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2010年4月

高尾駅から影信山(後編)

2010/04/04


高尾駅(9:40)---駒木野病院---地蔵ピーク---高ドッケ---狐塚峠---黒ドッケ---大嵐山---開場峠---堂所山---影信山---小仏バス停 (15:20)


登ったり下りたり。北高尾山稜は標高こそ低いが直ぐ其処に見える山々をひとつずつ越えながら進む。雄大なアスレチックコースのようである。最初は、疲労に耐えられなくなったら影信山へと転進するつもりだったが、汗を掻きながらアップダウンを繰り返して、私は徐々に北高尾の奥へと進んで行くのだった。尾根の途中のようにも思える中途半端な雰囲気の高ドッケを過ぎたら、地図に示される通り、勾配を下ると林道が現われた。


此の辺りで、ハイカーと徐々に出会うようになる。単独の年配の男性ばかりだったが、若い男女のカップルと擦れ違ったので少し虚を衝かれた。高尾山の裏側の廃道みたいに地味な山稜の途中に在る狐塚峠は、空模様も次第に怪しくなってきているから、洒落た登山ファッションのカップルでは士気が盛り下がらないだろうかと、余計な心配をしてしまう。


小下沢にエスケープできるのは此れが最後。私は、迷うことなく直進して行く。此処からが本番ですよ、と謂われているかのように、改めて急登が始まる。もう苦しくなっても雨が降り出しても、逃げ場も装備も無い。苦しい登りが、妙に愉しく思えてくる。やがて辿り着いたピークの眺望が良かったので、此処が黒ドッケかと思ったら、指標の柱に、杉の丸と記されていた。北高尾山稜の下から顔を出した圏央道が、直ぐに小さな山塊のトンネルに吸い込まれていく景観は、よくできたジオラマのようで、鳥瞰図を見ているように愉しい。


杉の丸から大きく左に旋回するように曲がると、前方には行く手の先に見える山々が見渡せるように広がっていた。緩やかに下り、そして登り返すという御馴染みの風景になる。此処で高齢な女性のグループがゆっくり登っている処に追いついたので、少し間を取って進むが、勾配が急になってとうとう停滞してしまったから、近づいて行ったらどうぞどうぞと道を譲って呉れた。気持ちよく挨拶を交わして先に行かせて貰うが、独りだけ立ち止まらず登り続けている人が居る。どうやら今のグループとは別な単独行の人のようだ。既成のストックではなく、枯枝の杖を二本、両手にして登っている。私は、難なくパスできるかと思っていたが、其の女性は淡々とペースを変えることなく、急勾配を登って行く。結局、樹林の中にあるピークである黒ドッケ迄、追いつくことができなかった。


黒ドッケは眺望も無く、夕焼け小焼けの里への分岐点の指標が在る冴えないピークだった。登山道から少し外れて頂上に立つ。件の女性は脇目も振らずに行ってしまったので、私は気を取り直すようにして少し休憩した。此処からはふたたび南に舵を切るように下り、其の先に尾根が続くのが伺える。天然木ダブルストックの年配女性が遠ざかって行くのを見て、私は呆気にとられながらも感心していた。モタモタしないで出発するか……。


私は、まだまだ未熟ですなと、自分に語りかける。


樹林帯から出て、何度目だろうという登りが始まる。平坦な道を駆け抜けて来たので、件の女性が相変わらずのペースで登る姿を捉えることができた。走った後遺症で少し疲労を覚え喘ぎながら登る。そして登りきったら突然、此れ迄に無く眺望が開けた場所に着いた。そんな絶好の休憩ポイントも、件の女性はペースを崩さず通り過ぎて行く。諸行無常の趣さえ感じる。私はすっかり疲れてしまい、眺めの良い場所に佇んで、煙草に火を点けた。


其れからは、淡々と早足で駆け抜けるように、延々と続く北高尾山稜を踏破して行った。巨大な倒木が不気味な三本松山の手前で遂に天然木ダブルストックおばあちゃんを追い抜き、其れから私は、ボヤボヤしてたらふたたび追いつかれてしまうかも、予断を許せないぞ、というような気になって先を急いだ。関場峠を過ぎたら、今度は十数人の、やはり高齢者のグループに追いついて、狭い道だったので今度は渋滞に付き合わざるを得ない破目になった。其れもいつしかパスして、いよいよ堂所山への最後の登りになった。時計を見たら、杉沢の頭を出てから二時間が経っていた。陣馬山へ、頑張ってもあと一時間で行ける訳もなく、北高尾を満喫して駆け抜けて来た脚は、もう此れくらいで勘弁して呉れよ、と謂ってるみたいにだるくなってきていた。


堂所山に立った時に、とうとう雨が降り始めた。雨の奥高尾の悲劇からまだ一ヶ月しか経っていない。私は、雨具の無いことへの危惧ではなくて、道が泥濘になる前に下山できる処に向かわなければ、と決断して、漸く今日の最終目的地を、影信山に確定することにしたのだった。

 


補記


恒例である山行き後に参照する『悠遊趣味』の、北高尾山稜の項で、黒ドッケの先の展望の良い場所が載っていました。P16という名のピークだそうです。八王子城址から続く山稜なので、八王子城山から16番目のピークだからということによる名前らしいです。我ながら一体幾つのピークを越えてきたのでしょう、という感じです。


私はズボラだから現場で記録を取らないので、杉の丸と云う名前も此処で確認させて戴きました。


高尾駅から影信山(前編)


2010/04/04


高尾駅(9:40)---駒木野病院---地蔵ピーク---高ドッケ---狐塚峠---黒ドッケ---大嵐山---開場峠---堂所山---影信山---小仏バス停 (15:20)



目まぐるしく変わる天候の間隙を衝いて週末は花見日和であったから、仲間が集まって飲み始めたが、昼間から飲んでいたのでは結局陽が暮れても飲み続けるということになり、酩酊が度を越していたのは自業自得の所以である。朦朧としながら喧騒の中で、明日は何処かの山に登りに行くのだと、私は何故だか決心していた。


何処に行くのか決まっていないのに身支度をして、昭文社刊、山と高原地図「高尾・陣馬2009」と「奥多摩2008」の二つをデイパックに入れて中央線の電車に乗る。ゴンザス尾根の時に降りた白丸駅が風情のよい処だったのでふたたび訪れたいという気分が湧き上がる。本仁田山とは反対の海沢に向かって、大岳山か天地山に登るという案が気に入る。立川で青梅線に乗り換えだ、と気持ちが固まった途端に、突然腹具合がおかしくなった。昨夜の酒は其れ程残っているような感じではなかったが、猛烈な便意に襲われ慌てて途中下車したら、丁度立川駅だった。


十数分後、すっかり血の気が失せた儘、私はよろよろとホームに戻った。丁度ホリデー快速奥多摩号がやってくるというアナウンスだ。御誂え向き至極という場面だが、ハイカー客が並んで待っているのを見て、とても立った儘青梅方面まで乗って行く気になれなかったので、私は空いている後続の快速高尾行きに乗った。座った途端目を瞑り、どうしようかと思いながら、意識が遠のいて行った。


少しの時間だけ眠って、終点を告げる車内放送で覚醒したら、気分は回復していた。高尾駅に着いたら、間もなく中央本線の大月行きが出発するというアナウンスがホームに流れ、多くのハイカー客が跨線橋を駆け登って行くのが見えた。高尾行きに乗った時から何となく、梁川駅迄行って、あの大田峠とは反対側を行き立野峠を目指し、上野原駅まで、前道志の山々を歩いて行くというのもいいかもな、などと思っていた。しかし、接続の良い電車に乗り換える為にホームを走るという気持ちが起きない。こんな状態で山に登ることができるのだろうかと、ぼんやり自問自答していたら、ぴょう、と汽笛を鳴らして、電車は発車して行った。


人影まばらになった二番線ホームを歩いていたら、また腹具合に異変を感じて、トイレに駆け込んだ。事が事なので、この場合は必死で走る。十数分後、まんじりとしない儘、ふらふらと歩いて、北口の改札前で立ち止まる。行く先が確定していないので最短切符しか買わなかったから、此の儘素知らぬ風に帰宅してしまおうかという考えが浮かぶ。そして改札口に背を向けて歩き出したら、高尾駅周辺の地図が掲げてあったので、立ち止まって其れを眺めた。


此処迄来たのだからという気持ちも当然在るので、私は未だ歩いたことの無い、北高尾山稜に思いを馳せてみた。小下沢に沿った林道を歩いて気分が治るかもしれない。そして北高尾へ、或いは其処迄気持ちが乗らなかったら影信山へ、若し嫌気が差すようであれば引き返して駅に戻ればいい、そんなことを考えながら踵を返し、切符を精算して改札を出た。


高尾駅北口前の広場は、高齢のハイカー達で賑わっていて、私は其の人込みを見た途端、ふたたび気分が悪くなってきた。暫く立ち尽くしてから、思い直して温かい缶珈琲を買って、地べたに腰を下ろして飲んだ。そうしてぼんやりしている内に、小仏行きのバスは発車して、去って行った。


駅の軒下に座り込んで煙草を燻らして缶飲料を飲んで茫然としている私は、此の儘では只の不審者になってしまう。「高尾・陣馬」の地図を広げ、此の儘駅から歩いて、駒木野から北高尾山稜に入っていくというルートを辿ることに決めた。行ける所まで行こう、何時でも引き返そう、其れだけを心の中の拠り所にして、私は甲州街道に沿って、歩き出した。


往来の激しい国道20号線を歩いているとふたたび気持ちが萎えてくるので、信号を左折して中央本線沿いに続く住宅街を歩くことにした。やがて線路が近づいてきて、ふたたび国道に出る。線路の下を交差し、次の信号を右折する。駒木野病院を過ぎて、遠くに桜が綺麗に咲く小仏関跡を見る。地図を確認して、其の手前の細い道を右折したら、ふたたび中央本線を、今度は跨いで、神明神社が静かに佇む山里に辿り着いた。


神社に小さく手を合わせてから、道なりに左へと進み、小さな沢へと下って行く。ハイキングコース入口という擦れた文字の指標が現われて、蛇行しながら登ると、圧倒的に巨大な中央高速道路の橋梁が現われた。騒音が不協和音になって響く橋の下を憮然とした気分で通り過ぎたら、唐突に登山口が現われた。


崖をよじ登るようにして細い道を辿る。中央道から遠ざかってみても騒音は何時迄もついてくる。暫くして女性二人組を追い越し、ジグザグ道になったところで、マウンテンバイクの男性が現われ、申し訳なさそうに挨拶された。私は此のルートを軽んじてストックも出さずに歩いていたが、案外に急な登りと、直ぐに下るという繰り返しが続き、息が上がってきそうだった。ジグザグを登りきると、空が開けて、お地蔵さんが四体、高速道路の方に向かって手を合わせて居た。地図に書いてある「地蔵ピーク」というのが此れか、と納得する。


直ぐにふたたび下り道になり、高齢の男性二人組がダブルストックでゆっくりと降りて行くのを見て、私もストックを取り出した。近づいてきても中々追い抜かせてくれないのを漸くパスして、目の前に聳える山肌の急な登りを無理して速度を上げて、登りきったら荒井への廃れた道との分岐点だった。後続から離れる為に直ぐに緩やかな下りを駆け抜けた。


思いの外連続するアップダウンで、汗ばんできた私の体調は、すっかり回復していた。地蔵ピークでフリースを脱いでいたが、薄手のウィンドブレーカーも脱ぎたいくらい暑い。しかし、これ以上収納できるのかと思うくらい、既にデイパックの中は一杯になっている。圏央道を越え、摺差への分岐点に着き、デイパックを開けて荷物を整理する。フリースジャケットを念入りに畳んで押し込み、ウィンドブレーカーは薄いので小さくなってくれるが、ペットボトル二本は仕方無いとして、カップ麺と、その分の熱湯を入れた小さな魔法瓶が柔軟に収納させてくれない。ぎゅうぎゅうに押し込み、ジッパーを閉めようとするが、カップ麺の容器が嫌な音を立てて潰れそうになり、ジッパーは閉まってくれない。お気に入りのデイパックはホグロフス社製「CRACKER」で、此れが壊れたら滅入ってしまう。何度も収納を繰り返しているうちに、カップ麺の容器は、割れないでぐにゃりと曲がった。構わず収納し終えて、安堵して煙草に火を点ける。


大休止になってしまったが、アンダーシャツとTシャツの重ね着のみになって、すっかり気分が良くなった私は、軽快に樹林帯を早足で歩いて行った。北高尾山稜へと連なる道は、相変わらず小さなピークをひとつずつ丹念に越えて行く。ハイカーの姿は全く現われなくなった。やがて登りの途中に、小下沢からの道が合流する富士見台分岐の標識が現われる。地図では破線で記されるコースで、指標にも手書きで、難路、と書かれていた。再訪してみたいと思う。


少し登ったら富士見台で、展望の先は高尾山稜から城山の電波塔が目の前に見えるが、富士の姿は見えなかった。ひとつだけ設置してあるベンチとテーブルでは高齢の男女のグループが調理器具を広げて占拠していた。騒がしいので直ぐに降りたら、八王子城址からの道と合流して、漸く北高尾山稜が始まる。


陣馬山迄六時間という標識を見て、黙考する。三時間で行けるようだったら目指すということにしてみる。私は余程体調が回復してきたようだと感じた。


富士見台を急激に下って、直ぐに小さなピークへと登り返すと、其処が杉沢の頭だった。杉林の中のピークで、眺望は無いが、誰も居ない静けさが落ち着くので、切り株に座って少し休憩した。広い尾根のように続いている道が在るのに、倒木が交差して×印を描いている。左手を見ると細い道が確認できたので、躊躇しつつも其方に進路を取った。何度も繰り返してきたので慣れてきたが、ふたたび降り続けて、目の前に聳える山を改めて登り始める。


愚直に何度も登る此のコースに私は、中々いいじゃないか、と独り言を呟いてしまい、苦笑してから、また歩き始めた。



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