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雲取山・初めての幕営(中編)

2012/5/26
鴨沢(9:30)---七ッ石小屋---七ッ石山---奥多摩小屋---雲取山---雲取山荘(17:00)

2012/5/27
雲取山荘(8:30)---捲道---小雲取山---七ッ石山---捲道---鷹ノ巣山避難小屋---捲道---将門馬場---六ッ石山分岐---石尾根---奥多摩駅(17:00)

雲取山に登るコースは多岐に渡るが、大多数の人が選ぶであろう、鴨沢から七ッ石小屋へと至る尾根を選んだのは、私の本意では無い。若し単独行であったら、おそらく東日原から大ダワ林道辺りの道を、選んでいたのではないかと思う。テント泊の山行きを実行するにあたって、友人のMは当初、やや億劫なそぶりを見せていたが、私の購入したテントが二人用であると謂うことで、少し重い腰を上げたようだった。私にしたところで、未体験の幕営に不安は隠せず、最初は山小屋の管理区域に在るテント場に泊まることは決めていたから、賑やかであろう雲取山荘のテン場で独りで居るのもつまらない。Mの同行は歓迎したいところだ。知らない道を行くと謂う冒険的な行為を、何かと牽制するきらいのある、中庸思想の友人を刺激しないようにと、マジョリティが選ぶルートを登ることになった所以である。

鴨沢バス停から、民家の点在する登山道に入り、尾根の末端をぐるりと捲いて、高度を稼ぐことなく、植林帯を地道に歩き続けたら、明るい舗装された林道に出て、其処が駐車場のある小袖乗越だった。ザックを下ろして休憩するが、こんなに初っ端から地べたに腰を下ろしてしまうという状況はかつて経験したことが無い。何組もの後続のグループが辿り着き、出発していくのを見送る。

しばらく舗装路を歩き、やがて左手に登山道と指導標が現われる。此処にも多くの登山グループが小休止している。私は、想定していたとは謂え、人だらけの山道に辟易し、荷物の重さも相まって、次第に苦痛を感じてくるのが分かる。小袖川の谷を挟んで、赤指山が連なる尾根を植林の隙間から眺めながら、昭文社の地図で記されている、登り尾根の側面をなぞるようにして、徐々に登っていく。850メートルの等高線を辿る途上、北西に舵を切る箇所で、大きく展望が開けた。深い谷の彼方に、山稜が聳えている。

行く手の斜面が伐採されている箇所の手前で、斜面に廃屋が建っていたので、其処で小休止をして、多くのグループが、黙々と登っていくのを眺めながら佇んでいた。やがて、草刈鎌をぶら下げた地元のおじさんが下ってきたので挨拶したら、雲取山か、と訊かれた。私は傍らのザックを指して、そうです、テントで泊まるのです、と律儀に答えた。

そうか、テントならいいな、と、おじさんはのんびりと云う。ゴールデンウィークの小袖乗越は、百台くらいの車が駐車していて、雲取山荘では、一畳あたり四人の鮨詰め状態だったそうだ。私は、テントなら大丈夫、と謂う言葉に、憑いていた疲労が抜けていくような気がした。おじさんは、今日もかなり多いな、と、独り言のように云った。

追い越したり追い越されたり、何度も見かけるグループや男女のカップル等と共に、変哲の無い植林地帯を黙々と歩き、漸く水場の或る処まで来ると、多くの人々が休んでいたから、構わずに歩き続ける。1200メートルを越えて、昭文社に記されている堂所と思しき場所で休む。指導標にも名前が記されているが、地形図では1250メートルから少し上がったピーク辺りかと思っていたのに、其処に登る途上のような場所であった。小休止の間に断続的に登山者が到達し、混みあってきたから直ぐに出発する。少し登ったら、陽当たりのよい小ピークの広場に出た。多くの人々が休憩している。こちらの方が如何にも、「堂でも建てるには格好の、尾根筋の平らな所」(補記参照)と謂う意味のある、堂所らしいと思える雰囲気のある場所だった。

其れ程急勾配も無く、途中トラバース道と分岐する「近道」と記された道標の方向に入り、少し直線的に登るが、喘いでと謂う程でも無い。しかし、クレッタルムーセンの重さに耐えかねて、道が合流したり、勾配を登りきった時など、いちいち立ち止まっては小休止をする。石尾根に乗ってしまえば、と謂う実利的な欲求が在る分だけ、負荷の苦しみがこみ上げてきて、本来は最も愉しい筈の、登る途上の行程が辛い。漸く空の広がりを感じた頃、斜面に貼り付いているような立地の、七ッ石小屋に到達した。ネットの情報では、かなり廃れた外観、と謂うような表現がされているのが目立つ七ッ石小屋だが、好天の下で見ると、其のような印象は受けなかった。

年配男性グループが追いついてきて、さあ麦酒だ、と仲間に叫んでいる。私とMは、思わず小屋の入り口に書かれている品書きを見つめる。そして、ぶるぶると顔を振り、そんな場合ではない、と云わんばかりに出発した。七ッ石山の捲道にぶつかるが、敢えて右に曲がり、少し逆行しながら石尾根に出た。程なく樹林の中に入り、七ッ石神社の朽ちた鳥居と社殿を確認し、七ッ石山への登りをこなして、山頂に辿り着いた。

樹木が伐採されて剥き出しの山頂は、広々としてはいるが何処か殺風景で、其れは鷹ノ巣山の雰囲気に似ているような気がした。目立って見える、大寺山の仏舎利塔が左手の彼方に遠く見えるから、其れで鷹ノ巣山とは違うと理解できる。丹波山村方面へ続く尾根の彼方は、晴れているのに、ぼんやりと霞んでいて、すっきりした見通しではなかった。大勢のハイカーが昼食を摂っていて、我々も漸く大休止を取る。

ホグロフス製50リットル容量のザックから、いろんな袋の類や、食材を容れた布製の箱を外に出して並べているMに、昼飯だが込み入った料理でも始めるのか、と訊く。実情は、単にガスストーブとコッフェルを取り出しているだけで、パッキングの順序を間違えるとこうなるのかと、内心考えながら黙ってその様子を眺めていた。私も、簡便にお湯を沸かせるジェットボイルと、カップ麺を取り出す。しかし、コッフェルはふたつあるので、お前の分もあるから此れを食べろ、とMが云う。取り出したのは、カップ麺の中身だけが圧縮されてパックされた商品だった。其の、カップ麺の中身をコッフェルのお湯に入れて、煮込んで作る。袋入りのインスタントラーメンでしかないのだが、何れにしても気前のよい友人である。

一応遠慮して、いや俺は自分のがあるから、と、普通のカップヌードルを指し示すが、いいからいいから、と、Mは私の為にお湯を沸かし始める。プラティパスからコッフェルに水を注ぎながら、此れで少しは軽くなるかな、とMが独り言を云った。水を消費したいがために、私の分のラーメンを作って呉れているようにも聞こえる。煮込んで直ぐ食べるから、通常のカップ麺よりも熱くて旨い、と、Mが機嫌良さそうに云う。道理だが、余りに当たり前なことを云われても、応えるのが窮屈だ。仕方が無いので黙って食べる。コッフェルの中のインスタントラーメンの風情が似合うのは、貧乏学生のアパートか、こんな山の上での食事くらいだろう。

山頂から雲取山に向かって、防火帯のように草木が刈り取られた急な斜面を、西北に下る。ブナ坂の分岐から、広々とした山稜の上を歩く心地よい石尾根縦走路が始まる。初めて歩くのに、何故だか懐かしいような気になるのは、インターネットで幾つもの記録と画像を見てきた所為かもしれない。風景は彼方迄広がり、此迄歩いてきた奥多摩の山々とは違う奥深さを感じる。左前方に聳える立派な飛竜山と、其の向こうに連なるのが大菩薩嶺と小金沢連嶺だろうか。

起伏を感じさせない緩やかな道が続き、ぽっかりと開けたピークが1746メートルのヘリポートで、幕営禁止の立て札を過ぎて間もなく、夥しい数のテントの群れが現われた。テント泊の皆は、こんなに早い時間から滞在しているのかと、目の当たりにして感じ入ってしまった。奥多摩小屋に近づくにつれて賑やかさが増し、まるで花見の名所にでも立ち入ったかのような喧騒だった。テン場は其れ程幅広くない山道の両サイドに沿って、樹林の中に迄及んでいた。平らで木陰になるような良い場所は全てテントが近接して設営されていて、やや斜面になった林の中にも張られている。標高1800メートルの山稜を歩いている途上であるというのが信じられない。気圧されるように、俯き加減で奥多摩小屋の区域を通り過ぎていった。

あまりの騒々しさに辟易しつつ、間近に迫ってきた初めての幕営が意識されてきて、複雑な心境になってきた。名にし負う雲取山荘の猛烈な盛況ぶりが、脳裏に浮かび、漠然とした憂鬱に襲われる。小さなピークを越え、道は所々ザレの様相も呈してきて、久しぶりの急勾配を喘ぎながら登ると、小雲取山の、樹林で見通しが悪いピークだった。混雑するテン場に泊まるより、こんな閑散とした場所で幕営するのもいいね、とMに向かって呟いてみるが暫く返事が無く、やがて、水場が無いから無理だろう、と呟いた。水はある、と云いたかったが、其れも面倒なので、ふたたび静かに歩きだした。

山荘への捲道を経て、いよいよ最後の登りに差し掛かる。東京都の最高峰迄来るのに、山歩きを始めて約四年もかかったが、もとよりそんな色気も無かった。ただ自分の内部に在る何かを無化したい、と謂うような、茫漠とした思いで、日帰り登山の範疇で歩いていた。テント泊の魅力に惹かれると謂う、多分に趣味的な心境になって、こんな処迄来てしまった。自分の奥底にある何かは、変わってきたのだろうか。

避難小屋の手前で振り返り、箱庭のように端整に配置された石尾根と周辺の山々の光景を眺める。景色が良いのは此処で、山頂は何故だか今ひとつなんだよ、とMが云う。陽は未だ高いのだけれど、薄曇の空の色が、なんとなく暮色を予感させる。私は、心地よい疲労感とともに、雲取山の頂に、ゆっくりと歩いていった。

補記
堂所と謂う地名の由来は、『悠遊趣味』の山日記№688「堂所山8」から引用させて戴きました。

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コメント

結局のところ、登り尾根の堂所の由来はよくわからないんですよね~。
古文献を見ても「お堂」があったとの記述はありませんでしたし。
大尊敬している、宮内敏雄著奥多摩に記述のある「賭場の小屋」をお堂と呼んでいたのかも。

近くにあるデンデーロに当て字したら堂所になった可能性もありますね。

最初のテント泊が雲取山とはハードですなあ。
コースタイムが2時間を超える場所へテントを担ぐのは、かなりしんどいです。

軽快に歩けないので、何人もの人に追い越され、後ろから足音がするたびに、ビクビクして、気を遣うことにも疲れます。
小屋泊の混雑が苦手で、お金も無い僕は、そんな苦労をしつつテント泊であちこちで出かけました~。

もとが取れるくらいテント泊やらないとね。がんばれ~。

宮内敏雄『奥多摩―山・渓・峠』 知りませんでした。読みたい!
デンデーロとは?デンデコの仲間ですか?(失礼)
近くとはどのあたりになるのでしょうか。知らないことがいっぱいでワクワクしてしまいます。

かずさんの山名由来の頁の発展を期待してます。

テントもずいぶん軽くなったようですが、やはり水とか食糧とか、不安なので詰め込みすぎると重いですね。小屋の混雑やお金が掛かることなど、私も動機は同じです。

これから行けそうもなかった処に行けるかと思うと、ほんとに楽しみです。

とはいえ、やはり怖いのは熊ですけどね…。

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