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蓑毛からヤビツ峠経由で霊峰大山へ。

2011/9/18

蓑毛(12:30)---ヤビツ峠---イタツミ尾根---大山---見晴台---日向薬師バス停(16:00)

法事で帰省したら、山腹にある墓地から眺める丹沢の山々が綺麗なので、望郷にも似た思いが湧きあがってきた。東日本大震災以降、未だ丹沢山塊を訪れていない。体力は漲っているが、気力が不足している所為だろうか。神奈川県某所に在る実家に泊まるついでに、久しぶりに丹沢へ行きたいと思う。そんな気分の推移もあろうかと、山に行く衣類等を揃えて鞄に忍ばせていたから、謂わば、計画的犯行である。

其れでも、やはり近い場所と謂う認識からか、或いは仏事に纏わる酒席の所為か、相変わらずの寝坊をしてしまった。小田急の秦野駅に着いた頃は既に正午で、蓑毛行きの神奈中バスは閑散とした駅前ロータリーで、疎らな客を乗せたままアイドリングストップしてひっそりと停まっている。私は、最後部の窓際の特等席に座り、久しぶりに開く丹沢の地図に見入っていた。

山歩きに昵懇となるきっかけが丹沢だった。何度も訪れているような気がしていたが、考えてみると判で押したように渋沢駅から大倉へとバスで移動し、大倉尾根や二俣への西山林道を辿るばかりの行程を繰り返していた。丹沢表尾根の入り口であるヤビツ峠も、その麓である蓑毛にも行ったことがない。だから、寝坊を結果オーライにして、遅ればせながら蓑毛からの登山を経験しようと謂う気分になった。正午に駅に着くようでは到底表尾根に足を踏み入れることはできない。だから、此れも久しぶりな霊峰大山に登ると謂うことにする。

巷では協力な台風15号が近づいており、天候も風雲急を告げるかのような日和だと思われたが、神奈川の平地は晩夏とは云えないような暑さであり好天だった。しかし、小田急電鉄の車内から眺める大山は既に、傘雲のような暗雲に包まれているのが判った。蓑毛バス停に降りた私は、曇りとも晴れとも判然としない妙な空気感に包まれた思いだった。

蓑毛から大山に至る道程は二通りあって、蓑毛橋から舗装された坂道の先を右手に入る裏参道と、其の儘直進してヤビツ峠を目指し、大山方面に至るイタツミ尾根を辿る道である。私は、初めての蓑毛に向かう途上で、どちらにしたものかと迷っていた。疎らな乗客の中に、私の他にひとりだけ登山姿の女性が居て、バスを降りて直ぐに歩きだした。私は、余り間隔を狭めないように気を遣って、少しゆっくりと歩き始めた。彼女が裏参道へ曲がるならば直進し、曲がらないようであれば自分が裏参道へと右折すると謂うことに決めた。しかし、正午過ぎに単独で蓑毛から歩き始めた其の若い女性の歩調は速く、私の視界からあっという間に姿を消してしまった。

甚大であった台風12号の余韻だろうか。沢の水量は潤沢で、轟々と豪快な音を立てている。鄙びた舗装路の勾配を登りながら、水の香りを含んだ空気の中を心地よく歩いた。程なく茶屋を過ぎ、立派な建物が現われたと思ったら割烹と書かれていて違和感を覚えるが、品揃えの好い広々した茶屋であろうと思った。此処で裏参道を分けるので、其の方角を眺めてみるが、くだんの女性の姿は無く、家族連れがゆっくりと登り始めているのが見えただけであった。裏参道は直ぐに鬱蒼とした樹林帯に突入するようなので、私は、もう少し沢の音を聞きながら歩きたいと謂う気分になってきたので、其の儘直進することに決めた。

水量の多い濠の音と、何処か不安にも聞こえる風の音。私は寧ろ、無音状態のような気分で、漸く気力を漲らせて歩き続けた。やがて水場に至り、沢を渡渉し、左に旋回するように山道が始まる。登り始めた処で、あの若い女性の姿が見えたので、少し躊躇して減速した。若い娘に気を遣い過ぎのようにも思えるが、そういう気になってしまったので仕方がない。蓑毛からの道は休日とは謂え、登り始めにしては時間が遅いから、人の気配が少ない。彼女は立ち止まって、髭僧の滝へと分けて行った。だから、其処からは気ままに、急ぐようにして、歩きやすい山道を進んだ。

下山してくる人々は徐々に増えて、汗まみれになってヤビツ峠に到達した頃は、バス停の辺りも賑やかな様相だった。煙草を少し燻らせて、直ぐに大山方面に出発する。コースタイムで一時間なので然程の距離ではないが、傘雲に覆われた霊峰に近づいたイタツミ尾根は、登るにつれて、靄の様相を呈してきていた。

よく整備された道で、老若男女、あらゆる登山客と擦れ違い、そして追い抜いていく。丹沢随一の観光地であるから、覚束無い足取りの人々によってすいすいと登ることができない、ということに対しては全く気にはならない。しかし、外見からして山に馴染んでいるな、と思えるような者が、登り優先の擦れ違いを無視して下りて来る態度には憤懣を覚える。それが一人やふたりではないから、マナーの基準が変わったのかと錯覚しそうになる。連れの女性が遅れているのに構わず行ってしまう恰好だけは一流の若い男が、漸く追いついて息も絶え絶えの彼女に、手前勝手な登り方のレクチャーをしている。そんな光景を眺めると、理由の判らない疲労感が湧きあがって来る。

鎖場が現われ、岩場の険しい箇所を過ぎて、視界が開ける尾根の上に出たが、もうすっかりガス状で眺望は無い。寧ろ霊峰の雰囲気が醸し出されているようで、私は少し清廉な気分に戻った。そして表参道に合流したら、夥しい人の帯が続いていた。最後の階段状の登りで、殆どの人が牛歩のような状態になっており、私は、渋滞の車を縫って走る自転車のような感じで、登った。下ってくる老齢の男性が、仲間を手で制して道を譲ってくれる。私は御礼を云いながら擦れ違う。男性は、登り優先、と大きな声で仲間に伝える。私は、マナーが維持されていることを再認識できて、心の底から安堵した。

大山の頂上は格別のこともなく、大勢の人が休憩して食事を摂っている。天候はますます悪くなってくるようで、肌寒さ迄感じてくるから、私は少しの時間で食事を済ませて、今度は雷ノ峰尾根を見晴台に向かって降りていく。やがて霧の雨が降ってきた。それなのに、午後になって登って来る子供連れが少なくないことには驚かされる。

濡れた粘土質の土だが、構わず駆け降りて、次々に人を追い抜いていく。背後から、忍者みたいだね、と云う声が聞こえてきて、少し面映い気持ちになりながらも、調子に乗って飛ばして行った。鬱蒼とした切り返しになる岩場のところで立ち止まり、息を整えていたら、足元の岩が湿っていたからか、滑って転倒した。立ち止まった儘転倒したのは初めてである。

忍者にこんなザマはないだろう、と、私は自虐的に笑った。受身で打った左肘が痛み始めて、触ってみたら、血が滲んできた。私は、深呼吸して、ふたたび靄の中を、ゆっくりと歩き始めた。

別記

2011/9/24

白丸駅(11:00)---上坂---大楢峠---坂下---寸庭---古里駅(13:40)

*大楢峠から鍋割山に登ろうとしたが繁茂の季節で蜘蛛の巣まみれになるのを嫌い御嶽山裏参道へ向かおうと決めたが、台風の所為なのか山道崩落の為通行止めということでロープが渡してあった。疲労が高まり撤退を決断。帰路の大多摩ウォーキングトレイルで川に沿って歩く。多摩川も、其処に注ぐ支流の流れも凄まじく、山頂を目指せなくても心地よい時間を過ごした。

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