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2009年12月

スイッチバックの苦悩・そして鋸尾根から御前山

2009/12/23

奥多摩駅(8:50)---岩峰---鋸山手前分岐点---大ダワ---鞘口山---クロノ尾山---御前山---栃寄ノ大滝---境橋---奥多摩駅(15:00)


冬晴れの日が続くので、三日後の祝日も、山に行きたくて我慢が出来ない。今度はどんなコースを試そうかと夢想する。藪だらけだった花折戸尾根の、冬枯れの道を歩いて本仁田山へ行こうかと思いつく。距離はなくても急傾斜の連続に、スイッチバックがどこまで耐えられるのかという興味が湧いてきた。Mを誘ったら好都合だったようで同行が決まった。私は、奥多摩の地図を眺めて、晴れ晴れとした気分で前夜を過ごした。


奥多摩駅前は静かで暖かくて、それでいて冷たい空気が心地よかった。本仁田山の予定は御前山に変更された。二人の脚力では、あまりにも短時間で終えてしまう行程では、帰りの駅前食堂での乾杯が早すぎるのではという理由と、標高の低い山に興味を示さないMに、冗長にアップダウンを繰り返す鋸尾根を味わってほしいという思いから、駅前発御前山を目指すコースに決定した。


東日原行きのバスが客待ち顔で停まっているのに惹かれるが、我々は愛宕山を目指して青梅街道を渡って直進し、多摩川を遥か底に望む昭和橋を渡る。右手に直ぐ登山道が現われ、少し身繕いを正しているうちに単独の年配の女性が先に登って行った。間もなく後を追うように登り始めた。登計園地を緩やかに登り、やがて神域への過酷に長く急な石段が現われる筈だが、過去に来たことのある道という慢心と、直ぐ先に行く女性が行くままに歩いていたら、右へ右へと行く巻き道に出てしまった。惰性で進むうちに、件の女性が止まって地図を確認している。神社への道と違うようですね、と声をかけたら、案の定間違えたようであった。手にしているガイドブックのコピーには蛍光マーカーでチェックしてあり、愛宕神社への解説が書かれている。単独なのでベテランなのかと思っていたので意外だった。彼女は急な階段を楽しみたいから戻るわ、と元気よく戻って行った。私も、是非あの石段をMに登らせたかったのだが、二人とも地図を確認するでもなく、まあ巻いてる道だから同じだろ、という感じで進んで行った。奥多摩駅から間もなくの地点で、右往左往するのが素人っぽくてスマートに行動したいという根拠の無い虚栄心が二人に蔓延していたように思える。山道は、ふれあい森林浴コースと銘打たれていて、やがて集落に抜け出た。その後は案の定、舗装された車道が山腹を縫うようにして冗長にジグザグに続いている。しまったなあと思いつつ、民家のショートカットを狙って、やや焦りつつ進む。途中、近道かと思った道が墓地で行き止まりになるなど、明らかに迂回も迂回の蛇行を繰り返し、やっと愛宕神社の入り口に到達した。


改めて、鋸尾根の入り口に進入する。初めて来たのは山歩きを始めて間もない頃で、大岳山を目指した初秋の頃だった。登計園地をまともに行けなかったおかげで、先導役の私もおどおどしながら進む。スイッチバックは登り始めの紐を弛めにする作戦が功を奏して、異常感はない。予め事の次第をMに話してあるので、しばしば気を遣って、しんどかったら休めよ、と言ってくれるがその心配はない。尾根への定石である行ったり来たりの登りがまさにスイッチバックで、快適に登る。そして岩場を含んだ小ピークをいくつも越えて、岩峰の天狗の石碑に辿り着く頃には、かなり汗ばんできた。岩の道を松の木々が彩る道は、アスレチックコースのように小規模なアップダウンを繰り返し、まさしく鋸の歯を正直に辿る鋸尾根だ。作ったような石庭のような景観をMも気に入ったようだ。


遠い記憶、と言っても一年前のことだが、いつか辿った風景を思い出しながら、起伏の多い道を進んでいく。途中の鎖場を楽しみ、やがて冬枯れの木立の中を登り続ける。左手に盆栽のように端正で可愛い天地山が現われる。もうすぐ標高千メートルだろうか。行く先に聳えるピークが鋸山だろうか。そんな逸る気持ちがもたげてくるくらい、距離を稼いできた。地図上では先ず、1046.7mのピークがあるのでもう少しあるというのは分かる。やがてひとつのピークに三角点を認め、先を急ぐ。途中、奥多摩駅と大岳山という大雑把の指標に、もう一点、行き止まり、というナビゲーションが付いた地点を過ぎる。後日、そこが天地山への分岐だと知る。再訪しようと思う。いよいよ大きく聳えるピークへの途中で、御前山方向へと分ける指標に辿り着いた。峠らしい佇まいの雰囲気の良い場所だ。ここでしばらく休憩して、いよいよ初めてのコースに足を踏み入れる。


次の大ダワまで、急激に下る。ここでスイッチバックと私の脚が喧嘩を始める。足首の当たりは、下りの場合に激しく感じる。重心は真っ直ぐにして、爪先にやや重きを置いて、歩幅を狭めて、緻密な精神力で下るが、何故か両サイドと足首の裏への当たりが敏感になる。足元への神経を遣い過ぎるからだと自問自答しながら、なんとか気持ちを逸らせようとするが、痛みという直截的な感覚から逃れることは難しい。しかし持ち前である、下りの勢い良さにまかせて、なんとか林道が合流する大ダワに到達した。


鋸山林道のサミットと思しき大ダワは、車が二台ほど駐車してある舗装された道で、公衆トイレまである開けた場所だった。奥多摩駅方面が通行止めになっている。快晴の奉祝日なのだが、観光客は利用しないのだろうかと思う。ともあれ、林道を横断して引き続き御前山への山道に入る。少々登ってから、アッと心の中で叫んでしまった。話が大分前後してしまうが、今回も山行きにあたって、Mからジェットボイルを持っていくので、カップ麺の用意を、と言われていた。奥多摩へ向かう車中で、今日は塩ラーメンにしたよ、などと語っているうちに、肝心の沸かす水を持ってくるのを忘れたことに気づいた。Mと、駅の自販機でミネラルウォーターを買えばいいか、などと話していたが、御不浄にかまけているうちに忘れてしまっていた。そのことに鋸尾根上で気づき、私は行動食があるし、カップ麺は食べなくてもいいよ、というような会話をしていた。Mは、自分用の水しかないので私の水問題に関して対策を講じ、緑茶を沸かしても大丈夫じゃないか、と言う提案をしてくれる。私は、そこまでして食べる必要も意欲もない、というようには言えないが、曖昧に受け流したりしていた。大ダワから鞘口山に向かう途中で、嗚呼、先程の公衆トイレに水道があったじゃないか、と初めて気づき、今更のように後悔した。


相変わらずの小ピークを越えて、まだかな、と思ったところに山腹の休憩所みたいな鞘口山に着いた。1142mまで来ているが、登ったり降りたりを繰り返しているので、なかなか高度を稼げないような焦りを感じる。しかし目的地の御前山はもうすぐそこのような感じで威容を誇っている。再び緩やかに下って、そして登り返し、右手に悠然と連なる石尾根が開け、左手には特徴的な大岳山がすぐそこに聳える気持ちのよい道に達した。いつも二人で行く奥多摩は鷹ノ巣山が多くて、帰途の石尾根を延々と駅まで歩くのが定石だ。そんな馴染みの山塊を今日は客体的に眺める。ここから眺める石尾根は、我々のイメージからすると下界に近づこうかというような地点で、おそらく三ノ木戸山あたりかと思う。しかし今日の私は、足元への意識や、カップ麺などの邪念に駆られつつ、久しぶりに歩く鋸尾根のロングランに疲弊して、もうあとどれくらいかなあ、というような弱気な状況である。それでも心地よい風と、反対側に見える大岳山の思い出に耽ったり、遠くに見える中央線沿いの山々を思い、着実に踏破していった。そしてちょっと不思議な名前のクロノ尾山に達し、いよいよ御前山の懐に入ってきたような気がした。


避難小屋、体験の森という指標まで来たら、もう道は階段状に整備されているのに、人の姿がないという殺伐とした光景だった。最後の登り特有の、解放への期待と疲労感を自ら律する、というような複雑な気持ちで、一歩、そしてまた一歩と階段を踏みしめていく。そしてとうとう奥多摩三山の雄、御前山の頂上に辿り着いた。


頂上には犬を連れた夫婦しか居なくて、ハイカーが押し寄せる御前山のイメージとは程遠く、冬枯れた木々で遠く雲取山まで連なる石尾根を眺めながら、ベンチに腰を下ろして煙草をくゆらせる。Mはすでにジェットボイルの準備に余念がない。随分空腹のようだ。そして、彼が持ってきた水を沸かしたお湯で、私の塩ラーメンを作れと言う。そんなわけにはいかないと制したが、俺は今日は味噌ラーメンだから、緑茶を沸かしたものでも味に遜色はないだろう、しかしお前のは塩だからあるいは緑茶だと味に影響があるかもしれない。という理由を滔々と語ってくれるのだが、気を遣ってくれていることには変わりなく、ただ恐縮してしまう。しかし、私がカップラーメンを食べない儘彼だけが食すというのも、彼自身にとって気分がすっきりしないものでもあるだろう。いずれにしても私の不用意が原因なので、心地良さの到達点を探るには妥協が必要なのは百も承知とはいえ、歯がゆい気分を味わうことになった。結論から言えば、Mの味噌ラーメンは全く味が緑茶に侵食されることはなく、仮にだが私の塩ラーメンにしても、その人工的な旨みに影響を与えることはなかったかもしれない。静かな山の頂で、ズルズルと麺を啜り、我々は心地良く陽だまりでぼんやりしていた。富士山は霞んでいて、見ることができなかった。


一人、また一人と増えていく登頂者にベンチを譲ろうとするかのように、我々は下山の途についた。既に午後一時。足元の不安のわりには遜色ないタイムで踏破してきたように思えるが、冬至を越えて間もない季節で、先を急ぎたくなる。大ブナ尾根から奥多摩湖を望みながら降りたい気持ちを抑えて、避難小屋経由で境橋を目指す。奥多摩都民の森、あるいは体験の森と銘打たれた登山道は山陰で人気のない静かな道だった。人工的な休憩施設が点在する中、下り道特有の靴の痛みを庇いながら歩いていく。栃寄集落への下り道は御前山の山頂の向こうにもう一本あるのだが、避難小屋経由であれば整備された林道へ辿り着くまでに、栃寄ノ大滝を眺めつつ山道を長く歩けそうだということで選んだのだが、滝に至るより随分前に、舗装道路が現われた。下りの舗装はスイッチバックと私の両脚との関係を著しく悪化させるのは明らかだったが、これは観念するしかない。やがて立派な休憩所と、体験の森の碑があるところまで達した。沢が急傾斜の岩壁から滝のような流れている様を眺める。車が一台停まっており、沢の方に向かって何かを探しているように、人が立っている。我々は本格的に始まる車道をのんびりと下り始めた。右手に栃寄ノ大滝らしき景観を認めつつ歩いていたら、背後から気配のしていた車が、なかなか追い越していかない。車は我々の前で止まった。件の事業用らしき車だった。


こんな風になってくれないかな、などと想像することもあったが、今まさにそれが現実になった。助手席の窓が下りて、年配女性が、乗っていく?ここから長いよ、と言った。車のサイドには、東京都山岳連盟とプリントしてある。コンパクトな車に見えたが、男女四人が乗っているその車には、まだ最後尾に二人が座れる余裕があるという。後部座席の扉が開いて、リーダーらしき貫禄のある男性が降りてきた。言葉少なだが、ここから歩いても面白くないでしょう、とお誘いの言葉を差し向けてくれた。山岳関連の団体の人だから、ハイカーを乗せることに違和感が無いのだろう。一般の車だったら、親切不親切の問題ではなくて、汗臭くてむさくるしい男二人を好んで乗せたがらないだろうという想像がつく。それにしても僥倖であり、直ぐには信じられないような瞬間だった。

ありがたくご厚意に甘えようとした私だが、隣に居るMが、いや大丈夫ですから、と言ったのには飛び上がらんばかりに驚いた。思わず、莫迦何言ってんだと彼を制して、リーダーらしき男性の前に踏み出た。Mは他人の好意に対して壮絶なくらい恐縮してへりくだる癖があるのは知っていたが、ここで遠慮というか、同乗を断るという考えがあること自体に驚愕せざるを得なかった。乗せてくれたのは、東京都山岳連盟自然保護委員の方たちで、御前山の水質調査の帰途であるという。山と渓谷社刊「東京都の山」の巻末記事に載っていたことを思い出した。そのことを言うと、あー、あれ読みましたか、と、皆がちょっと嬉しそうな顔をした。会話を弾ませなければならなくなるような気苦労もなく、気を遣わせない自然体な態度の皆さんが非常に心地良い。Mはなにかの会話の端で、すいません本当に助かりましたと口走るから、私を含めて皆が少し言葉が少なくなる。

山道の車道らしく、大きく蛇行しながら続く道は、歩いていたらかなり遠い距離感を抱くだろうと思えた。境橋で下ろしてもらった時は、本当に得をしたなという思いだった。助手席の女性に、今後は奥多摩の山の水を、より大事にすることを心がけますと言ったら、皆が笑ってくれた。


橋の途上にあるバス停に行ったら、次の奥多摩駅行きバスまで二十分くらいあるので、時間も短縮できたし、むかし道を歩いていこうということに決まった。決して合理的なルートではないが、山岳連盟の恩寵を思えば何の苦にもならない。道すがら、私はMが、なぜ車に乗せて貰いたいのに固辞しようとしたのかが気になって、過去にこういう状況はなかったのか訊いてみた。一度だけ、とある山から下りてきたところに、中年女性が車を止めて、乗っていきませんかと言われたことがある、と答えた。

「それでどうしたの」

「いや、乗らなかった」

「どうして」

「なんか、悪いかなと思って」

へえ、と思うしかなかった。他人の考えに深く立ち入っても仕方が無い。私は何か注進したい気持ちに駆られたが、やめることにした。山岳連盟の車が早合点して立ち去らないうちに乗せて貰って本当に良かったと思った。


廃線軌道のトンネルや橋を眺めながら、ゆっくりと歩いて奥多摩駅に到着した。駅前食堂で麦酒と澤の井を飲みつつ、肴を味わって、夕方のホリデー快速に乗り込んだ。いつもなら熟睡してしまうのだが、なぜかそうはならず、文庫本を眺めながら電車に揺られて帰った。思いがけない僥倖で疲労が少なかったのだろう。スイッチバックも、特に上機嫌というわけではないだろうが、ごく自然に、私の両脚を支えている。懸念材料だった靴の問題は、ようやく霧が晴れていくかのような気配を醸し出していた。

 


追記


絶妙のタイミングで車に同乗させてくれた、東京都山岳連盟の皆さんに感謝の念が一杯です。しかし、万一この項を読まれた方で、同じような状況で件の業務車輌と出会い、同じようなお誘いが無かったとしても、それは山岳連盟の業務的都合であったりするかもしれませんので、ゆめゆめご厚意を享受できるとは限らないこととご承知下さい。そして、奥多摩に限ることなく、山屋さんの矜持として、環境保全の高い意識を保つことを忘れないようにしましょう。蛇足で失礼しました。

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スイッチバックの苦悩・退路を断って高水三山

2009/12/20

御嶽駅(9:00)---惣岳山---岩茸石山---高水山---軍畑(13:00)


無味乾燥な無趣味人間というわけではないが、私は日頃常人の言う娯楽をあまり必要としない性質のように思う。能動的にTVを見ることもないので、サラリーマン仲間と飲んでいても、お笑い番組の話が多いが、さっぱり話題についていけない。酒も飲むし煙草も呑むので、遊興に散財することも少なくないが、物欲は殆ど無いに等しい。そんな自分が、山歩きを始めたおかげで、物欲の虜になっている。山岳用品店に目的もないのに入店し、ウィンドブレーカーやザックなどを物色し、高価で買えないなあと、知っていながらひやかしのまま店を出る様は、我ながら驚きを禁じえない。だが、欲しいものがないので欲を持たないということと、欲しいものだらけで欲を自制するということを比較すると、なぜだか後者の自分の状態に幸福を感じるのが不思議だ。物欲のない過去の自分は、満たされた精神性を保っているのだという自負があった筈だが、もしかしたら満たされないなにかがあったのだろうかと思えてしまう。無言で、ひたすら急登の道を行く時の、無為で苦しい状況が愉しいという不可解な精神状態は、ひとことで言えば、無心である自分に対する歓びであり、日常では得られないものなのだ。私は、私が得られたことのなかった精神性を体験することに飢えているのかもしれない。


そんな自己肯定を経て、初秋の頃、決心して新しい登山靴を買うことにした。山歩きを始めるにあたって最初に購入し、ここまで共に山々を踏破してきた、美津濃製ミドルカットタイプでゴアテックス装備の靴は、柔らかくて履き心地が良くて、私をここまで変貌させるのに一役買った功労者であることは間違いないが、さすがに疲弊の相が顕在化してきた。下りの場面で、しばしば足先の外側の部分が柔らかくなりすぎたのか、素材が伸びてしまったのか、躓きそうになる瞬間が増えているような気がした。靴底のソールは明らかに減っている。これは新たに購入しなければ、と自らに思い込ませるような日々を送っていた。もちろん物欲への言い訳とでもいうものであって、欲しい靴はもうとっくに決めてあるのである。憧れるのは革製の重登山靴であるが、何泊もして高山を縦走するわけでもないので不必要だし高価だ。足をしっかりと包むハイカットの登山靴というと、昨今の新素材を取り入れた高性能なトレッキングシューズなのだが、それらには、あの、登山靴、という重厚さのデザインと背反しているのだろうか、物欲を刺激して呉れない。メレル製「スイッチバック」だけが私のお眼鏡に適った。重厚そうで、廉価だ。スイッチバックは、箱根登山鉄道のスイッチバックで、鉄道用語だ。なんていい名前だろうかと思う。


登山靴を買う人は、専門店では入念に履き心地を確かめ、設えてある岩山を模した台を登ったり降りたり足踏みしたりしている。売る人も、慎重に履き心地をインタビューしている。当然である。しかし、私は店員氏に「スイッチバック」を所望し、一応履いてみて、擬似岩山を一往復しただけで購入した。ハイカットの靴は足首を締めて、違和感を覚える。そして、美津濃とは格段に違った密閉感と硬質な足を覆う感覚。しかし、これは慣れなければいけない感覚なのだという想念だけが支配し、私はサイズが丁度いいということだけで安心して、呆気なく購入して帰宅した。


近所の公園の、土で盛り上がったところを登ったり降りたりして、足に馴染ませようと心がけた。新しい靴は硬くて、近隣の舗装道路を歩いていても痛いだけだ。やはり山に行かなければと思って、秋晴れの休日に、家族で影信山に登った。高尾駅から終点の手前の大下バス停で下車し、キャンプ場跡からゆっくりと登った。足首の違和感はあれど、爪先などを襲う靴擦れの恐れは感じない。影信山で麦酒を飲み、小仏峠から城山、そして高尾山へ。最後は大渋滞の6号路を降りた。そして、高尾保養院が近づく頃、右脚の足首から脹脛にかけて、耐え難い痛みが襲ってきた。まるで捻挫でもしたかのように堅くなって張っている。突然まともに歩けなくなった。


欲しくて堪らなかった靴を手に入れてのこの事態に、驚愕と焦燥に駆られつつ、結論を下すにはまだ時期尚早なのだと、自分に言い聞かせ、少し期間を置いて、今度は陣馬山に向かった。藤野駅から線路を渡り、車道のトンネルを抜けた頃、もうあの痛みが襲ってきた。道端に座り込み、断念した。ザックの中に入れてきた美津濃に履き替えたら、まるで素足みたいに軽かった。私は今度こそ絶望してしまった。夜、帰宅して、悲しい気持ちでスイッチバックを眺めていたら、異変を発見した。右足側の、靴紐を引っ掛ける留め金を押さえるビスの一本が緩んで、抜けそうになっていた。異常な力を入れて紐を引っ張ったりはしていないし、仮に強い力をいれたところで、こんなに呆気なく留め金が緩んでしまうものなのか。これは初期不良品だ。しかし、右脚の痛みと関係があるのかどうかは定かではない。


師走に入るまで放置していたスイッチバックを、とうとう購入した専門店に持ち込み、修理を依頼したら、あっさりと新品と交換して呉れた。問答無用の初期不良だったのだ。

自宅で恐る恐る履いてみたら、足首の当たりは当然あるにもかかわらず、足全体を包む感覚が、以前ほど窮屈に感じなかった。同じ製品でも、同じサイズの靴でも、何かしら違うものなのだろうか。専門店で執拗に試し履きをするくらいだから、そういう物なのかもしれない。私は一筋の光明を見出したような気がして、思い切っていきなり山に出かけることにした。初めて独りで歩いた高水三山に、適度なハイキング。もしもの場合の美津濃を入れるために、ザックを出したが、沈思黙考し、敢えてデイパックの軽装にした。大丈夫そうだという予感と、もしもの場合という退路を断つ決意である。


早朝、御嶽駅から惣岳山目指して踏み出した。靴はかなり紐を緩めてある。全体がしっかりした造りなので、足首を締めなくても、格段に保護されているから、これでいいのではという判断だ。登りは違和感無く、そして足首の当たりは相応にあるものだという新たな認識で、ただひたすら登っていった。登りは非常に楽だったが、惣岳山から崖道を下る時には、やはり足首への当たりが厳しい。しかし、耐え難い痛みではなかった。

岩茸石山は冬晴れの快晴で、遠く筑波山まで望んだ。独り歩きの老人男性に、遥かに見える日光の山や谷川岳が白く光っている様を教えて貰った。

私の脚とスイッチバックは、問題がなかった。高水山は、巻き道でもいいかと思っていたが、思ったよりタイムロスが少ない展開だったので、きちんと三山を踏破して、最後の常福院からの下りで必要以上に減速はしたものの、軍畑駅まで辿り着くことができた。あの、捻挫のような激痛は何だったのだろうと思うほど、新しい靴という窮屈な感じだけで、新生スイッチバックは見事に役割を果たしてくれたのであった。

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扇山から権現山


2009/12/12

鳥沢駅(8:40)---梨の木平---扇山---淺川峠---権現山---淺川峠---扇山---梨の木平---鳥沢駅(16:20)


出発が遅いために中央特快に乗るが、八王子まで座ることができず、高尾駅に着いた頃には言いようのない疲労感が襲ってきた。もちろん、座れずに疲れたわけではなく、昨夜の酔いが微かに残っていることと、それに伴う睡眠不足のせいである。


晩秋まで共に山歩きができなかったMと、久しぶりに合流する。河口湖行きの電車に乗り込み、やっと着席する。私は、会って早々だが少し眠ると言い放ち、昨晩からの冷たい雨が上がり、まばゆい陽光が差し込む車窓を瞼の裏で感じながら意識を遠ざけていった。


束の間だが睡眠をとったおかげで、Mに起こされて鳥沢駅に降り立った時は爽快だった。駅前にはハイカーが多く、そしてバスが停留している。カントリークラブ行きと書いてあるから、これは登山口である梨の木平に連れて行ってくれるバスなのかと、僥倖の思いに駆られるが、ハイカーたちが乗り込む気配はなく、車内は大きなゴルフバッグを抱えた紳士たちで占められている。たぶん登山口の近くまで行けるバスなのだろうが、何となく乗り込み難い気分になる。結局、乗らなかった。


コンビニでおにぎりを買いたいとMが言うので、国道を大月方面に歩き、買い物と用を足して、青空の下、鳥沢の集落を歩く。丁度一時間で登山口、梨の木平の休憩小屋に到着する。子供を十人くらい引率するグループが準備体操をしている。我々はここで朝食を摂るが、子供たちの数人が、気になってしょうがないという風に視線をくれる。食べ物に敏感なのが子供らしい。慌てて食事を済ませて、登山コースを説明する大人の話に聞き入る子供たちより、先に出発することにした。


今回の目的地は権現山。本社ヶ丸の項で記したが、今年の初めに四方津駅から不老山を経由して登った山である。帰途は扇山を登り返して鳥沢に至るというコースで、積雪の中を行軍したせいもあり、辛かった思い出の方が強い山だったが、今回はシンプルに、鳥沢駅からの権現山ピストンである。想像しただけでしんどそうだ。今回はリベンジだな、とMは言うが、別に途中で挫折したわけではないので言葉に適切さを欠いているような気がする。曖昧な顔をしつつ出発である。


扇山への道のりは単純で、なだらかな山道を進むと沢が近づいてきて、水場が現われたら後はジグザグにひたすらに高度を稼いでいく。遠くに聳えるだろう権現山への意識から、ペースは速い。殆ど休まずに富士見の休憩場所に着いて、振り返ると見事な富士山が屹立していた。姿を見せている部分の全てが雪を白く纏い、手前の山々に白い雲をたなびかせ、青空を背景に鎮座している。まるで唱歌そのものの佇まいである。秀麗富嶽12である扇山の上に着く頃までに、この富嶽がこのままでいてくれる保障はないので、やおらカメラを取り出して写真を撮ってみた。あまりの好景で休みすぎてしまい、またペースを上げて登り始める。すると、間もなく遮る木立が消えて、空が広くなってきたな、と思ったら百蔵山への分岐である大久保のコルに到達した。尾根からは頂上までゆっくり進み、登山口から50分くらいで扇山に登頂した。


扇山の頂上はさすがに大勢のハイカーで賑わっていた。富士山は先ほどの光景と違わず見事な佇まいで、皆が眼福を享受していた。東の方面もまた見事に視界が開けて、相模湖の背に高尾山稜が並び、その向こうに平野が広がり、彼方にうっすらと高層ビル群まで見える。鳥瞰図が描けそうなパノラマである。そして北の方を向けば、これから向かう権現山の、幅広い山稜が聳えている。見るからに遠そうだ。改めて襟を正すような気持ちになり、宴会で楽しそうな集団を背に、出発することにした。


淺川峠へ、扇山の裏側を下る。日当たりのない山影の道は、急傾斜の上に、枯葉が昨晩の雨で濡れたまま敷き詰められているので、滑りやすく、慎重に進んでいく。緩やかな道になって少し進むと、やがて木漏れ日が当たるようになってホッとするが、再び下りはじめると、まだ下るのか、と気弱になる。目指す権現山と、さっきまでは対峙していたのに、だんだん、見上げるような位置にまで陥落してしまったのに気づく。曽倉山を越えて下りきったところに、扇山と淺川峠の指標が現われ、ここから静かな山道を粛々と進んでいく。人の気配は微塵もなく、細い道は所々、藪の残骸が道筋を覆うように枝が伸びていて、ストックで払いながら進む。そして漸く、淺川の集落へと分ける峠に辿り着いた。真冬に通った時の、雪道を思い出す。初冬の暖かい日差しの淺川峠だが、やはりうら寂しい雰囲気は変わりない。


扇山、百蔵山、そして権現山を称して北都留三山というらしいが、奥深く、幅広く聳える権現山は、大親分の佇まいだ。その山容に近づくべく、ひたすらに細い尾根上を進んでいく。やがて熊鈴の音が聞こえてきて、独りの男性とすれ違う。次に会ったのは、デイパックの軽装で、小さな犬を連れている若い女性で、ちょっと意表を衝かれる。淺川集落から来たのだろか、渋い散策だ。平坦な道を茫洋と歩き続け、常緑樹の林を過ぎたら、とうとう権現山への登りが見渡せる地点に着いた。小休止して、いざ登り始める。扇山までの快速を誇った私の両脚は、やはり疲労を隠せず、ジグザグ登りのペースが、俄かにスローになっていく。少し段差があるところでは、一瞬立ち止まり、息を整えてから歩き出す。Mが、その都度、最後の登りだぞ、と声をかける。無心で行進していたら、やがて道筋は曖昧になり、見上げる山稜まで、一気に急登の様相だった。本仁田山や笹子雁ヶ原腹摺山、そして塔ノ岳に至る大倉尾根を思えば、何でもない急登なのだが、やはりロングランの果ての急登か、脹脛が悲鳴を上げるかのようにピクピクしているのが分かる。ゆっくりと、脚を交互に幅広く、まるで四股を踏むかのように、一歩一歩登っていく。やがて、麻生山へと分ける尾根へと辿り着き、奥多摩方面の山々を望む道を、風に吹かれながら歩く。最後の登りにかかって、遠くから賑やかな人の声が聞こえてきた。


とうとう辿り着いた権現山の頂には、高齢の女性グループ、なんと十人以上がコッヘル鍋物パーティに興じていた。飲んだり食べたりはいいが、なんともおしゃべりでうるさ過ぎる。奥深いこの山で、まさかのおばちゃん大集団である。満身創痍で感動の登頂がこれか!と、軽いショックで崩れそうになるが、気を取り直して、ちょっと下がったところで昼食。誰も悪くないんだ、と自分に言い聞かせ、靴を脱いで両脚を投げ出す。Mのジェットボイルでカップ麺を作って貰う。木立の中で陽光が暖かく、そして風が気持ちいいくらいに涼しく感じられる。鳥沢のコンビニで買った、「甲州ワインビーフと舞茸」おにぎりを食べてみる。地元限定につられて購入したが、これがまたものすごく美味しくない。ワインとおにぎりはやはりちょっと違う。ちょっと考えればわかることだが。


相変わらずの大集団を背に帰途へ向かう。脚はまだダメージから脱却している感じではない。先ほどの急登を今度はあっさりと下る。木立を抜け、淺川峠で小パーティを抜き、振り返れば、大権現山が再び遠く聳えていた。覚悟の上で、今日三度目の本格的な登りにさしかかる。雪の道を再び思い出す。今日は未だ陽も高いが、やがて山陰になって、足元しか見ることができないまま急峻を辿っていると、あの冬の日と同じような絶望感が襲ってくる。もう嫌だけど、この山を越えないと帰れないのだ、と。ヨレヨレになって登る私の背後から、乾いた笑いの混じったMの励ます声が聞こえてくる。やはり鍛え方というか、キャリアが違うんだろうなと思う。とうとう、扇山のてっぺんに帰ってきた。


頂上は、誰一人居ない静けさだった。富士は既に逆光の陽の光で黒く浮かんでいた。何ひとつ遮るものがない頂上の、柔らかい太陽の光を浴びて、私は思わず草の上に倒れて、まどろんでいるうちに、眠ってしまった。Mに起こされた。30分くらい経過していた。横になって動かなくなったから心配しちゃったよ、とMが言った。そろそろ降りるか、と支度を始めた頃、いつのまにか扇山の裾から上がってきた霧があたりを包みこんだ。あっという間に辺りが霧になった。

まるで本社ヶ丸の時みたいだった。


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