« 2010年8月 | トップページ | 2010年11月 »

2010年10月

ヌカザス尾根から三頭山(前編)

2010/10/24

小河内神社バス停(9:00)---浮橋---イヨ山---ヌカザス山---鶴峠分岐---三頭山---鞘口峠---山のふるさと村---浮橋---小河内神社バス停(15:20)

新宿のビルの谷間から仰ぎ見る青空に溜息をつくばかりの日々を過ごしていたら暫くぶりにMからメールが来て、漸く山に行けそうだと謂うことなので、稲村岩尾根を登ってお互いに根性を叩き直そうか、と返事を送った。其の時は、稲村岩尾根、いいねえ、などと返信してきたMだったが、三日前の電話で、久しぶりなので稲村岩尾根は自信が無い、と弱音を吐くから、私は代替案として、東日原から三ッドッケ往復という案を提示した。

蕎麦粒山や三ッドッケの長沢背稜は、長らく憧れていた奥多摩の奥深い位置にある山々だった。ひたすら急登の続く稲村岩尾根に比べたら、与し易い筈である。東日原迄行こうと思い立ったから、此れで多少の進路変更で済む。しかし、Mの返事は想像以上にネガティヴなもので、東日原に戻るとなるとバスの本数が少ないから心配だ、と云う。気が進まない態である。

奥多摩に行くと謂う気分を修正する積もりは毛頭無かったので、私は彼を徐々に奥多摩の奥に追い詰めて行くような案を提示する。小河内神社バス停からドラム缶橋を渡って三頭山へ。其処から御前山に向かい奥多摩湖バス停に下りれば頻繁に駅行きのバスがあるだろう、と。奥多摩の地形や距離感を把握できていないMは、そっちの方が無難だね、と浅はかな返事を寄越した。

昼過ぎから雨になるという予報で、朝から怪しい空の色だったが、奥多摩駅発鴨沢西行きのバスはハイカーを満載して二台運行で出発した。小河内神社で下車したら、写真でしか見たことの無かった浮橋が整然と蛇行しながら湖を渡しているのが見えた。子供みたいに嬉しくなって皮一枚のような心許ない板の橋を渡る。釣り人が微動だにせず糸を垂れて座っているが、その傍をどかどかと歩くと、浮橋はグラグラと揺れる。そんなに頻繁に人が通るわけでもないだろうが、こんなところに居続けたら船酔いしてしまいそうな気がする。釣り人は単なる居候なので、通行人に向かって、もっと静かに歩け、とは云えないだろう。

対岸に渡って、湖岸の遊歩道を、三頭山登山口とは逆方向に歩かされるので不安になるが、やがて指標が現われ、県道に上がる。しかし、其処は奥多摩周遊道路というオートバイをレースコースのように走り去る輩が行ったりきたりするような処で、登山口迄は此処を歩かなければならない。猛烈なスピードでやってくるバイクはカーブでも其れ程減速せず車体を傾けてコーナーを駆け抜けていく。五月蝿いし危ないし、静かな湖岸を歩いてきたハイカーにとっては苦痛だ。三頭山登山口迄七百メートルと書いてあった指標を思い出す。七百メートルって、けっこうあるぞ、と、Mが改まった感じの口調で云う。相変わらず返答しようのないことを謂う奴だと呆れるが、私としても此の状況は非常に不愉快である。走り去った暴走バイクは、やがて引き返してきて、同じように高速でコーナリングして、彼方に走り去る。湖岸の道路の同じ区間を何度も行ったり来たりしているようだから、考えてみると、本当に蠅みたいだなと思った。

三頭山登山口は、取ってつけたように貧弱な細い石の階段から始まった。登り始めから急傾斜で、五月蝿い周遊道路からひたすら逃げるように高度を上げていく。此のヌカザス尾根は、山と渓谷社刊の「新・分県登山ガイド12 東京都の山」に於ける三頭山の項で紹介されているコースで、私は其れだけを頼って此処を選んだ。破線の難路コースを嫌がるMを連れ出すには打ってつけの太鼓判ルートだと思ったが、尾根に載る迄の急登は意外だった。殆ど登りが続き、遠くから相変わらずオートバイの騒音が聞こえる。少し緩やかになったなと思ったら、また登りが延々と続き、思った以上に時間をかけてイヨ山に到達した。既に、休憩の度に、きつい、しんどい、とMが漏らすから、其程疲労を感じていない私も、なんだか釣られて気持ちが疲弊してくる。

イヨ山から先は、ひとつのピークを越えた後、と謂う感じで直截的に下る。行く先の向こうに目指す山の威容が聳えているが、また一からやり直し、と謂う感じでひたすら降下して、また急峻を登ることになった。何度かのアップダウンを繰り返して、決定的な、崖のような岩場を登り続ける展開になった。息が上がって途上で動きを止めて、お互いに無言で荒い呼吸が静まるのを待つ。何だか奥多摩に来ると何時もしんどいような感じがするな、と、虚ろな目でMが云った。

前回奥多摩を二人で登ったのは海沢探勝路だったが、此れは酷暑の最中だったので涼しい道を行こうと謂う私の案内で実行した。御存知の諸賢ならば、滝を眺めているうちはいいが、後は大岳山への最短直結ルートであるから、緩い登りであるわけがないということが判る筈だ。しかしMは全然其のイメージが無かったから、あまりの湿気の多さで汗だくになりながら鋸尾根に辿り着いた時はもう既に地面にへたりこみ、大岳山に向かわずに奥多摩駅へと敗走した。提案者の私にしたところで、其の時はやはりもうバテてしまったから一緒に敗走した。其の前は、此れも私の提案で、奥茶屋から棒ノ折山に登った後、長沢背稜から連なる都県境の道を歩いてみたいという欲求から日向沢ノ峰迄歩き、鳩ノ巣駅に下りたが、Mからすると想像を絶するくらい長い道程だったようで、長尾ノ丸を越えた辺りから、既に無言になっていたものだった。そして今回、敢えて奥多摩三大急登の総本山である稲村岩尾根を行こうと思ったにも拘わらず、冒頭に記した通りの理由で選んだルートがこの有様なので、Mからすると、またか、と謂った心境であることは察することができる。

尾根の名称にもなっているヌカザス山への道程は、私も流石に啞然とするような急登だった。右手に時折開ける山々と、左手に木立の隙間から微かに覗く奥多摩湖の気配を窺いながら、ひたすら峻険の尾根を登る。ヌカザス山の頂点に達した時、二人は既に疲労の極に達していた。Mは既に、御前山迄踏破することの無謀さを地図で知り、風張峠からエスケープして山のふるさと村に下りようと云っていた。私はせめて小河内峠迄行き、奥多摩湖バス停に向かわないと、それこそ数少ないバスを待たなければならないと抗弁したが、其れは赤い破線のルートで初めてでは不安だと否定された。其して今や、三頭山から折り返してムロクボ尾根を経由して深山橋バス停に下りると謂う案をMは主張し始めた。私も疲れきっていたので、其れも止むを得ないのかも、と考えることができるようになっていた。しかし、ヌカザス山からふたたび下り、直ぐに現われたムロクボ尾根分岐の指標の示す方向を見て、Mは啞然として最新帰路案を撤回した。ムロクボ尾根と指し示された道は殆ど崖のような様相で、谷底に向かって踏み跡が降下していた。

登ったり下りたりの繰り返しにも慣れて、オツネノ泣坂と書かれた場所に着き、入小沢ノ峰への厳しい登りが始まった。ここからが泣坂という奴なのだろうか。随分厳しい登りを繰り返してきたから、最早絶望的な気分で脚を繰り出し続けるだけである。此処迄の道程を、崖のような岩場とか峻険などと形容してきたが、本当の急登が漸く出現したようであった。暫く登り続けて、大きな岩が突き出している箇所に差し掛かり、本当に此処を登れるのかと躊躇した時、右手にか細い捲き道のような、枯葉が敷き詰められた踏み跡が現われた。私とMは顔を見合わせ、こっちでもいいんだよな、いいんじゃないか、などと不明瞭なことを呟きあって、誘われるように其の山肌に刻まれた枯葉の道に進路を取った。

湿った枯葉の踏み跡は徐々に幅を狭めていき、ストックを山側に刺しながら及び腰で歩かなければならない程不安定な状態になっていった。左上の山稜の方を仰ぎ見て、やはりあの儘急峻を這ってでも登り続けるべきだったのかも、と思い始めていた。しかし踏み跡は微かに継続されていて、本来の尾根に無理矢理よじ登って復帰しようと思えば不可能ではない傾斜にも見える。捲き道は方向感覚を失った我々にとって、本来の山道から遠ざかっているようにも感じられた。摑まるのに具合のよさそうな木々が在る処で、遂に意を決して山肌を登り始めた。

必死の形相で漸く登りきった処は、微かに踏み跡のある木立に囲まれた道だった。取って返すように左に登り返すような形で恐る恐る辿って行くと、今度は先程よりもしっかりした、其れでも山腹の途上にある捲き道のような処に出た。今度は其処を右に曲がって進んでいく。左手の山稜が徐々に下がってきたなと思ったら、指標が現われて入小沢ノ峰からの道と合流した。我々の辿ってきた方角を指す道標には「作業道」と記されていた。

クライマックスとも謂える急登で挫折し、安易なルートに迷い込み、慌てて山肌にへばりついて漸く正規のルートに戻ったと思ったら入小沢ノ峰を捲いていたという訳で、私は徒労感に襲われ、茫然となった。肝心要の機会に逃避して挫折してしまうと謂う自分の行動が許せないような気がした。疲れていたから丁度よかったな、と云うMの言葉に、私は謂いようのない疲れを感じた。

気象予報によれば、間もなく雨が降り出しそうな時刻になってきていた。鉛色の空を枯れ木越しに見上げて、私は緊張の糸が途切れたような感覚に陥り、思わず煙草を取り出して火を点けた。

久しぶりに吸った煙草に軽い眩暈を感じて、私は「作業道」の指標に凭れかかった。ぼんやりと燻らせた紫煙が、冷たい風に搔き消されていった。

岩茸石山から沢井駅

2010/9/11

軍畑駅(12:00)---常福院---岩茸石山---惣岳山捲道---分岐---沢井駅(15:00)

酷暑の八月だったが、サロモンで調子に乗った儘、近場に出かける週末を過ごした。断れない酒席の翌朝に寝坊しても、或る時は高尾駅から駒木野病院経由で山道に入り富士見台迄行き、其処から日影に下りたし、亦或る時は高尾山口から草戸山を経て西山峠迄で暑さに力尽きて断念して国道に下りた。山に行けない日は電車で井草の方迄乗って行き、善福寺川を環七迄走破したりしていたらとうとう右膝を故障してしまった。

思えば大倉尾根の時も、転倒事故の痛みを忘れて調子に乗って下りを駆けたりしていた。此の覚え書きを読み返していたら、金比羅尾根を日の出山から武蔵五日市駅迄歩いた時に右膝が痛いと記してあったから、歩き方か走り方なのかよく分からないが、兎に角バランスが良くないようで、右だけが痛い。

九月になって少し自重したら痛みが退いてきたような気がしたので、いよいよ何処かに出かけようと思ったら寝坊した。酷暑が和らいできた週末。そろそろ山へ行きたいと思っていた金曜日の夜に、ふたたび断れない酒席が目の前に迫ってきて、如何様にも仕様が無く私は気もそぞろになりつつ泥酔した。

断れない酒の席というものは、其れがたとえ御相伴に預かることとは謂え、自分本位の都合で運ぶことでない以上、苦痛であることは歴然としている。そうして翌朝、控えめな感じで朝の七時に合わせた目覚まし時計の音も意味を成さず、漸く目覚めたのが午前九時であった。茫然としながらも、会社員だった頃は、若しかしたら断れない酒を他人に強要していたのかもしれないと思い、其の件に就いては慄然としてしまった。

頭の中が判然としない儘一時間後には自宅を出発していた。其れは日常で塗れに塗れたストレスを払拭したいがための行為である。重い身体と頭でなんとか中央線の快速に飛び乗る。デイパックの中には「高尾・陣馬」と「奥多摩」の二つの地図が入れてある。行先も決めずに、私は意味不明の切迫した神経の儘、電車に揺られていた。

尋常ではない遅い出発なのだが、立川駅、そして青梅駅と、妙に接続が良かったので、あれよあれよという間に奥多摩行きの電車に乗っていた。二俣尾駅からの歩きはさすがに飽きたので、今度は石神前か、などと冷房の効いた心地よい車内で考えているうちに軍畑駅迄来てしまったので唐突に下車した。真上から降り注ぐ直射日光は厳しいが、此の夏の炎天下を思えば普通の残暑という気がする。此処迄来てしまったら行先は高水三山しかないが、何時もどういうわけだか御嶽駅からの時計回りで、幾度か登ったこのコースの常道である軍畑駅からの反時計回りは初めてである。私は心静かに、其れでも高揚しながら正午過ぎの舗道を歩き始めた。

榎峠方面と別れる分岐を左に、高源寺に近づいたら平溝川の小さなせせらぎが涼しげな集落に入る。そして右に分岐して登山口の堰迄の傾斜が堪えた。何時もの時計回りならば漸く下山して舗道に出て安堵しつつ下る急傾斜であったが、其の真逆は当然の急勾配だった。昼下がりの炎天下で、見覚えのある盆栽が満載された家の軒先で休憩していたら、既に時計回りを終えて下山してきた人々が通り過ぎていった。私は少し眩暈を覚えた。彼等の後から歩いていって軍畑駅に着いて電車に乗ってしまっても不思議ではないような気分になっていた。太陽は真上にあって、熱い舗道は本当に急な登りだった。

漸く堰の脇にある階段を登り、登山道に入った。自重していた儘衰えた感の或る足腰に不安を覚える程疲れていた。川の流れが遠ざかり、植林地帯のジグザグを繰り返しているうちに、途中何度も立ち止まっては水を飲んだ。常福院迄の道程が異様に長く感じられて、本当に引き返そうかと思ったことが一回だけあった。常福院迄登れないなんていう結末は余りに恥ずかしくて書くことができない。そんなどうでもいい逡巡とともに、何とか境内に辿り着いた。高水山頂周辺の整備された休憩所と、訪れる人の多さに相対して、常福院には人の気配が感じられない。此処は何時来ても其の無言の佇まいが不気味である。常福院は残暑厳しい炎天下でも、其の威厳を保っていた。

迷うことなく捲き道に進路を取ったら、体力が蘇ってきた。平坦な道を、少し早足に歩き、やがて小走りに駆け出す。高水山からの下りに合流して、岩茸石山へと向かう尾根が開けてきて、北面の眺めが気持ち良かった。少し疲れた表情の子供たちと擦れ違い、後から更に疲れた顔の大人が歩いてくる。穏やかな山道に飽きた頃、岩茸石山への急勾配が現われ、私は漸く登る悦びを体感することができたような気がして、安堵した。そして、見慣れた山頂へ、初めての角度から進出して到達した。

静かな岩茸石山で握り飯を食べ、遥かに遠く見える棒ノ折山に別れを告げて、私は何事も無かったかのようにあっさりと下山する。途中年配男性の集団を駆けながら追い越し、瞬く間に惣岳山への岩場と捲き道の分岐に辿り着く。初めての反時計回りだけでは飽き足らず、私は此れも初めての惣岳山捲き道を歩こうと決めていた。青渭神社をパスするのは無礼なような気もするが、心の中で合掌して左へと進む。日当たりのよい捲き道は繁茂していて歩き難く、人も其れ程歩いていないような感じがしたが、やがて樹林の中に入るとごく普通の山道になった。やがて分岐の指標が現われた。捲き道と惣岳山、そして御嶽駅への分岐かと思ったら、右手に惣岳山、左手は沢井駅と謂う立派な指標だった。

「山と高源地図23奥多摩2008年度版」には書いていないルートが沢井駅迄整備されてあるらしい。私は少し躊躇したが、沢井駅方面に歩き始めた。道は確かだったが、やはり近年は歩く人が少なくなったのか、倒木があっても通り抜けられる道筋が無い処があったり、其れが植物の繁茂を助長していたりして、歩き難い。そして、随所に電力会社の作業用の道が分かれたりしているから、御嶽駅への「関東ふれあいの道」に比べると、格段に情緒が無い。腐食した枯葉が堆積した道は駆けると危険な感じで、私は初めての道であるということとは別に、恐る恐る進んだ。そして、鬱蒼とした分岐点迄下りてきた。

地図にはグレーの線が記されているように見えるが、軍畑駅方面に行くと思しき道筋が判然として見える。私は、小さな木片に明瞭に「沢井駅」と記された方角へ下っていった。沢が沿ってくる気配を感じるが、其れは確認できない儘、廃屋が現われて、少し歩いたらもう住宅地が現われて下山した。

相変わらずの暑さで、陽射しが眩しい集落に下り立ち、ふと振り返ったら、其の山道には不釣合いのように立派な「高水三山登山口」と書かれた塔が立っていたが、其れも廃れていた。広い舗道に合流したら右手に青梅線の線路が現われて、沢井駅が遠くに見える。

灼熱の舗道で空を見上げた。そして振り返って高水三山の方を眺めた。ふたたび駅に向かって茫然としながら歩いていくうちに、周囲の風景が真っ白に見えてくるような気がして、私は何とも謂えない疲労感に包まれていった。

« 2010年8月 | トップページ | 2010年11月 »

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

today

  • one day

twitter

  • naname's twitter
無料ブログはココログ

最近のトラックバック