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2012年6月

雲取山・初めての幕営(後編)

2012/5/26
鴨沢(9:30)---七ッ石小屋---七ッ石山---奥多摩小屋---雲取山---雲取山荘(17:00)

2012/5/27
雲取山荘(8:30)---捲道---小雲取山---七ッ石山---捲道---鷹ノ巣山避難小屋---捲道---将門馬場---六ッ石山分岐---石尾根---奥多摩駅(17:00)

大きな木の傍にザックを下ろして、私は、落ち着け、と内心に言い聞かせていた。いよいよテントを張るのだ。クレッタルムーセンの大きな口を開いて、荷物を取り出していく。水の入った1リットルのペットボトル二本は、重いだけでなく、無駄に嵩張った。此れは反省材料で、次回はプラティパスを買わなければ、と痛切に感じた。
食料やクッカーの入った10リットル入りのスタッフバッグ。レインウェア。着替えの衣類が入った15リットル入りのスタッバッグ。そして冷凍したソーセージと缶麦酒が入っている保冷バッグ。これが負荷の元凶であったが、此処迄来たら最早後悔は無い。そしてやっと、テント関連の荷物が覗く。フライシートの入ったケースを出して、同時に折り畳み式のサーマレストを引っ張り出す。最後にエアライズ本体を取り出した。

いざ設営、とは云っても、自立型ダブルウォール式テントは、難なく組み立てることができた。家で何度も練習したと謂うのもあるが、実に簡単に完成した。
本体にフライを引っ掛けるのを忘れてペグを打ってしまい、やり直すとか、フライを引っ張りすぎてペグを打ち、客観的に見たら歪んでいるので張りなおす、と謂ったような失敗も御愛嬌である。
雲取山荘は予想通りの大盛況で、テン場の適当な場所を探しているうちに、ずいぶん山荘から遠ざかってしまった。しかし、樹林の途切れた、雲取ヒュッテ跡の近くにある広い場所は、眺めも良くて、初めて張ったテントがいい具合に配置されているような気がする。贔屓の引き倒しなのだが、そう感じてしまうから仕方が無い。

保冷袋から、よく冷えた缶麦酒を二本取り出し、Mと乾杯をする。缶麦酒を、喉を鳴らして流し込む。缶麦酒は、乾杯でごくごく飲んでも大丈夫。けちけち飲むことはない。何故なら、ちゃんと、お代わりの分として、あと二本持ってきてあるのだ、と、私は挑むような表情でMに云った。それは重かっただろうと、さすがにMは驚き、呆れていたようだ。自分でも、なぜそんなに麦酒にこだわっていたのか、もう定かではない。

冗長な黄昏の空を眺めながら、あとは飲んで食べて、眠るだけである。
岳友は食材を並べ、ガスストーブをセットして、なにやら物々しく準備をしている。テント泊の山行きで、彼はどうやら食事のことに執心していた模様であった。

細かい状況は割愛して、Mが執り行った過剰な夕餉のメニューを記すと、

ソーセージを網焼きで麦酒。

此のソーセージは私の持参したもので、其の後はMの独壇場である。

塩胡椒で味付けただけのサイコロステーキ。

バターコーンのコチュジャン和え。

ソーセージチーズカレー和え。

カニ缶詰を温めたもので純米酒。

帆立貝の缶詰とシメジのソテーでサントリー山崎の水割り。

と、謂うようなもので、どれも此れもこの上なく味の濃いものばかりだが、此処迄歩いて疲れきった身には丁度よい味加減なので、ひたすら飲んで食べ続けた。気がついたら辺りは深閑とした静けさで、皆テントの中に入って休んでいる様子だった。気温は随分と下がっているように思う。私は百円ショップで買った、性能が怪しいエマージェンシー・シートを下半身に巻き付けて酒を飲んでいたが、トイレから帰ってきたMは急に、寒くて震えが止まらないと云って、テントに消えていった。
独りになると、寒さが意識の中に迄入り込んでくるように厳しくなってきたので、私も寝袋に入って横になった。そして、意識が急激に遠ざかっていくような感じで、眠りに落ちた。

眼が覚めたら外は明るい気配で、隣のMも寝袋の中で覚醒していた。随分眠ったのかと思うが、時刻を見ると四時半で、そんなに寝坊をしたと謂うわけではない。珈琲を沸して飲んでから、折角なので、雲取山の山頂に空身で登ってこよう、と謂うことになったが、此れが予想以上に疲労を感じる行動になった。昨夜の飲み過ぎが原因なのか、どうにも身体が重い。眺望の無い山道を黙々と登る。やがて到達した山頂は、高校生の団体が丁度登頂したばかりのようで、騒々しいこと夥しい。感興も無く、山荘に引き返した。

テントに戻って、簡単な食事を摂って、また珈琲を飲んで、茫然と煙草を燻らせて、のんびりしているうちに、周囲のテントが次々に畳まれていく。陽射しが明瞭になってきて、暑いくらいになるが、太陽が雲に少しでも隠れると、途端に肌寒くなる。漸く撤収を始めて、山荘前迄戻り、水場でペットボトルに補給して、さあ出発だと思い、Mに現在時刻を聞いたら、もう九時だよ、と云う。山で幕営する者のタイムテーブルでは到底無い時刻だった。

雲取山の捲道を辿り、石尾根に向かう。途中迄、あまりの疲労というよりも虚脱感に塗れていた我々は、帰途のコースを巡り、少し揉めた。私は富田新道から最短で林道に下りて、ぶらぶらと日原に向かう案だが、コースタイムを見ると長すぎるからと云って却下された。では相方の案は何かと謂うと、鴨沢迄来た道を戻るのが最も楽だと云うから、其れは余りにも詰まらないと私が拒絶する。ならば折衷案と謂うことで、千本躑躅から赤指尾根に入り峰谷バス停に下りるということに、とりあえず決定した。

しかし、石尾根に合流し小雲取山を捲いて、広々とした防火帯の道に入ったら、何だか気力が戻ってきた。私は、峰谷発のバスに乗っても、奥多摩駅に着くのは夕刻だから、此の儘石尾根を歩き続けても変わらないと主張し、啞然としているMの説得に掛かる。ブナ坂の分岐の木陰で、心地よい風に吹かれたら、どうやら彼も元気が出てきたようで、ふたたび七ツ石山の頂上を踏んでからは、ひたすら捲き道を、東に進んでいった。

鷹ノ巣山避難小屋の広場で昼食を摂る。Mのザックからは、未だあったのかと思う程、レトルト食品の類が出てくる。私も、自分で自分の食事を賄おうと、パスタを茹で、同時にレトルトのソースを温めてみた。ジェットボイルに五徳を付けて、コッフェルで湯を沸す。茹で汁は、使用していないジェットボイルのボトルに移し、コッフェルに残ったパスタにレトルトの浅利ソースを掛ける。食べたら茹で汁でコッフェルを洗う。思いがけなく手際のよい手順となって、自分で自分に感心してしまった。

石尾根を捲く道は、途中南下するようにして迂回する単調な道で、将門馬場迄来たら、さすがに疲労が増してきた。しかし、此処迄来たら、もう奥多摩駅に向かって歩くしかない、と謂う雰囲気に、自然となった。私は、雲取山頂からではないけれど、雲取山荘から奥多摩駅迄歩くと謂う行為が、余りにも愚直で、其れが却って愉しく感じることができる。
Mの様子を窺うと、明らかに退屈で、疲労感に覆い尽くされて居ると謂う風情で、黙々と歩いている。荷物は大分軽くなっている筈だが、足裏が痛いと云う。六ツ石山分岐で、もう此処迄来たか、とは私の感慨で、Mはどうだか分からない。未だこんな処か、と云っているように、中々出発しないで座り込んでいる。

石尾根の捲き道を延々と辿り、三頭山の全容を眺め、次いで御前山の威容を愛でて歩いて来た。六ツ石山分岐から、ガレ場の急坂を下りる途上で、遠くを見上げたら、大岳山が、兜のような例の形状で、正面に在った。奥多摩三山を順々に眺めて、もう氷川の里までは近いのだと思うと感無量になった。Mは憮然としながらも足取りは衰えない。植林帯に入ったら、私も、ただ黙々と、歩き続けるだけだった。

追記

登り尾根の「堂所」に就いて、『悠遊趣味』さんの掲示板でご教示を戴きました。感謝致します。

補記

2012/4/29

二俣尾駅(11:30)---名郷峠---辛垣山---雷電山---大泉院---伏木峠---なちゃぎり林道---常福院---岩茸石山---馬仏山---沼沢尾根---川井駅(16:30)

2012/4/30

笹子駅(8:30)---追分---笹子雁ヶ腹摺山---米沢山---トクモリ---お坊山---大鹿峠---景徳院---甲斐大和駅(15:30)

2012/5/6

大倉(8:00)---林道---政次郎尾根---政次郎ノ頭---行者ヶ岳---烏尾山---新芽山荘---大倉(14:00)

雲取山・初めての幕営(中編)

2012/5/26
鴨沢(9:30)---七ッ石小屋---七ッ石山---奥多摩小屋---雲取山---雲取山荘(17:00)

2012/5/27
雲取山荘(8:30)---捲道---小雲取山---七ッ石山---捲道---鷹ノ巣山避難小屋---捲道---将門馬場---六ッ石山分岐---石尾根---奥多摩駅(17:00)

雲取山に登るコースは多岐に渡るが、大多数の人が選ぶであろう、鴨沢から七ッ石小屋へと至る尾根を選んだのは、私の本意では無い。若し単独行であったら、おそらく東日原から大ダワ林道辺りの道を、選んでいたのではないかと思う。テント泊の山行きを実行するにあたって、友人のMは当初、やや億劫なそぶりを見せていたが、私の購入したテントが二人用であると謂うことで、少し重い腰を上げたようだった。私にしたところで、未体験の幕営に不安は隠せず、最初は山小屋の管理区域に在るテント場に泊まることは決めていたから、賑やかであろう雲取山荘のテン場で独りで居るのもつまらない。Mの同行は歓迎したいところだ。知らない道を行くと謂う冒険的な行為を、何かと牽制するきらいのある、中庸思想の友人を刺激しないようにと、マジョリティが選ぶルートを登ることになった所以である。

鴨沢バス停から、民家の点在する登山道に入り、尾根の末端をぐるりと捲いて、高度を稼ぐことなく、植林帯を地道に歩き続けたら、明るい舗装された林道に出て、其処が駐車場のある小袖乗越だった。ザックを下ろして休憩するが、こんなに初っ端から地べたに腰を下ろしてしまうという状況はかつて経験したことが無い。何組もの後続のグループが辿り着き、出発していくのを見送る。

しばらく舗装路を歩き、やがて左手に登山道と指導標が現われる。此処にも多くの登山グループが小休止している。私は、想定していたとは謂え、人だらけの山道に辟易し、荷物の重さも相まって、次第に苦痛を感じてくるのが分かる。小袖川の谷を挟んで、赤指山が連なる尾根を植林の隙間から眺めながら、昭文社の地図で記されている、登り尾根の側面をなぞるようにして、徐々に登っていく。850メートルの等高線を辿る途上、北西に舵を切る箇所で、大きく展望が開けた。深い谷の彼方に、山稜が聳えている。

行く手の斜面が伐採されている箇所の手前で、斜面に廃屋が建っていたので、其処で小休止をして、多くのグループが、黙々と登っていくのを眺めながら佇んでいた。やがて、草刈鎌をぶら下げた地元のおじさんが下ってきたので挨拶したら、雲取山か、と訊かれた。私は傍らのザックを指して、そうです、テントで泊まるのです、と律儀に答えた。

そうか、テントならいいな、と、おじさんはのんびりと云う。ゴールデンウィークの小袖乗越は、百台くらいの車が駐車していて、雲取山荘では、一畳あたり四人の鮨詰め状態だったそうだ。私は、テントなら大丈夫、と謂う言葉に、憑いていた疲労が抜けていくような気がした。おじさんは、今日もかなり多いな、と、独り言のように云った。

追い越したり追い越されたり、何度も見かけるグループや男女のカップル等と共に、変哲の無い植林地帯を黙々と歩き、漸く水場の或る処まで来ると、多くの人々が休んでいたから、構わずに歩き続ける。1200メートルを越えて、昭文社に記されている堂所と思しき場所で休む。指導標にも名前が記されているが、地形図では1250メートルから少し上がったピーク辺りかと思っていたのに、其処に登る途上のような場所であった。小休止の間に断続的に登山者が到達し、混みあってきたから直ぐに出発する。少し登ったら、陽当たりのよい小ピークの広場に出た。多くの人々が休憩している。こちらの方が如何にも、「堂でも建てるには格好の、尾根筋の平らな所」(補記参照)と謂う意味のある、堂所らしいと思える雰囲気のある場所だった。

其れ程急勾配も無く、途中トラバース道と分岐する「近道」と記された道標の方向に入り、少し直線的に登るが、喘いでと謂う程でも無い。しかし、クレッタルムーセンの重さに耐えかねて、道が合流したり、勾配を登りきった時など、いちいち立ち止まっては小休止をする。石尾根に乗ってしまえば、と謂う実利的な欲求が在る分だけ、負荷の苦しみがこみ上げてきて、本来は最も愉しい筈の、登る途上の行程が辛い。漸く空の広がりを感じた頃、斜面に貼り付いているような立地の、七ッ石小屋に到達した。ネットの情報では、かなり廃れた外観、と謂うような表現がされているのが目立つ七ッ石小屋だが、好天の下で見ると、其のような印象は受けなかった。

年配男性グループが追いついてきて、さあ麦酒だ、と仲間に叫んでいる。私とMは、思わず小屋の入り口に書かれている品書きを見つめる。そして、ぶるぶると顔を振り、そんな場合ではない、と云わんばかりに出発した。七ッ石山の捲道にぶつかるが、敢えて右に曲がり、少し逆行しながら石尾根に出た。程なく樹林の中に入り、七ッ石神社の朽ちた鳥居と社殿を確認し、七ッ石山への登りをこなして、山頂に辿り着いた。

樹木が伐採されて剥き出しの山頂は、広々としてはいるが何処か殺風景で、其れは鷹ノ巣山の雰囲気に似ているような気がした。目立って見える、大寺山の仏舎利塔が左手の彼方に遠く見えるから、其れで鷹ノ巣山とは違うと理解できる。丹波山村方面へ続く尾根の彼方は、晴れているのに、ぼんやりと霞んでいて、すっきりした見通しではなかった。大勢のハイカーが昼食を摂っていて、我々も漸く大休止を取る。

ホグロフス製50リットル容量のザックから、いろんな袋の類や、食材を容れた布製の箱を外に出して並べているMに、昼飯だが込み入った料理でも始めるのか、と訊く。実情は、単にガスストーブとコッフェルを取り出しているだけで、パッキングの順序を間違えるとこうなるのかと、内心考えながら黙ってその様子を眺めていた。私も、簡便にお湯を沸かせるジェットボイルと、カップ麺を取り出す。しかし、コッフェルはふたつあるので、お前の分もあるから此れを食べろ、とMが云う。取り出したのは、カップ麺の中身だけが圧縮されてパックされた商品だった。其の、カップ麺の中身をコッフェルのお湯に入れて、煮込んで作る。袋入りのインスタントラーメンでしかないのだが、何れにしても気前のよい友人である。

一応遠慮して、いや俺は自分のがあるから、と、普通のカップヌードルを指し示すが、いいからいいから、と、Mは私の為にお湯を沸かし始める。プラティパスからコッフェルに水を注ぎながら、此れで少しは軽くなるかな、とMが独り言を云った。水を消費したいがために、私の分のラーメンを作って呉れているようにも聞こえる。煮込んで直ぐ食べるから、通常のカップ麺よりも熱くて旨い、と、Mが機嫌良さそうに云う。道理だが、余りに当たり前なことを云われても、応えるのが窮屈だ。仕方が無いので黙って食べる。コッフェルの中のインスタントラーメンの風情が似合うのは、貧乏学生のアパートか、こんな山の上での食事くらいだろう。

山頂から雲取山に向かって、防火帯のように草木が刈り取られた急な斜面を、西北に下る。ブナ坂の分岐から、広々とした山稜の上を歩く心地よい石尾根縦走路が始まる。初めて歩くのに、何故だか懐かしいような気になるのは、インターネットで幾つもの記録と画像を見てきた所為かもしれない。風景は彼方迄広がり、此迄歩いてきた奥多摩の山々とは違う奥深さを感じる。左前方に聳える立派な飛竜山と、其の向こうに連なるのが大菩薩嶺と小金沢連嶺だろうか。

起伏を感じさせない緩やかな道が続き、ぽっかりと開けたピークが1746メートルのヘリポートで、幕営禁止の立て札を過ぎて間もなく、夥しい数のテントの群れが現われた。テント泊の皆は、こんなに早い時間から滞在しているのかと、目の当たりにして感じ入ってしまった。奥多摩小屋に近づくにつれて賑やかさが増し、まるで花見の名所にでも立ち入ったかのような喧騒だった。テン場は其れ程幅広くない山道の両サイドに沿って、樹林の中に迄及んでいた。平らで木陰になるような良い場所は全てテントが近接して設営されていて、やや斜面になった林の中にも張られている。標高1800メートルの山稜を歩いている途上であるというのが信じられない。気圧されるように、俯き加減で奥多摩小屋の区域を通り過ぎていった。

あまりの騒々しさに辟易しつつ、間近に迫ってきた初めての幕営が意識されてきて、複雑な心境になってきた。名にし負う雲取山荘の猛烈な盛況ぶりが、脳裏に浮かび、漠然とした憂鬱に襲われる。小さなピークを越え、道は所々ザレの様相も呈してきて、久しぶりの急勾配を喘ぎながら登ると、小雲取山の、樹林で見通しが悪いピークだった。混雑するテン場に泊まるより、こんな閑散とした場所で幕営するのもいいね、とMに向かって呟いてみるが暫く返事が無く、やがて、水場が無いから無理だろう、と呟いた。水はある、と云いたかったが、其れも面倒なので、ふたたび静かに歩きだした。

山荘への捲道を経て、いよいよ最後の登りに差し掛かる。東京都の最高峰迄来るのに、山歩きを始めて約四年もかかったが、もとよりそんな色気も無かった。ただ自分の内部に在る何かを無化したい、と謂うような、茫漠とした思いで、日帰り登山の範疇で歩いていた。テント泊の魅力に惹かれると謂う、多分に趣味的な心境になって、こんな処迄来てしまった。自分の奥底にある何かは、変わってきたのだろうか。

避難小屋の手前で振り返り、箱庭のように端整に配置された石尾根と周辺の山々の光景を眺める。景色が良いのは此処で、山頂は何故だか今ひとつなんだよ、とMが云う。陽は未だ高いのだけれど、薄曇の空の色が、なんとなく暮色を予感させる。私は、心地よい疲労感とともに、雲取山の頂に、ゆっくりと歩いていった。

補記
堂所と謂う地名の由来は、『悠遊趣味』の山日記№688「堂所山8」から引用させて戴きました。

雲取山・初めての幕営(前編)

2012/5/26
鴨沢(9:30)---七ッ石小屋---七ッ石山---奥多摩小屋---雲取山---雲取山荘(17:00)

2012/5/27
雲取山荘(8:30)---捲道---小雲取山---七ッ石山---捲道---鷹ノ巣山避難小屋---捲道---将門馬場---六ッ石山分岐---石尾根---奥多摩駅(17:00)

駅の階段を抜き足、そして差し足で歩廊に降り立ち、身体の重心はふらつくばかりだった。私は、よろよろと歩いていく。うら若きハイキング姿の娘が、面白いものを見るような顔で私を見ている。早朝の各停高尾行きの電車に乗って、座席に腰を下ろすと、疲労と寝不足の所為か、私の意識は深く沈んでいった。浅い眠りは立川駅の手前で遮られ、都合が良すぎる接続時間の青梅線電車は奥多摩行きに乗り換える。歩くのさえ儘ならないのに、早歩きを強いられる。そして奥多摩行きはたったの四輌編成で、車内はハイカーや部活の生徒などで既に満員なのであった。私は、膨れ上がった60リットル容量のザックをドア際に下ろし、朦朧とした気分で吊革に摑まって、立っていた。

何処かの駅に降り立ち、ひとり静かに山に入って、そしてまた何処かの駅迄戻ってくる。そんな、非日常の行楽で高揚する気分とは背反するような、自分でも判別できない、盛り上がりの欠落した山歩きが、自分にとって、身の丈に合っているように思っていた。しかし、日帰りでは辿り着けない、奥深い処に在る山に入って行きたい、と謂う欲求も徐々にこみあげてきていた。体験したわけでもないのに、情報によって認識した、混雑による窮屈な山小屋泊まりのイメージに、嫌悪感を抱いていた。テント装備一式を揃えることに、何も其処迄、と謂う自分への牽制も、依然としてあった。かなりの期間、煩悶しながら、初めてのテント泊を敢行することになった。行く先は雲取山で、東京の最高峰に、漸く登ることができる。

迷いに迷って購入したアライテントのエアライズ2、サーマレストのクローズドセルマットレスも、エアマットにするべきか悩んだ挙句決断した。寝袋はモンベル製のU.L.スーパー スパイラルダウンハガー3。此れはモンベルショップへ買いに行った際、最も軽量でコンパクトに畳めると熱心に勧める若い女性店員に盟友Mがほだされ、どういうわけだか店員と共に、私に此れを買えと勧める始末。高価なので躊躇したが、結局購入した。寝袋がこんなに小さくなるのかと、素直に驚いた。お湯さえ沸かすことができれば最低限の食事が摂れるだろうと、ジェットボイルも買った。最も悩ましかったのが大きいザックで、廉価なものでも昨今ではそれなりに作りはしっかりしているのだろうと、漠然と思っていたので当初はなんの色気もなかった。しかし、ひょんなことで知ったクレッタルムーセン製の軽量素材Huginが気に入ってしまい、とうとう煩悶する日々を経て注文してしまった。

瞬く間に買い物を続け、金額の絶対値で考えたら途轍もない散財だが、此れ等は幕営する為の最低限必要な道具であるから、何が自分にとって重要なのかと謂う思惟がぐるぐると頭の中を駆け巡った。結局、山の懐に此の身を預けると謂うことの無常感は、金を惜しむと謂う、日常ではごく自然な思惑を、まるで気泡のように弾けさせて、そして何処かに消し去ってしまっていた。

ぺらぺらな薄い素材(ザックカバーに背面のフレームを入れただけみたいな)のクレッタルムーセンに、覚束無い手つきで、パッキングをして、背負ってみた。興奮状態で、まるで現実感が無かった。テントを担いで、と謂うような重みが感じられなかった。しかし、いよいよ出発の未明、既に必要な道具を詰め込んだザックに、水を2リットルと、いつもの茉莉花茶1リットル、そして食糧を入れて、其れを背負った。不意を衝かれたみたいによろめいた。荷物の重さ其れ自体と謂うよりも、此れを担いだ儘半日余りも山を登り続ける、と謂う数時間後の自分の姿が脳裏に浮かび、私は慄然とした。奥多摩駅でMと待ち合わせをしているから、躊躇している余地は無かった。家を出て一歩踏み出した途端、私は、眩暈に似た感覚を引きずりながら、歩いていたのだった。

満員の青梅線電車だったが、拝島あたりで幸運にも座ることができたので、私は息苦しい気分の儘、ふたたび眠った。白丸駅を出たところで眼が覚めた。車内は閑散と迄はいかないが、だいぶ空いてきていた。程なく終点の奥多摩駅に到着し、歩廊に出て眼を疑った。奥多摩駅の歩廊は、まるでラッシュ・アワーの新宿駅かと見まごうばかりに、人で埋め尽くされていた。漸く階段迄辿り着き、人の波で密集した儘、ゆっくりと段差を下る。背中のクレッタルムーセンが得体の知れない生き物のようにゆらゆらと揺れている。此処で転倒でもしたら一体どのようなことになるのだろう、などと謂う暗然とした思いで、私は茫然とハイカーの波に揉まれながら、改札口へと向かった。

駅前はザックを背負った人波で埋め尽くされていた。其れ等を掻き分け、鴨沢西行きのバスに近づくと、不安そうにMが私を探しているのが見えた。ちゃんと合流できたのはいいが、鴨沢西行きのバスは、増便の一台迄もが既に客を満載して停まっていた。乗れないのか、其れも仕方が無いな、と私は内心思っていたが、西東京バスはこのような状況に慣れているのか、奥に停まっていた奥多摩湖行きのバスを鴨沢西行きに延長することにしました、と職員が宣言し、列を作らせてハイカーを詰め込んだから、我々もなんとか車中の人となり、喧騒の中でバスは連なって出発した。

鴨沢方面の客は押しなべてザックが大きいから、バスの中は単なる満員と謂う感じではなく、荷物と人が交錯して揉まれた儘、皆が必死に吊革に摑まり、首を動かすこともできないような有様だったが、途中、本来の乗客たちが水根で降りて、車内は漸く落ち着きを取り戻した。窓外に広がる湖の向こうに、御前山が快晴の陽光に照らされているのを眺める。あまりに陰影の無い山の風景は、銭湯のペンキ画のようにのっぺりとしていたが、其れが非日常感を増幅させる。私は大きいザックを抱きしめながら、どこまでも青い、空と湖を、眺めていた。

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