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2010年6月

寺下峠から矢平山

2010/6/20


梁川駅(7:40)---寺下峠---矢平山---大丸---四方津駅 (12:00)


梅雨の最中、時折雨という予報にも係わらず出掛けて見たら雨に濡れることなく山に行って帰ってきた。そんな結論から書き始めるしかないくらい早く帰ってきてしまった。


高尾駅から乗った大月行きの電車は空いていて、車内には登山客よりもゴルフ場へ行くと思しき客が目立った。初老の男女たちは全米オープンでの石川遼選手の活躍話に夢中のよう。ゴルフに疎い私は、彼らはゴルフ場に行くのに何故手ぶらなのか、とMに訊ねると、今は皆、宅急便で送るんだ、と、つまらなさそうに答える。窓外はどんよりとした曇り空で、奥高尾の山々も鉛色の空と靄に包まれて鬱蒼とした佇まいだった。山に登る前の緊張感が普段より一層希薄な我々は、サッカーW杯での、日本代表がオランダに惜敗した昨夜の試合について手前勝手な分析をしたりしていた。秘策の1トップで緒戦を勝った日本は変幻自在の妙技を繰り出して世界の強豪にフェイントをかけるべきで、この際北朝鮮がブラジル相手に行なった5バックの布陣を模倣するのも妙味という私の持論に、Mは殆ど呆れて返事をしなかった。


梁川駅で降りたのは我々の他に畳んだ自転車を抱えた若い男性が一人だけだった。桂川の向こうに連なる山々は霞がかって、秘境の雰囲気さえも醸し出している。今日は雨に降られることも覚悟で、寺下峠から矢平山、そして高柄山を経て上野原駅迄辿ってみようというコース設定だった。秀麗富嶽12景の中でも気軽に登れる標高の倉岳山にも向かわず、ただ中央本線に並行して逆戻りする尾根歩きである。雨が来たら迷わずエスケープして下山するという心積もりでもある。


梁川駅から月尾根沢を辿る立野峠への道は情緒があって何度か歩いたことがあるので、今回は水道管に沿う、などと「山と高原地図」に記されている寺下峠への道を歩いてみようと思う。赤い実線で記されているからMも異論は無い。地図上で伺えるように、駅から国道20号線を暫く戻ってから分岐した後も、林道を歩くことは承知していたので、其の距離にうんざりするような気分も湧くことはなかった。寧ろ桂川を渡る塩瀬大橋からの景色や、其の先の塩瀬という集落の佇まいを楽しみながら歩いた。


舗装された林道は集落の最後の辺りで民宿の在る処で分岐していた。此処が地図上で記されている「林道を斜めに横切る」というポイントなのだろうか。道なき道をショートカットするようなイメージを浮かべていたが、立派な舗装路が分かれていて、「寺下峠」という、お馴染みの大月市製の指標が立っている。其れで組み易しと思った途端、再び合流した林道の先に、登山口という指標が立つ向こうが、繁茂した叢に覆われた道だったから、怯みながら進んで行ったが、道はやがて落ち着きを取り戻し、踏み跡も明瞭になった。黒い水道管が縦横に伸びながら並行し、途中、何箇所もジャンクションが在るのか、水流が詰まったような物音を立てている。其れは耳障りではあるが、徐々に傾斜が現われると、いつしか豊富な水量を湛える沢に沿って歩く道に変わった。何度か渡渉して、いつしか標高を稼ぐ登りになる。曇り空で日差しが無いにも係わらず、酷い湿気で汗が吹き出て留まることを知らない。蒸し暑さで何度も休憩し、水分を摂った。


雨中の行軍と謂えば奥高尾の時の惨状が忘れられず、どんなに低い山でも油断は出来ない。雨と泥濘への警戒から、今日は久しぶりにメレル・スイッチバックを履いてきた。足首はすっかり馴染んできていたが、ややブランクがあったので少し其のことに関して緊張感があったが、それも杞憂だと判ると安堵した。渡渉が愉しくさえ感じられる靴底の堅牢さが嬉しかった。


マジョリティは扇山などへ向かうのを好むだろうが、倉岳山に連なる山稜への道は思いの外起伏に富んで愉しい。立野峠迄の道も良かったが、寺下峠に向かう道も劣らない。沢から分かれて、ロープが伝う急峻となり、其れを片付けたら、茫洋としつつ判然とした山容の矢平山が見渡せる。其の姿はおむすび山のようでユーモラスだ。山肌を忠実に辿り続けたら、木々に囲まれた寺下峠に到着した。


無風状態で蒸し暑かった此迄の道のりで、我々はすっかり消耗していた。汗ばんだ儘の身体は化繊の登山用ウェアの効力も虚しく、一向に乾いて呉れない。兎にも角にも進むしかなく、東へと新たな登りへ向かった。軽いアップダウンの後、少し意表を衝かれるような急勾配が現われた。何度も立ち止まり汗を拭い、山肌にへばりつくようにして登り続けると、直登の道と巻くような道の二又が現われ、誘われるようにして左へと巻いて行く。そうするとふたたび傾斜の上からの道と合流した。どうやら丸ツヅク山を巻いてしまったらしい。既に気力が減退している我々は矢平山へと進む。新緑に覆われた山道から見上げても、矢平山の山容は明瞭で、どうやら今日の最高地点が近づいてきたのが分かる。やがて岩が積み重なるようになって、急峻をよじ登るような形になり、ひとつの岩場を登りきるとまたなだらかな道になり、そして岩場が現われるという展開になった。苦労して登りついた矢平山頂は眺望も無く、しかも蠅が五月蠅く飛び回っているから感興も少なく、ふたたび出発した。冬枯れの季節に再訪したら心地良い山だろうと思う。


必ずしも登頂の達成感を期待していたわけではないが、ピークを越えてまた下り、また登り始めるという繰り返しに意欲が失われていくのが薄々と感じられてきていた。林道が寄り添ってきて辿り着いた旧大地峠は繁茂した植物で鬱蒼としており、足早に新大地へと登りにかかった。そして金毘羅への尾根の分岐を越えて登りきったら大丸山頂で、其処は存外に眺望がよく、休憩し易い広さがあったので、此処で大休止となった。


Mは口数少なく休憩していたが、もう此処で四方津に下りようかと私が提案したら、我が意を得たり、というような笑顔で同意した。今日のお前はなんか調子が悪そうだったからな、などと憐憫を含んだ物言いをするから、私は心外の意も出さず、無視して出発することにする。下り始めたらやがて旧大地からの登り道と合流し、緩やかに下る道からは四方津方面だろうか、市街地さえ窺えた。そして程なく真新しい林道に合流し、其れも途切れて山道に分け入る。しばらく造成中の林道と並行して、やがて長大な森林地帯を下り続ける道になった。


適度に湿った道は緩やかな傾斜で、私は徐々に早足になり、やがて駆け始めた。スピードによって風を受けるのが心地良く、勿論相応の汗を流すのだが、スイッチバックが安定して、滑りにくい足裏の感触が感覚として分かるような気がするくらいフィットしているのが判ったから、嬉しくなって駆け足は抑制を効かせながらも継続し続けた。時折振り返るがMの姿はもう見えない。何度か立ち止まり、遠くに彼の姿を確認して、あまり休んでいるとまた蒸し暑さで汗が気持ち悪くなっていくから、また構わず走り出した。そうして、気がつくと集落の風景と自動車の音が感じられてきたなと思ったら、登山口、という指標に到着していた。Mは随分遅れて到着した。


登山口は異様な蒸し暑さだったが、其処から少し下って川合に降りたら、そこは文字通り川沿いの静かな集落で、木陰の道が涼しかった。四方津迄の歩きは覚悟したが、存外に早く駅が見えてきた。タクシーが詰まらなさそうに客待ちする四方津駅前は、気だるい暑さで、人影が殆ど無かった。タイミングが良く、数分で上り電車が入ってくる時刻だったので、少し急ぎ足で跨線橋を渡り、ホームへと下る途中で、四方津の町に正午のチャイムが流れた。其れは暑さに澱んだ町に、絡みつくように冗長に流れていた。Mと私は、途中棄権したにも係わらず、午前中に駅へ戻ったことを知って満更でもない気分になった。


程なく到着した電車の扉が開いて車内に足を踏み入れたら、其処は何故だか、四方津の町以上に気だるい雰囲気に見えた。何の合図もなく扉が閉まり、電車は、惰性のように動き出した。

寂ショウ尾根から滝子山(後編)

2010/04/018

笹子駅(8:40)---吉久保---寂ショウ庵---滝子山---曲り沢峠---景徳院---甲斐大和駅(15:30)

斜めから登る山歩きの斜めとは私自身のことで、奇矯なコースを辿る山歩きという意味ではない。安穏と風景を愛でることもできず千千に乱れた心で歩いて居る。そんな心象を綴っているところだが、すっかり筆が進まなくなってしまったのは斜行せずに真っ直ぐ進めるようになったからなのかというとそうでもない。日常の諸事に追われるようになっても、爽快な気分とは程遠い。滝子山に登ってからもう二ヶ月が近くなっている。読者との利害関係もないから、どうしても書かねばならない理由はない、などとは考えない。なにしろ読者が居るのかすら定かではない。しかし山登りの記憶は其れ程薄れ易いものではない。私は未来の自分のために此の記憶を記しているだけなのだ、と考えることにして、寂ショウ尾根の続きを書くことにする。




初めての道のり。其れだけで心拍数は上がり、風景を顧みることなく足元を見つめながら、一歩、また一歩を繰り返す。山道は明瞭になり、次第に高度を稼いで、木々の繁りが浅くなってきて、ふと立ち止まる。笹子の街道を見下ろして、眼を上げると芽吹いた山塊が広がる。汗ばんできた額を拭って、踵を返すようにまた登り続ける。日差しが強烈になったと思ったら鉄塔が現われた。予定通りの確認ができて安堵し、そしてまた歩き続けた。

滝子山への最短ルートは「岩場あり、不明瞭、上級者向き」と地図に記された寂ショウ尾根。保守派のMと、根拠の無い革新派の私は頼りない机上の知識だけで、怯えながら初めて歩く道を進んでいく。其の心理状態がそうさせたのかどうか、足早に進んでいたら一人、また一人、単独行の登山者を追い抜いて、息つく間もなく大鹿林道に辿り着いた。

林道の右手に寂ショウ尾根の指標があり、崖を削っただけで出来ているような登山口が其処にあった。急傾斜でロープが垂れ下がってきており、尾根に取り付く取っ掛かりとしては、普通のハイカーには躊躇を促すようなビジュアルである。湿った土の崖を、ロープを頼りに登り始めた。後続のMが、早速泥濘に滑り転んだ。私は気づかぬフリをして緩やかな傾斜になる処まで一心不乱に進んだ。緊張感が消えない儘、静かな尾根の道を辿って行った。

気がつくと、明るい光の中を歩いているような気になった。痩せ尾根と言えるのだろうか。左右に広がる新緑の準備をしているかのような清々しい色彩の山塊が見渡せる尾根を辿りながら、徐々に高度を増していった。時折背後を振り返り、鶴ヶ鳥屋山の方角を眺め、その山稜を追って、あれが角研山あたりだろうか、などと思う。そうして登っていくうちに、岩が目に付くような道になってきた。

眩しくて眼を細めるような日差しの陽気だったが、現われた岩場は、二日前に降った雪が溶けかかったような感じで、重厚に濡れている風情だった。雪は都心でも積もるのかというくらい降り、春の椿事のような異常気象だったから、山の上では推して知るべしというようなもので、私は別段驚かない。しかし、Mは事前の情報である「道不明瞭」に加えて、溶けかかった雪で濡れた岩場を目の当たりにして、さらに寡黙になっていた。

崖のように険しくなった岩場は、道筋が不明瞭といえばそうだが、岩場だけに脚を掛ける場所は自分で判断しなければならない、其れはやはり崖でしかないのであった。岩を掴み、意を決してひとつずつ脚を前に、そして上に進めていく。やがてひとつの区切り迄登りきって背後を見たら遠近法を無視したかのような富士が白い頭を覗かせていて、それを遮っている三つ峠の電波塔が明瞭に見えた。

崖は相変わらず続き、緊張感を持続しすぎたせいか、何ともいえない疲労を蓄積させていく。其れでも痩せ尾根の両サイドに望む遥かに広がる山稜を眺めながら歩くのは爽快な気分だった。滝子山へ真っ直ぐに続く寂ショウ尾根は其れ故に急峻だった。Mは危険の確率が高まり続ける状況に耐え難い不満を抱えているのだろう。私は其れ程でもない。望むところではないが、若し事故が起きて全てが終わってしまっても、然程の絶望は感じられないというような気さえする。私だけが虚無的なのではない。山其れ自体が虚無的なのだ、などと考えてしまう。

浜立山から続く尾根に辿り着いたら、其処はもう雪景色だった。私とMは無言で、少し居心地が悪いような気分で先を急ぎ、漸く滝子山に登頂した。全方位を見渡せる絶景を味わえる山頂だが、狭い上に人が多く、我々は早々に退散する。北面になって積雪が増えて、足腰の疲労が増してくるようだった。それでも防火帯が現われ、広々とした道を行く頃は少し平穏な気分になった。しかし、甲斐大和へ抜けるために峠を目指す筈が、徐々に下降の度が増しているように思えてきて、焦り始める。こんなに下り続けたら、吉久保に戻ってしまうのではないかと不安になる。漸く曲り沢への指標が現われて安堵する。形の良い浜立山の姿に別れを告げるように、巻き道を辿って行く。ふたたび雪が深くなって、足元が冷えてきて、体力が消耗されていくのが実感できる。

峠に辿り着いた頃は、身も心も冷え切っていた。山影の曲り沢峠は、冬の晴れた日の夕方のような、心細く弱々しい陽光が逆光で木々のシルエットを描いている。私は猫背になって煙草に火を点けた。暫く動かないでいると、徐々に身体が冷えていく。何処まで続く泥濘ぞ、という気分で大鹿山方面へ足を踏み出す。大振りな景徳院への指標が現われ、其方に舵を切り、無心で駆けていく。雪は嘘のように消え失せ、緩やかに続く長い下りを駆け抜けていった。

以前、笹子雁ヶ腹摺山からお坊山経由で景徳院へ下りた道の、隣の尾根を駆け下りたわけだが、其の終点は既に境内のようだった。都心では散ってしまった桜が、此処ではまさに絶頂を極めたかのように咲き誇っていた。私とMは、今日初めて報われたという気持ちで満たされた。景徳院の古色蒼然とした山門の前で、座り込んだ儘立ち上がることができないでいた。

苦痛と快楽が混在して、其れでいて、ただ浮遊しているだけのような、なんともいえない気分に、私は満たされていった。

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