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2011年8月

南高尾山稜・小仏城山・北高尾山稜(後編)

2011/8/7

高尾山口駅(9:00)---四辻---草戸山---三沢峠---西山峠---大洞山---大垂水峠---城山---小仏峠---影信山捲道---小下沢---狐塚峠---高ドッケ---杉沢ノ頭---富士見台---地蔵ピーク---駒木野---高尾駅(16:40)

見慣れた植林地帯の中を、ゆっくりと進む。大盛況の城山山頂から離れたら、其のコントラストが際立って、一挙に静かになった。南高尾山稜から城山に登り、影信山から小下沢林道を横断して北高尾山稜を経由し高尾駅を目指すと謂うのが、今日の私の行程である。其の全体像からすると、今歩いている城山から小仏峠を経て影信山への道は、謂わば銀座通りの様相で、ハイキング姿は勿論、トレランで疾駆する者や、近所を散歩でもしているかのような恰好の、手ぶらで歩いている奴に至る迄、とにかくいろんな人と頻々に擦れ違う。

薄曇に戻った天候のお陰で、漸く涼しくなってきた。其れでも心地が良くないのは、頻々に擦れ違う人の多くは黙殺してくれるが、たまに挨拶をされるから、其れではこちらも返さなければならない煩わしさに拠る。勿論後者の儀礼的態度に対して批難するべき理由は無い。端的に云えば、前者が全て雲散霧消して貰い、後者の諸賢だけが此の山域に残って戴ければ、其れで一件落着である。要するに人が多すぎる。いちいち挨拶を交わしても際限が無い。若者数人の集団、男女のカップル、陽気な壮年のグループなどは挨拶などしてこない。其れを見極めて私も擦れ違いざま迄黙殺の緊張感を持続して、やっと擦れ違う。

客観的に見れば、ただ黙って擦れ違うだけである。しかし、沈鬱そうに黙々と歩く中年男性で単独の人など、此れは間違いなく黙殺で大丈夫、と踏んでいると、擦れ違いざま唐突に、こんちわ、などと云われる。慌てて私も挨拶を返さなければならない。黙々と小走りでやってくるトレランの中年男性なども、苦しそうな呼吸の中で、律儀に挨拶してくる。油断も隙もない。コンニチハと書いた看板でも掲げて歩けば好いのだろうか、或いは、小さいスピーカーが仕込んである帽子から、釦を押したらコンニチハと謂う声が出る装置でもあれば楽なのではないか、などと妄想を描きながら、私はいつしか小仏峠を過ぎて、影信山への登りにさしかかっていた。

高尾山の周縁を丹念に登っていく積もりだったが、影信山の頂上を想像したら、此の煩わしさの極みを味わうのは必至と謂う確信を覚えた。私は影信山直前の捲道を右に入った。ふたたび小仏バス停からの道に合流し、小下沢への分岐を直進して、漸く静寂に戻ったなと思い安堵した。そうしたら直ぐに、向こうから嬌声が聞こえてきたので落胆したが、やってきたのは若い女性三人組で、可愛らしい声で挨拶してきた。器量の好さが声だけではない娘達だったので、私は先程迄の人格を豹変させて、陽気に挨拶した。捲道の選択が功を奏したことに、我が意を得たりと思うが、一体何の僥倖なのかはさっぱり判らない。

山肌に沿った細い道を駆け下りて行くと、汗が噴き出してくる。蒸し暑さは其れ程でもないが、走れば汗が出る。軽快に下って、沢の音が聞こえてきた。程なく踏み後の道に迄、昨夜降ったであろう山から湧き出る水が浸食していた。小下沢に落ちていく豪快な水量のザリクボのほとりで、私はふたたび顔を洗い、手で掬った水を頭から被る。そうやって休んでいると、全身から疲労が滲み出てくるような気がする。私はふたたび、ゆっくりと歩き始めた。

小下沢林道のキャンプ場跡地に出ると、日暮れには程遠い時刻なのに蜩が鳴いていた。誰も居ないベンチに座り、私は漸く遅い昼食を摂る。時折、花の写真を撮る為だろうか一眼レフカメラを携えた人が通り過ぎる。影信山から下りてきた人が、日影方面にゆっくりと去っていく。小下沢林道を目の当たりにすると、私にも終焉の気分が満ちてくる。此処から、ふたたび北高尾山稜に攀じ登り、高尾駅に向かうという意思が、徐々に萎えていく。誰に約束した訳でも無いから、途中で挫折しようと自分の勝手である。しかし、影信山を忌避して捲道を選んだりした負い目もあるので、此処で止めてしまうのは後味が悪い。影信山と北高尾山稜を省略してしまっては、結果としての行程が、あまりにも凡庸になってしまう。

文字通りの逡巡を経て、私は殺風景に広いキャンプ場跡地から、北高尾山稜へのジグザグ道を登り始める。蜩の声はもう聞こえなくなっていた。狐塚峠迄は、ほんのひと登りの筈だったが、暑さと倦怠感で異様に喉が渇くので、頻繁に立ち止まり給水した。其れで問題が起こった。私の持参している飲料は1リットル入りのペットボトルで、此の猛暑の期間、山の中を歩き回って、其れで大体事足りていたから、今日も此の一本だけしか持っていない。長距離の行程だから危惧してはいたが、小仏城山でコーラを飲んだのは、持参している飲料への配慮からでもあった。そして今、其のペットボトルに入っている茉莉花茶が残り少なくなってきている。息苦しい気分で狐塚峠に辿り着くと、私は急に心細くなってきた。

飲料の枯渇という事態への不安に呼応するかのように、北高尾山稜の途上の狐塚峠から高ドッケを目指して登り始めたら、空には暗雲が立ち込めてきて、遠くで雷鳴まで聞こえてきた。十分承知の上だったが、小さなピークを捲くこともできずに繰り返す道程を頭に描くと、疲れが一挙に押し寄せてくる。そして、喉の渇きが耐え難いように思えてきた。小ピークにベンチが有って崩れるように座り込んでしまう。茉莉花茶はペットボトルの底から未だ2センチくらい残っている。それを少し口に含んで我慢する。水が無いと思うと余計に喉が渇く気がする。

何時迄も休んでいると不毛の境地に陥るから、ふたたび歩き始める。相変わらず雷鳴が遠くに聞こえる。左手に広がる八王子郊外の風景は鉛色に沈んでいる。山道には不吉な風が通り抜ける。涼しいが不安である。人影も全く無い。あれだけ人ごみを避けようとしていたのに、今では絶海の孤島に居たらこんな気分か、と謂うような心境である。と、思ったら人の気配がして、やがて中年の男女と擦れ違った。お互いに意外だったのだろうと思うが、挨拶も心なしか沈欝な雰囲気に感じた。それにしても、と思う。何で小仏城山で予備の飲料を買っておかなかったのか。私は、無表情な、あの茶屋のおじさんの顔を思い浮かべていた。

勾配がやや急になり、辺りが樹木で鬱蒼としてきて、登りきったところが高ドッケだった。ベンチはおろか、山名票すらない。休めるような処ではないのは知ってはいたが、其れだけで今は挫けてしまいそうになる。立ち止まった儘、地図を広げる。あの儘小下沢林道を歩いてバス停に向かっていたと考えると、今居る高ドッケは、其の半分位しか進んでいないという間尺になる。以前、富士見台の手前から矢倉沢出合という、小下沢林道の途上にある場所に下ったことがある。そう思うと、富士見台のずっと手前の高ドッケで、終点迄の間尺を測っている訳だから、私の頭の中の疲労度が推し量れる。そして、北高尾山稜は、エスケープ道どころか、小ピークの捲道さえ無いのである。少しずつ、私は絶望感に包まれてきていた。

そんな感じで茫然と立ち止まっていたら、足元が痒い。蚊に刺されたようだ。慌てて高ドッケから立ち去り、また勾配を下って行く。蚊に刺されたところで、何の感慨も無い。欲しいのは飲料水で、其のことばかり考えている。蚊に血を吸われるということから、献血をして配給されるジュースを想像する。今此処で、飲料の為に献血できるのなら、いくらでも供給できるのだが、などと思う。此処には蚊の需要しかないのかと思うと悔しいと云うよりやるせなくなってくる。

単調な風景なのに起伏を繰り返す道に抗う気分も無く、枯渇の感覚をも忘れようと、無意識に近い状態で足を交互に運んでいたら、杉沢ノ頭に辿り着いていた。切り株に腰を下ろし、例によって少しだけ茉莉花茶を口に含む。窮乏とはこんな気分かな、と思う。もう少しで富士見台なので、気力を振り絞って歩き出した。八王子城跡への分岐をパスして、富士見台の休憩所に到達した。誰も居ないテーブルとベンチの場所に座ったらテーブルに頭を突っ伏して、其の儘動けなくなった。

眠った訳ではないが暫く動けないで居た。目指すのは駒木野である。しかし、もう殆ど飲料が無い。此処から少し下ったら、例の矢倉沢出合への分岐に出る。易しい道ではないが、麓に出てしまえば自販機に近づくことができる、と謂う思惑が頭をもたげてくる。すると、此処迄来て、結局小下沢林道に戻るなんて、と謂う敗北感も沸き起こってくる。私は息も絶え絶えなのに、煙草に火を点けて紫煙を燻らす。冗談では無い、と決断し、北高尾山稜から逃れる案を打ち消す。

打ちのめされたような気分で、茫然としながら山道を下って行く。煙草を吸ったら、益々喉が渇くような気がしたので、此れも自重しなければならないな、と思う。昔読んだ、太宰の小説が思い浮かんだ。其れは、或る雑誌の企画で、上野駅に屯する浮浪児を見物してくれと、太宰治が連れていかれる話で、終戦直後の日本は、喫煙の年齢制限という規則が無かったから、上野駅の軒下に居る戦災孤児たちは煙草を吸って為す術も無く屯しているのだが、記者の要望で太宰は其の子供とコミュニケーションを持たなければならない。太宰は浮浪児に、煙草は辞め給え、煙草を吸うと、却って空腹を感じるものだ、というようなことを喋るのだが、其れを思い浮かべた。煙草は辞め給え、却って喉が渇くものだ……。

自動車の走行音や工事現場の作業しているような騒音が徐々に聞こえてきた。地図を広げたら、圏央道が近づいていることが判る。蛇滝口への道が分岐する処迄、もうすぐであることに気づき、またしても私は麓へとエスケープするかどうかを思案し始めた。気になるのは、其の道が「山と高源地図 高尾・陣馬2009年版」を見る限り、破線で記されているということだった。しかし、くだんの富士見台とは違って、下りた処はバス通りの蛇滝口である。下りてしまえば自販機があるだろうから、冷たい飲料が好きなだけ飲むことができると謂う、今の私にとっては何物にも代え難い魅力を孕んでいる。私は、蛇滝口へと進路を変えることに迷いを感じなかった。

熊笹山、と、ビニールテープに手書きで書かれたピークを過ぎて、其の名の通り笹の葉が繁茂する道を下っていくと、やがて平坦な道になり、其の突き当たりに指導票が見えた。いよいよ分岐だ、と思った途端、雲行きが怪しい空から、ぽつりと雨粒が落ちてきた。指導票に辿り着いたら、荒井と蛇滝口と、二箇所への進路が示されていた。地図を改めて凝視したら確かに破線はさらに分岐して、その二箇所へと至るのが理解できた。しかし、最短と謂える蛇滝口に向かう道程は、激しく蛇行し、圏央道の工事現場を迂回する、という注意書き迄ある。エスケープする積もりが其れ程距離が短縮できる様でも無く、雨が落ちてきているのに初めての道を歩く不安もあるので、私は迷ってしまった。結局、予定通り、地蔵ピークを目指し、駒木野へと下りることに決めた。

小ピークを登っては下りる歩き甲斐のあるコース。何故其れをこの長大な道程の最後に持ってきてしまったのか。考えてみれば判りそうなことなのにと、私は今更どうにもならない後悔をしながら歩き続けた。頭がぼんやりとした儘歩いていて、時折足元が覚束無くなる。やはりエスケープするべきだったのだろうかと、相変わらず茫漠とした儘歩く。喉の渇きが尋常ではない。そう謂えば最近、沖縄の漁船が洋上で故障し、二十日間近く漂流した後救出され、船長が生還したという報道があったが、其れに比べたら私の枯渇感などタカが知れているな、などと自分に言い聞かせながら、何とか地蔵ピークを目指す。

そうなのだ。地蔵ピーク迄辿り着いたら、あとは下るだけでやがて中央道の脇にある登山口に降り立ち、あとは高架の下を通れば神明神社のあるあの静かな集落に至り、中央本線を渡れば駒木野病院のある車道に出るだけなのだ。そうしたら自販機で冷たい飲料が好きなだけ飲むことができるのだ。そうだ、地蔵ピークに着いたら、残り僅かな、今迄少しずつ口に含むことで我慢してきた茉莉花茶を、一気に飲み干してしまおう、いやそれだけではない、其の後の喉の渇きなど気にも留めず、ゆっくりと、深々と、煙草を吸うのだ、何しろ其処まで辿り着いたら、あとは終点迄目と鼻の先なのだから……地蔵ピークに着けば、王手なのだ、飛車と角を取られても詰みは必至なのだ……。私は、突然意味不明だがポジティブな妄想に縋りながら、歩き続けていた。

随分歩いたなと思ったら、見覚えのある廃れた指標が見えた。荒井と蛇滝口へと下りるもうひとつの分岐点だが、その方向はロープで遮られていて、此処から先は廃道になったので進入を禁ずるという看板が掛けられている。もう此処迄来たら地蔵ピークは直ぐ其処だ。私は狂喜しつつ制御し難い迄になった両脚を繰り出して、ひとまず勾配を下り、そしてまた登りにさしかかった。此れを登りきったら地蔵ピークだ、そう思って最後の気力で登りきったら、お地蔵さんが居ない。落胆しつつまた進む。まだ下りと登りが続くようだった。記憶も当てにならないものだなと、私はふたたび茫漠として歩き続けた。そしてまた登る頃には、もう頭の中が真っ白になっていくようだった。自分が何をしているのか、何をしようとしているのか判らないのに、ただ、足を交互に出しているだけというような状態だった。謂わば無欲の心境で其の坂を登りきったら、四体のお地蔵さんの後頭部が並んでいるのが見えた。

私は思わず両手を挙げて、鉛色の空を見上げた。そして、その場に大の字になって仰臥して倒れた。空には蜻蛉が舞っていた。やがてそれは、催眠術の仕掛けみたいになって、私の目の前で、ぐるぐると回り始めた。

南高尾山稜・小仏城山・北高尾山稜(前編)

2011/8/7

高尾山口駅(9:00)---四辻---草戸山---三沢峠---西山峠---大洞山---大垂水峠---城山---小仏峠---影信山捲道---小下沢---狐塚峠---高ドッケ---杉沢ノ頭---富士見台---地蔵ピーク---駒木野---高尾駅(16:40)

静かな山歩きをしたいと思っていても休日の高尾山では埒が明かない。其れでも、あまりにも奥多摩方面ばかり訪れているから、今日は高尾方面に行きたい。私は、目覚めた時に、なんだか気力が漲っているのを感じた。前日に登った川苔山は随分歩き甲斐があったが、其の疲れが功を奏してよく眠れて、寧ろ明くる今朝の方が、何処迄も歩いて行きたい、と謂うような気分である。休日の高尾のジレンマと謂う問題は、凡そ内心で解決していることであった。真夏の蒸し暑さも恐れず、草生した南高尾山稜を巡り、中央には眼もくれず、城山、小仏峠、影信山を経て小下沢キャンプ場跡地に降りて、其れでもまだ帰途には着かず、北高尾山稜の途上である狐塚峠に登り、高尾駅に至ると謂う、高尾山外周の計画である。

色とりどりのコスチュームで賑わうハイキング客たちが集う高尾山口駅から、私は銜え煙草で其の雑踏から離れる。既に油蝉その他の鳴き声でけたたましい灼熱の草戸山方面の狭い登山口から、繁茂した草を掻き分けて、黙々と登り始める。四辻に登りきってひと息つこうとするが、薄暗い小さな峠は藪蚊の溜り場で、シャツ、短パン、サポートタイツ、そしてサロモンの靴迄全て黒い恰好の私は、瞬く間に其等に纏わりつかれる。慌てて逃げ出すように、草戸峠に向かって走るようにして向かう。既に額の上部を刺されたようで、痒い。

昨晩は都心に居ても夜空の遠くから、夥しく稲光が明滅していた。山域では雷雨が襲ったのだろうか、鬱蒼とした山道は、なんとなく湿った雰囲気を感じる。緩いアップダウンを、軽快に登り、其して緩い下りでは走り、急な下りは慎重に、テンポよく進む。殆ど休まずに梅ノ木平分岐を過ぎて少し登ったら、高尾山の南面を見上げる風景が開けた。草戸峠である。身体は軽いが流れ出る汗が猛烈なので、此処で小休止したいが、壮年の男性が数名、のんびりと語り合って居る。空いているベンチに腰掛けるが、内心では無闇な人嫌いになっている私は落ち着かず、お茶を飲んだらさっさと出発する。先が長いと謂う意識が強いのか、私の足取りは速い。小走りになって木段を機敏に登り、瞬く間に草戸山に着いた。じりじりと陽に照らされた山頂には誰も居ない。くだんの草戸峠で憩う老人たちを思い浮かべた。流石に知ってやがるな、と思う。

休んだばかりなので、直ぐ出発する。三沢峠への途上で、整備された休憩場所があった筈なので、其処迄進もうと思う。直ぐに階段の下りがあって、暫く進むと今度は長い木段の登りで、指標には「ふれあい休憩所まで**分」とあるのを見て、途端に嫌悪感を催す。休憩はしたいけど、どちらから、とか、どちらまで?と謂うような「ふれあい」は極力避けたいものだと思う。其れは私に在る内面の問題であって、誰にも係わり合いのないことだから、そもそも問題は現実には無い。だから私の抱く嫌悪感は「ふれあい休憩所」と謂う名前だけである。そんな不埒さに対する皮肉か、木段を登ってから、また暫く進んで、ふたたび長い段の登りが現われる。脚は何とも無いが、汗が酷い。漸く登りきったら問題の「ふれあい休憩所」だったが、こっちからお断りだよ、と云うかのように、其処には誰も居なかった。私は安堵してお茶を飲み、煙草を燻らせる。

木立の向こうに見え隠れする城山湖を感じながら下っていくと間もなく神奈川県側からの舗装路が合流する三叉路で、其の儘右手の山道に入る。草戸山から影信山迄、都県境に沿ってひたすら歩いて行くのだなと思う。榎窪山は鬱蒼としているが高尾山への眺望が開けている良景なので、しばし休憩する。三沢峠を無言で通過し、本格的に延々と続く南高尾山稜を行く。暑さによる疲労感は徐々に増してきている。いつも、小さなピークと捲道があれば敢えて登っていくスタイルの積もりだが、今日はできるだけ捲いて行こうと思っている。泰光寺山の登りは如何にもきつそうで好きなのだが、此れも捲く。都合のよい思考で、歩いたことのない捲道を歩くのも悪くないと自分に云う。

西山峠を過ぎて、相模川と三ヶ木の集落が箱庭のように美しい展望の場所を目指す。其処で休みたいと思い到達したが、景色は相変わらず良いとして、またしても藪蚊が多い。黒いサポートタイツの足元にドッと押し寄せるようにたかる蚊を払う。特殊な化繊のタイツの上からは、蚊も容易に吸血できないようで、なんとか難を逃れ、後ろ髪を引かれるが、直ぐに出発する。単調な山道を進む。泰光寺山を過ぎた頃から、お誂え向きの道が続くので、私は走り続けた。中沢山の直下で大きく右に進路が変わる。其の休憩場所で少し休む。目前の小高い丘の上が中沢山だが、今回は訪問を割愛させて貰う。中沢峠から二又に分かれる処も、捲道を選ぶ。陽当たりが良くなり、草が勢いよく繁茂してきたらコンピラ山で、如何にも暑そうな休憩場所で、男女が食事をしていた。

此処迄勢いよく駆け抜けてきて、何人かの人を抜き去ってきたが、徐々に疲労が溜まってきた。大洞山手前の登りで、ひとり抜けそうだったが、途中で立ち止まり、呼吸を整える。登りきると、大垂水峠方面からやってくる人が徐々に目立ち始めてきた。休みたかったが直ぐに通り過ぎる。樹林が薄くなり、陽当たりが良くなると道は藪に覆われていく。そんな道の向こうからちらほらと登ってくる人々と擦れ違う。皆一様に苦しそうな表情だ。私は大汗を掻きながら黙々と歩くだけで、喩えばサウナに行って汗を掻くよりもトレーニングも兼ねて汗を流して、却って麦酒が旨いといったくらいの意識だ。しかし今登って来るおばさんのグループなどは、いつものお喋りは封印され、不機嫌そうに登って来るから、一体何で此の暑い最中に此処へ、という疑念も湧いてくるが、無論余計なお世話である。

徐々に聞こえてくるのは単車の鹿爪らしい騒音で、間もなく大垂水峠だと謂うことが判る。国道20号を跨ぐ歩道橋を渡ると、車の音が灼熱地獄を加速させるかのように思える。しかし負けないくらいに水量の多そうな沢の音も聞こえてきた。一旦車道脇に下りて城山への登山口迄歩くが、其の向こうにドライブインらしき建物が見える。私は喉がカラカラで、自販機があるならば厭わず歩いて行こうと思うが、眺めてもそれらしき物が見つけられない。恐らく何処かにはあるのであろうが、直ぐ其処迄の距離でもないので、仕方なく城山への入り口に分け入る。階段を登って、少し歩いたら、轟々と音を立てて流れる沢が近づいてきた。そのほとりで、私は手を洗い、そして顔を洗うつもりが、あまりの気持ちよさに、頭から水を振り掛ける。やはり昨夜は雨が相当降ったのだろう。豪快に流れる沢の冷たい水の悦楽的な感触から、私はなかなか離れることができなかった。

明るい薄曇の空が、小仏城山への登りにかかると一掃されて、眩しいくらいの青空に変わった。沢から少し急な勾配を経て指導票が現われたところでまた休憩する。最上のリフレッシュが、やや気持ちを弛緩させてしまったようだ。陽当たりのよい草地の中を真直ぐに道が続く。トレラン然とした人々と擦れ違うことが多くなった。植林の中の涼しい歩きを経て、少し急な登りをこなし、また緩やかな道。灼熱の空の下を黙々と歩き、いつの間にか賑やかな人通りの道に合流し、小仏城山に到着した。

茶屋の周囲の休憩場所は殆ど塞がっている。小仏城山に於いては、相模湖側の茶屋が従業員の数や商品の豊富さで隆盛を誇っていて、其の裏側である高尾山側には別の茶屋が張り付くようにして営業している。特徴のある顔をした小柄なおじさんが孤軍奮闘しているわけだが、特にそれに肩入れしているというわけではなく、比較的に日蔭のベンチが空いているから、其処に腰を下ろした。周囲では殆どのグループが麦酒を飲んで愉しそうに食事をしている。私は暑さと疲労で食欲は湧いてこないが、喉がこの上なく渇いている。気づいたら麦酒への誘惑が私の四肢の、爪先に至る迄をも支配しようとしていた。暫く沈思黙考してから、邪念を振り払って顔を上げたら茶屋のおじさんと眼が合った。私は、ことさら面白くない、と謂うような風情で、コーラを買い求めた。甘くて冷たい炭酸飲料は、其れだけで食事代わりのように、カロリーを摂取しているな、と実感できる。そんな自分に対する状況解説を他でもない自分に言い聞かせながら、私はコーラをごくごくと飲み干した。

ひと息ついた儘、茫然と座って煙草を燻らせていたら、中年男性が茶屋に駆け込み、麦酒とかき氷!と大声で注文した。茶屋のおじさんは、かき氷は無いよ、と何事も無い感じで云う。中年男は虚を突かれたように言葉を失い、遠くのベンチに座っている仲間の中年女性に、おういかき氷無いんだって、と叫ぶ。反対側の主流派茶屋で、かき氷を販売している筈だが、反主流派のおじさんは、そんなアドバイスを授ける程曖昧な商売人ではないようで、普通に其のやりとりを黙殺していた。

日曜日の正午過ぎの小仏城山は、夥しい人たちの喧騒で満たされていた。空はますます青くて、じりじりとした暑さが音を立てて増幅されていくような感じだった。麦酒を我慢した私は、漸く此の高尾山外周の後半に向けて、気持ちを立て直せそうだった。群集から逃れるようにして、私は小仏峠方面に歩き始めた。

別記

2011/8/6

古里駅(7:40)---赤杭山---川苔山---舟井戸---大根山ノ神---熊野神社---鳩ノ巣駅(12:50)

「DoseRAE2」は貸与中の為、未計測。

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