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2011年2月

立野峠を越えて秋山二十六夜山

2011/2/11

梁川駅(9:50)---立野峠(11:20)---浜沢(12:00)---秋山二十六夜山(13:20)---大曲橋(14:20)---寺下峠(15:00)---梁川駅(16:20)

好天が続いた都心にも漸く雪が降り始めた。だからと謂う訳ではないが、今日も何処かの山に行ってこようと思う。久しく履いていないメレル・スイッチバックの感触に慣れなければと思い、靴紐を緩く締めて出かけたら、早速乗り換えの立川駅で、階段を登る途中で緩んだ紐を自ら踏んでしまい、前のめりに転んでしまった。前途は多難のようである。

八王子駅で後発の、ホリデー快速河口湖号に乗り換える。ハイカーの姿は殆ど無い。クラシックな特急用車輌の窓側の座席に座って、雪化粧をした高尾の山々を眺めていたら、もう其れだけで旅情を感じてしまう。此の儘大月迄乗っていたいが、予定通り四方津駅で降りる。列車が行ってしまった後のホームは深閑として雪が降り続ける。規則では禁煙なのだが、私は煙草に火を点けて、ベンチに佇んで居た。

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梁川駅から、白く煙った倉岳山方面へと歩く。今日は何処に行っても静かな山歩きを愉しむことができるだろう。私は、雪の降る峠を越えると謂う、うら寂しいイメージに惹かれた。どの峠に行こうか。まさか大田峠と謂う訳にはいかない。其れならば、道志山塊の麓の街道に降りていく立野峠か。雪の峠を越えて秋山の集落に。そして月見信仰の歴史から名づけられたと謂う、二十六夜山に登る。想像するだけで寂莫としてくる行程である。

何度も歩いた月尾根沢を辿る立野峠への道は、積雪ではあるが歩きやすい。一人分の明瞭な足跡がある。此の大雪の中、果敢に峠を目指す猛者がもう一人居るようだ。其の足跡を頼りに歩いていたら、右足を踏み抜いて、ばったりと転倒してしまった。態勢を立て直し、よろよろと歩いて、沢を渡渉する処に在る休憩用ベンチまで辿り着いた。此処迄は、スパッツのみ装着した下半身であったが、レインウェアの下を穿くことにする。雪が降り続いているので、靴を脱いで着替えるという行動が非常に煩わしいが、文句の云う当てなどない。

老いた巨木が荘厳とした風情で佇んでいる。瀬音が消えた沢沿いの道を、私は緩やかに登っていく。やがて水場に辿り着き、漸く本格的な登りに差し掛かる。雪道を歩いてきた所為で、体力がかなり消耗してきた。稜線が見えてきて、もうすぐかと思うが、其れは切り返すジグザグの山道の向こうに見える空なのであった。疲れている時に抱く淡い願望である。

其れでも、程なく立野峠に到達した。山の交差点は霧で煙っており、粉雪が横殴りで降ってくる。本来ならば正面に見えるであろう秋山二十六夜山に想いを馳せながら、どうしようかと逡巡する。正午迄に浜沢からの登山口に立てれば、午後三時にはふたたび街道に戻れる。しかし、其処からさらに寺下峠に登り、其れを越えて梁川駅に戻ることを想像すると、気力が萎んでくるのであった。未だ歩いたことの無い寺下峠への稜線を行き、其の儘梁川駅に下りるという妥協案さえ浮かんで来る。私は、立った儘、とりあえず握り飯を頬張る。ペットボトルのお茶が、冷凍庫にでも入れてあったのかと思うほど冷えていた。空腹を満たすと、気力が復活してきた。とにかく此処から浜沢へ下りないと、峠を越えたことにならない。雪の峠越えと謂う当初のイメージを完遂できないのであれば、寺下峠への稜線歩きと謂うのは、妥協にもならないのだ。などと、独り立野峠で葛藤に苛まれた挙句、私は気を取り直して、初めての道を下り始めた。

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浜沢へ下る道は勿論足跡もなく、ひたすら真っ白い世界だった。降り積もった雪を蹴散らすと粉のように舞い上がる。小走りで下ると、直ぐに樹林帯に突入し、薄暗い沢沿いの道となった。何度か渡渉しつつ、伐採された木が転がっているような道になり、人間の手が入った森と謂う雰囲気になる。そして、建造物が見えたなと思ったら、小学校の裏手に出て、舗装路に合流して、浜沢の集落に着いた。降り続く雪は相変わらずで、集落に人影は見当たらない。時折ダンプカーが轟音を立てて街道を走り去っていく。

街道にキャンプ場の大きな看板があって、其れは秋山二十六夜山への登山口でもあった。休憩できるような処も無いので、其の儘登りはじめる。積雪の舗装路の坂は歩き難い。学校給食センターの建物の前で、私は早くも疲労感で立ち止まり、煙草に火を点けた。正午のチャイムが、小学校から流れてきた。

キャンプ場の管理棟がある広場から、バンガローの建ち並ぶ道を登る。舗装された道だが積雪は次第に増してきていて、鈍重な足取りの儘進む。やがて別荘のような建物が現われて通り過ぎたら、急勾配の山道となった。最早何も考えることなく足を交互に繰り出して登り続けると、立派な東屋が現われた。観光地然とした東屋も、今となっては降雪を除けてくれるオアシスである。梁川駅を出発してから、初めてゆっくりと腰を下ろして休憩した。

急勾配は、其れからが本番であった。東屋を出ると、程なく急登の勾配が目の前に現われた。普段であれば望むところの直登であるが、積雪は既に尋常ではない規模に達して居た。私は、大股で雪を踏み、ストックを頼りにひとつひとつ、勾配を上げる。雪は静かに降り続いていて、次第に、此の儘登り続けて大丈夫なのだろうか、と謂う不安が湧き上がってきた。初めて登る知らない道を、さらに雪が覆っている。何処がどの方向なのか、全く見当がつかなくなったら、そして本来の道から逸れてしまったら。悪天候は承知で行動しているが、全てを覆うような静寂の中で、雪だけが着実に降り続いているのが不気味だった。

其れでも急登の途中では、引き返すという行為を実行する気にならなかった。ひとつを登りきって、やや平坦な道を行くと、枯れ枝に貼られた赤いテープが勇気づけて呉れる。そしてふたたび急峻になり、岩が目立つようになってきた。周囲の視界が開けてきた処に、大きく立ちはだかる白くて丸い雪の塊が現われた。どうやら大きな露岩のようだ。避けて通れる気配はなく、なるべく崖に近づかないようにした箇所に足を掛けて、岩に張り付いて登る。漸く岩の上に片足を乗せて、四つん這いで上り切った瞬間、足が滑った。登った先の向こう側だったのが幸いだったが、転げ落ちた。庇った右肘をしたたかに打って、私は苦悶の声を上げた。

抑えてきた恐怖が、箍が外れたようになって私の中に浸透してきた。痛みが寒さに対する抵抗力を逓減させていくような気がした。滑落して怪我して遭難、という言葉が頭の中で波打つように巡る。もう帰ろうか、と謂う気持ちが決定的になりつつあったが、今転げ落ちた岩場をもう一度下ることを考えたら、其れだけは厭だ、と謂う気持ちが其れに打ち克った。恐怖心を克服したと謂うこととは違うのかもしれないが、私は、とにかく前進して登りきって、反対側の集落に下りるのだ、と自分に言い聞かせた。

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その後も急登が続き、やがて更に巨大な露岩が現われた。其処は難なく登れた。岩の上から眺望が開けたが、当然何も見えない。空から雪が降り続いているだけである。彼方からジェット機の音が聞こえてくる。其の人工的な音に癒されるくらい、私は心細かった。急勾配が終わって、漸く緩やかな木立の中の道を行く。枯木と雪だけの、モノトーンの風景が続き、最早頭の中も真っ白になって居た私は、ひたすら脚を進めるしか無かった。漸く指導票らしきものが現われた。立派な筆致で「二十六夜山」と書かれていた。其の看板は、何故か恐怖心を煽ってくるような、妙な迫力があった。

地図で再確認し、山頂へ近づいていると謂うことを自分に言い聞かせるようにして、ふたたび始まった勾配を歩き出す。何と謂うこともない傾斜だが、積雪は衰えることなく増え続けているから、高度が上がっていくにつれて足取りは重くなる。正直に言えば、うんざりするような気分だ。其れをこなすと、整然と植林された樹林帯の広い道に出た。暫く歩いて、空がぱっと開けたら、二十六夜山頂への指導票が立っていた。ルートから外れて、示す先の丘の上に向かって歩いていくと、深閑とした頂上に到達した。

木立に囲まれてぽっかりと広がる頂上の広場は、降り積もった雪に埋もれていた。茫然としながら山名表を見つめて佇んで居たが、此の儘では諸共雪に埋もれてしまいそうな気になってくる。静寂がいつしか恐怖感に取って代わってしまう。私は今来た道を引き返して、足早に指導票迄戻り、二十六夜待ちの行事の為だったのだろうか、人為的に切り拓かれた広場に向かった。廿六夜の碑は塔と謂うには小さな石碑で、雪に埋もれかかった其の風情が侘しい。碑の傍らの雪を払い、私は漸く心を鎮めて昼食を摂ることにした。

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下尾崎へと下る道は、雪に覆われていても明瞭に、そしてなだらかに続いていた。浜沢からの直登を認識していたら、逆周りで登ってきだろうか、と思いながら、深い雪の上を軽快に下っていった。樹林帯に入ってからは雪の量も減って、随分歩きやすくなった。沢を渡渉し、堰が現われ、人家が窺えるようになり、凱旋してきたかのような、感無量と謂う気持ちで、ふたたび秋山の集落に戻ってきた。空は暗く、雪は相変わらず降り続いている。県道35号線に出たところで、工事現場のための警備員が二人、寒そうに立っていた。梁川駅を出発してから初めて出会った人間に会釈して、其の儘橋を渡って林道を歩いていく。

二十六夜山への途上では、集落に戻ったら上野原行きのバスに乗って帰ろうなどと考えていたが、実際の行程での時間のロスは皆無で、順調に此処迄来たと謂う意識が、予定通りに寺下峠へと向かう足取りを軽くさせた。大曲橋を渡った処に指導票があり、其処で小休止した。私は、無事であることを伝える為に、自宅に電話を掛けた。普段行なわないようなことをするので、却って家人は心配したようだった。

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今日三度目の登攀を始める。疲労は確実に肉体を侵食しているのが判るが、帰途に向かっていると謂う意識が其れを堰き止めているかのようだ。植林されたジグザグの道を行き、やがて其れが途切れ、倒木を除けながら細くなった山腹に沿う道を行く。高度が上がるにつれて、枯木が道を覆うようになってくる。人の往来が少ないのか、繁茂した植物の強靭さの残滓なのか。ストックと手で払いながら、痩せ細ってきた道を辿っていく。漸く尾根に乗ったら、其処は寺下峠ではなく、上野原トレイルコース、と謂う手製の標識が有り、寺下峠の方向を矢印で示していた。どうやら寺下峠の、やや丸ツヅク山寄りの地点に登ってきたようだ。藪にかまけて、其れらしき分岐に気づかなかったのかもしれない。峠越えを主題にしている今日の私としては、釈然としない結果になってしまった。

矢印に倣って、西方向に尾根を歩く。ひとつの大きなピークを越えるが、積雪は膨大で、とてもトレランのコースとは思えない風情であった。其のピークから下った処が寺下峠で、標識は当然四方に分かれていて、秋山方面には、寺下と謂う集落名が記されていた。其の指し示す薄暗い方向を何とも謂えない気持ちで眺めながら、私は紫煙を燻らせた。昨夏の、汗だくになりながら辿り着いた寺下峠を思い出して居た。

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梁川駅を目指して、緩やかに下る山腹の道を行く。気持ちが緩んできた所為なのか、左足首に違和感を感じるようになった。積雪の道を此処迄支えて呉れたスイッチバックのアンクルパッドが足首に当たって、此の儘では痛みがやってくるような予感がした。立ち止まって紐を締め直し、騙し騙し歩く。予断を許せない雰囲気になってきたが、其のうちに、此のコースの最大の難所である、ロープの渡してある急斜面がやってきた。積雪で所々のロープが埋まっている。最初は積雪で却って傾斜が緩くなっているな、と感じたのだが、次第に道なき道と謂う感じの傾斜になっていった。ロープと木の枝を掴みながら、山肌を伝って行く。掴んだ木の枝が折れて、間一髪でロープを掴んだり、踏みしめた雪が其の下の枯葉と共にずり落ちてしまい、ロープに摑まった儘宙ぶらりんになったりと、予想以上に険しい行程であり、もう靴の違和感など、どうでもいいと謂うような状態であった。漸く落ち着いた道になり、沢の音が聞こえてきた。渡渉して、雪も殆ど無い鬱蒼とした森の中の道になる。記憶にある水道管の不協和音が聞こえてきた。やがて何事も無かったかのように、梁川の集落に在る舗装路に出た。

大袈裟のようでそうでもなく、私は生きて帰って来れたことを改めて噛みしめて居た。甲州街道迄の長い道程も、何の苦があるだろうか。雪の降る峠を越えて、誰も居ようの無い静かな山に登って孤独感に浸りたいなどと謂う気分は、しんしんと降り続く雪の恐怖に比べたら、詰まらない感傷的なイメージなのであった。

などとぼんやり考えながら歩いて、何時の間にか塩瀬大橋迄来て居た。橋の上から眺める、粉雪の舞う桂川の光景は厳しくも美しい。しかし其れは、まるで演歌のPVみたいに出来すぎた感が有って、私は何だか可笑しくて笑ってしまった。

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