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風に吹かれて・大倉尾根往復

2010/8/15

大倉(8:30)---堀山の家---花立山荘---塔ノ岳---花立山荘---駒止茶屋---大倉(14:20)

記録的猛暑というのも慣用句的な表現だが、朝夕も湿気と生温い風の不快な日が続く。こんな時に丹沢の莫迦尾根を往復しようというのもトレランシューズの推す力の故なのだろうか。お盆なので私は生家に帰っていて、場所は神奈川県横浜市の某所である。横浜市営地下鉄の駅迄朝六時過ぎに歩いていたが、朝の清々しさとは程遠い、今日も酷暑は変わりないというのが明らかな暑苦しい空気だ。

新宿からいつも通りの電車でやってくるMとの時間を合わせる為に調べた結果、出発時刻が却って早いというのが理不尽である。終点の湘南台駅に着いて、渋沢迄の切符を買おうと思って路線図を見たら、新宿迄の料金と同額なのを知り、なるほどと首肯した。途中で相模鉄道に乗り換えてショートカットする形で海老名に至るという選択肢はあったが、其の儘新宿行きの急行に乗り続けて相模大野で降りる。丁度接続する小田原行き急行の最後尾車輌に乗ったら、当たり前のような感じでMが居たから其れが不思議な感じだった。

乗馬倶楽部から分岐して山道に入っても、登山者の姿はまばらだった。実母の作ってくれた握り飯が予想外に巨大で驚いたので、其れをどんぐりハウスでMと二人で食べたりしていたから、出発は少し遅れたのだが、観音茶屋の手前で、先に出発していた人々の姿を捕らえた。雑事場の平に至るジグザグ道で次第にペースを上げて、尾根に辿り着いたら休憩している人が大勢いて少し驚く。暑さの所為か、休み始めると歩き始める迄のインターバルが長引いてしまうのだろうか。其れでも、何度も大倉尾根をひたすらに淡々と往復していると思しき年配の単独の人はいつも通りに見かけることができる。彼らは殆ど休まず、ゆっくりとしたペースで歩き続けている。私はいつも彼らを足早に追い抜くが、ひとつの登りを終えて休んでいるとやがて追いつかれて、其れを繰り返して、結局塔ノ岳頂上には殆ど同じ時刻に辿り着く。其れも私のペースであり、彼らのペースでもあるのだ。私は自分が、あと二十年くらい歳をとって、どんなペースで登っているだろうかと、大倉尾根を歩いていると、其の途上でいつも考える。

尾根に出ると少し風が強くなって、疲れが抜け落ちていくような気持ちがするような涼しさだ。見晴茶屋からの急な階段から、緩やかに続く登りが過酷なのは、やはり暑さの所為だ。一本松を過ぎて現れるベンチにまた座り込んでしまう。冷凍してきたゼリー飲料を飲んで漸く立ち上がる。装備も靴も軽いのに足取りは重い。駒止茶屋の手前の急な階段で、小刻みでゆっくりだが、走り続けるトレラン姿の男性に抜かれる。此処を走り続けられるということに驚嘆する。唖然とする私の神経が弛緩していくのが分かる。

ベンチが現れたら待ってましたとばかりに座り込み休憩する私にMも違和感無く倣っている。ゆるやかな尾根を歩き、堀山の家には、其れでも一時間半くらいで到達した。私がいつまでも出発する気配を見せないので、とうとうMが痺れを切らしはじめた。惰性のような感じで花立へと向かう。もう駄目かも、と思うほど無意識のように脚を交互に前に繰り出しているだけの私だったが、不思議なことに少しずつ疲労感が抜けていくような感覚が現われて、ペースが上がっていった。そうしたら、あのトレラン姿の男性が遠く、歩いているのが確認できた。やはり長時間の休憩をとったのだろう。トレイル・ランニングの山登りのペースは、そのようなものなのだろうかという疑問が湧きあがったので、Mに訊いてみた。彼は詰まらなさそうに、一人で登ってる時もよくトレランに抜かれるけど、大抵は彼らが休んでる処を抜き返すよ、と言った。敵愾心とまではいかないが、大したことねえよ、というようなニュアンスが感じられた。私の疑問はさっぱり氷解しない。

天神尾根分岐から天国への階段を登りきったら、其処は灼熱地獄の休憩場所だったが、構わず木陰に走り寄りへたりこむ。淡々と歩く年配の男性が数人、女性が二人くらい。そして女性二人と男性一人の若者グループが、我々と同じようなペースで、所々で抜いたり抜かれたりしている。若い女の子たちは瀟洒なコーディネイトの登山ファッションだが、この暑いのに莫迦尾根にやってくるのだから、あながち恰好だけの山ガールとは思えない。自分があのような年齢の頃は、こんな行為は金を貰ってもできなかっただろうな、と、私は妙な感慨に耽る。

かき氷に吸い寄せられて行く若者たちで賑わう花立山荘の前のベンチで、直射日光を手拭いで遮りながら、いつまでも座り込んでいた。干からびた肉体と、朦朧とした思考で、缶麦酒の品書きの看板を眺める。世界一旨い麦酒が、おそらく此処で飲めるのだろう、と思った。誘惑に陥落しようとしたら、Mに釘を刺されてしまい、諦めて出発する。文字通り後ろ髪を引かれるような思いでガレ場を歩き続ける。そうして広大な花立山の周縁を、バッタが二足歩行しているような感じでゆらゆらと歩き続けて、薄暗い金冷やしに辿り着いた。此処は確かにヒヤッとするね、とMが言う。そんな気がしないでもないが、駄洒落のようなことを言われて、却って苛々するような気分にもなる。冗談ではなく本気で言ってるような感じが、何だか共感できない。

休んでばかりいたから、塔ノ岳に登頂した時は、既に三時間が経過していた。相模湾が薄ぼんやりとしか眺められず、富士山は此処迄一度も見ることができなかった。私は、だからというわけではないが脇目も振らずに尊仏山荘に駆け込み、缶麦酒を買い求めた。二人で乾杯して、呆れるくらいに喉に流し込んだ。缶があまり冷えていないので不服だった。やはり花立で飲むべきだった、と、まるでどうでもいい後悔をした。実母の作った巨大な握り飯は、どう考えても食べる気にならないほどバテていて、正直言って持て余していた。友達の分迄、と用意された握り飯は未だ半分以上も残っている。お袋にも困ったものだよ、などと、道中でMに溢していた所為もあってか、山荘の中で少し休んでから、Mは、なんだか食欲が出てきたよ、と言って其れを平らげてくれた。彼の人情味に、私は少し感激した。

山荘で流れていた高校野球中継のラジオが、全国戦没者追悼式に切り替えられた。国歌の後の首相の式辞が、なんだか薄っぺらく聞こえた。小屋の中では、ベテランらしき年配女性三人組が自慢気にヒマラヤに登った時の話をしている。其れも何だか薄っぺらい感じがした。我々は、ごく自然に、どちらからともなく、もう行こうか、といった感じで小屋を出た。南側から急激に靄がたちこめて来て、其れは程なく西丹沢の方角からも包囲するように現われ、徐々に蛭ヶ岳まで隠そうとしている。靄で白くなった空に、蜻蛉の群れが舞っていた。

大倉尾根の帰路では、多くのトレイル・ランナーたちと擦れ違い、または追い越された。突然、俄かトレランシューズの私にも闘争心が湧いてきて、花立から堀山迄、遠ざかるトレランの人を追って走ってみた。私はサロモンを盲信して軽快に下っていたが、岩場で何度も滑って転びそうになった。忘れかけていた大倉尾根での転倒事故を思い出して、私は急に我に帰って立ち止まった。振り向いたら、Mの姿は無くて、暫く待ち続けた。

其れからは、適度に早いペースで、いつものように丹念に来た道を辿って下りていった。冗長に続く下りに少し飽きてくる頃、最後の急階段が現われて、見晴茶屋の前を通り過ぎる。雑事場の平迄の気持ちの良い尾根道に入ったら、目が覚めるような強風だった。木々に遮られているから適度に強い風が身体に吹きつける。天然の扇風機に全身で浴びてるような気分だった。汗に塗れた手拭いをデイパックの背に括り付けていたが、其れが旗のようにたなびいていた。

Mは、なんだか水の中を泳いでいるようだ、と言って、風上に向かって手を広げ、クロールで泳ぐような動きをした。あまりの心地よさに、尾根から外れるのが名残惜しくなるような気分だった。手拭いを掲げて風にたなびかせている私と、両手をばたばたさせて、気持ちいいなあ、などと、誰に向かってでもなく呟いている男を、苦笑したり、あるいは目を背けるようにして、次々と下山者が、雑事場の平を通過していった。

昼下がりの大倉尾根で、風に吹かれていつまでも佇んでいたから、結局下りも登りと同じ、三時間を要していた。早いも遅いも無い。そんな当たり前のことが、改めて自分の身体と脳裏に、染み込んでいくような気がした。

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