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2009年7月

笹子雁ヶ腹摺山

2009/7/26

笹子駅(7:15)---新中橋---笹子雁ヶ腹摺山---米沢山---お坊山---大鹿峠---氷川神社---景徳院---甲斐大和駅(13:20)


早朝のプラットホームは一週間前と違ってとても明るい。全く同じ時と場所だが、こうも印象が違うのが不思議だ。好天の朝である。入ってきた電車もずいぶん空いている。先週に引き続いてまた笹子へ行こうと決めた。道に迷ったりしたが、総じた記憶として満悦の山行きだった所以でもある。Mとのメールのやりとりで、私が何の気なしに行ってみたいなと記したのが、やはり名前に惹かれた笹子雁ヶ腹摺山(ささごがんがすりはらやま)だった。長い。名前が。本家雁ヶ腹摺山という名の山はあって、二番煎じで笹子雁ヶ腹摺山なのだろうと思うが、Mの指摘で、もうひとつあるという。滝子山から北へ大菩薩まで連なる途中に、なるほど牛奥ノ雁ヶ腹摺山がある。こちらの方が長い名前だ。笹子が二番煎じなのか三番手なのかは不明である。


八王子で乗り込んできたMが私を見つける。私は先週にくらべて今日は寝不足だ。前日は午後に少し仕事があって、帰宅したのは未だ明るい時間だったが、晩餉がことのほか長引き、赤ワインを飲みすぎたせいでもある。三時間ほどしか眠ってないのに加え、身支度にも手間取って、ちょっと体調としては不十分な儘出かけて、そして空いてる電車をいいことにうたたねだったのだが、高尾で会うのかと思ったら目ざとく発見されてしまった。


窓外はこれ以上ない晴天で、本当に今が朝の六時台なのかと思うほど陽は高く山は緑に映え空は青くで眩しくて直視できないほどだ。大月で一旦降りて、後続の松本行きを待つ。岩殿山を眺めながら煙草をくゆらす。寝不足と酒量のせいか、今朝は用便を果たすことができなくて、いつ来るかと思い、松本行きの車輌にはトイレはあるものの、いざとなれば途中駅で下車して用を済ませればよいなと淡い期待で一本早い大月行きに乗ったが、結局まんじりともしない儘だった。大月駅のホームで強い日差しを浴びながら喫煙しても体内に変化の兆しは感じられない。Mはこの間を利用して用を果たしたみたいで、軽快に歩いてきた。松本行きの最後方車輌に乗ったらトイレがあるかなと思って来た電車に乗ったが、お目当ては先頭車両だった。まあ別に慌てているわけではない。直ぐに笹子駅に着いた。


勝手知ったる、というような気分の緩みも加わって、晴天の笹子駅は前回と違って明るい。Mは気遣って私の用が済んでから行こうと言うが、どちらとも言えない儘ならもう行こうと思う。騒がしい甲州街道を早く済ませてしまいたい。

清八峠の追分分岐を横目に、街道が山腹に迫りループ気味になる頃、登山口の新中橋に着いた。旧甲州街道から矢立の杉を眺めて笹子峠というルートも惹かれるが、Mは笹子雁ヶ腹摺山への直登を選ぶことに迷っている様子がない。私はどちらでもよいので彼に従う。直射日光の車道歩きに辟易して、やっと山道かと思うとホッとした。しかしやはり導入部は叢が深い。そして湿った道は倒木を利用したりして不安定な歩き出しである。そして早速登りが急になった。前回のダラダラとした変電所までの林道歩きのおかげで心静かに歩く覚悟を決めていたのに、笹子雁ヶ腹摺山への直通ルートは、いきなりの急登に始まり、そして殆ど平坦の道が続かない儘の登坂を強いられる。本仁田山どころじゃないな、と言いつつ上がりそうな呼吸で二人登る。相変わらずの日差しは木漏れ日となってグイグイ登っている我々の背中を照らす程度。ひんやりした風が気持ちよい。そしてこの急登は苦しいが、想像以上に連続するから、却って闘争心が湧いてくる。後ろに続くMの呼吸がなんとなく悲鳴を帯びているような気がして、私としてはやや余裕を持って一本休憩を取る。Mはそのたびに、しんどい、と呟く。給水給水、と、いちいち言ってからザックから飲料を取り出している。健脚の彼の衰退ぶりを垣間見るようだ。


やがてひとつの稜線に辿りついて、ゆるやかな道を歩く。もう近いのだろうかと、Mはいつになく目標までの標高差を計る。かなりの短時間で標高を稼いだが、数値上ではまだあると言う。そして間もなく急登が迫ってくるのが見える。さすがにこの傾斜の繰り返しはすごいな、と思ったら鉄塔のある開けた場所に到達した。大きい反射板を掲げた塔で、直射日光が鋭い。しかしひとつの急登の途中の中休みなので立ち止まる。もう少しで着くんじゃないか、と、Mは相変わらずきつそうな様子だ。

昨夜の酒はとっくに蒸発して消えていったようで、私はすこぶる気分がよい。ふたたび樹林の中に突入して、さあこい!というような気分で進んだらあっさり笹子雁ヶ腹摺山の頂に到着した。


秀麗富嶽十二景にエントリーされているこの山から見える富士は、なぜだか前回の本社ヶ丸からの眺めよりも大きく見える。左手前に連なる御巣鷹山、そしてその手前に見えるのが本社ヶ丸のあたりで、ここからは一歩退いた距離から富士山を見ているような気もするが、実際はわからない。とにかく今日の秀麗富嶽は真正面に黒々と聳えて見える。もっとも夏の立体的な雲が裾を隠したりしているが。


大休止して、思いも新たに米沢山に向かう。今日は笹子駅から笹子トンネルの上を歩きそして縦断して国境を越えて甲斐へと下る予定だ。電車で5分の道のりが、いにしえの峠越え標準タイムで約八時間。それを果敢に踏破する。バリエーションルートでここから米沢山の間で甲斐大和に下りる道があるらしいが、私には判別できなかった。笹子峠から連なる山稜を歩いて行くのかと思っていたので、いきなり急激に下り始めて戸惑う。そしてそんな想念をあざ笑うかのように、下りは続く。そして、また最初からやり直し!という感じで急登が立ちふさがる。肉体的ではなく、その単純明快さに怯んでしまう。登ったら降りる。降りたら登る!みたいな感じだろうか。あんまり当たり前のことを面と向かって言われたら、怒るか、怪訝に思うのが関の山だが、この場合は相手が山なので、怒ってもどうにもならない。訝しんでも始まらない。ここは別名関の山なのかもしれない、などとどうでもよいことを考えながらひたすらに登った。


アップダウンの途中のピークで、右手に「展望台」という指標があり、向かってみると、笹子の街道筋を見下ろせる良景だ。麓から右手を視線で辿り見上げる途中に、あの反射板を掲げた鉄塔が見えて、これがシンボルです、と言ってるような佇まいで、笹子雁ヶ腹摺山の全容が目の前に聳える。反対側を見ると、同じように作り物のように端正に、三つの山がそれぞれ立っている。左の手前が目指す米沢山で、その隣がお坊山、そして右端が東峰だろうか。右端から山稜はなだらかに笹子宿へと裾を伸ばしている。あの山々をまた登ったり降りたりするんだろうかと思ってちょっと信じられない気持ちになった。暑さのせいもあるかもしれない。


実際その通りになった。鎖場まで現われ、登りつめた米沢山からは、甲州勝沼の町が遠く見渡せる。手前に視線を落とすと、目指している山峡の町だろう。とにかく進むしかない。今度はそれほど急降下ではなく、少し下ってまた登り、持久戦の様相を呈してきて、やがて休んでいきたくなるような小高い位置に着き、これが地図上に書かれているトクモリなのだろうか。Mがそう言うのだが、なんで、と聞いても、ちょっと盛り上がった感じだろうなどと言うので信じることができない。急登はお坊山まで続いた。今度こそという感じで、私は煙草で休憩する。もう登ることはないだろう。気づいてなかったが、今日一番の高さで、1400メートルを越える地点だった。そんなことに感興が湧くことができないくらい、蠅や蚋の類が文字通り五月蠅い。そういえばここまで誰にも会っていない。やはり酷暑の中、低山でありながら急登を繰り返すこのコースは敬遠されるのだろうか。だとすれば却ってこのルートの良さと言えるかもしれない。そんなことを考えられるくらい、これで急登は終了、と、きっぱりしつつ開放的な気分になっている。


笹子へ下る分岐は木のベンチが設えてある開けた場所で、ここから左へ繁茂した道を下り続ける。そして大鹿峠に着いた。右にクイックするように笹子への道。そして前方にまた小高い場所に向かって、景徳院の文字が現われる。少し登って再び分岐点。大きく左に舵を取って、今度こそ夢中で下る。プラスチックの階段が埋め込んである整備された道だが、やがてそれも途切れ、大雑把に広い山道がひたすらに続く。鉄塔が等間隔に現われ、送電線とともに下る。徐々に駆け足になっていった。私はデイパックの軽装で、しかもサポートタイツに半ズボン。それが駆け下りていく様はまるでトレイルランナーのようではないかな、などと思ってるとだんだん調子に乗って、下り勾配に身を任せて速度を増していく。涼しかった風がムッと生温かくなり、もうすぐかなと感じながらふと後ろを振り返ると、Mの姿が遠い彼方に見える。構わず駆け下りて、ケレン味のない佇まいの氷川神社の前に来た。ここでMを待つことにした。思った以上になかなかやってこない。漸く現われた彼は、足を若干引きずっている感じだ。転んだのかなと思ったら、走ってる最中に思い切り石を蹴ってしまい、爪先が痛いのだと言う。本当に痛そうだ。


無事下山の御礼を祈って、民家の庭先へ出て、長くハードな峠越えが終わった。景徳院を見上げる県道に出て、真夏の日差しを直に浴びてアスファルトの道を下っていく。途中、改造バイクも混じった走り屋連中が奇声を発しながら走り去って行った。お坊山の蠅よりも五月蠅い。まあ今のうちに発散して、後は末永く労働して納税してもらいたいもんだな、と私が捨て鉢に言うと、年金もな、とMが空虚な感じで返す。何かあったんだろうか。


景徳院に午後一時前に到達したから、笹子駅から五時間弱だったことになる。それから三十分で、反対側の笹子トンネルの口を感無量で眺めつつ、甲斐大和駅に着いた。駅前の店で生ビールをたくさん飲んだ。山菜の天麩羅が矢鱈に旨いので、遂にはほうとうを食べながら甲州ワインまで空けてしまった。Mはことのほか上機嫌で、次回もこの店に来よう、とのたまう。おいおい順序が違うのでは?と言いつつ私も、店内に貼ってある上日川峠のバス時刻表を眺めて、大菩薩から降りてバスに乗れば、午後三時にはここで飲めるなと思った。二人とも上機嫌だ。


店の女将さんに、バスが着いたらこの店も混雑するでしょうね、とお愛想を言ってみた。彼女は嘆息気味に、電車との接続が良すぎて、バスから降りた人は、まっすぐ駅にいっちゃうんですよねえ、と言った。合理主義の隙間に見過ごされている観光産業の生声であろう。阿吽の呼吸で、一時間くらい呑み助を駅で待たせる粋な計らいもあるのではと、甲州市の行政府に、私からも提言したい気分だ。


駅前なので油断して、とうとう白ワインまで追加。いい加減帰ろうと、半分残ったボトルと貰った紙コップを抱えて、甲斐大和駅のホームに降りると、通過待ちでおとなしく鎮座した電車が待っていた。ベンチシートに座って、二人でワインの続きをする。さすがに疲労と満腹で頭が朦朧としてきたかな、と思ったら、電車は発車してすぐ暗闇に突入した。延々と走り続け、やがて宿場町の笹子に飛び出した。もはや言うことはない、と言った感じで、私は眠りに落ちていった。

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本社ヶ丸と1377地点

2009/7/18


笹子駅(7:15)---変電所---清八峠---本社ヶ丸---1377---鉄塔---1377---ヤグラ---笹子駅(14:50)


夜明けの静かなプラットホームに到着したのはいつもの通り酔客で思いのほか混んでいる電車だった。三鷹を過ぎてから徐々に落ち着いた車内で曇天の窓外を見つめた。かれこれひと月以上ぶりに友人Mとの山行きだ。梅雨明け後では久々の曇天予報で、酷暑の炎天下の難は逃れられそうだという気持ちと同時に、折角の富嶽秀景を望めそうというのと、その滑稽感ある名に惹かれたという理由で選んだ本社ヶ丸(ほんじゃがまる)登山を決めたのに曇りは困る、という相反した願望が混在して困った。


終点の高尾駅のホームに降りたら、程なくMが私を見つけてくれた。蛭ヶ岳雲取山を日帰りピストンしてしまうほどの健脚を誇って無理が祟り、彼はここ数ヶ月足裏痛に悩まされ、リハビリと称して鎌倉や陣馬などをハイキングして過ごしたが、遠出したい欲求に抗えず、今日の甲州行きとなった。這入ってきたのはオレンジ色の見慣れた中央線の電車で、ガラガラだ。ロングシートに座りご無沙汰の挨拶。足は大丈夫なの?と聞くと、まあ完治するものじゃないらしい、などと言う。健脚も過ぎると取り返しのつかないことになるのだなと、これは心の中で呟いた。


中央本線沿線の山は未だ縁が少ない。初めて登ったのは今年の初めに、やはりMの主導で決まった権現山だった。未明の四方津駅から中央高速道をくぐり不老下から登り不老山を越えてから積雪となり、ゴウド山ではもう気持ちが限界に近づいたような気持ちで引き返したいくらいだったが、行くも戻るも苦行なことに変わりない地点まで来ていることは概ね理解できていて、それで行くしかないということになった。膝に爆弾を抱えている同行のNも遥か彼方に聳える権現山を見てゲンナリしている。Mだけは、扇山が綺麗に見える、などと余裕を表現している。初めての雪山であり、目的地に達したまではいいが、権現山は奥深い所にあるので、下山の帰途も長い。しかもルートは淺川峠まで下りてから扇山に登り越えて鳥沢駅に向かうというもので、出発前はもちろん地図を見て、歩き甲斐ありそうだね、などといい加減なことを言っていた自分を思い出しつつも、なんだこの計画は、と呪うような気持ちだった。Nも御多分に洩れず、また登るのかよ、とひとりごちた。


そんなロングコースを終えて、もう当分山はいいや、という感じで散会したが、後日聞くとMはその一週間後に同じコースを単独で歩き、我々の所要時間より3時間も短縮して踏破したと意気軒昂に語った。そんなMも今では治療困難な足裏疲労痛だ。さもありなんと思う。


それから中央本線は敬遠していたわけではないが、すっかり訪れなくなっていたが、二週間前に久しぶりに鳥沢駅に降りて、高畑山から倉岳山へと半日コースを歩いた。そんなわけで、中央本線の山行きは鳥沢までしか経験がない。今回は大月を越えて笹子まで行くから電車の内から新鮮な気持ちだ。終点の大月で降りて、後続の松本行きに乗り換える。すぐに笹子に着いた。


駅から歩き、駅に戻ってくる。それが概ね決まっているコース選択なので、今回もガイドブックや昭文社発行の山と高原地図大菩薩嶺編に載っている基本的順路の、甲州街道を甲府方面に進み、追分で分かれる林道を笹子変電所に向かうことにする。

隊道をくぐり、先刻承知の筈だが、やはり長い。アスファルトの林道は意外に傾斜を感じさせて、しかも長い。時々土建業者のミニバンが我々を追い越して行く。気まぐれで、ちょっと乗ってくか?などと言って車を停める勤労者はいないものだろうかと、思わず思う。この地味で長い単調な登山口への道を歩く者は土曜日にしても我々の他にいそうにない。積極的に手を振り上げて車を停めて懇願するというほどでもない。でも長い。


漸く何ともいえない雑音が充満する変電所地帯を過ぎて、舗装も終わり、ゆるやかに登る。ここまで一時間。やがて大規模に伐採されて開けたところに出て、いよいよ登坂に入る。繁茂した藪は棘が鋭い。私の背後から悲痛なM声が上がる。確かに痛いが、そのたびに声を上げることはないだろうと彼を振り返る。俺の登山パンツは新素材で通気性良く伸縮性にも富み優れた製品だが、薄いのでこの棘はたまらん。と、己の装備の自慢を交えての泣き言を語るので、よく理解できないまま、そうなのかと言ってそのまま進む。


清八峠までの道は急登でしかも藪から棒に藪だった。ろくに人が通らないのだろうか。マイカーで登山口に来て往復するハイカーもいないのだろうか。とにかく苦行だ。途中唯一の展望が開ける場所ありと本に載っていて、その通りの場所に到達するも、陽あたりよい分繁茂が激しいのか、濡れたベンチに草が覆いかぶさろうとしているような有様なので、少し立ち止まるくらいで、あとはひたすらに登る。


ようやく分岐の指標が見えて清八峠に着いた。すぐ右を登れば大月市制定の秀麗富嶽十二景のひとつ清八山に至ることは理解できるが、これまでの藪道で疲労困憊な我々は一路本社ヶ丸へと進路を取る。地図によればこの先は危険印まで印字された岩場を越える筈で、Mはこの先は注意だ、と緊張感を漂わせている。岩登りにさしかかったらストックを仕舞う方がよい、と助言を呉れる。しかしやがて現われた岩場は、威容は猛々しいが登るには不自由なく足を踏める石場で、難なく造り岩に到達した。


想像以上の絶景で驚いた。岩場は畳敷きのように平坦でその先は断崖絶壁になっている。その近くまで行きしばし茫然と、富士と三つ峠の山々を眺めた。眺望の素晴らしさは多くの方が記されているのでもう省略する。本丸の本社ヶ丸に期待を膨らませ、そこからさらにいくつかの岩山を越えて、漸く山頂に出た。眺望描写は私が書くまでもなく、多くの方々が記しておられるように、決して期待を裏切るものではないが、やはり先ほどの造り岩には劣るのではと思った。


ここで昼食の大休止をとる。我慢していた煙草をくゆらせて至福の気分だ。誰も居ない山頂を楽しもうと思ったら彼方で人の声がした。やがて年配の二人組が登頂してきた。元気のよい方々で、聞きもしないのに四捨五入すれば七十ですよとやや年上の方が教えてくれる。やや年下の方は驚くことに短パンだ。起点は我々と同じく変電所経由というから、あの藪を登ってきたのだろう。

その格好で大丈夫でしたか?と聞くと相方が、こいつは野蛮人ですから、と言って笑う。短パンの脛を見たら、細かい傷に、ところどころ腫れている様子がありありと分かる。それでも朗らかで元気なお二人だった。狭い山頂に先客が居て、予定が狂ったな、といった風のそぶりも見せず、我々はこの先のピークで昼食にしよう、と言って、早々に東へ降りて行った。


いつしか北側の眺望はガスに覆われ、やがて本社ヶ丸に霧が押し寄せてきて、反対側の富士山も徐々に霧の彼方に消えていった。潮時と感じて、我々も出発する。先ほどの二人組と同じく、鶴ヶ鳥屋山方面への稜線を歩き、途中で左に分かれる尾根を下って笹子駅に至る道を目指す。その分岐点は地図上では、1377という標高が記されている。


霧に覆われた山稜に雨が降り始めた。山林の道では濡れるような勢いの雨ではなく、却って涼しいくらい。途中鉄塔が立つ開けた地点では右へ宝鉱山への分岐を示す票がある。それを横目に、ふたたび鬱蒼とした山懐に突入する。そしてあっけなく1377に着いた。あの二人組がここで大休止していた。これで下るだけかと、我々も小休止する。

どちらかだったか、分岐点の左方向に伸びる道を指して、笹子はこっちでいいんだよね、と訊ねてきた。地図に記されているように、1377から実線で黒野田林道へと下り、林道も越えて行くルートを辿れば駅に至るのは間違いないだろうと思った。1377から右手に指標があって、鶴ヶ鳥屋山へと至る旨が記してある。疑いようもなく左というか、まっすぐと下っていくこの道があの実線コースだ。しかし、笹子駅、という指標がないな、とは思った。しかし、記すまでもない、と言わんばかりの立派な道筋のようにも見える。二人組みを差し置いて先に出発する。


道は急激に下りとなった。しかし木の根が階段状のように道は開かれていて、軽快に下ることができる。やがて苔むした岩の転がる道になり、少し平坦になり、また急な下りになった。ずいぶん飛ばして降りてきたなと思った頃、急に道は細くなり、叢が覆う暗い道が続き、そして目の前に身の丈以上ある繁茂した藪にぶちあたった。


見るからにもう道はなかった。目の前に聳える藪の先の方は明るく、繁茂した叢は青々と明るい。仕方なく藪を分けながら無理矢理に進んだ。藪が途切れた。そこは鉄塔の真下だった。鉄塔の周りを叢が覆い、道は見えない。鉄塔の支柱の一角にあるコンクリートの上に立って背伸びしてみたら、遠く麓の景色が見える。林道までは目視できない。鉄塔の周囲を巡り、道を探すが、今来た側面に比べ、他の三辺に立ちふさがる藪は更に強靭で、これ以上掻き分けて行くには恐怖が先に立つような状況だ。


しばし協議して、M1377まで戻る決断をした。快速で降りてきたあの道を戻るのかと思うと、私は少し怯んだが、考えてみるとこの四面楚歌を突破することの方に怯むのが道理だと思い直し、鈍い足取りで引き返し始めた。

再び薄暗い尾根登りにさしかかり、急登を目の当たりにして萎えた。Mが休憩しようと言ってくれる。私はまだ踏切がつかないのか、そう遠くない場所にあるであろう林道に向かう道筋があるのではないかと根拠もなく尾根の下の方をぼんやり見ていた。

やがて急登の先から声が聞こえてきた。あの二人だ。軽快に、そして朗らかに歩いてくる。ちょっと言いにくいなあと思った。1377でこの道ですよと言った手前もある。しかし我々は先に身をもって壁にぶち当たっているのだし、別に老人二人を迷宮に追い落とそうという魂胆を持つ動機もない。事態を簡潔に述べ伝えた。


案の定、我々が直面したという情景は不可解であり、この道は笹子駅に向かう、地図で示されたものに間違いないという気持ちから、とりあえず行って見て状況を確認してから判断する、と仰って藪の壁に向かって去っていった。俺たちの話を信じないのかコラ、などとは別段思わなかった。やはりここまで下りて来てまた戻ることは考えにくいのだろうなと思った。あるいは、ちょっと藪だからといって引き返すなんて若い者は軟弱だな、と呆れていたのかもしれない。我々も四十歳を越えているし、決して若い者だとは思わないが、彼らは戦争を知ってる子供たちだろうしな、と言うとMは、短パンであれを行けたらスゴイけどな、と言った。私も、そういえば短パンだったな、とぼんやり思った。


覚悟を決めて、ゆっくり、休みながら、来た道を登り返す。断言していいが、今日一番の急登だった。重力に逆らってグイグイと登っていく感じだ。そうしたら、感覚的にはあれっ、もう着いたの?というくらいあっけなく1377に辿り着いた。


今度こそ本当の大休止だった。とりあえず道標のある場所まで来て、帰り道は選べる状況に立ち戻れたわけだ。携行してきたお茶の残りも換算する気もなく、浴びるように飲んだ。精神的にも体力的にも張り詰めていた緊張の糸が緩んだ感じだった。

気を取り直して、鶴ヶ鳥屋山方面への細い急な下り道に入り、やがて静かな尾根道になり、いくつかアップダウンを繰り返し、地図上では一部破線で記されたヤグラからの分岐を目指す。鉱山からの牽引軌道線の残骸のすぐ先に分岐点が現われた。今度こそ笹子駅と記してある。

左に急な下りに入る。あれっと思うくらい直ぐに林道へと出た。破線はここから林道をまたいだ先で、確かに鬱蒼として湿った道は滑りやすく、そして藪っぽくなった。そしてまた鉄塔の脇に出た。真上の電線の彼方に、一段階上にある鉄塔がある。例の、あの藪の鉄塔だろうか。Mと私は何とも言えない気分で遠くに電線が伝っていく山懐を見つめていた。


さらに滑りやすい下りの果てに沢が沿ってきた。数回徒渉があり、Mはその一箇所で足を踏み外し、ずぼずぼ音を立てて渡った。最後の最後にご愁傷様ですな、というような感じで見つめる私に、Mは、なんでもない、ゴアテックスだから中は濡れてない、と言い張る。俄かに信じがたいくらい川水に嵌まったように見えたが、それ以上の追求はやめておくことにした。


最後の林道に出たら、爽快な気分で駅までの道を下った。今朝の甲州街道は次から次にトラックが飛ばして過ぎていくから怖いし気分も悪かったから、今度本社ヶ丸に登る時はこの道から行って、あの造り岩でのんびりと休みたいなあと思う。

中央高速道が視界に入り、道なりに左へと進んで行ったら、笹子駅の目の前に着いたので、とつぜん駅が現われたのがなんだか不思議に感じた。1450分。今度の大月方面行きは10分後に到着する。計ったわけでもないのにグッドタイミングだ。


プラットホームに上がると地元の人らしきおじさんが話しかけてきたので、本社ヶ丸への、例の実線コースについて聞いてみた。このホームから見ると、ちょうど右手に向かう道が見える。道は山に入っていくようにして消えていくように見える。

昔は登る人がいたけど最近は見ないなあ。あの向こうで工事していて、通れなくなってるとか聞いたな。そんなようなことをおじさんが言った。


私とMは目を見合わせた。あの二人のその後について、考えてもどうしようもないが、やっぱり1377に戻ったんじゃないか、という意見で一致した。

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