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2010年1月

塔ノ岳・大倉尾根往復

2010/1/16


大倉(8:30)---大倉尾根---塔ノ岳---大倉尾根---大倉(14:15)


藁にでも縋りたいという気持ちで、メレル、スイッチバック、靴擦れ、足首、痛い、などと検索ワードを入れて、インターネットの中でヒントを探す夜が続いた。販売店ではなくメーカーに苦情の電話をしろよ、とMは言うが、これほど量産して販売されている人気商品で、慣れるまでに時間がかかるものという前提でもある登山靴という特殊な商品である。軽はずみにクレームを入れて、返り打ちにあったりしたら精神的にどん底に落ちてしまいそうな気がする。

アンクルパッドの内側の布が堅い。指で探ると、何か金属のような堅い部品のようなものが感触で分かる。妻の登山靴を試しに揉んでみても、そのような感触は皆無で、柔らかい。取って返して、私のスイッチバックを擦ってみる。この堅いものが当たって、腫れるほどのダメージを受けたのだろうか。しかしなぜ左脚だけにそれが発生するのか、皆目分からない。


登山靴で足首が痛くなるというインターネット上の記事で、瞠目した文章を引用する。


山歩き初心者ですが、先日、登山靴を購入しました。(中略)ハイカットの靴ですが、履き始めてからしばらく歩くと足首が痛くなりました。具体的には足首と「スネ」の付け根部分で、(「スネ」より若干内側の部分)とくるぶしの上の骨の部分になります。症状としては圧迫痛のような感じで皮がよれたりなどではありません。今は赤くなって腫れています。先日の山行では岩場の訓練で岩場を中心に歩き、下りが主だったような感じもします。
靴ひもはキツメに締めましたが、同じ靴を履いていた人には足首には何も起きていませんでした。私だけが痛みがあったという感じです。
このように足首が痛くなるというのは普通なのでしょうか?
新しい靴なので、まだ足がなれていないという事なのでしょうか?
どうすれば痛くならないようにできるのでしょうか?
足首の痛みだけを除けば、足指などのトラブルもなく、気に入っているので買い換えたくありません。アドバイスよろしくお願いします』


思わず両膝をポンと叩きたくなるくらい首肯した。私の抱えている痛みを分かり易いく表現されていて、感銘を受ける文章である。強いて言えば、「足首と「スネ」の付け根部分で、(「スネ」より若干内側の部分)とくるぶしの上の骨の部分」が、私の場合は、脛より若干外側で、しかも左脚だけに生じる痛みだということである。

この質問に対するアドバイスの、厚手の靴下と、紐をきつく締めないという手段によって、文章主は悩みから解放された旨が書かれてあった。祝福すべきことだが、なぜ俺は駄目なのか、という煩悶の方が猛烈に心を支配して、人間性まで崩落してしまいそうな心境である。


続いて、悲しいが「我が意を得たり」とでも言うべきな記事を引用する。


メレルスイッチバックは使用2回で足首の金具はぶっ壊れるは、くるぶしの上の腱のあたりが当たりまくって痛いのなんの。靴下厚手二枚履きとかでもなお痛い。見た目はカッチョいいんだけどな。もういっそタウン用にすっかな。ファッション用として』(原文ママ)


金具が壊れてというのと、痛みの部分も一致する。まるで自分が書き込んだのかと錯覚してしまいそうなブログの一文であった。私は厚手の靴下二枚履きは出来ない。それこそ靴の中が窮屈になって本当の靴擦れに見舞われることだろうと思う。この痛みでタウンユースになるわけがないので、言文一致しているこの一文は矛盾しているのだが、心情的には大いに共感できるものだ。


登山靴に麦酒壜を入れて紐を締めて数日放置しておくことで、足首の当たりが改善される、という、これもインターネットで読んだ記事を参考にして、同様の手段をとってみた。数日間経って壜を抜いてみると、なるほどその太さを覆った儘の形状で、まあるくなっている。恐る恐る履いてみた。鍋割山から一週間以上経っていて、私の足首には痛みの痕跡は無い。もう一度試してみることにした。しかし今度は代えの靴を持って行く。退路を断つ元気は最早無い。


前回と同じ電車とバスに乗って、大倉へ向かった。バスは適度に混んでいたが、一番後ろの座席に座り、ザックを抱えて小さくなっていたら、隣の年配の男性に話しかけられた。尊仏山荘に電話をして訊いてみたら、雪が5センチくらい積もっているとのことで、途中で凍ってないといいね、などという会話をした。足首のことで頭が一杯だった私は、アイスバーン対策など、思い浮かびもしていなかったことに気づく。行けるところまで行こうということで自分の心に整合性を与えるのが精一杯だった。


大倉尾根をひたすら登って塔ノ岳を目指す。延々と莫迦みたいに登りが続くので莫迦尾根などと呼ばれるメインルートだ。入り口からしばらくは、春に行なわれる植樹祭のために、綺麗に舗装され直した道を行く。アスファルトや石だらけの道ではつい足首に神経が向いてしまう。ようやく土のジグザグ道に入り安堵した。


観音茶屋の観音様に無事を祈願して、順調に進む。雑事場の平は休憩の人が多く、見晴茶屋で少し給水。いよいよ第一弾の急登が始まる。案の定、足元は登りにおいては何の不安も無い。一人身故にひたすらに足を進め、何人かを追い越すくらいのペースで駒止茶屋を過ぎ、平坦な尾根歩きを楽しむ。大好きな三ノ塔が台形の山容で姿を現すと堀山の家。ここまで一時間半。いつもと同じタイムに自信が甦ってくる。


いよいよ標高1000メートルを越えて花立を目指す。それにしても相変わらずいろんな人が登っている。マイペースでも抜かれることはない歩調の私の背後に気配がするなと思って振り向いたら、手ぶらでヘッドフォンをして、両手をポケットに入れて登ってくる人で、さすがに我が眼を疑う。


天神尾根分岐から階段を登り、現われるベンチで休憩するのが好きだったが、日陰で雪が残っているのでそのまま進む。ガレ場をこなして延々と続く階段の入り口まで来て、振り返れば相模湾の絶景だ。深呼吸するとすべてが報われたような、何ともいえない気持ちになる。最初の頃はいつまで続くのかと果てしなく遠い花立小屋がある筈の彼方を見上げたものだったが、今は無心で、一歩ずつ階段を登って行く。そうすると、もう着いたのか、という感じで風に揺れる花立小屋の汁粉の旗が現われる。長居をすると人が増えてくるので、いつもここでは少しだけの給水で、ふたたび登り始める。


少しの急登が終わると、表尾根と連なる山並みから相模湾へと至る眺め、そしてすぐそこに前回絶望とともに下りた訓練所尾根が見える、瓦礫の広い場所に出る。夏はこのあたりでガスに包まれることが多く、まるで恐山にでも来たかのような殺伐とした光景になる好きな場所だ。遮るものがないこのポイントには残雪がなかったが、とうとう金冷やしの手前からところどころが凍り始めた。それでも歩調は衰えることなく、最後の階段を慎重に登って、雪で白くなった塔ノ岳山頂に到達した。


堀山まで真っ白な頂を見せていた富士山はすっかり姿を隠してしまってはいるが、それを除けば360度のパノラマを見渡せる好天だ。南アルプスから八ヶ岳まで明確に見える。大倉から二時間四十分。足首は何の問題もないようだ。絶景だが強い風が冷たい山頂から、食事もせずに下山の途を辿ることにする。階段を下る時から、やはり足首に対する当たりは感じるが、許容範囲のようにも思える。少なくとも、前回の鍋割山を出発した時のような、明らかな違和感は無い。愚直なまでに、今来たばかりの道を辿り、徐々に雪景色から荒涼とした尾根の風景に変わり、次々と登ってくる人とすれ違いながら花立まで戻ってきた。


平和裡にここまで莫迦尾根ピストンをこなしていたかのように思えた今回の丹沢だったが、結論から言うと、充実感はここまで。大倉に戻るまでの道のりは、まさに苦行だった。


長い階段を下りきって、ガレ場になる頃、三人組のグループから声を掛けられた。朝のバスで隣に座っていた人だ。もう行ってきたのか、早いねえ、と言われ面映くなるが満更でもない。健闘を讃え合い別れる。小学生の女の子と父親の二人組が登ってくる。娘はさすがに辛そうな表情。激励してすれ違う。直後、背後で嫌な音がして振り返ると、下ってくる男性の一人が転倒していた。気をつけねば、と思う間もなく、ぬかるんだ土に両脚が揃い、私も滑って転んでしまった。


咄嗟に両手で庇ってしまい、直ぐに起き上がった。ウール地のズボンが汚れていないかということに先ず神経が行ってしまった。転ぶときは尻から、ザックがクッションになってくれるという基本中の基本も、一瞬の恐慌で忘却の彼方に置き忘れてしまった。見栄ばかり気にしている自分に天罰が下ったのだろう。ストックを持っていた右手の指先が痺れて、酷い痛みだった。手袋の中の人差し指の先から、血が滲んできた。折れたのかと思うくらい感覚が麻痺して、自分で制御して指を曲げることもできない。ストックを握ったまま倒れて指を地に突いてしまったのだろうか。その瞬間のことは全く分からない。


血の気が失せたように茫然と、そろりそろりと木の階段を下る。右手の人差し指の爪の根元が黒ずんで、出血は続いている。天神尾根分岐手前のベンチに漸く辿り着き、絆創膏を探すが、鋏で切って使用する大判のものしかないのに、鋏が無い。仕方なく諦めて、手袋にそっと通す。親指を除く右手の指の全てが痺れていたが、徐々に回復してきた。そっと指を曲げてみると、ぎこちなく反応する。軽い打撲のようでホッとする。直截的な苦痛に加えて気力がみるみるうちに失せていくのが分かる。堀山の家を、休憩中の人々から顔を背けるようにして通過する。ふたたび三ノ塔を眺める地点でザックを下ろして、茫然としながら煙草をくゆらした。午後の空は徐々に怪しく曇り始めて、心なしか三ノ塔の山容が歪んで見えた。


重い足取りでまた歩き始めると、その鉛のように重く思える足先に神経が向き始めた。そして、左脚の例の箇所が痛みを訴えてくるようだった。駒止茶屋を過ぎて、いよいよ過酷な下りが再開すると、転倒に対する恐怖から足取りはぎこちなくなり、また左足首に、あの痛みがゆっくりと襲ってきた。どこまで耐えられるのか。それでも前回の訓練所尾根の下りほど決定的な痛みではない。しかし、気持ちが萎えたまま単調に、緩慢に歩いていくうちに、自分にとってこの痛みが、あまりに不当なもののような気持ちで一杯になってきた。人が絶えない大倉尾根だが、不思議なくらい人影が無くなった。私はのろのろと、無為な気分で木の歩道を辿り、最後の急坂を下り、見晴茶屋の前に辿り着いた。


ベンチに座り、煙草に火を点けて、少しの間茫洋としていた。そして、靴を履き替えることに決めた。震える指先をなんとか制御して、ぎこちなく靴紐を解く。ザックの奥から美津濃を取り出し、履いていると、三人くらいの人が通り過ぎて行った。履き替える靴を持ってるとは周到な奴、などと思われただろうか。そんな想像をしながら、スイッチバックの靴底にこびりついた泥を石の欠片で念入りにこそげ落とす作業に没頭した。靴袋に入れたハイカットは大きくて、ザックに入れる作業に手間取った。


靴を履き替えた途端、嘘のように痛みは消え失せた。足が羽根が生えたように軽くなったのに暗澹たる気分だ。態勢を直して、雑事場の平までの気持ちの良い木立の道を進んだ。分岐を左に、尾根と分かれて下り始めてからは、まるで事故渋滞から抜け出た高速道路を走る車のように、あるいは都営地下鉄内で各停を余儀なくされていた京急快速特急が地上に出て品川を出発したかのような、脱兎のごとくとはまさにこれかという感じのスピードで歩いた。柔らかすぎるアンクルパッドの頼りなさを以前よりも強く感じるが、痛みさえなければこんなもんだ、というような自分の精神への均衡を図ることのほうに気持ちが向かっていた。観音茶屋に着いて、手を合わせ、無事を感謝した。一瞬の不注意で、致命的な傷を負っていたかもしれない。本心からそう思った。


残念ながら同様の痛みが再発してしまったが、転倒のショックからの精神的不均衡と、足取りの無様さもあり、今回の経験で、一概に靴に見切りをつけようとは思わない。しかし、踏んだり蹴ったりの事実は覆りようがないので、スイッチバックとともに再起を賭けて山に向かえるまで、少し時間が必要かもしれない。


それにしても、退路を断たなくてよかったなあと、帰路にぼんやり思った。

鍋割山で鍋焼きうどん・そして苦悩ふたたび

2010/1/3

大倉(8:40)---二俣---後沢乗越---鍋割山---小丸---二俣---大倉(16:00)


思惑通りの時刻に目覚め、鈍重な動きで冷え切った部屋で着替える。待ち合わせの新宿駅プラットホームまで後一時間半以上ある。昨夜の酔いはそれほどでもないが珈琲を何杯も啜りながら茫然としていたらアッという間に時間が過ぎていた。神田川のほとりから見る高層ビルのシルエットが徐々に明瞭になり、夜明けがやってきた。


大晦日には久しぶりに家族で再び陣馬山へ行き、靴はいよいよ足に馴染んでいく感触だった。今朝も軽快にスイッチバックは青梅街道を新宿駅へと歩いていく。まったく問題は見受けられない。


行き止まり式の小田急のホームに、急行電車が進入してくるところに到達するタイミングの良さ。Mがすぐに私を見つけた。新年の挨拶をしたら、あとは鈍足の急行で眠っていけばいい。丹沢行きは相変わらずの混雑かもしれないと想像したが、三箇日最終日の今日は、拍子抜けのように乗客はまばらで、山行き客の姿が見当たらない。それが却って仇となったのか、車内はうすら寒く、停車駅でドアが開けば冷気が襲ってきてなかなか眠ることができなかった。それでもいつしか意識が遠ざかって、きちんと覚醒した時は伊勢原まで来ていた。車窓に大山が見えてきて、丹沢山塊が現われた。今日も冬晴れだ。


初めてきちんと登ったのが丹沢だった。真夏の暑い日に、Tシャツと短パンで大倉から二俣への林道を歩き、その長丁場に辟易し、歩いている人々がきちんとした登山の恰好をしているので不安になり、途中で登山用パンツに穿き替えたり、休憩ばかりしながら進んだ。あれから一年半しか経っていないのかと思う。何度も登って鍛えた大倉尾根を辿り、塔ノ岳からの絶景を拝むというコースも考えたが、鍋焼きうどんに麦酒で乾杯の正月に決めた。


休日の朝にしては人がまばらな大倉に着く。Mは今日の打ち上げ場所を何処にするかということが気懸かりのようで、未だかつて入ったことのない、どんぐりハウスの食堂を覗き込み、メニューを眺めたり、向かい側にある蕎麦屋の味はどうなのだろう、なんてことばかりを言う。もしかして空腹なのか?と訊いてみるが、そんなことはない、と憮然として応える。


山翳でひっそりした林道を歩き、難なく二俣を越えて、鍋割山荘歩荷するペットボトルが積んである地点に到着した。ここまで、数人のグループしか会わなかったが、休憩している間にいろいろ追いついて来る。欧米風男性外国人二人組は軽装だが屈強そう。続いて若い日本人男性二人組が到着。ピッケルまで持って本格的だが、積んであるペットボトルを見て、なんだこれは、というような言葉を発して爆笑している。鍋割山は初めてなのだろうか。いずれにしても知識不足を露呈しているだけにしか見えないし、滑稽極まる。Mもあからさまに不快そうで、もう行くか、と立ち上がった。


私は何時も、ここで四リットルのペットボトルを歩荷して苦痛を楽しんでいるが、靴と足元に不安を残す今日は、自重して二リットルにする。Mは気持ちだけ、といった風で、薪木を一片ザックに括りつけて出発。伐採林に入ったところで下ってくる人々とすれ違う。その中の一人の中年男性に、なんだい、そんなもの背負って、と笑われる。Mは更に憮然とする。今日は初心者が多いようだな、とつぶやく。


後沢乗越から西丹沢を望みながら本格的な登りになる。登山者は増えていて、時々渋滞になる。下ってくる人も増える。薪木を見て、ご苦労様だねえ、とMがまた中年男性に声を掛けられる。これ見よがしに見える薪木が功を奏してMは満更でない表情だ。私のザックの中にあるペットボトルに比べれば軽い代物だが、今度は内心私が憤然となる。途中、単独の中年女性を追い越したら、話しかけてきた。頂上迄あとどれくらいなのかと言うので、私は躊躇したが、Mは間髪入れずに、あと十五分くらいですね、と応える。二股に停めた車に連れを残してきているのだが、正午には戻らないといけないと言う。現在時刻は十時半である。頂上から其処まで一時間で戻れるかしらねえ、と言うとMは即座に無理ですね、と答えた。午後二時から用事があってねえ、と彼女は続けるので、そんなの知るか!と叫びそうになるが、やっとのことで態勢を整え直して、急ぎ早に登る。充分に引き離してから互いに、今日は変な日だな、とつぶやいた。


登りつめたところでまた正面に山が聳え、鍋割山へ至る道は最後に起伏が現われる。もう少しだなと思ったら、なかなか頂上に着かない。件の中年女性にMが即答した15分は明らかに嘘だったが、Mにそのことを言っても、ちょっと間違えたな、と悪びれない。盲信は禁物だなと改めて思う。十一時を過ぎた頃に登頂した。登っている間にだんだんと雲が広がりはじめ、今年最初の富士山は見ることができなかった。鍋割山荘でお目当ての鍋焼きうどんを注文し、缶麦酒で乾杯する。小屋の中はほどほどに混んでいて、ストーブの近くの炬燵に座れず、なんとなくいつもより居心地がよくないまま、それでも絶品の鍋焼きうどんを完食した。


平和裡に正月の山登りをこなしているかのように思えた今回の丹沢だったが、結論から言うと、愉しかったのはここまでで、後の大倉に戻るまでは苦悶の行程だった。山荘で靴を脱ぎ、改めて出かける時に履き直したスイッチバックは、なぜだか違和感とともに、左足首に痛みを与え始めた。鍋割山稜の気持ちの良い歩きは、頭の中で鳴り出す不協和音が徐々に高まって何も感じることができなかった。


小丸に着いた時、痛みは決定的に復活していた。この痛みは、取り替える前のスイッチバックで右足首を襲ったものと同じだ。今度は左である。なぜなのか。なぜ途中から唐突に痛みが起こったのか。さっぱり理解できないが、状況としては、これから下山の全行程をこなさなければならないということである。予定としては、このまま山稜を進み、金冷シから大倉尾根を駆け下りるというものだったが、完全に不可能に思えた。今そこにある下山の道を選ぶ。小丸から訓練所尾根を下っても、あの林道歩きがふたたび待っていると想像すると、全身から力が抜けていくような思いだが、選択の余地はない。


相模湾を見渡す絶景をため息混じりに眺めながら、嘘みたいな鈍重さで尾根から降りていく。途中、靴紐を弛めたり、布を足首にあてがったりと、小細工を繰り返しても事態は変わる兆しも見せない。とうとう破行気味に、横歩きみたいな風情になってしまった。痛みを堪えて歩くのは困難で、痛みを軽減できる態勢でのみ進行できるという状態だ。二俣からの林道で、緩やかな道になってからは落ち着いたが、それでも窪みが激しい部分を踏むと痛いから、なるべく平坦な部分を選んで歩いた。鍋割山から大倉まで四時間以上かかって下山したということになる。ほうほうの態で丁度よく待っていたバスに乗り込み、悲しい気持ちで丹沢に背を向けた。

Mの懸案である打ち上げは、私の気分で中止するのも気の毒なので、本厚木まで移動して、凡庸な居酒屋で一献を傾け、一日が終わった。


帰宅して改めて左脚を見ると、踝ではなく、其の上の部位が腫れるくらいダメージを受けていた。右脚はなんでもない。歩いている時のバランスが悪いのだろうか。いずれにせよ、ふたたび暗雲が立ち込めてきた。次回は退路を断たないで山に行くしかないかな、と、ぼんやり考えた。

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