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2010年2月

ゴンザス尾根から本仁田山(前編)


2010/02/21


白丸駅(9:40)---日向---ゴンザス尾根---花折戸尾根---本仁田山---瘤高山---大根山ノ神---鳩ノ巣駅(15:00)


立川駅のホームにある立食い蕎麦屋は昔から「奥多摩そば」と看板に大書してあって旅愁を誘う。奥多摩蕎麦の名物は「おでん蕎麦」だということも知ってはいたが食べたことはない。かけ蕎麦におでんの具材が盛り付けてあるのだろうというくらいの想像はつくが、いざ食べようという気にならない儘今日迄に至っている。


中央線電車から青梅線に乗り換える間に、其のスタンドで天麩羅蕎麦を啜っていたら、後から入ってきたおじさんが食券を出しながら、おでん蕎麦、と言った。私は隣客が気になって仕方が無く、うわの空で蕎麦を食べていた。おでん蕎麦は、かけ蕎麦の上に丼全体を覆うくらいの巨大な薩摩揚げだけが載っているという代物だった。おじさんはその揚げに、芥子を塗り塗りしている。手馴れたものである。


感心しながらスタンドを出たら、ホリデー快速奥多摩号が間もなく入線するというアナウンスが隣のホームから聞こえて来た。危うく乗り遅れそうになっていることに気づいて、私は階段を駆け上がった。


御嶽駅でホリデー快速を乗り捨て、暖かい日差しのホームで後続の各駅停車奥多摩行きを待つ。今日は単独で本仁田山へ、以前から歩いてみたかったゴンザス尾根を登ろうと思う。


山峡の多摩川を辿るように敷設された青梅線の電車は、白丸を過ぎると長い氷川トンネルに突入し、終着駅の奥多摩へ到達するが、このトンネルを包むように聳えているのがゴンザス尾根である。随道の堀削が困難だった時代に作られた青梅線も、強大なゴンザス尾根を迂回することは難事業だったのだろうかとも想像できる。


地図を見ると、せり出したゴンザス尾根に押されるように、多摩川の渓流が大きく南に迂回するように流れているのが分かる。斯様にスケールの大きな山塊が、本仁田山へと通じるように連なっているが、手元に或る「山と高原地図23 奥多摩 2008」では登山ルートとして推奨されていない。赤い破線で示される難路でもなく、グレーの破線で辛うじて示されているだけである。


普段は車内から伺うだけだった白丸駅に初めて降り立った。トンネルの入口の、山肌の途中に設えたような小さな停車場で、好天の所為もあって長閑で心地良い雰囲気だった。民家の軒先が直ぐホームに通じているような不思議な駅だ。其の軒先から細い道を下り、青梅街道に出て、奥多摩駅方面に歩き出す。短いトンネルを抜けて、左側の深い渓谷を眺めながら暫く歩いても、ゴンザス尾根の入口らしき処はなかなか現われない。


海沢方面へと分ける信号迄来て少し不安になるが、其れを越えて行くと右手に分岐して登っていく道が現われた。其処は同じ造りの集合住宅が幾つも立ち並ぶ敷地だった。奥の棟の後方には山肌が迫ってきている。当てずっぽうに進んでいくと、果たしてひとつの棟の脇に石の階段があり、小さな木片の道標が括りつけてあった。其処には「ゴンザス入口」と書かれていて、私は漸く安堵し、ザックを置いて身支度を整え直した。


ゴンザス尾根の序章は山肌に取り付いてから、比較的急な傾斜ながらも、歩きやすい登山道だった。大抵の場合は適度にジグザグのトラバースを繰り返しながら高度を上げていくものだが、此処は山腹を辿る道がひたすらに続いている。ジグ、ザグ、の頻度が少ないので、長大な巻き道を歩いているような気分になる。所々に、NHK施設や鉄塔への指標があり、保全作業の人が定期的に歩いているのかもしれない。いずれにしてもマイナールートの様相では無い。


二回目の折り返しの処で海沢の集落を望み、三回目で、東側の風景が広がった。日当たりが良いのに、辺りは積雪で真白になっていた。山腹に並行して登ってきたが、此処からはNHK施設への指標の方向に、真直ぐの進路を取る。雪を踏みしめながら明るい急坂を登りきったら、正面に鉄塔が現われた。鉄塔は青空と白い雲を背景に、絵で描いたような感じで聳え立って居た。よく来たな、と謂われているような気がした。


鉄塔の下で休憩する。東方向の眺望が良く、大きな尾根が私の行く手に向かって連なっていた。もう花折戸尾根が近づいているのかと思い、急な登り始めだったが、呆気ないものだな、などと思った。其れは全くの勘違いで、鉄塔を出発して早速急登をこなしてやや平坦な林の中を進み、ふたたび急勾配が現われて、息を切らせて登りきっても、また同じような雪景色の中を進み、また壁にぶち当たるという繰り返しが続いた。花折戸尾根の分岐の指標を当てにしていながら歩いてきた私は、身勝手の見返りとしての疲労を蓄えていくばかりだった。


あの鉄塔からは踏み跡が無い儘だったが、気が付くと、獣の足跡が明瞭になってきて、私は熊鈴を取り出して腰に付けた。暫く森の中を進んで、また急登の後、テレビアンテナが林立する地点に辿り着く。人為的に切り開かれた日当たりの良い処だった。雪の照り返しが眩しいので、日焼け止めを顔に塗った。ふたたび歩き始め、森の中に突入すると、積雪量が増してきた。痩せ尾根になる部分も現われて、険しさが徐々に増していくが、左側に氷川の風景と、石尾根の前衛から奥に屹立する山々までが見渡せるような景観が広がり、心の中に迄涼風が通ってくるような心地良さも感じていた。


急登の繰り返しという終わりのない激しさと、硬質で美しい風景と、誰にも出会わない静寂さとが混じり合い、私は不思議な充足感を味わいながら歩き続けた。急峻は大きな岩をよじ登る展開にまでなったので、成る程これは普く登山コースとして推奨というか案内できるようなものではないのかもしれない、と認識を改めた。


重力に抗いながらの、何度目かの急勾配をよじ登って、ふと見上げると花折戸尾根に合流する指標が現われた。私は振り返って今来た道を見下ろした。日向(ゴンザス尾根)という指標が示す方向は、とても登山道には見えなかった。


分岐点で荷を下ろしたら、急に空腹を感じてきた。山頂は概して風が強くて寒いものだし、先客が賑やかだったりしたら煩わしいので、未だ途上だが、此処で食事にすることにした。小振りの魔法瓶に入れた熱湯でカップ麺を作り、握り飯を食べる。枯木の向こうに見える大岳山と青い空をぼんやりと眺めている。陽光も増してきた。


空腹を満たして、微睡みの誘惑に駆られる。其れを振り払おうとする私に、此処から花折戸尾根を下って、もう帰ろうかな、という考えが唐突に浮かんできた。ゴンザス尾根は入口から明瞭な道を登り、急勾配を何度もこなすが、景色も愉しめる変化に跳んだコースだった。二度程登ったことのある花折戸尾根よりも気に入ったように思う。尤も初夏や初秋に登り、植物が繁茂して鬱陶しかったという記憶の花折戸尾根を、今から眺めながら歩いてみるというのも一興だ。そんな風に、私はこの儘下山するという自分の思考に意味を与えようとしていた。


その一方で、いやいやそんな莫迦な。ひとつの目指す山に登って完結するという達成感を放棄しても平気なのかお前は、というような葛藤も当然湧き起こっていて、誰も居ない静かな山道の指標の下に座って茫洋と煙草をくゆらしながら、私は何ともいえない気分で逡巡していたのだった。


時折、木々に積もった雪が落ちて、どさっという音を立て、粉雪のように立ち昇り、白く光った雪の塵が辺りを包む。


何かを決めるという思考を放棄した儘の私は、静寂に溶け込んでいくような感覚に襲われて、石の塊になってしまいそうな位に、じっと蹲って居るばかりだった。


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梁川駅から扇山(後編)


2010/02/11


梁川駅(8:30)---犬目---扇山---梨の木平---鳥沢駅(14:30)



辺鄙な土地にしては舗装路や交通標識などが綺麗で、不自然な程人工的に見える大田から犬目への道は、ゴルフ場の域内に入ってからは、さらにその感が増してきた。そぼ降る雨の中、誰も居ないフェアウェイを眺めながら、とぼとぼと歩き続けた。

時折通り過ぎる自動車の轍は、行く手を遮るかのように霧を醸し出す。何が愉しくて、こんな処を歩いているのかと思う。


県道に突き当たり、漸く犬目に到着した。民家の軒先で雨宿りしながら、宝勝寺の階段の彼方に、喪服姿の人影を見た。

雨は其れ程勢いは無いが、寒さで体力と気力が段々と減退していくような感じだ。それでも少しの休憩で、ふたたび歩き始める。車道を辿り、直ぐに登山道の入口が現われた。


扇山への序盤は、まるで切り通しのような、土が抉られたような壁の中を登る。そして徐々にジグザグに、本格的な登りになった。泥濘の所為で足元ばかりを見ながらひたすら歩き続け、道標が現われた。下る道が分かれていて、其方に君恋温泉の大きな看板が立っていた。温泉にでも入って麦酒でも飲んだら、という妄想が思わず脳裏を過ぎるが、勿論そんなつもりは無い。しかし、Mは私とNを見て、もう諦めて温泉に行くか、と言う。言葉に出されると思考が消え失せて、そうしちゃおうか、と腰が砕けそうになる。Nは無言だが、明らかに温泉でよいのでは、という表情だ。一瞬、皆が牽制して無言になったので、私は、やはり最後まで行こうと言った。何故だか素直に、何事もなかったように、三人はふたたび扇山へ向かって出発した。


時折木々の遮りが途切れても、辺りは真っ白に煙っていて、折り返しながら登る道が、まるで同じ処を何度もぐるぐると廻っているような気がした。そうしているうちに漸く、犬目丸からの尾根に合流する地点に辿り着いた。遠くに権現山の広い壁が見えるであろうという方面も、ただ真っ白な靄に包まれていて何も見えない。空気が刺すように冷たい。


緩やかに登ると、枯木が凍って樹氷になった。

傍らに萎れたまま枯れた草木も凍っていた。

立派な倒木を避けて一息に登り、山谷からの道と合流した。


目を見張るほど美しい樹氷を湛えた木々が静かに、扇山の頂への入口へようこそ、と謂っているような気がした。


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梁川駅から扇山(前編)


2010/02/11


梁川駅(8:30)---犬目---扇山---梨の木平---鳥沢駅(14:30)


雨に濡れて発車時刻を待っている河口湖行きの電車の車内を、先頭車輌から順番に覗きながらプラットホームを歩いていた。

祝日の朝の高尾駅は、悪天候の所為か山行き客の姿が殆ど見当たらない。出発間近の車内も閑散としていて、Mと、久しぶりに参加するNが待っている筈だが見当たらない。

二輌目、三輌目を過ぎて探すのに疲れてきたなと思ったら、遠くで両手を大きく振っている男が見える。あまりのオーバーアクションにつられ周囲の女子学生たちまで振り返り私の方を見ている。慌てて走りながらNに、わかったから止めろというような身振りで応えるが、彼は察してくれずに相変わらず仁王立ちで両手を挙げて振っている。私はうつむき加減で最後尾の車輌へと、走っていった。


気象予報では曇りのち雨から雪と出ていたが、昨夜から冷たい雨が降り出していた。Nの参加もあって、日程を変更するにはそれぞれの都合を修正しなければならず、それも面倒だ。決行することにしたが、近場の山を軽く往復する程度のコースにしようということで、扇山に決まった。


Mは鳥沢駅からの往復と決め込んでしまっている風だったから、私は未だ歩いたことがない、梁川駅から大田峠を経て犬目に降りてから扇山へと登り、梨の木平に下りて帰ってくるというルートを提案した。前回の角研山に至るまでの彷徨もあって、知らない道を歩くことにMが難色を示すのではと思ったが、特に異論は無いようだった。


公園の休憩所みたいに小さな梁川駅で、霧のような雨を浴びながら地図を確認して出発した。Mは以前、扇山から四方津駅迄を歩いたことがあるというので、まったく緊張感が無い様子だが、私は前回の失策もあり、「山と高原地図27『高尾・陣馬』2009」の、梁川駅の箇所を見やすいように折りたたんで、首っ引きで歩き始めた。


甲州街道から歩道橋で中央本線を跨ぎ、舗装された道を行く。左手に線路がトンネルに吸い込まれていくのを見ながら、右に旋回するように山間へと続く道を行く。MとNは会話しながら先に行ってしまうが、私は地図と周囲の霧に煙った山を見合わせながらゆっくりと及び腰で進んで行く。地図に記されている「小さな道標」が近づいてくる頃だが、発見することが出来ないまま、舗装路は勾配を上げていくようになった。


不安に陥りそうになった頃、背後からやってきた軽自動車が停車した。窓が開き、地元の人らしい中年女性が、何処へ行くのか、と訊いてきた。大田峠ですと言うと、それならもう通り越してしまった。戻って、ガードレールのある処に木の階段があると教えてくれた。よく間違えて其の儘歩いている人が多いから、と言った。登っていくと畑の脇に道があり、少し藪になっているから気をつけるようにと教えを戴き、車は去って行った。


危うく途方に暮れるところに出会った僥倖に感謝しつつも、相変わらずのケアレスミスを繰り返す自分に呆れながら、来た道を戻る。しかるにMは、其の階段は気付いたがお前が地図を見ながら歩いているので気に留めなかったと言うから、私は内心憤然とした。

Mは無駄足が面倒だというような気配を見せて、この儘真っ直ぐ行っても山向こうの道に着くんじゃないかなどと言うので、つい先週道に迷って痛い目に遭ったのばかりなのに何故懲りていないかこの男は、というようなことをNに言った。

Nはどう答えていいのか、といった風情で苦笑した。


成る程ガードレールの或るカーブの道端に木片が積んであり、狭い幅ながらも木の階段が設えてあった。何で俺だけ気付かなかったのだろうという気持ちで消沈したせいか、自然に先頭がM、そしてダブルストックのNが続き、私は相変わらず懐にある地図に手を添えながら、やや遅れて登り始めた。

雨に濡れて湿った土に滑らないように、黙々と登り、間もなく雑木林が右に広がる地点に着いて小休止をする。行く手には道が二股に分かれていた。どちらも山肌に沿って登って行くような道に見える。右か、左か。我々三人に分かる筈もなかった。


何の根拠も無く私は、左じゃないか、とMに言った。件の中年女性が言った、少し藪になっている、という部分が印象に残っていた。左の道は遠くの方で、やや植物が侵食してきているような様子が見て取れた。我々は左に進路を取った。


結果的には大外れで、次第に道は竹薮になり、そこに枯れ木が倒れかかって覆い被さるような箇所も出てきた。雨量は控えめだったが、藪を掻き分けて行くと、雨露が全身を濡らす。最もキャリアを誇るMは引率する責任を感じてか、次第に深くなる藪に躊躇しながらも進み続けた。途中、右手の上の方に、件の別れ道のもう一方があるのではという憶測から、木立ちの隙間から崖を登って行く素振りも見せたが、やはり危険な行為であることは明白だった。


私とMは目を見合わせ、とうとう来た道を戻ることを決断した。自然と、今度は私が先頭になる。MとNの背を見ながら後をついて行った時は気楽なものだったが、いざ先頭に立ってみると、今歩いてきた道はまるで道ではなかった。蔓に脚を取られて、もがいたりしながらようやく藪から脱出し、二叉路に戻った。


気を取り直して右側の道を登る。登りきるかという手前で正面はふたたび藪の状態になるが、右側に開けた山肌に転進する。僅かながら踏み跡らしいものが伺えるが、徐々にそれも消えて、歩き難くなってきた。漸く登って行く道に当たり、ひとつのピークに達した。左右に伸びている道の途中に辿り着いたようだが、一体何処に居るのかわからない。

Nが携帯電話機のGPSで現在位置を確認しようとするが、大雑把なもので、市町村界の上に居ることぐらいしか判然としない。北の方に中央高速が通っているのはコンパスがあればわかる。右か、左か。まったく前回の時と同様、途方に暮れてしまった。


正面の北方向の林の中に、赤いテープの印しがあることに気付いた。右でも左でもなく、正面だ。敢えて道から外れて真っ直ぐ行くか、なんとなくの判断でしかないが、やや北東の方に緩やかに延びている右への道か。三人も居るのに決断ができない。結局、右側に進みつつ、徐々に左へ道を外していくという、折衷案というか、曖昧な行動を展開することになった。


それでも暫くは枯木を掻き分けながら、順調に進んだ。そして左前方に、中央高速の白い防音壁が見えてきた。人里も近づいてきている雰囲気だった。安堵した直後に、Mが停止して動かなくなった。残雪の白い山肌が現われた。其処からは道ではなく崖になっていた。迷った挙句、気がつけば崖を登っていたというのが前回の行状だったが、下りはさすがに道が果てたという感じで、崖を降りようなどという判断は浮かばない。

右側に稜線が連なっていて、その手前は枯れた沢だった。Mは、もうそこしかないという感じで沢へと下って行った。Nが続いた。


最後尾に居ると、意外と客観的な視点になれるもので、私は下の方に遠ざかっていくMの行く手の先を辿って眺め、やはり沢が急傾斜になっていくような雰囲気が察せられて、少し止まって様子を見ていた。姿を消してから数十秒で、駄目だあ、と力無く言いながらMが引き返してきた。Nは途中迄で様子を見ていた模様で、Mほどの悲痛な様子ではない。


ひっきょうまたもや私が先頭になって打開策を黙考することになるが、右に枯れ沢、左に崖では、もう正面に立ちはだかる藪を突破するしかない。思えば初っ端の竹薮に比べれば何ということはない様子なので、気持ちに勢いをつけて、ストックで枯枝を払いながら進んでいくと、徐々に勾配を下げて、民家の裏庭が見える処迄辿り着いた。


ここでいよいよ右の沢に下りなければ道がないので、今では大分距離が縮んできた沢へ、蔓に掴まりながら一気に降り立った。他所の庭へ、雑木を掻き分け入り込んで振り向いたら、Nも間髪入れずに付いて来ていたが、Mはまだ崖を降りるのに手間取っていた。私とNは、髪をバラバラにしながら必死の形相で枯れ木を掻き分けて来るMを見守るしかなかった。


民家の裏から忍び足で回り込み、当然のことながら表に出たら舗装道だった。そして、其の家の隣に細い道が山へと伸びていて、道標には「梁川駅」と書いてあった。正規ルートの直ぐ傍で彷徨していたと知って、全員が深く溜息をついた。


前日にNから、久しぶりに山に登るが、どんなコースなのか、と聞かれ、前回の顛末を説明しつつ、今回は近場で済ますよ、ゆるコースだね、などと冗句混じりで答えたものだが、現状としては梁川駅を出発して一時間半も経っていて、予定の行程としてはほんの序の口の地点に居る。


太田の集落は冷たい雨が降り続け、道は所々凍っていて、人も車も通る気配が無い。改めてこれから山登りを始めるのかと思うとさすがに気持ちが萎えてきそうだ。しかし、こんな中途半端な処で逡巡していても逃げ場所は何処にも無い。


三人は無言の儘、中央道の架橋に向かって、歩き続けるしかなかった。


補記


駅から殆ど車道を歩くコースだから手軽なものだろうと梁川駅から歩いたのに、雨の中で完全に迷走してしまいました。

後日、よもやと思い、ふたたび「悠遊趣味」の画像付き山日記を調べてみたら、ありました…。

「斧窪御前山」の項で、大田峠への登山口は勿論、二股の道を右へというところまで写真が…。失敗は成功へのスパイス、というコメントまで管理人さんから戴きましたが、まさかこんなに早く失敗が訪れるとは…と、改めて自分に驚いています。

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笹子駅から1377地点(角研山)経由の本社ヶ丸《後編》

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2010/1/31


笹子駅(8:40)---庭洞沢橋---黒野田林道---送電鉄塔葛野川線30---角研山---本社ヶ丸---造り岩---清八峠---清八山---清八峠---変電所---追分---笹子駅(16:10)


予想を遥かに超えた試練に疲れきり、私とMは林道の舗装道路に座り込んでしまった。

「もう今日は、長い距離を歩くのは無理そうだな」とMが言う。

笹子駅から本社ヶ丸へ、順調に到達したら時間に余裕があるだろうから、清八山から大沢山を経由して追分に下りようか、などと話していたのがつい三時間前のことだった。

確かに崖登りで疲れたのは事実だが、随分早いうちから見切りをつけようとするな、と思う。予定通りに事が進まないと萎える性格なのか、本当にバテてしまったのか。私はといえば、いよいよ前回挫折した鉄塔までの道筋を前にして、また気持ちが前に向いていく感じだった。


庭洞山と鉄塔は何処にあったんだろうかという疑問は残るが、メモの通り、林道の左手には鶴ヶ鳥屋山への指導標が見えるので、当初の予定通りに、ここは敢えて右に行き、30号鉄塔への入口である黄色い標識の前に進んだ。


土に埋もれかけているプラスチック製の階段が続き、黙々と登っていく。途中、展望が開けて、ふたたび木立の中に入り、登りきったところで本来の道と合流した。黄色い標柱に、「巡視路・登山道至笹子駅」と記されていて、メモの通りだ。それだけで嬉しかった。朽ち果てた登山道で、枯れ木の枝が行く手に左右から伸びていて、軽く掻き分けるようにして進まなければならない。前方に明るさが近づいてくる。小走りになって、唐突に明るく開けた場所に出た。大きな鉄塔が聳え立っていた。


「送電鉄塔葛野川線30号」の足元のコンクリートに乗って、笹子雁ヶ腹摺山に連なる山々を眺める。繁茂して二メートル以上もあった藪の中で、この鉄塔の傍らで絶望した昨年の夏を思い出す。感無量だった。

ふと振り返り、今やってきた方向を見る。冬枯れのこの季節でも、林道へと続く道がそこだとは、直ぐには判別し難いほど、木々で覆われている。目印の赤いテープでも欲しいところだなと思う。


踵を返して、まるで勝手知ったる、というような雰囲気で、角研山の方向に歩を進める。枯れ木が鬱蒼としている小さな入口に突入する。直ぐに傾斜が増し、木の根が階段状になっている山道をひたすら登り続ける。これが「角研山北尾根」なんだな、と改めてしみじみと感じ入りながら、さらに傾斜を増す急登を、息を切らしそうになって進んだ。


あの1377地点である角研山に到達したのは午前1110分だった。山と高原地図に記されている笹子駅からの標準タイムが二時間半で、丁度同じ時間をかけて来たことになる。不注意の挙句での崖登りはあったにせよ、むしろ直線距離に近いルートを辿ってきたような気がしていたが、やはり予定より大分時間がかかってしまったようだ。解けた緊張と、使い果たした脚力の残骸とともに、二人とも抜け殻のように座り込んだ。途端に空腹感が増してきて、握り飯を食べてお茶を飲み干した。


気持ちは充足しながらも、体力は明らかに減退していたが、目的地に向かって進む。記憶とは曖昧なもので、前回本社ヶ丸山頂から角研山まで、雨の中を駆け抜けた距離感が脳裏に棲みついていたのか、この尾根に辿り着けば、あとはゴールまで一投足、のような気になっていた。

改めて地図を見ればそんなことはなく、草原に立つ大きな鉄塔を心地良く通過してからは、徐々に雪が残る傾斜が延々と続き、ところどころが凍っていて、新たな緊張感とともに歩くことになった。それでも正午過ぎには松の木が印象的に配置された本社ヶ丸に到達した。


三つ峠山が真正面に聳え、背後を見れば遠く大菩薩の山々を見渡す良景だが、肝心の富士山が全く見えない。透き通った空気の、凛とした富嶽を眺められるのだろうと思い込んでいた。己に都合の良い概念だけしか意識できないことに滑稽感が湧いてくる。

山頂は雪が解けたからか、泥濘で居心地が悪い。あの絶景を誇る造り岩まで進んで大休憩にしようと思う。


岩の塊を慎重に下りた時、清八峠方面から来た単独行の男性が現われた。挨拶をして、この先は凍ってますか、と訊ねたら、三つ峠に行くのですか、と逆に訊ね返された。

私は、清八峠から追分に降りて笹子駅に行くと答えた。男性はものすごく生真面目な表情と口調で、アイゼンを装着しないと無理ですよ、と言った。ちょっと怒ってるのかな、と思うくらい真剣な口調だった。大丈夫かあんた、と言ってるような顔つきに見えた。そんなに不真面目な風体ではないと自分では思っているが、事実私はアイゼンを持っていない。何故分かったのだろう、と、やや内心痛いところを衝かれたような気になった。


御礼を言って別れた後、なんか大袈裟だったな、とMに言うが、彼は無言だ。私に山歩きを啓蒙してくれたMは装備に余念は無い筈だと思い、私は彼に、下山道が凍っていたら君が先になって手助けしてくれよ、アイゼン持ってないから俺は、と伝えるが、Mはまた返事をしない。なんだか不自然だ。


しばらくして、アイゼン忘れてきた、と、ポツリと言った。アイゼン無いと駄目だよ、と言われた時に受けた衝撃は、Mの方が推し測れないものだったのかもしれない。


絶景の造り岩に着いても富士山は見えずじまいだった。ここでようやく昼食にする。Mは早速ジェットボイルを組み立てて、お湯を沸かし始める。

私は、今日は自分用の水を持ってきたよ、と言った。Mはまたしても無言だ。どうもさっきからおかしい。

どうした、と訊くと、俺は今日はカップ麺はやめとく、と言う。お腹の調子が悪い、どうも今日は最初に疲れすぎたようだ、と言った。

しばし唖然としたが、深く考えるのはやめて、彼が用意してきた水で沸かした熱湯を貰い、私だけが食べることになった。御前山のこともあるが、カップ麺のことで何かと神経を遣い過ぎる嫌いが多いような気がする。


残雪が目立つようになったなと思ったら清八峠に着いた。昨夏、ほうほうの態で登りつめた場所だ。右に細く下るのが薄暗い追分への道で、正面が三つ峠に至る清八山への道だ。直ぐそこなので往復することにするが、急激に登る山道は徐々に凍りついてきて、早速帰途への危惧が頭をよぎる。山頂は誰も居ない静かな佇まいで、松越しに富士を眺めることができた。三つ峠へ行ってみたい誘惑に駆られるが、予定調和を遵守したいMにこれ以上プレッシャーを与えるわけにもいかないので、素直に峠まで戻る。凍った土を避けて、恐る恐る下った。


峠からの道は、もうお話にならないくらいのアイスバーンだった。あの男性の忠告は真実だったわけで、道は歩けず、傾斜した山肌に足の踏み場所をみつけながら、超スローペースで進むしかなかった。私の靴は、同行者に迷惑をかけるわけにいかないので頼りない美津濃製だ。

結果的には、最初から諦めの境地で慎重に歩いたからか、転倒することなく下山することができた。


Mは、気の毒なくらい転んだ。やはり今日の出発からの二転三転した経路で精神的に参ってしまったのかもしれない。


登山口に降り立ち、変電所を経て長い舗装道路を歩く。やっとのことで追分に着き、甲州街道を駅に向かってひたすら歩く。駅のプラットホームが見えてきた頃、鉄路に響く音が徐々に高まり、電車が笹子トンネルから飛び出してきた。もうすぐ駅に辿り着こうかという時に、実に惜しいタイミングで上り電車が到着してしまった。


笹子駅の待合室で、あと一時間弱も待つのは堪らないので、少し待って到着した下りに乗り、隣の甲斐大和まで行き、笹子雁ヶ腹摺山の時に入った駅前の店を再訪して乾杯した。

店の女将さんが我々を覚えていてくれて、大菩薩に行くバスも冬は無いので、この季節は、山登りの人は殆ど見かけないと、呆れているのか感心しているのか分からない口ぶりで言った。笹子駅からわざわざここまでやってきた物好きな私たちは、やっと生きた心地になって、冷たい麦酒を飲みながら、揚げたての天麩羅に舌鼓を打った。


薄暮はいつの間にか宵闇に包まれていた。

甲斐大和の駅は、煌々とした灯火で、山間に浮かんでいた。

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笹子駅から1377地点(角研山)経由の本社ヶ丸《前編》


 2010/1/31


笹子駅(8:40)---庭洞沢橋---黒野田林道---送電鉄塔葛野川線30---角研山---本社ヶ丸---造り岩---清八峠---清八山---清八峠---変電所---追分---笹子駅(16:10)


気象予報によれば寒波襲来が近そうなので、其の前にどこかに登っておくか、ということになり、Mとあれこれコースを検討していたが、妙案も浮かばないので、かねてから気になっていた、本社ヶ丸の項で記した、1377地点の謎を解く旅を思いついた。


昭文社刊「山と高原地図24『大菩薩嶺』2009」では堂々と赤い線で記されている、笹子駅から1377地点までの登山道。昨夏の本社ヶ丸からの下りで、見事に繁茂した藪で覆われた鉄塔にぶち当たり、敗走を余儀なくされたが、冬枯れの今なら、あの鉄塔を目指して、笹子駅から歩けるのではないかと思う。


当然、そんな思いつきは自然と出たものではなく、愛読している或るホームページ(末尾に詳細を記載)に、笹子駅からの道のりが写真入りで克明に書かれていたのを発見したからだった。角研山北尾根というあの鉄塔のある道を登って角研山に、そして本社ヶ丸を目指すことにした。


中央本線大月行きの電車はことのほか空いていて、ボックスシートにMと向かい合い、車窓を眺めながら今日の行程を説明する。件のHPから書き写したメモを見せる。


「船沢橋経由、鶴ヶ鳥屋山の指導標、T字路を右折

辰巳沢橋を渡る。次に庭洞沢橋を渡る。

「角研山北尾根入口」の指導標。

送電鉄塔大勝線50号。

庭洞山(1000.6m)赤い三角点。

黒野田林道に出る。指導標は左だが右へ。

黄色い標柱「30号鉄塔に至る」と表記。

プラ階段を登る。

黄色い標柱で尾根。「巡視路・登山道至笹子駅」の表示。

「送電鉄塔葛野川線30号」に到達。


大月駅では、朝日に照らされて輝く岩殿山を眺めながら、後続の小淵沢行きが来る迄随分待たされる。私は今日の行程に内心興奮しており、緊張していた。概略は分かったような気になっているが、実際は滅多に歩かれなくなったルートである。どんな険しいポイントがあるかわからない。私は普段使用しないスパッツを、乗り込んだ小淵沢行きの車内で装着した。


相変わらず山翳で暗い笹子駅に降り立ち、準備を済ませて、右手に歩くと、JR運転士訓練用プラットホームを見ながら、舗装道路を西へと進む。辰巳沢橋が現われ、庭洞沢橋を越える。予定通りだ。右に山小屋風な建物が見えてきて、「角研山北尾根入口」の指導標が見えてきた。


階段を登り、貯水タンクの横を通り、枯れた沢と古びた堰を右に見ながら傾斜を登っていく。そしていつしか、傾斜は急になり、踏み跡どころか、道もない、ただの山肌を必死になって登り始めていた。ところどころに生えている枯れ木の幹を掴まないと、たちまち滑り落ちてしまうくらい急な崖になっていた。


「これは道じゃないな」と、Mがいまさらのようにつぶやく。私は、目の前の足場と、掴まることのできる木に集中して登り続けていた。息があがり、木に寄りかかって休む。後ろを振り返ると、Mの姿が見えない。

背筋が冷たくなったような気分で、眼を凝らしてMを探すと、左に大きく逸れて登ってきている。かなり手こずっている様子だ。私は、斜めに生えている木に、支えられるようにして寄りかかって、Mが近づいてくるまで待っていた。

とりあえず無事を確認して、ふたたび崖を登り始める。時々、振り返ってMを確認するが、一回だけ、振り向いた瞬間に重力を失ったような、宙に浮いたような感覚になった。落ちる、と気づいた瞬間下肢に力を入れて、どうにか踏みとどまった。


山肌にへばりついて、彼方を見上げると、木立が並ぶ尾根が見える。もう少しだと言い聞かせ、今度は無心に、スピードを上げて、だが慎重に、登り続けた。

崖を登りきって、なんとも穏やかな尾根の上に辿り着いた。Mはなかなかやってこない。崖を見下ろしても、なかなか姿を確認することができない。それだけ急峻だったということだろう。Mがやっと登りきった。無言で座り込んで給水して、立ち上がる気配を見せない。


小さい尾根の反対側を見ると、舗装された林道らしきものが見えて、遥か向こうからは、甲州街道からの自動車の音さえ聞こえる。五万分の一の地図を見ても、自分たちが何処に居るのか全く判然としない。尾根はとにかく南の方向に向かっているので、枯れ枝を掻き分けながら進む。それでも充分歩きやすい道だった。


どう考えても正規のルートを辿っている感じがしなかったが、それでも足元に時折姿を現わす赤い石標を見ると安堵する。しかし、道は徐々に薄暗くなっていき、前方に急峻が聳えているのが見えてきた。先程の崖ほどではないが、倒木が散乱した傾斜のきつい登りだ。今度はMが先になって登り始める。垂直に倒れている木に縋り、ストックをバネにして少しずつ登っていく。稜線と、木立から覗く空を遠く見上げる。最早道ではなくなっていた。


登りきった場所は、展望が開けた登山道が横切っていた。送電線がうっすらと横切っているのが見える。道は右手から左の方へと緩やかに上がっている。左斜め前方に、こんもりと聳えたつ山が見える。左手に、歩を進めた。庭洞山なのか。しかし予定では送電鉄塔大勝線50号が先だ。既にまともにルートを辿っていないのに、頭の中では予定されていた知識と、目の前の現実を合わせようとしている。二度に渡って山肌をよじ登ってきた疲労に困憊して、茫然としながら足を前に運んだ。


広がる空の下、枯れた藪が倒れて開かれた道を行き、間もなく林道が現われた。

黒野田林道は、天国のようなのどかさだった。


帰宅してから調べた結果、HPと書き写したメモを照らし合わせた。

『左下に庭洞沢を見ながら左岸を進むと、前方に堰堤が見え、木橋がかかっているが、「自然を守ろう」の白い標柱の矢印に従い右折する』

HPから引用した。私のメモは、「角研山北尾根入口の指導標」の次に、いきなり「送電鉄塔大勝線50号」とだけ書いてある。堰堤は覚えているが、沢は右に見ていたような記憶だ。白い標柱は、メモし損なったため、全く眼中に無かった。この時点で道無き道というか、崖を行く決死行が確定していたのだった…。


補記

文中に記した、愛読しているHP『悠遊趣味』です。

マイナーなルートを行く山日記は、プロセスが丁寧に記されていて、写真も大事なポイントできちんと掲載されていて、本当に分かり易いです。今回見逃した「白い標柱」もちゃんと写真がありました。それにもかかわらずこの有様なので、自分で自分に驚いています…。

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