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本社ヶ丸と1377地点

2009/7/18


笹子駅(7:15)---変電所---清八峠---本社ヶ丸---1377---鉄塔---1377---ヤグラ---笹子駅(14:50)


夜明けの静かなプラットホームに到着したのはいつもの通り酔客で思いのほか混んでいる電車だった。三鷹を過ぎてから徐々に落ち着いた車内で曇天の窓外を見つめた。かれこれひと月以上ぶりに友人Mとの山行きだ。梅雨明け後では久々の曇天予報で、酷暑の炎天下の難は逃れられそうだという気持ちと同時に、折角の富嶽秀景を望めそうというのと、その滑稽感ある名に惹かれたという理由で選んだ本社ヶ丸(ほんじゃがまる)登山を決めたのに曇りは困る、という相反した願望が混在して困った。


終点の高尾駅のホームに降りたら、程なくMが私を見つけてくれた。蛭ヶ岳雲取山を日帰りピストンしてしまうほどの健脚を誇って無理が祟り、彼はここ数ヶ月足裏痛に悩まされ、リハビリと称して鎌倉や陣馬などをハイキングして過ごしたが、遠出したい欲求に抗えず、今日の甲州行きとなった。這入ってきたのはオレンジ色の見慣れた中央線の電車で、ガラガラだ。ロングシートに座りご無沙汰の挨拶。足は大丈夫なの?と聞くと、まあ完治するものじゃないらしい、などと言う。健脚も過ぎると取り返しのつかないことになるのだなと、これは心の中で呟いた。


中央本線沿線の山は未だ縁が少ない。初めて登ったのは今年の初めに、やはりMの主導で決まった権現山だった。未明の四方津駅から中央高速道をくぐり不老下から登り不老山を越えてから積雪となり、ゴウド山ではもう気持ちが限界に近づいたような気持ちで引き返したいくらいだったが、行くも戻るも苦行なことに変わりない地点まで来ていることは概ね理解できていて、それで行くしかないということになった。膝に爆弾を抱えている同行のNも遥か彼方に聳える権現山を見てゲンナリしている。Mだけは、扇山が綺麗に見える、などと余裕を表現している。初めての雪山であり、目的地に達したまではいいが、権現山は奥深い所にあるので、下山の帰途も長い。しかもルートは淺川峠まで下りてから扇山に登り越えて鳥沢駅に向かうというもので、出発前はもちろん地図を見て、歩き甲斐ありそうだね、などといい加減なことを言っていた自分を思い出しつつも、なんだこの計画は、と呪うような気持ちだった。Nも御多分に洩れず、また登るのかよ、とひとりごちた。


そんなロングコースを終えて、もう当分山はいいや、という感じで散会したが、後日聞くとMはその一週間後に同じコースを単独で歩き、我々の所要時間より3時間も短縮して踏破したと意気軒昂に語った。そんなMも今では治療困難な足裏疲労痛だ。さもありなんと思う。


それから中央本線は敬遠していたわけではないが、すっかり訪れなくなっていたが、二週間前に久しぶりに鳥沢駅に降りて、高畑山から倉岳山へと半日コースを歩いた。そんなわけで、中央本線の山行きは鳥沢までしか経験がない。今回は大月を越えて笹子まで行くから電車の内から新鮮な気持ちだ。終点の大月で降りて、後続の松本行きに乗り換える。すぐに笹子に着いた。


駅から歩き、駅に戻ってくる。それが概ね決まっているコース選択なので、今回もガイドブックや昭文社発行の山と高原地図大菩薩嶺編に載っている基本的順路の、甲州街道を甲府方面に進み、追分で分かれる林道を笹子変電所に向かうことにする。

隊道をくぐり、先刻承知の筈だが、やはり長い。アスファルトの林道は意外に傾斜を感じさせて、しかも長い。時々土建業者のミニバンが我々を追い越して行く。気まぐれで、ちょっと乗ってくか?などと言って車を停める勤労者はいないものだろうかと、思わず思う。この地味で長い単調な登山口への道を歩く者は土曜日にしても我々の他にいそうにない。積極的に手を振り上げて車を停めて懇願するというほどでもない。でも長い。


漸く何ともいえない雑音が充満する変電所地帯を過ぎて、舗装も終わり、ゆるやかに登る。ここまで一時間。やがて大規模に伐採されて開けたところに出て、いよいよ登坂に入る。繁茂した藪は棘が鋭い。私の背後から悲痛なM声が上がる。確かに痛いが、そのたびに声を上げることはないだろうと彼を振り返る。俺の登山パンツは新素材で通気性良く伸縮性にも富み優れた製品だが、薄いのでこの棘はたまらん。と、己の装備の自慢を交えての泣き言を語るので、よく理解できないまま、そうなのかと言ってそのまま進む。


清八峠までの道は急登でしかも藪から棒に藪だった。ろくに人が通らないのだろうか。マイカーで登山口に来て往復するハイカーもいないのだろうか。とにかく苦行だ。途中唯一の展望が開ける場所ありと本に載っていて、その通りの場所に到達するも、陽あたりよい分繁茂が激しいのか、濡れたベンチに草が覆いかぶさろうとしているような有様なので、少し立ち止まるくらいで、あとはひたすらに登る。


ようやく分岐の指標が見えて清八峠に着いた。すぐ右を登れば大月市制定の秀麗富嶽十二景のひとつ清八山に至ることは理解できるが、これまでの藪道で疲労困憊な我々は一路本社ヶ丸へと進路を取る。地図によればこの先は危険印まで印字された岩場を越える筈で、Mはこの先は注意だ、と緊張感を漂わせている。岩登りにさしかかったらストックを仕舞う方がよい、と助言を呉れる。しかしやがて現われた岩場は、威容は猛々しいが登るには不自由なく足を踏める石場で、難なく造り岩に到達した。


想像以上の絶景で驚いた。岩場は畳敷きのように平坦でその先は断崖絶壁になっている。その近くまで行きしばし茫然と、富士と三つ峠の山々を眺めた。眺望の素晴らしさは多くの方が記されているのでもう省略する。本丸の本社ヶ丸に期待を膨らませ、そこからさらにいくつかの岩山を越えて、漸く山頂に出た。眺望描写は私が書くまでもなく、多くの方々が記しておられるように、決して期待を裏切るものではないが、やはり先ほどの造り岩には劣るのではと思った。


ここで昼食の大休止をとる。我慢していた煙草をくゆらせて至福の気分だ。誰も居ない山頂を楽しもうと思ったら彼方で人の声がした。やがて年配の二人組が登頂してきた。元気のよい方々で、聞きもしないのに四捨五入すれば七十ですよとやや年上の方が教えてくれる。やや年下の方は驚くことに短パンだ。起点は我々と同じく変電所経由というから、あの藪を登ってきたのだろう。

その格好で大丈夫でしたか?と聞くと相方が、こいつは野蛮人ですから、と言って笑う。短パンの脛を見たら、細かい傷に、ところどころ腫れている様子がありありと分かる。それでも朗らかで元気なお二人だった。狭い山頂に先客が居て、予定が狂ったな、といった風のそぶりも見せず、我々はこの先のピークで昼食にしよう、と言って、早々に東へ降りて行った。


いつしか北側の眺望はガスに覆われ、やがて本社ヶ丸に霧が押し寄せてきて、反対側の富士山も徐々に霧の彼方に消えていった。潮時と感じて、我々も出発する。先ほどの二人組と同じく、鶴ヶ鳥屋山方面への稜線を歩き、途中で左に分かれる尾根を下って笹子駅に至る道を目指す。その分岐点は地図上では、1377という標高が記されている。


霧に覆われた山稜に雨が降り始めた。山林の道では濡れるような勢いの雨ではなく、却って涼しいくらい。途中鉄塔が立つ開けた地点では右へ宝鉱山への分岐を示す票がある。それを横目に、ふたたび鬱蒼とした山懐に突入する。そしてあっけなく1377に着いた。あの二人組がここで大休止していた。これで下るだけかと、我々も小休止する。

どちらかだったか、分岐点の左方向に伸びる道を指して、笹子はこっちでいいんだよね、と訊ねてきた。地図に記されているように、1377から実線で黒野田林道へと下り、林道も越えて行くルートを辿れば駅に至るのは間違いないだろうと思った。1377から右手に指標があって、鶴ヶ鳥屋山へと至る旨が記してある。疑いようもなく左というか、まっすぐと下っていくこの道があの実線コースだ。しかし、笹子駅、という指標がないな、とは思った。しかし、記すまでもない、と言わんばかりの立派な道筋のようにも見える。二人組みを差し置いて先に出発する。


道は急激に下りとなった。しかし木の根が階段状のように道は開かれていて、軽快に下ることができる。やがて苔むした岩の転がる道になり、少し平坦になり、また急な下りになった。ずいぶん飛ばして降りてきたなと思った頃、急に道は細くなり、叢が覆う暗い道が続き、そして目の前に身の丈以上ある繁茂した藪にぶちあたった。


見るからにもう道はなかった。目の前に聳える藪の先の方は明るく、繁茂した叢は青々と明るい。仕方なく藪を分けながら無理矢理に進んだ。藪が途切れた。そこは鉄塔の真下だった。鉄塔の周りを叢が覆い、道は見えない。鉄塔の支柱の一角にあるコンクリートの上に立って背伸びしてみたら、遠く麓の景色が見える。林道までは目視できない。鉄塔の周囲を巡り、道を探すが、今来た側面に比べ、他の三辺に立ちふさがる藪は更に強靭で、これ以上掻き分けて行くには恐怖が先に立つような状況だ。


しばし協議して、M1377まで戻る決断をした。快速で降りてきたあの道を戻るのかと思うと、私は少し怯んだが、考えてみるとこの四面楚歌を突破することの方に怯むのが道理だと思い直し、鈍い足取りで引き返し始めた。

再び薄暗い尾根登りにさしかかり、急登を目の当たりにして萎えた。Mが休憩しようと言ってくれる。私はまだ踏切がつかないのか、そう遠くない場所にあるであろう林道に向かう道筋があるのではないかと根拠もなく尾根の下の方をぼんやり見ていた。

やがて急登の先から声が聞こえてきた。あの二人だ。軽快に、そして朗らかに歩いてくる。ちょっと言いにくいなあと思った。1377でこの道ですよと言った手前もある。しかし我々は先に身をもって壁にぶち当たっているのだし、別に老人二人を迷宮に追い落とそうという魂胆を持つ動機もない。事態を簡潔に述べ伝えた。


案の定、我々が直面したという情景は不可解であり、この道は笹子駅に向かう、地図で示されたものに間違いないという気持ちから、とりあえず行って見て状況を確認してから判断する、と仰って藪の壁に向かって去っていった。俺たちの話を信じないのかコラ、などとは別段思わなかった。やはりここまで下りて来てまた戻ることは考えにくいのだろうなと思った。あるいは、ちょっと藪だからといって引き返すなんて若い者は軟弱だな、と呆れていたのかもしれない。我々も四十歳を越えているし、決して若い者だとは思わないが、彼らは戦争を知ってる子供たちだろうしな、と言うとMは、短パンであれを行けたらスゴイけどな、と言った。私も、そういえば短パンだったな、とぼんやり思った。


覚悟を決めて、ゆっくり、休みながら、来た道を登り返す。断言していいが、今日一番の急登だった。重力に逆らってグイグイと登っていく感じだ。そうしたら、感覚的にはあれっ、もう着いたの?というくらいあっけなく1377に辿り着いた。


今度こそ本当の大休止だった。とりあえず道標のある場所まで来て、帰り道は選べる状況に立ち戻れたわけだ。携行してきたお茶の残りも換算する気もなく、浴びるように飲んだ。精神的にも体力的にも張り詰めていた緊張の糸が緩んだ感じだった。

気を取り直して、鶴ヶ鳥屋山方面への細い急な下り道に入り、やがて静かな尾根道になり、いくつかアップダウンを繰り返し、地図上では一部破線で記されたヤグラからの分岐を目指す。鉱山からの牽引軌道線の残骸のすぐ先に分岐点が現われた。今度こそ笹子駅と記してある。

左に急な下りに入る。あれっと思うくらい直ぐに林道へと出た。破線はここから林道をまたいだ先で、確かに鬱蒼として湿った道は滑りやすく、そして藪っぽくなった。そしてまた鉄塔の脇に出た。真上の電線の彼方に、一段階上にある鉄塔がある。例の、あの藪の鉄塔だろうか。Mと私は何とも言えない気分で遠くに電線が伝っていく山懐を見つめていた。


さらに滑りやすい下りの果てに沢が沿ってきた。数回徒渉があり、Mはその一箇所で足を踏み外し、ずぼずぼ音を立てて渡った。最後の最後にご愁傷様ですな、というような感じで見つめる私に、Mは、なんでもない、ゴアテックスだから中は濡れてない、と言い張る。俄かに信じがたいくらい川水に嵌まったように見えたが、それ以上の追求はやめておくことにした。


最後の林道に出たら、爽快な気分で駅までの道を下った。今朝の甲州街道は次から次にトラックが飛ばして過ぎていくから怖いし気分も悪かったから、今度本社ヶ丸に登る時はこの道から行って、あの造り岩でのんびりと休みたいなあと思う。

中央高速道が視界に入り、道なりに左へと進んで行ったら、笹子駅の目の前に着いたので、とつぜん駅が現われたのがなんだか不思議に感じた。1450分。今度の大月方面行きは10分後に到着する。計ったわけでもないのにグッドタイミングだ。


プラットホームに上がると地元の人らしきおじさんが話しかけてきたので、本社ヶ丸への、例の実線コースについて聞いてみた。このホームから見ると、ちょうど右手に向かう道が見える。道は山に入っていくようにして消えていくように見える。

昔は登る人がいたけど最近は見ないなあ。あの向こうで工事していて、通れなくなってるとか聞いたな。そんなようなことをおじさんが言った。


私とMは目を見合わせた。あの二人のその後について、考えてもどうしようもないが、やっぱり1377に戻ったんじゃないか、という意見で一致した。

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