山が、兜のような例の形状で、正面に在った。奥多摩三山を順々に眺めて、もう氷川の里までは近いのだと思うと感無量になった。Mは憮然としながらも足取りは衰えない。植林帯に入ったら、私も、ただ黙々と、歩き続けるだけだった。

追記

登り尾根の「堂所」に就いて、『悠遊趣味』さんの掲示板でご教示を戴きました。感謝致します。

補記

2012/4/29

二俣尾駅(11:30)---名郷峠---辛垣山---雷電山---大泉院---伏木峠---なちゃぎり林道---常福院---岩茸石山---馬仏山---沼沢尾根---川井駅(16:30)

2012/4/30

笹子駅(8:30)---追分---笹子雁ヶ腹摺山---米沢山---トクモリ---お坊山---大鹿峠---景徳院---甲斐大和駅(15:30)

2012/5/6

大倉(8:00)---林道---政次郎尾根---政次郎ノ頭---行者ヶ岳---烏尾山---新芽山荘---大倉(14:00)

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