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鍋割山で鍋焼きうどん・そして苦悩ふたたび

2010/1/3

大倉(8:40)---二俣---後沢乗越---鍋割山---小丸---二俣---大倉(16:00)


思惑通りの時刻に目覚め、鈍重な動きで冷え切った部屋で着替える。待ち合わせの新宿駅プラットホームまで後一時間半以上ある。昨夜の酔いはそれほどでもないが珈琲を何杯も啜りながら茫然としていたらアッという間に時間が過ぎていた。神田川のほとりから見る高層ビルのシルエットが徐々に明瞭になり、夜明けがやってきた。


大晦日には久しぶりに家族で再び陣馬山へ行き、靴はいよいよ足に馴染んでいく感触だった。今朝も軽快にスイッチバックは青梅街道を新宿駅へと歩いていく。まったく問題は見受けられない。


行き止まり式の小田急のホームに、急行電車が進入してくるところに到達するタイミングの良さ。Mがすぐに私を見つけた。新年の挨拶をしたら、あとは鈍足の急行で眠っていけばいい。丹沢行きは相変わらずの混雑かもしれないと想像したが、三箇日最終日の今日は、拍子抜けのように乗客はまばらで、山行き客の姿が見当たらない。それが却って仇となったのか、車内はうすら寒く、停車駅でドアが開けば冷気が襲ってきてなかなか眠ることができなかった。それでもいつしか意識が遠ざかって、きちんと覚醒した時は伊勢原まで来ていた。車窓に大山が見えてきて、丹沢山塊が現われた。今日も冬晴れだ。


初めてきちんと登ったのが丹沢だった。真夏の暑い日に、Tシャツと短パンで大倉から二俣への林道を歩き、その長丁場に辟易し、歩いている人々がきちんとした登山の恰好をしているので不安になり、途中で登山用パンツに穿き替えたり、休憩ばかりしながら進んだ。あれから一年半しか経っていないのかと思う。何度も登って鍛えた大倉尾根を辿り、塔ノ岳からの絶景を拝むというコースも考えたが、鍋焼きうどんに麦酒で乾杯の正月に決めた。


休日の朝にしては人がまばらな大倉に着く。Mは今日の打ち上げ場所を何処にするかということが気懸かりのようで、未だかつて入ったことのない、どんぐりハウスの食堂を覗き込み、メニューを眺めたり、向かい側にある蕎麦屋の味はどうなのだろう、なんてことばかりを言う。もしかして空腹なのか?と訊いてみるが、そんなことはない、と憮然として応える。


山翳でひっそりした林道を歩き、難なく二俣を越えて、鍋割山荘歩荷するペットボトルが積んである地点に到着した。ここまで、数人のグループしか会わなかったが、休憩している間にいろいろ追いついて来る。欧米風男性外国人二人組は軽装だが屈強そう。続いて若い日本人男性二人組が到着。ピッケルまで持って本格的だが、積んであるペットボトルを見て、なんだこれは、というような言葉を発して爆笑している。鍋割山は初めてなのだろうか。いずれにしても知識不足を露呈しているだけにしか見えないし、滑稽極まる。Mもあからさまに不快そうで、もう行くか、と立ち上がった。


私は何時も、ここで四リットルのペットボトルを歩荷して苦痛を楽しんでいるが、靴と足元に不安を残す今日は、自重して二リットルにする。Mは気持ちだけ、といった風で、薪木を一片ザックに括りつけて出発。伐採林に入ったところで下ってくる人々とすれ違う。その中の一人の中年男性に、なんだい、そんなもの背負って、と笑われる。Mは更に憮然とする。今日は初心者が多いようだな、とつぶやく。


後沢乗越から西丹沢を望みながら本格的な登りになる。登山者は増えていて、時々渋滞になる。下ってくる人も増える。薪木を見て、ご苦労様だねえ、とMがまた中年男性に声を掛けられる。これ見よがしに見える薪木が功を奏してMは満更でない表情だ。私のザックの中にあるペットボトルに比べれば軽い代物だが、今度は内心私が憤然となる。途中、単独の中年女性を追い越したら、話しかけてきた。頂上迄あとどれくらいなのかと言うので、私は躊躇したが、Mは間髪入れずに、あと十五分くらいですね、と応える。二股に停めた車に連れを残してきているのだが、正午には戻らないといけないと言う。現在時刻は十時半である。頂上から其処まで一時間で戻れるかしらねえ、と言うとMは即座に無理ですね、と答えた。午後二時から用事があってねえ、と彼女は続けるので、そんなの知るか!と叫びそうになるが、やっとのことで態勢を整え直して、急ぎ早に登る。充分に引き離してから互いに、今日は変な日だな、とつぶやいた。


登りつめたところでまた正面に山が聳え、鍋割山へ至る道は最後に起伏が現われる。もう少しだなと思ったら、なかなか頂上に着かない。件の中年女性にMが即答した15分は明らかに嘘だったが、Mにそのことを言っても、ちょっと間違えたな、と悪びれない。盲信は禁物だなと改めて思う。十一時を過ぎた頃に登頂した。登っている間にだんだんと雲が広がりはじめ、今年最初の富士山は見ることができなかった。鍋割山荘でお目当ての鍋焼きうどんを注文し、缶麦酒で乾杯する。小屋の中はほどほどに混んでいて、ストーブの近くの炬燵に座れず、なんとなくいつもより居心地がよくないまま、それでも絶品の鍋焼きうどんを完食した。


平和裡に正月の山登りをこなしているかのように思えた今回の丹沢だったが、結論から言うと、愉しかったのはここまでで、後の大倉に戻るまでは苦悶の行程だった。山荘で靴を脱ぎ、改めて出かける時に履き直したスイッチバックは、なぜだか違和感とともに、左足首に痛みを与え始めた。鍋割山稜の気持ちの良い歩きは、頭の中で鳴り出す不協和音が徐々に高まって何も感じることができなかった。


小丸に着いた時、痛みは決定的に復活していた。この痛みは、取り替える前のスイッチバックで右足首を襲ったものと同じだ。今度は左である。なぜなのか。なぜ途中から唐突に痛みが起こったのか。さっぱり理解できないが、状況としては、これから下山の全行程をこなさなければならないということである。予定としては、このまま山稜を進み、金冷シから大倉尾根を駆け下りるというものだったが、完全に不可能に思えた。今そこにある下山の道を選ぶ。小丸から訓練所尾根を下っても、あの林道歩きがふたたび待っていると想像すると、全身から力が抜けていくような思いだが、選択の余地はない。


相模湾を見渡す絶景をため息混じりに眺めながら、嘘みたいな鈍重さで尾根から降りていく。途中、靴紐を弛めたり、布を足首にあてがったりと、小細工を繰り返しても事態は変わる兆しも見せない。とうとう破行気味に、横歩きみたいな風情になってしまった。痛みを堪えて歩くのは困難で、痛みを軽減できる態勢でのみ進行できるという状態だ。二俣からの林道で、緩やかな道になってからは落ち着いたが、それでも窪みが激しい部分を踏むと痛いから、なるべく平坦な部分を選んで歩いた。鍋割山から大倉まで四時間以上かかって下山したということになる。ほうほうの態で丁度よく待っていたバスに乗り込み、悲しい気持ちで丹沢に背を向けた。

Mの懸案である打ち上げは、私の気分で中止するのも気の毒なので、本厚木まで移動して、凡庸な居酒屋で一献を傾け、一日が終わった。


帰宅して改めて左脚を見ると、踝ではなく、其の上の部位が腫れるくらいダメージを受けていた。右脚はなんでもない。歩いている時のバランスが悪いのだろうか。いずれにせよ、ふたたび暗雲が立ち込めてきた。次回は退路を断たないで山に行くしかないかな、と、ぼんやり考えた。

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