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鉄五郎新道から大塚山、そして麻生山での彷徨

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2011/10/18

古里駅(9:30)---寸庭橋---鉄五郎新道---金比羅神社---広沢山---大塚山---日ノ出山---麻生山---麻生山林道---松尾バス停(15:00)

珍しく早い時刻に目が覚めたので、此れは山に行く手だ、と思い支度して出かけたら、都心から下る中央線快速は通勤や通学の客が徐々に増してきて、私は出かけてきたことを少し後悔した。窓外に見る上り電車は云う迄もなく過積載の有様で、見ているだけで具合が悪くなりそうだが、下り電車がこんなに混んでいるとは誤算だった。立川迄其の儘だったが、漸く開放されたかと思いきや、青梅線のホームも随分人だかりがしている。私は、毎度の「奥多摩そば」で天麩羅蕎麦を啜りながら、次の電車を待つことにした。

皆が労働の為に移動しているのである。そんな平日に何をしているのかと暗に非難されているような気がしないでもないが、立川迄の満員電車ですっかり参ってしまったから、私は青梅行きの電車に座ると、直ぐに眠ってしまった。途中の羽村で意識を戻したがまた眠り、次に起きたら電車の中は静まり返っていた。青梅駅で折り返しの立川行きとなった車内で、向かいに座る客と目が合って、私は慌てて降りた。程なく奥多摩行きがやってきて乗り込むが、本来なら高揚してくる意識も今日はどうも儘ならない。老齢のハイカーの割合が高くなってきて、漸く通勤客に対する後ろめたさの必要も無くなって、妙な安堵感に包まれた所為か、私はまた眠ってしまった。そして次に目覚めたらまた車内が静まり返っていたので、何処なのかと辺りを見回したら、目的の古里駅だった。上り電車との擦れ違いを待つために長い時間を停車した儘の電車から、私はやはり慌てて降りた。

惰性の儘に奥多摩に向かうことが多くなったが、今日は明確な目的があって、其れは昭文社刊の「山と高源地図」には記されていないが、インターネットで数多の記事を読むことが出来る、鉄五郎新道を経由しての大塚山である。信頼するに足る写真入の記事を随分眺めたのが前の晩で、此れ程慎重に事前情報を採取するのは久しぶりである。早く目覚めた所以でもあると、自分で感じる。

寝過ごすことなく古里駅で目覚めたのはもっけの幸いだが、頭の中が茫然としながら、青梅街道を歩き始めた。寸庭橋のトイレに篭もり、漸く気分が治ってきた。越沢(こいざわ)とか、上坂(あがっさか)のような、普通では読めない地名が、寸庭にも当て嵌まるような気がしていたが、改めて大多摩ウォーキングトレイルの指導票を見ると、寸庭の文字にはローマ字も併記してあって、sunniwaとあった。音訓混交しているのは妙だが、普通に読める名前だったので拍子抜けである。

鉄五郎新道とは、寸庭川と越沢の間に聳える山脈に作られた山道のようで、其の名の通り私人が開拓した道だろうと思われる。丹三郎のような、地主の名前なのかとも思うが、詳しいことは判らない。大多摩ウォーキングトレイルの、鳩ノ巣へ至る前に本流から分かれて渓谷の中に向かう道すがら、ちょうど、蛍の生息地の看板の手前の、橋を渡る直前に、左へと分かれて登る道があって、其処に入ると木の幹に掲げられた丸い鉄板に「鉄五郎新道」と書かれたナビゲーションのサインが記されている。

数多のサイトで紹介されているが、改めて書くと、大多摩ウォーキングトレイルから別れて細い道をやや急な角度で登ると、直ぐに寸庭川と、集落に向かうであろう橋が現われる。その橋を渡らずに右手の細いが確かな踏み跡のある道を行く。何処迄も明瞭な道で心配はないが、途中で道標も無いのに左手に別れる明瞭な道が現われるが、構わずに山肌に沿って道なりに歩くのが正解のようだ。山肌に沿って蛇行する道を素直に歩いて行くと、やがて植物の繫茂が著しくなり、傾斜を登り始める。空が開けている方角は越沢の向かい側の、大楢峠に行く道の尾根だろうか。

緩やかに山の奥へと入ってきたな、と思う頃に、唐突な感じで廃れた家屋が林の中に見えて、其れが金比羅神社だった。兵どもが夢のあと、と云ったら雰囲気が掴めるような廃屋を横目に、崩れ落ちそうな鳥居をくぐり、数段登ると越沢の谷を見渡せる台地の上に立つ。御嶽山への指標は左に、右手は小高いピークだが、神社の本社が在る。廃れて倒れた儘の指標にはもうひとつ、けもの道、などと記されている。辺境の果てに来たような、複雑な気分になる。

下調べの甲斐あって、順調に金比羅神社に到達できたので、何とも謂えない安堵感を覚えた。本社の在るピークに登ると、其処は越沢と、寸庭川の谷を双方に見下ろせる断崖の頂上だった。登頂の最終的な余韻のような、そんな感慨を覚えるほど、完璧な頂上だった。心地よい陽気の中で、私は座り込んで煙草を燻らせる。

鉄五郎新道の目的は、神社への参道だったのだろうが、ハイカーの御目当ては、絶滅危惧種である可憐な岩団扇と謂う花の群生地である。金比羅神社を後にして、尾根上を急激に登る頃に、団扇を模した、岩団扇保護を示唆する木彫りの標識が木に括り付けられていた。開花期の晩春には多くの人々が訪れるようだが、今日は勿論花も人も無く、部分的に紅葉の気配が漂う越沢越しの山並みを静かに眺めるばかりである。すっきりと晴れ渡っている訳でもないから、遠くの御前山も朧気だ。尾根上に載って歩き出してから、見晴らしのよい場所が現われた。格別のことも無いのに、茫洋として暫し佇んでいたら、なんだか自分自身の実体感を喪失してしまったかのように、時が経っていく儘、私は静止して空を眺めているばかりだった。

其処から先は、越沢から離れていくような気配で登りが続き、陽当たりが良いのか繫茂の度が増してきて、蜘蛛の巣を払いながら進む。昭文社には載っていない広沢山迄、随分時間がかかったような気がした。植林地帯を抜けて、ふたたび草蒸した登りを続けていたら唐突に電波塔の施設が現われて、興醒めた気分で大塚山に到達した。誰も居ない大塚山で休憩すると謂うのも不思議な感覚である。

登る前は、大塚山から奥ノ院、そして閑散としているであろう岩石園へと進むつもりだったが、鉄五郎新道が想像以上に野趣のある道程だったから、既に満悦至極の心境だった。最も簡便なのは丹三郎に下りることだが、歩いて青梅に近づこうとする方が建設的なような気がしたから、日ノ出山、三室山というお馴染みのルートを辿ろうと決める。しかし、宿坊の連なる道から御嶽神社をパスする捲道に入り、日ノ出山への道に入ったら、所々で日本山岳耐久レースの標識が現われてきたから、此の儘金比羅尾根を辿って五日市へ踏破してみようか、と謂う気分になった。武蔵御嶽神社の鳥居を越えて、私は走ることにした。

レースコースに忠実に、日ノ出山へと登る。山頂からの東京遠望は、雲間から降る光に照らされていて美しく、暫し見とれてしまう。皆が、蟻のように働いているのかな、などと不遜なことを思う。振り返ると御岳山が、箱庭のように配置されているのを見渡せる。出来すぎた良景である。そして五日市方面を眺めると、麻生山が屹立して立っているのが見える。それで突如、登ったことのない麻生山に寄ってみたくなった。

誰に気兼ねすることもない単独行は、無作為に道を選べるから、探求する積もりで知らない道を目指すことができる。鉄五郎新道を経験して安堵し、そして整備された武蔵五日市駅迄の道程に乗ってからは、心のタガまで外れてしまったようだ。麻生山分岐の標識に辿り着いた時、肝要バス停への標識を見て、暫し考えてしまった。金比羅尾根の冗長さを想像して、其れなら、バス通り迄下りて、慶福寺から肝要峠を経て愛宕山、気力があれば赤ぼっこ迄、疲れたなら宮ノ下駅へと下りると謂うルートもあるな、などと思った。しかし、考えてみると麻生山に登ったことがない。余力がある今なら行ってみようと謂う気になった。昭文社を見ると、麻生山から破線が記されていて、金比羅尾根に合流することができる。行って戻ってくるのが億劫なので、この記しが麻生山へと脚を運ばせることになった。

眺望の無い山頂のことは事前の情報で知っていた。腰を下ろして休むような場所もないので、直ぐに出発した。植林地帯を明瞭な道筋が続き、何の不安も無く歩き続けたが、MTBも疾駆する尾根に合流する気配が近づいてこない。徐々に岩が多くなり、厭な予感がしてきた頃、東電の黄色い作業道に関する杭が現われた。捲道のように、右にクイックリターンするかの方向に、山肌に沿った道が分かれている。正面は岩があるが、其の先も歩いて行けるような雰囲気だったから、暫し躊躇し、思案してから、右に舵を切った。明らかな作業道を、方向的には逆戻りの様相だが、山の中では有り得ることだ。其れでも、細い踏み跡を、心細くなりながら進んだ。間もなく倒木が道を遮り、其の先は、繁茂して道が見えなくなった。私は、間違いだったかと判断して、引き返すことに迷わなかった。

分岐の場所に戻り、改めて真直ぐに進んだ。露岩が頻出するが、尾根は歩いて行けるような道筋があった。しかし、鬱蒼としてくる周囲の光景に、徐々に悄然としてきた頃、ぽっかりと明るい場所に出た。送電鉄塔が立っていた。人工的な場所に辿り着いて安堵した反面、其の先が判然としない。私は角研山北尾根のことが思い返されて暗然とした。今回は昭文社の地図も当てにならない。高圧線を見上げて、左手の方を眺めて、此れはあの梅野木峠に続くものだな、と謂う見当は付く。しかし、金比羅尾根の鉄塔のイメージが湧いてこない。鉄塔を辿るバリエーションルートを気取るには、知識も経験も装備もない。そのような自覚を持ちながらも、手探りで鉄塔から下ることにした。角研山の時のような植物の繫茂は無いが、あまりにも踏み跡の無い植林地帯を下って行く。そしてとうとう諦めた。踏ん切りが付いたのは、獣の糞に蠅がたかっているのを見て、恐怖を感じたからだった。

久しぶりに迷い、徒労の悔恨とともに湧きあがってくる疲労感が格別だった。鉄塔に戻り、少し息を落ち着かせて、方向感覚を失わないうちに、という焦燥感で、直ぐに出発した。無駄足の後悔を捨てて、無心で登り返していく。くだんの黄色い杭迄戻って、其処から間もなく、安全な雰囲気の植林地帯になって、漸く安心した。昭文社の破線はどうなっているのか。私は理不尽な気持ちを隠せなかったが、あの捲道の倒木と、其の先の繫茂に、可能性があったかもしれないと考えた。いずれにしても、鉄五郎新道から、更に欲張ったことを後悔するばかりだった。

麻生山山頂に戻り、私は虚ろになって分岐点迄をのろのろと歩いた。もう、長大な金比羅尾根を歩く気も失せていた。肝要バス停への道を辿り、間もなく林道に出て、つるつる温泉の立派な看板を眺め、白岩ノ滝方面へと林道を歩いた。途中、林道が大きく迂回する部分があって、山道と分岐していたが、私は既に気力が無く、遠回りでもよいので、其の儘林道を蛇行して歩いた。其れは歩行者にとっては理不尽な程距離があったが、私は兎に角安全な道を歩いて行きたかった。そうして、漸く沢沿いの道になって、バス通りに出たなと思ったら、つるつる温泉の付近だった。あの分岐していた山道を行けば肝要地区に行けたのかなと、ぼんやりと思った。

松尾バス停には、武蔵五日市駅行きのバスが、捨て置かれているみたいに、無人で停まっていた。静かな車内に座り、握り飯を頬張っていたら、運転士さんが戻ってきて、意外なという風な顔をして私を見た。思わず会釈したら、あと五分くらいで発車するから、と云った。林道の迂回も満更無駄でもなかったかなと、私は自分だけにしか通用しない合理的な理屈を、ごく自然に呟いていた。バスのエンジンがかかった。小さなバスが、私を乗せて、ゆっくりと動き出した。

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